カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

行き詰っているのはどこの国

2017-08-31 | 時事

 北朝鮮ミサイル騒動。日本列島の上空を通過したショックはそれなりに大きい。完全に軌道を把握した上で通過をやり過ごした、という解説も聞いたし、それに対して検証可能な反論も分からない。日本に向けてのミサイルは迎撃可能と言う見方も聞いたことがあるが、いまだに実証は無い。実際に日本に落ちなかったのだから、このやり取りは少し謎だが、本当に把握してそうであると信じるならば、とりあえずは良かったとはいえる。しかしそれでも、騒ぎはそれなりに被害にまで展開したようにも感じる。列車が遅れるなど交通機関にも影響があり、実質的な経済損失があったと考えられる。緊急放送など作動しなかった治自体批判なんかもあるようだし、対応に追われる方面の仕事は増えただろう。
 また根本的な問題として警報が出ても、どうすりゃいいんだという意見が大半だろう。地下など安全そうなところに逃げろといわれても、そんなとこ知らない、という人もいるだろうし、殺到されても困るところはあるだろう。で、その上にミサイルが落ちて、閉じ込められたらどうするんだろう。すぐに助けが来ないタイプのミサイルという可能性だってありそうだ。警報におののきながらどうすることもできない、というのがとりあえずの現実だったという確認になったのではないか。また少なからぬ便乗してフェイク・ニュースを流すような輩もやっぱりいたようだ。この国は難しい環境にいるらしいというのは頭が痛い。
 これを期に対話をすべきという意見を言う人も見た。そういう人こそ対話しに行くべきだと従前からいつも思っていることだが、そんなことは微塵もやろうとしないからこそ言える意見ともいえるだろう。要するに国の要人が行くべきという意見になるんだろうが、こういうことを防止するために圧力をかけている訳で、今は失敗しているように見えるというのは少しは分かるが、ここでこちらから対話を持ちかけると、それが失敗であるという事を認めたことによって、要するに暴力に屈して話をする国として、相手に従うサインを出したという解釈になるんじゃないだろうか。それでも水面下で連絡を取ろうとしているだろうことは容易に想像できるが、条件が折り合っていない現実はまったく変わっていないのではないか。
 対話というのは言葉の上では平和的に見えるのかもしれないが、きわめて暴力的な意味を含んでいる場合もあるのである。それが今回のようなケースで、実は対話を強く望んでいるのは他でも無く北朝鮮であるはずで、それも日本や韓国で無く飛び越えて米国とであろう。韓国や日本にどれだけの被害が出るのかを警告して、いわば人質として何もできないという縛りをかけた上で、対話に持ち込むという考えであることは、僕のような素人にもよく分かるサインである。暗殺を恐れて表にも出られない四面楚歌状態で、水面下の接触を強く望んでいるという事になるかもしれない。このまま絶望的ならば、どのみち絶望の道として最大被害で自決するという脅しもかけているかもしれない。その場合道づれにするのは、特に米国民の被害者である必要はなかろう。日本では放送しにくいだろうが、そういうことを言っているというのは素直な読み方ではなかろうか。
 一方米国は、米国民が直接被害を受けない現時点で軍事的に鎮圧したいというのがあったにもかかわらず、現実的にはその可能性を示唆するにとどめている。これは何を意味するのかというのは、想像以上に韓国や日本の被害者数が多すぎるというのがあるという(数十から数百万人単位らしい)。現時点で韓国政府が米国に自制を呼びかけているという話もある。彼らはより現実的な恐怖がちゃんとある。もう一つの人質国には、あまりないだけのことである(今回でその空気は変わるかもしれないが)。
 対話してもいいが、飲める内容の対話が本当にできるのか。何の条件ならミサイルを撃たないのか。宿題として少しは皆で考えてみたらどうか。はっきり言うが、北も米国も納得のいく条件や線引きは、今のところ存在しないというのが答えの筈だ。さて本当に、ミサイル開発まで金が回らないほどに経済制裁が出来るのか。80か国と国交のある北朝鮮に対して、じわじわ追い詰められている実感が、本当に日本にあるのだろうか。まだ米国が、といってる現実じゃ、どうにもならないという答えだけのことである。


追伸: 立場上、「どうして北朝鮮はミサイルなんて撃つの?」 と素直に僕に聞く人がいるのである。「例えば、包丁を持って脅してくる人が何というと思う?」 と僕は逆に聞く。ほとんどの人は分からない。でも何の関係も無いのにそうして来るには理由がある。「たぶん、お金をくれっていうんじゃないの?」
 北の場合複雑とはいえ、もういじめないで、とか、そんな言葉になりそうじゃないの。でも基本は「金をくれ」。交渉の内容はそういう事ですね、たぶん。これを説明できる政治家(でなくともいいが)が、果たしているのか。が、今の状態を表していると僕は思ってます。
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手書きだと報われない努力

