カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

壱岐いったっす

2018-01-31 | 散歩
 
 今回の出張は歩いて飛行機まで乗るようなところ。



 12月に会議予定があったが、この飛行機の一つが調子悪くなって飛べなくて断念し、再調整で行くことになったのです。いろいろ端折るが、それなりの思いもあります。忙しい時期だし。

 でも飛行時間は正味20分くらいかな。ベルトサインが消えていた時間は4分くらいだったそうで、水平に飛んでたのはそれくらいだったのだろうか?

 着いちゃった。一応見えている建物が空港のようです。



 一日目は移動日で、タクシー乗って宿泊地まで。農耕地が結構広くて、これは栄える島なんだろうな、などと思いながら移動してました。
 ホテルに着いたらもう外は暗くなってた。



 ホテルの玄関にはカエルさん。



 ちょっと歩いて食事です。



 お仲間の人がいろいろ調べてくれてまして、ついて行くだけです。



 冷奴だったけど温めてもらって食べた。この日は寒かったんですよ。



 刺身(これひとり前)。



 壱岐牛食いました。



 他にもなんか焼いてもらったりしたはずなんだけど、既に真剣に飲んでて、たぶん写真撮り忘れた。



 まだ寝るには早い時間。次の店を探しましょう。

 それでサザンオールスターズが歌うような名前の店と、花札の遊び方のような名前の店をハシゴした。







 この神社が露骨にエッチでびっくりした。まあ、伝統のなせる業で、今ならセクハラ騒動で大変なことになりそうです。




 とにかく水をたくさん飲んで寝たけど、完全に二日酔い。苦しい朝でした。



 という事で散歩します。







 放し飼いの老犬も散歩しててつかず離れずでしばらくおりました。







 あの橋を渡ってみよう。



 まずはくぐります。



 階段登って橋の上からの眺め。





 反対側まですぐですばい。





 昨夜はその奥くらいで飲んだバイね。



 やっぱり橋渡らんとホテルには帰られません。



 寒かったです。


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刺青より前に気づけよ   はやぶさ奉行

2018-01-30 | 映画

はやぶさ奉行/深田金之助監督

 片岡千恵蔵主演の遠山の金さんシリーズの12作目らしい。たまたま録画していたものをぼんやりと観る。ずいぶん型にはまった演技だなというのと、女優さんたちがたいしてきれいでもない。昔の芸能の世界は、今のような競争があまりなかったのだろうか、などと考えてしまった。いや、何かの基準が今とは違うのかもしれない。もちろん僕の感性も含めて。
 見世物小屋で殺人が起こり、通り魔殺人なんかも立て続けに起こる。どうも大工が殺されているらしい。日光で職人を集めて何かを作っているところに金さんが職人のふりをして忍び込み、探りを入れようとするのだったが…。
 見世物小屋の見世物が巨大水槽で女が泳ぐアトラクションだったり、巨大な時計仕掛けで将軍を殺そうとしたり、やっていることはハリウッドのB級映画のような現代的なものである。片岡千恵蔵は芝居小屋の旅芸人のような大げさな演技で、科白回しもわざとらしい。歌舞伎を多少くだけてやっているという感じだろうか。とにかく大勢が死ぬのだけれど、血しぶきが激しく飛ぶ訳では無いし、舞台の上で人々が舞っているような感じである。そういうものだと言われればそうだろうけれど、やっぱり昔の映画なのかもしれない。久しぶりに観ると、そういうところも面白いとは思うけれど。
 遠山の金さんは子供の頃からテレビではおなじみだった。古い記憶では中村梅之助もあるが、基本的には杉良太郎が長かったようにも思う。ワンパターンだから子供にとっては飽きてしまうたわいもない話ばかりで、大人を馬鹿にする材料として見ることもあったかもしれない。何しろ街中で金さんとして馴染んでいた男が、奉行所で面を上げると座っている。それでも悪党は気付かず、もろ肌を出して刺青を見せると驚いて同じ人物と分かるような連中が、とても滑稽なのだった。まあ、そういう話なんだけどさ。みんな馬鹿でどうかしてるよ。
 僕もそれなりの昔の人間だが、こういう芝居でカタルシスがあるというのはよく分からない。皆金さんの活躍で溜飲を下げるというのがあるんだろうけど、大人になるまでそういうものだというのは、僕にはよく分からなかった。いまだに基本的には分かっていないのかもしれないが、何か世の中に恨みの多い人生を送ると、金さんのような人を欲するという心情が生まれるのだろうか。昔の日本人はミステリーである。
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ガマンして喰うべきか

