酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

奥泉光著「虫樹音楽集」~荒野で宇宙と感応するテナーサックス

2024-06-05 22:05:23 | 読書
 この10日あまり、YouTubeで「怪奇大作戦」(全26話、欠番1)を一気見した。本作は俺が小学6年生だった1968年9月から半年にわたって放映されたが、見た記憶はない。舞台はSRI(科学捜査研究所)で、メンバーの的矢所長(原保美)、牧(岸田森)、三沢(勝呂誉)、野村(松山省二)、さおり(小橋玲子)と町田警部(小林昭二)が協力し、怪奇現象の謎を解き明かしていく。

 円谷英二監修の下、科学技術の進歩の功罪、熾烈な企業間の競争、癒えぬ戦争の傷、環境破壊、伝統文化の衰退、蒸発、コンピューター導入といった当時の世相を錚々たる脚本家が物語に織り込んでいる。キュートなさおりがお茶くみ役というのは仕方ないとはいえ、<美しいという観念の裏側には残酷な何かが潜んでいる>といったルッキズムに関わる台詞もあった。一番記憶に残ったのは牧の恋が描かれた♯25「京都買います」である。

 怪奇現象を扱った小説といえば、まず頭に浮かぶのがカフカ著「変身」だ。同作にインスパイアされた「虫樹音楽集」(奥泉光著、集英社文庫)を読了した。奥泉は15作以上読んでいる馴染みの作家だが、本作を読み終えた時、書評の〝核〟が見つからず、数日経つと全体が剥落していく困った状態になった。いつも以上にピント外れの中身になることをご容赦願いたい。

 本作は前衛的かつ実験的な小説で、時空がカットバックし、メタフィクション、マジックリアリズムの手法を用いている。伝説的なテナーサックス&バスクラリネット奏者、イモナベこと渡辺柾一の<変身>、いや<変態>を巡る9編から成る連作短編集だ。通底音になっているのはカフカの「変身」で、主な語り手である私(作家)はイモナベの消息を追っている。♯1「川辺のザムザ」は短編小説で、ザムザとは「変身」の主人公だ。科学雑誌や音楽評論がテキストとして挿入され、イモナベの血縁である青年の独白で<変態>する者の奇妙な生態が描かれている。

 奥泉は音楽に造詣が深い。「ビビビ・ビ・バップ」ではモダンジャズの巨人たちのアンドロイドがジャムセッションを展開していた。「シューマンの指」の<「音楽」はもう在るのだ。氷床の底の蒼い氷の結晶のように。暗黒の宇宙に散り輝く光の渦のように>という記述が印象に残っている。「虫樹音楽集」のイモナベはフリージャズのプレーヤーで知られる存在だったが、全裸で演奏するなど奇矯な振る舞いが目立ち、シーンから消えていく。

 かつてジャズファンの知人からアルバート・アイラ-のアルバムを借りたことがあった。フリージャズとは究極の自由を表現する音楽だと説明されたが、俺は理解出来なかった。人間が虫に<変態>するというのは後退に思えるが、イモナベは解放を志向する過程で虫に<変態>した。♯4「虫王伝」でミュージシャンのザムザは<虫樹>を求めて東アフリカに向かう。宇宙の進化を司る究極の言葉<宇宙語>に最も近いのが音楽で、ザムザは<宇宙語>を聞き取るために<虫樹>の下に立って虫に<変態>しようとする。<変態>とは<進化>なのだ。

 「東京自叙伝」では地霊に導かれた6人の「私」が、分身となって物語を紡いでいた。時にスピリチュアルな傾向を感じることもある奥泉ワールドの一端に触れたような気がしたが、本作の「私」同様、混乱を収拾出来ないままページを閉じた。無人の荒野で<変態>しつつあるイモナベが宇宙と感応する、そんなイメージが目の裏に焼き付いている。

 棋聖戦があす開幕する。AI超えの藤井聡太棋聖(八冠)とAIに捕らわれない独創的な山崎隆之八段と、好対照の棋士が相まみえる。タイトル奪取は厳しそうだが、関西の将棋ファンの希望に応えて、淡路島で行われる第4局の実現を願っている。将棋ファンの奥泉も注目しているはずだ。
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