2017-08-30 | 雑記

 ちょっと必要があって宛名書きをする。155通。全部手書き。最初パソコンに打ち込んでやろうかとも思ったんだけど、とりあえず書き出してしまって、まあ、もういいかという感じになる。後で考えてみると事務局にエクセル・データがあったのではないかとも思ったけど、後の祭り。まあいいかと書きつづけて数時間。年賀状書いているみたいな感じになって、疲れた。
 同時に資料の印刷もあって、これが10枚。+パンフレット。後で考えてこの案内を送るにあたっての僕の立場も書いておかねばと思い立って、文章つくってさらに印刷。×ことの155部だから、合計1,860枚。コピーするのに何度も紙を補給しなきゃなんないし、数時間かかってしまった。これを封筒に収めるためにせっせと三つ折り。仕事の終わりに何人か手伝ってもらった。見かねてというやつですね。すいませんでした。
 それから封入作業して郵便局に出すのに確認しやすいように10枚ずつ輪ゴムで束ねていく。結構なボリュームなので一通140円。実はこれの元の事務局から92円切手が20枚くらい送られてきていたのだけど、けっこうな赤字である。これもまあ、仕方ないですけど。
 そうして数日して二件だけ問い合わせが来て(それも知り合いだから確認したということだろう)、反応はそれだけ。確認といっても手書きで封書が来たから怪しかった、ということだった。まあ、そういう怪しさだから読んでもらえるとも考えた訳だが、単に警戒が深まっただけだったのかもしれない。今の時代、やっぱり手書きはダメみたいです。
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無くした記憶を取り戻そう   オブリビヨン

2017-08-29 | 映画

オブリビヨン/ジョセフ・コシンスキー監督

 未来の地球。異星人の襲撃を受けて壊滅的な被害を受け荒廃している。いまだに地球に生き残っている異星人の駆逐のために、ドローンとその整備を受け持つ主人公(+彼女?)が地球警備にあたっているようだ。ある日宇宙船が地球に墜落、生き残った一人の女を救助するが、何故か自分の名前を呼んだようだ。その謎は引っかかるが、理由は分からない。その上、危険なのでやめるように言うが、大破した宇宙船に残されているドライブレコーダーを回収すると言って聞かない。仕方なく危険地帯に舞い戻ると、二人は何者かに捕らわれてしまうのだった…。
 映像は美しく、特撮の水準も高い。物語は意外な展開を見せて、中盤に世界観がガラリと変化する。その後はスターウォーズになったり、さらにものすごく意外な結末を迎えることになる。
 聞くところによると激しい賛否があるらしいが、まあ、そりゃそうだろう。世界観や設定はなかなか面白いと思うが、だからといって最後に物語を壊す必要などなかったことだろう。思わずずっこけてしまうけれど、それもまあ愛嬌と笑ってみるより無いだろう。面白くない訳では無いお話で、しかし納得がいかないだけのことだから。
 僕らが生きている間に宇宙人と接触できるだろう確率は限りなくゼロに近いが、もし相手が接触してきたとして、地球人が滅ぼされる確率は極めて高いだろうと考えられている。なぜ遠くの宇宙から地球を求めてくるのかという問題を考えると、そのリスクを取ってでも欲しいものがあるからである。地球人は必ず妨害するので滅ぼされるということだ。まったく文明的には勝ち目がない。宇宙人が好戦的である根拠は無いと考えている人もいるかもしれないが、それは楽観的すぎるし、的外れなのだ。
 地球人は地球が滅びようと、恐らくここに居続けるより他に生き延びられない。要するに地球に残された時間しか生きられない。もっともそれは、個人の時間軸からするとまだ余裕があるはずと期待できる程度である。宇宙人と出会えない人生。それは一時の幸福な時間なのである。
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素麺を一所懸命に食べている

