カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

漫画なんだけどそれでいい   007スカイフォール

2013-08-07 | 映画

007スカイフォール/サム・メンデス監督

 冷静に考えるとよく死なないもんだという感じはしないではない。体力テストにも落ちるような人が、しかし能力は低く無いようにしか見えない。そうでなければ殺し合いに生き残れない。分かっちゃいるけど、それが007なんだという快感かもしれない。
 無茶苦茶で漫画的なんだけれど、それも許せる。せりふ回しも、気が利いているし、しかしハードボイルドなのかというと、行き過ぎてもいない。単純に娯楽作として観てもいいが、妙な深みも感じないでは無い。作っている方にも何らかの葛藤があるようにも思う。それは監督さんのせいなのか。役者さんが以前と違うので当たり前だが、正当なジェームス・ボンドなのにちょっとストイックな感じもする。悪いということではなく、それが心地いい。そうしてこのままでいいのだという納得が、本当に後半になって爆発する気がする。彼の心にも傷はあって、しかしそれを強みに生きているのだ。謎解きの話ではないにしろ、なんだかやっと吹っ切れた気分にはなった。
 思い返してみると以前の007シリーズは、この作品の後日談のようだ。同じMでは無くなっているということなのだろう。Mはママの意味だったかもしれず、そうすると男のMは本当には意味は無い。そういう乾いた関係になって行ったということかもしれない。
 基本的な路線の下地がだからこの世界にはある。しかし時代設定は現代だ。代表的なのは携帯電話。これが無ければ時代物の007になってしまう。いや、実際はそうすべきものを、今の時代からリセットし直して始めてしまう。新シリーズはだから過去の前日談ではやはり違ってしまう。それでもかまわず暴走することにした。そういう覚悟が制作側に必要だったのかもしれない。
 カジノ・ロワイヤルの作品が非情に良かった。本来はそれが決め手だったのだろう。基本的にそういう路線の延長を行くことにした。お話はいろいろ詰め込んであるけれど、カタルシスはかなりある。もうショーン・コネリーには戻らない。絶対に戻れそうにない。しかしだからこそジェームズ・ボンドでもあるという、実にカッコいい作品なのではなかろうか。
コメント
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