カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

迷惑爺さんとオレ

2007-02-28 | 雑記
 佐世保に用があって運転していく。いつもはスムーズに進む道が大渋滞している。佐世保でもなんか催し物があったのかなあ、考えながらノロノロ進んでいくと、いまどき珍しいテーラーのような乗り物で進む爺さんがいた。大変に迷惑したが、デビット・リンチの映画みたいで、まあいいか、と思い直した。迷惑な爺さんもこの道を行くのは当然だ。お陰で午前中に片付く仕事が午後に食い込み、そのままずれ込みを修正できず、仕事は残したまま、今日から出張である。
 深酒の影響で、二日酔いというか、まだ酔っ払っている。立哨にいってきたが、もう一人の当番の奥さんから、確かに酒臭いといわれてしまった。飛行機でも周りの人は迷惑だろうな、と思う。しかし読書もできるので出張は楽しいのである。
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老いやすい

2007-02-27 | 掲示板
 またまたしばらく出張である。今回はいろいろあって四泊となる。最後は在京の友とも再会予定。最初は気の重いこともあるようだが、締めが楽しみでよかった。
いろんな行事予定とも重なっており、失礼する方面の方には申し訳ありません。物理的問題なのでどうにもならないのです。

 つれあいに着替えが多いと荷物になるので「適当に端折ってくれ」と頼んだら、あっさり却下された。出張中はあんまりヒゲもそらないし、風呂にだって入りたくないのだが、汚れるので着替えなければならないそうだ。ああ、煩わしい。しかしたぶん準備をするほうだって煩わしいのだろうから、最小限の協力はしなければならない。
 それにしても今回の出張はいろんな役割がある。日替わりでこなして片付けなければ。帰ってきてすっきりした生活を取り戻せるかどうか。少し心配だが、やるしかないのである。こういう生活というのは早く流れるので、それだけが救いである。そういうわけで、老いやすい人生なのである。
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上限ルール

2007-02-27 | 雑記

 憲法で軍隊を持たないとうたっておきながら自衛隊があるのは、明らかな憲法違反である。しかしながらそれを認めない議論があるのは不思議だと常々考えていた。もちろん地政学ということから考えて軍隊がいらないとは思えない。軍隊がなくても誰も攻めてこないというのはたぶん幻想で、ちゃんと鎮圧されることだろう。もしくは攻めてこられなくとも、外交という点では、まったく話にならないぐらい不利になるだろう。軍隊は国際的なルールにのっとった政治(皮肉だが、話し合いの)の手段なのである。
 ではやはり憲法がおかしいということにはなるのだが、どうして軍隊を持たないなどと書いたのかといえば、たぶん先の戦争に対する反省表明というか、表向きに嘘をいいたかったのだと思う。日本も思い切ったことをしたもんだと、たぶん他の国はびっくりしたことと思うが、自衛隊が世界的に強大な軍事力(少なくとも10本の指には入るだろう)を持っている現実に、なーんだ、日本人ってやっぱり嘘つきだな、と思っているに違いない。他国の人の日本人の特徴として必ず挙げる裏と表の分からなさと嘘つきだという印象は、すべて軍事のことではないが、象徴として自衛隊のことを指しているのは確実だと思う。
 コスタリカみたいに実際に憲法にうたって軍隊のない国だってある。よくは知らないが、恐らく平和憲法というは、日本だけがうたっている美点ではなかろう。特に憲法のようなその国の法律のもとになっているものを守っていない国というのは、本当に珍しい国ではないだろうか。
 しかしながら、ルールの厳密性ということについては、やはり誤解があるのだろうとも、最近は思うようになった。例えば交通ルールでの制限速度というのは、たぶん誰も守らないにもかかわらず、存在する。むしろ守っている車は大変に迷惑である。では現実に即して制限速度をもっと高くするべき(もしくは、厳密に守るようにすべきか)かといえば、それでは上手くいかないことは容易に理解できる。これはたぶん上限を甘くすると、その分もっと危険水準を越えて違反する人が増えるのである。日本では原則自由という考え方がよく分からない人が多くて、決まりがなければどんどん悪いことをしてもかまわないという考え方をする人が多いように思う(もしくは心配しすぎる)。自由というのは個人が判断しなければならない領域なので、上限がなくなるという意味ではないのである。まあ、脱線するのでまたの機会にするが、実際に速度違反は10キロオーバーぐらい(15キロという説もあるが)では捕まえない、という暗黙ルールが明文化されないが存在することになる。これは世間のない他国の人には、たぶんわからないルールだろう。
 日本人は憲法での軍隊問題も、平和をうたっているのだから(侵略ではないのだから)上限違反ではないという感覚があるのではないか。多くの人は日本のちっぽけな軍事力では世界の脅威ではないという大きな誤解をしているのも、そこのあたりの情報操作にありそうな気がする。僕は世の中には陰謀というのはありえない(もしくはそう簡単に成功しない)と思っているが、こと日本国民に関しては、こういう勘違いを国民的合意としてしまう恐れはあると考えている。明確にルール違反をしているのに、範囲としては許されると思ってしまうわけだ。それに合わせて、現実の方を直視しない。また、捻じ曲げて解釈してしまう。相手が納得できないことも理解できない。
 たとえアメリカであっても、侵略のために軍隊を持っているわけではない。あくまで自国防衛のために軍隊を持っているである。イランや北朝鮮だって、基本的にはそういう考えであろう。
 日本は歴史的に(同情できるにせよ)自分の都合でよその国まで出向いてしまった。もちろん日本だけがそういう考えだったわけではないが、それは事実である。その上で明らかに敗戦を喫した。勝てば悪くなかったが、負けたので悪かったということが確定したのである。歴史というのはそんなものである。正義とか正しいということは何の関係もない。だいぶ時間がたったようだが、記憶というのは関係ないという判断までたどり着いていなのかもしれない。日本の立場がむつかしいのはその所為であろう。結局煩わしくなって問題が放って置かれるのは、やっぱりその所為なんだろうな、と段々理解できるようになってきた。僕もおかしな国の仲間入りをしだしたのかもしれない。
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チマチマしたこと

