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ICT工夫

全ての自由を奪えても、自由を求める自由だけは奪えない
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二十四将の屋敷跡

2007-01-13 09:59:45 | 風林火山博

2007年01月12日の山梨日日新聞によると、甲府市が二十四将の屋敷跡に略歴など紹介する看板を設置したとの事です。 

パンフレットを入手したら、それもホームページでご紹介したいと思います。山本勘助の屋敷跡が武田神社の西方にある事は武田氏館大手口三日月堀のページを書きながら知りましたが、その他の武将の屋敷については、これから現地探訪してみたいですね。

山本勘助屋敷跡

追記・1月15日、甲府市観光課さんにお訊ねしたところパンフレットは現在印刷に回しているので近日完成、ホームページも年度内には公開する予定とのことです。二十四将の名前を全てそらんじている方は少ないと思いますが、観光ページの一覧紹介とかケータイ用ページがあります。私は既に1か所気が付きました、こんな所に!と驚いています。

ホームページで「城下町 甲府」という記事を書いた事があります。その中で、『甲府の街には武田時代と徳川時代の二重基準があるのだとしたら、それはそれとして外から見ると実に面白い話です』と述べました。そして、『町の名前は歴史資産のひとつと考えれば、それを活用する事から始めてみたらどうだろうと思います。現在名、旧町名の場所と由来、いくらかは残っているであろう昔ながらのお店や建物をおしゃれなイラストの地図で確認しながら街をのんびりと歩いてみたいです。』とも書きました。その考えは今でも変わりません。
ホームページでは風林火山博をずっと追いかけていますが、甲府市内では県民情報プラザのメイン会場の他は、既存の武田神社やお寺が観光コースとして紹介されているに過ぎません。甲府市全体として、ソフト的にもハード的にもネットワークが組まれていない事に苛立つ思いでした。その中でこの二十四将屋敷跡表示プロジェクトは、待ち望んでいた甲府全域の活性化に大きく寄与することになると期待しています。


 甲府市は、大河ドラマ「風林火山」の放映に合わせて武田神社周辺に点在する武田二十四将の屋敷跡に、各武将を紹介する看板を設置した。併せて屋敷跡や甲府五山の場所を記した観光パンフレットも作成。パンフレットを手に屋敷跡を歩いて巡ることもでき、市観光開発課は「信玄や二十四将にまつわる観光を気軽に楽しむ上で役立ててほしい」としている。
 看板は縦28センチ、横45センチで、各武将の略歴が書かれている。戦国時代から江戸時代にかけての史跡の所在地を記した大正時代の地図「古府之図」に基づき、位置が明らかになっている屋敷跡22カ所に設置した。山本勘助屋敷跡

 山本勘助の看板は、同市古府中町の古府中町二号公園南側に設置。武田神社入り口付近には商業政策などに優れていたとされる穴山信君を紹介する看板が立っている。
 観光パンフレットでは、屋敷跡や甲府五山など武田氏に関連する史跡を記した地図を掲載。散策用のルートや信玄ら二十四将の解説も盛り込んだ。


初詣、武田神社

2007-01-01 22:49:30 | 風林火山博

やはり風林火山の年です、初詣の人の列は予想以上でした。この時間ならもう空いているだろうと思っていたのですが、賽銭箱の前に立つまでに1時間かかりました。
その間にゲットした写真が二枚、「史跡 武田氏館跡」の石碑は石段脇に建てられています。

武田神社330 武田神社329

鳥居脇には両側に見事な門松が立っていましたが、これぞまさしく武田・甲斐の国バージョンの門松でした。

能楽堂334 少しずつ進む参拝の列に並びながら左にみえた能楽堂を眺めていました。
昨年春先にこれが建立されたニュースも、その後の能楽の催しも知っていましたが、行く機会はありませんでしたので、今回初見です。

