カワセミ側溝から(旧続・中岳龍頭望)

好きな言葉は「のこのこ」。好きなラジオ中継「相撲」。ちょっと苦手「煮た南瓜」。影響受けやすいけど、すぐ忘れます。

今年はどうもありがとう

2008-12-31 | 雑記

 大晦日なので一年を大きく振り返りたい気持ちになりがちなのだが、別に大きく振り返らずとも、勝手に報道などが振り返ってくれているので、恐らく多くの人にはそのような行為は食傷気味なのではないかと推察するものである。しかしながら小さくであるならば、多少なりとも振り返ってみてもいいのではないかなどともしつこく思うので、やはりそれが大晦日の魔術というものなのかもしれない。一年の区切りなんて、個人的な感慨以外に、本当に重要なものなのかということ自体がかなり疑わしいにもかかわらずなのだ。今年一年何があったと振り返ることで、本当に意味のあることになるのかどうなのかということをもう少し真剣に考えてみてもいいのではないかとさえ思う。しかしやはり今年は何であったのかという記憶を忍ばせて新年を迎えるということに、人間としてのささやかな喜びというものがあるのかもしれないとも思う。過去の無い人間がしあわせとも思えないし、反省の無い人間に未来も開かれないだろうからだ。
 何もかも反省だけは上手だという人間に碌な奴はいないのだけれど、僕なりに反省をすると、今年の僕は新たな環境の変化の中で、かなりの戸惑いをもてあましてしまった一年のような感じがした。職場の環境も大きく変わったし、家に帰るようになったので子供との関係も少しだけ密になったようでもあり、そういうわけで僕の立ち位置自体がかなり大きく変化した。まずまずやれたこともあったし、したりないことも当然あった。すべてがそうであったとは客観的にいっていえないにしろ、立場的にやはり僕にまだまだ力の足りないところがたくさんあったというべきだろう。確かにそう思えるということは、僕なりにまだまだ伸びしろが残っているともいえるわけで、いまどきの流行の前向き思想は大嫌いにしろ、総括としての今後へつながる材料として、まずまず健全な了解であろうとは思う。世の中の環境が厳しいという認識は持ちつつも、希望をもって新年を迎えるに値するといえるのではないか。個人的にこれほど慶賀に値する認識はなかろう。だから、今年はまずまずにしろいい年だったと総括できる。少なくとも、僕はまだまだ新たにステップを踏めるのだということなのだ。
 実は昨日訳あってスペースワールドで息子と一緒に「ザターン」というジェットコースターに乗った。僕は人一倍怖がりで何事も信用できない性格なので、自分から進んでジェットコースターに乗るなどということは普通にありえない。ここの施設の別のアトラクション事故の記憶に新しい状況が無かったら、決断できなかったかもしれない。事故があったということはそれなりに点検が厳しくなっているだろうから、安全度が上っているに違いない。そう考えると気分が楽だ。ということが本当に覚悟を決めたわけでは実は違って、最初に息子が乗りたいと強がっていて、一緒に乗らなければならないような空気になっていき、どうにも後に引けないような状況に引きずり込まれていった。そうであるならいつまでもびくびくしているわけにもいかない。じゃあ乗ろうとようやく覚悟を決めると、実は息子の方が逡巡していることがはじめて判明した。出来るだけ後回しにして決断を先延ばししようとしている。乗り場の階段の前であれこれ言い訳をしている。僕はぐずぐずするのも待つのも大嫌いだから、まあ、そこのあたりは適当に言って、本当は僕だって逃げ出したい状況なのにもかかわらず、大丈夫だなどといいながらリラックスする方法なんかも交えて説得にあたったのだった。そうして何とか僕らの順番まで回ってくることになった。どんより暗い顔をしている息子と一緒にザターンに乗り込んでみると、体を固定するバーの状態やベルトの着装の心配で、息子はろくにアナウンスされる説明さえ聞けないほどのパニックに陥っていった。もうどうにも逃げられず降りることさえ許されないということを悟った息子は「もう終わった、終わった」と繰り返し深い絶望に包まれてしまったのだった。しかし僕はこのような息子の取り乱しぶりを目の当たりにして、同情と憐れさを感じたのは確かにしろ、むしろ息子がどうしようもなくいとおしくなり、愉快になって勇気がわいてくるのを感じた。もうほとんど何も怖くない。そして、ものすごい強烈なスピードに圧倒されてなんだか訳の分からない嵐のような迫力のある数秒の体験に包まれて、感動というか高揚した時間を満喫することが出来たのである。
 これが、ある意味で象徴的な今年の姿である。付属するというか、語るべき言葉は他にたくさんあるだろう。しかし、だからといってとても語るに足りるとは思えない。だから、たとえ言葉足らずに終わるかもしれないとは言うリスクはあるとはいえるにしろ、語られない部分には触れないでおくことにしよう。ある意味で、度胸が据わって逃げ場が無いような切羽詰ったホンネがあふれるような、そんな新年と、これからの自分を楽しむ為に…。
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変わったのは記憶だろうか

2008-12-29 | ことば

 実はとある事情で外海町に行っていた。何度か来ているが来るたびに本当に素晴らしい田舎だと思ってしまう。何より美しい。この土地に住みたいかといわれると少し躊躇してしまうのは正直なところだが、この風景を見ていたいという思いは強い。思わず引き込まれるような美しさと壮大さがこの場所の魅力である。迫害を受けたキリシタンが逃げ移り住むことを選んだのは、厳しい環境ながらこの美しさも理由としてあったのではなかろうか。
 つれあいとも二十年くらい前に一緒に来たことがあるのだが、その時お袋を連れていった場所がどうしても思い出せないのだった。それらしきところは聞いて地図まで書いてもらって訪れたが、結局その場所だと確信するに至らなかった。人間の記憶というのはよく分からない。いつの間にか頭の中で書き換えられたか、もしくは場所の方が変化したのだろうか。
 お袋とおばさんもなじみの場所らしいのだが、こちらの方は60年ぶりだそうで、あれこれどこそこがそうでどこそこが違うと言いあっていた。子供のころはもっと大きいと思っていたが、小さくなっているとも言っていた。そういう感じはなんとなく理解できなくはない。車でぐるっと回ったのだが、歩いて回れば、また違った発見もあったのかもしれない。
 ちょっと宿題もできたのでまた来ることもあるだろうが、またこの風景を見るという機会があるというだけで、なんとなくしあわせな感じがする。こういう場所が少し足を延ばせばあるという今の環境こそ、何気なく大変に貴重なものであるように思える。また車社会という現代に生きる恩恵というものも受けているのであろう。今は深刻な不況であると確かに思うが、本当に僕らが車を捨ててしまうことはとても考えられないと思うのだった。

