カワセミ側溝から (旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

夢を捨てないとダメな生き方になっちゃうぞ   海よりもまだ深く

2017-04-30 | 映画

海よりもまだ深く/是枝裕和監督

 男は過去に文学賞をとったことがあって、自分を作家だと思っている。が、食っていけないので、取材と称して興信所で働いている。背が高く二枚目でありながら、ギャンブル好きで夢を捨てきれないダメ男だ。さらに別れた妻と息子がいる。未練があって、養育権を使って息子に会うのを口実に、復縁できないかとも考えているようだ。常に金に困り、年金暮らしの母の金をくすねることなどでやりくりしようと考えている。姉からも金は借りていて、だらしがない。しかし、夢のある人生だから、これからの逆転もあると信じているようなところがあるようだ。そういう考えの甘さや痛いところが、何とも救いのない中年の人生を表現している。
 息子を連れて母の家に行くと、台風が近づいていて、息子を迎えにきた元妻と共に、結局団地に泊まることになる。そこで自分が子供の頃やったのと同じように、息子と共に夜中に団地内の公園の遊具の中に籠りに行くのだった。
 根本的に自分のダメさから抜け出せない男は、その考え方を変えない限りどうにもならないことに微塵も気付いていない。夢があるからこそ生きられるとさえ思っている。しかし母親は会話の中で、海よりも深い愛が無かったから、これからも生きられると語る。要するに深い強欲が、人を不幸にさせているということを、暗に息子に語りかけているのだ。それはある意味で、仏教的な達観のような考えだが、小さなこだわりの集積のようなものが、息子の歯車を狂わせていることを、心から心配しているのだ。そうして、深い愛が無いという逆説的で衝撃的な告白や人生観のもと、自分らがつながっているという妙なバランスのようなものを考えさせられることにもなっている。
 母親の団地での生活や、ダメ弟に困らされていながら、したたかな姉。また男の興信所での仕事のやり方など、さまざまなエピソードがいくつも繰り広げられている。映像も丁寧で、なんでもない団地の風景の切り取られ方が、非凡で印象に残る。ものすごく名作という訳では無いのだが、その引っかかり方が見事な作品という気がする。ダメな人生でも生きている人というのは、当たり前だがいる訳だ。他人事でないような生き方はしたくは無いけれど、そういうものを受け入れるのもまた、人の生き方なのかもしれない。
コメント

人は居なくても激しくシュールな戦い:競輪

2017-04-29 | net & 社会

 テレビで観たのだが、競輪デビューのある若手選手のレースの模様があった。最初は緊張してレースの組み立てに失敗。しかし実力があるのか、次は挽回してまずは一勝を挙げてめでたし。という感じだった。ところでなんか違和感があると思っていたのだが、関係者以外画面に人が居ないからだった。後にアナウンスがあったが、何とレースは無観客のミッドナイトなんだという。それでレースは、ネットなどで中継されるのだという。ほえ~。合理的でんな。
 競輪ファンの高齢化は深刻で、競輪から撤退する治自体もあると聞く(公営ギャンブルだから治自体の判断だ)。そういう中で生き残りをかけてそのような取り組みがなされているということなんだろう。それは別段悪いことでは無いし、確かにネット環境で夜に遊ぶ人にとっては、なかなか楽しい試みかもしれない。それに考えてみると、ボートやオートレースでは、夜の時間帯の開催は、騒音問題があるかもしれない。
 まあでも観ている分にはかなりの違和感である。こういうものって、やっぱりある程度観客って必要かもしれないとも感じる。夜に出歩く方が治安には悪そうだし、昼は高齢者や仕事の都合のつく人でなければ難しい。苦渋の選択ではあろうが、寂しいものは寂しい。そういう環境で落ち着いてレースができるという利点があるのか、もしくはやはり応援や野次があった方が走るにも力が入るのでは、などとも考えてしまう。どうなんでしょうね。
 ところで、公営ギャンブルは苦戦が続くという話はずいぶん前から聞いていた話だが、やはりこのような取り組みがいくらか功を奏してか、全体的な売り上げは僅かばかりか反転している、という話も聞くようになった。それは関係者や自治体にとっては喜ばしいことかもしれない。しかしながらギャンブル人口が増える背景には、不景気もあるというのもよく聞く話だ。所得は簡単に伸びないから、夢で伸ばしてみようということか。個人の勝手な考えだからそれでいいが、その選択の前に、ある程度は考えた方がいいとも思う訳だが…。水を注すとシラケるだけですけどね。人がいなくても熱いレース、頑張ってください。
コメント

