カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

ギャグだけど重たい  パーマネント野ばら

2016-11-30 | 読書

パーマネント野ばら/西原理恵子著(新潮文庫)

 先日観た映画の原作漫画。ウチでとっている新聞によく出てくる漫画家さんであるが、特に僕は熱心な読者ではない。雑っぽい絵だが、それが味である。作品とは直接関係ないかもしれないが、旦那さんはアル中の写真家で、既に亡くなったのではなかったか。
 映画を先に観たので、なるほど原作か、という感慨があったが、エピソードは映画の基本としてあるという感じで、漫画はやはりサイバラ作品という展開を見せている。ちょっと下品なところがあるけど、そういう正直さと過剰さが、彼女の魅力なのだろう。僕は男なのでよく分からないところも多いのだが、女の目からすると、やはり多くの男は女にとってくだらなく愛らしい存在なのだろうということは見て取れる。なるほどと思う面もあるけど、見えている世界というのは、性別でこんなにも違うものなんだな、とも思うのだった。
 血なまぐさい闘争もあるし、実際に人も死ぬ。いわゆる殺しに近いものがあるような予感もする。しかしそれらは罪のあるものではなさそうで、いわゆる父性で法律が成立している社会ではない。それは当然であるし人情的であるけれど、これを笑うのがこの漫画の読者の正しい立ち位置なんだと思う。詩的な面も多いけれど、基本的には現世があまりにつらいからかもしれない。恋愛や男と付き合っていく女の世界というのは、このような地獄絵図がある中での幸福なのかもしれない。
 僕がふと思い出したのは、なんだか奴隷や差別の無くならない黒人社会の物語のような気もした。虐げられた人々が、その底辺にありながら笑いを忘れず、天国に行く幸福を知っている。日本社会の女性というのは、いまだにそのような立場にある人々のことなんだということかもしれない。特段社会的な発言があって成り立っている漫画ではないけれど、これは女性の中では共有できる感覚なんだろうか。ちょっとシュールな感じもするんだけどな。しかしまあ、逆の目線で過去の日本文学の作品なんかを見てみると、第二の性である女に振り回される男ばかりだった訳で、そうするとこれは、まさに時代が下って文学的というべきものなのかもしれない。
 ぱらぱら読んで楽しんでけっこうだと思うが、なんとなく重たいものがあるような、不思議な読後感のある作品なのだった。
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難読地名が好き

2016-11-29 | ことば

 僕の勤めている事業所のあるまちは、東彼杵という。時々長崎県内の人でも読めない方がおられる。まあ、田舎で知らないというのもあるけど、難読町名であるためだ。漢字の字面で音が何だかもわかりにくい。出張などで名刺を渡すと、大抵読めない。これが話題にもなるわけで、あんがいとっかかりとしていいのかな、とも思う。「ひがしそのぎ」は以前神さまが降り立った地だという。僕には確かめようのないことだが、当時の人は確かめたんだろうか。
 住んでいるまちに「水主町」という地区がある。よその人ですんなり読める人は少ない。でもまあ、これも読める人はいる。「かこ」とは船乗りさんの総称で、そういう人が住んでいた集落の名残らしい。わがまち以外にもこの地区名は日本の各地にあると言われる。だいたい海が近いことが分かる地名だ。
 実は知らなければ読めない地名が好きである。わずらわしいが、それがいいとも思う。読めない人が間違えるのはかわいそうだが、そうやって音に出してみる勇気をたたえるべきだろう。
 旅行に行くと、信号機などに地名が書かれている。漢字の下にローマ字表記があって、これを読むまで発音の分からない地区というのはあんがい多いものだ。これを観て回るだけでもけっこう楽しい気がする。その地区では当たり前に読める地名が、よその人には分からない。人間がふだん生活する上では、あんがい狭い範囲の知識でことが足りるということなのかもしれない。グローバル社会だというが、それは確かに本当のことだが、小さい社会の営みというのは、だからそれなりに大切なんだと思うのだった。
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変な人ばかり出てくる普遍性   パーマネント野ばら

