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ICT工夫

全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
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甲府駅降車客が+8%

2007-05-08 23:40:00 | 風林火山博

2007年5月8日の毎日新聞山梨版の記事によると、ゴールデンウイーク中に甲府駅で降りた人数が昨年比108%(正確には11万2千100人)ということでした。この事はJR東日本のプレスリリースで2007年5月7日 ゴールデンウィーク期間のご利用状況 [PDF/19KB] として掲載されていました。JRの記事にも備考欄には『NHK大河ドラマ「風林火山」』、と記されています。あずさ、かいじ号などでは前年比101%だったのですから、甲府駅利用者は顕著に増加したと喜びたいと思います。
ホームページに画像で残しましたが、JR東日本自身もウォークラリー甲斐の国で盛り上げているのです。えきねっとからはローカル線の旅なども出かけてみたいと、最近とみにギスギスしている私の心も騒いでいます。


JR東日本は7日、ゴールデンウイーク(4月27日~5月6日)の中央線の利用状況をまとめた。甲府駅の降車人数が対前年同期で8000人(7.6%)増え、11万2000人になった。同社甲府地区センターは、全体的に好天に恵まれたうえ、甲府市丸の内1の県民情報プラザで開かれている「甲斐の国風林火山博」を訪れた観光客で増えたと分析している。
 期間中に中央線で運行された上下線の特急679本(臨時79本含む)の八王子-相模湖駅間の利用状況は、前年より0・9%増の29万1200人と微増した。利用客のピークは、上りが5日の2万3500人で3・0%増、下りは3日の2万5600人で4・5%減だった。
 県内では、武田信玄の菩提寺の恵林寺(甲州市塩山小屋敷)が近い塩山駅など、甲府駅以外にも利用客が増えた駅が目立ち、NHK大河ドラマ「風林火山」ブームの恩恵を受けた形となった。【吉見裕都】


JRの公開プレスリリースには区間利用状況や塩山駅の事は入っていませんが、メディアを介さずにこういう生データを読めるのもインターネット時代ならではだと感じています。しかし関心をもっているテーマであっても私が直接キャッチできる情報なんて公開されている情報のおそらく1万分の1程度じゃないかな。後の9999件は同好の士によるWeb記事から二次、三次情報を得てソースにたどり着くのです。検索ツールでそれが可能になる、紙媒体で可能なワザではありません。

9日はマイクロソフトのセキュリティ情報月例公開日、これだけは予告段階からキャッチしていますけど。


「風林火山」特別展

2007-03-07 23:30:04 | 風林火山博

「風林火山」特別展 戦国大名の人物像--4月6日から5月20日まで県立博物館にて 毎日新聞山梨版、2007年3月7日記事


◇信玄・謙信、そして伝説の軍師・山本勘助、戦国の世を翔ける

山梨県立博物館で4月6日から、今年のNHK大河ドラマの主人公・山本勘助の実像を探る特別展「信玄・謙信、そして伝説の軍師-山本勘助、戦国の世を翔ける」(同博物館、NHK甲府放送局主催、毎日新聞甲府支局など後援)が始まる。

 勘助の実像は謎が多い。県内外の約130件の資料などを展示し、その人物像や、信玄と謙信が対決した川中島合戦への過程、戦国時代の文化、江戸時代以降に信玄や勘助らが伝説化するきっかけとなった軍学の成立などを紹介する。

  「山本菅助」の名が記された唯一の古文書で、勘助実在の証拠とされる 市河家文書(北海道釧路市指定文化財)が初めて一般公開される。市河家は信濃の地頭職で、北海道移住の際に文書を持っていった。ほかに江戸時代に描かれた勘助の絵や、信玄と謙信の個性を表す絵や文書、戦国時代の甲冑(かっちゅう)、刀剣などの武具、軍旗も展示する。


