カワセミ側溝から (旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

怒りはコントロールできる   怒りを鎮める うまく謝る

2017-11-30 | 読書

怒りを鎮める うまく謝る/川合伸幸著(講談社現代新書)

 謝罪の研究は日本では少ないそうで、ほとんど米国のものらしい。日本では謝罪は当たり前の習慣でもあり、そのあたりが関係するのかもしれない。しかしながら謝罪することで相手の怒りが収まるのかと言えば、そんなに効果が無いらしい。怒りを収めるのはむしろ保障の方で、そのことが明確にならない以上簡単に相手の怒りを収めることは出来ない。しかしながら犬が怒られてお腹を見せるのでも分かると思うが、相手の怒りから暴力などを受けることを防ぐためには一定の効果がありそうである。怒りは収まらないまでも、戦意をそらせるような効果はあるかもしれない。謝ることは自分を守る行為とはいえるだろう。しかしながら、例えば夫婦間のいさかいなどで、安易に謝罪することで事がさらに大きくなる場合も少なくないという。謝罪することでさらなる怒りを増幅させてしまうこともあるのだ。
 こぶしを握り締めるだけで脳は怒りを感じるようだし、逆に寝転がると怒りが収まる。身体の動かし方で感情がコントロールできそうだ。頭にきたときはすぐに怒りを爆発させた方がすっきりすると考える人もいるようだが、そのように表に出す怒りは、さらに怒りを増幅させてしまって逆効果だ。怒りっぽい人はいつも怒る習慣をつけているようなものだ。誰かに見られているという意識は怒りを止める効果があるそうで、虐待防止などにも応用できるという。また血糖を上げると怒りは収まりやすい。頭に来たらチョコレートを口にするなどもいいだろう。やりすぎるとどうなるかは保証できないが。
 人間の本能には仕返しする快感のようなものがあるのかもしれない。宗教戦争などは何千年もやったりやり返したりをやめていない。多くの紛争も報復の連鎖ともいえる。忠臣蔵や水戸黄門がいつまでも人気が高い理由も、やり返すのを見るのが好きな証拠かもしれない。そうではあるが、被害者の方が赦しを行うことで、精神的な満足感のようなことを得られることも可能だという。もちろんそのために加害者や第三者などを交えて様々な努力のしようがあると思うが、報復の連鎖を断ち切る赦しの力で、根本的な怒りの繰り返しを止めることが出来ないかと模索されている。現実にそのような大きな怒りの連鎖を止めることに成功した例がいくつかある。人間のそのような寛大で崇高な精神性をどのように育んでいくのかというのは、国際紛争を含めて、もっと研究を進めて実行されるようにすべき課題であろう。
 かといって日本の場合など東アジア情勢などを勘案しても、その課題は大変に難しいようにも思われる。さらに北朝鮮問題などになると、生命の危険さえ伴う難しい駆け引きになりそうだ。このような本が翻訳されるといいのかもしれないのだが。
 この本の内容は研修などにも有用であると思われる。仕事や人間関係を円滑に進めるような事が必要な場面では、怒りのことを知り、効果的な謝罪方法などを学んでおくことが大切なのではなかろうか。
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落ちこぼれの嫌いな校長先生   祝砲の挽歌・刑事コロンボ

2017-11-29 | コロンボ

祝砲の挽歌・刑事コロンボ/ハワード・バーク監督

 硬直的な経営がたたってか経営難に陥っている陸軍養成学校の校長は、元生徒でもあった理事長(そういう後援組織お偉いさんの孫にあたるらしい)と経営方針で敵対している。創立記念日においても大喧嘩して、そのケンカの成り行きを利用して式典の大砲係を理事長に託し、暴発させて殺すことに成功する。一見事故と捉えられたそのトリックを見破るのが、コロンボの役割である。古い砲台の暴発後から掃除のボロキレを見つけ、掃除当番をしていた落ちこぼれ生徒のアリバイを立証し、学園内でこっそり流通しているリンゴ酒事件などを絡めて校長を陥れていく(逮捕ですね)ことになる。
 校長は学校のことを心から愛している。だから行き過ぎていいとは言えないまでも、古き良き学校の在り方について、どうしても譲れないものがあるのだろう。しかしながらそのような良さを守って学校は経営難に陥っているとも考えられる。男女共学にし、短大として広く生徒(学生)を受け入れて経営を立て直すときに来ているのかもしれない。少なくとも実質的な経営者である学校の理事長はそのように考えた訳で、そちら向きに対する説明不足とも考えられる。説明しても理解できる人物とは思えなかったのだろうけれど、だからといって殺すことは無い。彼がちゃんと経営して、曲がりなりにも学校が立ち直ってしまうことも許せなかったのかもしれない。多くの人に理解されないことであっても、あるべき姿と良いものは良い。そういう教育者としての矜持が、このような迷惑な殺人に繋がってしまったのであろう。
 落ちこぼれの僕としては何の共感の無い話だが、このような特殊な学校でなくとも、経営難になるところはあるだろう。経営的に立て直すことも大切だが、しかし学校の存在意義として守りたいものがあるのであれば、そのまま退場しても問題ないのではないか。まあ、生活には困るだろうけど。
 校長役のパトリック・マクグーハンは、ピーター・フォークとも親交が深く、コロンボ・シリーズでは4度の犯人役を演じている。監督作も5作ほど撮っているらしい。冷たく冷静な性格を演じることが多いけれど、とぼけた役もこなせたという。コロンボと対峙してもあわてることなく威厳を保ちながら落ちていく様が、コントラストとして印象に残る演技と言えるだろう。
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元祖イクメン藤沢周平