2016-11-28 | 映画

パーマネント野ばら/吉田大八監督

 原作は西原理恵子の漫画。母親がやっているパーマ屋さんに、出戻りの子連れの娘が帰ってくる。客が男運の悪い女の巣窟のようなところになっており、皆いかに苦労したかを愚痴り合っている。それでも男がいないよりまし。彼女らにとっては男というのは娯楽のようなものらしい。いや、そういうサガというやつか。それでまあ、群像劇のようなことになっていて、特に飲み屋のママさんをしている小池栄子のような人は、確かにいるような気もした。まあ、だからヒモというような男が昔から生きていけるのだけど。
 普通ならグダグダの変な話になりそうなところなんだけど、これがかなり面白いことになったという感じはした。イタい話が続くのだけど、そうしてまともそうな人が一人も出てこないのだけど、泣けるのである。主人公の出戻り女なんかは、そういう女たちと一定の距離を保ってまともそうに見えるのだが、最後の衝撃のどんでん返しである。驚いたというか、泣けてしまった。いい映画じゃないですか、これは。
 正直言って設定的に妙なわざとらしい特殊社会という感じがして、苦手かもしれないと思いながら観ていたのだが、杞憂だったというか、むしろその特殊な世界に普遍性があるような気もしてきて、まあ、そうだよな、と納得してしまう自分がいる。いや特段カッコつけて差別化している訳でもないが、いくらなんでもパンチパーマのおばさんに知り合いなんていないし、こんな会話なんてものも聞いたことも無いのだけれど、リアルさが感じられない訳ではないのである。
 勢いでつい原作の漫画も注文してしまった。これは名作ではなかろうか。
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母の強さの源泉

2016-11-27 | 感涙記

 先日内村周子さんという人の講演を聞いた。内村航平選手の母親ということくらいは僕でも知っているが(というか事前にそういう話を聞いていたから)、実物のお姿を見たことは無かった。オリンピックもニュースでしか見ないですし。でもまあ、ひょっとするとロンドンの時は見たかもな、という感じだろうか。演台に立たれる姿は、かなり小さい人のようだった。
 いろいろ面白かったのだが、全体的に言って、母親としての思いというのは、これほど強烈なのだな、というのがよく伝わってきた。会場にはどちらかというと年長男性の方が多かったのだが、それでも何人か混ざって聞いておられた母親経験世代の女性たちの拍手も凄まじかった。要するに賛同するというか共感するというか、そのような気持ちが良く伝わっていたということなんだろう。
 もちろんそのことについては僕もよく理解できたとは思うのだけれど、しかしやはり、越えられない思いの強さのようなものがあるらしいな、とも感じた。それというのも一言でいうと、子供のことは自分が誰よりも強くいつだって一番に考えているという疑いのない考え方かもしれない。それは確かに事実らしく思えるし、それが悪いとは言わないまでも、やはりそれは自分には経験できないというか、恐らく実感しえない感情なのではないかと思った訳だ。子を思う気持ちや、恋愛などの感情というものは、同じく持ち合わせているに違いないのに、それが一番であるような意識は、特に持てないような気もする。いや、間違いなく強いもので、時には一番である時だってあるはずだと思うのだが、そのことに何の疑いも無いような純粋な一番さというものとは、やはり違うように思う。そうしてそのような思いが、多くの母親がそれぞれに持っているのだとすると、それは有難かったり尊かったり素晴らしかったりするとはいえ、正直に言って、少し恐ろしい。
 しかしながらお話は、それなりに洗練されて面白さを伝える術を分かっているとも感じた訳で、メタ視力としての自分の考えが分からない人ではないのではないかとも思った。それは一種の芸ともいえるものではないか。少なくとも自分に正直な生き方そのものは、大変に力づけられるものだったな、と思ったことだった。
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凋落しても這い上がる超人ぶり   バンドワゴン

2016-11-26 | 映画

バンドワゴン/ビンセント・ミネリ監督

 言わずと知れたフレッド・アステア主演作。以前はダンス俳優で一世を風靡した主人公だが、今は流行から少し外れている感じ。しかし彼を主役に再度ミュージカルの企画があがり、前衛的な舞台演出で期待が高まるのだが、見事にコケる。しかしミュージカルに参加していた若手のダンサーたちと再起して新たに地方巡業からやり直して、またブロードウェイまで駆け上がるというようなストーリー。物語はそんな感じだが、やはりアステアの映画だから、ダンスがたっぷりというエンタティメント作品だ。ストーリーの通り少し老けたアステアだったが、その踊りの見事さは変わらない。若いダンサーに混ざっても堂々と軽やかなステップを刻むという感じ。まったくさすがだな、という彼のための映画。
 ミュージカルはブロードウェイを有するアメリカ文化だが、映画としても世界を席巻したというのがよく分かる作品。何しろあちらの文化のものを人々が通って観るわけにはいかない。特撮娯楽映画とは違って、生身の人間がファンタジーとして見事に歌って踊る姿に、感動した人々の気持ちはよく分かる。まさに映画の黄金時代なのだろう。日本でミュージカルというとなんとなく子供めいた感じがするが、もともとはこのような大人の世界の娯楽なんだということがよく分かるだろう。さらに若い人だけのものでもない。肉体を酷使するのである程度の若さというものも必要だろうけれど、衰えないアステアの踊る姿というのは、いつまでも元気に君臨する理想国家アメリカそのものだろう。もちろんそれがいつまでも現実のものなのかは分からないのだけれど。
 楽しい映画だが、同時にこのようなわざとらしい過剰さがいつまでも流行り続けて繁栄し続けていないというのも、それは当然世界の潮流である。これを受け継いでいるようなのは、将来の巨大国家、インドくらいのものだろう。今となっては、当たり前だがいささか古臭い。もちろんそれが良い訳だが、アメリカ国内ではブロードウェイは健在で、彼らはあんがい保守的で頑固だということもよく分かる。いや、素晴らしい文化は彼らの国民の間では衰えないということだろうか。偉大なる古代国家アメリカの夢は、このような映画で記録が残るということなんだろう。
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人間の身勝手について

