酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

遠藤ミチロウ追悼~ピュアなロッカーに心を濾し取られた3年半

2019-05-08 11:51:16 | 音楽
 GW後半、風邪をひいて普段以上に惰眠を貪っていた。連休明けの昨朝、仕事先でT君から「ミチロウ、死んじゃったね」と告げられる。死因は膵臓がんで享年68。なぜか俺のアンテナに引っかかっていなかった。ショックで眠気が吹っ飛び、心が潤むのを覚える。亡くなったのは先月末で、今月になって公表されたという。

 スターリン時代を知らない俺が初めて遠藤ミチロウのライブに初めて接したのは2015年11月、第7回オルタナミーティング(阿佐ヶ谷ロフト)でのPANTAとの共演だった。わずか3年半の縁だったが、ミチロウは俺の記憶の壁に深い爪痕を刻んでくれた。

 前稿の最後、<憲法と天皇制>をメインに据えると予告したが、次稿もしくは次々稿に回し、ミチロウの思い出を記すことにする。

 15年に発表された「FUKUSHIMA」は情念、怒り、絶望、祝祭、自虐と露悪、喪失感、贖罪、鎮魂が混然一体となったアルバムで、途轍もないエネルギーを放射していた。♯3「NAMIE(浪江)」、♯8「俺の周りは」、♯11「放射能の海」、♯12「冬のシャボン玉」がとりわけ心に響いた。

 俺がミチロウにシンパシーを抱いた理由は三つある。第一に、PANTAと半世紀近い交流があること。頭脳警察を山形大学園祭に呼んだのが実行委のメンバーだったミチロウだ。同年(1950年)生まれの両者だが、並んで立つと〝父子〟のように見えた。そのライブでミチロウは、竹原ピストルらがカバーしている「ジャスト・ライク・ア・ボーイ」で締めくくる。

 ♪まるで少年のように街に出よう どこまでも続く一本道の そのずーっと先の天国あたり 何を見つけたのか それはお楽しみに……。この曲を口ずさみながら書いている。

 第二の理由は、大学時代に影響を受けた先輩と同窓(福島高校)だったこと。福島に思いを馳せる時、ミチロウとその先輩がオーバーラップするのだ。「FUKUSHIMA」は3・11以降、故郷への思いを込めた弾き語り集である。自身がメガホンを執った映画「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」(15年)は、3・11を挟んだツアーを追っていた。あづま球場で開催されたスターリンのライブに圧倒されたが、居酒屋で数人を相手に演奏する姿は吟遊詩人である。

 「お母さん――」のテーマは<家族、福島との絆>だった。故郷喪失者だったミチロウは3・11を機に、「プロジェクトFUKISHIMA」を立ち上げ、フェスを開催する。久しぶりに実家を訪れた様子はまさに〝放蕩息子の帰還〟で、母との会話に笑ってしまった。ミチロウの母が健在だったら、息子の死をどう受け止めただろう。老母を持つ我が身に重ね、そんなことを考えてしまった。

 ミチロウは膠原病を患い、14年7月からの50日間の入院生活を綴った詩集「膠原病院」を発表する。俺がミチロウにシンパシーを抱く最大の理由は、妹が膠原病と闘って力尽きたからである。膠原病の罹患者は女性が多いが、ミチロウは還暦を過ぎて発症した。

 死と向き合ったミチロウは、「墓場がどんなに放射能に汚染されても 墓場が僕のふるさとだから」と絶望を綴り、「不治の病は気づかぬ内に 人間そのものが不治の病」と自身の状況と日本社会を重ねていた。「ただ不幸を弄ぶことはできる 表現者ならそれぐらい開き直れ 不幸は表現の肥やしだぞ」と自分を叱咤したミチロウは退院後、身を削って歌い続けた。

 病室から眺めた隅田川花火に東京大空襲を重ね、広島の原爆の日には、3・11と重ねて「神様は試した どれだけ人間が愚かなのか 僕らは試した 自分達の愚かさを 二度目は自爆した ヒロシマからフクシマへ 放射能の想いが通じた」と詠んでいた。

 知性、世界観、人間性を称揚してきたPANTAに、ミチロウも匹敵する。40年近く友人だった渋谷陽一氏(ロッキング・オン社長)は訃報に触れ、<とても批評的な言葉を持ったアーティストだった。インタビューをする度に、その知的な言葉の力に感心した。しかし彼の素晴らしさは、その批評的な言葉を超える肉体的な表現を実践するデーモンがあったことだ。(中略)知性が表現を規定したり抑圧することがなかった。誰もが彼の人柄の良さに魅了された>と同誌HPに記している。

 「お母さん――」で見せたミチロウの素顔は優しかった。自身を浄化するようなシャウトとメークは、繊細と狂気のアンビバレンツを表現するための儀式だったのか。「FUKUSHIMA」でカバーした「ワルツ」(友川カズキ作)の3番をミチロウに手向けたい。

 ♪切なさを生きて君 前向きになるのだや君 物語はらせんに この世からあの世へと かけのぼる 生きても 生きてもワルツ 死んでも 死んでもワルツ 出会いも 出会いもワルツ 別れも 別れもワルツ……。 

 俺はこれから、身を剥がされるような別離を幾つ積み重ねるのだろう。それが老いるということなのか。

 
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