信念があると寿命は縮まるらしい。霊と人間のタッグマッチの凄まじさ   ヒトヒトリフタリ

2017-04-28 | 読書

ヒトヒトリフタリ/高橋ツトム著(集英社)

 漫画、全8巻。霊界にいたリヨンという若い女の霊が、人の背後霊になるよう任命される。それで憑いた相手が春日という日本の首相で、余命一年半という身だった。さらに政治的に窮地に立たされており、心も闇におかされているような人間だった。しかしながらリヨンの霊力は強く、死の淵から復活した後には霊力として協力体制を築き上げ、日本を再建する道筋として何故か脱原発を選んで、その命を削りながら邁進していく物語。霊界の力と人間の信念が合わさって、本気で世の中を変えようとするわけだが、やはり強大な邪悪な心を持つ悪霊の権化のような久保という人物がいて、霊界と現世のあらゆる悪の力を借りて、この春日とリヨンの前に立ちはだかることになる。多くの命も奪う。そうしてその闇の姿が何なのかという謎解きも含めて、壮絶なバトルが展開される訳だ。
 あらすじとして書くと実に荒唐無稽でアホクサく思えるかもしれないが、これが漫画世界としては成り立つわけで、読むものをぐいぐい引き込む力がある。画力も独特で放射能と霊力が何故か混同していたりするけれど、なかなか見事だ。人間の心のつながりのドラマも見どころがあって、伏線の張られ方もスリルがある。政治の世界の実在の人物をモデルにしているのは見て取れるが、その人物のデフォルメもそれなりに面白い。ただ一国の首相としての春日は、凄まじくカッコ良すぎる訳だが…。
 まあ、思想的にはちょっと問題のある題材だと思うし、現状をよく知らないままに理想を追求しすぎているというきらいはあるのだけれど、漫画だから仕方ないということはあるかもしれない。しかし、展開は力強く、読んでいて面白いのは確かだ。そうして霊界問題はともかくとして、実際に政治世界がこのような純粋な正義のようなもので動いたらいいのにな、という気分にはなる。まあ現実社会では、それは政治にはなりえない訳だけれど、理想としての政治というのは、漫画的にはこのようなものであるという見本だろう。
 子供がまともに読んだら多少害毒のある物語かもしれないが、まあ、大人の考えるモノに害のないものは無かろう。僕は日ごろのニュースを見ても、大衆の好みなんてちっともピンと来ないのだが、少なくともこの漫画を読んだことで、ある種の人々の考えというのは理解できたように感じた。どうりで僕には分かり得ないものだった、という感じだろうか。そういう意味でも複雑に二重の意味でも面白い作品だった。実際に起こりえないからこそ、少しは安心できるというものである。
コメント

ネクタイは選ぶな。人生を選べ

2017-04-27 | 雑記

 トランプ大統領は赤のネクタイが多いようだが、その理由は僕は知らない。一方で前のオバマ大統領は青のネクタイと決めていたという(まあ、探せば他の色もしてたようだけど)。理由は、大統領は多くの重大な決断をしなくてはならないので、ネクタイの色で悩みたくないから、と言われている。
 実はこれ、本当に合理的な事らしくて、人間というのは、選択をするとそれなりに疲れるらしい。そうして一日に選択を何回もすると、後の方は疲労で選択を誤りがちになるんだそうだ。
 ドラマなんかで着ていく服をベッドなんかに並べてあれこれ悩む、というような場面が描かれる。まあ、重要な場面で何を着ていくのかというのは悩ましい問題も伴うのかもしれない。あんまり持っていなくても買うべきかどうか悩みそうだし、決めていても太ったりしてきつくなって困ることもありそうだ。いざというときの選択に疲れて、本番は思いっきりハズしていくなんて人もいるかもしれない。まあ、そんな人がいた方が面白いけど。
 別にオバマ前大統領にあやかっている訳では無いが、僕は着る服にはほとんど悩まない。まあ、今はつれあいが準備してくれるので、まったくありがたい訳だが。でも、結婚前でも悩むことはほとんどなかった。その代り酷い恰好をしていて、そのことで馬鹿にされるということは結構あったと思う。まあ、そういうことに馴れていたというのもあるし、ズボンのお尻が破けているとか靴下に穴が開いているというようならともかく、まあ、しょうがないな、と思っていたと思う。
 ときどきいろんなフォーマルな会場などで、よれよれの服の人をたまに見かけるが(いや、最近はめっきり減ったけど、それでもたまにはいらっしゃるものである)、本当にアレの人なのか、信念の人なのか、と思うことがある。信念の人だったらめんどくさい場合もあるが、まあ、分かる。というか、頑張ってね、と思う。友達になりたい訳では無いけれど、そういう人が生き残る社会であって欲しいな、と思います。
コメント

