三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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「番雅侵琼日军兵营旧址」のこと

2017年12月27日 | 海南島史研究
 日本海軍は、海南島に200箇所以上の派遣隊・分遣隊の基地をつくりました。
 その基地のほとんどに望楼と兵舎が建設されました。
 わたしたちは、これまで、1998年6月から2017年12月までの19年半の間に、180箇所ほどの日本海軍基地跡に行き、その地の村人から話を聞かせてもらってきました。
 その場にはすでに望楼や兵舎などの建物は無くなっていましたが、望楼があった高台、基地を囲んでいた周壕跡、兵舎・望楼に使われていたレンガなどの破片などが残っていることもありました。
 しかし、そこには、その場の歴史的事実を示す碑は建てられていませんでした。

 今月(2017年12月)14日夕刻5時過ぎに、保亭黎族苗族自治県新政鎮番雅村を訪ね、高永和さんに自宅の前の広場で話を聞かせてもらいました。
 そのあと、村の農民組織の隊長の王剣輝さんに日本軍の望楼・兵舎跡に案内してもらいました。
 そこには、
     保亭县首批不可移动文物保护单位
     番雅侵琼日军兵营旧址  
     海南省保亭黎族苗族自治县人民政府
     2012年元月5日公布
と刻まれた石碑が建てられていました。 
 その裏面には、つぎのような説明文が刻まれていました。
     番雅侵琼日军兵营旧址,1939年侵琼日军在此设据点、建营房、造炮楼、设置各种
    刑具,残酷镇压中国人民的抗日斗争,范围约130多亩。
     此外,日军还在此建立一个农产品畜牧站,并种植一些农作物,吊人树高20米、直
    径1.07米,泡人池长2.5米、宽1.2米、深1.8米,
     石砌;埋人坑长3米、宽3米、深1米,现已填平,营房、炮楼已塌,仅存基址,地上有
    少量碎砖瓦。
     1986年第二次全国文物普查时整理记录档案。
     2012年公布为保亭县首批县级文物保护单位。

 わたしたちが、海南島の日本海軍基地跡で、このような碑石・説明板を見るのは、はじめてでした。

                                      佐藤正人
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