2017-11-28 | 感涙記

 藤沢周平の親子の物語で、時にその娘さんや編集者のインタビューを交えて紹介したものをみた。藤沢周平に奥さんや娘さんがいることは、なんとなく記憶にあった。もちろん藤沢は、何年か前から故人であるとも認識している。日本を代表する流行作家であるが、僕自身あまり時代物は読まない。有名なのはいくつか読んでいるようだが…。
 しかしこの藤沢さんが、なかなか凄いのである。今でいうイクメンというやつで、娘が生まれてすぐに奥さんが死んでしまって仕方ないこともあるが、サラリーマンしながら子育てしながら小説を書いている。自分の母親もいるようだが、どういう訳か料理などはあまりやらないらしい。定時に仕事を終えて、帰宅途中に買い物しながら、そうして娘を保育園に迎えに行く。時にもう少し早く来いとお叱りを受けたりする場面もあり、仕事の工面は大変だったようだ。もちろん、現代のシングルマザーといわれる人たちだって、このような大変な日々を送っていることではあろう。男で有名な流行作家だった人がこうであったというのが、なかなか感慨深いということだろうか。
 運動会でいつものお弁当とは違ったものをつくるという事でこしらえたのがカッパ巻きだったとか、娘の友達がかわいい手作りの手提げをもっていることをうらやましがるので、持っていた背広の生地で夜なべして手提げを縫ってあげるとか、とにかく娘に対しての愛情が素晴らしい。素晴らしいだけでなく、実際にそうしたことを出来てしまう力量も努力も凄いという感じだ。良く話を聞き、一緒に散歩する。後に再婚するが、娘との関係は変わらず強いままだったようだ。
 小説に対する創作意欲も最初は病床の妻を励ますように書いていたというし、生活の為というのもあっただろうけれど、二足のわらじ以上に難しい状況下にありながら、書き続けていたこともわかった。性格も温厚な人だったようだし、人格にも優れたところがあり、驕ることもなく、自分の哲学を持っていながら、そのことを表に出すようなことも無かった。
 娘が生まれて8か月後に妻が病気で死んでしまうのだが、その絶望感にやはり自らの死の影があったようである。しかしながら生まれたばかりの娘がいる。もしもその子が無かったならば、後を追って自死したであろうという。娘への強い愛情と、その惜しみない努力のようなものの後ろ盾として、そのような過去からの思いがあったのではなかろうか。そうして後に膨大な著作を残すことになったのである。ひとの一生というのは、本当に分からないものである。
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暴力とエッチが一杯   蘇る金狼