 帰りの道すがら「ニックの国」という看板の店があった。息子が「ニックの国って逆さに読んでもニックの国ってことだよね」という。いや、逆さに読んだら「ニクノクッニ」だと思う。まあ、しかしそれでは訳が分からないので、息子の方が大人だと改めて気付かされた。大人になるってそういうことなんだろうね。僕はいつからなり損ねてしまったのだろう。などと思ったのだった。
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人間失格

2008-12-26 | 散歩

 朝上手いこと早起きすることができたら、本当に歩きたい定番コースというのがあって、その道筋を杏月ちゃんと一緒に歩くと、だいたい45分から50分といったところ。よく晴れていたり他のわんちゃんの尿の痕跡が多い時は、杏月ちゃんの匂いを嗅ぐ時間が長くなって5分程度の誤差が出る。雨だと匂いが消えるらしくフンフンする時間が短くなるのだが、糞の処理に時間がかかることがあって(軟便だと雨に濡れて取りにくいのだ)そういう時はかえって時間がかかってしまうこともある。
 これだけの距離を歩くと、僕の持っている万歩計で4000の後半か5000歩弱という表示になる。15分以上連続して歩くとしっかり歩行というものが別の表示でカウントされるのだが、多い時はもちろん40分程度表示され、同じく4000歩程度のカウントが出る。しかし不思議なことに同じように歩いているつもりでも、15分と出る日も少なくない。犬に付き合って歩くことは、しっかり歩行につながらないのかもしれない。
 僕の持っている万歩計はネットでカウント記録を残す機能が付いており、同じように登録している散歩仲間が全国にいて、それなりに競い合うというようなことになっている。また同時に日本一周といって距離の表示で疑似移動するというような遊びなどがある。僕は二年ほど前から日本一周にチャレンジしていて、沖縄を出発してかれこれやっとのことで現在山口県から島根県へ向かっている途中である。距離にして約1900キロ程度は歩いてきた計算になっているようだ。
 ところがこの間一時間にどのぐらいの距離を歩くのかと人に問われ、ゆっくり目で4キロ半、少し早足で5キロ越えぐらいじゃないかという話になった。その人の話だと、だいたい測ってみると十分で一キロ程度は行けるようですよ(つまり一時間6キロではないかということらしい)という話だった。そういわれてみると池田の堤の公園一周が約1キロ(弱なのかも)と聞いたことがあって、僕もそこを一周するのにちょうど十分だったような記憶がある。なるほどそうだとすると、日々万歩計で記録されている距離数にはかなりの開きがあるような気がする。だいたい一万歩程度歩く日で3キロ程度の表示になっているようだ。日によってかなり内容程度は違うにしろ、70分以上歩かないことには、普通一万歩には達しない。単純計算で7キロのはずが、なんで半分以下の距離しか測定してくれないのだろうか。
 そこで思い当たるのは歩幅についてだが、だいぶ以前になんとなく測ってみた時は僕の歩幅は55センチ前後だったような記憶があるけれど、ある時90分も散歩したのに2000歩以下のカウントしかされなかったことがあり、機械が信用できなくなって40センチ程度の歩幅設定にして調整するとほぼ歩数どおりのカウントをするらしいことが分かって、そのように設定したような記憶がある。しかしそれでも距離が二倍以上の誤差が出るほどの差ではないような気がする。
 やっぱり釈然としないので、普段歩いている散歩コースの実際の距離を測ってみることにした。車の距離計でおおよそをつかむことは可能だろう。本当のコースは車で通れない道もあるのだけれど、車の通る道とそれほどそれるわけではない。まあ、あくまで概算さえつかめればいいということで、車で測ってみたのである。
そうして結果的に先に紹介したいつものフルコースは、3.5キロあることが分かった。歩きだから百メートルほどの誤差があるかもしれないとするとしよう。ちなみの朝歩いた時の万歩計の表示も記録しておいたら、1.52キロだった。やはり二倍以上の誤差である。なんだかひどいじゃないか。
 仮に日本一周の距離表示に従えば、倍の3800キロ地点まで行けた可能性があるかもしれない。ちなみに福島県ということらしく、やはりえらく遠いところではないか。考えるだけでものすごく損した気分になってきた。俺の青春を返せという感じだ。誰が責任者か知らないが、一発殴らせてくれという怒りさえ湧いてくるのだった。
 しかしながら何時まで嘆いていても仕方がない。歩幅をもう一度測ってみると、やはり普通にゆっくり歩くと50センチ強という感じではあるようだ。万歩計の設定を50ということにして、巻き返しだとばかり朝から張り切ってフルコース50分に挑戦して帰ってくると、万歩計の電池が切れていた。うう、青春どころか俺の朝を返せ、である。
 そういう風にさらに意気消沈してしまう散歩ではあるが、これからも少しずつ刻んで前に進むよりない。こういう嫌がらせのような妨害に会おうとも、今日も杏月ちゃんは僕に期待している。そういうことを裏切るようでは、人間としても失格なのである。
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サンタは当然いるんだけどね

2008-12-25 | ことば

 米国では今の時期、メリー・クリスマスじゃなくてハッピイ・ホリデーと挨拶するのが常識だという話はちょっと前からよく聞く話題だ。まあ、一種の宗教的配慮というものらしい。まあ、ごもっともという感じがするのは確かだが、じゃあ、実際どうなの? という話になると、正直言って知らない。こんな話題はよく知らないからそうなんだという説得力を持つということなんだろうと思う。第一米国がどうだから日本でメリー・クリスマスがおかしいというような話になるのだったらまったくのお門違いで、日本はもともとメリー・クリスマスじゃないか、ということにすぎないからだ。まあ、もともとがどの程度もともとなのかという問題はあるにせよ、クリスマス会のようなところでしかそんな挨拶のような事は言わないので、まったくもってなんの問題になりようもない雑音だ。第一休日とは限らない上に、休日だからといってもそんなことを言う習慣すらない。あえて言うなら「よいお年を」か、明けてから「おめでとう」ということなんだと思う。それはそれで別に言い方はあるんだよという話も聞こえそうだけれど、クリスマス期間というものがあるのなら、恐らく日本の年末年始の特別観とマッチしたからこうなったのではなかろうかということの、あくまで日本の独特の習慣であるということの方が言えることではないだろうか。
 ところで、我が家の息子たちにもクリスマスは訪れたのだが、微妙なお年頃になってしまって、今年はサンタが来るのかどうか、かなり怪しい雲行きになっていた。結果的にどうしても前倒してプレントが欲しかった(息子の方が)関係で、サンタさんは来られなくなってしまった。僕らとしても非常に残念だったが、結局サンタさんだって急に絶対的に来られなくなるのは寂しいらしく、お菓子だけは届けられたようだ。しかしながら朝からはしゃいだ子供の声というのは結局聞けなくて、クリスマスというのは大人にとっても必ずしも楽しいだけの日じゃないのだなあ、と思ったりした。本当はこの日がジーザスの誕生日じゃないという話もあるけれど、誕生会を盛大に祝うという同調性が感じられなくなったとしたら、それは宗教の話というよりも、何かもっと根源的な人々のつながり方のありようの変化のようなものが働いているのかもしれないなどと、おおげさなことを考えてしまうのだった。まあ、個人の感情が世界に影響がないことを祈ることにしよう。
 改めてメリー・クリスマス。
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トラディショナル・ファーストフード

