酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「酔生夢死浪人日記」結びの辞

2006-02-27 01:54:49 | 戯れ言

 一昨年10月16日以来、ほぼ1日おきにブログを更新した。今回が250本目と、キリのいい数字である。社会復帰を果たした以上、時間的な制約があり、継続するのは難しい。お知らせ通り、「酔生夢死浪人日記」を休止することにした。データは当分、公開しておくことにする。

 きっかけはライブドアだった。一昨年9月、転職を考えていた友人が、ライブドアの応募シートに「あなたのブログのアドレスは」という項目を発見した。俺も退社を決めていたし、ブログなるものが再就職に必要かもしれぬと考え、後輩のレクチャーを受けた。動機はともかく、ブログは俺にとって収納ケースだった。頭や心に散乱している知識や思いを、項目ごとに整理整頓することができた。最近はくたびれたレース車のように、頻繁な燃料補給が必要になっていた。本を読んでいても映画を見ていても、「ブログのテーマになるだろうか」と考えるようになり、純粋に楽しめなくなっていた。

 昨年9~10月は選挙バブルで、200前後のアクセスIPが続き、最高は自民党の獲得議席数(296)だった。トラックバックに努め、ミクシィで「あしあと」を残した時期もあったが、「営業」をやめるとアクセス数は右肩下がりになる。俺のブログは次第に独善的になり、牽強付会に屁理屈を並べるようになっていた。リピーターが減り、ピーク時の半数まで落ち込んだのは当然の成り行きだった。

 俺と面識のある人は、ブログで見えない実像をご存じである。アバウトで隙だらけ、巧まざるユーモア(=間抜け)、暴言失言癖、下ネタ大好きといった素を、ミクシィの日記で曝していきたい。ミクシィ会員の方は、「ランブラー」で検索していただけば俺のページに行き当たる。「ランブラー」=徘徊者……。「酔生夢死浪人」と並び、俺にピッタリのハンドルネームだと思う。

 新しい環境に対応するため、当分の間、自分を鞭打つつもりでいる。第4コーナーに急坂はあるが、俺の人生は既に「晩年」に踏み入れている。掲げる目標は、恬淡かつ寛容、矜持を秘めた人間になること。まだまだ修業不足で昇華しきれぬ煩悩は多い。達成は容易でなさそうだ。

 それでは、読者の皆さん、駄文に付き合っていただき、ありがとうございました。時間的な余裕ができたら、続編を立ち上げたいと思います。その折にはよろしくお願いします。


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アリ神話第1章~世界を震撼させた日

2006-02-25 00:19:41 | スポーツ

 安藤美姫が騒がれているのは知っていた。メダルなんて無理だろうと思っていたら、荒川静香が優勝した。金の演技をニュースで見たが、審美眼ゼロの俺でさえ心が震える完璧なパフォーマンスである。荒川は国を挙げての隠し玉で、メディアが真の実力を伝えなかったのか? 門外漢ゆえ頓珍漢な疑問を抱いてしまった。

 さて、本題に。五輪の名場面は数々あれど、アトランタの開会式に感動した記憶がある。最終ランナーのエバンスからトーチを受け取ったアリが、震える手で聖火を灯した。いたわるように、励ますように拍手が会場を包む。クリントン大統領の開会の辞にも、アリが身をもって示した60年代の価値観への敬意が込められていた。

 42年前のこの日(25日)、アリは無敵王者リストンをKOで下し、世紀の番狂わせを演じた。舌戦では「蝶のように舞い、蜂のように刺す」の歴史的名言を披露していたが、パワー不足を懸念され、賭け率は7対1とかませ犬扱いだった。あの月、もう一組の寵児が世界を震撼させる。アメリカに上陸したビートルズは「エド・サリバン・ショー」に出演し、空前の視聴率を記録した。

