カワセミ側溝から (旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

熱演いいけど、こんな感じにホントになるのか   湯を沸かすほどの熱い愛

2017-09-30 | 映画

湯を沸かすほどの熱い愛/中野量太監督

 夫は失踪している。娘は学校でいじめられている。そんな中パートで働いていた時に倒れてしまい、検査をすると末期癌と分かる。それで探偵を使って夫を探し出し、夫が連れている娘と共に受け入れて、今までは閉めていた銭湯を再開することにするのだった。余命が限られている中で、娘のいじめ問題、新しい家族との絆問題など、難しいことを解決するために奔走することになる。
 死ぬことが分かっている中での物語なので、一定の感動ものである予感はずっと続いている。しかしながら一方で、なんだか単純にお涙頂戴で無いような雰囲気もある。物語なのでそういうものがあってもいいと思うが、むしろ母親の行動は、なんとなく自分勝手な頑張り方のような印象も受けた。頑張っておられることは分かるが、そんなことで物事が上手くいくのだろうか。
 ちょっとヤンキー的な思想があるというか、普通に考えると明確に間違いであるような選択が続く。例えばいじめを受けている娘に対して、布団をはぎ取って学校に行けと言う。お母さん分かってない、といわれて分かっていると答える。そうすべきという自分の考えが先にあって、娘の気持ちなんてたぶんぜんぜんわかってないのである。夫と当初失踪していた女性は耳が聞こえない。それでも食堂で働いていて、娘を連れて食事に来ても、その娘に気づいた様子が無い。それで後でビンタする。しかしながらこれは、いつも娘のことを考えているのなら分かって当然という思い込みである。むしろ仕事に頑張っているような時は、普通は気付かない方が自然である。様子も変わっていたのだろうし。要するに自分本位で相手を判断し、暴力をふるって何の迷いも無い。
 そういうヤンキーな病気の女に対して、皆対応としては強いところがあって、なんとなく物事はそれなりにだが進んでいく。これが本当にいい話であるのか、僕には限りなく疑問が残ったが、そういう考えの人たちが一定数いるのであろう。特に母親である主人公の行動は、ほとんどの場合僕の考えと逆だった。というか、ちょっと考えづらいというか、ヒステリーである。そんなんで物事は廻ったりしないだろう。しかしそれでもまわりの人間には理解力があって、そういう物事に応えていく力をもっている。そういう意味では稀有な物語で、ちょっと呆れた。出ている人々の演技力は高くて説得力があるのだけれど、やはり普通ではもう少し壊れてしまう問題があったのではないだろうか。ガンで亡くなるのは悲しいことだが、やはり一人で生き急ぐには、無理をしてはいけないのではないか。いや、無理をし過ぎるのであれば、もっと違った暴走の仕方があったのではないだろうか。
 繰り返すが、このようなヤンキー的な考え方には、一定の共感がたぶんあるのだろう。それをおおよそヤンキー的でない人々がやってしまうことに、何となく違和感があったのかもしれない。しかしながら、湯を沸かす愛というのは、よくできているタイトルではあったのだけれど。
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三種の卵を産み分けるツボワムシ

2017-09-29 | Science

 ツボワムシという微生物がいる。大きさは0.3ミリ程度。名前の通りツボのような殻を持っている。繊毛を使って泳ぐのはもちろん、水流を作り、植物プランクトンを食べる。口の中に咀嚼器があり、食べ物をつぶして食べる。食べかすは排出する。多くの小魚が好物として食べるらしいが、ツボワムシは繁殖力が極めて高い。普通一日に2倍、一週間で100倍の数を増やすという。毎日卵を産み、生まれた子供は二日でまた卵を産むようになる。餌が豊富など環境がいい時は、生まれるのは雌ばかり。だからこそ急激に数を増やすことができる訳だ。
 ところが餌が減ってきたり数が増えすぎたりすると、雄を宿す卵を産むものが出てくる。そうやって生れ出たオスは咀嚼器を持っていない。胃や腸なども無い。つまり食事をしない。ひたすら泳ぎ回り雌と交尾する。
 そうして交尾した後に生まれる卵は、茶色く硬い殻をもっている。この卵は気温の変化にも強く、乾燥にも耐えられる。そうして水中の環境が良くなるまで、孵化するのを待っているのである。
 一つ目の卵は、自分自身を二つに増やすような役割。二つ目は、オスを生むため。三つ目は、次代が生き残る為。同じ種類が3種の卵を産み分けるのである。
 僕は人間のオスだから二つ目の卵にはなんとなく悲しみを感じるが、しかしながら飯を食べない訳では無いから、いくぶん幸福である。まあ、生物のオスとしての役割というのは、基本的に本生命の補佐的な多様性の為の担保のようなものなのかもしれない。あまり意味のある存在で無いからこそ、虚栄を張るオスというのは人間には多いのかもしれない。
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考えてみると犯人の自滅だが   歌声の消えた海・刑事コロンボ