2017-08-28 | 

 夏になったら以前はソーメン病にかかっていた。旨いしそれ以外に考えられなくなる感じ。ツルツルズルズルやる快感。そうして結局食べすぎる。素麺だとせいぜい薬味くらいしか他のものを摂らないので、こればっかりやってると、体重は増えるのに体が衰弱する。そうしてやっぱり素麺くらいしか食べる気になれない。それがいわゆるソーメン病というやつだ。まあ、旨いのでそれでもいいのだけど、それではいけないとも言われる。実際にそれで体を壊すのかというのは分からないのだが、雑食性の人間にとって、バランスが悪いというのは確かだろう。
 素麺を買うから悪いのだという説もあるが、これは身内に買う人がいるのである。それは母なのだが、買う相手の付き合いがあるのか、毎年まとめて買っているようだ。母自体は食が細くなっているので、買うだけ食べる訳では無い。そうすると回ってくる先はどこになるのか。養ってもらって申し訳ないが、そんなに買わなくても…、と思う。いただいて嬉しいが困るのである。
 実際に素麺を売っている知り合いも多い。ほとんど職場関係で処理するが、しかしやっぱり頻繁に売り込みに来られる方々もいる。仕事なので仕方のないことだが、これがある程度付き合いのある場合はやはり困る。すぐに腐るものでは無いが、つきあいがありすぎるのは良くない。他にも付き合いがあるから、他のものだって買わなければならないのである。しかしながら財布は限られている。胃袋も特に大きくなれない。それなりに長期にわたって、在庫として素麺が積みあがっている。
 でもまあ、冬ににゅうめんを食べてもいいのである。もちろん夏にだってにゅうめんは食べる。これがまた旨いのでよく食べる。鶏でだしを取ったものもいいし、味噌で地獄炊きにしてもいい。お吸い物にちょっと入っていてもいいし。要するに温かいもOKである。そうすると困ると言ってもいるけど、結局けっこう消費する。それでは素麺は困らないではないか。そうだけどやっぱり消費のために買いすぎているだけこのことである。
 今年はどれくらい消費したのだろう。よく分からないが事情があって、そんなに食べている訳では無いようにも思う。そうするとやはりしかるべき時期に、再度素麺の季節がやってくるのだろうか。夏の風物詩はそうやって、夏だけのものでなくなっていくのである。
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ちょっとした不思議さに救われる   リップヴァンウィンクルの花嫁

2017-08-27 | 映画

リップヴァンウィンクルの花嫁/岩井俊二監督

 いわゆる岩井俊二作品。鼻につくところがたくさんあってやたらに(不必要に)長い作品だが、仕方がない。そういう人が作っているんだから。
 前半は代用教員をやりながら自信が無く、出会い系サイトで知り合った男とすんなり結婚し、母親に嫌われて離婚するまでの話。後半は疑似家族として知り合ったAV女優と恋仲のような感じになって一緒に暮らすというもの。この二つの物語が、虚構のような仲介役の男を通じて展開される。いわゆる頭が悪すぎる女が、その二つの世界で振り回されているような感じなのだが、一応その世界を了解するならば、面白くない訳では無い。ファンタジーなら何でもアリである。
 虚構を描いているということを考えると、ちょっとあり得ない感じにイライラしなくなるかもしれない。気に障るのは、そういうことを了解し得ない狭量な精神の所為である。でもまあだんだん慣れてくるというか、そういう雰囲気というか、これはこれで無事に話が進むのだということが分かってくると、不思議な味わいに囚われていくような気分になる。それが岩井作品の魅力で、なんだかとてもいいという興奮を覚える人が(いわゆるファンが)生まれていくのだろうと思う。確かに場面場面は不思議な魅力があって、なんでこんなことになっているのかという疑問を越えて、こんなことになってしまって楽しいということになるのである。いい映画を観たような、そういう満足感も得られるのである。
 映画のストーリーというより、こういうことが起こってしまうと、困ってしまったり、面白くなったりするんじゃないか、ということに、素直な感性があるのかもしれない。そこまで行くのには、多少の無理というか、超えなければならない必然のような事が普通の創作にはある。しかし、岩井作品には(ある場合もあった気がするけど)特に主人公の主に女の人が、そういう疑問が無くて、すんなりとその世界の住人として、時には勘違いをし続けたまま、そこにとどまっているようなところがある。観る者にはその不安定さにひやひやさせられるわけなのだが、同時に何か応援したくなるような、そんな感覚が生まれるのかもしれない。結果的にその不思議さを受け入れて、良かったかもしれないと胸をなでおろす。
 観終わって思ったのは、とにかく終わって良かったという安堵だった。普通なら何人もの人が死んでもおかしくないような話だったが、何とか無事にそんな場面を見らずに済んだ。常識的でないおかげで、救われる気分になれたのかもしれない。
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分業して専門性を高めよう