2016-11-25 | 掲示板

 人間は道具を使う唯一の動物だ、という物言いを久しぶりに先日聞いた。しかしながらそれは唯一ではない。サルでも使うことが知られているし、カラスだって使う。人間が観察できずに理解できないだけのことで、多くの生き物は多かれ少なかれ道具を使う。例えばヤドカリだって道具を使っていると言えると思う。道具を作るという言い方だって、営巣などを見ると、人間だけなんてことは無いとすぐに分かるはずだ。要するに人間の優位性というものを考えたい人というのは、どうしても人間中心になりすぎるのではないか。
 また、タコの神経細胞は5億ある(ちなみに猫で8億)と言われていて、非常に優れた能力は、そのようにして発達しているという解説も読んだ。タコの腕(研究上は足では無いらしい)には吸盤があって、一つ一つを単独にいろいろと動かすことが可能だという。そのために多量のエネルギーを必要とするにもかかわらず、タコは神経細胞の数を進化上増やしてきたと思われる。そのような高い能力のあるタコだが、人間のように意識があるのかは分からない、と書かれていた。理屈としてはそうだが、それは人間と意思疎通ができない意識のことを指すのであれば、結論は違うのではないか。動物に意識があるのか無いのか問題は、人間の尺度にとらわれ過ぎる考え方のように思われる。いわんや人間の意識というものだって、実際はまだよく分かっていないではないか。
 ちなみにタコには三つの心臓があって、血液は青い。面白い生き物ですね、実際。
 人類の火星移住計画というものがある。これはSFでなく実際の話だ。地球と似たところの多い岩石惑星である火星は、将来的に人類が住める可能性の高い場所なのだろう。
 それは大変に夢があって楽しいという考えもあるが、その計画自体に否定的に考えてなどいないが、なんとなく引っかかるものもある。それは他でもなく地球のことだ。将来的には人間が済み続けることが不可能であることは間違いなかろうが(例えば隕石の衝突などで確率的には人類は滅亡することが確実だ)、その前に地球をもう少し住みやすくできないものか。
 住みにくいと考える原因が個人的なら仕方ないが(不幸だが)、人類的には火星よりそのほうが建設的に思える。建設的考えが、人間の幸福につながるかは、やはりよく分からない問題だが…。
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お勧め音楽映画その5

2016-11-24 | なんでもランキング


 あの頃、ペニーレインと/キャメロン・クロウ監督。これはバンドを追っかけて記事を書いているライターの目からバンドを見た、という視点が面白い。基本的には恋愛映画ではあるんだけれど、ツアーという興業で食べているバンドマンというのは、まさに旅芸人なんである。かなり無茶苦茶で変な仕事である。人気稼業だが、しかし他人の目なんて気にしてたらやってらんない。若いころには憧れていた職業だけれど、僕にはとても無理だな。まあ、平凡というのは尊いことかもしれません。

 ヘドウィグ・アンド・アグリーインチ/ジョン・キャメロン・ミッチェル監督。元ミュージカル作品だというが、まあ、そうですか。内容的にもショッキングな感じもあるし、色物でもあるんだけれど、だからといって名作でないと誰が言えるだろう。そういう目で敬遠せずに、楽しんで観たらいいと思う。考えさせられることもあるだろうし、素直に笑い飛ばしても全然いい。しかし屈折していても素直であるという生き方については、僕は勇気づけられましたです。素晴らしいです。

 ジャージー・ボーイズ/クイント・イーストウッド監督。これは元ミュージカル作品があるらしい。さらに実話をもとにしたことがよく分かると思う。成功談だが、同時に悲しい人間の性も描かれる。イーストウッドの実直な演出ながら、物語にもぐいぐい引っ張られる。映画としていい映画だ。当然歌も素晴らしい。エンディングも好きだな。