さびれていくアメリカと逞しきアバズレ   ネブラスカ 二つの心をつなぐ旅

2017-04-26 | 映画

ネブラスカ 二つの心をつなぐ旅/アレクサンダー・ペイン監督

 100万ドル当選したという手紙をもらった爺さんが、その当選金をもらいにモンタナからネブラスカの1500キロを息子共に移動する話。もちろんそんなに虫のよい話は無いと息子は分かっているが、父親は少しボケているのか、聞き入れてくれない。酔狂は分かっているが父親は免許証も返上しているらしく、自分が車の運転をして連れて行くのである。
 道中父親の生まれ故郷にも立ち寄るのだが、そこであばずれの母親が出てきたり、昔の友人や親戚たちが出てきて、その外れくじであるはずの懸賞金を巡って、さまざまなトラブルに展開していく。架空のお金の所為で、改めて人間関係が浮き彫りにされていくわけだ。
 ストレートなコメディ映画という訳では無いが、基本的にはコメディである。いくらボケていて言うことを聞かないとはいえ、こういう酔狂に暇をかけてやる人は無いだろう(金もかかるし危険もある)。しかしこれが、ある意味で父親の過去にさかのぼる旅にもなっていて、息子は、知らなかった父親の姿を、改めて深く知ることになるのである。
 あえてモノクロで撮影されていて、妙な味わいはあるものの、ちょっと狙い過ぎて成功しているのかどうかわからない。面白い話だし、よくできた展開だと思うが、ここに出てくるアメリカ人は、どうにも皆馬鹿みたいだ。息子だけが辛うじて少しまともで、その視点で世界が描かれているので、何とか世界が成り立っているということだろうか。
 しかしながら、やはりアメリカというのは本当に巨大な田舎らしくて、そういう田舎にも人がちゃんと住んでいる。そうしてちゃんとさびれた貧しさというのがあるのだろうと思われ、これは日本の田舎も将来的にはそうなる(今は既にそういう感じではあるけど)ということの予言的見方もできるかもしれない。こういうアメリカはいずれ滅びていくのかもしれないが、辛うじて今もアメリカらしく存在している事実があるのだろう。よく分からないまでもそういう背景がなんとなく呑み込めて、味わいのある作品になっている。特にばあさんになっている母親は、なかなか強烈なキャラクターで、この人を見るだけでもこの映画は、とてもいいのではなかろうか。若いあばずれは痛いが、ばあさんになるとなかなか強くてよろしい。そういう生き方の出来る女性というのは、確かにアメリカにしか居ないかもしれない。
コメント

ゲンを担いで幸福になる?