2018-01-29 | 

 大手のチェーンで無い店で飯を食おうと入ったら、やたらと色紙だらけというところがある。いったい誰だ? というのばかりだが、恐らく有名人なんだろう。たまに真面目に名前の読める人もいて、たとえばスポーツ選手だったりして、なるほど、と思う。くだけたサインでも分かる人がいるので、そのあたりは頭の良さというかセンスの違いかもしれない。分からなく書いてカッコいいと思っているような人は、その程度のものかもしれないじゃないか。まあ、たくさん書かされてめんどくさいのと、字が本当に下手というのもあろうが。
 しかしながらこういうのを書かされるというのは、生きた心地がしないだろうね。本当に気の毒だ。おっと、有名人が食べに来たね、何食うのかな? というのもあるんだろうし、ちゃんと食ってるかな、とか、行儀はどうだろう、とか、いろいろ観察されるんじゃないか。また、色紙書いてくれといわれて出された食べ物を、どんな顔して食べりゃいいってことになるか…。
 談志が弟子と飯を食ってて、いわゆるたいして旨い店では無かったらしい。そうしたら店の人から色紙を書いてくれ、とやられた。談志は色紙に「ガマンして喰え」と書いたという。そういう色紙が飾ってある店があるとしたら、それはそれで立派という気がするが、まさかトンマということもあり得るので難しいところである。見てみたいですが。
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もの凄く賢い純粋さ   パディントン

2018-01-28 | 映画

パディントン/ポール・キング監督

 英語を話せる熊の子供がロンドンに行ったらどうなるか? という話。児童文学に原作があるらしい。まあ、あちらの国では有名な話なのだろう。
 南米から客船に忍び込んで苦労して海を渡りようやくロンドンにやってきた熊の子だったが、駅についても誰も見向きもしてくれない。いくら丁寧な英語を話す熊でも、厄介事はごめんなのだ。しかしある家族が父親以外この熊に興味を持ち家に連れ帰る。言葉遣いは丁寧だが熊であるから、そこでいろいろと騒動が持ち上がる。さらに隣人は熊を毛嫌いしているし、この珍しい熊を剥製にしたいと狙う謎の女性も現れるのだった。
 基本的にドタバタコメディだが、熊だから非常にかわいい。外国では熊に対して異常に愛着を抱く人々がいるようで(サーカスの影響だろうか?)、その熊が言葉を話し活躍することで、いい気分になるんではなかろうか。僕は日本人なのでその半分もその感情は分からない感じだが、彼が日本語を話すというのなら、少しは心が動かされるかもしれない。でも熊は大変に怖い動物だから、やはり共存は無理かもしれないが。
 それにしても実写映画で、このような特撮の熊が人間と一緒に演技しても、違和感が大変に少なくなったものである。長生きはするものだ。科白回しと口の動きもかなり上手くいっている。アニメーションでもこれはあんがい難しい訳で、大変にきめ細かい配慮とつくりと言えるかもしれない。最初は人間社会に警戒の強さもあったが、都会ではそれが解けてしまうというのがお約束だが、そういうファンタジーを楽しむにはこれしかないのかもしれない。また、この熊が必ずしも自己中心的な馬鹿で無いところも、物語が気持ちよく成立する重要なところかもしれない。騒動は起こすが許されるというのは、ある意味で人間以上に賢いからである。確かにかわいいし。
 ちょうど続編も上映中のようだ。たまたまそういうタイミングで観たが、さて、映画館に行くのかどうか。僕の距離感はそんな感じだった。
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間違いが修正できない思い込みへ