2007-02-26 | 雑記
 Gちゃんはお金をポケットに裸のまま入れている。財布を使う習慣がないようだ。以前は使っていたんだそうだけど、父親からチマチマしたことはするな、と叱られたので止めたんだとか。よそ様の教育方針にとやかく言う趣味はないが、ちょっと面白いご家庭環境である。
 朝穿くズボンの中に、奥さんがあらかじめお金を入れておいてくれるそうである。いくらなのかはよく分からないが、それなりの金額であるようだ。だから時々予定の服と違う場合、お金を持っていなかったりするんだそうだ。
 カードなんかを使うのに困るんではないかと聞かれても、だいたいそういう方法を知らないし機械に近づかないのだそうである。うーむ、合理的なんだかどうだか分からない話である。しかしながら特に羨ましいわけではないが、それもいい話のような気がしないではない。理想ではないが、幸福かもしれない。
 実は僕も以前は財布を持っていなかった。何しろお金をあんまり持っていなかったし、カードを使う習慣がなかった。大金を持っているときはウエストポーチを腰に巻いていた。ネタをバラすと中国時代である。かの国では財布を持っている人のほうが少ないような気がした。そうするとお札はすぐにぼろぼろになってしまうので、セロテープなんかで貼り付けたりする。とにかくお金(特にお札)は汚いもので、財布に入れるのがもったいないような代物だった。しかし買物をしないわけにはいかないので、ポケットの中にはいくばくか入れておいたほうがいい。
 しかしながら日本では、財布を使わない人は少数派ではあるだろう。日本人が特にきれい好きということなのだろうか。汚い(見た目だが)お札を目にすることは実にまれである。お金を大切にすると、銀行などでお金を管理するコストも少ない可能性もある。中国でATMが大々的に利用されても、多くの場合機械に負担をかける結果になりそうだ。最近は出かけていないので不明だが、なんだか心配になってきた。実際のところ、今はどうしているのだろうか。
 確かに背広の時は、お釣りの数千円はいちいち財布に入れずに次の店に移動する。財布から金は出すが、お釣りは落ち着いた時間がなければ胸ポケットなどにしまう。時々忘れて洗濯されたりする危険はあるが、どの道タクシーとか次の店で金を払うので、そうした方が楽である。
 なるほどGちゃんのお父さんの言うように、チマチマするのが嫌だという気はする。景気よく振舞う余裕はないけれど、お金を裸で持つ生活ができると、精神的には豊かになるかもしれない。
 かもしれないが、最近財布を買ってもらったばかりだし、今までチマチマとは思っていなかったので財布を使い続けることにする。道具は使わなければもったいないのである。

 財布といえば、財布に入れてあるカードがすぐに割れてしまう。クレジットカードは何年かに一度勝手に取り替えてくれるのでいいのだが、銀行やビデオ店のカードは実費を取られてしまう。頭にくるのでカードが機械に挟まって壊れるまで使うようにしている。結果的にそうなってしまうと時間がかかって仕方がないけれど、実費を取らなくなるまで抵抗しなければならないような気がする。カードは自分の都合で作ったのではない。そこのところで考えを変えてくれることを望んでいる。
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なかなか愉快

2007-02-25 | 雑記
 連日の二日酔い。今週は日中のつらい毎日だった。
 話し合いがあり、それなりに活発な意見も出るが、同じことの繰り返し議論もある。意味が分からないわけではないが、思惑と同意には開きがある、と僕は感じる。実は厳密に言って気が進まない。利点を強調されているが、儲かることがいいことではない。奇麗事で言っているのではない。面白くないことはつまらないだけである。思い切って捨てるほうが、ハッピーではないか。適任の立場も分からないではないが、誰かがやればいいと思う。たぶん、そういう専門もいるはずなのだ。後でやらされることにはなるのかもしれないが、それなら後でもいいだろう。
 終わってからも話のある人が終わらない。堂々巡りのような気がするが、何とか先送りとする。とにかく疲れた。

