ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




10月14日の山梨日日新聞、23日の産経新聞山梨版によると2008年の年賀切手のデザインに甲府市の民芸工房「がくなん」(甲府市池田2丁目)の斎藤岳南さん(63)が制作した甲府土鈴「十二支招福土鈴・子」が採用され11月1日から全国で発売、山梨関係の図柄の採用は昭和39年以来2度目とのことです。

招福土鈴は、同工房で48年前から制作され、十二種の干支をかたどったシリーズ。採用された干支の「子」は、斜め上を見上げたうすいピンク色のネズミで温かみのある作風だ。体には松竹梅が描かれている。80円切手が510万枚、寄付金3円が付いた切手(83円)が220万枚発売される。(産経新聞)
採用された土鈴は、同工房が36年前から手掛ける十二支招福土鈴シリーズの一つで、ネズミが立ち上がった姿をとらえている。少し上向きの未来を夢見る表情が特徴で、薄いピンク色の体には松竹梅の絵が描かれている。高さは約10センチ。(山梨日日新聞)

昭和39(1964)年のデザインは「福龍」だったようです--『山梨県甲府には郷土玩具が数多く残されているが、この「福龍」もその一つ。 その昔、甲府盆地一帯が湖で、盆地造成の伝説に出てくる「竜神」のなごりとして、中巨摩郡「竜王町」という地名がある。 あるとき、地蔵尊がこの地を通りかかった折、農民が耕地の少ない貧しい暮らしを見て、湖の主である「竜王」に相談したところ、竜王は心良く応じ昇天したので、水が引き美田が生まれたという。このような意味を持つ「竜神招福」であるが、昭和39年の年賀切手のデザインに採用されて後、後継者不足から廃絶になってしまった。』DMKのホームページから抜粋)
甲府に民芸品があるということにこれまで気が付きませんでした、私は甲府市内でぶどう狩りやいちご狩りができることなども最初は戸惑いを感じた程、甲府は都会というイメージにとらわれていました(^_^;)

甲府の民芸品を一堂に集めた展示場はどこかにないか、探してみたいと思います。



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総務省関東総合通信局の広報記事が出ました。文中の強調などは編者によります。
総務省関東総合通信局(局長 江嵜正邦(えさき まさくに))は、「ICTが拓く地域コンテンツ共有の時代へ」と題したセミナーを関東ICT推進NPO連絡協議会(代表幹事 伊藤洋)ほか4団体との共催により、以下のとおり開催します。
  風光明媚な自然に恵まれ、観光立県でもある山梨県には、古くからの歴史や文化など、豊かな「地域コンテンツ」が存在しています。当セミナーでは、このような「地域コンテンツ」をいかにして掘り起こすかをテーマに、民産学官の協働による展開の可能性を探りながら、ICTを利用したコンテンツの流通・促進の環境を考えていきます。
  なお、当セミナーは、地域コンテンツを地域住民が自由に閲覧できるシステムづくりを目的に結成される「山梨地域コンテンツ協会」(仮称)のキックオフイベントとしても位置づけています。

日時・平成19年11月30日(金曜日) 13時30分~17時
会場・石和温泉ホテル古柏園 8階 コンベンションホール(笛吹市石和町市部822)
主催・総務省関東総合通信局、関東ICT推進NPO連絡協議会、関東情報通信協力会、NPO法人地域資料デジタル化研究会NPO法人プロジェクト・あい
共催・笛吹市、後援・山梨県
対象・一般市民、ICT推進活動に取り組む行政及び市民活動団体関係者等、定員120名、参加費無料、定員になり次第締切
申込方法--参加ご希望の方は、氏名、住所、連絡先(電話、FAX、電子メールのいずれか)をご記入の上、NPO法人地域資料デジタル化研究会あてにFAXもしくは電子メールにてお申し込みください。


月末の金曜日の午後というのがちょっとつらい、時間が取れるかどうか分かりませんが申込だけしておこうかと思います。11月15日(木)~17日(土)、「山梨テクノフェア&マルチメディアエキスポ2007」がありますので、その様子も見て参加するかどうか決めようかと思います。都合で参加はできなくても山梨県情報ハイウェイの方向が見えるセミナーになることを祈りたいと思います。
実は私は、“地デジ体感”全国キャラバン、このページを探していたのです、山梨では12、10、8チャネルが2011年で終わるのか続くのか、電波では無くインターネットでカバーされるのか・・・それだけを知りたい(^o^)