2017-08-26 | なんでもランキング

 高校野球やリトルリーグなんかだと、ピッチャーで四番を打つ選手をよく見かける。優れた万能能力をもった人が一人でも、けっこうチーム力は高くなることは間違いなさそうだ。まあ、それくらい野球というスポーツの、ピッチャーに対するウェイトが高いということは言えそうだけど。
 しかしながらプロ野球やメジャー・リーグになると、やはり分業しなければ難しいとは分かる。大谷選手なんてのは、だからものすごく珍しいのだが、いまだにどちらかに絞るべきだという意見があるのも、やはり専門化した方がより高い能力を発揮できると実感している人がいるためだろう。
 リーグによってはいまだにピッチャーが打席に立つ場合もあるが、やはり攻撃力を上げるにはDH制をとった方が有利だろう。日本の場合実力はパ・リーグの方が高いと言われるが、おそらくそれはDH制をとっている為に、ピッチャーの負担が大きい分、実力が高くなった可能性が高い。そういう中でも大谷君がいるんだから、やっぱり彼は凄いな。
 ところで打撃の成績は専門性があがっているにもかかわらず、記録的には古いものが結構残っているという。大リーグに渡った選手が残っていれば、日本の記録も影響があった可能性もあるが、おおむね近年は投手力が向上した可能性が高い。何故なら100年以上の歴史のある大リーグの記録も、近年は投手の記録の方が高くなっているから。
 これには明確な理由があって、投手も分業化が進んでいるからだ。いまだに先発投手の役割がいくぶん重いように思うが(単にイニングが長いから)、現代は中継ぎ、抑えと一試合に3人以上投入するケースがほとんどだろう。ワンポイントで左打者専門、という人だっている。変化球の種類が増えたというのもあろうが、三振数は増えており、平均打率も、小さいが下降気味という。もちろん、球場が広くなったりなど、別の要因も絡んでいるのだろうけど、投手力は現代の方が以前より高くなっていると言われている。
 要するに人間の能力は、マルチよりスペシャルな方がいいということが、一般的には言えるようだ。分業化する方が効率が高くなり、より高度な実力が発揮されやすくなるということか。そうはいっても人件費が…、というのが日本の現状なら、やっぱり成長は難しい問題かもしれないですね。
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ハチャメチャ・カルト作品   ジャズ大名

2017-08-25 | 映画

ジャズ大名/岡本喜八監督

 奴隷解放で自由になったはずだがあまり自由も謳歌できずに、アフリカに帰ろうと決意し、何かの貿易船に乗り込んだ黒人四人組だったが、途中一人は船舶の中で死亡。本船も嵐に遭難しているどさくさの中で小舟に乗り移り三人で脱出。たどり着いた場所が幕末の日本の某落ちぶれた藩であった。たまたま城主が音楽好きであったのと、藩として倒幕か幕府派かはっきりしない上に百姓はええじゃないか運動などをやっていてもう何もやる気は無い。いろいろ駆け引きはあろうが、特に外国の黒人をかくまうと厄介事は増える。それでも何とかあってみると四人は大変に楽しい音楽家で、城主は死んだ奴のクラリネットを貰い受け、一緒になってセッションを始め城内は大変な騒ぎに突入していく。
 実はあらすじは実際にそれだけ。まあ、細かくはいろいろあるけど、単に無茶苦茶なお話で、その無茶苦茶がカルト的に作られてしまったという快作。というかなんだろか。特に面白くもなんともない話ではあるが、そうだったら面白いだろうなというのが実現してしまった映画だろう。だからそれでどうという話ではないのだけれど、多くの人が愉快そうなので、それはそれで良かったのかもしれない。
 ジャズというのは単純だけど非常に奥深く皆が楽しい、ということが体現される訳だが、本来なら皆大変に深刻で生死を分けるような過酷な状況にありながら、ジャズだったらしかし笑い飛ばせるという変な教訓めいたことも得られる。それでいいとか悪いとかいうようなことも越えていて、映画のつくりとか時代考証とか、そういうものもなんとなく超えている。もちろん当時の価値観のようなものも少しくらいは考えている様子はあるが、そういう遠慮や危うさもたやすく超えてしまうような、凄まじい力がジャズによって伝播していくわけだ。楽しんで作っているのかどうかさえ分からないけど、もうこうなったら何でもやっていいという空気は伝わってくる。いつの間にかいろんな人が出演していて、これはこれで時代の空気だったのかもしれないな、とも思った。昔はみんな若かったんだな。
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無言の人の考えを追うのは大変だ   刑事マルティン・ベック 笑う警官