 エンディングで思い出したが、タケシの座頭市もいいし、ファレリー兄弟の映画のエンディングもそれぞれに楽しみである。映画を全編見直すことをしなくても、エンディングの歌を皆で歌っていい気分、というのがいいのだ。アメリカ人の監督さんも僕と同世代なんだな、などと夢想する。日本もアメリカも青春時代に流れていた音楽は、よく似ているのである。

 アンヴィル/サーシャ・ガヴァシ監督。これはもう文句なく一位。涙なしには見られない名作といっていいと思う。けど結構笑えもする。実はほとんどドキュメンタリーで、いやしかし、ドキュメンタリーだからこそ、奇跡的なお話のようにも感じる。ミュージシャンにとって桃源郷があるとしたら何処か? 驚きの結末におののくがいいと思う。
 内容としては同じく、ミッキー・ローク主演の名作「レスラー」とよく似た構図の映画。これも面白いので、あわせて楽しんでください。

 以上、25作品+αの紹介をしてきたわけだが、音楽映画も実に多様なものだと改めて感じた。思い出せなくて紹介できなかったものや、当然パスした作品も多い。好みということでご勘弁ください。また、こんなのも面白かったよ、というのがあれば教えてくださるとありがたいです。僕自身コツコツ楽しみたいと思います。また、補充できることがあれば、将来的に紹介できるといいなと思います。
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青色にはご注意

2016-11-23 | 境界線

 日々徐々に衰えながら生きていると思うことがある。それは他でもなく目の衰えで、とにかく生活の中で見えにくいものが増えた。小さい文字を近づけたり遠くしたりメガネをはずしてみたりして忙しい。子供の頃にご年配の大人が同じようにいろいろ苦労しながら文字を読もうとしている姿を見て、何をしているんだか不思議に思ったことがあるように思う。そのうちに僕は近視になって眼鏡をかけるようになったが、老眼というものがあるというのは、言葉の意味としては理解できても、その後の将来に自分に降りかかることがあろうこととはとても信じられなかった。虫眼鏡でなければ見えないようなものならともかく、老眼の人以外には何の苦労も無く読める文字が読めなくなるなんてことが本当に起こるのか。しかしそれはちゃんと起こってしまった。悲しいが何よりそれが事実として正しいことを身をもって理解できるのである。
 老眼とは別に、少しの暗がりで色の識別が難しくなっているらしいことを知った。特に紺や黒との区別がつきにくくなっているという。ベージュと白なんかも怪しくなっているらしい。よく似た色の靴下を、交互に違って履くようなことが起こるらしい。十分に明るいところなら問題なく識別できるが、多少薄暗いとか、蛍光灯の色合いなんかでも見間違うらしい。これは年齢の経過が最も多いが、それなりに若くても間違う人がいるらしい。
 なんでも人になる前のはるか前、哺乳類のご先祖様が海水生活から陸へ上がって行った頃の話。海(水)の中では青い色を見分ける能力が高かったが、陸に上がると青以外の色を見分ける能力が必要になる。そうして青を見分ける色覚というものがどんどん少なくなって、人になるとむしろ青を見る能力の方が少なくなってしまったのだそうだ。その上に加齢による目のレンズのくすみと、青を見分ける色覚自体が衰えるために、見分ける能力が落ちてしまうらしい。結構壮大な歴史の流れが原因らしい。これはもう個人の力ではいかんともしがたい。
 青が見えにくくなることで大きな危険にさらされるのは、ガスコンロの火の色を見落としたりすることなどがあるらしい。じゃあオレンジ色ならいいかというと、それは不完全燃焼の可能性があるから、別の危険が生まれそうだ。もう見えないのならオール電化にするか。それも災害などで不便なこともあるらしいし。
 青い空が見えなくなるという話では無ないし、悲観ばかりもしてられない。出来るだけ明るい場所に出て、物事はしっかり見るようにしなくては。あんまりしっかり見たくないものは、そのままにしておいてもいいかもしれないけれど。
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お勧め音楽映画その4

2016-11-22 | なんでもランキング


 入江悠監督。SRサイタマノラッパー・シリーズ。言わずと知れた日本を代表する名作映画群といっていいと思う。これだけ恥ずかしく痛々しい音楽映画はそうそうあるものではない。しかしそれを単純なギャグとして笑い飛ばしている訳では無く、悲しくも本当に心からの愛をラップミュージックに捧げているのである。馴染みのない人には(いや、僕も馴染みなんてないが)、なんだこれは? という嫌悪感を抱く人もいるかもしれないが、僕は感動しました。本当に。これが分かる映画ファンこそ、僕の友達だと思ってます。