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平成19 年度県立施設開放文化講座 山梨人物百科 第9期として、11月16日(金)~11月18日(日)に山梨県立図書館の地下講堂で開催されます。午後1時30分~4時30分(受付1時~)、無料です。県立図書館の広報記事から以下、ご案内します。

11月16日(金)  「偉大な言論人 石橋湛山」  講師:浅川 保 氏(山梨県立大学講師)
戦前の日本にあっては植民地支配を批判し、東西冷戦期にあっては日本が東西の架け橋になることを主張した石橋湛山。「山梨平和ミュージアム-石橋湛山記念館」理事長でもある浅川先生より、業績や人となりについてお話しいただきます。

11月17日(土) 「藤村県政の光と影」  講師:齋藤 康彦 氏(山梨大学教授)
藤村式建築などで知られる藤村紫朗は、初代知事として数々の政策を行い、山梨県の近代化に尽力しました。その一方で県民への負担も大きく、強い反発もありました。齋藤先生からは経済史の立場から、藤村県政と明治の県内状況とを絡めてお話いただきます。

11月18日(日) 「悪名高い名君 柳沢吉保」  講師:斎藤 芳弘 氏(山梨新報社取締役)
忠臣蔵をはじめ、小説やドラマでは悪人として描かれることの多い柳沢吉保。しかし山梨では柳沢吉保・吉里親子は、名君としても伝えられています。柳沢吉保は本当に悪人だったのか、新聞連載を含め多くの著作のある斎藤先生よりお話いただきます。

この公開講座はどなたでもご参加いただけます。

県立図書館窓口、はがき、電話、ファックス、電子メールで「氏名、希望の講座名(複数可)、住所、電話番号」を添えて、お申し込みください。メールアドレスは chosa@lib.pref.yamanashi.jp  電話:055-226-2586、FAX:055-226-2528

定員は100名ですから、当日の飛び込み参加でも席があれば入れると思います。8月19日に第8期の「郷土史に輝く人々~山梨と芸術家たち~」という講座の一つとして、「夢を吐く絵師 竹中英太郎」が開催され私も参加しました。リンクしたページに同様な申込方法などが掲載されていますのでご参照ください。



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2007年10月20日に 山梨平和ミュージアムの公式ホームページ が開設されました.9月28日には公式ブログ、「平和の港」がライブドアブログで開設されていたようですが私は全く気が付きませんでした、とにかくこれで一安心、という気分です。 ブログのRSS配信が便利です。

尚、ブログの閲覧テクニックで共通しているのは、日付やカテゴリー別の記事を開いていてもブログのタイトル、ここでは「ICT甲府」、をクリックすれば常にトップページに戻るという事です。
9月28日の記事-ごあいさつから「平和の港」をクリックすれば最新トップページに入れます。



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山梨市の横溝正史館をしばらく訪問していませんが、訪問感想などが書かれたブログが見つかると読んでいます。今日は、2007/10/14 の「横溝正史館での約束を果たしに」からたどって2007/10/08の「横溝正史館に行ってきた」という二本を読みました。ビッグローブのブログサイトにある「民芸的プログラミング ~ソフトウェア開発日記~」です。

横溝正史の書斎が山梨市に移築された事情については私もWebページ 「山梨市の横溝正史館」に書いていますが、横溝正史ファンの方からは何故山梨に?という疑問がしばしばブログにも書かれています。その移築に尽力された古書店さんを訪問されたブログは初めて読みました。

開館から半年が過ぎましたが、山梨市公式ページによれば、10月~3月の開館時間は午前9時~午後3時と閉館が早くなっています、ご訪問を予定されている方はご注意ください。



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追加情報・10月26日の山梨日日新聞は、『冬の風物詩「光のピュシス」 今冬で見納め?』 と報じました。
「光のピュシス実行委員会」(山本淳仁委員長)は、今冬を最後に甲府・舞鶴城公園のイルミネーション事業から撤退することを決めた。 実行委によると、事業費はこれまで県が500万円、市が300万円を補助。このほか甲府商工会議所の補助金や、民間企業の協賛金で運営してきた。 「補助事業の予定期間が終了した」として、来年度は県と市の補助金が打ち切られることから、同実行委は「財源確保が不可能となり、これ以上の継続は困難」と判断。25日に開かれた実行委員会で、県や市に対し来年度以降のイベント撤退と実行委の解散を報告した。
記憶がはっきりしませんが一口1,000円で会員を募った時の目標が5,000人だったような気がします。こんなことならパンフレットを残しておけばよかった。