参拝が終わって藤村記念館の方へ抜ける時にこの写真を撮りました。「甲陽武能殿」と読めますが、「甲陽」とは「甲陽軍鑑」の「甲陽」と同じ意味でしょう。

明けましておめでとうございます。甲斐の国・風林火山が山梨県を輝かしい年にする事を県民の皆さまと共にお祈りします。


戦国サイクリング

2006-11-29 16:55:09 | 風林火山博

毎日新聞 2006年11月29日、『戦国サイクリング:甲府・武田神社-長野・川中島100キロ、足軽姿で走破』

 ◇「風林火山」放映に合わせ、来春~夏開催目指す

 武田神社(甲府市)から川中島合戦場跡地(長野市)まで県境をまたぐ約100キロを、足軽姿にふんした20人ほどが騎馬ならぬ自転車に乗って踏破するイベントの“戦国サイクリング”を長野県の小諸市観光協会が計画している。来年春から夏にかけて開催を目指しており、途中の長野県内からは普段着の一般参加者にも自転車で加わってもらい、観光振興にも役立てたい考えだ。【宇都宮裕一】

 小諸市にある小諸城跡の「懐古園」は武田信玄が家臣で大河ドラマの主人公、山本勘助に本格的に築城させた史跡。合戦の際に川中島に向かったルートの一つは、小諸城の近くを通ったとされる。NHK大河ドラマ「風林火山」が来年放映されるのに合わせ企画された。

 自転車をこいだ時の速度は時速約15キロで、馬に乗るのとほぼ同じ。甲府市から長野市までの行程は高原の大自然に囲まれており、楽しみながら適度に運動でき、気分転換に最適という。胴丸と呼ばれる防具を付けた足軽姿でのサイクリングはユニークで印象深いため、武田信玄ゆかりの土地だと観光客に強烈にアピールするイベントにもなるとみている。

 計画では、信玄が住んでいた 躑躅ケ崎館跡地 の武田神社を出発。国道141号から懐古園を経由、千曲川に沿って下り合戦場に至るルートを予定している。武田神社から懐古園まではきつい上り坂が続くため、体力があり自転車競技の経験があるエキスパート20人程度に参加を制限するが、懐古園から合戦場までの約50キロは一般にも参加を募る。一般参加者は普段着で自転車に乗り、数百人規模で大自然に囲まれて戦国武将の気分で楽しめるサイクリングイベントとしたい考えだ。

 同協会副会長の花岡隆さん(57)は「甲府市から小諸市を経て長野市に至るルートは自然が豊富。ぜひ参加してサイクリングを楽しみながら戦国時代の武将の気分を味わってほしい」と全国から参加をPRしている。

 問い合わせは同協会(電話0267・22・1700)。


一般参加者には懐古園で自転車を貸し出して長野までという企画が伴うと嬉しいですね、山梨から車なりJRで行って、参加できます。


山本勘助の声が聞こえる

2006-11-28 11:32:44 | 風林火山博

2006年11月28日の山梨日日新聞は、風林火山博実行委員会が山本勘助の声を錦絵をもとに復元して会場で公開すると報じました。27日のテレビニュースで私は「勘助の声」を聞くことができました(^o^)


県立博物館が所蔵する江戸時代の画家・狩野了承の錦絵「山本勘助像」をもとにした。身長は「甲陽軍鑑」の記述から小柄の150センチと推定。日本音響研究所の鈴木松美所長が骨格や顔形などから声紋を作り、イントネーションを加えて復元した。

よみがえった50歳の勘助はやや声高。武田氏に滅ぼされた諏訪頼重の娘「諏訪御料人」を武田晴信(信玄)の側室に迎えるように、勘助が甲陽軍鑑の記述に沿って進言する。

会場では「武田の時代のなぜ?なに!展」のコーナーで聞くことができる。モニターに現代文の字幕を付けて子どもにも分かりやすくし、口語でしゃべるパターンも用意する。同実行委は「復元したのは勘助が進言によって武田家での立場を確立していく大切な場面。声を聞いて歴史を体感してほしい」としている。


以前、マンモスの鳴き声というのをどこかで聞いたことがありますが、やはり発掘された骨格から声の質を計算していったものだったと思います。身長が低い人は声が高く、背が高い人は声が低いとテレビニュースでは解説していました。