 桁外れのスピードとクレバーな組み立てを武器に、アリは挑戦者を退けていった。転機が訪れたのは67年である。「自らの手をベトナム人の血で汚すつもりはない」と徴兵を拒否し、王座を剥奪された。既にイスラム教に改宗していたが、戸籍名のカシアス・クレイを捨て、ムスリム名のモハメド・アリで通すようになる。マルコムXとも親交はあったが、平和主義者のアリはラディカリズムと一線を画していた。

 3年のブランクを経て復帰したアリに、以前の輝きはなかった。アリを苦しめたフレージャーやノートンは、フォアマンに木っ端微塵に粉砕されていた。フォアマンに打ちのめされ、アリがマットを這う……。織り込み済みのシーンは、74年10月に反転した。キンシャサ(当時ザイール)で、フォアマンの打ち疲れを誘い、逆転KOで王座を奪回する。

 フォアマンは後に、「心身両面で試合に臨める状態ではなかった」と当時の状況を振り返っている。フォアマンは足のケガに加え、内臓にも不調を来していた。ゴングが鳴るや、アリはロープを背に身を屈め、フォアマンのパンチの威力を半減させる。「ロープ・ア・ドープ」と呼ばれた戦法は、ロープが通常より緩く巻かれていたからこそ成立したともいわれた。

 「キンシャサの奇跡」の舞台裏で、見えざる手が蠢いていた。CIAはザイールに介入し、試合の前年、軍部と結んでルムンバを追放していた。ヘビー級タイトルマッチは、<アメリカ=モブツ独裁政権>のシナリオによる目くらましの祝祭で、民衆に人気のあるアリの勝利はガス抜きの効果があった。ルムンバ支持のアリは利用され、フォアマンは奔流に呑み込まれた。

 キンシャサ以降、アリは神になり、同時に木偶にもなった。一試合で数十億の金が動き、得体の知れぬ連中がアリの周りに群がっていた。ベトナムで戦わないという良識を示したアリだが、フォアマンとの再戦に挑む勇気はなく、ペーパーチャンピオンに堕してしまう。ファンの目はヘビー級から遠ざかり、南米の熾烈な戦いに向くようになる。75年から80年代前半、ボクシング界は黄金期を迎えていた。バンタム級のサラテ、Sバンタム級のゴメス、フェザー級のサンチェス、フェザー~ライトの3階級を制覇したアルゲリョ、ライト級の「石の拳」デュランと、錚々たる才能がしのぎを削っていた。

 反骨精神に溢れたアリも、アメリカ的な掟としがらみに縛られていく。「軍団」を養うため心身を鼓舞して戦ったことが、パーキンソン病発症の一因といわれている。天才ボクサー、黒人解放運動家、平和主義者、ショービジネスの体現者、闘病者……。眩い光と濃い影が交錯する地点で、アリの様々な貌が像を結んでいる。自ら「グレーテスト」と叫ぶ姿には白けたが、その称号に値するスポーツ選手はアリ以外にいない。

 競馬新聞を眺めているうち、予想を書きたくなった。アーリントンCに⑭キンシャサノキセキが出走している。本稿の流れで買うしかない。荒川静香の名にちなみ、牝系がサンデー「サイレンス」の馬を探してみた。⑧イースター、⑬アドマイヤディーノの2頭がいる。いずれも人気馬なので、⑭⑧⑬の3頭ボックスで3連単で買うことにする。


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至高のライブバンド~ミューズが演じた奇跡の瞬間

2006-02-23 00:57:47 | 音楽

 当代一のライブバンド、ミューズのDVD「ライブ・フロム・アブソルーション・ツアー」が昨日(22日)発売された。グラストンベリー04のステージ(1時間余)に加え、他会場でのパフォーマンスがエキストラ(20分強)として収録されている。