2008-12-24 | 

 昼につれあいが居ないということで昼飯はおにぎりだった。家で食べたとはいえ、なんとなく遠足気分になって、二男と一緒に黙々と食べた。茶碗の中のご飯が冷えているとなんとなく侘しいものだけれど、おにぎりは特に温かくなくても侘しくないのは何故だろう。それに当然ながらちゃんとおいしい。つまりご飯は特に温かくなくてもおいしいということなんだろうと思う。もちろんレンジもあるから温めるぐらいは手間ではないが、冷たいままおいしいのにわざわざ温めて食うこともない。そんな風に普通にすごく美味しい冷たいおにぎりは、偉大だなあと思うのであった。
 さて、しかしおにぎりは親近者が握ってくれるので安心して食べられるということがあって、実はあんまり得意ではないというか苦手な食べ物である。手間の上ではこの上なく手軽なんだから、厭うことなどないではないかと思われるかもしれないが、最近はおにぎりといえばコンビニものが流通して、家庭の味がおにぎりということが少なくなったように思う。そういう意味でもなんとなくおにぎりの地位が下がったような感じがしないではない。ちなみにコンビニのおにぎりはようやく開け方をマスターしたので、不器用だからとかそういう意味で苦手なのでもない。
 小さい子供の頃にはどういうわけか、いろいろと寄り合いというのか、人の集まる行事が多かった。人が集まると炊き出しがあって、お母さんたちがワイワイやって吸い物とか煮ものなどのようなものをつくっていた。出前で何か頼んであるという場合も多かった(たいてい皿うどん)のだが、炊き出し班が何かをつくるということは必ず必然的に行われていた。お母さん方が炊き出しをするので、当然小さい子供たちも一緒に台所というか、炊き出しの料理をしている中に騒然と一緒に遊んでいる。そうしていろんなご婦人方の料理する所作を逐一観察させられることになる。母親が料理を作るというのは見慣れた風景だけれど、他のお母さんが料理を作るというのは当然見慣れていなくて、なんとなく目新しいというか、少しばかり興味もあったものかもしれない。包丁を使ったり鍋を覗いたりという動き自体は同じようなものかもしれないが、やはりなんとなく勝手が違うような気がしたものだ。
 まあそこで、「家政婦は見た」ではないが、その料理風景を見たことが、僕にとっては不幸なことだったのだと思う。他のお母さんの食材の扱いが、なんとも不潔に思えたのだ。かまぼこの切れ端を床に落としても拾って鍋に入れるし、代わる代わる味見するのにも同じお玉にみんな口をつけたりしている。そうして圧倒的にショックだったのは、手のひらを舐めながらおにぎりを握る人がいたことだった。僕はすっかりげんなりしてしまって、すべての食欲が失せていくのだった。
 やっと大人の男たちが集まって、誰かが乾杯の音頭をとって無事に宴会が始まると、子供は酒を飲むわけにはいかないから、とにかく並べられた飯を食えということになる。御近所の知った顔のおばさんがやさしくというか強引に皿にいろいろ盛ってくれて、「さあっ」といって勧められたものを拒否できるほどの意志の力が、まだ小さい頃には備わっていなかった。誰だってそうだろう。
 しかし、あれほどの拷問はそうあるものではない。食いたくなくても食わなければ何をされるか分からない(実際は何もされないだろうが)。思い切って歯をくいしばって何とか口の中に入れて、もぐもぐさせてグイと呑み込む。涙が流れるような思いでやってひと皿平らげると、「あら、お代りあるわよ」と更におにぎりが山盛りになった皿が目の前に置かれるのである。これを食べなければ逃れられないが、流石にキリがない。泣く勇気があれば大声で泣いていたことだろう。
 まあ、だからといって引きこもりになったわけではないけれど、その当時は流行ってなかったので知らなかっただけなのかもしれない。しかしおにぎりに対する不信感はしっかり残って、今だに座敷宴会などでおにぎりが並んでいると、なんとなくギョッとしてしまうのであった(まあ、酒を飲むと食えるのだから不思議だ)。
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年賀状どうしよう、の状態です

2008-12-23 | 時事

 すっかり選挙の話が出なくなって静かな年末を迎えているわけだが、それでいいのかというとそういうことでもなさそうなところが不穏であるともいえる。不景気と年末も相性がよく、せっかくのお正月を迎えるに当たって不幸な人がいることが何よりの娯楽であると喜んでいるようにも見えて下品だ。しかし、やはり深刻な状況になっているのは、ジリジリと自分の首だけは確保しておきたい既得権益の人たちであろう事も見て取れて、今のうちに深刻なんだから仕方ないんだもんね、という言い訳作りの世論形成に励んでいるのだとしたら、それはそれでやはりずるいとは思う。思うけど、経営者はじめ正社員が自分たちの権益まで緩める勇気があるはずが無いので、派遣切り騒ぎで何とか持ちこたえたいという願望で、先送り様子見という人がけっこういるようにも思う。どの道政治は明らかに間違うし期待する方が馬鹿である。幸いに全部政治のせいにしてくれるマスコミも味方だし、大衆だって本当に理解していないのは明白だ。結局選挙が無いことが救いになっているということでもあるのだろう。何故ならみんな間違った選択をしなければならなくなるのだから。民主党だって実は何にも出来ないということがばれないだけでも助かっていて、さらに麻生さんに感謝すらしているに違いない。全部困ったことになっている中でどうにもならない状態にせよ、麻生さんは困った人の代表として適任だったのではないかとすら感じられてしまって、とりあえずみんな自分のせいじゃないような気がして、わずかながらの心の平安というか、安心できて幸福なのではないだろうか。本当はそこまで馬鹿であるはずはないんだけれど、今ではひょっとするとタコ八郎より漢字が読めないと思われているような馬鹿だと多くの人に信じられるようなことになってしまって、親戚一同肩身の狭いことになっているのではなかろうか。しかし金持ちなので誰も同情すらしてくれないのである。
 いや、ただ年末だなあ、と思って…。年賀状書かなくちゃかな。
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世界経済危機 日本の罪と罰

