まちづくりを商業の視点からみるのに何がキーになるのだろうか、私は商売というにはそぐわない仕事ばかりしているので、苦手な分野です。
10月14日の日本経済新聞 「春秋」を見ていて有楽町に進出した丸井の事を知りましたが、この記事に書かれていることにテレビなどで見る「女性だけが元気な」世相のヒントを感じました。
『新顔の商業施設は消費者の変化を映す鏡だ。お気に入りのモノだけを、お気に入りの空間で買いたい。ストレス社会を生きる今の消費者の気分が垣間見える。ネット通販が伸びるのもうなずける。舶来品など未知のモノを並べ、興奮と刺激で財布を開かせてきた百貨店が「癒やし」を売る。そんな時代になった。』
街というのは雰囲気から感じるものが買い物や飲食の行動にも影響する、それは確かです。街に入った時の空間の印象で早足で通り過ぎるか、ちょっとお茶してみようか決まります。
街に出かけるのは雰囲気を楽しむかいわゆる買回り品を求める目的があります。買回り品の対極に最寄り品と呼ばれるものがあり、私はそれをスーパーで買う事が日常的になっている昨今ですが、この二つのキーワードで検索してみたら、ちょっと古い記事ですが、ずばり「買い回り品と最寄り品」がヒットしました。トップページを開いたらなんと、時々私が見ている「中心市街地活性化への道/クオールエイド」の記事でした(^o^) 「資料庫」の「メールマガジンのバックナンバー」に保存されていたのです。ここまでは未だ見ていませんでした。
さすがに専門家の分析は役に立ちます、漠然とイメージしているより理論的に説かれる記事から得るものは大きい、『買い回り、最寄りといったこれまでお客の購買行動に基づくとされた商品分類が実は小売業側の事情に基づくものであり、小売側の事情が変わればいとも簡単に崩壊してしまう「購買の法則」だったことを明らかにしてみました。』
車社会は最寄り品から「最寄り」という形容詞を取り払ってしまったのだと改めて思います。しかしそこにあるものは売る側が計算してパックされた最寄り品、買い手は益々大型化した冷凍冷蔵庫の容量を計算してまとめ買い、車で持って帰るだけのものです。
中心商店街で生鮮食料品(魚、肉、野菜、果物等など)を買回る楽しさを提供できるものでしょうか。主役は自分、自分が愉しくなる雰囲気、こうだと決めた生き方に合わせて、産地や生産者の顔が見える安心、安全を求める。賞味期限を張替えたり段ボール肉まんは決して無いようなお店の集積。
こういっちゃなんですが、私はパチンコ屋が並んでいる商店街での買い物はあまり好きでは無い。駅に降りたら目の前にパチンコ屋、そういう街は中に入りたくなくなる、それは単に私のコダワリに過ぎませんが・・・