 スクール・オブ・ロック/リチャード・リンクレイター監督。ジャック・ブラックの強烈な個性が前面に出ていて、彼のための映画といってもいいかもしれない。型は違うが、ジム・キャリーが出演している映画は、すべてジム・キャリーが食ってしまう現象というのがあったけれど、なんだかそんな感じとも言っていいくらいの強烈さはあるのではないか。さらに音楽的な実力も高いというのが、またいいのである。無茶苦茶になってもそのテンションが正常のような錯覚に陥るので、日常では困った人かもしれない。

 ローズ/マーク・ライデル監督。基本的にジャニス・ジョプリンがモデルになっていることは見ているとすぐに分かる。演じているベッド・ミドラーの演技も歌も素晴らしい。劇中歌った歌がヒットして、さらにスタンダード・ナンバーになっているので、聞いたことのある人もいるだろう。最初にこの映画を観たときは(高校生くらいだっただろうか)破天荒でぶっ飛んでる自由さに、ただただ呆れ、驚いた。これだけ馬鹿な女だが、愛おしいというのもよく分かる。まあ、だからといって好きになったりはしないけど。この映画を好きな友人と、酒を飲みかわして盛り上がったこともある。いい映画は友情も深めるのである。
 厳密に似ている映画という訳ではないが、その無茶苦茶ぶりにおいて、デビット・リンチ監督作の「ワイルド・アット・ハート」も僕は大好きです。

 ブルース・ブラザーズ/ジョン・ランディス監督。この映画のドタバタぶりが、全編を通してロック的だと思う。カルト的に人気の高い映画で、これを映画のベストと呼ぶ人も多いのではないか。でもまあ、好きだから好きになる映画ともいえて、どうでもよい人には限りなくくだらない映画かもしれない。だから素晴らしい訳だが…。

 センチメンタル・アドベンチャー/クイント・イーストウッド監督。これはロードムービー。イーストウッドは音楽に造詣が深く、他にも音楽に関する映画を数多く撮っている。荒れているが、心のどこかに良心のようなものがあるというのが、なんだか高倉健的にカッコよかったりする。このあたりはアメリカも日本も変わらないかっこよさかもしれないですね。子役はイーストウッドの実の息子だそうです。
 今回はなんとなく音楽主体ということで外したけど、イーストウッド作品としては「恐怖のメロディ」もいいですよ。マイケル・ダグラスの「危険な情事」よりはこっちを観るべきだと思います。まあ、どっちも面白いけど。
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高級車にはご用心

2016-11-21 | Science & nature

 車の運転で人格の変わる人は少なくない。ワイルドな人が繊細な運転だったり、ヤンキーにくせに車間距離をやたらとるとか、妙な癖のある人もいる。しかしながら一番多いのは、運転中に横柄になったり、凶暴になったりする場合かもしれない。日ごろおとなしそうなご婦人が、別の車を罵倒する場面を何度見たことか。車の中からでは相手に聞こえない、というのもあるのかもしれないが、とっさに出る言葉にこちらもギョッとすることになる。
 これには何か訳があるらしいというのは聞いたことがあるが、残念ながら忘れた。まあ、危ない思いなどをすると、相手に対して言いたいことが出てしまうということだろう。ドキリとした体験に、割り切れない怒りがこみ上げるのかもしれない。
 ところで乗っている車で、運転態度が変わるという研究があるらしい。
 高級車と普通車で交通マナーの違いを調査したものがあるという。例えば交差点で割り込む率は、普通車で12%、高級車で30%。日本の場合ベンツのような車に乗っているのはヤクザな人もいるんじゃないか、と思ったりもするが、これはそういう特殊なものではないらしい。実は車に限らず、一般的な社会的地位の高い人ほど、モラルに欠ける行動をとるものだという。特権的意識がそうさせると考えられている。ウソを隠し、貪欲さが増し、非道徳行動をとりやすくなる。
 ところで、下流階級といわれる人に、「自分は社会的地位が高い」と思ってもらって行動してもらうだけでも、そのようにモラルが低下するという。ふだん軽自動車に乗っている人が高級車に乗ると、やはり割り込み運転をしてしまうのだ。特権意識というのは、なかなか厄介である。逆にいうと高級車に乗りながら謙虚な運転ができるような人は、よっぽど人間が出来た人と言えるのかもしれない。
 人間偉くなると、大抵はろくでなしになる。なかなか考えさせられるものです。高級車に乗るときは、自戒を忘れずに。
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お勧め音楽映画その3

2016-11-20 | なんでもランキング


 ギター弾きの恋/ウディ・アレン監督。ショーン・ペンがいい感じ。伝説のギタリストの伝記的映画っぽいが、架空らしい。ジャズ・ギター奏者として調子に乗っている愚かな男を描いている。そうして本当に大切な愛とは何かも。映画として素直にいいのではないか。自分なりに素直なつもりでいきがって生きていても、自分を見失うことはある。そうしてそれは過ちで済むことでは無いのかもしれない。その代償は、結局自分が背負うことになるんだろう。