2008-12-22 | 読書
世界経済危機 日本の罪と罰/野口悠紀雄著(ダイヤモンド社)

 野口悠紀雄は僕にとっては超整理法の人なのだが、本職は経済学者なのでこのような本も書く、というかこれが本領であるのだろう。超売れっ子で量産作家でもあるから内容的にタイミングが良すぎて、さらに書きとばしているのではないかという先入観も少しあったけれど、まったく杞憂といっていいだろう。いや、むしろ失礼で、書いてあることにはぶれもなく、シンプルかつ力強くものすごく分かりやすい。お勉強の本なのに面白くてすみませんというレベルまでクリアしており、これを読まずして何を読むのかという感じすらする。もの凄く影響力のある人なので、すでに多くの人が手に取ったであろうことを思うと、この本がまともに受け入れられて世論形成までしてくれることを願う気持ちまで湧いてきた。少なくとも、この本の指摘するような現状を把握する程度には、世論についてきて欲しいと真剣に考えてしまったのであった。そうでなければ日本はまともに道を踏み外す。今でもかなりそんな感じが漂ってきておりもして、危険が危険を呼び込む水域に達している感すらあるくらいである。そういう意味では早く手にとってもらわなくてはならない本といえるだろう。
 第一に米国発の金融危機について、ほとんど日本も同罪だというシステムというか、からくりを明らかにしている。この関係は以前からかなりのひずみであることは分かっていながらも、結局日本はしてやられてしまってお終いである。悔しいが、馬鹿だったとしか言いようがない。問題はこれからも同じように馬鹿のままで生きていかなければならない宿命ではないということだ。いじめられっ子だって、自分の力がまったくの無力ではないことを知ることから反撃の方法を考えなければならない。無力のままなら絶望しかないではないか。
 もう一つの柱である円安バブルの崩壊についても、日本の立場としてある意味でまっとうな戦法であったとも思うが、歪んでしまっていたこともまた事実であり、救いようのない過ちであったことも明らかにされてゆく。いびつな歪というものは、やはり自然のうちではいつまでも耐えきれる状態なのではない。そうしていづれははじけてしまう。まさに、今がその状態なのだろう。現状を知らないままに行動することが一番危険で、暗闇の中崖があるかもしれない位置から駆けだす馬鹿はいない。まずは足元を照らすことが必要で、自分の傷口の手当が必要だということだ。腫瘍が悪性なら、除去する必要だってある。今はそういうことだということなのである。
 また経済学的な見方として、日本の国力をどのように伸ばすのかというシンプルな考え方も披露してある。題材としてダメな見本で語られる農業政策の現状をデータを基に明らかにしていく手法も、目新しくはないがその通りで、説得力は高い。いや、これだけでもみのもんたファンには読んで欲しいくらいだ。いや古館伊知郎やNHKも同じことだ。これぐらい当たり前の認識くらいを前提にして報道する学力と、他人におもねることを捨てる気位と勇気を持ってほしい。
 それでもやっぱり道は険しい。そんなことは重々承知しているけれど、やはり認めることはつらいことかもしれない。この本は単に危機感をあおるだけの「大変だ宗教」の本ではない。では何をすべきかという明確な道しるべなのでもない。少なくとも、もっと絞りだすような懸命な労力が必要だということを教えてくれるのみである。もちろん、その力の入れようがあるということは理解する必要があって、「今だって頑張っているのに」という泣きごとをいうつもりの人にはたぶん役に立たないだけの話である。いや、それだけでも十分に戦力になることは日本という巨大な国には言えることなので、要は諦めない処方箋であることは間違いがないのである。
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両方圧巻であったといえるが

2008-12-22 | 雑記

 朝から寺子屋だったので小学校にずっといた。行事としてはY光ちゃんがいなければこれからも困るなあという内容ではあるにせよ、それなりに消化できてよかった。竹切りで汗びっしょりになっていい鋸が欲しいと思ったが、今後もそんな必要が度々であってもあるとも思えないので、思うだけにとどめよう。むしろ学校の鋸の刃がひどいことになっている現状を思うと、子供が使うのだから仕方がないにせよ、本当にものを大切にするなんて教育は死んだのだろうなあと思ったのだった。教えようにも不可能な領域である。
 しかしながら少し準備段階を親子に負担させる試みとしてはかえって良かったと思った。今までが準備のしすぎで、至れり尽くせり過ぎたのだと思う。それなりに苦労している人も多かったようだけれど、実際がそうなんだからそのように労力がかかる方が自然なのであろう。
 進行上もそれなりに上手く行ったようだった。餅つきも若手の先生と、飛び入りのお父さんの活躍もあって、まずまずというところ。低学年の参加が多かったので、実際に餅つきをするというのには無理があるようだったが、親の視点的にはこの方がいいのかもしれない。本当の餅つきのハードさを体験することを放棄した親たちのさらに親の世代がいたことで、餅つきは単なるノスタルジー行事以上ではありえなくなったのだ。もちろん僕はそういう現状を嘆いているものでも何でもない。いまさら元には絶対に戻らないということを理解しているだけのことである。