2018-01-27 | HORROR

 イスラエルのドキュメンタリー「バスターミナル死の真相」というのを見た。インタビューと監視カメラに写された映像を基に編集されたものだ。
 バスターミナルのトイレ付近で突然銃声が聞こえ人々が逃げまどっている。すぐに警察や軍関係者だと思われる人間が集まってくる。そうした中で一人の男が警備員から撃たれ倒れる。その場所が監視カメラの前だった。
 血だらけで倒れている男は何か言おうとしているが、人々は逃げながら最初は遠巻きにしている。その内誰かがその男を蹴ったりしている。おそらくテロリストの一人が撃たれたと思われたのだ。実際にはテロリストはトイレから外に逃げ、最終的には射殺された。撃たれた男は、単に間違われて撃たれてしまっただけなのだ。何発かの銃弾を受けているものと見えて、倒れている場所にも血が広がっている。しかし一度誤認された被害者は、大衆からはテロリストにしか見えなくなっている。一部保護しようとしている人もあるが、その隙間から物を投げたり唾を吐いたり、そうして時折激しく蹴り上げる人もいる。椅子を投げつける人もいる。体を撃たれて逃げられない男を、容赦なくリンチに掛けていく。止めようとしている人間を突き飛ばして暴力をふるいたがる人までいる。最終的には救急隊が来る前に、致命的なダメージを受けてしまったようだ。
 たまたま移民の男が逃げている最中に警備員に誤認されて撃たれてしまい、不幸なことにテロの恐怖から群衆がパニックを起こし、最終的に殺されてしまう映像だった。
 相次ぐテロのために人々に憎悪が蓄積されていたという現実もあったろう。そうして誰が被害を受けるかわからない恐怖感もあるに違いない。銃声は聞えるが相手の姿は見えない。そうした中で少し様子が違う移民が一緒に逃げている。しかし彼はサンダル姿なのだ。そうして当たり前だが丸腰だ。しかし彼がテロリストかもしれないというちょっとした疑念は、容易に増幅し修正されることが難しくなっていく。苦痛に助けを求めもがく姿でさえも、その憎悪の対象から免れることができないのである。
 対立から生まれている群衆の心理は、このようなパニックで鋭利にされてしまうのかもしれない。見ている人間はこのやりきれない映像に嫌悪と怒りを覚えるが、その時の正義のような空気は、うまくこちらに伝わらないものかもしれない。まったく人間とは恐ろしい生き物であると改めて思い知らされた。
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受難の日々を忘れない   チョコレートドーナツ

2018-01-26 | 映画

チョコレートドーナツ/トラヴィス・ファイン監督

 題名から類推してスイーツな話だと思うと裏切られる。この映画に出てくるダウン症の子供が好きな食べ物がそれである。そして映画の内容は、同性愛のカップルの生き方という事になろうか。
 ショーダンサーと弁護士のゲイカップルが、アパートの隣に住むジャンキーの育児放棄の子供を預かり一年間だけ育てていたが、ゲイであるという事で取り上げられてしまい、子供を取り返すために裁判を起こす。その裁判でゲイであることを散々非難されながらも闘いぬこうとするのだったが…。
 育児放棄の子供に知的障害があり、本人が自分のことを第三者に上手く伝えることが出来ない。母親との親子の関係もあるが、一次育てられたゲイの二人との相性が悪い訳では無い。映画では、できれば一緒に住み続けたいという気持ちはあったようにも演出されている。しかしながら、そのことを上手く表現する術もないし、確認するのが困難であるという設定なのだと思う。だからゲイの二人は、その偏見を跳ね返す為に、本人の援護が無いまま戦わなくてはならないのである。これは誰が考えても苦しい状況だ。客観的に育児能力がある証明と、あえて障害児を引き取る(専門施設に保護されているようだし)という事を、裁判所がどうやって認めるのかということも、当時は極めて難しいのであろう。
 今の時代の目線からいうと、とても考えられないくらいの偏見に晒され、ひどく傷つけられるだけの二人の姿が延々と続く。まるで宗教の受難のようだ。そういう社会で邪教の人がどのような立場になるか。精神的な拷問が、これでもかというような感じで続いていく。ゲイのカップルといっても今の目線からいうと非常に分かりやすく、片方は女性である。元男であるというのは分かるように表現されていたが、女性と男性のカップルと何の違いも無いのだから、一体何の問題があるのかさえ僕にはよく分からない気もした。今の時代はその境目すら第三者にはよく分からない方が普通になっているようなので、とても古い時代の映画のようにも感じられる。偏見と暴力の表現もあからさまで、こんな状況で生きて行くのはとても不自由である。そこは米国的な強さがあってこそ、というような感じもあって、強くなければ生きられないという気分にもなった。もっと弱くても、小さく頑張っても良いという話では無いのだろうけれど、攻撃には攻撃で対抗するしかないような、そういう印象も受けた。結果的にこのような結末にならなければ、彼らはどうなってしまったのだろうか。悲劇であるが、それでなければ映画にはならなかったのではなかろうか。
 もちろん啓蒙映画としては、現代的に優れている。今も苦しんでいる人の多いだろう国の人々には、観てもらわなければならない作品かもしれない。
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大手で無いコンビニ