 シャイン/スコット・ヒックス監督。ジェフリー・ラッシュの演技が凄い。後にいろんな役をするようになるが、僕はこの映画の演技は、演技でなく本当なのかもしれないと見たときは思ったものだ。このようなピアニストがいるらしいことは聞いたことがあって、多少はもとになっているのかもしれないと思わせられる。緊張感もあって、いい映画である。

 ダンサー・イン・ザ・ダーク/ラース・フォン・トリアー監督。変態監督の代表であるトリアー監督の問題作。というか、この監督はまともな映画なんか撮れるんだろうか? いや、だから素晴らしい訳だけど。ビヨークの天然のイライラするような演技と絡まって、賛否両論真っ二つの、毀誉褒貶の激しい作品になっている。でも実は僕はこれはいいと思う方で、衝撃のラストというが、まあ、この人たちならこうなってしまうのではないか。童顔で可愛らしいビヨークだが、実はしたたかで悪女なんではないかと僕は思います。もちろん、それがいいのです。

 ハッスル&フロウ/クレイグ・ブリュワー監督。黒人のアンダーワールドってこんな感じなのかな、って思わせられる。この価値観はまったくいいとは思えないが、これがしびれるほどいいと思っているらしい人たちがしのぎを削って命をすり減らすようなことになっている。でもこれが面白いのも確かで、緊張感もあっていいと思う。米国にはラップを題材にした映画は多いが、商業的にあまり成功しなかったこの作品は、埋もれた名作と言えるのではないだろうか。

 フォーチュン・クッキー/マーク・ウォーターズ監督 いわゆる入れ代わりもの。それも母親と娘が。これで問題が起きないわけが無くて、ドタバタしてしまう。そういう中でバンドが結構重要な位置を占めていて、実際にこの若い役の女優さんの見せ所になっているという仕組みである。そういう意味ではプロモーションを兼ねた映画のようにも思える。まあ、楽しめるのならいいか、という感じですか。
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プルタブの社会病理

2016-11-19 | net & 社会

 世の中にはアルミ缶のプルタブ(プルリンク、ステイオンリンクなどとも言われる)を集めて車椅子を贈るという運動があるらしい。というか聞いたことくらいはある。もともと以前は、この空き缶のブルタブは本体から外れるタイプばかりで(もう30年くらい前までだろうか)、そうすると小さいからその辺に捨てられることになる。これを小動物が飲み込んだり(鳥などの被害が多かったようだ)、これを踏んだ人(砂浜や芝生などで)が足にけがをしたりなど、少なからぬ被害があった。また小さい公害としても認知されていた。これは由々しきことだということで、これを安易に捨てないということと、捨てられたものを拾おうということで、考え出された運動らしい。そうやって集められたプルタブを業者に売って、そのお金で車椅子を買うという仕組みだ。
 当初の運動の趣旨としては賛同してもいいくらい理解できるものだ。ところが現実的に、現在は離脱型のプルタブの缶は事実上売られていない。環境を配慮したメーカーなどの努力なのか法律の問題なのかは知らないが、そのような缶が無い以上、環境問題としてのプルタブ問題は、事実上解決したと考えられる。
 ところが車椅子運動はまだ続いているという。さらに驚いたことに、わざわざ離脱しにくいプルタブを苦労して取り外して、時には指に怪我をしながら集めている子供などがいるらしい。学校の教育的観点で、この運動を続けているところも多いのだという。そこまでだったら、まだ美談っぽい感じはあるが、お気づきの人は既に何か違和感を覚えるのではないか。
 実は分離したプルタブについては、回収している業者泣かせだという。プルタブは小さくて軽い為、ゴミなどと分別するのが厄介なのだ。きれいに分別して集められたプルタブとはいえ、大量になれば機械にかけるより無い。その時に結局またゴミと混ざる危険が増してしまうらしい。いろいろ省略していうと、小さく分類されたプルタブのおかげで厄介な作業が増えるだけでなく、コストはかかるし迷惑だということだ。プルタブがそのまま本体に付いたままなら、作業としても効率がいいし、何しろ重さで売買されるものだから、当然缶のままの方が高価に取引できるのだ。
 分離するのは無駄なだけでなく迷惑で、ということはまったくエコに反している行為と言えるだろう。効率が悪いので、車椅子を必要とする人に車椅子を行き渡らせる行為にも、支障があるとも考えていいだろう。
 この運動をやっている人たちの善意とは裏腹に、その行為自体を正確に判断すると、迷惑なエゴ行為にしかなっていないということのようだ。
 もちろん空き缶を集めるというのは、学校の環境などで考えると、内容物の洗浄や大きさなどが適さない場合もあるかもしれない。非効率の方が多くの子供の啓蒙に有利という考えもあるのだろう。それ自体が大人のエゴだとは思うが、プルタブ運動のようには、全体主義的な盛り上がりに欠けるものになってしまうのかもしれない。
 しかしながら、それでも無駄で迷惑なことには変わりは無い。そのような道徳や判断力を身につけさせることも教育だとしたら、この運動は廃止されるべきという結論以外にないだろう。それを選択できない社会というのが、既に病的だと自覚すべきである。
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お勧め音楽映画その2