2017-09-28 | コロンボ

歌声の消えた海・刑事コロンボ/ベン・ギャザラ監督

 懸賞で当てた船旅に夫婦で乗り込んだコロンボだったが、運の悪いことに船内で殺人事件が起こった為に、単独鑑識などの組織の無い中で捜査をする。しかしながら犯人の巧妙な手口により、犯人として既に別の男が捕まっている。歌手の女性を殺したと思われる証拠があって、同じバンドの男が疑われている。そして、すでに船長らによって監禁されている状態なのだ。基本的に、だから同乗していた警察のコロンボに、ちゃんと捜査をしてこの犯人であるという裏付けをもらいたいという事になっている。しかし、もちろんコロンボは、最初からバンドマンには目もくれず、真の犯人である自動車ディーラーの男に目をつけており、どうやって犯行のトリックを解いていくか、というおなじみの追い込みをかける作品になっている。
 コロンボシリーズの常で、犯人のトリックは、見ている側は既に知っている。問題はコロンボが、どうやってその謎に気付くか、である。この回は、ずいぶん最初からコロンボは犯人と接触しており(なんと犯行前にも会話を交わしている)、苦労して仕組んだトリックも、わりあい早くからその矛盾に気づいている。しかしながらその根拠になっている証拠の品が、犯行をかぶせているバンドマンの男のために仕組んだものだ。だから船長をはじめ周りの人は、ちゃんと犯人が挙がったと確信している。そこでコロンボは、真犯人を挙げるために、新たな証拠を作り出すために、犯人自らをけしかけて陥れようとするのだった。
 最終的には船を降りた後の捜査によっても、この犯人は捕まったかもしれない。時間をかけると分かり得るものだったかもしれない。歌手にゆすられている状況は、彼女の別の交友関係からも明らかにされそうな気もする(つまり、動機は分かるのではないか)。しかしながら、観ている側にとっては、この船の中で事件が解決するかしないかで、ずいぶん印象は違うだろう。コロンボが意外と器用で、鑑識などの手を借りなくても、鉛筆の芯を削って、アナログな手法で科学捜査をやるというのも観ていて楽しい。さらに犯人を落とし込むのに、なんだかバカンスを楽しむように罠にはめていく。豪華客船の船長らも、一緒になってコロンボの手法に舌を巻いたに違いない。最初は事件をかく乱している張本人のような男が、大逆転で尊敬を勝ち取るような、カタルシスは見事である。その鮮やかさは、シリーズ中でも特に際立っている作品ではないだろうか。
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自慢話の内容が同質化してくる件

2017-09-27 | 掲示板

 取り立てて皆さんにお伝えしたい情報という訳では無いが、50になってしばらくになる。同級生の多くも、50になったと聞く。前半に生まれたやつはあんがい多いらしい。
 50になること自体が珍しいことでもなんでもないが、それなりに問題がある。要するに皆が口をそろえて言うことは、かなり衰えを自覚するわけだ。肩が痛い腰が痛い痔が痛い目が見えない耳が聞こえない人の話が分からない自分の話を聞いてもらえない胃腸が悪い便通が悪い胃が悪い頭が悪い頭が痛い歯が痛い金が無い金があるかもしれない(いいなあ)が自由が無い仕事がつらい仕事が行き詰ってる将来が面白くない今が面白くない過去も面白くない等々。いや限定的に言っても体の衰えの話が結構盛り上がる。自慢しているようにしか見えない奴もいる。いろいろ病気に深刻な人間ほど、なんだか偉そうにしている。何にもない奴は何のとりえもない奴のような気もしてくる。妙に若いというのはそれだけでなんとなくシラける。それはたぶんひがみだが、大丈夫、ちゃんと正面から真面目に見てみると若いころのことを知っている奴はちゃんと衰えている。僕らは仲間だからちゃんとわかる。同情できるしお互いにつらい。傷口をなめ合っているだけことなのに何故だか楽しい。
 要するにとても悲しい。若くないって悲しいんだな。でもまあ単純に若返りたい訳でも無くて、筋トレしている奴とか妙に張り切って運動してたり、一念奮起して何か楽しそうなことをやっている人も、衰え自慢の後にちらほら出てくる。なるほど、やっぱりそうかもな。いつまでも自慢してても始まらんもんね。諦めて努力するしかないっしょ。
 さてそういうことで、目の前のことを片付けるだけでも大変だけど、まあやるしかない訳で、先送っても先が短くなった分、刹那的にやるしかないのかもしれない。まあ、後の人も順番を待っているかもしれないが、まだ僕らがやっても何の支障も無かろう。やっとのことでそんなことを思っている訳です。でも仕事増えるのは嫌だけどね。
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正義の殺人というのはあるのだろうか   三度目の殺人

