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「検体求め倫理を逸脱? 北大教授、旧満州で人体実験か」

2018年08月21日 | 国民国家日本の侵略犯罪
https://www.hokkaido-np.co.jp/article/218167
「北海道新聞」 2018年8月14日16:57
■検体求め倫理を逸脱? 北大教授、旧満州で人体実験か
 戦時下、北海道帝国大教授が軍の協力を得て、被験者の同意を得ずに人体を使った実験を行っていたことが明らかになった。背景には当時の外地の国民に対する人権意識の低さがあるが、近年、民生分野にも活用できる「デュアルユース(軍民両用)」の研究の是非が議論になる中、軍事と科学技術の距離は今も問われている。

 「この材料からどういふ方法で睾丸(こうがん)をとり出して薬品処理したかといふ事ですが(中略)相当重大な問題でもあり(中略)口を緘(とざ)して置きます」。

 中国人から摘出した睾丸で染色体を観察する研究を行った北海道帝国大教授の小熊捍(おぐままもる)氏は、1939年の講演でこう述べ、手法の詳細への言及を避けた。当時は、医学研究について被験者の同意が不可欠とする国際倫理指針「ニュルンベルク綱領」が作られる前だが、小熊氏に非倫理的な人体実験との自覚があったことをうかがわせた。
 旧満州(現中国東北地方)では、関東軍防疫給水部本部(通称・731部隊)が36~45年、生物兵器開発などのため中国人らに対する人体実験を繰り返した。犠牲者は2千~3千人に上るとされる。
 31年の満州事変以降、日本の占領政策に抵抗する武装勢力による襲撃が相次いだ。戦時下の人体実験に詳しい神奈川大の常石(つねいし)敬一名誉教授(科学史)は当時の時代背景について「抗日運動に対する憎しみが日本で高まり、殺してもいいという考えが広がった」と語る。
 731部隊の上位部隊・関東軍の元参謀副長だった旧日本陸軍大将は回顧録で「某国立大学の外科教授が来訪し、匪賊(ひぞく)処分の機会を与えてくれと頼まれた」と振り返った。常石名誉教授は「満州は人体実験など『国内ではできない研究』ができるとされ、多くの研究者が訪れた。小熊氏も検体が欲しいあまり、非倫理的な手段をとったのだろう。資料を読む限り被験者の同意はなく、戦時とはいえ生命倫理に反する研究だった」と話す。

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https://www.hokkaido-np.co.jp/article/218181
「北海道新聞」 2018年8月14日17:20
■北大教授、戦時下に人体実験か 中国人から摘出の睾丸で

【写真】小熊氏の講演録と英論文。講演録には「匪賊を一人犠牲に供しました事…」と書かれている

 北海道帝国大(現北大)理学部の男性教授(故人)が1930年代、旧満州(現中国東北地方)で旧日本軍が捕らえた中国人から摘出した睾丸(こうがん)を使い、染色体を観察する実験を行ったことが、北大図書館の保管資料などで分かった。男性教授は日中戦争開戦直前の37年6月、実験結果を基に論文を米国の科学誌に寄稿しており、専門家は「被験者の承諾がなく、どの時代であれ許されない人体実験だった」と指摘する。
 戦時下の大学の研究者による人体実験を巡っては、九州帝国大医学部で45年、米軍捕虜を生きたまま解剖し、殺害したことが分かっている。道内の大学研究者による人体実験は、ほとんど知られていなかった。
 男性教授は小熊捍(おぐま・まもる)氏(1885~1971年)。生物学や遺伝学が専門で、30年に北大理学部教授に就任。37年から6年間は理学部長を務めた。
 資料は小熊氏が39年に行った講演の速記録「人類の染色体」。旧厚生省発行の「民族衛生資料」に収録された。
 小熊氏は講演で、遺体や病人から摘出した睾丸は染色体の観察に向かず、若く健康で生存している男性の睾丸が適していると指摘。「匪賊(ひぞく)(抗日武装勢力)を材料にしたらどうだろうか、どのみち匪賊は殺してしまふのだから」と述べた。
 北大は北海道新聞の取材に対し「研究を承知しておらず、回答を差し控える」とした。
 小熊氏の札幌時代の自宅は旧小熊邸として知られる。北大退官後は国立遺伝学研究所(静岡)の初代所長を務め、国内の遺伝学の第一人者だった。

