カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

教育の恐ろしさは報道が捏造に鈍感なこと

2013-08-27 | 時事

 「はだしのゲン」騒動は何となく胡散臭いと思っていたが、探してみるとやはりいろいろとちゃんと背景の分かった人もいることが分かる。表面的には松江市の教育委員会が単に馬鹿だったという印象に過ぎないが、内容的には理解は出来るものだ。閲覧が禁止されている訳でもないし、問題の部分を問題視する感覚もわりあいまともである。(※興味ある人は自分で調べること。簡単ですから。それと人の意見より自分を信用する訓練でもあるからね)
 僕が「はだしのゲン」を知っているのは、やはり小学生の頃に残酷描写を面白がる友人から見せてもらったのがきっかけだ。原爆で焼かれてもがき苦しんで死んでいく人々。確かに強烈な印象があった。友人は他人がショックを受けることを喜んでいたらしいのだが(子供にそういう考えがあることも学習できる)、結果的にはこの本の描写を知ることができた事は良かったとは思う。反戦に対する思想のどこかに、影響のあるのも確かなことだろう。
 僕の時代でも既にコミックスなどで読むというような古典的作品というか、追体験で「ゲン」を読むということだったが、その後もどうも「はだしのゲン」の連載が続いているらしいというか、追加したエピソードが発表されている事は漏れ伝わっていた。もともとは少年ジャンプの作品だったのだが、左翼系の出版から続編が発表されている事があって、子供の目にふれる事が少なかったのだろうと思う。
 松江の教育委員会が問題視したのは、他でも無く、この左翼系の思想が入った歴史認識の描写がある後半部分なのだという。「はだしのゲン」は基本的には漫画でありフィクションだが、作者の原体験が元になっているらしい事は見て取れる。そこが何より戦争の悲惨さを語る貴重さがある訳だが、後半になるとその思いが強すぎるのか、あやしい歴史認識を取りいれて作品のエピソードに盛られているようなのである。そのことそのものが、戦争が引き起こした悲惨な人間的現象だとも捉えることはできるが、やはりその為に、間違いや捏造もなんでもOKだというのは、やはり乱暴な話だろう。そうであってもフィクションだからという観点から作品を読めるというのであれば、それはそれで意味もあるのだけれど。
 しかし新聞は、戦争の悲惨さを後世に伝える努力を阻害する「教育委員会」という図式をあえて選択して報道しているように見える。こういう捏造主義が戦争を引き起こした元凶であることの反省が、微塵も無い。国民をミスリードする報道の恐ろしさこそ、彼等は再度自覚する教育を受けるべきなのではなかろうか。
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