2016-11-18 | なんでもランキング

 
 はじまりのうた/ジョン・カーニー監督。これは演奏シーンがなかなか映画的に上手いと思う。こんな感じで曲が組みあがっていくんだなというのが、映像的に分かる。もちろん映画的なフィクションはある。でも、やっている人たちは、こんなイメージで曲が出来たらいいといつも思っているはずなのだ。多少ご都合主義なところはあるにせよ、楽しくいい映画ではなかろうか。僕にはちょっと清々しいかな、とは思うけれど。

 暗い日曜日/ロルフ・シューベル監督。これは隠れた名作だと思う。というか映画的に面白い。この曲を聞くと死にたくなるという名曲が生まれるのだが、それにまつわる男女の恋の行方と、戦争や人種を巻き込んだ残酷物語でもある。サスペンス映画としても楽しめる。友情がありながら、恋が絡むととんでもないことが起こる。人間というのは本当に恐ろしいのである。ついでながら出演しているハンガリーの女優さんのヌードも大変に美しい。男が女の人に溺れる感じがよく分かると思う。

 ドアーズ/オリバー・ストーン監督。ジム・モリソンの伝記映画。最初はキャストとしてそんなに似てない(ヴァル・キルマー、すいませんでした)と思っていたが、映画を観ていると本当にモリソンに似ているような気になってくる見事な演技である。アメリカのこともいろいろわかる。面白い人がたくさんいるアメリカというのは、だから強いのかもしれないとも思わせられた。映画としても素晴らしいし、この頃のメグ・ライアンも大変に可愛らしい。

 ところで、ミュージシャンが俳優として出てる映画も数多い。人気者だから当然で、プレスリーなんかが代表か。日本でも加山雄三がいるけど、彼の場合は俳優で歌手かな。
デビット・ボウイ、スティング、ミック・ジャガー。不思議な役どころも多いが、いちおう俳優らしい演技もやっているみたい。日本だと、泉谷しげる、みたいに演技が個性的でなかなか上手い人もいる。彼の詩も凄いんだけどな。他、けっこう活躍している人はいるようだが、ここではそういうのは基本的に割愛する。

 リンダ・リンダ・リンダ/山下敦弘監督。女子高生バンドを描いた青春もの。バンドにはメンバーがいるから、それぞれの事情が絡んだドラマになりやすいのかもしれない。そうして音楽で感情が上手く表現できる類のことってやっぱりあるんだと思う。危機的な状況にありながら、少しの奇跡と若い力いっぱいの頑張りがあって、やっぱり感動してしまうのである。

 青春デンデケデケデケ/大林宣彦監督。四国の観音寺が舞台。原作小説も傑作である。実を言うと、僕自身の青春のバンドの記憶と重なるところが多くて、面白いんだがどうしても泣けてくる。だから涙ながらに観なくてならない作品で、つらいが凄くいい映画だ。四国にも行きたくなるし(いわゆる映画巡礼をしたくなる)友達とも会いたくなる。本当に素直に日本の青春という感じで、素晴らしすぎるのである。今の人がこれを観てバンドをやりたくなるのかどうかは分からないが、少なくとも僕らはこんな風にしてもう一度バンドをやりたい。しかし青春は、二度と戻らないからこそいいものなんでしょうね。
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沖縄みそ汁

