カワセミ側溝から

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

恐ろしい日本人の人たち   福田村事件

2024-10-03 | 映画

福田村事件/森達也監督

 関東大震災の後に、火災をはじめ多くの犠牲者が増えた混乱の中、さまざまなデマが流布し、特に朝鮮人が日本人を虐殺しているというということで自警団が組織され(実は朝鮮人などの外国人も、絶え間なく日本人から襲われることから自警団を組織したともいわれている)、多くの日本人が暴走して虐殺を繰り返した史実をもとに、特に千葉県の福田村で起こった日本人の薬売りの行商人を殺戮した記録を再現したドラマである。少しばかり長尺なのは、その虐殺に至る背景を描くために、福田村の一見平和でありながら閉鎖的な日本社会の縮図と、そこに織りなす民主的な人々と対をなす封建主義的な日本人の姿を描いている。一度は朝鮮半島に渡り教師をしていた村出身のエリートが、自由でハイカラな妻を連れ立って帰って来るが、何か機嫌が悪く妻に浮気され、失望する姿などが群像劇の一部として展開される。お国のために軍隊に若者を順に送り出している村人たちは、過去に軍に行ったことのある中高年の意見が重要である村社会になっている。しかし実態としては、軍に行ってもたいした働きは出来ず、殴られるなどして苦労して帰って来ただけの事であった。そういう不満は隠しながら、村の秩序を守ることに腐心する者たちが、大きな勢力を形成していたものだという感じである。
 そうしてそういう村に四国から薬売りの行商人15人が、商売の旅で立ち寄る。彼らは身分の低い「エタ・ヒニン」階級の人々であり、ちゃんとした職に就けないばかりか、土地さえ分け与えられない人々である。いわば行商をするより生きていく方法が無い。その薬にしても、多少怪しいもの売りでもある。そういうことを了解しながらも、なんとか行商で食いつないでいたという事らしい。そうしてこの村で震災に巻き込まれ、商売もままならないので帰ろうとしていたところ、朝鮮人ではないかと怪しまれ、村人に囲まれてしまうのだった。
 ドラマの中には、多少現代の視点も混ざっている感はあるが、当時の非道な日本人の狂気の姿を、徐々に浮き彫り出そうとしている。酷いことになっていることは、意識の高い人々にはちゃんとわかってはいた。しかしながらそのような意識が醸造されている一般大衆を前にして、その人たちは結局何もすることができないのである。いや、何かやろうと行動に移すのだが、大きな波のような力を前にして、それらの間違いをただすことなど到底できない。そもそも大きな不満がある中に、訳の分からない大惨事が起こってしまう。もともとあった差別意識もあり、ちょっとしたきっかけで大虐殺が公然と行われてしまうのである。
 さらにこの事件の悲惨さは、虐殺をされた人々はそのまま歴史に埋もれ消え、公然と殺した人々は、一度は数年の罪を追うことになりながらも、全員結局恩赦となって釈放されたという事実が残るのみである。自分たちの不満のはけ口のためにいじめぬかれて殺された人々は、結局は何のために生まれてきたのか、という物語なのである。
 実はこの映画、たまたま僕は9月1日に観た(関東大震災の日だ)。最初は他の映画を物色していたのだが、急に気が変わってこれを選択したのだ。それもほとんど無意識に。観ていて、なんとなく妙な映画だから(浮気したとかどうだとか、なんだかお家騒動なのかいじめなのかよく分からない話がずいぶん続くのだ)途中だけどやめようかとも思ったのだが、やっぱりなんとなく見続けてしまった。まったくひどい当事者たちは、しかし実はそれなりに善人でもあるということかもしれないが、やっぱりそんなに善人には見えない。あんまりカタルシスは無い物語だけれど、お前は観ておけということで導かれたということなのかもしれなかった。
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