 今はワンセグ放送があるので先生方が行事の間中携帯で見ていて、ほとんど経過や結果は分かっていたのにせよ、帰ってからも駅伝三昧観賞する。
 すでに男子は第三区の途中で、西脇工業以外はほとんど予想通りの展開という感じになっていた。その後は下馬評の予想通りというか、出来すぎともいえる佐久長聖の横綱相撲で圧巻のレース展開となった。本来なら兵庫県勢や大牟田などがやりたかった駅伝のスタイルが現実化した訳で、一時は崩壊したとも思われていた時代が復活したようにも見えた。
 それにしても凄い。他の優勝候補といわれる高校も、決して思惑が外れたり弱すぎたりしたわけではなかったにもかかわらず、本当に軽々と力でねじ伏せてしまった。昨年の負けが本当に次のレベルの高みへとつながったのだとしたら、佐久長聖時代はそう易々と崩れはしないのではないかと思うのだった。
 女子の方もビデオをまきもどして再び鑑賞。こちらも結果的には圧巻レースと評していいのだが、想像以上にスリリングだったことが改めて分かった。考えようによっては冷や汗レースだったかもしれない。
 筑紫女学園や千原台は予選敗退したにもかかわらず記念大会ということで復活した上に大活躍といってよく、さらに筑女は襷リレーのミスなども重ねながらもものすごい力強さを見せたと思う。強いというのはこういうことではないかと改めて舌を巻いた。意地が強いというのか、結局人の気持ちというのはこういう具合に現れるものなのだろう。豊川の新たな時代の幕開けも感じないではないにせよ、岡譲館にせよ立命館宇治のような伝統校の粘りもあって、まだまだ女子は伝統の力が生きているという印象も残したのだった。
 もう一度男子の観ていない前半部も見直してみると、留学生のいない一区が想像以上に牽制しあうレースだったことが分かった。勝負を楽しんで見るという点では面白くなったことは間違いないが、本当に力のある選手の伸びしろという点では、やはり難しいものが残っているようにも思える。他の区間のさらなる高速化が進んでいることからも、結局は一区の重みが増している(失敗が怖くて勝負が遅れる)ことには間違いがない。全体が強い上にエースが居るという完ぺきさがそなわなければ全国制覇が難しいという当たり前のことが言えるわけで、ますます高校駅伝も難しい時代になったのだと思うのだった。しかしやはり佐久長聖の存在は、仙台育英の黄金時代に、神の領域まで登ったといわれる領域さえもそうではないかもしれないと思わせる力があって、あえて報道が「日本最高」などと囃し立てる喜びようなどもあり(情けない。結局日本は保護されなければ力がないと白状しているようなものだ)、象徴的な年であったということは後になっても言えるようなレースであったと総括していいのだと思うのだった。
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ロード終了

2008-12-20 | 雑記

 訳あって長崎泊。会議の後、公式行事(なのか)として今のところ今年最後の忘年会に参加する。結局ここ二週間ばかり風邪で調子が悪くて、特に忘年会がある日に体調が崩れる。ほどほど感で押すが、酒を飲むと勘所も狂うわけで、それはそれで仕方が無い。
本当は幹事さんが別にいるのだが、勝手に辞退して僕に押し付けられたのだけれど、金の計算はいいにしろ、何処に行くべきなのかの算段はいきなりで分からない。もう一人の若手のT三君は、一次会で給仕をしてくれたお姉さんに相談して、その上彼女の上がり時間まで確認していた。さすが。
 まあ、結局会長の行きつけの店に落ち着いたのだが、会計になって驚くほど安くて、結局全員におごってくれたのだった。ラッキーというか、あそこのママさん計算間違えたんじゃないだろうか。
 それぞれタクシーに乗せて、事務局の人も、なんとなくこれで、などと手を振るので、ああ解散だなあと喜んでいたのもつかの間、もう一人のこのあいだの大トラさんが背後にいて、もう一軒と手を引っ張られた。まあしかし、入ったのは包丁人が女の人というカウンターの小料理屋さんで、手早い包丁さばきでタコブツが塩でなかなか粋なのだった。
 さてしかし、いよいよ今年も終わりですなあ、という感慨があって、いつのまにかいろんなことがあったよなあという話ばかりであって、そうして僕自身も単なる若手というだけの立場でなくなっていくようで怖いのであった。新しい役員の人であっても、そろそろ還暦というような人たちであり、かなりの先輩であるはずなのに、僕のほうが役職経験は長いのだ。これが恐ろしくなくてなんという。普通こういうものを辞去する為には、体調が思わしくなくなるというのがいわゆる寿退職の王道で、しかし誰が好き好んで体調を悪くするものであろうか。
 そんなようなことを人の話を聞く振りしながら考えたりしたのだが、しかし、いつまでも同じような状況が続くはずも無いとも思い直すのだった。この会だってどうなるか分からないし、みんな口では中央情勢がああだこうだとしたり顔で話す割には、本当に現状を理解しているようには見えない。本当はみんなで沈没船に乗っているのかもしれないのに、目の前の水漏れを見ようともしていないようなものである。本当に彼らは日本というものをどこか楽観して信頼しているのだろう。まあ彼らの多くは、どこかで帳尻を合わせるのは上手なんだから、不器用な僕は準備だけは人より先にするより無いのだな、と思い直して年の瀬を乗り切ることにする。
 ホテルで朝を迎えると、思ったとおり最悪の風邪状態で、顔を洗うとまたしても大流血の鼻血で困惑する。こりゃあ駄目だと二度寝して家に帰った。風邪との決別が早急の課題であることは間違いない。寝よ。
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首切られた方が幸運かも

