めぐりあう時間たち/スティーブン・ダルトリー監督
解説を読んでわかったが、バージニア・ウルフの作品である「ダロウェイ夫人」をモチーフにして、バージニア自身の私生活のある日の出来事、そうしてその作中の人物らしい女性の夫の誕生日の出来事、さらに少し時代が下って、エイズに苦しむ元恋人に気を掛けながら、彼の書いた詩が何かの賞を受賞したパーティの準備をしているという各々の一日を、群像劇のように描いていく。それぞれに満たされない精神的な苦しみにさいなまれている女たちが、そのものにどのように向き合っていくのかということを丹念に、演技合戦を交えて描き出していく。
観ている当初は、いったいどうしてこういう悲しい物語の群像劇なのか意味がほとんど読み取れないが、最後には驚くべき仕掛けが待っていて、世界がぐるりと一変してしまう。なかなか凄い世界観だ。
バージニア・ウルフを演じるニコール・キッドマンだが、今演技でアカデミーを受賞する。その後、ベルリン映画賞では、各々を演じた三人の女優ともども女優賞をとった。まあ、観てみると分かると思うが、それくらいインパクトの強い名演技合戦の映画であることは間違いない。特殊メイクも効いていて、女たちのその時代の姿をズバリ印象的に表している。
それにしてもだが、何か心の悩みが強すぎて、もう死んでしまいたい女たちというのは、それだけですさまじく恐ろしいものがあり、なんだか可哀そうだという気分より先に、とにかく怖いから近づきたくないような雰囲気を持っている。男たちは無駄に努力し、あるいはまったくそのことに気づきもしていない。それも対照的に描かれているが、当然残された男も可哀そうなわけで、そうして時代を超えて、避けられない深い悲しみは連鎖されてしまうのである。それは運命では無いのかもしれないが、かなしい道筋をたどってしまう出発点であったかもしれない。つまるところ悲しみを受け止めすぎた人間は、また死を選びたくなってしまうのだろう。
文学作品をもとにしているせいか、とても文学的な作品である。性の形も錯綜しており、それは愛なのか何なのかよく分からなくなって戸惑う。いくら演技が上手いといっても外国人なので、僕ら日本人には演技だけではそれが何なのかよく分からないのだ。
しかしながらそういう風に読み込んでしまうと、深読みしすぎて間違ってしまうのかもしれない。多少の間違いは個人の解釈だから構わないけど、多少読み幅はあってもいい作品だと勝手に解釈しておこう。