10月27日は「文字・活字文化の日」です。文字・活字文化振興法が平成17(2005)年7月29日に成立し、その年の10月27日を「文字・活字文化の日」と決めました。
なぜ10月27日なのかといえば、この日が「読書週間」の初日であり、これは文化の日を中心にした2週間(10月27日~11月9日)となっているからです。これは曜日に関係なく日付固定のイベントです。曜日に関係なく毎年4月12日に武田二十四将騎馬行列が行われるのと同じです。
実は私はこの「文字・活字文化の日」を知ったのは今年になってからです。読書週間は昔から知っていて、それなりに関心ももっていますが、「文字・活字文化の日」は単にカレンダーにメモだけしておきました。改めて調べてみると上記のような事が分かり、これが議員立法だったことも知りました。「活字文化議員連盟が法整備訴え、シンポ開催」なと゛読売新聞が過去記事を残しているので経緯が分かりましたが、「新聞の特殊指定堅持を決議 超党派の国会議員連盟」(2006年04月13日)という記事を見ると、この議員連盟がどんな業界を背景にしているかが見えるような気もします、読売新聞が記事を残している意味もこれかな(^o^)
そんな皮肉はともかく、社団法人日本図書館協会が法律制定に際して呈した意見、「文字・活字文化振興法案について」(2005年7月8日)で書いているのですが、『文字・活字文化はすぐれて思想の自由、人権尊重に関わることです。国民一人一人の内面に関わることであり、これを法律により振興することは、その意図することとは逆の結果も招きかねない側面があります。「文字・活字文化が…健全な民主主義の発達に欠くことができないもの」(第1条)、「国民が、その自主性を尊重されつつ」(第3条)と述べていますが、例えばその「民主主義」にあえて「健全な」との語句を入れ、一定の価値観を示しているようにみえるのはなぜでしょう。・・・(以下略)』 はまことに的確な意見と感じます。そして、文字・活字文化=言語力と定義した政治家自身の「言語力」の貧弱さが事ごとに露呈している昨今の醜態を思います(^o^)
私は「文字・活字文化」を広い意味で捉えています。法律の字面などからは、文字・活字=印刷物という捉え方がされているように思えますが、2006年10月27日に書かれた「文字・活字文化の日に考える」というブログ記事は『今日の「文字・活字文化の日」を契機に,デジタルフォントについても適宜,活字という表現を使っていこうと思う。』 と締めくくられていて共感します。
今の私にとって活字とはフォントの事です。すなわち「文字・活字文化」とはテキストベースで発信される全ての情報を意味しているのです、それは媒体にもアナログ、デジタルの違いにも関係ありません。
このテーマは山梨県内の読書週間中、機会があれば続けて書きます。新県立図書館にも関係するでしょう。
もうひとつ、私の身近な問題としてWebページではフォント指定をすべきかどうかという事です。自分のブラウザでは「MS P明朝」をデフォルトにしていますが、マイクロソフト系では「MS Pゴシック」がデフォルトにされている場合も多いようです。フォントサイズ指定も考えねばなりません。これはモニターにも関係し、解像度にも依存します。液晶モニターでは推奨解像度に設定しないと醜いフォントで表示されるケースに気が付いています。この事も今後のテーマです。