2018-01-25 | 

 テレビ見てたら、北海道のコンビニで弁当を売っているところだった。弁当を売っているコンビニというのは当たり前だが、その店はちょっと感じが違う。店内で焼き鳥を焼いていて、客が自分でたくさんよそおった大盛りご飯にその焼き鳥を載せてくれるのだった。北海道は寒いというのがあるだろうし、サービス精神が旺盛というのもあるのかもしれない。他にもコンビニらしい商品もあるようだが、店を訪れる客の目当ては、圧倒的にこの弁当のようだった。
 その時はそんなに疑問に思ってなかったが、他県から仕事の都合でやってきた人が、ここは焼き鳥といって豚肉なんですよ、といっていた。要するにこの焼き鳥弁当は、豚バラをタレで串焼きにしたものを焼き鳥弁当と言っているようだった。他に鳥の串焼きのようなレパートリーがあるのならともかく、豚バラだけなのに焼き鳥というのは確かにおかしいような気がする。東京あたりには焼きトンという店もあって、ちょっと厳密過ぎてどうなんだろうという気もしていたが、やはりそれだけであるなら、焼き鳥というのはちょっとどうかとも思われる。焼き鳥屋でバラを売っているのは普通のことだけれど、バラのみを売っている焼き鳥屋はあまりないのではないか。
 もっとも僕はそんなことは特にこだわるものでは無い。こだわるとしたら、この弁当のタレ焼きのみというのは気になるところだった。豚バラなら塩焼きの方がいい。塩だれというのもあるようだったが、やはりタレで焼くのは特に興味が無い。塩コショウで焼いた豚バラだから旨いというのがあるのではないか。さらにどうしても串に刺して焼きたいというのがあるのかもしれないが、それをご飯に乗せて食べるというのが、やはりなんとなく抵抗がある。やはりご飯にタレがつくというものを喜んでいる文化があるという事なんだろうけれど…(ウナギのなどの蒲焼のこと)。
 しかしながら北海道には、大手のコンビニ以外のコンビニが生き残っているというのがいいと思う。僕の住んでいる町などは、コンビニというのは大手しか存在していない。そういうのは時には文化的に寂しいというか。また住民が、大手が来たときに喜んでいたことも知っていて、本当に田舎臭い感じだな、とも思う。当初は町の商店が、以前の看板のままコンビニ化していったところもいくらかあったものだが、ほとんど消滅していったのである。確かに個人のスーパーで生き残っているところも無いではないが、事実上お惣菜屋さんで、また法事の時の昔ながらの茶菓子以外に商品が動いている気配が無い。また客が超高齢化していて、彼らが亡くなったらこの店も無くなるのかもしれないなという感じである。生き残っている店に入っても、とても寂しい気分になるのだった。
 まあ、あんがいインスタ映えする感じもあるんだけどね。奇特な方は、遊びに行ってみてください。
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悪ぶっているけど本当に馬鹿なのか   ジャッキー・ブラウン

2018-01-24 | 映画

ジャッキー・ブラウン/クエンティン・タランティーノ監督

 実は二度目の鑑賞。一回目はもうずいぶん前だ。だからなんとなくしか覚えてなくて、ちゃんと楽しめた。さらに以前はそんなにこの映画の良さが分かってなかったところがあって、多少大人になっていい加減になった分、理解は深まったかもしれない。勘違いかもしれないが…。
 原作はエルモア・レナードの小説が元になっているようだ。そちらも未読。銃の密売人の手下のボーマンが警察に捕まる。今度の刑は重くなりそうで、量刑を免れるために自分が警察に売られると察したオデールは、保釈金を積んで保釈させたのち口封じに殺してしまう。しかし既に少なからぬ情報を警察に漏らしていたらしく、金の運び人であるスチュワーデスのジャッキーも現金輸送現行犯で捕まってしまう。そこでやはり司法取引を持ちかけられるのだが…。
 タランティーノらしい悪い奴らがたくさん出てくる。保釈請負人の男だけは少しまともそうで、しかし保釈されてきたジャッキーに一目ぼれしてしまって、彼女を助けようとする。黒人社会の事はよく分からないので、カセットテープで黒人音楽を聞いたりしてお茶目である。
 確かにアメリカ社会の中で黒人の文化というのはしっかりあるはずだが、日本に伝わってくるものはあんがい少ないような気もする。もちろん今はヒップポップのようなものが売れたりして、少しくらいはエグザイルのようなものの中に文化的に伝わっているとは思う。もちろんほとんど勘違いだと思うが、とにかく遠いものだし分かりにくいというのがあると思う。タランティーノは映画オタクだから、昔のエロ目的に作られた黒人もののB級映画をたくさん見たのだろうと言われている。そういう分野のスターがパム・グリアで、彼女を主役に据えて、そのような黒人映画を現代風に再現したかったのだろうと思われる。いくつもの思惑が交錯して妙なミステリ作品になっているけれど、雰囲気としての黒人感というのがビシビシ伝わってくる変な映画になっている。音楽だけはやたらにカッコよくて、そういう雰囲気だけで内容があまり伝わらないのだが。
 悪い奴らの馬鹿げた会話が延々と続くので、一体彼らの中で誰が一番賢いのかよく分からない。気持ちが通じ合っているのかどうかも、僕のような日本人には分かりにくい。馬鹿にしたりされたりして、時にはキレて暴走する。そういうのが面白いかと言われたら、タランティーノの悪ふざけ過ぎだと思わざるを得ない。それが好きで観ているのだけど、やっぱり本当には好きではないのかもしれない。タランティーノには頑張ってもらって、またパルプ・フィクションみたいな傑作を作ってもらいたいものだ。もう無理なのかもしれないけど、そういう期待だけで、また次作も観てしまうのだろうな。悲しい。
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ビバ、ノンノン