 01年11月のゼップ東京がミューズとの出会いだった。彼らの音楽は、愛する少女に語りかける初心な少年の言葉のように、切実で痛く重い。ぎこちなく声高に、赤裸々で真摯に、ナルシスティックかつストイックに情熱を伝えている。デビュー当時、ミューズは<ニルヴァーナ+レディオヘッド>と評されたが、本国イギリスでも<異端>扱いされてきた。<クラシカルな旋律とメタリックな爆風が巻き起こす、天井知らずのロック・ドラマツルギー>というライナーノーツの冒頭は、彼らの本質を見事なまでに表現している。

 クリスとドムのリズム隊に支えられたマシューは、ギターとピアノを自在に操り、七色の声を使い分ける。努力や才能ではなく、音楽的素養の高さが下地になっているのだ。マシューは放浪先のスペインで、マヌーシュギターの修業を積んだ。「マッスル・ミュージアム」など代表曲に滲むノスタルジアとエキゾチズムは、ロマの音楽と根っ子で繋がっているのかもしれない。

 ミューズのサウンドはメロディアスな音響彫刻で、装飾的要素も強い。メタルやプログレに通じる様式美が、<パンク⇒ニューウェーブ>の主流派ロックファンに敬遠された部分もあったようだ。ミューズは自他共に認めるキュアー・チルドレンだが、「親」と同じく最初にフランスで認められた。パリ公演の模様を収めた前作DVD“Hullabaloo”は、「ライブ・フロム――」よりエキセントリックなバンドの姿を記録している。

 ミューズは04年2月にも来日したが、追加公演は渋谷AXだった。彼らが当時、アメリカで「ファッキン」なドサ回りバンドだったことは、エキストラ映像が示す通りだ。グローバルに過小評価されていたミューズだが、世界最高峰のグラストンベリーで大トリに指名された。初日のオアシス、2日目のポール・マッカートニーを差し置いてである。キラーズが昨年、「自分たちには相応しくない」と大トリを固辞して物議を醸したが、ミューズは歴史的名演をグラストンベリーの地にしるし、大抜擢に応えた。

 オープニングの「ヒステリア」など、3rd「アブソルーション」から多く選曲されている。メンバーは普段より醒めた風を装い、ピアノを軸にしたダウナーなナンバーと轟音ポップを織り交ぜ、コントラストを際立たせていた。荘厳な叙事詩を現前させるべく、戦略を立てて臨んだことが窺える。「ブリス」~「タイム・イズ・ランニング・アウト」~「プラグ・イン・ベイビー」の後半部分は圧巻で、「タイム――」の間奏中、マシューがパントマイム? を披露している。数万人の聴衆から大合唱が起き、モッシュする若者から煙が立ち昇る光景に、フジロック97のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを思い出した。<異端>だったミューズが、本国で<正系>と認められた瞬間だった。

 ミューズは04年、グラストンベリー以外にも二つの野外フェスで大トリを務め、NMEに“undisputed king of UK rock”(比類なきUKロックの王)と絶賛された。マニック・ストリート・プリーチャーズを超える記録でソールドアウトにした年末のアールズコート(2日で10万人弱)のライブ(2曲分)は、エキストラに収録されている。グラストンベリーで纏った聖衣を脱ぎ捨て、ドラムセットをぶち壊すなど、荒々しさを前面に出していた。

 ミューズは今夏、4thアルバムを発表する。蒼い1st、リリカルな2nd、静謐な3rdと、これまでの3作は甲乙付け難い傑作だった。煌きを保ち続けるのはたやすいことではないと思うが、本作を繰り返し見て、発売の日を待つことにする。

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社会復帰とブログ休止

2006-02-21 00:06:49 | 戯れ言

 ♪あれもしたい これもしたい もっともっとしたい……。これはハイロウズの「夢」の一節だ。俺も若い頃、こんな風に考えていたが、五十の坂を前に、人生は消去法だとしみじみ感じている。