2008-12-19 | 時事

 人といろいろ話していても、最近の話題は経済のことが多くなっているように感じる。年末になって年を越さなければならない時期に、不景気を肌で感じるようになっているということなのだろうか。それなりに経済論理を武装している人も増えていて、まあ、それは確かにそうだね、という解説を聞くことも多くなった。正直に言って間違いだと思えることもあるし、いわゆる一般論を概観したものを述べている人もいる。専門家でなければ語ってはいけない話なのではないし、僕自身も嫌いではないのだろう、フムフム聞いたり口をはさんだりしながら時間をついついつぶしてしまう。思えばいろんな事があったのは確かで、いつの間にかそういう方面の本もたくさん揃えて買ってしまっているようでもある。年末年始は経済の本でもゆっくり読んで、頭の整理をしておこうなどと思っている自分がいるようである。
 さて、その中で特に怒りや不安でもって語られるのは、人員削減や内定取り消しの話であるようだ。内容的にはいろいろあるが、おおむね大企業がけしからんというものが多い。企業の社会的責任論や品格のことを言う人もいる。今までの好景気でため込んでいる内部留保はどうなのだということもあるし、雇用の不安定が将来の先行き感をさらに暗くすることは確実ではあるだろう。社会不安は治安の悪化を招き、日本は住みにくい社会へ変貌する恐れもないではない。都会に住んでいるだけで、相当のリスクがあると考える方が自然である。それでも日本は諸外国より数段治安がいいのだから(暴動が起きるとも考えにくいし。まあ、諸外国ならそのレベルまでひどくなる可能性は高い)凄いものだなあと思う人は少なく、不安が増大して先行き不安バブルになるに違いない。
 今回の、というか今後の日本がどうなるなどというのは簡単に言ってそういうことなのだが、僕も何となく認識を変えなければならないと思いだしているのは、これは諸外国よりまだ日本の痛手が少ないのではないかという楽観論である。もちろん金融方面での痛手は軽微で、そういう方面から見た健全性を考えると日本は大変にラッキーだったといってよい。しかし、日本でもバブルがはじけたことも確かで、そのはじけたものが円安バブルであったということも、今後どんどん明らかにされていくことのようだ。派遣労働者の首切りや内定取り消しというのは、基本的にそういうことの裏付けであって、これは基本的な日本国内の産業構造の転換期であることを示している。もう日本国内の製造業は復活しない可能性さえある。そんなときに日本国内の労働者を抱えることは、国際企業としての死活問題になりかねない。海外で売れなくなったということはもちろん嘘ではないにしろ、生産現場を現地なり海外へ移転する準備を急速に進めるところ以外は生き残れなくなったというべきなのではないか。あの大企業の代表であるトヨタでさえ、というような論調はかなり聞かされることではあるが、ひょっとするとトヨタは、GMやクライスラーの買収を模索しているのではないか。そうであるならば比較的好調といわれる東海地方の崩落もありうるし、地方経済ということでも、工場移転で活気づいていたところほど、この先は深刻ということになるだろう。
 まあ基本的に日本の大不況は確実で、さらに根が深く深刻であることは避けがたい。米国が深刻であることも間違いないけれど、時間的な復活シナリオを描くことから考えて、米国より長期にわたる暗黒時代が続く可能性が高いと思われる。世の中の大変屋さんのマスコミ関係者とは考えを異にする人間ではあるにせよ、このことに関しては、真摯に受け止めて行動しなければならないと自戒したい。それでも単に会社が悪いと企業叩きに精を出すことは、さらに痛手を広げる自殺幇助であることだけは指摘しておくのみである。
 しかしながら今までは、古い産業構造が事実上崩壊しながらゾンビとして生きながらえていたことも事実である。たぶん今後はいくらもがいてもそういうゾンビはもたない。やっと新たな産業構造へ事実上シフトしていくことは確実だといえるわけで、これの一点においてのみ、慶賀すべき将来性と考えられないこともない。そうした将来性がどこで生まれるのかということも注目されるわけで、たぶんこれは首を切られたり内定を取り消されたりした方の人たちの間から生み出される可能性だってあるように思う。相手にされないことで自立の道を見出さざるを得ない状況であるからこそ、次の産業構造の担い手となるようなものを生み出す原動力につながっていくのではないか。そういう訳で、既に構造上立ち行かない業界の崩壊こそ、いいスタートが切れるということだけは言えるのだろうと思うのである。
 蛇足的に付け加えると、不景気は公務員といわれているけど、その方面だって借金によって賄われていることを真剣に考えた方いいと思う。今も財政支出で何とかなるなんてレベルの政治が暴走を続けているが、借金だってバブルと同じようなものである。はっきりと日本の財政水準はバブルの域に達している。これは預言でも何でもない。今もっとも将来性がないのは、日本国を支えていると考えられていたそのような構造なのである。先に政治がもたなくなるが、そのまま共に崩壊するのはどこなのかということである。
 まあ、他人事ではないという自覚を持った人が、次の一歩も踏み出しやすいことも確かだ。皆さん気を確かに持って、あえて前進あるのみですよ、ほんと。
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悲しい代車

2008-12-18 | 音楽

 音楽を聴くのはほとんど車の中である。渋谷さんの番組をMDに入れてあるのを聞いたり、その番組の曲だけピックアップして編集したものを聞いたりするのが約五割という感じで、残りの2割が持っているCDを聞く。2割は講演や時事ネタなどの話を聞いているようで、1割あるかないかでラジオという感じかもしれない。ラジオは国会中継などなら楽しんで聞けるが、民放のFMなんかは不快になるので聞かない。どうしてあそこまで馬鹿な話しかできない(または馬鹿が書いたとしか思えない手紙や葉書のコメント)のかどうしても理解できない。時々自分のスピーチの練習を運転中にすることもあるので、そういう場合は何も聞いていない。今は話をする機会なんて激減したから、音を切ってボーっと運転ということもたまにはある。自分で運転しているにせよ、決まった通勤の道であれば、いつの間にか家についているということがある。ほとんど記憶がないから、本当に何も考えていなかったのかもしれない。
 かもめ広場のイベントの時に愛車の軽バンが故障して動かなくなった。それ以来一応代車という軽に乗っているが、これについているラジオが二日目に壊れたようだ。運転中に電話が鳴って、こんなことを正直に言うのはいけないことだが電話に出てしまい、音がうるさいのでスイッチを切ったらそのままどのようにいじっても電源が再び入ることがなくなってしまった。その程度で壊れたのならこの据え付けのラジオが悪いと僕は思っているにせよ、なんだか釈然としないところがあるのも確かで、僕が悪いことをした様な後ろめたさが残っているのだが、困るのは運転中に何も音楽を聴けなくなってしまったことだ。聞けないと思うととにかくもっと寂しいというか、だんだんイライラしてきて、このぼろ車の軽の代車野郎と何故だか車が勝手に意地悪な男のような気がしてくるから不思議である。この代車は本当にシンプルに代車として使ってくれというような主張しか無くて、妙に大切に扱われていないような風格があり、ハンドルを拭いてもべたつき感が残るような車なのである。そして窓はいまどきインドでしか生産していなさそうな手回しハンドルなのであった。まあ、寒いから窓なんか開けなくてもいいけど…。
 そういう訳でいつの間にかほとんど二週間音楽に飢えていて、ああ年末のボブ・ディラン生活はどこに行ったのだ、という失望感に包まれている通勤生活なのだった。
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やっと朝散歩復活