このニュースは2006.11.09の記事で既に書いていますが、1557年6月23日に信玄が市河藤若にあてた書状がここで言う「市河家文書」です。山形県酒田市の本間美術館には国重要文化財に指定された「市河文書」16巻147通が所蔵されているそうですが、釧路の「市河家文書」はその欠落部分を埋めるものとの事です。尚、釧路市ホームページから、「教育委員会」-「文化財一覧」-「有形文化財」とたどれば、この「市河家文書」に到着します。


JR風林火山フリーきっぷ

2007-02-23 14:43:11 | 風林火山博

山梨日日新聞によると、JR東日本八王子支社は放NHK大河ドラマ「風林火山」にちなんだ特別切符「風林火山 諏訪フリーきっぷ」を3月1日から発売するそうです。

JRは「風林火山 甲斐・信濃紀行キャンペーン」を展開中らしいですが、JR東日本ホームページでは特に記事は見つかりません、しかし、えきねっと(JR東日本)などから、JR東日本:おトクなきっぷに入って検索で「出発地:東京都」、「地域:なし」、「目的地:山梨県」でヒットするはずです、3月1日以後なら。
山梨日日新聞の記事では、『切符は中央線勝沼ぶどう郷~下諏訪駅間と小海線小淵沢~野辺山駅間を「フリーエリア」として指定。エリア内の特急、急行、普通電車の自由席が3日間乗り降り自由になるなどの利点がある。』ということです。


風林火山博 出足好調

2007-02-20 23:00:00 | 風林火山博

「風林火山博 出足好調」と2007年02月20日のUTY県内ニュースが伝えました。

1月20日から始まった 「甲斐の国風林火山博」は、この1ヶ月の入場者が3万人を越える好調な出足を見せている。
きのう(2月19日)までの1ヶ月間に有料ゾーンを訪れた入場者数は合わせて3万837人で、1日平均995人となり、主催している風林火山博実行委員会が予想していた1日700人を大幅に上回った。
入場者のピークは2月11日の日曜日で2055人、入場者の内訳は団体客が45%、個人客が55%の割合
また入場無料となっている物産品販売コーナーのこの1ヶ月の総売上げは、2865万円、1日平均92万4000円


ということで、これから春を迎えるのですから一層の盛り上がりが期待できます。私も第1回の訪問は済みましたが、3ヶ月ごとに計4回の訪問を予定しています。

2007年02月21日の山梨日日新聞によると、『清里高原の清泉寮ソフトクリームや土産物の菓子などの売り上げが目立つという。』ことです。私もソフトクリームは食しました、おいしかったです(^o^)

2月22日の産経新聞山梨版が、同じ内容を報じたのですが、そこに、『静岡県掛川市で行われた昨年の大河ドラマ「功名が辻」のテーマ館には開幕1カ月で1日平均900人弱が入場。年間の入館者は約30万7000人を数えたという。』と書かれていました。それで思い出したのですが、「NHK大河ドラマにかかわる観光施策」という記事、これは、2006年5月23日-新政クラブ視察報告として甲府市議の野中一二さんが掲載されていますが、ここに「大河ドラマ博覧会における他県事例」という収支一覧表があります。


2月23日の朝日新聞山梨版記事も好調だと報じたのですが、その一方こんな事も書かれていました。
『なお順調な滑り出しの一方で、残念な「事件」も発生。今月12日、同博入り口にある発泡スチロール製の信玄公像の左脇に差した刀が折られ、右手に持った軍配がなくなった。刀は近くの植え込みから見つかり、接着剤で修理したが、軍配は今もなくなったまま。新しい軍配を作ったという。実行委は「いたずらだと思うが非常に残念」と話している。』
2月3日の訪問で撮影した写真には軍配があります。


風林火山博訪問-1

2007-02-03 12:22:05 | 風林火山博

「戦国時代・武将たちの歴史情報ブログ」に『風林火山 信玄の「甲州法度」は凄かった!』という記事があります。そう言えば風林火山博に「甲州法度」あるいは「甲州法度之次第」と呼ばれる分国法について展示があったかどうか不明なので、次の訪問の時に確認するつもりです。