2017-11-27 | 映画

蘇る金狼/村川透監督

 松田優作主演の懐かしい角川映画。風吹ジュンも重要な役割。
 普通の会社員勤めの男には裏の顔があって、現金輸送の人物を襲い1億円奪うなどしている。しかしこのお金、通し番号が控えられていて、おおっぴらには使えないことが分かる。そこでこの金を麻薬に替えてしまおうと考える(そっちの方が危なそうだけど)。ヤクザから聞き出した相手は大物政治家で、そういう組織に一人で立ち向かい、壊滅状態にした上に取引を成功させる。さらに勤めている会社の上層部は、何やら不正に手を染めている連中のようなのだが、手始めに幹部が女関係で弱みを握られてゆすられている。そういう情報を松田演じる男は掴んで、いろいろある中、ゆすっているお金をまんまと途中でくすねてしまう。事は解決なんかしていないので、会社側は興信所つながりのヤクザを雇い、ゆする男女を殺してしまう。その過程で味方のヤクザも返り討ちで(というか仲間の事故)死んでしまった為に、今度は直接会社の上層部自体に反旗を翻すことになってしまう。そこで何故か社員の中のボクシングをやっている松田に殺しの依頼が来て、ヤクザグループを壊滅させることになる。しかし用が無くなったら松田(演じる人)を始末しようとしたのだが、今度は会社を相手取って、やっと松田の方が反撃し、会社の大株主になってしまう。スーパーカーといわれる高価な車も手にし、社長の美しい娘とも婚約する。人生の絶頂を手にすることになったのだが…。
 お話の筋は結構無茶があって、かなり入り組んでいて時々行先が分からなくなる。これだけの事件なんで穏便に済むはずなんかないが(実際済まないけど)、そんなことは構わずトンドン前に向かって人を殺していく感じだ。アクションを交えて娯楽的に楽しい映画になっていて、やたらに女性は脱がされて胸を揉まれたりしているし、出てくる人たちにほとんど善人らしい人たちがいなくて、凄まじいことになっている。松田優作は、そっけない科白回しから、狂気の表情まで実に多彩な演技を見せる。そしてそのすべてかカッコいい。
 途中で思い出したが、僕の子供のころ茶の間でこの映画が流れて、このバイオレンスといやらしさに、子供は寝なさいという事になったのではなかったか。風吹ジュンと松田優作の朝食を食べながらのセックスシーンはなんとなく覚えていて、記憶ではもっと激しいものだったから、その印象は強烈だったのである。でも他の内容はまったく覚えてないので、やっぱり途中で寝せられたのだろう。
 強すぎる松田優作と、何か野性的な強烈な個性が光る娯楽作である。多少の時代性は感じられるものの、アクション娯楽映画の王道的な作品なのではないだろうか。
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ホワイトハウスに旧トンネル

2017-11-26 | HORROR

 日本にもホワイトハウスと呼ばれ、地元では有名な建物が何件もあるという。いわゆる心霊スポットといわれる廃墟である。郊外にある朽ちた建物。もとは別荘だったのか、いわゆる洋館というのもあるかもしれない。そこにまつわる話も皆一緒で、「外交官一家が娘の精神療養のために移り住んできた。ところがその娘が一家を惨殺した上に首を吊って死んだ」というものだ。
 要するに肝試しの為のお話は、皆似たり寄ったりの話になり、全国的に違う場所のものであっても、結局同じになってしまうものらしい。
 僕の住んでいる地元にはそういうものは残念ながらあまりないが、いまだに旧市民病院跡地などには、しつこく幽霊伝説が残っている。跡地といっても既に別の建物が建っているのだが、地元の人というのはあんがいしつこくそういう事だけは憶えているらしい。ちなみに旧病院は、確かにしばらくはあったのだが、幽霊話も当時ちゃんとあったが、取り壊された。僕の子供のころの話だ。夜に不良が遊びに行くので、その使われている懐中電灯などの明かりが、幽霊の正体だろうと言われていた。僕は大人からちゃんとそういう理由まで聞かされていたが、何かの折にいつも幽霊話は聞いたものである。せっかくだから本当に幽霊が住んでいてくれたらと思うこともあった。
 車の免許を取ると、広範囲の幽霊話を聞くようになった。有名な福岡のトンネルの話もあるが、そんなに遠くまで行かなくても旧道というのはあちこちにあって、そうしてやはりそういう場所には幽霊がいるらしかった。特に南高の島鉄の廃道には宝庫で、その中のトンネルは素晴らしい名所とされた。僕も良く見に行ったものだが、昼間にいくとそれなりに風光明媚で素晴らしい場所だった。わざわざ夜まで遊んで、怖くなってから見に行ったりもした。道が細いので離合も大変で、地元の人には迷惑だったろうと思う。
 このような場所というのは、ものすごく田舎過ぎると逆に怪談にはならないのだという。不良というのは、あんまり遠すぎても見に行かない。適当に遠くても、車でいけるから行くのである。だから実際に見にいくと、幽霊で怖いことは絶対にないが(ウソだから)ヤンキーなどにからまれて怖いことになる危険があるのだそうだ。やっぱり恐ろしい場所には違いないが、それは人災というべきなのかもしれない。
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男の子たちも大変だ   ストロボ・エッジ