2018-01-23 | 掲示板

 特に温泉好きでは無い。知り合いには、温泉という響きだけで興奮するような人々もいるようだが、あれは何だろうと冷めている。行けば温まっていいのだろうが、精神は冷えている。
 好きではないと言いながら、嫌いでもない。確かに温泉は気持ちいいし、だいたい温泉に行くようなシチュエーション事態に、楽しいものが満載である場合が多い。研修会場が温泉宿だったら、これはもう遊びに行くようなものだ。別に温泉会場でなくても楽しい場合があるのに、温泉会場なら最初から人々はくだけた気分になっているような気がしないでは無い。
 でもまあ、この温泉だけを切り取った楽しみと言えば、懇親会(夜の食事)前の時間に入る風呂であるだけのことである。大きな浴槽や露天風呂も萌えるが、何しろ僕は目が悪いので、だいたいの配置をいちいち確認し、ざぶんとやれば環境が違っても湯の中であるという状況に極端な違いは無いような気もする。まあ、ゆっくりしているが、いつまでも入っていられない。
 時間に余裕があれば、サウナに入る事もある。これもあれば入るという関係で、好きだが絶対必要な関係では無い。心臓がドキドキして、生きてて良かったな、と思う。いつかはこれで、死ぬかもしれないが。
 若い頃は温泉が好きだったのである。それはなんとなく色気の期待のようなものがあったせいかもしれないと思う。もちろん男だけで風呂には入るが、まあなんというかその先もあるようなというか。
 つれあいは温泉が苦手のようだ。付き合いで行かないではないが、湯船につかると具合が悪くなる場合があるという。時には苦役のような付添の場合もあるようだし。
 そういう事なので家族で温泉の選択はあまりない。無ければ無いで何か不便ということは無くて、温泉娯楽の真髄は分からないままかもしれないな、と思う。ただし大きなお風呂というのは気分がいいのは確かで、温泉だろうと銭湯だろうと、やっぱり広いのはいいなあと思って機会があったら楽しんではおりますが。
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見えてしまう人、先に分かりすぎた人   世界は分けてもわからない

2018-01-22 | 読書

世界は分けてもわからない/福岡伸一著(講談社現代新書)