案内ボランティアを募集

2006-11-27 15:55:00 | 風林火山博

『風林火山博盛り上げよう 案内ボランティアを募集』、11月27日付けの産経新聞山梨版も記事にしました。
「甲斐の国風林火山博」の実行委員会が、観光客を案内するボランティアを募集していることは、ICT甲府の 風林火山リンク集 でもご案内していますが、公式ホームページの記事よりも山梨県庁ホームページの案内記事の方がそのまま読めるので便利です。公式ホームページ添付のMS-WORD文書の内容は県庁記事と同じですが、2ページ目には郵送・FAX用の申込用紙が付いています。メール応募の時はこの項目に従ってメールを書けばよいと思います。


応募資格は県内在住の20歳以上で、同じ曜日に月2日以上活動できるのが条件。開幕前に2日程度の研修に参加し、開幕後は会場内で活動する。内容は、武田信玄公や山本勘助の人物像を解き明かす「武田の時代のなぜ?なに!展」や、信玄公らの知識を問う「風林火山武田検定(簡易版)」のコーナーで質問に答え、パソコンの操作方法を教える。ボランティア保険や研修費用は実行委が負担するが、会場までの交通費などは負担してもらう。

実行委は「研修があるので歴史の知識がなくても大丈夫。人の和や力を重んじた信玄公の精神で、一緒に風林火山博を盛り上げてほしい」と呼び掛ける。

募集は50人程度。締め切りは12月20日。問い合わせ・申し込みは同実行委 055-223-7751


なお、スタッフ用の駐車場はありませんので、ボランティア自身で確保してください、昼食などのお弁当も無いとのことです。


50日前イベント

2006-11-24 13:42:42 | 風林火山博

2006年11月24日(金) 山梨日日新聞は、 「風林火山博」の50日前イベント活況 光のピュシスも開幕、経済効果を期待する声、と報じたのですが、私はこの50日前イベントの広報ページを見落としていて、中心街のえびす講祭り見物だけで帰宅してしまいました。「光のピュシス」は夕方からと知っていましたが、えびす講祭りのイベントが舞鶴城公園でもあるとも知らず、あそこには昼間は何も無いと思っていた訳です、えびす講祭りについてインターネット情報は朝日通り商店街のフリーマーケットだけでした。やっぱし山日新聞購読してないと駄目なのかな・・・


 「風林火山で山梨を売り込め」-。大河ドラマ放映を来年に控え、23日甲府市内で開かれた関連イベントは大勢の人でにぎわった。舞鶴城公園では「甲斐の国 風林火山博」(来年1月20日スタート)の開幕50日前イベントに続き、恒例のイルミネーションの祭典「光のピュシス」も風林火山をテーマに開幕。歴史情緒豊かでさまざまな観光資源に恵まれた山梨の魅力をアピールした。観光にとどまらず広く県内経済の活性化につながるよう期待する声も聞かれ、関係者は一層の機運の盛り上げに力を入れている。

 甲府えびす講祭りの来場者でにぎわう舞鶴城公園内で行われた風林火山博の開幕前イベントでは、博覧会会場の甲府・県民情報プラザ内に飾る県民の「笑顔」写真を実行委メンバーが撮影。親子連れなどが次々と参加し、2時間ほどで約200枚が集まった。

 「風林火山」と書かれたボードに一枚ずつ張り付けられ、事前に集めた300人分と合わせて約500人の「笑顔」がボードを飾った。

 実行委イベントPR部会総括幹事の依田光人さん(41)は「来場者を県民の笑顔で出迎えたい。リピーター客の増加にもつながればいい」と話す。

 孫二人が撮影をした甲府市和田町の平出敏子さん(69)は「甲府で生まれ育ったのでドラマブームでにぎわいが戻ればうれしい」と期待。孫の高木侑馬君(8つ)も「歴史が好きなので風林火山博は絶対に行きたい。今から楽しみ」と笑顔を見せる。子どもと写真に収まった同市中央4丁目の志村美妻さん(33)は「都内の知人は山梨を遠い場所と思っている人が多い。風林火山博を通じて自然景観など山梨の素晴らしい面を知ってもらえたら」と話していた。