第1回訪問です、駆け足視察でしたがWebページとしては何を書けばよいかという視点で観てきました。
Expo07693 南側入口の西側に鎮座する信玄像がこれです。しかしバスツアーで来場される方は東側の降車場から歩いて来られて県民情報プラザの入口を入られる筈なので、この像に気が付かないかも知れません。
バスが南から平和通りをのぼってきて右折して降車場に行く時に窓から見える事はありますね。

Expo07702
大河ドラマ部分では信玄、勘助に間に座って一緒に記念写真が撮れます。カメラをお忘れなく。シャッターを押していただける係員がおられますから一人でもOKです。
Expo07704 ドラマで使われた三条夫人と由布姫の美しい衣装が展示されていました。

会場はまず「武田のなぜなぜコーナー」で勘助が実在したのかとか、川中島の合戦はどちらが勝ったのかとか、基礎的な知識が説明されています。信玄の治水策として「聖牛」の実物大模型、甲州升の実物なども展示されていますが、これらについては県立博物館もご覧いただければ歴史的な事業の詳細が分かります。信玄による甲斐の通貨制度は徳川により江戸時代の全国的な通貨制度として採用されたものですが、その4進法の発想がどこから生れたのか、私にとってかねてから調べたい課題の一つです。

Expo07708
1階のフリーエリアは今日はとても賑わっていました。
先日食したソフトクリームのある飲食コーナーもほぼ満席状態で写真は遠慮してしまいました。

Expo07707_1 なお、今回は武田検定のコーナーは横目に見て通り過ぎただけにしました、なにしろ駆け足視察ですから。次回には挑戦してみたいです。

今日は中心街に出かけたついでに思い付いて飛び込んだので、自分のホームページに掲載している会場マップなど予備知識無しに入場していますから、改めて確認すると見落としていた部分も多かったようです。甲府エイリアンとはいっても風林火山博の地元にいるのですから、納得するまで何度でも出かけましょう(^o^)

公式ページにあるように、『さらに来場者の上乗せができるよう魅力ある新しい企画も考えていきたい』とのことです。その情報をキャッチしながらリピーターになる私でしょう。


風林火山博入場1万人超す

2007-02-01 14:16:16 | 風林火山博

2月1日の朝日新聞山梨版が「1万人突破」と伝えました。

31日午前10時過ぎにツアーで長野市から訪れた女性客が1万人目の入場者となり、その方には花束と伝統工芸品が贈呈されたようです。


 風林火山博は県と甲府市がそれぞれ6千万円の補助金を出し、県内企業約130社が協賛するイベントだ。主催する風林火山博実行委員会によると、1年間の期間中、入場者数は20万人以上を見込んでいる。現在、団体ツアー客と前売り券ですでに9万3千人の入場者数を確保しており、「希望的観測だった30万人も夢ではない」と期待する。
好調の理由は、ドラマの影響もあるが、県外への売り込みだった。
昨年8月、東京の大手旅行会社などに、団体ツアーの営業に出かけた。これが功を奏して、各社が団体ツアー計画を企画。入場者数の約半分が県外からの団体ツアー客という。関係者は「ドラマと風林火山博をきっかけに、山梨のリピーターになってほしい」と期待する。

 この日、会場を訪れた観光客にはこんな声もあった。東京都東久留米市から訪れた女性(84)は「楽しかったが、甲府は、さびれている印象」と話す。上野原市の女性(73)も「ドラマ終了と同時に熱も冷めるのでは。イベント頼みでなく、もっと魅力的な街づくりをしてほしい」。
風林火山博は、県のイメージアップと経済促進のために企画されている。同委員会の清水敏郎事務局次長は言う。
「ドラマと風林火山博が終わってからが本当の勝負かもしれません」


私が未使用の前売券も入場予定者にカウントされている訳で、さて、5万人、10万人・・・いつのキリバンを狙おうかなんて考えるのも愉しいです。どこかにカウンターが表示されないかな(^o^)