2007年10月20日付け毎日新聞山梨版の記事によると、『「光のピュシス」の実行委が、今年度限りでイベントを終了する方針を決めたことが19日分かった。25日に開かれる実行委で正式決定する。山本淳仁委員長は取材に、県からの補助金の拠出が今年度限りで終了し資金面での見通しが立たないことや、文化庁から今年度、同イベントへの天主台の城壁の利用が禁じられたことを理由に挙げている。』 との事です。UTYニュースによれば県からの補助金は500万円。

4回目となる今年は11月9日(金)から2008年1月6日(日)までです。一口1,000円で支援会員を募った事があり、私も応募して会員カードを入手、岡島百貨店のレストラン街などで割引特典を利用した事があります。あまり使用機会が無くて元は取れなかったのですが(^_^;)

展示中に青色ダイオードが付いたケーブルを盗まれたのは2004年でしたか、これは県外から来た人の仕業だろうと知人と話したことを覚えています。私は2006年の記録をホームページに残しています。天守台壁面の飾りが問題になるというのは初めて知りました。甲府城址(舞鶴城、甲斐府中城、一条小山城とも)は昭和43(1968)年に山梨県の指定史跡になっていますが、文化庁がイチャモンつける理由は何でしょうか。甲府城址の修復に文化庁が金を出していたのかも知れませんね。調べた事ないから私は知りません(^_^;)

光のピュシスのデジカメ撮影は難しかったです、絞りやシャッター速度をきちんと決められるカメラなら何とかなるのでしょうが、私にはその技術は無い、単にWebページ掲載用に撮るだけの簡単なカメラです。今年で最後なら三脚を持ち込んでみようかと思っています。

蛇足ですが、実行委員会さんから過去の収支報告でも出てきて、それなら県民でなんとかしようという機運が出てくると良いかも知れませんが・・・どうですかねぇ、そうはとんやがおろさないか。



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10月11日の記事で「甲府城と石切り場跡の見学会」の事を書いたのですが、私は13日は桜座のイベントに出かけたので見学会には参加できませんでした。この石切り場の資料が見つからなくて手元のメモを探していたのですが、2006年6月24日の新聞で報じられていた事が分かりました、以下の2つの記事を保存していました。

産経新聞山梨版--甲府城の石切場発見 県教委「一級史料」保存へ調査
 甲府市愛宕町の愛宕山のふもとで、甲府城の石垣を切り出した石切場の跡地が見つかった。県教委検討委員会の現地調査で判明したもので、甲府城の近隣で石切場が確認されたのは初めて。専門家は「約400年前の築城過程を示す第一級の史料」と評価しており、近く甲府市が保存に向けた本格調査を開始する。  石切場の跡地は愛宕山の南西で、JR甲府駅北口から東に約500メートルの旧甲府地裁所長宿舎(同市愛宕町)の敷地内で見つかった。県教委の「甲府城跡保存活用等調査検討委員会」が5月末、宿舎解体に伴う現地調査で確認し、23日の委員会で報告した。  宿舎の庭には安山岩の大きな石が庭園風に点在。石を調べたところ、くさびを打ち込んで割った「矢穴」と呼ばれる跡があり、人為的に切り出したものと判明した。甲府城の築城期の石切場だったことを伝える大正時代の石碑も見つかり、検討委は「築城当時の石切場の一部」と断定。確認された矢穴は江戸時代のものだったが、さらに下の石には築城期の矢穴が残っている可能性が高いとみている。  愛宕山の南西に甲府城の石切場があったことは江戸時代の絵図などで知られていたが、遺構は見つかっていなかった。城の隣接地に石切場が現存している例は、全国的にも珍しいという。  検討委委員長の萩原三雄帝京大山梨文化財研究所長は「築城過程や当時の技術を知る上で極めて貴重な発見で、保存を検討すべきだ」と強調。8月上旬にも甲府市と本格的な調査を行う。  一方、検討委の最大課題である天守閣復元に向けた調査は難航しており、天守閣の存在を裏付ける具体的な絵図などは未発見。文献調査と鯱(しゃち)瓦の復元を行う専門家チームを9月に立ち上げ、調査態勢を強化する。