2017-09-26 | 映画

三度目の殺人/是枝裕和監督

 供述をころころ変える強盗殺人犯の弁護に手を焼いている知人の弁護士の手助けのために、敏腕弁護士が助けに入る。殺人は自白しているうえに、過去に自分の父が裁判官をしていた事件で殺人の罪で長く刑務所にも入っている男である。争点として死刑を免れたら弁護士の仕事として点数があがる、というような懸案かもしれない。しかしながら弁護をするうえで話を聞くうちに、この事件の背景にある殺人の合理性のようなものに、弁護士の立場でありながら段々とその主張そのものにのめり込んでいくことになっていく。
 長崎県出身の日本を代表する二大俳優が出演する話題作である。当然見なくてはなるまい。さらに是枝監督作品だ。個人的にお腹の調子が悪くて苦労して観たのだが、なかなか単純に収まらないミステリ作品だった。演技合戦としては素晴らしいと思ったのだが、法廷ミステリの演出のために、やはりいくつか疑問の消えない問題があったように思う。司法の批判のための映画ということであれば、それは確かに司法は一般の常識を逸しているダメさ加減はよく分かるのだが、しかしそれは必ずしもうまくいっていない感じもする。ミステリ作品として犯人の心情を忖度する弁護士の苦悩という視点でいっても、それであれば敏腕弁護士としてはそもそもどうなのか、という疑問が消えなかった。面白い映画であるとは思うが、是枝監督の特徴である人間ドラマと商業性があまりうまくいってない感じもする出来栄えなのではなかろうか。何か現実問題の深い問題性が、結局のところ掘り下げられる前に消えてしまう中途半端さも感じてしまった。まあ、他の日本人監督の中途半端さよりは、さすがにレベルの違う水準の高さであるとしても。
 個人的見解としても、死んでもよいという人間はいるのは当たり前だと思う。それくらいくだらない人というのは居るものである。しかしながら、それを裁くために殺していいのか、というのは、実は別問題だ。それは人間としての裁量を超えるものである。殺人犯のすべてがそうであるとは言えないが、罪を背負うということであるのであれば、私刑として殺人をする裁量は、実は現実の中で選択可能である。犯人はそれを実行した人であるのかもしれない。司法では当たり前だがそれは認められないことである。しかし、死んだ人、殺された人の人格などは、司法の社会では、そもそもあまり問題にしていないのではなかろうか。殺した人が悪いのであるから、その前の人間としての許しがたい罪の追及は、とりあえず問題外になってしまうのであろうか。たぶん、そういうことがテーマであるはずなのだが、そういうことはうまく伝わらない映画だったのではあるまいか。ちょっと惜しい感じかもしれない。
 しかしながら、それでもやはり面白い映画である。考えさせられるし、繰り返すが演技合戦の見どころも多い。特に長崎県人が北海道の人のようにふるまうことの俳優の演技力は、面白いものがあるな、と思った。考えてみると高倉健が、北九州の人間なのに北海道臭さがあったような、そんなことを思い出したりしたのであった。
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カワセミよ何処に