2017-08-24 | 読書

刑事マルティン・ベック 笑う警官/マイ・シューバル、ペール・ヴァールー著(角川文庫)

 ある晩ストックホルムの市バスで八人が銃殺されるという大量殺人時間が起こる。スウェーデン国内においても突出した大事件にもかかわらず、目撃者も少なく、犯人の足掛かりがまるでない。刑事はこまめに事件を洗いだし、何とか手がかりをつかもうとするのだが、犯行が異常なだけでなく、被害者の繋がりもほとんど感じられず、何も糸口とならないのだった。しかしながら、たまたま乗車して殺された同僚刑事が、何かの事件を追っているらしいことは予想として考えられた。何しろ事件の前までは、刑事事件はほとんどなく暇な毎日だった。彼は過去の未解決事件を洗い直していたのではないか。しかし、なぜ、その事件を追う痕跡が見つからないのか。刑事たちは苦しみながらもその真実を徐々に追い詰めていく。
 発表されたのは50年近く前らしい。文章は乾いて近代的なので時代は感じさせられないが、ストックホルムの事情はかなり変化しているという。当然同じ型の市バスは走っていない。考えてみると昔の話なのか、と思うのは、登場人物の一部がやたらに煙草を吸うことと、事件が起きても、いわゆるテロ事件という騒ぎ方が少ないというのはあるかもしれない。でも外国人に対する不満あるようだし、寒い気候の国ながら、都市部の人々の暮らしぶりというのは共通のものが多いようにも思う。シリーズは10作あるそうだが、多くの国で翻訳され読まれているという。それだけ普遍的な文章の上手さがあり、さらに人間を見事に描いている作品なのではなかろうか。
 終盤になるまで、事件の手掛かりがまったくないように見える。被害者の周辺や、警察官の姿が延々と描かれていくのだが、これが読ませるのである。決して明るいトーンでは無いにせよ、冗談が無い訳でもないし、物事の捉え方にしても、ほのかに愛情が無い訳でもない。難しい人間の感情が、時に細やかに丁寧に描かれている。感情がストレートに言動に現れなくとも、徐々にその人間像が目に見えてくるようだ。後の解説にも少しあったが、シリーズということもあるけれど、登場人物の数人は、それぞれにファンがいるようだ。人間を描いてミステリとしても成功している。ある意味で文学的な気品さえ感じられる作品である。
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昔の人は幼稚で面白い   ゲームの規則

2017-08-23 | 映画

ゲームの規則/ジャン・ルノワール監督

 フランスの貴族社会。貴族同士のつながりや、その複雑な人間関係を、風刺のきいたドタバタ喜劇として描いている。また、今の時代ではとても映画的には撮れない実際の狩りの場面などもあり、バタバタとウサギやキジが撃たれて殺されていく。後に人間も殺される訳だが、今の常識からするとかなり飛んでいる異常性が、実に楽しくさらりと描かれている。
 また複雑な人間関係を形作っているのは他ならぬ男女間の恋愛で、重層的に皆が不倫をしていて、さらに新たに恋が生まれたりする。自由と言えばそうかもしれないが、そんなに簡単にそんなことになって、さらにそういうものが発覚して、激しく争い合ったりする上に、友情が芽生えたりする。お前らは幼稚園生か! と思わず突っ込みを入れたくなるような幼稚な人間関係が、過去のフランスにはあったらしい。
 しかしながらこれがまた面白いのも確かで、浮気がばれてドキドキしていると、お互いがそのことを直接話し合ったり、銃で撃ちあったり、又は協力し合ったりするのが、なんとなく通ってしまうような展開であるし、納得もさせられたりする。最後のどんでん返しには素直に驚いてしまったけれど、まあ、それが貴族という人間なのかもしれない。
 当時も興業的には失敗し、後に発掘されて名作に格上げされた作品という。娯楽作として現代的に面白いし、トリックも見事だと思う。しかしながら名作かといわれると、多少頭をひねるところもある。最初のところはやや退屈だけど、物語が複雑化すると俄然お話が面白くなっていく。今となっては却って作られにくい作品だろうし、古典としての堅苦しさもそんなに無い。娯楽作品として素直に観られ続けていい物語ではないだろうか。まあ、現代人はカマトトだから、狩りのシーンだけで、成人映画指定を受けそうな気もするけどね。
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無は無いというが