山梨日日新聞では、「甲府城の石切り場跡 旧地裁所長宿舎で確認 建築の過程や技術解明へ」 として、
 甲府市愛宕町の旧甲府地方裁判所長宿舎で、甲府城の石材を調達したとみられる「石切り場」の遺構が確認された。「甲府城の築城過程や技術が分かる遺構」として研究者は注目している。  今年五月、県教委学術文化財課と県埋蔵文化財センターが、資料などを基に同城から約三百メートル東方に位置し、愛宕山南西のふもとに当たる同所を調査。約二千三百平方メートルの敷地内には甲府城石垣に使われている石材と同じ輝石安山岩が露出し、庭石や池に利用されていた。  岩盤の数カ所には、石を切り出すときにつけられる「矢穴」の跡を確認。甲府城石垣にも見られるもので、三寸(約九センチ)ほどの大きさであることから、江戸時代中ごろにつけられたとみられる。  一五九三(文禄二)年の浅野長政による築城時に同所から石を切り出したことが記された大正時代の石碑も残っていて、甲府城築城や増築の際に石切り場として利用されていた可能性が高い。  甲府城築城のための石材供給元については、同城内に石切り場が見つかっているが、そこだけでは賄いきれない分をどうしていたのか未解明だった。  「甲斐国志」「諸国居城図」などの江戸時代の資料から、同所周辺に石切り場があったことは推定されていたが、遺構は確認されていなかった。城に近接した石切り場跡が良好に残る事例は全国的にもまれだという。  山梨文化財研究所の萩原三雄所長は「築城研究において重要な遺構。矢穴を甲府城のものと照らし合わせることで、築城過程も検討できるのではないか」と話している。


旧甲府地裁所長宿舎(甲府市市愛宕町)と言われても、地図を見ても宿舎は分かりませんでしたので異邦人の私には場所を特定できないから自分で出かけることはできません。これだけの広い敷地が現在は何に使われているのか? 湯村温泉郷にある石切り場の跡は 湯村の杜 竹中英太郎記念館 の地続きですが、これはお城の為の石切り場かどうかは知りません。



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裏日本ニュースブログを読んでいたら10月17日の記事で、「郷土料理100選人気投票、山形の「いも煮」が1位・・・」が目に止まりました。
ランキング掲載ページは、「農山漁村の郷土料理百選」人気投票 あなたの郷土料理を応援してください!、ここで「ほうとう」が49位になっています。

サイトをたどっていくとホームページは、財団法人農村開発企画委員会です。Rural Development Planning Commissionで、www.rdpc.or.jp 、なるほど。
『農林水産省では、本年度、全国各地の農山漁村で脈々と受け継がれ、かつ「食べてみたい!食べさせたい!ふるさとの味」として、国民的に支持されうる郷土料理を「郷土料理百選」として選定し、それにまつわる歴史文化、レシピ、伝承活動なども併せて国民の皆様に発信しながら、食文化を通じた地域振興を図ろうとしています。  このたび、その選定のための材料として、郷土料理の人気投票の形で広く国民の皆様のご意見をお聞きすることにいたしました。この取り組み(投票期間:9月1日~10月10日)にご参加いただきありがとうございました。』

都道府県別にどんな郷土料理が投票されたのか見ることができます。山梨の2位は「吉田のうどん」、納得? 3位が「かぼちゃほうとう」って、どこが違うのか私には分かりません、1位と合計で391票になり、この数値なら24位にアップグレードするじゃないですか! 12月に決定する100選では、「ほうとう」として統合してランクアップして登録されて欲しいものです。

ちなみに、東京都、1位が「もんじゃ焼」、うーむ、これしか無いかねぇ。確かに東京の「郷土料理」と言われても、「江戸前」の寿司、天ぷら、海苔・・・東京湾の海産物が素材のはず、それに練馬大根は地名が入っているがこれは単なる産品。私が選ぶなら「深川丼」、「アサリ」を味わうのに最高。これは江戸時代の深川という地域が産み出したまぎれもない郷土料理。鬼平さんにも出てきたような気がします。あぁ、また清澄、門前仲町に遊びに行きたくなった、深川江戸資料館やちょっと歩けば東京都現代美術館、松尾芭蕉が住んでいた跡に芭蕉記念館もある。