2017-04-25 | 掲示板

 勝負事、特にスポーツ選手などは、ゲン(験)を担ぐ人が多いようだ。トレーニングを積むこと以外にも、何とか自分に有利にしたいという心情がそうさせるのだろう。実力として勝てるとは思っていても、さらに精神的にもすがりたい気持ちがあるのかもしれない。連勝中は髭を剃らない、というような人がたまにいて、しかし髭ボーボーでやはり負けて剃るというのをみたことがあるが、やはり関係ないんじゃないかと傍目には思う。すっきりして試合に臨むという人だった居るだろうし。
 中にはルーティンのような動作を自分に課している人もいる。靴は左から履くとか、道路の白線を踏まないとか。まったく不合理だが、それで何かいいことがあったんだろうか? まあ、勝手にやっていいことだが、そういう話を聞くだけでも、何か滑稽かもしれない。
 しかしながら神社のお祓いなどの儀式も、ゲン担ぎのような感じも多少ある。そういう場合は権威が違うのか、特にやっている時は疑問を持たない。何か意味があるらしいとも思うし、しかしまあ、せっかく祈願してくれているものをいろいろ言っても仕方ない。
 漁師さんや農業なんかで、お神酒や塩やコメをその場に撒くような儀式もある。ちゃんとした神主さんではない人々がそのようなふるまいをすることは、やはりそれなりに重みがあるようにも思う。真剣に仕事をやる上では、そういうことも必要かもしれない。
 自分自身にはそんなものは何もないと勝手に思っていたが、なんとなくそういう気分がある場合もあるようだ。語呂合わせのような数字が並んだり(僕は7があまり好きじゃないけど)、蹴った石がコロコロいつまでも転がったりすると、なんとなく気分がいい。茶柱だっていい気分だし(茶が旨いという方が重要だが)、おまけのアタリが嬉しくない訳では無い。ふだんはそんなもの気にもかけていないつもりが、素直な感情としては嬉しかったりするわけだ。
 毎回通る道では無いが、近所に数匹ベランダのようなところで犬を飼っておられる家がある。この犬たちが一斉に吠えると、それなりに近所迷惑なレベルに達する。僕は犬が嫌いではないけれど、吠えられるのが嬉しい訳では無い。ところがこの犬たちは、僕が通ると必ず吠えるという訳では無い。おそらくふだんは寝ているのだろうと思うが、僕が通ることに気づかずにいる場合が多々あるのだ。その家の前を通る間、この犬たちに気づかれずにやり過ごすとき、何故か非常に幸運を感じる。まあ、だから宝くじを買おうかなんてことは思わないけど、そのままいいことが続くといいな、と思います。
コメント

思春期の不条理と闇がてんこ盛り   シガテラ

2017-04-24 | 読書

シガテラ/古谷実著(講談社)

 全6巻。漫画。ヒメアノールが良かったので、ついでといってはなんだが、読んでみることにした。似ているところはあるが、主人公は高校生。病的なところと自意識過剰具合が、だからかなり子供っぽい。しかし今考えるとずいぶん前にヒミズも読んだことがあって、それと比べても、同じ高校生ながら、やはり子供っぽい。これらの作品が本当につながっているのかは分からないが、一連の古谷作品の分野であることは間違いなかろう。
 主人公の荻野は学校で激しいいじめを受けており、その精神逃避としてバイクに乗ることを夢見ている。そうしてバイトをして、教習所に通う。そこで南雲という一つ上の美女に何故か好かれ、付き合うことになっていく。いじめられている、いわゆるダメな人間としての最底辺の絶望感がありながら、明らかに不釣り合いにかわいく性格の良い女の子と付き合いながら、性的な欲求に思春期らしく葛藤している姿が大きな柱になっている。
 さまざまなエピソードがちりばめられており、恋愛の危機においては、少しそれらの事件が、まとまりなく起こりすぎているきらいはある。危険が多く降りかかりすぎる上に、それらのことが、もの凄く異常すぎる。普通に進行する恋愛劇が、過激な闇のトンネルをいくつもぬけなければならないようなことになる。基本にあるいじめ問題が大きい闇へと進行していく中、子供らはそのことを誰もが知っているのに、ほとんどの大人は介入しない。新たにいじめ仲間なる一人の家庭がヤクザのために、一度ヤクザが介入するくらいである。しかしいじめの張本人である谷脇は、そういうことは意に介さないし、後に大きな殺人事件に巻き込まれながら、やはり一般社会で生き延びていく。そういう設定ではあるとはいえ、少し無理があるようにも感じた。何故ならやはり、それらの人々においても、それぞれに家庭があるはずで、そういう無理が通る為の道理のようなものがあるのではないか。また、そうでないというのであれば、特殊な事情のある一部の人が、一か所に集まりすぎているという想像が無いように思うからだ。
 もともと無理のある恋愛の形がありながら、それが壊されようとする危機が、さらに大きな問題過ぎて、まとまりに欠ける作品になってしまっている。
 例えば、谷脇の最大の危機の時に谷脇の彼女と一緒に谷脇を救うために探しに行く、というくだりがあった。一番憎んでいる人間を、一緒に虐めていたのと同然の女に頼まれたために助けなければならない。それも自分のしあわせの最大の心のよりどころの彼女との約束や、バイクを買うために溜めていた資金を使ってまで、断り切れずに引き受けなければならない。さらにそういう混乱の中で谷脇の彼女とも性的関係が起こってしまう。そのような不条理や馬鹿さ加減というのは、物語として非常に良かったと思うのだが、そういう部分が膨らみながらも、どうも持続しないというのが残念だったのかもしれない。普通なら、これは相当大きい話だと思うのだが、なんとなく、恋愛の危機の疑いの材料で済んでしまったという感じなのだ。物語を作る構成やアイディアは素晴らしいと思うが、ちょっと使い方がもったいないのではあるまいか。
 そういう意味では実験的な作品だったのかもしれない。谷脇との関係では、最後にともに殺されそうな仲にもなる。この話も大変にいいと思うので、やはり闇の部分の描き方の方に、才能のある人なのかもしれない。
コメント