 車を飛ばして長崎市内へ。ランタン・フェスティバルということで車が進まない。いつもなら約五十分だが一時間半かかった。やっとたどり着いて宿泊手続きをして会場につくと、ちょうど遅刻して新郎新婦ご入場であった。後で聞いたら美川憲一のせいじゃないかということだった。最初は意味が分からなかったが、今朝の新聞で納得がいった。
 お祝いは気持ちのこもった仲間達の配慮もあって、なかなか良かったと思う。新婦のご両親は反対されているとかでご欠席(どこかで聞いた話だな)であったが、反対されても運命なんだからいいのだという言葉が、僕としては好ましく思えた。親であっても気にしないという生き方は、きっとハッピーの源になるだろうという気がする。もちろん程度もあるけれど、自分が絶対に決めなければならない場面は、自分で決めるという姿勢のことを言っているつもりである。

 二次会三次会と流れる。新郎は僕と年齢は一緒らしい。彼の大学の同級生が僕の年齢と同じのようである。なんとなく話しやすくて、どんどん持論を展開する。俺ってこんなことを考えていたのかと驚くような話もできて、止まらなくなる。そういうわけで、自分の考えがまとまってよかった。いい友人である。名前を聞くのは忘れてしまった。長野の人だというから、辛抱強いのかもしれない。
 新郎側はラーメンに行くという。僕はパスだ。新婦側はカラオケに行くという。もう二時になりそうだよ、ということでやはり失敬することにした。タクシーに駅前のホテルの名前を言うと、ずいぶん不機嫌である。期待に沿えずに申し訳ないが、いつもは遠慮するおつりはもらうことにした。態度が悪いのはかまわないが、もっと悪くなってもらってもかまわないのである。
 ホテルは門限のあるビジネスで、裏にある怪しい階段を迷路のように上るよう指示される。酔っ払いにはスリリングな体験だった。ホテルはいまどき珍しいぐらいものすごく汚くて狭い。その上共同シャワーに共同トイレである。気分は愉快になって、この次もこのホテルに泊まりたいと思った。
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近頃の若い人は

2007-02-24 | 雑記
 出張中にいろんな世代の人とさまざまな話をする機会があったが、世代による世相に対する認識にかなり違いがあることに気づかされた。僕の偏見もあるのかもしれないけれど、おおむね僕よりちょっと上の世代までは楽観的であるが、それより上になると厭世的に変化しだす。僕より下は実はよく分からないが、けっこう前向きである。僕らの業界のことではあるが、おおむね勉強熱心で優秀な人が増えたなあ、と思う。僕らの世代の連中はろくなのはいなかった。少なくともちゃんとした人は、この業界を選んでいなかったのではないか。僕らより上はもっとひどくて、社会からあぶれたのでこちらにはめ込まれたような人がずいぶんいたようである。
 年配の人が若者を憂うのは歴史的に仕方のないことだが、青年会議所などの組織の上でのことを考えると、最近の人のほうが平均して能力は格段に上がっているのは間違いがないことのように思える。以前は学校のように更生施設としての機能があったようである。もちろん今でもそういうことが必要な人もいるのだが、実にまれになった。もともと能力があったりする人が入会するようになっているのではないか。
 しかし、たぶんそんなことはなくて、若者の平均能力が上がっているのである。しっかりしているのかどうかはともかく、若いうちからずいぶん鍛われて社会生活を送っているのではないかと思う。そういう人しかまともに仕事ができないので、既に生き残っている人は当然のように優秀なのである。駄目な人間は仲間にさえ入れなくなっているのではないか。
 世間では大学生などの若者がバカになっていると思っている人が多いようであるが、若者の幼児化と能力差はあんまり関係がないのではないか。先進国といわれる国の若者は総じて幼児化しているらしくて、それはそれで困ったことなのかもしれないが、実際に社会生活を営める人との選別化が進んでいるのではないだろうか。若い人は応用が利くので、そういう幼児性のある人であっても就職できるような人であればすぐに馴染んで社会生活が送れるようになってしまうのではないか。問題のようにいわれて世間が冷たくなった分、早く厳しくしごかれてしまうことだってあるのではないか。僕のようにバブルの時代の人と比べて今の若い人が能力が高いように思われるのは、そういう厳しい環境の違いではあるまいか。
 確かに以前までは一種のエリートでなければ高学歴はありえなかったということはそうなのだろう。みんなが高学歴なのだから平均化すると下がるのはだから当然である。別に問題でもなんでもない。
 働かなければ食えなかったなどという話も聞くが、システムとして効率が悪かったので働かざるをえなかったのではないか。以前なら自分が動かないことには物事は何も変化しなかったが、今は何もしなくても物事の方が勝手に変化していく。何かをすることはほとんど余分なことになっている可能性さえある。そういう中での能力差というのは、比較のしようがないことなのではないか。
 若くて未熟なのはいつの時代にも当然のことである。それでいいかというのは確かによくないのかもしれないが、既に完成した人が現れたら年寄りはどうするのだろう。いらなくなった人が頑張るとろくなことにはならない。若者が未熟だから必要とされる役割もあるというものだ。今の若い人たちに問題があるほうが、高齢社会にとっては好都合なのではないだろうか。
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おじさん族

