私は甲府市の公式SNS「e-こうふ情報ねっと」 に2007年4月27日付けで次のように日記を書いています。(10月6日午後12時30分~午後5時30分はこのSNSは電気設備点検のためアクセスできません、甲府市公式サイトも同様です)
野中一二市議のサイトに、「甲府市道路愛称名選定委員会」という記事が出ていて、
> 甲府城址の東南方向に広がっている市街地の道路に対し、町名変更によって消滅してしまった旧町名を表す道路名を復活させよう・・・
という委員会だそうです。
私が聞いた事があるのは、魚町、桶屋町、八日町、桜町など、連雀は問屋街の看板が出ていますから分かりました。
柳町、横近習は節分の大神宮の取材で知りました。
岡島百貨店の南側あたりは常盤町という名前もあったように何処かで読みましたが。
町の名前を今さら元に戻せないなら通りの名前として未来に伝えるというのはとても良いアイディアだと思っています。
野中さんのページには地図も付いていてとても参考になりました。その後の状況は確認していませんでしたが、10月5日のUTYニュースで決定が伝えられました。
甲府市中心街の通りに、江戸時代などから使われていた旧町名が、付けられることになりました。
旧町名が付けられるのは、甲府市中央2丁目から5丁目にある11の通りで、かつて「下府中」と呼ばれていた地域です。
下府中には23の旧町があり、その昔の町名が通りの愛称名として使われます。
例えばペルメ桜町はかつての桜町を使って「桜町通り」、富士川小学校入り口交差点から南に延びる通りは「魚町通り」、連雀問屋街を走る通りは「連雀町通り」という愛称になります。
それぞれの通りには看板が設置され名前の由来も付けるという事です。
私にとって旧町名で難しいのは「町」を「ちょう」と読むか「まち」と読むのかという事です。それは現在の町名でも同じなのですが、これにはアンチョコがあります。日本郵便の山梨県の郵便番号、すなわち全国の郵便番号の市町村別一覧でフリガナが付いています。
しかし、甲府市川田町(かわだまち)は新宿区河田町(かわだちょう)の記憶により、甲府市大和町(だいわちょう)は中野区大和町(やまとちょう)が刷り込まれていていつも読み違えます(^_^;)
里吉と里吉町のように「町」が付く土地と付かない土地が隣り合って複数ありますが、その理由は未だ知りません。このへんの歴史的意味を知るのも面白そうです。
郵便番号が整備されていく過程で多くの町名から「町」をとってしまったケースを知っていますが、その土地の人々は昔のままマチを付けて呼ぶことが多いです。台東区三筋では色気が無い、やはりミスジマチと呼びたいということ・・・・(^o^)
新しく設置される甲府の旧町名案内板がフリガナ付きで表示されるだろうと期待しています。
ついでですが、「雪の別れ」で有名な南部坂のように港区麻布地域の坂の名前を一つずつ確認した事があります。本郷辺りも団子坂、菊坂など坂の多い場所でこうして書くだけでその辺の風景を懐かしく思い出します。名前と歴史の結びつきは大切にしていきたいものです。