手切れの高い代償

2017-04-23 | HORROR

 15年くらい前だろうか、ある先輩が遠くに見える建設中の電燈をみて、あれは何だろうと言った。かなり巨大な建物で、方角から見てピンときて、当時建設中の医療センターであろうと僕が言った。そうしたらその先輩が、そんなことは無いという。いや、他には考えられないのではないかと僕がいうと、そんなに自信があるのなら賭けをしようという。いくらだと聞くと10万だという。それはあんまり大きな数字過ぎるから止めようと言ったのだが、車を走らせる(その時は何かのイベントが終わって撤収を一緒にやっていた)と、もう賭けは成立したなどと言って勝手に確認することになった。僕は自信が無い訳では無かったが、急になんだか落ち着かない気分になった。でも、現場近くなると、先輩の方が元気が無くなる番だった。何故ならそれは、やはり医療センターだったからだ。そうして先輩は、今の話は無かったことにしてくれと、茫然とした表情で言った。僕はもともと10万が欲しくてつきあっている訳では無かったし、そもそもこの強引な流れに本当に同意していた訳では無い。もちろん無かったことでいいというと、何度も先輩は謝った。何度も何度も。これは本当に僕から10万を取る気でいたらしいと思って、まったく気分が悪かった。
 この先輩はしばらく後、僕に金を借りに来た。当時普通預金の残高が○○万くらいあって、誓約書を書いたうえで借りて行った。もちろん一銭も返してはくれなかった。一年くらいしてあるコンビニに立ち寄ると、その先輩が居た。その時も何度も謝ってきた。僕は買い物せずに店を出て、その後その店にも近寄らない。
 でも、この人が人づてに仕事の依頼などはしてくることが、何年かに一度あるのだ。もちろん、当然のこととして断っているが。
コメント

ハードボイルド、情痴殺人事件   郵便配達は二度ベルを鳴らす

2017-04-22 | 映画

郵便配達は二度ベルを鳴らす/テイ・ガーネット監督

 1946年作品。原作はハードボイルド小説らしい。4度も映画化されているうえ、舞台もあるという。子供の頃にジャック・ニコルソン主演で映画化されて話題になっていた記憶がある。その時はエロ作品として宣伝されていたと思う。いつだったかは忘れたが、その後ニコルソン主演作は観た。特にエロ作品とは思えなかったが(心情的には騙されたが、ざっくり乾いたいい映画だった)。
 流れ者の男がガソリン・スタンド兼レストランで働き出すが、経営者には年の離れた若い魅惑的な妻がいた。すぐに男と関係が出来るが、その後二人は一緒になるために主人を殺すことにする。未遂があった後殺害には成功するが、結局殺人の疑いで裁判になり、やり手弁護士の手腕で、一度は無罪を勝ち取るのだが…。
 愛に溺れて罪に手を染め、裁判などを通じてお互いの愛に亀裂が入る。様々な事件ややり取りはあるにせよ、行き当たりばったりに見える二人の情愛はことのほか深く、そのために何故か観ている側は、許されない二人の愛を認めたくなるような心情になっていく。もちろんいくらなんでも愛のために人を殺していい訳なんてなさそうだが、他に出てくる人々も、そんなに善人ばかりではない。殺された主人がある意味で一番善人だけれど、しかし同時に愚かしくもある。まあ、殺されて当然という訳にはいかないが…。
 昔の映画だから、裁判などの展開のための理屈がやや非合理な気もするけれど、二転三転する展開は、サスペンスとして面白い。魅惑的な女性が、キスをしても平然と口紅をなおしたり(しかし恋には落ちている)する描写も、なかなか見事だ。随所に非凡な演出があって、さすが名作映画という貫禄もある。ただ、最後はちょっとあっけなくて、まあ仕方ないけど、倫理観としてはそうならざるを得なかったところが残念と個人的には思う。
 僕が男だからかもしれないけど、女性の魅力に溺れて悪いと分かっていてもどうにもならないというところが、いいと思うのかもしれない。そう思わない人には、単に不条理な物語だろう。まあ、しかし、人を殺すんだったら、もう少し綿密に計画した方がいいと思うのだけど…。
コメント