2017-09-25 | 掲示板

 そういえばこのブログの表題は、いずれ替えるつもりであると言いながら三年経過した。要するに仕事部屋を指して表題にしていたのだが、引っ越して三年なのだ。今の引っ越し先は島田滝川脇なので、そんなような名前にしようかと思案していたわけだが、それがなんとなくそれでいいのか決めかねていたというのがある。以前の名前にも変遷があるが、何しろ長く続いている。もう少しなじんでからでいいのかな、というのがズルズル続いている感じかもしれない。
 時折以前の仕事場のあった場所に行ってみたりする。何年も通勤したところだから非常になじみがあるはずなのだが、行ってみると、こんなところだったかな、と愕然とする感じがある。まだまだ管理上建物は残っているし、一部使用されてもいる訳だが、かなり古びている感じもするし、かなり不思議な気分になる。自宅からの通勤の距離は、以前の方が少しだけ近いはずなのだが、山間部というのがあるのか、むしろ遠いような錯覚さえある。周りの風景も、懐かしさは憶えるものの、少し変わっているようなところがあり、違和感さえわく。本当にこんなところだったかな、という思いが、ひどく古い記憶のような気にさせられるのかもしれない。
 さて今のところだが、既にもう馴染んでしまっていて蜘蛛の巣なんかも張ってたりして、バリバリ新品感も薄れてきた。時の流れは速いのだ。窓の外の小さい町道に広い側溝があって、なんとそこには時折カワセミがやってくる。小魚を狙いやすいポイントがあるのだろう。カワセミの羽は、実に鮮やかな青とオレンジが美しい。近づくとすぐに逃げるので、なかなか視界に捉えるのは難しい警戒心の強い鳥である。できるだけ見て見ぬふりをして、これからも続けて来てくれないかな、と願っている。
 そういう訳で、「カワセミ通信」というような題名がひらめいたのだが、ググってみると、けっこうそういう名前のページって多いのである。ちょっと残念だけどそのままだと混同が多すぎるかもしれない。側溝にカワセミだから、素直に「カワセミ側溝」とでもするかな。
 でも、夏場になると、暑さのせいか、水量の変化の激しさのせいか、カワセミの姿は激減する。このままでは、単なる「カワセミの居た溝」である。もう少し秋っぽくなってから、真剣に考えようかな。


 追伸:ということで、やっぱり表題変えてみました。いつか慣れてくれるでしょう。これからもよろしくお願いします。
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見えた方向散歩する(大須観音)

2017-09-24 | 散歩

 ビルから見えてた緑の公園の方に行ってみようかな。



 交差点で。



 橋も渡る。なんとなく見覚えがある。JC時代にこのあたりで飯食ったんだけどな。何食ったんだったっけ?



 でももう何も食べたくはない。



 とにかく駅から遠くに行こう。



 公園が見えてきた。白川公園というらしい。



 うさぎさん。



 広そうだな。



 遠投のキャッチボールしてる人たちなどがいた。



 橋が見えるんで渡ることにする。



 またちょっと歩くと何やら商業施設っぽい感じ。



 だんだんと人が増えてきた感じ。



 アーケードみたいなところに入っていく。



 結構広いっすよ。



 デカい招き猫も居た。



 何となくググってみると、大須商店街というところのようだ。結構規模の大きな商店街みたいですね。



 いろんな通りが組み行っている。



 それぞれに通りで競い合ってるってことですかね。



 神社もあった。



 やっと抜けたって感じ。でもいくつも通りがあるようで、とても全貌をつかんだという感じじゃなかった。



 大須観音。



 ハトがいっぱいいた。



 熱心にお参りしている人がいて、なかなか参拝の順番が回ってこなかった。






 帰りは地下鉄で。



 中部国際空港へは名鉄で。よく分からんで特急に乗って、車内で特急料金360円取られた。でも早くてよかったな、と思ったのだが…。




 しかしこの後、約一時間前にゆったりと待合に座っていると、まだ使用飛行機が来てないし、100分遅れの予定とアナウンスがある。台風の影響ってもう来てるの?(この時点では15日、金) もちろん待っていた人々から凄まじいどよめきが…。



 持っていた文庫本も読んでしまって、空港に書店があるだろうって勝手に思ってたんで雑誌しか置いてないので失望し、万歩計を見たらもう少しで2万歩ということを知り、じゃあ歩くかってんで歩きました。ここ数年では一番の記録となる2万6千歩越え達成。やったー。