 新書を読んでいたはずだが、何かそれとは別の小説の世界に入り込んだような気分になる。あるいは時にとても詩的なものにふれるような。それでいて、確かに知的な知識もたくさんちりばめられている。日本語として洗練された文章でありながら、どこか外国人の書いたミステリ小説のような構成もある。絵画の遠近を確かめるように、離れたり近づいたりしてものの見方が変化する。そうしてそういう見方に改めて気づかされて、ハッと驚いたり目から鱗が落ちる。噛み砕いて書いてあるのに、上手く嚥下するのはそれなりに難しい。そんなに簡単に理解してしまっては、いや、とてもその核心まで本当に理解できるまでは、本来ものすごく遠い道のりがあるのではないか。
 海外まで出かけていって絵画を観るという経験は無い。たまたま海外で絵画を見たというのを別にすると。しかし、絵画というのは、やはり出かけていって見た方がいいのかもしれない。福岡さんはそうして実際に描かれている絵のミステリを紐解いている。二つに分けられた絵の意味は、わけられた後に人が勝手に意味をつけていた。そうして分けた絵が一つになると、恐らく当初書いた本人の意思が見えてくる。分けてしまったために、違う意味を我々は受け止めてしまったのだ。
 同じものを見ていても、人が何をそのものから受け止めるのかという事には違いがある。人は見えたものをそのまま見えていると考えてはいけない。むしろ今見えている物事でしか物事を判断しないために、多くのことを見逃しているのかもしれない。星座を見て意味を読み取るのは、目が悪い所為かもしれない。もっと遠くまで見渡せる目でみると、星座の意味は消えてなくなってしまうものかもしれない。
 しかし人間というのは、そういう自分の立ち位置でしか、物事を見たり考えたりすることが出来ない。子細に細分化された部分を見て、そのモジュールの働きのみで、そのものの本質を分かるというのは、時には大変に本質から外れることにもつながってしまう恐れがあるのだろう。そういう生き物である人間というものの悲しい物語が、この本に描かれている科学の世界なのかもしれない。
 しかし研究者は、このものの見え方の世界にどっぷりとつかった人々だ。ある意味で大変に正しく、そうしてある意味で大変に危険な世界に生きている。そうして意味を見出すことのできた最初の人に、大きな栄誉があたえられる。時間軸で言えば、大変に狭い瞬間の中に、人は生きているのであろう。そうしてそれが、恐らくたまらなく人間的には魅力的なものなのであろう。頭のよすぎる人々は、そうやってしのぎを削って、ものの見方を必死で考えている人々なのだろう。
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ディンゴはかわいいが

2018-01-21 | 雑記

 オーストラリアにディンゴといわれる野犬がいる。オオカミで無く人間に連れられオーストラリアに渡って来たものが、野犬化したものと考えられている。先住民のアボリジニに飼われていたものもあっただろうが、やはり野犬化した。性格は獰猛で人間を襲うこともあるようだ。単独の行動もあるが、群れをつくって狩りをする。また、フレーザー島といわれる砂の島(植物や胡もある)にも住んでいる。オーストラリアの野生生物の頂点に立つ存在である。
 見た目が犬であるから非常に可愛らしい。子育てを集団でやることも知られていて、役割分担があるようだ。一日に40キロ移動すると言われ、そういう範囲の縄張りがあるようだ。
 また犬なのに魚を獲る事でも知られている。波打ち際にいる魚を獲って食べる。
 やはりオオカミと大きく違うのは、他の群れの個体であっても、必ずしも敵対して殺し合うとは限らないようだ。もちろん縄張りがあるので対立はあるようだが、オオカミのように激しく殺し合わないようだ。もちろんそれでフレンドリーな関係性であるとは言えないが。
 日本にもかつては野犬やオオカミがいた。今は絶滅し、家イヌが野犬化しても保健所が直ぐに捕獲してしまう。もちろん人にとって危険であるという認識がある為だが、生きることが許されない存在であるという事かもしれない。
 しかしながら家畜を守る為にフェンスが張られているのも事実で、中に入ったディンゴは射殺される。人間と共存している訳では無いのだ。やはり映像で見ている分には可愛い存在という距離感で付き合うより無いのかもしれない。
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昨年観たお勧め映画(17)

2018-01-20 | なんでもランキング

 また今さら企画。

 年末に観た映画に印象に残るものが多かった。

 特に素晴らしいと思ったのがこれ。
黄金のアデーレ・名画の返還/サイモン・カーティス監督
 実話をもとにした映画は怪しいものが多いが、こういうものなら満点だろう。単純な反戦モノに終わらない、実に現代的な物語になっている。今の世の中でなければなしえなかった奇跡があるという感じである。演技も素晴らしいのではないか。大人が鑑賞するなら、このような映画にすべきである。

 この作品もお勧め。
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男/ジェイ・ローチ監督
 アメリカ社会は多くの過ちを犯してきたが、それにも屈せずに這い上がってくる人々もいる。いや、多くの人はいやおうなく潰されてしまったが、不屈の精神の人がいるという事か。まったく凄いことである。

 今気づいたが実話ものが三つつづいた。やはり事実は小説より奇なりなのか。
ショコラ 君がいて、僕がいる/ロシェディ・ゼム監督
 フランスでも黒人は苦しんだ。そうしてもがいて生きた人がいる。ちょっとイラつく感じもあるが、時代の中で正直に生きるとこういうことにもなるのかもしれない。お孫さんたちはどうしておられるのだろうか?