運命を握っているのは北の人

2017-04-21 | 時事

 世の中には手遅になってしまっている事がたくさんあると思うが、しかし、人の命がかかわっていることで、それを自覚しながら放置されている問題というのは、そんなに多くは無いと思う。さらにそれは非常に深刻で根元的なことであるにも関わらず。もちろん、合理的に考えて、普通は考えられないくらい不合理な行動をとらない限り、有事には発展しないはずであるという考えも、一応は理解している。しかしながらそれは、自分の力の及ばない範囲での力のバランスによるものである。自分の責任として放置している理由としては、少しレベルが違い過ぎる。そうしてほとんどありえない事柄から、まったくありえないとは言えないというあいまいさへとシフトしたという現実であるとは思う。しかしそれが有事でないということとは、やはり別の問題だ。かなり明確に残念で、しかも重要なのは間違いない。しかし既に自分らではどうしようもないので、見て見ぬふりをして、単に神頼みするより無いということか。
 赤ちゃんという立場であるのなら、それも仕方がない。自分の命であっても、それは他人にゆだねるより仕方がない。しかし、赤ちゃんでは無いのである。おそらく自分で物事を考えることもできるし、そうして自由にそれらを決めても良かったのだ。
 しかしすべては手遅れだ。しかるべき時は非常事態ということで、超法規的に動かざるを得ないだろう。普通に考えて、国民の議論のないままに、そのような準備は当然なされていると考える方が自然だろう。それをやっているのは他でもなく自分自身で、そのツケを払うのも、結果的には自分たちだ。
 つまるところ、人の命を軽んじて、軽薄な態度をとりつづけていたということなのではなかろうか。そういうことが許されると思っている精神性が、人の命を素直に危うくさせたのである。つける薬は、やはり無いのだろうな。
コメント

判定に公正さが担保されない世界   ジャッジ!

2017-04-20 | 映画

ジャッジ!/永井聡監督

 広告の国際賞の審査員として代理で出席した上に、同僚の女性と夫婦と偽って参加し、広告主の代理店として、賞取レースの駆け引きに奔走する。他国の審査員の代表者もそれぞれくせもので、自分の作品を売り込むことに必死である。そんな賞にいったい何の意味があるのかと観ている方は疑問にも思うが、まあ、そういうお話なんだから仕方がない。
 広告業界のことはまるで知らないが、恐らくそういう業界の内部事情として、こういういかがわしさの中で仕事をするということをコメディとして表現していると考えられる。コメディなのでリアリティはそんなに無いが、次から次に嘘をつきとおさなければならないし、失敗するとクビになるらしいし、同僚のギャブル好きの女とは、同じ部屋に泊まりながら上手くいかない。設定として面白そうになりそうだというのは分かるのだけれど、妙な正義感なんかもあって、結局なんだかシラケる感じだ。要するになんとなくハズしていると言ったところか。まあ、そこのあたりの感覚の人の作品というのが、大衆性があるということかもしれないけれど。
 いろいろ変わった人ばかり出てくるが、そういうものにも伝説的なモデルになる人物がいるのかもしれない。デフォルメはあるのだろうが、そのようにして仕事をしなければならないというのは、お金がかかっている業界として、当然ということなんだろうか。
 最近のニュースでは、広告業界というのもかなりブラックであるということになっているけど、さもありなん、といったところか。まあ、漫画的な話なんで、本当に悲惨さは無いが、こういうところには見切りをつけて働いた方が,
人生は建設的である。お金のために何でもするというのは、人間臭いようで、実際は、まったくそんなことないと思う。人はヤクザ的に生きるのは結構つらいものである。まあ、よくわからんまま言ってしまうと、そういう疑問がたくさんある映画だった。
コメント

極端だが恋愛心理はそういうものかも   ヒメアノール

2017-04-19 | 読書

ヒメアノール/古谷実著(講談社)