2017-11-25 | 映画

ストロボ・エッジ/廣木隆一監督

 漫画原作があるようだ。もちろん少女マンガ。彼女がいることを承知の上で告白し、その片思いのまま学園生活を送ろうとするが、助けてくれる男子あり、さまざまな障害アリで、複数の恋愛劇が重層的に交錯していく展開。まあ、ありがちと言えばその通りで、しかし学園生活で起こったらいいな、と思われるあらゆる展開が繰り広げられていく。いわゆる胸キュン場面の為の映画と言えるかもしれない。僕は中年男性だが、あり得ないとは思いながらも、まあ、楽しめました。昔から少女マンガ好きなんだよね(映画だけど)。
 そういう訳なんだが、改めてこういう女の子視点の物語を観ると、やっぱり男女ってかなり違う生き物なんだなと思わざるを得ない。こういう男がいいというのは分かるのだけれど、見事に男が考えているだろうことが、たぶん完全に欠落しているという気がする。こんな男は、まず絶対に居ないという事は明らかだけれど、男が悩んで考えているだろう展開が、まったくリアリティが無いのである。僕も一応高校生活を送っていた過去があり、多くのことはあまりにも昔過ぎて正直言ってほとんど忘れてしまったけれど、学校の風景を含めて、こんな学校生活ではあり得なかった。それは僕の特殊性という事ではたぶん無くて(多少特殊なところはあったかもしれないが。ところどころあんまり登校してなかったし)、多くの男の子たちが熱中したり関心のあったりする恋愛という出来事とは、かなりかけ離れたものであった。まあ仕方のない面はあるけど、これでは分かり合えないのもしょうがないな、と思う。大人になるとだいぶ事情は変わってくると思うが(そうそう、彼らは大人の男過ぎるのだ)、成熟しない男の子の魅力というのもあるはずで、パトロンならともかく、生身の同級生でこれをやれと言われると、いまどきの高校生の男たちは、かなり大変だな、と同情する。これだとたぶん病気になっちゃうんじゃないだろうか。
 映画の尺があるから仕方がないが、もっと細かく恋愛展開があるんだろうと思う。実際の生活と脳内の妄想というのは、やっぱりかなり時間のかかるものである。二時間の恋愛娯楽なんだから、もう少し頭をからっぽにして楽しむべきなんであろう。
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まだまだ宇宙を目指そう   君についていこう

2017-11-24 | 読書

君についていこう/向井万起男著(講談社)

 副題「女房は宇宙をめざした」。要するに宇宙飛行士として著名な向井千秋さんの旦那さんの手記である。千秋さんはドクターで、万起男さんも医者仲間。それで知り合って、そのうち付き合うようになって、そうしたら千秋さんが宇宙飛行士に応募して、NASAで働くようになっていくのだった。その旅立ちまでのプロセスが詳細に記録されているのが主だが、しかしながらこの万起男さんの視点がなかなか面白く、アメリカ文化比較としても、けっこう読み応えのある内容になっている。後に数々の著書を著すようになることからも分かるように、非常に文才があるだけでなく、構成もいいし文章のユーモアもたっぷりである。宇宙飛行士って大変だろうな、と漠然と思っていたけど、こりゃまた非常に大変だ。しかし、この困難さに対して、アメリカ社会がいかに前向きに取り組んでいるのかという事が、本当によく分かる。個人も大変だけどまわりのサポートもなかなか凄い。いわゆる日本人の献身的な概念とはまったく別の大らかなスケールのデカさがある。そうしてやはり、これがアメリカという国なんだなという事がよく分かるはずだ。宇宙飛行士になるんだったら、やっぱりアメリカでなった方がいいかもしれない。日本も宇宙開発進めて欲しいけど、リスクをもって人を飛ばすんなら、やっぱりアメリカ社会の方がいいかもしれない。そんなことまで考えさせられる内容なのではなかろうか。
 万起男さんは、宇宙飛行士の旦那さんだから、NASAからいろいろと恩恵を受けられる。特に肉親としてパートナーの立場は尊重されていて(婚姻しているとかは関係ないらしい。向井さんたちは夫婦だが)、千秋さんのご両親よりも優遇されている感じなのだ。日本人としては戸惑う対応でもあるのだが、万起男さんは米国に仕事を移して(そんなことできる人というのも凄いが)その特権を活かして、千秋さんのサポートついでに、大いにNASAの状況を詳しく教えてくれるわけだ。ご本人も凝り性のところがあるようで、NASAのことにも十分詳しい。そういう人が自分なりの小さい疑問や発見もしながら事細かに宇宙に飛び立つ前の状況を教えてくれるのだ。これは宇宙を目指す人がいたら、ものすごく役に立つ本なのではないだろうか。もちろん興味本位だけの人であってもぜんぜんかまわないのだけれど。
 今はスペースシャトルは無くなってしまったけど、宇宙を巡る状況はずいぶん変わったように見える。人が宇宙に行く意味というものがずいぶん変わったのかもしれない。そういうことも含めて、まだまだ読まれていい本じゃないかと思った。
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展開は複雑、人物は単純   007スペクター