 午後5時すぎには同公園で「光のピュシス」の点灯式が行われた。山本淳仁実行委員長は「今回は風林火山がテーマ。山梨を多くの観光客が訪れるきっかけにしたい」とあいさつ。点灯ボタンを押すと、武田騎馬軍団や軍配をかたどったイルミネーションの光が城壁に浮かび上がった。

 写真撮影をしていた同市内の会社員男性(55)は「駅からもよく見えて、ドラマを見て来県する観光客にも良いPRになる。前回の『大河ドラマブーム』の再来を願う」と話していた。

 風林火山博の会場が、当初予定された甲府駅北口から県民情報プラザに変更された理由の一つが同市中心部の活性化。県内では景気回復を実感できないとの声が多いが、中心部の商店主らは「風林火山ブーム」の経済効果を期待する。

 同市丸の内1丁目の飲食店主の男性は「会場から多くの人が中心部に流れてきてほしい。売り上げも厳しい状態が続いているので、メニューや店内装飾を考え直して集客につなげたい」と話していた。


光のピュシス開幕式は仕事の関係で行かれなかったので、天気の良い夜に出かけてみようと思っています。


「由布姫まつり」

2006-11-19 19:55:43 | 風林火山博

信玄、勘助関係を調べているときにCLUB AKAZONAE: 戦国武田の大疑問というブログを知りました。その11月17日記事で諏訪で始まる「由布姫まつり」を報じた中日新聞の記事を確認。


来年のNHK大河ドラマ「風林火山」のヒロインとなる由布姫ゆかりの地を売り出そう-と諏訪市市観光協会諏訪商工会議所などが16日、観光誘客を図る「諏訪由布姫まつり実行委員会」を発足させた。“大河効果”を期待、年間通したイベントなどをぶつける。
実行委によると、大河ドラマで由布姫は来年4月から登場する。イベントはこれに合わせ年末まで「由布姫まつり」と銘打ち市内の観光施設、ホテル・旅館、飲食店などで展開する。高島城では、桜の時期の4-5月に催しを集中、由布姫を演じる女優の柴本幸さんのトークショーなども計画している。

大河ドラマでは「武田信玄」放送の1988(昭和63)年、高島城の入場者が20万8000人と、前年の倍近くに増えた実績がある。実行委会長の山田勝文市長は「山梨は大々的なキャンペーンを進めているが、長野は遅れている。好機を誘客につなげたい」と意気込んでいる。


さらにたどっていくと、なんとあの「諏訪法性の兜」は地元山梨の所蔵では無く、下諏訪町立諏訪湖博物館・赤彦記念館にあることを知ったのです。確かに山梨県立博物館 開館記念特別展「よみがえる 武田信玄の世界」展示資料目録にも記載されていますし、私もこれを見学したはずですが、この事には注意していませんでした。だって信玄公祭りで主人公の兜は武田神社にでも保存されているのだろうと思い込んでいたのも当然でしょ?(^o^)

信玄公祭り点描

『武田信玄・勝頼展兜、軍旗など40点 新城の歴史資料館』という2006年11月8日の読売新聞中部版では、新城市設楽原歴史資料館で、『戦国の夢を追いかけた―武田信玄・勝頼展』が紹介されていました。開催は平成18年11月7日(火)~12月10日(日)です。山梨からも応援出展しているのです。時間があれば出かけてみましょう。

甲府の風林火山博覧会は、情報発信に加えて情報収集も必要だと痛感した「CLUB AKAZONAE」ブログでした。敵を知り己を知れば百戦危うからず-孫子さま


山本勘助の実在を証明

2006-11-09 15:27:11 | 風林火山博

山本勘助の実在証明する「市河家文書」初公開へ、と2006年11月09日の山梨日日新聞が報じました。 2007春開催の県立博物館特別展だそうです。

信玄側室で勝頼の生母である諏訪御料人と呼ばれた女性すら名前が伝わっておらず、湖衣姫とか由布姫とか作家が命名した名前が使われています。山本勘助は後世の創作とかいう話を私も読んでいましたので、あの信玄公祭りで見る鎧兜なども、どういう出典だろうと思っていました。しかし、「市河家文書」の事を知りましたので、実在した人物だと考えるようになりました。