 映画を観て原作漫画が気になって読んだ。映画の基本的なエピソードは確かに漫画が元になっているが、映画なりに脚色されたり変えられたりしているところもけっこうあることが分かった。映画よりも狂気の強いところもあるし、逆に映画より印象の弱いところもある。当たり前と言われればそうだけれど、同じで無いところが二度おいしく楽しめたというところだろうか。両方ともよく味付けされているいい作品である。もちろん映画と漫画という根本的な手法の違いがありながら、文学的に良いという感じである。
 いわゆる絵のきれいな画風ではないが、ギャグ漫画なども手掛ける作家でもあるし、さらに女性の描き方も、なんとなく生身の感じがしない。そういう人ということでは無いかもしれないが、若い男から見た女性像という視点では、なるほどそうだったかもしれないな、と思わせられるところはある。もちろん個人的な感覚はあろうが、憧れがありながら遠い存在である女性像というのは、こういう感じかもしれない。ただ作中では蓼食う虫も好き好きというのが多少極端で、こんなにきれいだったり可愛かったりする女性の趣味が、偏りの大きい男たちばかりというのは、やや説得力が無い。もう少しそこの唐突感が無い方が、物語は膨らんだのではなかろうか。もっともその辺のファンタジーあってこそ成り立つ展開もあるわけで、やはり難しいところなんだろうか。
 職場の超変人ピュア男の先輩安藤の、後半の二人の女性の恋愛エピソードは、映画ではバッサリ切られている訳だが、漫画では妙な味わいとして展開されている。尺の関係と物語の展開として切られたのは仕方のないことだが、漫画ならではの冗長性として、考えさせられるものだ。男女の仲というのはミステリが多いけれど、あるきっかけで大きく心が動いていく。安藤はかなり極端だけれど、そういう興味の持ちようというのは理解できないではない。そうであっても結局上手くいかなくて、深く心が傷つけられ、思わぬ人からの好意を素直に受け止めることができない。極端すぎる展開と、随所にギャグが盛られながら描かれているが、恋愛中の心理描写としては、やはりあり得るものではなかろうか。
 不条理な殺人が筋の重要な流れであるが、思ったより個別の恋愛状況を克明に描いた作品のように思える。構成や設定が上手くいっている中で、そのような状況を描くことに成功している作品なのではなかろうか。ただし、結末はやはり映画の方が良かったと思いました。
コメント

コミカルと圧倒的な暴力のコントラストが素晴らしい   ヒメアノ~ル

2017-04-18 | 映画

ヒメアノ~ル/吉田恵輔監督

 原作は古谷実の漫画。バイト先の先輩が思いを寄せるカフェの店員との仲立ちを頼まれる。それでその店に行くと、高校時代のクラスメイトの森田を見かけ、声を掛ける。後にその森田が、カフェ店員のユカへ執拗にストーキングしているらしいと知る。前半はこれらの人物の恋愛劇への発展が、ややコミカルに描かれる。そして後半は一転して、ホラー展開になだれ込んでいく。
 結論を言うと、傑作といっていいと思う。それぞれに問題を抱えるおかしな人々がたくさん出てくるが、それは社会的にも埋もれている人間の持っている暗部だと思う。ドラマでそれらをあぶり出し、暗部が生まれていく構造を暴くことにも成功している。様々なものが暴力によって壊されていくが、もとになっているのは、いじめのような、人間の持っている小さな快楽の積み重ねである。その犠牲者にも感情があって、蓄積して壊された後は、爆発的に暴力として表面化していくより無いのである。その展開のコントラストが見事で、前半笑って観ていた感情が、みるみる青ざめていくような感覚に陥る。気持ち悪く恐ろしいけれど、映画の狙っているものとしては、実に見事である。素直にやられたなあ、という映画を観た満足感のようなものを味わうことができた。
 演出がいいのだろうが、俳優たちも活きているという感じもする。配置されている人物が、非常に説得力がある。いわゆるそれらしさと意外性が同時に現れていて、観ていて納得できるのである。これはもう、皆がはまり役であるという感じだろうか。普通は一人や二人は違和感のある人がいてもおかしくないのだが、この映画ではそういう心配はない。むしろこのことにより、彼ら(彼女)の演技の幅も、さらに広がったのではあるまいか。まあ、もともと芸達者な人もいるんだろうけど。
 不条理に殺される人もたくさんいて、さらに後味は悪いのだが、こういう映画は、子供が観てもいいんじゃないかと僕は思う。性描写や暴力は過激だが、学校の中にある問題が、尾を引いて大人になっても残る場合があるとしたら、早めに切り取っておくべきではないか。まあ、今の日本の現状では無理だが、しかしちゃんと観る若い人もいるだろう。そういうことも改めて考えさせられる、いい映画ではなかろうか。
コメント