2007-02-22 | 雑記
 出張前である。
 最近忙しくてろくに風呂に入ってなかったのだが、朝から風呂が沸いていた。髭も伸びてきたし入りなさいということらしい。更に珍しいことに入浴剤も入っている。コマーシャルで風呂につかる人が「ああ、」と気持ちよさそうに声を漏らしているが、同じように無意識にそういう声が出ていることに気づいた。確か子供の頃はそんな声は出していなかった。いつごろからこうした声を出すようになったのだろう。自分のことなのに不思議である。これは予想で確かなことではないが、風呂につかってこういう声を出すのは圧倒的におじさん族が多いのではないかという気がする。僕は正当なおじさん族に入会しているのかもしれない。
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今日も具合が悪いです

2007-02-21 | 掲示板
 深酒がたたってとにかく具合が悪い。まあ、若くなくなった証拠だろうな、と思う。そんなこと考えても仕方ないんだけど、以前はこれぐらいは平気だったと思いたくなる。でもよく考えてみると、以前であっても二日酔は苦しかった。弱くはなったのかもしれないが、酒の強い弱いは、必ずしも年齢が若いから強いとは限らない気がする。飲みなれて強くなったり、日によって違ったりもする。単純に衰えと捉えるのも認識としては多少の齟齬があるのかもしれない。単に二日酔を繰り返すくせに、また性懲りもなく具合が悪いというだけだ。反省できない性格が、身体の痛みを引き受けている。
しかし酒の快楽というのはその後の苦痛があるぐらいがちょうどいいのかもしれないとも思う。分かっちゃいるけど飲みすぎて、その代償を払っている。システムとして不条理だが合理的だ。そういう切なさが、酒飲みの言い訳になってはいけないのだが、ちゃんと具合が悪いんだから、飲みすぎの代償を払っている態度としてまっとうである。
 理事会が終わって居酒屋で(具合の悪いのを我慢して)飲んでいると、だんだんと気分が楽になる。アルコールに騙されているのだが、ちょっとした快感である。しかしながら迎え酒の後の更なる二日酔はさらに苦しい。そうは思うが酔ってしまったものは仕方がない。後悔先に立たずって、いい言葉だなあ(どこが)、なんて思ってまた酔っ払った。

 I野直前からK又専務のブログを紹介してくれというリクエストがあったので、お応えします。ちょっとオタクが入っていて、尊敬できるブログであると思います。僕としては文字がたくさんあるだけでとても嬉しい。どんどん暴走してくれることをお祈りしております。合掌。
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参考にならない人生

2007-02-19 | 映画
嫌われ松子の一生/中島哲也監督

 僕は世間に疎いので、原作が漫画だとか、テレビドラマ版があったのだということはこの映画を観てから知った。最近観た映画ではダントツに傑作だと思ったのだが、このお話をすると僕の話を聞くそばから皆さんなんとなく遠い目をしているようにも感じる。映画以外ではどのような評価だというのだろう。
 漫画を読んだというSダッチ君の話では、限りなく選択ミスをする話だということで、そういう意味では確かに原作通りなのだろう。(だからといって映画を観たいという感じではなかったな。実際改めて観ないのではないか)
 テレビでは松子役が内山理名という人らしいが、それだと映画とはかなり違うものなのだろうなとは予想できる。多少僕の偏見があるが、内山という人は実際に男にモテそうだが、女には好かれる感じではない。一方映画の中谷美紀は、(僕はかなり好きな女優さんだけど)男にはあまり好かれないが女には理解が得られそうな感じのする人である。そして、映画の松子は、ぜんぜん共感が得られない人物だが、女の人にはあるいは分かる話なのかもしれない。(と、思う)
 まあ、そういう不確定な比較をしても何も始まらないが、これだけ悲惨な話でカタルシスを感じる作風になったということだけでもかなり奇跡的なことのように思える。はっきりいってかなり面白くて、感心もし、感動してしまった。僕が映画を観てそういう気分になることは非常にまれなので傑作と勘違いしているのかもしれないが、これだけ心動かされる日本映画は久しぶりである。僕は「下妻物語」も傑作だと思ったので、中島監督という人が凄い人なのかもしれない。
 先にも少し触れたように、僕は松子にはこれっぽっちも共感がもてない。まあ、平たく言うとただのバカなので、共感する人は恐らくないとは思うのだが、誇張はあるにせよ、確かに世間にはこのような女の人がいるような気がする。普段はそういう事実にものすごく恐ろしさを感じて生きてきたけれど、松子を観てから多少考えというかイメージが変わった。これは前向きな生き方なのであって、不幸な生き方ではないということなのだろう。境遇は限りなく不幸のようにも思えるが、また、あえてそういう世界に自ら飛び込んでいくようにも思えるが、少なくとも恋愛をしているときは松子の人生は不幸なのではないのかもしれない。松子が人生が終わったと感じているのは、ちゃんと生きていない時だ。彼女が間違って(いるように見える)選択していることは、見ている僕らには不思議でこっけいだけれど、松子にとっては必然なのだろう。ぜんぜん参考にさえならない人生だが、人の心を強く打つ何かがある。松子のような生き方ができないだけではなく、幸福から見放されているのは実は観ている僕らではないのか。
 僕は松子はバカだと思うが、尊敬はできる。いや、尊敬させてくださいという気分だ。彼女のおかげで、僕は元気になった。だからといって信じられないものは無理には信じない人生に変わりはないけれど、松子のような人が怖いとは思わなくなる可能性がある。バカなことだって精一杯やったらいい。それはちっとも不幸なことなんかじゃないんだからという答えが分かったような、分からないような、まあ、どうでもいいかな。
 ともあれ、この映画はやっぱり傑作なのであった。
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ちょっとだけ違う日常

