ネット動画を見るともなしに見ていると、いつの間にか大食いのものが結構流れているのに気づく。それだけ僕が観ている所為で、勝手にそれらが選択されて流れるようになっているはずなのである。何キロも盛ってある料理が、時間の経過とともに減っていく。時に食べている人がただ苦しんでいる。しかしまたおもむろに食べ出して、だいたいほとんど食べてしまう。食べ物の種類にもよるとは思うのだが、大食いの人であっても当然限界があって、一度に何キロくらいまで、というのがあるに違いない。作る側の手違いか何かで、ちょっと量がオーバーしているなどして、こういうことが起こるのではないか。まあ、ほとんどの動画は、難なく食べつくしているものが多いのだが……。
以前から大食いの女性タレントは一定数いたと思うのだが、ネット上ではこれが想像以上にたくさん居られるようで、なんだか知らないが、女の人も、凄くたくさん食べている。見た感じかなり痩せておられるような人もいて、これだけ食べて太らないらしいことが不可解になる。ほとんどの場合、たくさん食べて吐いてしまうのだろうと思うのだが、そういうメンヘラ系の女性が一定数いるような気がして、そういうのもなんだか怖い気がする。男性の場合であっても、一定数の人は吐いているはずで、大食いと吐く技術のようなものが進んでいるのではあるまいか。もちろん、消化をあまりせず太りにくい体質の人もいるのかもしれないが、人間である以上、こんなことを続けていて太らないということはあり得ない。あるとしたらそれは人間では無い訳で、やはり無い話ということになるかもしれない。大食いというのは、想像以上に過酷であるに違いない。まあ、そんなことも考えながら観ているようで、そんなに楽しい訳でもないのに、よく分からないのである。
辛い物を食べている、というのも結構ある。辛いのに坦々と食べている。特に韓国系のそれは顕著で、画面までなんだか真っ赤になってくるようだ。そうして韓国のものは特に、食べている音がしているものが多い。麺はずるずる啜るし、キムチなどの野菜は、ぼりぼり言って齧っている。時折ため息交じりに「うーん」というような声も聞こえる。そうしてけっこうたくさん食べる。家族で食べているようなものがあって、大なべなどを囲んで、皆で一心不乱に食べている。必ず鍋には乾麺などを追加して、さらに赤いものを投下している。そうしてやはり大根や白菜などのキムチ漬けを齧る。うーん、文化の違いはこういうところに現れている。スゴイ。
重松豊の番組は、中国でも大ヒットしていると聞いたことがある。あれも一種の大食いだと思うが、なんで昼間っからあんなにいっぱいサイドメニューを注文しなければならないのだろう。ちょっと危険な感じもするが、ちゃんとお腹いっぱいに食べている様子だ。心の声がいいとも思うが、やはりあの食べている感じが特にいいのだろう。実際には独り言を言っているわけでは無いので、坦々と食べているだけのことだろう。俳優さんの雰囲気がいいともいえるが、あの年齢になってなお食べているというのもあるかもしれない。若い頃の重松豊は、なんだか不思議な顔をしている青年で、今のそれとはずいぶん感じが違う。今になってウケているのは、そういう雰囲気あってのことだろう。
しかしながら、ひとの食べているところをばかり見ているくせに、僕は自分の食べている姿を動画には納めたくない。一緒に食事をしている人を気にしたことは無いのだが、ただ自分が食べているところを見られているというのは、ちょっとぞっとするところがある。そんな感じで見られたくないし、そんな感じで食べたくはない。食べているというのは、相対的には非対称の出来事なのであろう。
※ ちょっと前にも大食い動画のことについて書いていた。書いていたことも忘れていた。なので文章には重複もあるようで、しかしそんなことを過去に書いたことを失念しておりました。自分でもかなりミステリである。が、まあ、そういう自分というものはあるのも確かで、つまるところ、同じようなことに関心があるということなのでありましょう。
※ ちょっと前にも大食い動画のことについて書いていた。書いていたことも忘れていた。なので文章には重複もあるようで、しかしそんなことを過去に書いたことを失念しておりました。自分でもかなりミステリである。が、まあ、そういう自分というものはあるのも確かで、つまるところ、同じようなことに関心があるということなのでありましょう。