 W杯終了まで浪人生活を続けるつもりだったが、4カ月ほど予定を早めた。フリーとして事務所に登録し、前職を生かした仕事をする。異業種や名の知れた会社にも応募したが、「自爆テロ」みたいなものだった。面接で退社の理由を聞かれ、「自分を再構築するため」、「リフレッシュするため」と答えると、相手方は怪訝そうな目で俺を見た。保証された収入を捨てるということは、リストラ? セクハラ? 居づらくなるほどのヘマ? そう勘繰られるのは当然だ。俺が面接官だったら、俺のような胡散臭い中年男は絶対に採用しない。

 辞める2、3年前から、俺は自分の腐臭に気付いていた。職場とは一本の木のようなもので、クチクラ化した幹があれば養分が行き渡らなくなる。自分が遠からず(既に?)、阻害要因になるのは確実だった。俺に裃(かみしも)は似合わないし、一段高い所から他人と接する資格や資質に著しく欠けている。サラリーマン時代の晩年、キレやすくなっていた。キレている時、袈裟斬りされて血が噴き出たような快感を覚えていたのだ。極めて危険な兆候だし、会社に留まっていたら、自壊への道をまっしぐらに進んでいただろう。だが、問題があったのは、あくまで自分の方である。社会的不適応者だった俺を拾い、管理職にまでしてくれた前の会社には、今も深く感謝している。

 1年2カ月ぶりに仕事を再開し、自分の浸かっていた世界の狭さを実感した。同業種といっても、進め方や要領がまるで違うのだ。海に放流された淡水魚の如く、呼吸法の違いに戸惑っている。自分の失敗で後ろ指が幾ら刺さっても平気だが、前の職場の看板に泥を塗ることだけは避けたいと思う。

 登録したばかりで、多くの仕事が舞い込んでいるわけではない。かといって、仕事以外に自分のやりたいこと、享受したいさまざまなこと(読書、映画観賞、スポーツ観戦など)と並行してブログを更新するのは肉体的、精神的、物理的に不可能だ。何かを省くとなるとブログになり、今月末でひとまず休止することにした。3月からはミクシィで、日々の雑感や砕けた内容を記していくことになる。ブログはあと3回だが、もう少しだけお付き合いを願いたい。

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最後の競馬予想~フェブラリーSは「謎」に賭ける

2006-02-18 09:06:23 | 競馬

 次回に理由は述べるが、今月いっぱいでブログを休止する。フェブラリーSが当日記での最後の競馬予想になる。有終の美を飾りたいが、自信度はゼロだ。複勝圏外と断言できる馬が一頭もいない。かといって、人気馬たちも死角を抱えている。

 断然人気が予想されるカネヒキリだが、中間の攻めが足らなかったという。直前追い切りで帳尻を合わせたが、最大目標はドバイかもしれない。「捨てゲーム」を巧みに織り込み、ここに照準を絞った感のアジュディミツオーだが、東京コースは鬼門のようだ。根岸Sでのイン突き(4着)が陣営の勘気に触れ、佐藤哲がサンライズバッカスを手放した。勝負師から手堅い柴田善への乗り替わりは、GⅠに限りマイナスに作用しそうだ。

 前走(平安S)20㌔増で2着だったヴァーミリアンだが、今回は反動が怖い。5連勝中のタガノゲルニカ、5戦連続GⅠ激走(2着4回)のシーキングダイヤは、ともに疲れが心配だ。メイショウボーラーは最終追い切りで放馬し、5000㍍も走ったという。鞍上の福永ともども昨年V時の勢いが失せた感じだ。リミットレスビッドとブルーコンコルドは、戦績からマイルが長い気もするし、タイムパラドックスは逆に、距離短縮に不安を覚える。タイキエニグマは出遅れ癖が怖い。

 東京ダートのマイルは、スタート地点が芝という特殊なコースだ。先行馬有利とされるが、3~5枠だと包まれる危険もある。今回、⑥サカラート、⑦アジュディ、⑧ヴァーミリアン、⑨シーキング、⑩メイショウと前で勝負したい馬が中ほどにズラリ並んだ。③ユートピアを目指して一斉にダッシュすれば、<先行争い激化⇒ハイペース>になる。差し、追い込み向きの展開とみて、②タイキエニグマ、⑪ブルーコンコルド、⑭カネヒキリ、①リミットレスビッドを狙いたい。