2016-11-17 | 

 沖縄に行くと食べ物がずいぶん違うな、と思う。これは同じ日本なのに、という前文が必要かもしれない。同じようなものがたくさんある中で、やはりなんだか勝手が違うような、そんな気がする。というか、まさに違う旨さがある。例えば豚肉料理はたくさんあるけど、沖縄で食べる豚肉料理は違う工夫があるのだ。もちろんそれが楽しくておいしい訳だが。
 地元の人が行くような店がいいとリクエストして、連れて行ってもらったことがある。そこは普通のソーキそば屋さんというか、大衆食堂のような店で、昼時より少し前だったにもかかわらず、すでに混んでいた。多くの人は沖縄そばも食っていたが、何か違うモノが入っているどんぶりとご飯を食べている人も結構いる。あれは何だろうと漠然と思っていたら、「味噌汁」だという。みそ汁というふつうのネーミングに、普通の人は完全に驚くのではないかと思う。かくいう僕は、かなり驚いた。何故なら、ふだん僕らが朝から食べているみそ汁とは、その風格がまったく違う。鍋物の具をどんぶりにそのまま移して、さらに何か手を加えているような感じがする。それは普通はみそ汁とは言わないはずで、しかし目の前にはみそ汁と言われている現物がある。普通はご飯に何かおかずがあって、そうしてみそ汁もついて嬉しいな、と思っていたところが、みそ汁そのものがメインのおかずとしてまずあって、それにご飯がついている図式になっている。それは何か構図そのものが狂っているというか、何か3次元の世界とは違うモノであるような、衝撃の食べ物のように見えるのである。
 ということで、その時の僕は、あまりに驚いて食べたくなくなってしまった。結局沖縄そばを食べたと思う。精神的に逃げたと言われたらそうかもしれない。味噌汁に負けたくないと思ったのかもしれない。二日酔いにもいいよ、と言われたけど、二日酔いだと思われたくなかったのかもしれない(何しろほぼ毎日二日酔いだし)。そういう訳で、これは宿題として僕の中に残された課題のような記憶である。さらに実はこの具の中に、ランチョンミート(スパムだろうか)のようなものが入っているのが見えた。そのようなものが入っているというのが、もちろん入っていてもいいのかもしれないけれど、何か僕の心の保守的な部分に、警告のようなものを発したのかもしれなかった。今考えると、残念な狭量さだったと思う。人間に一番大切な何かを忘れていたに違いない。まだきっと、若すぎたのが悪かったのだ。
 ということなんだが、来年は沖縄に行く機会がありそうなんだよな。今からなんだか少し、ドキドキしているかもしれない。
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お勧め音楽映画その1

2016-11-16 | なんでもランキング

 音楽を題材にした映画は数多い。音楽と映画は相性がいいのだと思う。音楽の多くは興業を目的としているし、映画も基本的にそうだからかもしれない。音楽が無くても映画は作れるが、音楽があってこそいい映画というものも数多い。今や切っても切れない仲のような関係かもしれない。そうしてズバリ音楽そのものを扱ったような、または音楽自体が重要なキーになっているおすすめ映画をいくつか思い出してみた。

 欲望/ミケランジェロ・アントニオーニ監督。前振りしたのにもかかわらず、実はあんまり音楽とは関係のないともいえる映画である。でも僕個人としては貴重な映画で、映画自体はたいして面白くもなんともないが名作といわれる変な映画だと思うけれど、やはりどうしても外す気になれない。それというのもジェフ・ベックのヤードバーズを見ることが出来るからだ。単に劇中に彼らが演奏している場面があるだけのことだが、それだけでつんのめって見る価値がある。実にかっこいいのである。

 カサブランカ/マイケル・カーティス監督。言わずと知れた大名作映画。これも実は音楽映画とは厳密に言えないかもしれない。しかし何と言っても、アズ・タイム・ゴーズ・バイが素晴らしい。劇中に使われる曲としてこれほど重要なものも珍しいのではないか。そうしてその後の映画にも、このような音楽の使われ方は度々まねされていると思う。いや、今風にいうとオマージュか。ともあれ、映画を楽しんで、音楽も忘れることは無い。もう何度見たことだろう。本当に素晴らしい。

 サウンド・オブ・ミュージック/ロバート・ワイズ監督。子供たちとドレミの歌などを歌う牧歌的な映画みたいに思われている向きもあるが、むしろサスペンス映画として名作ではないか。まあ、歌が楽しい映画には間違いないが。僕は子供の頃にこの映画を観て、かなりハラハラドキドキした覚えがある。ワイズ監督、なかなかやるもんです。

 アマデウス/ミロス・フォアマン監督。これはモーツアルトを描いた作品。しかし視点が変わっていて、モーツアルトを憎み(才能に嫉妬というか)ながら崇拝するサトエリという宮廷音楽家から見た、だらしが無く奔放で才能に満ちた青年を描き出している。まったくひどい人間もいたものだと思うが、それが素晴らしい旋律を生み出す天才なのだ。努力の人からすると、そんな人間が身近にいたら気が狂いそうになるのではないか。しかし同時に同時代に生きられたしあわせもある。何より音楽を愛しているからだ。屈折した人間模様を見事に描き出した傑作である。もちろん音楽も素晴らしい。

 まだまた紹介したりないのに長くなりだした。これ、続きます。
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