ところで甲府駅北口の歴史公園、山手門などが予定が早まって2月中にはオープンの筈です。風林火山博と舞鶴城公園(甲府城跡)との連繋、さらに歴史公園、武田神社、二十四将屋敷跡ともつないだツアーで武田-徳川という甲府の街の二重性の面白さを観ていただきましょう。

シャッター街を誹るのはたやすいが、今時そんなものは全国何処にもある、それだけが甲府じゃないよ、それをしっかりアピールしたい。知恵を出してホームページも作ろう。ICT甲府はそれを考えています。


10日間で9千人突破

2007-01-30 11:13:48 | 風林火山博

2007年01月30日の山梨日日新聞によると、お客様が予定以上に多いとのことよかったです。ツアーの場合は既定コースに1か所追加した立ち寄りという事になると思いますが、フリーで来館される一般観光客の皆さまによる甲府市内や県内各地へのシャワー効果が目に見えて出てくるとよいですね。


大河ドラマ「風林火山」の放映に合わせた官民共同イベント「甲斐の国 風林火山博」の有料ゾーンへの入場者が1月29日、開幕から十日間で9千人を突破した。1年間の目標として掲げた30万人を上回るペースで、同実行委は「開幕前に県外の旅行会社へ積極的に営業した効果が大きい」としている。
 同実行委によると、20日の開幕から十日目の29日現在、入場者は9,331人。開幕後2回目の日曜日となった28日は1,782人で、一日の入場者として最高を記録した。土、日曜日を中心に入場者が伸びている。
 このうち4割強の約4千人は、県外の旅行会社が企画したツアー客。同実行委は開幕前の9-11月に県外の旅行会社に集中的に営業し、ツアーのコースに盛り込むよう要請しており、「効果が着実に現れている」(同実行委)という。


既に始まっている「武田二十四将屋敷跡」プロジェクトや昔からの府中五山巡りも併せて賑わって欲しいものです。

日曜朝市を10時~14時に開催しているという記事が2007年1月29日のブログ記事-「山梨発 風林火山博続編」にありました。尚、この記事によると会場のメインゲートは南側のようです。確かに入口脇に信玄像が置かれているのは見ています。私は公式ページの「開幕テープカット」の写真を見た時、これは西側(平和通り側)入口と思ったので、こちらが正面ゲートかと思っていました。甲府駅から来る人々が最初に見つける入口ですから。
日曜朝市のことは公式ページには未だ無いし、ゲートも二つあり、その片方には信玄像が置かれている事も分からないし、「ちょっとぉ、しっかりしてよ!」と言いたくなるなぁ。


風林火山博フリーエリア

2007-01-27 23:33:00 | 風林火山博

風林火山博は閉まっている時間でしたが、駅前に行く用事があったので県民情報プラザを覗いてみました。(地下のメイン会場は6時まで、1階フリーエリアは7時までです)
百鬼丸さんの切り絵 平和通りの歩道には百鬼丸さんの切り絵が飾られていて、これは車道側も同じで両面に掲示されています。
夕方の引け時のためか人通りはかなりありましたが、プラザの中は閑散としていました。でもそれぞれのお店の方がとても素敵な笑顔で迎えてくださるので、一回りしてしまいました。
物産展 山梨の名産といっても未だよく知らないのですが、
産直の野菜売り場には一束百円でホウレンソウまで置いてあるのにはびっくりしました。
もちろんお菓子やワイン、ジュエリー、印傳などの定番もあります。

信玄役を演じられた俳優さんの写真とサイン 場内の奥の方でしたが、最近の信玄公祭りで信玄役を演じられた俳優さんの写真とサインが飾られていました。

その傍が観光物産協会の事務室になっていて、プラザの内部レイアウトはすっかり変わっていました。

山梨の歴史を簡単に紹介する写真パネルなどもありましたが、簡単過ぎて無意味じゃないか、ここではむしろ県立博物館や考古博物館などの紹介パネルにしてお客様をそちらにも誘導するようにしておいた方が良いです。2階の県民情報センターも遠来のお客様にご紹介しご覧いただくのもよいですね。せめて風林火山博の間は土日休日もオープンしてください。