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https://this.kiji.is/402049342208476257?c=39546741839462401
「共同通信」 2018/8/14 19:39
■軍捕らえた満州男性の睾丸検体に
 北大図書館に1930年代の資料

 旧日本軍が満州(現中国東北部)で捕らえた現地男性の睾丸を、北海道帝国大(現北海道大)理学部の教授が染色体研究の検体として使っていたことが14日、分かった。北大図書館に1930年代の資料が保管されていた。本人の承諾がないまま睾丸を摘出したとみられ、専門家は「現在と倫理観が異なるとはいえ、人道上問題がある行為だ」と批判している。
 教授は遺伝学などを専門とした小熊捍氏(故人)。
 小熊氏は満州の奉天(現瀋陽)へ出向き、軍の協力で「捕まえた匪賊の一人」の睾丸を検体とした。摘出方法は「相当重大な問題でもあり(中略)しばらくは断然口を緘しておきます」と伏せた。


http://japanese.joins.com/article/029/244029.html?servcode=A00§code=A10
「中央日報日本語版」 2018年08月15日08時54分
■1930年代に日本教授が残忍な実験…「中国人の睾丸を摘出して染色体研究」

【写真】中国黒龍江省ハルビン市の日本軍731部隊の遺跡に展示された日本軍の人体実験の姿。(中央フォト)
 
 日中戦争直前の1937年6月、現北海道大学の前身・北海道帝国大学の教授が満州で、生きている中国人から睾丸を摘出して染色体観察実験をしたことが明らかになったと、日本メディアが14日報じた。
 北海道新聞、テレビ朝日などの報道によると、北海道大の図書館に保管されていた資料から、1937年当時に同大学理学部の小熊捍教授(1885-1971)が満州で抗日運動をした中国人男性を対象に人体実験をした記録が発見された。資料は当時の日本厚生省が発行した「民族衛生資料」に掲載された「人類の染色体」という速記録で、小熊教授が1939年に厚生省でした講演内容を含んでいる。
 小熊教授はこの講演で、遺体や病人から摘出した睾丸は染色体の観察に向かず若く健康で生存している男性の睾丸が必要だとし、「抗日運動をしている匪賊を材料にしたらどうだろうか」と述べた。その後、満州にいた日本軍(関東軍)に協調を求め、「非常に良い材料を手に入れることができた」と伝えた。実験対象は日本軍に逮捕された中国人抗日運動家で、小熊教授は生きているこの男性の睾丸を摘出して得た試料で染色体を明瞭に観察できたと説明した。
 当時、染色体は遺伝を担う存在として世界科学界で注目されたが、人間の染色体の個数さえも知られていなかった。小熊教授はこの実験の結果に基づいて米国の科学雑誌に論文を発表したと、北海道新聞は伝えた。
 戦争当時、日本軍と学者・医者の人体実験はこれまで何度か暴露されてきた。満州に駐留した関東軍731部隊が第2次世界大戦中に韓国の独立活動家と中国人戦争捕虜を対象に残忍な人体実験をしたという事実が一部の加害者の証言で明らかになった。第2次世界大戦末の1945年5月、九州帝国大学医学部が日本軍の指示で米軍捕虜を解剖して殺害した事実も、戦後の連合軍総司令部の調査で明らかになった。
 残忍な人体実験をした小熊教授は北海道大を退任した後、国立遺伝学研究所の初代所長を務めるなど当代の日本を代表する遺伝学専門家だった。北海道大学は日本メディアの取材に対し「研究を承知しておらず、回答を差し控える」と答弁を拒否した。
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