2017-08-22 | Science & nature

 何にも無い、という実感はある。目をつぶって何も見えない。いわゆる何にもないのと同じことでは無いか。
 でもまあそれは意識のことで、瞑想してもそんな簡単にはこころは空っぽにならない。むしろ無意識の時間なら、なんとなく覚えていないし、無といえるものがあるかもしれない。多くの人は生まれる前の頃は憶えていないだろうから、そういう前のことを考えると、人間の意識としての無は存在するかもしれない(表現に矛盾があるが)。
 地球には様々な条件があって大気がある。僕らは大気の中の酸素を利用して呼吸している。息を止めると苦しくなるから、目に見えないけれど、何かあるという実感はおそらくあるだろう。水の中だとか、行ったことないけど、宇宙に行くと、同じく呼吸ができないらしい。水の中はともかく、大気の無い宇宙であれば、それはひょっとして無といえる空間と言えるのではないか。英語だとspace。 まさに宇宙とは隙間というか空間であるような感じがある。でもそれって相対的に星などがある途中のすっ飛ばしたものを指している大雑把さも感じる。
 しかしながらその真空の中にも何らかのエネルギーの存在があるという。それは計算から導き出されていることで、一般の人には実感しようのない力だ。さらに実際何の力であるのかさえ、いまだに不明だ。ダークマター、とかダークエネルギーといわれるが、要するに暗い空間の何かだ。宇宙空間の星の集まりに影響を与えている可能性があり、今分かっている物質とは反応しないタイプの物質かもしれないと言われている。憶測の範囲だが、あるらしい気配はなんとなくあるもの、何しろ検出する方法が今のところ見つかっていない。だから厳密に宇宙空間を無と考えることは現時点でダメらしいということだ。
 哲学的には、人間をはじめすべてのものは意識下から無くなってしまう。それは人間が感じ得ないという点では、確認のしようの無い、しかし確かそうな無だ。宇宙空間は人間の意識化とは別に存在し、長い時間をかけられ、そうしてひょっとするとビッグバン以前から存在していた可能性すらある。そうすると人間の個人の意識を持っている時間なんて、まったく存在していないものと変わらない一瞬性の出来事だ。
 物理的に何を無とするかは難しい問題だが、やはり無に等しいものは、実感のあるものの中にも多く含まれている。無なんてことを考えているそこにある実感を誰がもっているのかなんて、他人には分かり得ないまったく自由で無意味な仕事なのである。
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親子や監督さん達皆どこかおかしい娯楽作   アフター・アース

2017-08-21 | 映画

アフター・アース/M・ナイト・シャマラン監督

 酷評とされたことは後に知る。そりゃそうだろうな、という内容。でもまあ、そこまで悪く言うことは無いというくらいは面白い。ということで逆に掘り出し物作品になっている。
 宇宙船の故障で、やむなくはるか以前に人類が放棄した地球に降り立つことになる。人類が住めなくなったから放棄したわけだが、地球は元地球人が住むには過酷な原始環境になっている。さらに宇宙船には、訓練のために地球人を殺戮するためだけの生物を積んでいた。宇宙船は激しく破壊され、乗組員は伝説の兵士親子の二人のみ。強靭な兵士である父親は致命的な負傷をし、まだ兵士にはなり切れていない少年である息子が、破壊されて分離した宇宙船の後部部分まで、救援信号の発信機のためにサバイバル移動しなければならなくなるのだった。
 原作は主演親子も演じているウィル・スミス。向こうの人は面の皮が厚いから、自分たちをヒーローにしてもちっとも恥ずかしくないというのが見て取れて微笑ましい。実の息子と共演しているが、息子の将来のこともちゃんと考えているともいえる。親の七光りというのは日本にある言葉だが、あちらはちゃんと親が子を売り込むわけだ。
 監督がシャマランというのは、直接期待値となるか不安値となるかは分かれるところだが、今回の場合はあんまり関係なさそうという感じ。正直言ってこういう映画を実際に映画化しようと思った功績はあるかもしれないが、それ以外にいわゆるシャマランらしさというのはほとんどわからない。それくらい普通の娯楽アクションだ。危機をあおる為の危機が行き過ぎているというのはあるかもしれないが。
 怪物が恐怖に対するフェロモンに反応して攻撃してくる、という設定になっていて、まあ、そんなにややこしいことを何でしたか分からない人間らしい生物がいたものだと思う。恐怖心が無ければ怪物にとってゴーストになり、人間に有利に反転する。人間の持っている武器は、しょうも無く古典的で、こんなんで戦うというハンデが限りなく恐怖的である。父親はその恐怖心を克服した伝説的な戦士であるとされるが、さまざまな予知能力などもあるスーパーマンだ。皆が死んでしまうような宇宙船の事故でも、重傷を負ったとはいえ生き延びる。この設定がもっとも漫画的に成り立っている鍵だが、しかし本当に重要なのかどうかもよく分からない。一番重要だったのは、今考えてみると大きな鳥で、もともと捕まえた目的やその後の関係など、何か人知を超えて分かりにくい都合のよさに満ちている。要するにご都合主義的な展開が酷評の大きな原因と思われるが、地味だけど、展開も読めるけれど、ちゃんとドキドキもするし面白い映画だ。こういうことにお金をかけて、バカにされても作られてしまう映画という不思議な世界を楽しむ好材料といえるだろう。
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ぎりぎりセーフが次を活かす