2008-12-17 | 散歩

 今回の風邪はなかなか厄介で、今だに尾を引いている感じが残って臆病になっていた。つまり朝から散歩に出る気になれない。またひどくなるんじゃないかというのが怖いのである。あつものに懲りて何とかというやつである。時すでに忘年会シーズンなので夜が遅いせいもある。これは素直に朝がつらい。そして、翌日の夜の懸念もあって休んでおきたいという不安もある。体力というか、疲労の蓄積こそが風邪の大敵という感じがあるので、体が予防を欲しているという感じもする。忘年会なんだからひかえておけばいいという考えもあるだろうけれど、これは片づける事項に近いので、忘年会がダメならば新年会と物事を先送りにするような後ろめたさが残る。僕は政治家や官僚ではないから当事者としては、先送りにして物事を済ませるような態度をとるわけにはいかないのである。
 そうして重い腰を上げて、エイヤっという感じで夜明け前の闇の散歩に出てみる。放射冷却というのだろうか、確かに頬をさすような冷気が一気に体温を奪っていくのが分かる。杏月ちゃんが元気にリードを引っ張らなければ、とても元気に歩みを進める気にさえならない。それにしても暗くて、足元がよく見えない。早朝といっても、新聞はほとんど配達が終わっている時間帯である。どこかで鶏の鳴き声は響いているし、渡り鳥はバサバサと上空を舞っている。動物たちはすでに朝だと気付いている暗闇なのである。
 杏月ちゃんが気になっているマーキングの跡もそれなりの収穫があるようで、すでに散歩を済ませている人たちが相当いるのだろうと思われる。みんな暗くなっても変わらぬライフスタイルを送られているものらしい。なんとなく頼もしい。憶病であった自分が恥ずかしくすら感じられる。また、この世界を取り戻せたという喜びが段々と湧いてくるというものだ。朝やけが広がっていよいよ一日の始まりらしい雰囲気になってくると、老人臭く活力のようなものが湧きあがってくるから不思議なものである。占いなんかより数段、今日一日がいい日になるような予感さえするものなのである。
 朝の光がまわりを照らすようになると、朝靄が谷から湧きあがってくるのが見て取れる。仔細に見ると、田んぼの中心に十字に広がる水路などから特に湯気が湧きたつように靄が湧いているようである。夜の間に大地はすっかり冷やされるのだが、相対的に水の方は比較的に温度が保たれているのかもしれない。夜になれば山から海へ風がながれていたものが、朝やけとともに海から山へと風の流れが変わる。吹きあがる風に舞いあげられるように靄が山を吹き上げていくのである。思わず白い息を吐くとともに感嘆の声がもれそうになるような見事な朝靄の流れを眺めて、坂道を登って我が家に帰る。待っているのは暖かいスープとバナナなのであった。
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トラにからまれる

2008-12-16 | 雑記

 訳あって福岡へ。どういう料簡なのか奇特にも表彰してくださるところがあり賞状などいただいたりした。懇親会会費も中華料理のフルコースでなんと千円。もちろん飲み物も飲み放題だからどういう料金設定なのか不明だが、ぜんぶ奢るとかえって参加者が減ることを配慮してくれたのかもしれない。まあ交通費はかかったにせよ、感謝しなくてはならないのはこちらの方である。今どきの経済情勢にありながら太っ腹だなあと感心した次第。まあ、時期も時期なので特に名を秘すことにしますが…。
 しかしながら流石に業界人という人たちがいて、なんだかJCを思い出したりしてしまった。ビジネスマンって妙にスマートにふるまうんですね。僕らの業界人はかなり変人が多いようで、改めて違うもんだなあと思ったことであった。
 二次会は何故か春吉橋の屋台。最近は二次会も三次会も飯屋さんなんですよ。
 僕らの団体の前にカップルの先客があって、小さくなっていたので声をかけると宮崎から来たとのこと。新婚旅行ではないが、彼女であると男は答えた。ほとんと会話を交わさないまま、焼き魚を食べたらそのまま出ていってしまった。まあ、せっかく二人きりなのに、団体に来られると閉口するわなあ。
 屋台の方は観光客慣れしたマスターが酔っ払いながらいろいろ焼いてくれる。トイレを聞くとその辺の繁みでかまわんとのこと。まあ、かまわんといわれても、それじゃマスターは手を洗ってないんじゃないの? などと考えてしまって普段は不潔だとつれあいに罵られている身の上のくせに妙に潔癖感がわいてきて、少し歩いて公園のトイレを探して用をたした。道行呼び込みのお兄さんが激しく誘惑するが、トイレを探しているときにそんなに悠長に店を物色もできない。いくら不景気だからといって、人の都合も考えるべきであろうとは思った。
 やっぱり思ったとおり三次会も居酒屋に行き、店がオーダーストップになり店員がカウンター前に並んで蛍の光が流れても話が止まらない人をなんとかなだめてホテルに帰ると、もう一軒行くんだああ、人の気持ちを先に察して配慮するのが若い者のつとめだああ、だからリストラされるようなことになるんだあ、などと怒られたが、それはすべてとばっちりだと思った。
 勿論そういうことがあっても翌朝は平和なのは、そいうことを起こした人は記憶を無くているからなのである。そうと分かっていたらもう少し派手にやりあってもよかったかもしれないとも思うが、僕はこういうのは不思議と覚えているもので、派手になればそれだけ気分が悪くなるので、あの程度で済んだということを喜ぶべきなのであろう。
 そういえば朝からシャワーを浴びているといつのまにかバスタブが真っ赤に染まっていて、何事かと慌てると激しい鼻血であるようで、シャワーで温まっているのでなかなか血が止まらない。そういうヒッチコック劇場の騒動をかいくぐってバスルームのカーテンなどを掃除したりしなくてはならなかったのは、それなりに血がのぼっていたせいなのだろうか。ま、単なる偶然だとは分かっていることだが…。
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本当はマラソンじゃないけどマラソン大会

2008-12-14 | 雑記

 近所で開催される長距離走の大会である池田湖マラソンの準備のために池田の堤公園に行く。7時半集合だったから遅れないように20分に着いたにもかかわらず既にほとんどの外形的な準備は整っている。お年寄りの底力というところか。早いですね、と恐縮していると「いや、昨年は7時集合だったからね」というお返事である。つまり7時集合にすると6時過ぎから集まりだすのでその必要ないから7時半にしたもので、今の状況はちょうどよい塩梅だといいたいらしい。なんだ、お年よりは時間にルーズなだけじゃないか。
 まあそれでもそれなりに荷物を運んだり、後にうるさくて閉口させられたスピーカーの設置などを教頭先生たちと一緒になってエイホラ労働する。健全協のお年よりは独り言や講釈が多いくせにまともな船頭さんが少ないので、それなりに効率悪く準備が進む。結局ぼちぼち集まった先生方が大方脇を固めて整えたということだろうか。そういえば以前は本当に先生の参加が少なくて準備や運営で右往左往したものだけど、ほとんど何にもしない感で臨んでも不安なく大会は運営されたのだった。
 ひとつだけ不満を言うと、開会式がいささか長すぎるという感じだろうか。実際に走る人たちが一番大変なんだから、彼らのことを優先的に考えるべきであろう。セレモニーは最小限にして競技に集中させた方がいい。どういうわけだか(それなりの元職の人が呼ぶ所為かもしれない)おおくの現職の政治家が出席してくれるにせよ、来賓を始めとしての挨拶などは最小限にとどめるべきだろう。挨拶の機会がなければ来ないような政治家などは地域に必要などない人に過ぎないのである。僕もPTA会長として来賓紹介されてしまったが、運営委員として参加しているのだから来賓でなくて結構である。少なくとも主催者挨拶でふれられているだけでも十分すぎるわけだから、過剰なる重複に過ぎないのだ。
 まあしかし、一年生から中学2年生(含む身内一般人)まで男女別に順番に走っていくわけで、延々と競技は続く。一度はスターターを務め、耳がキーンとなって後悔した。
 年年配は確かに同じような風貌のおじさんから同級生ではないかといわれ、顔をマジマジと眺め、ついには名前まで聞いたのだけどどうしても思い出せなくて素直に謝ったら、実は相手が二級先輩であることが判明して、お互いになんとも気まずい雰囲気になったりするハプニングもあった。僕に似ている同級生がいたんだろうね。それだけ僕は無個性な人間なんだと、あきらめと安心もした。
 そういうようにして時間を過ごして終了した。次男坊も参加していたが、終始僕の方を見ることは無かった。もちろん早くもないし、遅すぎるわけでもないので、中途半端に気恥ずかしかったのだろうと思う。彼は大人になってもこの大会を覚えているものだろうか。
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運命の人と強引に会う