山本勘助の鎧兜


 武田信玄の軍師・山本勘助の実在を証明する唯一の史料「市河家文書」が、来春の県立博物館特別展「風林火山 信玄・謙信、そして伝説の軍師」(2007年4月6日-5月20日)で、全国に先駆けて初公開されることが決まった。

 同文書は信玄(晴信)が北信濃を支配していた豪族「市河藤若」にあてた書状。信玄と上杉謙信が川中島合戦を繰り広げていた1557(弘治3)年に書かれたものとみられる。戦況を述べた後に、「山本菅助」を使者として送り、詳細を伝えさせるという内容が明記されている。信玄の花押もある。

 同文書は1969年、北海道釧路市の市河家の子孫の家で発見された。当時、勘助についての戦国時代の資料はなく「架空の人物」説もあったため、実在を示す第一級史料として話題になった。現在は同市の会社社長が所有しているが、これまで一般公開したことはない。

 同館の西川広平学芸員は「勘助は謎が多いが、少なくとも武田家臣団に『山本菅助』という人物がいたことを証明する貴重な史料」と話している。

 同展は、来年のNHK大河ドラマ「風林火山」の関連企画。同文書のほか「山本勘助画像」や「上杉家文書」(国宝)などを展示し、勘助の実像と伝説や、川中島合戦について紹介する。山梨を皮切りに新潟、大阪でも開催する。


山本勘助に関係して甲州流軍学とか築城術にも興味があります。これはいずれ記事にしたいと思っています。


風林火山の喜と哀

2006-10-28 15:04:07 | 風林火山博

風林火山博リンク集に入れていつも拝読しているブログ要害旬情報の27日の記事が「経済同友会」というタイトルでした。会合のご報告として「これからの山梨のあるべき方向」をお書きになっていますが、この内容がとても良かったです。

『良いニュースと悪いニュースがある、どっちから話そうか?』という対話の仕方があります、良かったのを後にして、ここではまず「哀」から始めましょう。

●実は百鬼丸さんの切り絵展示にも関係する事なのです。未だ完成品3点を見ていなかったので県民情報プラザを夕方訪れてみたら、あの立体切り絵が見当たりませんでした。ここは5時にお店も閉まってしまうらしくて、未だ時間はありましたが既に閑散としていました。ここに限らず甲府の夜は早過ぎませんか。閉店時間になってしまったお店ばかりの道を歩くのは淋し過ぎる、哀し過ぎる、観光客を迎える街としてそう思うのです。

次は「要害旬情報」ブログに書かれていた「喜」の方です、
○「無関心」が親切の反対・・・これは名言だと感じました。私は甲府エイリアンで道も町名も未だよく知らないのですが、道路事情の悪さに文句言っていても仕方ないです。狭い道は一方通行にして歩道にゆとりを持たせればよいと、いつも思います。

◎『川越視察』の事が書かれていました。これもよく拝読するブログですが、「ほっと一息~日記」でも書かれています。NPOでの視察だったようです。
川越については野中一二さんも2004年12月14日に甲府市議会の新政クラブ視察で出かけられていて、川越に見る街づくりという視察記録を記事にされています。
私も川越には何度か出かけていますが、城下町の雰囲気がしっかり残っていて、少なくとも街なかは人も多く賑わいを感じます。車で回るより、駐車場に置いて歩いて楽しむ街です。

○『山梨県人の15歳以上のボランティア活動への参加率は39%』、しかも、『行政への批判度も全国上位』とお書きになっておられるのを読んで、こんなことを初めて知りました。甲府でも市民がどしどし意見を言って盛り上げていく「街づくり」が大切なのだと感じます。甲府空襲で失われた城下町を復活させることは難しいかも知れませんが、これ以上は失わないようにしていただきたいです。見事な石垣の甲府城の傍にある舞鶴陸橋は景観にマッチした形ではないと、いつも感じています。歴史公園とかよっちゃばれ広場とか、どんな風になるのでしょうか。コンクリートで固めて欲しく無いと思います。

○経済同友会で風林火山委員長をなさっておられるので、この日の日記の締めくくりは風林火山博、山梨観光立県について述べられています。ICT甲府のホームページも幾分かはお役に立つなら幸いです。