2017-08-20 | culture

 子供にゴルフのレッスンをつける番組をやっていた。技術的なことはよく分からないが、基本的には自分のゴルフのプレーに自信をつけてもらうために、良い記憶を残すことを心がけて指導していた。特に面白いと思ったのは、ボールを打った後の自己評価を6段階に分けることだった。うろ覚えだが、とにかく5番目が悪い。6番目は最悪。上から1最高。2良い。3まあまあ。4ぎりぎりセーフ。なんか少し違うところもあるかもしれないが、基本的に上位4つが良くて、後の二つがどうしても良いと言えないもの。よっぽど悪くない限り、結果OKという姿勢なのだ。
 見ているとゴルフの上級者の子でも、自己判断が厳しい。見た感じしっかり打てていても、すぐに「ダメだ」とつぶやく。確かにもっと良いショットを打てる自信はあるのかもしれないが、悪くないものを切り捨てていつまでも自己嫌悪に陥っている。なんだかプレーも神経質な感じだ。ミスが許されないプレッシャーに自らを晒している感じかもしれない。
 一方で多少悪くても、4のぎりぎりセーフがあることで、次の挽回に目を向けることができる子が出てくる。失敗を引きずらず次にいいイメージのままプレーに集中できる。そうしていい流れを自ら引き寄せることが出来ていくのかもしれない。
 日本の指導の一番の欠点は、ミスを指摘してそれを意識させ、二度とそのようなことをしないように改善させていくやり方が主流だからかもしれない。結果的に練習ではできることが、本番では萎縮してのびのびとプレーできなくなる。肝心な場面や、勝負どころで流れを引き寄せられない。そういうこととも、この指導のポイントは関係あるのではないか。
 多少悪くても、本当に悪い訳では無いのなら、ぎりぎりセーフでよい。そんなんだからお前はダメだ、という指導者がいるのは分かる。だけど自分ではセーフにしておく。そんな人が将来は伸びていく。もしくは今から自分を伸ばすことが可能になる。
 自己評価は6段くらいにするというのは、自ら本番に強く生きて行くための工夫かもしれない。
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こんなことじゃいずれ破綻するよ上院議員さん   刑事コロンボ・野望の果て

2017-08-19 | コロンボ

刑事コロンボ・野望の果て/ボリス・セイガル監督

 上院議員選挙を控えた候補者ヘイワードに脅迫状脅迫状が届く。実はこれ、作戦なのだが、これに乗じて警備が手厚くなっている中、選挙参謀から愛人と手を切るように言われて面白くないので殺すことになる。警備の手の込んだすきをついて射殺しアリバイをつくる。妻の誕生パーティに乗じて計画的に犯罪を構想していたものらしい。ところがこの計画性を見事に発くのがコロンボで、事件が突発的でない状況証拠をそろえて、ヘイワードを精神的に追い込んでいく。そこでヘイワードは脅迫する犯人団から襲われる演出を思いつくのだったが…。
 展開としてよくできているのは認める。しかしながら僕がなんとなく納得いかないは、最初の犯罪は曲がりなりにも成功しているにもかかわらず、さらに危ない橋を渡ろうとする犯人の心理かもしれない。それは自信過剰で行動的な性格であるということは出来るかもしれないが、まだまだ状況証拠とだけとしたら、犯人の特定がされている訳では無い。その上ほぼ選挙では勝利が確定しかかっている。コロンボは確かに目障りだが、コロンボ自身はぼろを出す次の証拠の為に根を張っている状況なのだ。
 いずれにせよ愛人問題で家庭は破綻しそうだし、選挙に勝っても難題は続いていくだろう。せっかく奥さんとの関係も改善しかかっているのに、自分の器用さに酔うところがあるのだろうか。
 途中に挟まれたコロンボエピソードも面白い。同じイタリア人移民らしい歯科医から治療を受ける。イタリアを言えばマフィヤとばかり考える人々に愚痴を言う。コロンボのボロいプジョーの所為で警察からいろいろ言われる。警察署内のコロンボの同僚との会話も多い。コロンボの弟のエピソードが聞ける。などなど。結構本人にミステリの多いコロンボ像が、それなりに語られる回ではなかろうか。
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若い恋愛の激しさと辛さ   肉体の悪魔

