三重県木本で虐殺された朝鮮人労働者の追悼碑を建立する会と紀州鉱山の真実を明らかにする会

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利川五重石塔

2014年03月03日 | 韓国で
 きょう(3月3日)、ソウルの東南100キロほどの利川に行き、朴菖煕さんに、利川五重石塔のことなどについて話を聞かせてもらいました。朴菖煕さんは、利川五重石塔還収委員会の実務委員長をしていました。
 利川五重石塔は、1918年に朝鮮総督府が奪い、1918年に開館した大倉集古館に「下付」したものであり、現在、大倉文化財団が所有し、東京のホテル・オークラの前にある大倉集古館の敷地内に置かれています。
 この石塔を朝鮮総督府が奪った事実を示す文書が韓国国立中央博物館に残されています。
    http://www.asahi-net.or.jp/~vi6k-mrmt/culture/korea/data/shoku/lichond.html
 2009年8月から翌年5月まで、利川市で石塔の返還を求める署名運動がおこなわれ、利川市の 口が約20万人の半数をこえる10万人以上の署名が集まりました。
 大倉文化財団は、いったんは保存場所がないと言ってその署名簿の受けとりを拒否しましたが、受けとり拒否が公開されることを知って、前言をひっくりかえして、受けとりました。
 大倉文化財団は、いまなお、利川五重石塔を返還していません。
 この問題については、伊皿木蟻化(五十嵐彰) さんのブログ「第2考古学」の2010年11月25日の「文化財返還問題・日韓共同シンポジウム [研究集会]」をみてください。
    http://2nd-archaeology.blog.so-net.ne.jp/2010-11-25                             
                                       佐藤正人
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