先日営業に来ていた銀行の人が、私たちは将来AIに取って代わられる業種らしいです、と言っていた。最近そんなことを言う人があんがい多いようだ。会計やってる人も、そんなことを言っていたのを聞いたような気がする。まあ、一般的には事務仕事の多くは、AIにできるようになるとの予測はあるし、法令を扱う弁護士のような仕事の多くも、人間である必要は無くなるともいう。また高度の医療であっても、基本的なものは医師の代替が可能という話もある(その方が安全という意味で)。そうすると、AIで代替できない仕事の方が少数派なのではないか。
しかしながらそういう話は過去にはごまんとあった訳で、計算では計算機にかなわない人間が、結局は計算機で仕事が減らされたわけではないし、パソコンでも工場のオートメーションの機械なんかができた時も、多くの人間は必要なくなったはずなのに、そんなに失業したのだろうか。事実上スーパーのレジなんかは自動化しているが、人のレジは残されている。これってどう考えたらいいのだろうか。もちろん人員は少なくても良くなっているだろうし、効率化がはかられていることは間違いなさそうだが、そういう相対的なことで、失業者があふれているようには感じられない。むしろ人不足の方が深刻で、さらに業務の委託先などは複雑に増えているのではあるまいか。
もっともここ十年の間に、さらになくなる仕事が増える、ということなのであって、今は過渡期である、ということらしい。どんどん人間は必要が無くなり、失業者が増えるのか? いや、ともかく人不足だ。少子化問題で、そっちの方が深刻だ。早く人が必要なくなって欲しいと願っている業界の方が、多いのかもしれない。
しかしながら暇になった人間は、いったい何をするのだろう。遊ぶにも金は必要だし、ともかく働かないことには、暮らしていけないのではないか。さらに金を使うのは人間であって、いろんなサービスが人と変わって必要なくなったとしても、そのサービスの対価を支払う人は必要なはずだ。失業して収入のない人間が、その対価を支払えるはずが無い。そうするとサービス自体が必要でもなくなるわけで、人のいなくなったAIはいったい誰から維持費を含め、お金をもらう仕組みになるのか。金持ちだけが生き残ったとしても、彼らが百人分消費する訳では無かろう(ある意味で百人分以上の浪費はする可能性はあるが)。
暇になった人間が何をするかというと、やっぱり何か仕事を生み出すのではあるまいか。しかしながら統計によると、日本人はそもそも自営というか、組織に属さない働き方の割合が国際的には高かったが、近年それは低くなり、国際水準にまで落ちているという。十数パーセントといったところらしい。要するに組織的に効率化した働き方をしない限り、食べていくのが難しくなっている。さらに日本の会社は硬直化が進んでいて、労働生産性が必ずしも高くない。日本人は、働いているつもりであんまり効率的に働けていない。さらに今は人不足の根本的な問題が解決していなくて、さらにまた働けるけど生産性の高いところでは働けない人々も一定数いるという。そういうことを何とか考えていくと、やはり人間以外に働いてもらうよりどうしようもない訳だ。移民がたくさん来るといいが、彼らが求めるような国でなければやってくるはずもない。
失業どころか、結局はあぶれてしまう自由さえないような社会になっているのかもしれない。よく分からんが、AI以前の問題であるのは間違いなかろう。