2007-02-18 | 雑記

 朝の引継ぎミーティング。少人数なので車座で相談している感じ。
 毎日会議録をつけて利用者の状況をチェックしているのだけれど、土曜の日には少しだけ状況が違う。何度も土日は来るので、それはそれで日常として定着していることなのであるけれど、平日と違う日常なんだなと思う。
 朝からの動きが、少しだけゆるい。起こる問題や懸念が違う。問題を起こす人が少し違う。面白がってはいけないのかもしれないけれど、それはそれで面白いことのようにも思える。
 この日に勤務する人は、平日とは違った緊張があるようである。作業はお休みなので支障は無いけれど、人数も少ないので、忙しい仕事内容が違うのである。僕はその逆かなとも思っていたので、なんだか不思議な気がした。
 僕のところに訪れる人も確かにいつもと違う人みたいだ。相談というか、話の内容もちょっと違う。単に愚痴の人もいるし、近況報告だったりする。看護婦が休みの日だと、カットバン(絆創膏)の張替えだとか、体重をはかれだとか言われる。時には正直に言ってわずらわしいが、それはそれで楽しい。いつもの仕事ではない開放感のようなものを感じるのかもしれない。

 昼食を注文するのを忘れていた。出勤すると予定表に入れていなかったようだ。何か勘違いしていたのだろうか。ともあれ、一食抜くことができてちょっと嬉しい。食事が来るから食べなければならない。落ち度があって堂々と食べなくて済む。得をしたような気分である。もちろん腹は減るので、食事が目の前にあると食べたくなる。残す技術も磨かなければならない。これが多分一番難しい。だから食べられない状況がありがたいのである。

 夕方から結婚式。T長君は弟の同級生だし、職場の地主さんの親戚である。出席している人たちも父の代から知っている人が多い。意外と縁のある人だったんだなあ、と思う。
 いつものようにこそこそ照れるしぐさが、なんとなく好ましいような気がする。それはそれで、彼のスタイルとして、ひとつの型をなしているのかもしれない。照れ方がさまになるというのだろうか。変わったキャラクターではあるけれど、とりあえずは平和である。まじめになったり真剣になるときが、逆に大変かもしれない。知らない人だと、誤解もするだろう。気にせず精進してほしいものである。

 家に帰るとずいぶん酒臭いといわれる。飲んでいるので当たり前だが、もう少し飲んでもいいという気分だったので意外である。そういえば、焼酎よりビールをたくさん飲んだ。結婚式だったから、お酒も飲んだ。いつもより成分比率の違う酒の合成で、酒臭さが違うのかもしれない。
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負荷で選択する

2007-02-17 | 雑記

 仕事の選択に困る。片付かないことにはどうにもならないが、どれを優先するか。やりたいことは特にない。どちらの負荷が重たいか。軽いほうを選択している気がする。重いものは後回し。それでだんだん気も重くなるのかもしれない。そういうふうに気がついた。だからといって重いものを先に選択すべきか。やはり緊迫したものがないと手がつけられない。そんな感じもする。〆切がいつだというのは、そういう意味では励みになる。強制力が強いと、やらざるをえない。仕事の優先順位は、やはり期限をどこに持ってくるかということなのであろう。ルーティンで弾みをつける。つまらないが、結局はそういう繰り返しこそ力になっているようにも思う。逃げるとどんどん逃げたくなる。どっぷりつかることとメリハリと集中力で少しづつでも片付けてしまおう。

 午後から会議に出る。
 いろいろこちらもやることがある。〆切りは過ぎているのかもしれない。そういう議案も多い。ちょっと重たいな、とも思う。片付けるにはテコが必要なのではないか。自分のところもよそのところも、ものすごく準備が足りない。それはそうだが、準備をしても片付くものなのか、そういう気がしないではない。そもそも可能な範囲なのか。現実はもう少しシビアに質感が重い気がする。まともに首を突っ込むと、別の次元の混沌に突入してしまいそうだ。
 ちょっと遊びの部分では面白い意見が出る。しかし、アイデアとしては面白いのかもしれないが、現実としてはやはり問題があるとは思う。選択が無理なことを考えている。選考する方法として何が適当なのか。僕には不条理でいいという頭があるが、他の人が納得するものであるか。意見は差し伸べない。