 その後130分遅れで出発。到着時刻は140分遅れで到着。とにかく疲れました。


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高いところにのぼってみる

2017-09-23 | 散歩

 さてさて、すべてのプログラムは終了。12時半は過ぎていて、飯の問題にシフトする。



 今は蟹、ではない。



 結局昨夜のあのあたりの方がいいかな。



 やっぱりランチ難民いっぱいいる感じだ。



 つけ麵にしようかとも少し頭をよぎったが、素直にラーメンにしよう。



 セットメニューが多いけど単品で。で、単品注文すると、ランチセットできますよ、と二度も案内。でも、単品なんです。割高でもそれでいいのです。



 濃厚鰹豚骨というだけあって、鰹風味がきつかった。





 「ちゃん」という名前の店だった。単純な名前ながらなんとなく言いにくいな。



 四日市を後にします。



 向かったのは名古屋だぎゃー。



 お約束のナナちゃん人形。名古屋の待ち合わせはここというのが多いんじゃないでしょうか。待ち合わせしてないけど。



 いったん地下にも潜ってみたが。




 なんとなくミットランドスクエアという表示の方に行ってみた。なんか高級な感じだ。



 展望台があるらしい。商業地区からビジネス地区の方に移動してエレベータに乗る。ビューンって感じで登る昇る。どんどん周りのビルが低くなっていく。






 エレベータ降りたらきれいなお姉さんが待っていて、入場料払えと言われる。さらにエスカレータで昇る。



 こんな感じの空間に出る。



 鉄のフレームの枠の外に、名古屋の街並みを見下ろす。





 とにかく見下ろす。







 窓から離れてるんだけど、高いので怖さがあります。



 あれが名古屋城だな。



 大名古屋ビルヂングってやつかな。



 車もちっこく見えるなあ。



 JRセントラルタワーズっていうツインタワーでんな。




 天井はこんな感じ。



 人も少なくて人気ないのかな。なんとなくもったいないですよ。結構楽しいのに。
 でもそれだけなんで降りなくては。



 表に出て歩きましょう。



 どっち行くかな。



 なんか市場っぽいな。ググると柳橋中央市場というらしい。朝でないから閑散としている。



 中に入っても店がまったく開いてなかった。


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二日目分科会

2017-09-22 | 散歩

 商店街も目覚める前で、ひっそりしている。



 ひたすらひっそりしている。



 自転車もスイスイいける。



 それにしても通勤の人さえいない。



 通りはけっこう入り組んでいる。




 駅が近づくと、昨夜にぎわってた飲み屋さんが増えてきた。



 ボチボチ人も出てきたかな。



 ホテル戻って身支度して、分科会に参加。



 最初はまあそんなもんかという感じで聞いていたが。




 内容がだんだん盛り上がってくるんですよ。



 普通の僕は、あんまり責任のない会では、つまらなければ素直に退出するような冷たい人間である。



 そんななんだが、もう少し座って聞いてみようと考えた訳だ。



 なんとなく気になるというか、ヒントがあるような予感というか。



 それが何だったのかは分からない。しかしながら、ちょっとだけ当たったというか、後半は面白かったのである。



 後から考えてみるとそれは、やっぱり新しいところからアイディアを引っ張ってくるしかないということかもしれない。若い人の発表があって、それは多少スタイル重視で内容の本質で無いのかもしれないけど、ものすごく力強くて、楽しそうだった。僕たちが世界を変える? 本心だから、それでいいのだ。やっぱり凄い人たちは居る。確実にいて、愚痴だけで無くて、前に進もうとしているわけだ。



 ということで、けっこう気分的には収穫の多い分科会だった。たいへんに良かったです。
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四日市にもお諏訪さん

2017-09-21 | 散歩

 近くの別のホテルでシャトルバスに乗って四日市に移動。一時間50分。三重は縦に長い県なんだって。
 着いて大会前にまた小会議があって、そこで弁当も出た。



 やっと本番の大会に突入。1200人以上の登録があったそうで、大盛況。



 たまたま空いてた席のお隣が、僕が所属している某全国協議会の副会長さんだった。おかげでこの初日、12時半から17時50分までのスケジュール。退屈しなくて済みました。疲れたけど。

 懇親会までの時間の間、泊のホテルまで移動。シャトルバス出てるみたいだったけど、歩いていこう。



 四日市駅前まで来ると、過去に来た記憶がよみがえった。



 呼び込み禁止の看板の前で、けっこう呼び込みの人たちが激しく勧誘する中をくぐり抜けて行った。



 部屋の外はこんな感じ。



 懇親会場のホテルに移動。



 今回は人数が多すぎたということで、3会場に分かれての懇親会。僕はメイン会場だったみたい。他の会場には、あいさつ風景を中継で伝えているという。
 席の方はやっぱり10人以上でギュウギュウ。飲み物の御代わり頼んでも来ないので、ブースに長蛇の列の順番待ち。もう大変だったけど、両隣の人とはお話は弾んで楽しかった。みんな大変だと親近感が増すのだろうか?