清泉寮ソフトクリーム さて帰ろうかと入口に向かったら清泉寮ソフトクリームのカウンターに気が付きました。評判は聞いていましたが未だ味を知りません(清里方面は未踏破地域ですから)。300円、おいしかったです。

前売券は買ってあるのですが、風林火山博を訪問できるのは何時になることやら。

ICT甲府のホームページでご紹介しているのに、自分で足を運ばなくちゃだめですね。今日の訪問は武田二十四将屋敷跡紹介の観光パンプを探す目的でしたが、手に入れました。甲府市観光ガイドにも掲載されるはずですが、一足お先に私のホームページで使わせていただきました。


敵に塩を送る

2007-01-21 10:54:12 | 風林火山博

2007年1月17日の産経新聞山梨版で、『「謙信公の塩」のお返し 新潟県民に特産品』という記事を読んで調べてみたら、山梨県観光振興協会ページに「塩のお返しプレゼント」の記事が出来ていました (このページはInternet Explorerでご覧ください、他のブラウザでは完全に表示できません)。

越後から送られた塩が松本に到着したのが、1568年(永禄11年)1月11日ということから、更に調べてみると、長野県松本市ホームページで、松本あめ市記事や、塩伝説に由来した伝統行事としての松本あめ市の紹介ページ、『上杉軍と武田軍に分かれ綱引き 松本あめ市で威勢よく』という2007年1月17日付けの信濃毎日新聞記事などが見つかりました。

「敵に塩を送る」と言う言葉は時々使われている言葉ですので私も知っていました。越後から山梨県まで届いたものとばかり思っていたのですが、松本までだったのだと、今回初めて知りました。松本から甲府まではどのようにして届いたのか、それはどのような方法で人々に配られたのかは未だわかりません。この史実が信玄堤のように人々の尊敬の源になっているかも知れません。引き続き調べてみたいと思います。


2007年1月21日の毎日新聞山梨版に、風林火山博のオープニングセレモニーでは、「敵に塩を送る」儀式も。武田信玄のライバルだった上杉謙信のおひざ元、新潟県上越市から「義の塩」が届けられ、初代当主が越後の国から甲斐の国に塩を持ち帰ったという吉字屋本店(甲府市中央4)18代目、高野総一氏が受け取った、とありました。
吉字屋本店ホームページには、以下のことが書かれています。

この際、武田信玄の命を受け越後産塩の取り引きに使いしたのが塩屋孫左衛門(初代)で、無事信州松本まで塩を持ち帰ったのが永禄11年(1568年)正月11日、甲府に帰着したのが同14日であったとされています。
 この越後塩移入の努めを果たし、国内の塩飢饉を救った活躍に対し、信玄公より当時の甲斐の国の通貨「甲州金」の裏刻印である「吉」の字を屋号として贈られ、「吉字屋」が誕生しました。

どうして甲府ではなく松本だったのかが、未だ分からないのですが、「国内の塩飢饉を救った」という点から読み取れば、荷駄か荷車かの一部が最初におろされたのが松本で残りが甲府まで運ばれたということかも知れません。そして以後は「戦時中」にもかかわらず人道的配慮により武田-上杉間の「塩の貿易」はビジネスベースで継続したという事が考えられます。


準備着々

2007-01-18 17:40:00 | 風林火山博

県民情報プラザ前の歩道アーケードの部分に百鬼丸さんの武田二十四将切り絵が飾られています。
20日のオープニングでは、8時50分から10時まで、県民情報プラザ南側の道路が通行止になるという看板も各所に立てられています。
路上では9時から各種のイベントが行われるようですから、委細は風林火山博公式ホームページをご参照ください。