 まったく別のものをどうつなげるか。それは話のつながりが原初的なところまで戻って考えるべきだろう。疑問に思えないところまで戻ってみる。掃除機と箒は違うものだが、掃除をする道具だ。鉛筆とハサミは用途が違うが、同じ事務用品だ。猫と犬だって同じ哺乳動物だ。そういうところまで還元してみて、話をそろえる必要がある。何の話だっけ。
 少なくとも犬好きと猫好きは人種が違うと考えている人とは話が合わせられない。そういう分類は僕にとっては無意味だと思う。犬好きだから権威的だとか、猫好きだから自由人ということはありえない。そういうものだと納得できる人はお人よしである。人にも騙されやすいのではないか。よく考えなくてもわかることだが、基本的には何の関連もないことだ。自分がそうであるという事実を普遍化することは大変に危険である。無理につなげるのではなく、原理的に共感を得る。確かにそれは大変に難しいものだ。そこのところの疑問に、僕の感覚のズレがあるのかもしれないが…。
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道に迷う

2007-02-16 | 雑記

 用があって八女近辺へ行ってきた。
 道に迷ってうろうろ。電話でなんども場所を詳しく聞くのだが、説明を受ければ受けるほどよく分からなくなる感じだ。相手はご高齢の人だし、どうも要領を得ない。そこからはすぐですよ、とはおっしゃるが、どこの道から入るのか、目印とかを教えて欲しいのだが、坂道であるとか、道が狭いだとかいうことばかり強調される。これじゃらちがあかないと判断し、いったん電話を断念する。
 仕方がないので、地名番地などを詳しく確認して、ガソリンスタンドの店員さんに聞いてみる。しかし若い店員さんで分からないらしい。スタンドでタイヤの空気を入れていた別のお客さんがこのやり取りを聞きつけて代わりに教えてくれる。道に乗り出して教えてくれるのでなんとなく危なっかしい。
 やっと問題の通りを突き止めたらしい(と思った)。確かに狭いことは分かったが、聞き出していた特長らしいものはほとんど見当たらない。不思議な説明であったものだと思う。まだ多少不安をかかえながら車で坂道を上ってゆくと、なんとなくこちらを見ているようなおばさんが歩いてきていた。道を聞いてみると、迎えに来た電話の主の奥さんだった。
 車に乗ってもらって案内どおりに道を行くのだが、古い住宅街でどこをどういったものかよくわからない。電話で説明が難しかった訳である。何年後かににもう一度いって来いといわれたら、恐らくかなり難しいのではないだろうか。

 実は僕の職場も初めての人にはよく分からない場所らしい。複雑な通りが多いなどということはぜんぜんないのだが、単純であっても分かりづらいものらしい。確かに山の中なので目印に乏しい。道を間違っていなくても、途中で不安になってしきりに電話してくる人もいる。辛抱が足りないのではないだろうか。
 しかし道を間違うと厄介な場所でもある。国道から5,6分以上かかってもつかないのであれば間違っているのだが、10分も無視して車を走らせると、下手をすると抜け出すのに40分は要するような山中の旅になる可能性がある。
 実際にそういう人が過去にはあって、とにかく困って今度はどんどん下っていくと、隣の県の町に下りてしまったそうだ。迎えにいこうにも遠すぎる。来た道が分からなくなるぐらい山道は難しい。登山であったら、生命も危険である。
 求人募集をしていたら、「途中で道が分からなくなり、就職をあきらめます」という電話がかかってきたこともある。そういう場所には就職したくないという小言であったのだろう。ウチにたどり着けなくてなによりの人だと思う。分かりにくい道は、人を選別しているのであろう。
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残酷な仕打ち

2007-02-15 | 時事
 バレンタイン・デイというのは個人的にそれなりの記念日とも重なっているようで、振り返ると、たまたま感慨深いものである。詳細はご想像に任せるが、チョコレートとはあんまり関係が無い。