 これは普通の年だと第一位だったかもしれない。さすが西川監督という感じ。
永い言い訳/西川美和監督
 ただし、観てスカッとする類の映画では無い。そういう意味では危険な話なのだ。しかし、良い映画は観られるべきなのだ。

 これはちょっと強烈という気もするが、気分が悪くなっても観るべきかもしれない。
灼熱の魂/ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督
 こういうアイディアを考えついても気分が悪くなったりしないのだろうか。恨みの連鎖というのは、簡単に無くなるものでは無いことがよく分かるのではないだろうか。
 
 政治家がカッコよすぎるけれど、面白いものは仕方ない。
シン・ゴジラ/庵野秀明・樋口真嗣監督
 コジラってこういう話にも出来るんだな、という事で、素直に感心してしまった。

 普通はおバカ映画だけど、いいんではなかろうか。
ヒロイン失格/英勉監督
 娯楽としての映画に徹していて、楽しかったのです。

 これはコメディと思って観ていて、大変に感心させられた。
殿、利息でござる!/中村義洋監督
 非常にいい話である。子供は観るべきではないだろうか。また行政や政治家も観るべきではないだろうか。

 こういうコメディもありなんだな。
あやしい彼女/水田伸生監督
 若返るっていうのも、こういう話なら悪くない。面白いです。

 これはなかなかいい映画ではないか。
ヒメアノ~ル/吉田恵輔監督
 グロテスクだけど、いじめ問題を真正面に考えているような気もする。ちょっと行き過ぎていて恐ろしい。

 これは僕にとってはホラー映画に近い。
さざなみ/アンドリュー・ヘイ監督
 どんどんすれ違う人間の感情に、年をとっても惑わされる危険があると知った。恐ろしい。

 ホラー色はあるがいい映画だ。黒澤(清)作品は、たまにこういうことが起こる。
岸辺の旅/黒沢清監督
 海外でも盛り上がったらしいが、日本人にもわかる話である。変ではあるけれど。

 この映画は迫力勝ちである。あちらの人の演技は、ほんとに上手いな。
レヴェナント/アレハントロ・ゴンサレス・イニャリトゥ監督
 ディカプリオってやっぱり上手い俳優さんだよ。ちょっと寒そうだけど。

 コメディですよね。でも実話らしい。スゴイ。
偉大なるマルグリット/グザヴィエ・ジャノリ監督
 こんな人がいるのは迷惑だが、面白いからいいのである。

 正直言ってもう見たくないが、それは拷問が多すぎるから。
沈黙―サイレンスー/マーティン・スコセッシ監督
 しかしだからといって悪い映画では無い。やはり落とせない作品として。
 

 昔の映画だけど、改めて見て感心したいくつか。
 この映画は何故か見落としていた。素直に面白く、話がどんどんでかくなって行ってどうなるんだ? って感じで最後まで行けます。
目撃/クイント・イーストウッド監督
 
 これは素直に傑作。
ゼイラム/雨宮慶太監督
 しかし、オタク的な感心と思われてはいけない。人間は努力で道を切り開けるという事が教訓的に分かる。お金だけがすべてじゃない(製作費として)。

 ほのぼのとしたラブコメ。昔のアメリカ人は純情である。そして女は奔放で悪い(それが魅力的なんだが)。
男性の好きなスポーツ/ハワード・ホークス監督

 前にも観たことがあるが、大人になってみると、また一段と味のある映画。いや、こんなに面白い映画だったんだな、と非常に感心しました。
ペーパームーン/ピーター・ボグダノヴィッチ監督

 
できれば見なくてもいい酷い出来栄えの映画も紹介。
マッド・マックス~怒りのデス・ロード~/ジョージ・ミラー監督
 だけどこれはこれで楽しいとは思う。馬鹿でいいならこれもありだ。人間成長がすべてではない。馬鹿でも生きられる社会がいいのだろう。

 これは酷いので見なくてもいいだろう。よくもまあこんなひどいの作れたものだ。でもたぶん真剣にやってたんだろうな。信じられない感性です。
アフター・アース/M・ナイト・シャマラン監督

