カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

笑うしかない状況だが…   死の方程式・刑事コロンボ

2013-08-13 | コロンボ

死の方程式・刑事コロンボ/エドワード・エイブラムス監督

 犯人が軽薄で気に食わないところはあるが、これで頭が良いということらしいからこのお話がなりたっている。それに一連のトリックをどうこうというような作品では無くて、やはりラストシーンに収斂されるコロンボ流の犯人の陥れ方こそ作品のすべてだろう。観ている時間はちょっとどうなのかという疑問を感じているものの、ラストシーンの笑い声でかなりすっきり満足できる仕組みである。子供の頃にもその印象は残っていたらしく、もう最後に向かって待ち遠しかった。
 コロンボを観ていて思うのだが、いわゆる自白をさせるというか、犯人に納得してもらうということに心を割いているということがよく分かる。いろいろ言い訳できないように証拠を並べて、間違いないですね、ということにする。それはある程度日本でも同じことなんだろうけど、実際の犯人というのは、なかなか認めないものなのだ、ということも聞いたことがある。米国の殺人犯のほとんど(ほぼすべてらしい)は、罪を認めては居ないのだそうだ。そうであるならば、自白するという行為は、このような作品の中のフィクションということになる。状況証拠がいくら揃っていても、計画殺人というものをする人は、自白なんかはしないものだということだ。日本の事件で考えてみると、三浦和義だって林真須美だって自白はしていない。罪を認めないまま裁判になり、有罪になってもなお認めはしない。本当は嘘では無い可能性も絶対ないではないけれど、なかなか難しいものだな、と思う訳だ。
 この作品は結果的に自白してしまう訳だが、このようなひっかけというものは、日本の捜査ではやはりなさそうにも思う。おとり捜査もそうだけど、何となく潔くない行為という感じも無いではない。観ている僕らには痛快な場面だけれど、ひっかけられた人にとっては、怒りがわいてくるものではなかろうか。この犯人は笑うしかなかった訳だが、僕ならやっぱり暴れたりするんじゃないかという気もしないではない。僕の出演はちょっと無理かもしれませんね。
コメント
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