2017-11-23 | 映画

007スペクター/サム・メンデス監督

 メキシコで爆弾犯を殺したボンドは、その殺した相手の葬式に出る。そこで爆弾犯の奥さんとデキたりもするが、影の組織スペクターと対決することになる。組織が狙う男に会いに行くと自殺されるが、その娘を守ることを頼まれる。今度はその娘とデキてしまうが、昔の恩人の息子が悪の組織の大将になっており、更にボンドが属する諜報機関解体の危機にも面しており、そういう状況を打破するためにカーチェイスなども派手に行うのだった。さらにヘリやセスナの運転なんかもしていた。
 内容は複雑なんだが、まあいいだろうという感じ。敵も手ごわいがジェームス・ボンドはカッコよく戦ってすっきりする。捕まってピンチを迎えたりするが、そんなにドキドキしない感じもした。漫画チックな活劇に徹するつくりになっており、ボンドが精神的に苦悩する姿はあまりない。そういうあたりは、近年の007シリーズとは少し感覚的に違ったものになっているかもしれない。個人的にはカジノ・ロワイヤルの無茶な感じや、前作の敵の恐ろしさなんかが良かったと思うので、この強すぎるボンドというのは(力では負けている場面も多かったけど)思い入れしにくいとも思った。展開はスピーディーで洗練されていて、まったく飽きさせないのはいいとは思うけれど。
 基本的にダニエル・グレイグ主演のシリーズは、とてもいいと思う。以前の007シリーズも娯楽に徹している楽しさはあったが、どこかB級感があった。そういうものを払拭して、深みのあるストーリーになってきたというのが一番良かった訳だが、ここにきて、以前のような原点回帰のアクションに徹して作ったという事かもしれない。今後のシリーズのことは僕は分からないが、それにどうせ見ることにはなるとは思うが、この展開は僕の好きになりかけたボンド・シリーズでは、残念ながら違う。これで主演が変わるという噂もあるようだが、ちょっとヒネたボンドの方が、僕には好みのように思う。まあ、そういう期待が世界的な傾向であるはずは無く、ちょっと悲しい感じはするのである。
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ラリったり酔っぱらったり

2017-11-22 | culture

 外国の映画を観ていると、時々普通に麻薬をやっている場面が出てくる。日本人の一部は、何か煙草でも吸ってんだろうと勘違いしている人もいるかもしれないが、キメている感じはある程度は伝わっているはずで、そういうものはアメリカの生活の一部を表している場面と考えていいだろう。彼らの庶民の日常の中に麻薬(ドラッグ)がある訳だ。
 害がどうだという話は置いておくが、そうなってくると、人が話をしたり付き合ったりする社交の中で、ドラッグ問題が出てくる。まあ、勝手にやってる分にはいいが、俺は遠慮するよ、って人もいていいが、それは面白い人間では無いかもしれない。実はちょっと上物もってるよ、というのは、気の利いたヤツという意味の株を上げるかもしれない。
 そういう背景が分からないために物語そのものについていけない、ということまでは無かろうが、だいぶ分かりにくいという程度は生まれるだろうと思う。実際にドラッグのためにつくられたと言われる映画はあって、例えばイージーライダーなんて、多少ラリってないと面白くないところもあるんじゃなかろうか。当然使われている音楽も似たようなもので、ラリっている気分を助ける音楽というのはある。映像と重なって、こりゃあいいなあ、という感じだろうか。もっともいくら米国の映画館であっても、マリファナ吸ったまま観ていい訳では無かろう。クスリ系をやるか、家でDVD鑑賞の時に楽しむのかもしれない。
 文化として違うのでどうにもならないが、日本でも酒に酔って観るような作品というのは無いではない。もともと観劇なんてものは、升席桟敷席なんてところは、弁当食ったり酒を飲んだりしたものだろう。酔うと掛け声をかけやすくなったりするかもしれない。今の時代は高級な遊びになっているので、べろんべろんで鑑賞するような人は少なかろうけれど。江戸時代までさかのぼると、けっこう観衆もへべれけで面白がっていたのではなかろうか。
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コロンボ、葉巻をやめる?   自縛の紐・刑事コロンボ

