三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

紀州鉱山にて

2018年10月22日 | 紀州鉱山
 毎年この時期に紀州鉱山で亡くなられた35名の方々の慰霊祭が行われる。今年で11回目だという。
 強制連行で連れてこられた朝鮮人の、判明した犠牲者38名が石となって弔われている。紀伊半島の山あいの町、三重県熊野市紀和町。今でこそ車で行けるが、それでも大阪から山道をぬっての三時間半、揺れる道程。近くには熊野川が流れ、瀞峡としてジェットボートが走る、名が知られた奥地である。この日のために各地から約五十名の方々が集まり、黙とうをし、語り、偲んだ。
 過酷な労働に耐えきれず逃げきれず殺されたり、劣悪な環境のもと、事故で、病気で亡くなられた方々。朝鮮半島の江原道や慶尚北道から何処かも知らされず連れてこられた紀和の町。こんな山奥に来なかったら死ななくてもいい命が消されてしまった。
 70年余りが過ぎていても、清算を求める主催者の日本人からの「日本人の責任」という言葉に心が震え、私自身ほとんど関わる事のなかった在日中国人の、連帯とはどういうものを示してくれる言葉に感動を覚える。
 それでも歳月が歴史の重みを流し、加害の事実を消してしまおうとしている。
考えて見れば被害者の歴史でもある原爆犠牲者慰霊祭は毎年盛大に行われているが、一方で加害の歴史、侵略の歴史は置き去りにされている。不条理だと思う。私もまた置き去りに加担するわけにはいかない。父母の墓参りを欠かさないようにできるだけ毎年こようと思う。在日のひとつの8・15でもある。
                                    郭政義

 注記 筆者の許可を得て、民族教育をすすめる連絡会通信『아이』第29号(2018年1月25日)から転載しました。
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