 本会では一緒だった別会の副会長は懇親会頼んでなかったらしく、二次会で合流しましょう、ということになってた。ということで繁華街に移動。



 とにかく適当に入ろう、という店が、貝尽くしというところだった。とにかくあんまり量を出さないでくれ、と言って、ビール飲んで日本酒飲んで、けっこう酔っぱらってしまった。





 流石にもういいなというのでお開きになって、何故だか僕はホテルでチューハイ買って飲んで寝た。日本酒頭をすっきりさせて寝たかったらしい。

 ホテルの朝飯はタダ、というけど、朝食込料金ということだよね。しかし朝食抜き料金にしてくれって客もいるはずだから、朝食はサービスです。という文法になるんだろうな。



 そんで恒例の散歩に出ます。





 公園駐車場お隣の公園。





 これってなんじゃろう?



 神社もある。





 やっぱり諏訪神社っていうらしい。




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垣内参拝っていうんだそうだ

2017-09-20 | 散歩

 会議はとどこおりなく終了。 有志で伊勢神宮に行こう、ってことになった(たぶん全員)。

 約一年前にも来たんだけど、その時よりだいぶ木目が黒ずんでいた。古くなるのが早すぎないか?




 今回は神楽殿でお神楽観た。プオーってな笛が鳴って巫女さんが舞う。いろんな舞があって、宮司さんたちもなんか舞ってた。最初は結構我慢して正座してたが、もうお神楽見学どころの苦しみで無くなってしまって足を崩したら、ほどなく終了した。まったくしびれて大変だった。



 写真撮っちゃだめだという事なんで遠慮したが、本殿でも垣内参拝というのをした。大きな玉砂利がゴロゴロしてて、歩きにくいったらありゃしない。まったくバリアフリーじゃない。天皇陛下もこんなところを歩いて参られる訳だ。もちろんもっと奥まで行かれて、更に玉ぐし奉天もするらしい。ここでは下のものは玉串までは恐れ多くて許されていないとのことだった。皇室に入る可能性の無い男の道としては、この先は無いのだという解説を受けた。なるほど。
 裏に回って参拝を続ける。



 ネットで調べたら、このような参拝の仕方はいくつか方法があるようだ。せっかくだからちゃんと調べてこんな参拝した方がいいと思いました。一年くらいはいいことがありそうな感じくらいはスルですよ。