 チョコレートの話題は、非難してもかっこ悪いし、支持しても気持ち悪い。つまりタチが悪い日だとは思う。しかし、良かれ悪しかれ不思議と定着しているような感じではあるし、このことで多くの悩ましい問題があることなのであろう。
 ある学校の先生から、バレンタイン・デイの所為で深く悩んでおられる男の子のお母さんのお話を聞いた。もらえないということが可哀相だし罪なことだから学校としては禁止なんだとか。
 まあ、この先生自体には悪気は無いのだろうけれど、話の筋が違うなあと思う。この日にはこういう誤解も深刻な日なのだなあと思う次第である。
 チョコレートにまつわる逸話は、多くの場合ものすごく誤解が重なって展開している。何が正当かというのは糸が絡まりすぎてよく分からないぐらいだ。だからいろんな前提だとかケースだとかいう話は各人で考えてください。僕はかわいそうな少年のことを考えてみる。
 男の子がこの日に悩むというのは分からないではない。若い人(特に)は恋に悩むもので、仮にこの日が無くとも悩みが減るわけではないだろう。むしろこの日が代表となることで、他のよく分からない日に振り回されずに絶望できることは幸福ではなかろうか。
 恋愛というのはものすごく不平等な人間関係である。それは誰だって思い当たることであろう。男の子がどのような期待を持っていたかはなんとなく覚えがあるが、自意識過剰なほど期待も大きいのであろうとは思う。別に非難しているのではない。若い頃は人のうわさが気になるものだし、自分の意識の過剰さをもてあますものなのである。普段ならそういう心情が煩わしくなって清水の舞台から飛び降りて撃沈(とは限らないか…)しながら大人になっていくのだろうが、確かにバレンタイン・デイという日は待たねばならない。ふざけて「おいらにもおくれ」と渡り歩く人もいるだろうけれど、できればさりげなく待ちたいところであろう。もちろん気になる人から頂戴できるにこしたことは無いが、基本的に誰でもいいという心情の人もいるに違いない。しかしながら日頃のそれなりのお付き合いが無い限り、その期待は裏切られるに決まっているのである。なぜなら女の子の方だって、もっと深刻であるはずであるからだ。愛が均等化するというのは幻想である。不平等なんだから、極端に偏る方が正常なのである。
 そういうわけで、早い時期に苦悩を味わっている男の子はむしろしあわせである。多かれすくなかれ、その後の長い人生において常に女には苦しめられるのである。後から考えるとこのときの苦悩などは実にかわしらしいものであったと懐かしむに違いない。だから可哀相な息子を持つお母さんはムダに心配しているに過ぎないのである。
 学校も人の成長のおせっかいをする機関なのではない。大人社会がバレンタイン・デイなどというものを画策したのである。ままごとを禁じても鏡の前では反映されることのほうが自然である。大人社会が変わらない限り、この習慣は消えないことだろう。
 この日を忘れている男というのはあんがい多くなっていると思う。この日に悩んでいるというのは若者の特権であろう。それはたぶんまだ母親の影響下に近い所為ではないだろうか。そんなことで母親が心配するような子が、大人の男になることは無いだろう。まあ、ちょっと皮肉っぽいが、そういうものだと思う。過剰な母性からの逃避と乖離を経て、大人になることを理解したほうがいい。まあ、早く大人になってもろくなことはないので、お子ちゃまは育たなくてもいいのかもしれないが、個人の人格のことを考えると、それはそれでかわいそうなことのようにも思える。恋愛まで平等であるという幻想を持つような心配をすることは、彼にとって本当に残酷なことなのではないだろうか。
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シンプルで美しいデザイン

2007-02-15 | 映画
かもめ食堂/荻原直子監督

 僕は妙なところに神経質で、実はおにぎりが苦手である。
子供のころ町内の寄り合いで、お母さん方が炊き出しでたくさんのおにぎりを握ってくれた。ご好意はありがたいのだが、どうしても口にすることができない。しきりに食べなさいと勧められて、無理に頬張り、呑み込むのが苦しかった。まずいという意味ではもちろん違う。
 コンビニのおにぎりを最初に見たときには本当に感動した。これなら食べられると思った。残念ながらいまだに上手くあけられないが、海苔がバラバラになっても、なんとなく安心して食べられる。もちろん工場での状態がどうなのかは極力考えない。忘却力は人間には必要な能力だと思う。

 フィンランドという国のことはよく分からない。鮭を食うらしいというのはなんとなくそのような気もする。現代ではノキアの印象が強そうだけれど、僕はカウリスマキ兄弟の映画が好きである。スエーデンとどう違うのかと思っていたが、近い国であるらしい。
 やっと映画の話であるが、これはファンダジーである。原作は小説らしいけれど、エッセイのような感じかもしれない。
 僕は画面に映るデザインのかっこいいキッチン用具を見て、そういうことなのかな、と考えていた。お店を開く場合のひとつの理想形。女の人がお菓子屋さんを開いたり食べ物やさんをやりたい形なのではないか。
 恐らく女の人に向けてつくられたお話だと思われるが、恋愛の匂いがあんまりしない。まあ、何かあったのかもしれないが、その後ということなんだろう。
 美味しい料理を食べて気の合う仲間とお話をする。絵として、しあわせの形ということなのであろう。

 日本でもお茶は人にいれてもらうから美味しいという。コーヒーでもそうなのかと少し驚いたが、フィンランド人もコーヒーを飲むというのもなんとなく驚いた。世界は広いようでやはり狭くなったのかもしれないと思う。フィンランドはあんまり不思議な国ではなくなったのだろうか。
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ツケを払わされる(完済は遠い)