2017-11-21 | コロンボ

自縛の紐・刑事コロンボ/バーナード・コワルスキー監督

 フランチャイズのスポーツ・ジムを経営する男が、その経営の不正を暴かれそうになり殺人に至る。首を絞めて殺した後に着替えさせ、ベンチプレスが首に掛かって窒息したように見せかけたのだ。アリバイ作りに電話録音のトリックを使ったりなどもあるが、この事故死に見せかけたトリックをどう覆すか、というのが基本の路線になっている。
 犯人はスポーツマンで鍛えている。コロンボも捜査の関係上ジムに通って葉巻も酒も止めてしまう(と言っている)。スエット姿になって汗だくになって頑張ったりする。思ったよりすらっとしていて、あんがいピーター・フォークも若々しいものである。また、犯人を怒鳴りつけたり、なかなか激しい気性も表す。実際この犯人はいけ好かない奴で、ビキニ姿の秘書なんかもついている。でも奥さんはアル中で病院に入っていたりするが。基本的には金儲けがうまく行ったら、外国へ高飛びしようと思っていた。もう少しでやり過ごして逃げられたところ、予定が狂って殺人を犯してしまったという訳だ。そのような身勝手さにコロンボが怒るのも無理はない。
 しかしながら靴ひもを自分で結ぶ時と他人が結ぶ時と結び方が違う、なんてことをクドクド説明するというのも、確かにそうなんだが証拠としては弱い気もする。ベンチプレスの窒息とヒトが手をかけて窒息するのは、多少違った跡が残るのではないかという気もする。まあ、実際追い込んでいてお互いイライラしていて、ちょっと強引に幕を引いたという印象の残る作品であった。
 しかしながらコロンボがカミさんと電話で話をするシーンもあるし、何かものすごくローテクなジョギング・マシーンでトレーニングするシーンもあるし、昔のアメリカの生活もなんとなく楽しげである。トレーニングしてジュースを飲む。何が楽しいのかよく分からんんが、現代人とおんなじである。ダイエットに成功した方がカッコいいもんね。そういう意味では、みんな楽しんで苦労している人間模様は、あんがい今も昔も大して変わらないものなのかもしれない。
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警察組織の軟弱な精神の強力な暴力の記録   冲方丁のこち留

2017-11-20 | 読書

冲方丁のこち留/冲方丁著(集英社インターナショナル)

 副題は「こちら渋谷警察署拘置場」。表紙の写真は渋谷署の前で著者らしき男が腕を組んで映っている。
 妻へのDV容疑で拘置所に連行され、監禁された9日間の記録をまとめたもの。ファン・イベントの打ち上げをしている時に警察がやって来て、「ちょっと奥さんのことで…」と連れ出されたまま、拘置所に閉じ込められて尋問を受けるという拷問シーンが延々と続く。実際に暴力を振るわれる訳では無いが、言葉をはじめ様々ないじめを駆使して警察が自供を強要する様が見事に描かれている。面白いがかなり恐ろしい内容である。著書の側の主張だし、後に不起訴となっている事実から勘案するより無いが、おそらく妻への暴力は無かったにせよ、夫婦間で何らかの不具合というか不和があったのち、そのような訴えを妻かその妻の周辺の人が行った可能性があって、しかしその理由はまったく分からないまま拘留されて、罪を認めないから保釈もされないという窮地に陥ってしまう。保釈の為の一時和解金は3千万円という。社会的な地位をはじめ経済的な基盤をも失いかねない不確定な状態に置かれながら、いかにこの状況で平常心を保ち生きながらえていくのか、というサバイバルが描かれている。しかし著者にとって大変ラッキーだったことは、拘置所の同じ部屋の人間が良い弁護士を知っていたこと、拘置所に詳しいイラン人などが居たことなどがある。心を折ることなくこの難関を切り抜けられるだけの、何か妙な意志の強さのようなものも相まって、不確実さに怯えながらも、着実に国家による強大な暴力の中で自分自身を保って生きて行こうとしている。
 著者が何度も書いているように、この国の拘置所の在り方というものがあまりにもいびつなために、この手記を書かざるを得なかったという大義がある。日本の警察は優秀だという話もあるが、起訴される事件の2割は冤罪とも言われている。それくらいは少ないと考える人もいるかもしれないが、何もやっていない人がこのような拘置所体験を必ず強いられる制度というそのものは、前近代的な国家の罪が確実に存在しているという事になるだろう。そうしてそれらは、かなり改革が難しい分野なのである。本当には無能な集団では無いと思われるが、そのシステムを使う上では、限りなく無能な人間でなければ勤まらない仕事が警察組織にはびこっているという事だ。なんとなくは聞いていたことだけれど、どことなく他人事めいた話題であって進展しない問題であるが、実はこれほどの暴力を内包している日本社会というものは、もっと国民目線で反省し直し、批判すべきものなのではないだろうか。放置してしまう一般人の罪も、今一度考えるべきだろう。もちろん政治家もだけど。いや、政治家である彼らの方が、場合によっては危ない橋を渡っている訳で、もっと真剣になるべきではないだろうか。
 一瞬にして個人の人生を狂わせてしまう国家の暴力がまかり通る日本社会。恐ろしいがそれが現実のようだ。正義という名の下の権力の行使は、イスラム国とも共通する不条理な硬直した暴力なのだ。それが僕らを守っているお巡りさんたちの正体だというのは、どうにも複雑にホラー的な状況なのである。
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自己中でも悲しい   永い言い訳