 またホテルに戻って夕食会。
 瓶ビールで乾杯したのに、生もあるってんで生飲んだ。驚くほど生の方が旨いとはっきりわかりました。



 いろいろあったけど、もうめんどくさいので部屋飲み。さすがに具合悪かったこと思い出して、今度はカーテンちゃんと閉めて早目に寝ました12時前。






 朝は昨日が和食だったから、洋食をチョイスしたらしい。そんなことってあんがい憶えてないです(どんなことも覚えてないけど)。



 飯食ったら当然散歩。



 すこーしずつ寂しくなっていく。



 公園があって。



 当然路地をゆく。



 うはー、なんだあのボロ家は。



 凄いなあ。ボロボロ。





 さすがに人は住んでなさそうだったけど、世界遺産に推したいです。無理だろうけど。

 このあたりは駅そば住宅地なんだろうけど、古くて建て替えが進んでない感じだった。



 よくは知らんが、戦後住宅が建てられて、高齢化が進んでも息子たちが戻らなかったのではなかろうか(完全に想像だけど)。



 もうダメだな、これは。



 道が広くなると辛うじて少し新しくはある。でも古いけど。




 新旧混合って感じか。



 古い店構えはいい雰囲気だけどね。



 通りに近いと道はひろいが、奥にいくと自転車くらいしか通れないよな。



 整備を待って公園にしたような場所もある。



 でも住宅街に墓所があったりして、なかなか難しそうだよね。



 お、最初の晩に呑んだ店があったよ。とばっ子って店だったんだな。こんなに小さかったんだ。



 とばっ子のお隣はアパートだったんだね。



 ここはちゃんと住んでる感じです。



 通勤通学、いってらっしゃい、であります。





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路地好き

2017-09-19 | 散歩

 バス停あったけどさっき音がしたので、もうしばらく来ないだろう(って気がした)。



 結局歩いて戻ることにした。散歩なんだからそれでいいのだ。



 なんとなくで道を渡る。



 ホテルって遠そうだなあ。



 分かりやすい歯医者もある。



 そして選ぶ道は路地。



 ビールの空き缶を飾る家もある。



 ガードもあるから線路もあるんだよ。間違ってないよきっと。





 駅だって近いよ、きっと。





 アパートだって、駅の側だから高いんだよ、きっと。





 しっかし古いアパートもあるなあ。ここはしっかり住んでる感じだ。



 多くの家の玄関には「笑門」と書かれたしめ縄のようなものがある。本当にほとんどの家にある。



 どうも本線の道が見つからない。



 もう少し行ってみよう。




 婆ちゃんはあっちの方から歩いてきたな。



 という事は抜けられるはずで。







 やった。ホテルみっけた。




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倭姫宮

2017-09-18 | 散歩

 窓が東側にあったらしく、陽の光がまぶしくて目が覚めた。おいおいまだ5時前だよ。ここいらは朝が早いらしい。トイレ行ってカーテン閉めて寝なおしたが、睡眠不足というか、体調が悪い気がした。
 朝飯は和定食を選択していたらしい。



 体調が悪いが天気はいい。ならば散歩するでしょう。



 昨夜行ったのは、むしろ駅の裏側だったようで、表の方を行く。いい天気なので暑いです。



 少し商店街っぽいかな。ホテルの人に聞いたときは、「ここには繁華街はありません」という事だった。僕は田舎の人間だから、この程度でも繁華街と言っていいように思うけどな。電車も二両編成だけど、大村線は電車で無くて、いまだに汽車だしな(ディーゼルカー)。



 ところどころには灯篭のようなものが建っていて、ここが伊勢であることを主張している(ように見える)。



 駅には今から人が増えてく感じだろうか。



 あっちが外宮くさいな。



 でも関係ない神社に行って。





 またその辺をぶらぶらした。



 一旦ホテル戻っていろいろ済ませ。やっぱり時間あるしまた散歩することにした。目指すは窓から見えるあっち方面。



 歩きながら思ったけど、やっぱりなんとなく古い町並みである。あちこち路地があって入り組んでいる。そういうのって古い証である。



 商店だったんだろうけど、ほとんど閉じている。



 広い道より細い道。そういう性格なんだろうか。



 ガードをくぐってその先も細い。



 良い感じの家が多いな。別に住みたい訳じゃないけど。
 


 川も渡る。



 きんすい橋っていうようだ。



 やっぱりあちこち灯篭がある。





 日蓮聖人誓いの井戸ってのがあった。



 なんとなくの目的地はこの先らしいぞ。





 神宮美術館。ここなら少し涼しいんじゃないかと思って入った。



 涼しかったし不思議な絵もあったし、でもとても寂しい場所だった。





 共通チケットをつい買ってしまったので、徴古館というところにも行ってみた。



 玄関前ロータリーが逆ハートマークだった。



 暑いからあっちに行くかな。



 でもあんまりさびしいところだから、広い方に行こうかな。



 本当はこっちからみんな入ってくんだろうな。



 脇道があって、結局そっちが涼しそうなんで入った。



 二人の間隔が50メートルは離れているという男女とすれ違った。喧嘩でもしたんだろうか?