2008-12-13 | 雑記

 朝から車すっ飛ばして福岡でのセミナーに参加。バスが普通の車のように割り込んでくる。生存競争が激しいという感じがする。誰もうかうかしてられないということだろう。駐車場も確保して安心すると、まだまだ開催時間まで間がある。仕方が無いからその辺を散歩していると地図を持った青年に道を聞かれる。先を急いでいない風の人間なんて俺一人なんだろう。もちろん聞かれても知らないところのようだった。相手は選んだつもりなんだろうけど、申し訳ありませんでした。
 セミナーは、いきなり全国の会長さんの基調講演だった(実は何のセミナーなのか着くまで忘れていた)。ある程度ご年配の人だと思うが、滑舌は必ずしもよくないけれど聞き取りにくいわけでなく、なかなかしっかりしたお話である。第一内容が新しく毎回驚かされる。相当勉強しておられるのではないか。やっぱり自ら学んでいくという人はいつまでも頭が明晰なのかもしれないと恐れ入った。
 昼の弁当をもらいに行こうとすると、またしてもY泉君とばったり。まあ、なんとなく同業者なのでこういうこともあるにせよ、はっきりいって気持ち悪い。急に親しい友人みたいだ。そういえば講演中に電話があったなと思い出して、ちょっと失礼と外そうとすると、いやあ、僕も電話の用事だった、といって背中をむき合わせてお互い電話するのだった。僕の用事はすぐ済んで、弁当もって席に戻り、弁当食って空箱を捨てに行くと、ロビーで弁当を抱えたまま電話しているY泉君がまだ居た。やっぱりこの人はなんだか怪しいので、結婚式には何か用事でも作って欠席した方がいいのかもしれない。
 また少し散歩して会場に戻ってくると、今度はY泉君はパソコンを抱えて会場を後にしようとしている。どうしたの、と聞くと、逆に聞き覚えの無い労務管理について質問してきた。内容は特に秘すが、ちょっと労務上は問題がありそうな内規だったので、その旨感想をいうと、いやあ、何処でもやってると思うんだけどね、だってさ。何処でもやってるからといって違法は違法だよ。日本人はよその違法行為には割合無関心で、特に知ってても関係なければ言わないだけの話である。Y泉君、ますます怪しいぞ。そうしてそのまま、じゃあ、僕は別のセミナーへ、などと謎の言葉を吐き去っていった。うーむ、あやつの会社の人間は、きっと苦労していることだろうなあ。もし彼が僕の上司だったりすると、僕はきっと家庭で愚痴りながら毎日をおくっているだろうなあ。ああして目の前からいなくなってくれるから、僕はしあわせなのかもしれないなあ。合掌。
 午後からもセミナーだったけど、まあ、内容はパス。
 ただこのようなセミナーで毎回のように見る、今回の講師はどうだったかなどとのアンケートはまったく困ったものだと感じている。問題はセミナーを受ける人間が如何に内容を吸収したかということが重要で、講師の良し悪し、内容の良し悪し、会場の感想などを書かせることによって本当に内容を消化することを妨げていることに気づいていない。先生が悪いから生徒が勉強できないといっているに等しいわけで、そんな生徒が優秀になれるわけが無い。講師が今ひとつと感じる人間が内容を深く考えるようになるなんて事は少なく、評価の前の自分を見失うのだ。今回何が勉強になり参考になったか、そういうことをアンケートは問うべきなのだと思う。こんな主催者の感覚こそ改めて欲しいと思いながら、なんとなくめんどくさいので大変良いと書いて提出した。
 夜はとんぼ返りして市Pの寄り合い。
 会議後懇親会になり、いろんなところで引っかかって、何故だか少子化対策無意味論をぶっているところでお開きになった。そのせいか二次会にもいく気になって、テクテク歩いてたっちゃんへ。ところが今度はK保さんのパチンコの話を延々と聞かされるのだった。彼なりに面白い話なのだろうけれど、僕はまったくパチンコには興味がないし、これからも行かないだろう人間なので、退屈を押し殺しながら笑顔でお話を拝聴するのであった。これも何かの罰なのだろう。アーメン。
 帰りがけにも気の重くなる話を聞いて、かなりどんよりした酔い加減。あまりにも聞いてない話だし、聞いていることとの乖離が激しく動揺前に絶句というあきれぶり。いや、人間が生きていくというのは重たいものですねえ。僕は何にも望んでいないことを抱え込むことが嫌で、いろいろなものを不義理を承知で切ってかろうじて呼吸を保ち生きのびてきたのだけれど、切っても切っても蔦が木々に複雑に絡みつくように、際限なくまとわりつくように人間を取り込んでいくようなのである。もちろんそのような環境にも負けない偉大な先人のおかげで僕らは生かされているわけだが、その責めを負うものは本来的に選ばれた人であるはずなのである。僕自身は、正直に言ってその責にないにもかかわらず、消去法で担わされているに過ぎないのである。だから僕はまじめに役職をまっとうする気は毛頭無いし、ましてややっていることに一筋の喜びすらみいだせない。僕が人々を殺す役割にあえてならざるを得ない不幸というのはどのように考えたらいいのだろう。そんなことも考えたが、まあ、これは一度白紙にするとしよう。今考えてもどうにもならないことのように思える。回答の無いものを求めても仕方が無い。
 M崎さんとタクシーに乗ると、そういえばまったく別方向であった。運転手に別の空いているタクシーを探しながら運転してくれなどといったりしたが、本の木阿弥。結局余分に料金を払ってもらい帰路についたのだった。結果的にちょっと僕の儲けのようです。ありがとうございました。
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