ICT工夫
全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
  だからネットの使い方も 工夫 したい こうふ のブログ




学美舎は「まなびや」と読みます。10月5日に産経新聞山梨版で目にしたのが、『山梨学院大学の学生がインターネットのオンラインショッピングモール「学美舎KOFU店」の運営を始める。ホームページ(HP)では、ブドウなど地場産品を中心に県内企業の商品紹介を行う。11月開設を目指し、参加企業を募集しており、5日午前10時から、同大クリスタルタワーで説明会を行う。』 と読んだのは午後遅く(^_^;) これでは出かける事も出来ないのでそのままに。

そして10月6日に山梨日日新聞で、『 インターネットを利用したオンラインショッピングモールの運営を計画している山梨学院大現代ビジネス学部の学生が5日、同大で出店説明会を開き、県内企業に出店を呼び掛けた。企業側は、学生の意気込みや先進的な試みを評価。一方で、費用対効果やセキュリティーなどビジネスの実務面での課題を指摘する声も聞かれた。この日は1社が契約を結んだ。
 サイト名は「学美舎(まなびや)KOFU店」。31日の“開店”を目指している。同学部の5人による「学美舎YGU統括会社」(山本達也社長)が運営。運営を通して、IT技術や実践的な経営感覚を身に付けるとともに、山梨の伝統工芸品や特産品などをPRしていく。』
 という記事が読めました。

私はこのプロジェクトは山梨学院短期大学経営学科が甲府市中心街のかすがもーるで開いていた「チャレンジ・ショップ」と似たものと考えたので、詳しく知りたいと「学美舎KOFU店」をキーワードに調べてみました。

学美舎KOFU店サイトはすぐに見つかりましたが、予想とは全く違いました。
「学美舎」とは、城南静岡高等学校が運営するオンラインショッピングモールであり、この  MANABIYA.CO.JP ドメインを登録しているのはシステムプラニング有限会社、おそらく城南静岡高等学校からサイトの構築を受託しているのでしょう。関西電力系の株式会社テルヤがインターネット技術的なサポートをしているように思えます。

産経新聞が書いたように、『参加企業の商品紹介を学生が作成、更新も無料で行う。売買は行わず、参加企業のホームページアドレスや連絡先を掲載する。経営感覚を養うのが目的のため、売上手数料などはかからず、会費は年1回定額を徴収する予定。』 であるなら自分達のサイトを立ち上げてホームページ作りをすれば良いと思います。売買を伴わないなら個人情報管理などの問題は気にすることはありません。アクセスログの利用等に関して説明しておくだけで良いと思えます。「Copyright (c) 2007 Yamanashigakuin」 と書かれていますが、リンクされているページ 「個人情報の保護方針」 などは山梨学院大学には無関係と思います。

新聞記事を読む限りでは私には「学美舎KOFU店」はリンク集に掲載先を詳しく紹介するページが付いているポータルサイトという意味しか考えられませんので、それが経営感覚を養うものかどうかは私には理解できません。
むしろ、サイトアクセスをどうしたら増やせるか、このポータルサイトを見てリンク先までクリックしてくれた読者がどれくらいいるかというアクセス管理のような技法を学ぶには適しているかも知れません。それをやるには自分達でレンタルサーバーを確保し必要なツールを使って自分達でアクセス管理もできるようにしておく事が必要かと思います。城南静岡高等学校と山梨学院大学との関係は知りませんので、単に一人のインターネット・オタクとしての感想です。
この高校生が立ち上げたショッピングモール、高校3年生が社長に就任して運営しているサイトは素晴らしい試みだと思いました。静岡県内の多数の協賛企業がこれを支援しているのも素晴らしいというか、羨ましいです(^o^)



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私は甲府市の公式SNS「e-こうふ情報ねっと」 に2007年4月27日付けで次のように日記を書いています。(10月6日午後12時30分~午後5時30分はこのSNSは電気設備点検のためアクセスできません、甲府市公式サイトも同様です)

野中一二市議のサイトに、「甲府市道路愛称名選定委員会」という記事が出ていて、
> 甲府城址の東南方向に広がっている市街地の道路に対し、町名変更によって消滅してしまった旧町名を表す道路名を復活させよう・・・
という委員会だそうです。
私が聞いた事があるのは、魚町、桶屋町、八日町、桜町など、連雀は問屋街の看板が出ていますから分かりました。
柳町、横近習は節分の大神宮の取材で知りました。
岡島百貨店の南側あたりは常盤町という名前もあったように何処かで読みましたが。
町の名前を今さら元に戻せないなら通りの名前として未来に伝えるというのはとても良いアイディアだと思っています。


野中さんのページには地図も付いていてとても参考になりました。その後の状況は確認していませんでしたが、10月5日のUTYニュースで決定が伝えられました。


甲府市中心街の通りに、江戸時代などから使われていた旧町名が、付けられることになりました。
旧町名が付けられるのは、甲府市中央2丁目から5丁目にある11の通りで、かつて「下府中」と呼ばれていた地域です。
下府中には23の旧町があり、その昔の町名が通りの愛称名として使われます。
例えばペルメ桜町はかつての桜町を使って「桜町通り」、富士川小学校入り口交差点から南に延びる通りは「魚町通り」、連雀問屋街を走る通りは「連雀町通り」という愛称になります。
それぞれの通りには看板が設置され名前の由来も付けるという事です。


私にとって旧町名で難しいのは「町」を「ちょう」と読むか「まち」と読むのかという事です。それは現在の町名でも同じなのですが、これにはアンチョコがあります。日本郵便の山梨県の郵便番号、すなわち全国の郵便番号の市町村別一覧でフリガナが付いています。
しかし、甲府市川田町(かわだまち)は新宿区河田町(かわだちょう)の記憶により、甲府市大和町(だいわちょう)は中野区大和町(やまとちょう)が刷り込まれていていつも読み違えます(^_^;)
里吉と里吉町のように「町」が付く土地と付かない土地が隣り合って複数ありますが、その理由は未だ知りません。このへんの歴史的意味を知るのも面白そうです。

郵便番号が整備されていく過程で多くの町名から「町」をとってしまったケースを知っていますが、その土地の人々は昔のままマチを付けて呼ぶことが多いです。台東区三筋では色気が無い、やはりミスジマチと呼びたいということ・・・・(^o^)
新しく設置される甲府の旧町名案内板がフリガナ付きで表示されるだろうと期待しています。

ついでですが、「雪の別れ」で有名な南部坂のように港区麻布地域の坂の名前を一つずつ確認した事があります。本郷辺りも団子坂、菊坂など坂の多い場所でこうして書くだけでその辺の風景を懐かしく思い出します。名前と歴史の結びつきは大切にしていきたいものです。



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