センス良さはダサい先人の力よっても生まれる

2017-04-17 | 音楽

 超絶テクニックと音楽的センスの光るベーシストであるサンダーキャット。確かに時代の人で、なかなか聞かせるところが強い。フライング・ロータスなどの活動をはじめ、ケンドリック・ラマー等のバックで演奏などもしている。多くのミュージシャンの曲のアレンジも手掛けているらしい。もちろんソロでの活動も立っている。
 ところでそんな彼が尊敬し目標としているミュージシャンに、マイケル・マクドナルドの名前が挙がっていて、それは実に真面目にそうだという話なのだ。渋谷さんのラジオでそれを聞いたわけだが、渋谷さん本人がそのことに少なからぬショックを受け、音楽に関する造詣の深さに反省をされていた。実は渋谷さんの言っていることは、僕らにとっても少なからぬショックがある。マイケル・マクドナルドという人は、それまでカッコ良かったドゥービー・ブラザーズをAORのダサい音楽に変えて堕落させた張本人として、いわば敵としてのキャラが確立されているような人物だ。まあ、それで人気があるのは分かるが、そういうロックの魂を悪魔に売るような奴はやはり許せない。さらにどういう訳か矢沢永吉がアメリカ進出した折に、後押しをしてくれた人としても一部有名である。ちなみに永ちゃんは、アメリカでは上手くいかなかったようだが、武勇伝ではある。
 まあ、単に渋谷さんのひねくれた音楽観が、それなりに僕らの共通項だったということと、カッコいい音楽を生み出す才能の人本人が、必ずしもセンスのいい趣味がある訳では無いということかもしれない。世の中のひねくれ具合というのは、不思議な化学反応で成り立っているということかもしれない。
コメント

人生の選択を誤らせる決断   ナッシング・バッド

2017-04-16 | 映画

ナッシング・バッド/ジョエル・サーノウ監督

 離婚した妻が息子を伴って金持ちと再婚している。本人は友人と中古車販売をしている。息子は高校を卒業後、大学進学をためらっている。勉強をするより実地で働いた方がいいと考えて、元の父の元で中古車販売のセールスをすることにする。息子が戻ったことを喜び、実地販売のノウハウも伝え息子自身もメキメキと頭角を現すようになるのだが…。
 詐欺的な販売の駆け引きのあれこれは、コメディとしてなかなか楽しい。そういう部分では期待の持てる展開に見えるのだが、どうも結論としてはどうなのか。まったく個人的に納得できるものでは無くて、ガクンとシラケて終わった感じだ。こんな話で本当にいいと思ったのか? 観終わって何かもうひとひねりあるはずだと考えたのだが、特に何もない。いったい何という愚作だろう。なんだか本当にもったいない作品ではなかろうか。
 学校に行って勉強するのも、早く仕事に就くのも、個人としてどちらも選べる立場にある。事情があってどちらかしか選べないというのであれば、同情もわく。しかしながら現代の日本であっても、基本的に多くの人はこのようにどちらでも選べる人生になりつつある。優秀かどうかは別にして、特にこの息子はその点では抜きんでて恵まれているように見える。反抗期もあるとは思うが、基本的にそのために親たちが準備した現実がある。そういう思惑については一言あるにしても、そうなんだから仕方がない。犠牲を強いられた方の父親が、自分の価値観として復活する最初の流れは悪くないのである。結局アメリカ人の価値観というのは、見た目で勝ち組と負け組が決まっているかのような結末がつまらないということかもしれない。そんな人生で本当に面白いのか? そういう価値観で本当に幸福なのか? まあ、人それぞれだろうが、そんなことが分かり得るはずもないので、さっさと退場して逃げてしまうということなのかもしれない。まったく情けない父親もいたもんだ、という変な話のように感じる。そうでないという人が多いから、このような展開になっているのだろうけれど…。
コメント