三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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海南島三亜市郊外の田独鉱山での強制労働について

2006年03月16日 | 海南島
紀州鉱山を経営していた石原産業が、海南島で鉄鉱石の掠奪をした鉱山。石原産業は、1939年2月10日、日本軍の海南島占領直後から、軍の支援を受けて田独鉱山の採掘をはじめ、翌1940年7月から、鉄鉱石を日本の八幡製鉄所に送りはじめた。
田独鉱山での採鉱と鉱山から積み出し港の楡林港までの鉄道建設のために、海南島の民衆だけでなく、上海、広州、厦門、汕頭などの中国本土と香港、台湾、朝鮮から連行された人びとが酷使されたという。田独鉱山で働かされていた吉亜黒と・必義は、田独鉱山では、病気や栄養失調や強制労働や暴行によって毎日労働者が死亡し、その遺体は鉱山の近くで石油をかけて焼かれたと、1995年ころ証言している。その場所は田独村の東にあり、いまは、ダムがつくられて水没しているが、1958年4月に、ダムの前方に犠牲者を追悼する「日冦時期受迫害死亡工友紀念碑」が、海南鉄礦田独礦区の労働者によって建てられた。

その側に、2001年(あるいは2002年)、海南省人民政府と三亜市人民政府が、「田獨万人坑死難礦工紀念碑」を建てた。その碑文には、「朝鮮、印度、台湾、香港、および海南省各市県から連行されてきた労働者がここで虐待され労働させられて死んだ」と彫られている。

次は、その碑文の全文である(資料:「"田獨万人坑"遺址」)。
「"田独万人坑"是一九三九年至一九四五年日寇奴役和殺害近万名礦工的罪悪遺址。
在日寇掠奪田独鉄礦的六年中、一大批抓被自朝鮮、印度、台湾、香港等地和我省各
市県的労工先后在這里被析磨和労役至死。現頌和水庫範囲就是当年掩埋死難工的地
方。一九九〇年三亜市人民政府公布為市級文物保護単位、一九九四年海南省人民
政府定為省級文物保護単位」

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