2007-02-14 | 雑記
 印鑑証明が必要だということで法務局佐世保支局に赴く。
 ついでに放置してあった登記記述削除という懸案事項の相談にも行く。事前に電話でも相談をしており、行く前に単純なやり方を聞きたかったのだが、ごちゃごちゃ電話口で煩わしいことをいうくせに、質問すると上司と相談するためなのか電話口で長時間待たせる。しまいには窓口まで来いという。そこでついうっかり印鑑証明も必要だというと、鬼の首を取ったように、それなら最初からそれをいってくれという態度に変わって、一切説明を止めてしまった。ついでがあるから相談しているのはこちらのほうで、手間がかかることには何のかわりもない。煩わしいので司法書士のような専門の人に頼んだ方がいいのでしょうか、とお尋ねすると、個人にできないことではないでしょう、などと馬鹿にしたようにいうのである。これは出向くより仕方があるまい。
 そういうわけで車で往復二時間の道のりを行く。
 ついでの相談だったのだが、先に相談している人があるらしく、長時間なんのアナウンスがないままに待たされる。やっと順番がまわってくると、担当のじいさんは、ひどくぞんざいな態度である。最近の窓口の人はあんがい態度がよくなっている傾向にあったが、ちょっとたじろぐ横柄さだ。
 いろいろ書類を引っ張り出したり、他の人と相談するために僕を待たせて中座したりする。そうやって時間をかけて分かったことは、やたらと手続きが煩雑な上、なんども足しげく通う必要があるということだ。できるだけ早く済ませたいので、だいたいの手順を再度確認したいというと、まずやるべきことをひとつひとつやって、そのあとで、できるかどうか教えてやると諭される。
 途中途中で、やるべきことをちゃんと早くにやっていなかったからだ、としきりに怒られたが、手続きに必要な懸案事項は、早く片付けていたから済んだ問題では根本的に違うものであったのだから、まったく不当なことである。もともと煩雑なことをしなくてはならないことには何のかわりも無いのである。遅いという落ち度に付け込んで、あんたが小言を言うのは筋違いなのである。こちらはあんたとは違うあんたらの仲間からやらされてやっているのである。あんたらの仲間が怒るので仕方なくやっているが、こんな記述が残っていようと逆に放置していても誰も困らないぐらいにはどうでもいいことであったということなのであって、あんた達の遊びに付き合ってやっている人間にはもう少し大切に扱ってやるぐらいの心掛けを持つべきなのではないか。
 そういう具合には頭には来たが、多少は僕のために働くそぶりをしていることには敬意を持って接するほどには僕は大人なので黙っていた。誰もほめてくれないが、そういう僕は随分えらくなったものだと感心する。
 登記の記述削除については、県の監査で指摘を受けたので削除しなくてはということである。登記記述事項を気にするのは役場である。そのために手続きをすることは、さらに役場の要求が強くなる。本当にバカにアホを付けたくなるような煩わしさだ。
 基本的にこういう仕事は住民サービスであろう。印鑑証明が必要なのも、役場に提出する書類に必要だからである。人の仕事を増やすことが住民サービスであるという勘違いを長年にわたって積み重ねてきたことに、根本的には気づいていない体質がさらに仕事を増やしていく。書類をカードで引き出せるサービスであっても、元はといえば自分らの業務の省略化が目的のようだし、彼らは何のために存在しているのかということを改めて考えるべきなのではないだろうか。専門的な知識を蓄積して住民の安全を守っているのであれば、各人の家庭に赴いて必要なサービスを完成させる努力をするべきだと思う。現実的に無理だというのなら、可能な方法を考えることが必要だ。ひとつの書類を取りにいくのにも半日の時間を要求し、相談といって人を恫喝し、更なる負担を要求するのであるから、ヤクザよりもたちが悪いと思う。また監査で指摘されることは分かっているけれど、この問題はもう止めようかな、という気分になった。人生のムダとはこういう時間だと思う。人間が理屈を考えると碌な事をしない。
 僕にも役人の友人がいるので分かることだが、役人個人の問題なのではない。彼らは別段悪意に満ちた人たちの集団なのではない。むしろちゃんと勤めていることでも分かる通り、まともな人たちである可能性のほうが高い。であるから、こういう役場仕事は、この組織の成り立ちに問題があることは明白である。役場仕事の正当性を守るために仕事をつくっているのである。基本的に無いと困る仕事をしているはずであったのに、あるために人々困らせている。もともと要求していた方は、目に見えない住民の側だろう。わけが分からない困りごとを行政に任せたツケを、めぐりめぐって必要な(と恫喝された)人が払わされているのであろう。
 あくまで僕の考えるイメージの範疇の話ではあるけれど、年貢を取り立ててやる仕事は、人を苦しめるサービスでなくてはならないのかもしれない。もちろんこういう事情は日本だけのことではあるまい。比較的にましな国(僕は中国を知っているので、確かにこれでも奇跡的によく働く役人の国なのであることは証言できる)でもこれなのだから、よその国では推して量るべしである。そう考えて、自分を慰めるより仕方が無い。行政とは人間のエゴの象徴なのだなあ、とつくづく思うのであった。
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