 これも酷過ぎ。時間をつぶして自己嫌悪に陥るに違いない悪魔的酷さ。
ギャラクシー街道/三谷幸喜監督



 さて、最後には捨てるには惜しい。作品をいくつか。
いしゃ先生/永江二朗監督
 これはいい話じゃないですか。平山あやって人はおバカな人だと思ってたが、大変に失礼しました。とても知性的なんで良かったです。

ブリッジ・オブ・スパイ/スティーブン・スピルバーグ監督
 淡々と理屈を貫く姿勢が描かれている。冷戦っていうのはアメリカにもずいぶん問題あったんだな。一応終わって本当に良かった。

リップヴァンウィンクルの花嫁/岩井俊二監督
 なんだろうこれは。っていう不思議さもあるが、岩井ワールドなんだから仕方ない。世間がものすごく狭い。

海よりもまだ深く/是枝裕和監督
 なんだろうこれは。っていう不思議さもあるが、是枝ワールドなんだから…。ひとの心理は深いですな。
 
ハドソン川の奇跡/クイント・イーストウッド監督
 これだけ知られた事件が映画として再現されて、なお面白いんだから凄いことである。終わった後もいろいろあったんだな。

 という事で、今年も面白い映画にあたるといいですね。
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泉岳寺

2018-01-19 | 散歩
 まだちょっと時間はあるみたい。進行方向で行ったことが無いところはどこだろう?





 方角がちょっとわからん。



 坂道をちょっと登ると、ありました。



 門前町というか、おみやげ屋もある。



 大石内蔵助銅像。



 そう、ここは泉岳寺。
 赤穂浪士の墓がある事で著名です。出張の度に素通りしてる駅に、降りたのは初めて。ま、ほとんど品川って感じだけど。





 墓参り、いきますか。



 並んでますよ。







 少し立派なのが大石内蔵助の墓らしい。



 そして浅野内匠頭の墓。



 墓参りも済ませたんで、適当にブラブラします。



 NHK交響楽団って書いてあるみたい。ここで練習するんかな。





 道路標識に魚籃坂って書いてあるんだけど、寺もあった。



 地蔵さんもいる。



 境内には塩地蔵ってのもあった。僕は佐藤なんで親戚みたいなもんかな。違うか。



 寺町らしくて他にもたくさん寺があるらしかった。



 下ったら、また急な登り。



 公園もある。




 保育園がいくつかあるようで、子供の声がけっこうしていた。



 旧細川邸のシイだとさ。







 静かな通りである。



 都営のアパートの脇に赤穂義士の切腹の跡というのがあった。門は閉まってた。



 アパートはなんとなくモダンでした。



 通りに出ると虎屋って古そうな店があった。和菓子屋らしい。閉まってた。



 時計を見ると時間切れかな。ボチボチもどりますか。







 ちょうど「なか卯」があって、丼ぶりじゃなくて蕎麦食った。





 翌日万歩計確認したら、久しぶりに2万歩越えでした。

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神田から秋葉原

2018-01-18 | 散歩
 さて、さらに近所の名所と言えば、しれてます。



 ほらほら、もう人がたかってますよ。まだ新年ってのがあるんでしょうかね。



 でもまあ、少し遠回りします。





 実は折り紙会館ってとこまで行ったんですが、なんとなく女子的で入る勇気無かった。
 結局戻りました。







 なんか行事やってるようで、裸の男たちがなんか叫んでました。神事があるんでしょう。















 あとは秋葉原駅が近いはずだから、ぼちぼち目指していこう。



 万世橋に近いですね。




 アキバっぽくなってきた。







 昔は万世橋に駅があったんだってさ。









 秋葉原駅に近づくと電気とメイドの広告がいっぱい。





 電車でサヨナラです。



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ニコライ堂

2018-01-17 | 散歩
 オフィスとしてのビルもあるようだ。



 今回第一の目的地が見えてきました。



 神田ニコライ堂。
神田には何回も来てて、なぜか来たことなかった。そんだけ本屋しか行ってなかったんだろうね。









 ビルが背景にあって、なかなか素晴らしいですね。中の拝観は午後からだそうで、残念ですが断念です。



 すぐに御茶ノ水駅。



 湧水があって、御茶ノ水駅のルーツとか。











 その近くに湯島聖堂があります。孔子廟なんですよ。



















 普段は若者のまちだとは思うけど、こういう場所に来ると高齢者率高くなりますね。まあ僕もその一人ではあるんですけどね。

 僕はお茶の水と言えば、手塚治虫のお茶ノ水博士がまず思い浮かぶんですが、手塚さんはどんなつながりがあったんでしょうね。
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