「ほうとう」は竹中英太郎記念館の館長日記にしばしば登場しますが、甲府市富士見の県立病院近くにある「奈良田」さんで私も体験しています。これからの季節には熱い鍋が良いかも知れない、あちこち食べ比べてみたいです。

しかしこの記事を書くのに、久しぶりの朝食でトーストを片手にマウスを操り・・・あまつさえトーストをくわえてキーを打つという生活を改めずに食文化を語るのはいかがなものかとの反省も(^_^;)



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2007年6月19日に書いた記事、「ウェルシティ甲府売却」 のフォローです。10月17日のUTYニュースが報じていました。


先月行われた一般競争入札で、神奈川県横浜市に本社を置く投資会社のシンリョーが4億6760万円で落札しました。そしてシンリョーから受託されたホテルマネージメントインターナショナルが建物の運営をすることになりました。
ホテルマネージメントインターナショナルは神戸に本社を持ち年商はおよそ150億円。全国各地に35のホテルや旅館を運営する会社です。
営業開始は12月からの予定で従業員らの雇用は継続し営業もこれまで通り宿泊・婚礼・宴会事業をしていくということです。


「シンリョー」 を検索してみましたが三菱電機系のIT関連企業シンリョーでは無く、長野にあるシンリョーは不動産も扱っておられるようですが違う会社です。ウェルシティ甲府を買い取ることになったシンリョーのホームページは見つかりませんでしたが、加賀電子に関するプレスリリース2007年07月31日で遊都総研通信の記事とかで札幌のオークホテルの売却先として出ていました。古いですが2005年9月7日の北國新聞の記事にも名前が出ています。どちらもウェルシティ甲府同様にホテルマネージメントインターナショナルが運営を担当するという内容です。加賀電子の記事(PDFファイル-7月26日 連結子会社株式売却に関するお知らせ) によれば、

商 号 株式会社シンリョー
所 在 地 神奈川県横浜市中区山下町24番地605
設立年月日 2003年3月
資 本 金 45百万円
代 表 者 代表取締役 小林篤治
事業内容 ホテル、旅館、貸別荘、レストラン、喫茶店、駐車場運営
     旅行業法に掲げる旅行業務不動産の売買、賃貸、管理、仲介、鑑定

加賀電子は私には懐かしい名前です、URLにTAXAN という文字列が使われていますが、この名前のハードディスクを愛用していました、NECの国民機、98時代の話です。
ホテルビジネスのことは知りませんので以上終わり(^o^) 甲府にまたひとつ全国チェーンのホテルが誕生するということになるのでしょう。



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前の記事で東京都中央区勝ちどきで見た建物の写真を載せましたが、その向かい側の街並みはこの写真です。古い家もいずれはマンションになるのか、それとも共存して残っていくのか。遠景のビルは晴海の再開発地区、トリトン、ここは昔の日本住宅公団が整備した晴海団地でした。佃のリバーシティー以上の地域再開発として完成したようです。隣の月島と結ぶのは昔と変わらない二つの橋の他に世界初の動く歩道橋ができたようです。私この日は昔の記憶を確認するために月島から車で朝潮橋を渡り、晴海地域内を通り抜けて晴月橋でまた月島に戻っただけでした。トリトンのWebページを見ないで出かけたので、次回はゆっくり歩いて回りたいと思います。

Kachidoki37

この日の目的はにある佃煮屋さんだったのです。自分で解説を書ける知識はありませんので、天安について書かれた記事にリンクしておきます。ずいぶん以前、月島に出かけた時に佃なら佃煮屋が残っているのでは無いかと探索した時に発見し、以後時々利用していました。

Tenyasu35

今回ほんとに何年ぶりかで記憶をたよりに訪ねましたが、お店のすぐ前は隅田川の土手です。見上げれば佃リバーシティーのビル群があります。この新旧の調和が私は好きです。リバーシティの中にもトリトンの中にも昔の家は残っていません、隣の佃、月島にあります。それも新旧混在では無くブロックで分かれているように思えます。棲み分けて共存しているから、それぞれに独特の雰囲気があり、両方を同時に見てまた違う感覚にとらわれます。私が感じる新旧の共存、調和とはそういうことです。

Tenyasu36

甲府のまちづくりの事を書いているうちに、東京の昔ながらの街が無性に懐かしくなって帰巣本能をかき立てられています。



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