 石段があって。



 登る。



 途中変な木がある。沖縄でもこんな木見たことあったな。



 ちょっと神々しいな。



 倭姫宮(やまとひめのみや)というらしい。



 お隣にスペースがあって、ここも遷宮するんだろうか。








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伊勢に向かう

2017-09-17 | 散歩

 一日目は移動日。14時過ぎの飛行機だった。



 実は午前中の便はおなかの調子の悪い僕には不安が多い。まあ、そのことは別に書くか…。
 で伊丹に着いてどうしようか。



 最初はバスも考えたけど、ちょうど出たばっかり(1分前だった)。モノレール乗って考えよう。ってことですぐ蛍池駅で乗り換えて梅田まで行くことにした。



 梅田駅というのは終点って感じがするんだよね。実際終点だし。



 大阪駅まで歩いて、環状線に乗り換える。



 そんでもって鶴橋まで行って近鉄に乗り換える算段だ。



 駅のホームで特急券買えるって知らなくて戸惑ったよ。まごまごしてたら、一本特急乗り遅れた。



 でもまあ乗れたので良かった。あんがい車窓はのどかな旅。それに空いててリラックスできた。



 1時間40何分かの旅。間違って特急じゃないのに乗ってたら大変なことになってたな。



 宇治山田駅に着いたらもう外は暗かった。



 しかしなんとなく覚えはある。前に一人で来たことがあるはずなんだよね。そん時は、ここで降りて一人で外宮を歩いて回ったのだった。



 ホテルに荷物置いて、伊勢駅の方に歩いて行って、なんとなく駅前すぐの店に入る気にならず、住宅の方に少し行ったところにあった居酒屋に入った。こじんまりしてて、地元風なのも良かったし。カウンターの前にテレビがあって、一人だと助かるのも良かった。



 黒板に「つみれ」と書いてあると思って注文したら、「つみれハンバーグ」だった。そういえばそんな風に言ってたと、現物が来てから思い出した。美味しかったんでいいけど。



 赤いウインナも焼いてもらった。旨いんだなこれが。
 ビール。日本酒に二杯。焼酎の水割りのんで、だいたいこんなところか、と思って後にした。



 ラーメン屋の割引券のようなものを頂戴したが、開いてたスーパーに寄ってつまみと日本酒、お茶を買って帰った。
 ここのところ風邪気味で調子が悪い上に、出張もあるんで忙しくて、移動だけだったのになんだか疲労を感じていた。寝なきゃ、という意識はあるが、こういう時はあんがいそんなに簡単に寝られないものなのである。くだくだテレビみたり文庫本読んだりして、やっと寝たという感じだった。ああ、そういえばチューハイも飲んだ。

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ある種の純粋さと衝動が世界を変えるかもしれない   僕たちは世界を変えることは出来ない。

2017-09-16 | 映画

僕たちは世界を変えることは出来ない。/深作健太監督

 原作はノンフェクション作品らしい。最初はそこまで純粋に考えている風では無かった学生が、社会のために本当に何かできることは無いかと考えはじめ、カンボジアでの学校づくりへと組織を作りながら取り組んでいく様を描いた作品。実際に現地に行っての言動や行動は、どこかドキュメンタリー作品のような展開を見せる。基本的には劇映画だが、俳優たちもこの劇中で、何かカンボジアに魅せられていくような事が現実に起こったかのような印象を持つ。いわゆる美談ではある為に一抹の嘘くささのようなものが感じられるが、悪いことでは無いために映画としての純粋な娯楽性は、かえって薄くなってしまったようにも思う。啓蒙作品としては直接的に意義が伝わりやすいのかもしれないが、何かノンフェクションの人たちの純粋さが、演技としての映画の枠を乗り越えてしまったということなのだろうか。そういう意味ではつくり手も俳優も純粋にさせられるような魅力が、カンボジアの現地にあったということなのかもしれない。映画としてはどうなのか、ということは残るが、観る人にとっては良い場合もあるかもしれない。
 もちろん、劇中でもこの行動に批判的な仲間たちも描いている。いわば日本の楽しいサークル活動において、本来的には外国の状況なんて関係が無い。楽しみに水を注すということでは無いが、そういうものについていけない人もいるのが現実だろう。自分たちも本当にどこまで学生の立場でやれるのかというのは未知数だ。戸惑いがあっても、もうやめることなんてできない。それが若さというものかもしれない。さらに現地で通訳の人の話を聞いて、日本の若者だからこそ知らなくてはならないものがあるような気もする。自分たちの体験は小さなものかもしれないが、そのようなものは、やはり少しでも多くの人に伝えるべきことなのではないか。
 ちょっと妙な作品ながら、若者や今や若くない人にも共通の、本来持っているであろう純粋さを描いた作品かもしれない。しかしながらこれを行動に移せる人間は、やはり多くは無い。その少しずつでも変化させうる社会運動は無いかと考えると、可能性としては彼らのような若者に懸けるより無いのではないか。国が豊かになったら必然として背負う責任があるとしたら、このような問題に向き合えるかどうか、ということなのかもしれない。
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