2017-11-19 | 映画

永い言い訳/西川美和監督

 妻が友人と旅行に行ったバスが事故を起こし、そのまま帰らぬ人となった。驚きはするが、その時男は不倫のことの最中で、何か漠然とピンとこないような、悲しみが素直に湧いてこないような心情であった。作家としてデビューはしているものの、その後特にヒット作はなさそうだ。悲しい事故に注目が集まっており、復活のチャンスかもしれない。
 そんな中、同じ被害者家族である男から声を掛けられる。彼は長距離トラックの運転手である。子供は二人いて、妻を失い悲しみに暮れている。それにこの状態では、ちょっと生活が成り立たない感じだ。作家の男は留守中の子育てを一時的に請け負うことにする。何か疑似家族として、父親のような心境が芽生えてきて、それなりの充実感を味わうことになっていく。そんな折に妻の遺品の携帯電話が急に復旧し、夫(自分)にはこれっぽっちの愛情も残っていなかったことを知る。衝撃を受けるが、その晩下の子の誕生会の折飲みすぎて荒れてしまい、トラック野郎家族とも訣別してしまうのだった。
 基本的には我儘で小さい男である。衣笠幸男(芸中は幸夫らしい。ペンネームは津村啓)と同姓同名で、そのことが気に入らない。妻をはじめ昔からの知人などからサチオといわれるのが癪に触っている。見栄っ張りでかっこつけ。劣等感があるのに、それを悟られるのが何より嫌だ。平静さを装いながら、それで時々感情を爆発させたりする。日ごろはおとなしくふるまっているが自己中心的で、いわゆる相手の感情を上手く理解していない様子だ。
 しかし子供となら事情が少し違う。子供ながらの訳のわからなさに戸惑いながらも、何か子供の考えている事、親の期待に応えようと頑張っていることなど、傍で理解しながら接している。要するに自意識を過剰に振り回さなければ、普通にいい人間でもあるのだ。それがとても二枚目で、小説も書ける才能にも恵まれている。自分の立ち位置にイライラし、世間体を気にする小さい男に、すぐに陥ってしまうことになるのだ(でも、ある意味それこそ普通の男かもしれないが)。
 流石西川作品という見事な出来栄え。日本の映画監督で、一番信頼していい作家性の高い監督さんである。お話の組み立て方もいいし、時折ドキュメンタリーのような、臨場感のある場面もいい。そうでありながらドラマの次の予想がつきにくく、観る者を飽きさせない。嫌な緊張感と、それでもひょっとするとこれからは良くなるのではという期待も湧いてくる感じだ。前半あっさり消えてなくなってしまった、役者としては豪華な人たちのほとんどが復活しないお話の展開は、恐らく他では見ることのできない演出だろう。本当に見応えのある見事なドラマなのであった。
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吸血ヤマビル

2017-11-18 | 散歩

 ヤマビルは尺取り虫のように前後の吸盤を使って移動する。靴や衣服などから皮膚の露出した部分などにたどり着くと、先端の吸盤の口中にある歯で皮膚を切り(ほとんど痛みは感じないという)、吸血する。血液が凝固しないように、ヒルジンという成分を出すという。ヒルに血を吸われた後にも出血が止まりにくいのはその為である。一回の吸血により体重の6倍にまで膨れ上がる。その後主に産卵するらしいが、産卵しない場合(まだ個体が若いなど)1年以上に亘って絶食できる。雌雄同体だが、交尾もするという。
 僕は何度かヤマビルに血を吸われたことがある。首になんか付いていると言われてヒルだったこともあるし、足首もやられた。お腹の周りに吸われた跡が残っていたこともあるようだ。血を吸われて気付かずにいたときは、後の出血でびっくりという感じだが、特に痛い訳でもないし、やられちまったぜという感じで済む。まだ吸い付いている時に気付くと、触った感じが気持ち悪いし、場合によってはなかなか剥がれない(でも剥がれるが)のが困る。人間にとってはたいした出血ではないし、特に伝染病などを移されるという事も無いのだが、気持ちの悪さは何とも言えない。知り合いがやられた時は、山の中で怒り狂っていた。人間に好かれない生物としては、かなり上位にいると考えられる。
 しかしながら普段はひっそりとおとなしくしている訳だし、非常に効率よく環境に優しい存在である。気持ちが悪いというだけであって、見習うべきところもあるのではなかろうか。
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謎解きを解く人をもてあそぶ   ブラッド・ワーク