2017-08-18 | 読書

肉体の悪魔/レイモン・ラディゲ著(新潮文庫)

 20歳で早世したフランス人作家の著名な古典的な作品。主人公は15歳の少年か青年になりかけた男で、10代ながら年上の女性と関係を持つに至る。彼女は出征中の夫のある身で、要するに世間からも非難の目が向けられる中で情事を重ねる。そうしてついには妊娠してしまうのだった。
 本人はまだ学生だし働いてもいない。夫が出征中の彼女にしても、夫がいないだけでなく働いてない。要するに二人はそれぞれの家庭の保護下にありながら、いけない関係を謳歌しているということだろう。それでいて終始愛を確かめ合うためということで、まったく煩わしく激しく駆け引きを繰り返し、気を引くために懸命になっている。まだ若いために精神的に不安定で、さらに境遇は最悪だから、その揺れ幅がまた大きい。フランス人だからなんとなく大げさだし、文学的に優れているのかどうかは分からないが、しかし最後は衝撃的である。
 まあ、恋愛中に男女があれこれ愛について考えるというのは分かる。それはある意味で誰もが通ってきた道かもしれない。しかしながらわざと波風を立てるようなことを言って、そうしてその反応が気に食わないと言い争って、だからこそ愛が確かだと考えたり絶望したりを何度も何度も繰り返す。基本的に西洋人というのは嘘つきだ、というのがあるようで、自分たちだけでなく、さまざまな人の目を気にして嘘を繰り返す。裏表が激しくて、とてもひとりの人格の中にこのような感情が同居しているというのが不思議なくらいだ。その若さの中の感情を見事に描いたと言えるのかもしれないが、さらに作家の恐らく実体験が入っているだろうこととの興味が、作品への興味とつながっているだろうことは明確だろう。そういう意味では若いころの私小説で、まったくとんでもない若者が居たものである。
 他に戯曲とコント的な小作品が収められている。そちらもあんまり意味は分からなかったが、早世だから衝撃的なのかもしれない。
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日本の文化と遊びの心   ちはやふる(下の句)

2017-08-17 | 映画

ちはやふる(下の句)/小泉徳宏監督

 都大会を制し全国大会の切符を手にした瑞沢高校。しかし全国大会で会えると思っていた新は、かるたをやめるという。かるたの師匠でもあるおじいさんが死んで悲しんでそういっているらしい。千早と太一は新に会いに福井までいくが、どうにもならんらしい。高校の部活としてさらにレベルアップを目指してかるたに励むが、千早は個人戦で全国一位のクイーンとの対戦に頭がいっぱいで、チームワークは乱れまくる。かるたは個人的な戦いであるようでいて、実はメンタルなところで団体意識こそ大切な競技であることがだんだんわかってくる。そういう中で新設の部ながら、皆の実力は確実に上がっていくのだったが。
 クイーンという絶大なライバルの出現で、大きな目標そのものは出来るが、そのために全体のバランスが大きく崩れていく。実際の話の展開もかなりわがまま極まりないが、何しろ主人公のやらかすことだから、なんとなく大目に済んでしまう。恋の行方としても軸としては明確に進んでいるはずだけれど、これはなんとなく逆にあいまいな方向に進んでしまう感じだ。恐らく原作が長いために、引っ張っているのかもしれない。かるたの勝負としては見どころが多くなって、かるたの競技の異常性も含めて、素人でも燃える感じは素直に伝わってくる。そういう意味ではスポ根だけど、勝敗だけにこだわりすぎていない感じは、少年漫画とは一線を画すものがあるようにも感じた。やはりこれは少女漫画なのだ(実写だけど)。
 出てくる人のキャラクターが、それぞれ面白いのかな、と思う。変な人が多いが、それぞれに事情がある。変だけど理解できる。そういう描き方の妙だろう。もの凄くマイナーな世界なのに、その厳しさや激しさも伝わってくる。何事も大変に高いレベルがあり、それを目ざす人々がたくさんいる。日本も人口が多いんだな、と改めて思う。これが文化としての深みのようなもので、クールジャパンなんじゃないか。外国人に憧れられなくても存在する強みが、日本の本来の強みであろう。
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