2017-11-17 | 映画

ブラッド・ワーク/クイント・イーストウッド監督

 原作小説があるらしい。そちらも傑作というが未読。実は観だしてから二度目の鑑賞と気付くが、それでもどんでん返しはちゃんと面白い。よくできたサスペンスの傑作だろう。
 主人公は連続殺人犯を追っているFBI捜査官。死体現場に血痕で書き残されている数字のメッセージの意味を読み解けず、悩まされている。ある時やはり殺人現場で、そのようなメッセージが残されていた。外に出ると、報道陣ややじ馬に交じって、犯人らしき足元を見かける。追いかけるが、その時に心臓発作が起こってしまい、取り逃してしまうのだった。そして、時は二年が経過する。心臓移植を受けて生き延びたが、合併症の予防などの為か多くの薬を飲みながら静かにボート生活をしている様子。そこに一人の女が訪ねてきて、移植された心臓の持ち主の姉だという。移植された心臓の女性は殺されたまま、犯人は捕まっていなかったのだ。
 既にFBIは引退していたものの、殺された被害者はいわば命の恩人であるし、その恩返しのような気持ちになって、独自に捜査をすることになる。管轄の警察には疎まれながら、何とか事件の概要を掴むビデオや資料を手に入れる。独自のプロファイリングの読みが、新たな捜査方向を生んでいる様子だ。当初はコンビニ強盗という行き当たりばったりの殺人に見えた事件が、何やら不思議な別の事件へのつながりを見せていくのだったが…。
 まさに、こんなことってあるのか! という驚きの連続である。凄まじいアイディアである上に、何というむごい人間模様であるか。会話はウィットにとんでいて、軽快に進むのだが、事実が次々に明らかになるにつれ、その事件の奇怪で重たいものに、まさに心臓に負担になるような気分になっていく。そうして犯人は、実に意外な人物に行きあたっていくのだった。
 まぎれも無く傑作娯楽作である。演出自体は淡々としたものだが、アクションシーンは手に汗握るし、人間模様もそれぞれになかなか興味深い。観るものは、恐らくさまざまな感情に揺さぶられることになると思われる。人間の倫理というのを嘲笑うかのような悪魔的な人間が、殺人鬼として身の回りに居たりすると、本当にたいへんな人生になるものだと恐ろしくなった。ひとの命は一回で終わる。しかし、その貴重な命をつかって遊んでしまう悪魔の人間がいるのである。お話としてなのだが、実に恐ろしいことである。そういうものが、ひょっとすると生まれてしまう危険のある人間社会というものも、考えてしまうのではあるまいか。
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神楽坂の石畳

2017-11-16 | 散歩
 なんかもう、車だと大変だろうな。



 上ったり下ったりという感じで入り組んでいる。



 交差点も斜めって感じ。



 石畳の路地があるな。





 風情ありますね~。







 高級そうな店がぼちぼちあったりします。





 普通の狭い通りが広く感じる。



 その先もまた細い石畳の道。後で知ったが、映画の撮影なんかでよく使われるそうだ。まあ、そうだろうね。







 狭いお蔭で車が少なくて歩きやすいですね。



 表に出ると人がずいぶん増える。



 もう駅が近いんだろうな。



 人の歩くスピードも速くなる感じです。



 神楽坂終了。

 さて、電車に乗って移動しました。駅から出たら首相官邸。


 
 ぶらぶら昼飯の問題を考えていたが。



 なんとなく面倒になって抜くことにした。このあたりって昼飯どころどこも多いんですよね。腹いっぱいも食べたくないしな。



 会議は三時間。僕の発言二分半。そんなもんなんですよ。

 で、後は夕方人が多くなるのでもう帰ろう。



 多くなると大変なところなので、なんとなく急いでしまう。



 田舎だと一時間に一本の汽車を待ってもなんとも思わないが、東京だと3分も来ないとイライラしちゃう。人間って変な生き物だと思います。まあ、僕が自己中ってだけなんですけどね。



 羽田についたらもうクリスマスの装い。年が終わるのって、なんだか嫌な感じだよな。そういうのはいつの間にかそう感じる年頃ってことなんでしょうかね。





 空港も今の時間は人が多い。みんな忙しいですね。



 これは愛ちゃんなんだろうか。



 余裕持って最終便にしたけど、疲れちゃったな。

 それではみなさん、ごきげんよう。


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