 この4頭、馬名と騎手名の組み合わせに妙がある。タイキエニグマは「謎」と「勝」、ブルーコンコルドは「調和」と「幸」、カネヒキリは「雷の精」と「豊」、リミットレスビッドは「天井知らず」と「原点」……。エニグマは馬名だけでなく、鞍上の田中勝も謎に満ちている。122連敗中のGⅠなのに、なぜかチャンスを与えられている。エニグマの主戦は横山典だが、ケガで前走(根岸S)は柴田善が騎乗した。その柴田善がサンライズバッカスとコンビを組むため、旧岡部グループの流れで田中勝にお鉢が回ってきた。「謎」と「偶然」が重なれば、GⅠ連敗の「呪い」も解けるかもしれない。

 ◎②タイキエニグマ、○⑪ブルーコンコルド、▲⑭カネヒキリ、△①リミットレスビッド。単勝は②と⑪、馬連は②⑪⑭①のボックスで。3連単は<②・⑪・⑭><②・⑪・⑭・①><②・⑪・⑭・①>の18点。

 おまけに現時点(午前9時)での土曜重賞の狙い目も。京都記念は②トウショウナイト、クイーンカップは⑧ハネダテンシと、それぞれ伏兵馬を軸に馬連、3連単を買うつもり。

 最後に。GⅠだけとはいえ、ヘボ予想に付き合ってくれてありがとう。トラックバックしてくださった競馬ブロガーの皆さんに、感謝の気持ちでいっぱいです。

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北朝鮮が相続したもの~日独からの<遺産>

2006-02-16 00:32:35 | 社会、政治

 今日(16日)は金正日総書記の誕生日だ。日本のメディアは例年、空騒ぎを物笑いの種にするが、戦中世代にとって他人事ではないという。自らの体験やニュースフィルムで見たナチスの映像が、記憶の底から甦るからだ。

 <形式が内容に先行する>……。100年ほど前の表現主義者のマニフェストは、見事なまでに20世紀の行く末を示していた。換言すれば、日本の女性が信奉する<中身より見た目が大切>となる。このテーゼを最も巧妙に用いたのが、ナチスドイツの宣伝相ゲッベルスだった。

 先月、「ゲッベルスの時代」を衛星第1で見た。発見されたゲッベルスの日記を当時の映像と合わせて紹介するドキュメンタリーで、ヒトラーの素顔も暴かれていた。しばし判断停止に陥り、優柔不断さで周囲を混乱させていたという。ナチスとヒトラーは、ライブドアとホリエモンの関係に近かったのかもしれない。軍事を把握するゲーリング、ナチズムの政治宗教化に努めたゲッベルス、非ユダヤの資本家、法王庁とも繋がるアンダーグラウンドが、こぞってヒトラーを利用した側面も否定できない。

 ゲッベルスはエイゼンシュタインの「十月」を絶賛するなど、ロシアアバンギャルドに大いに触発されていた。<内容=マルクス主義>ではなく、<形式=伝達法>を我が物にして、扇動と洗脳に応用する。換骨奪胎のお手本といえるだろう。ナチスの思想は独善的、差別的、悪魔的、幼児的、排外的、攻撃的と、形容詞を幾ら連ねても足らぬほど邪悪だが、構築した様式美には瞠目するしかない。極致というべきはリーフェンシュタールの記録映画である。

 制作・脚本・演出=ゲッベルス、主演=ヒトラーのコンビで、空疎なプロパガンダを大仰な舞台装置ですり込んでいく。<内容>は封印されたが、アメリカ大統領選挙からロックコンサートまで、<形式>は世界中で生き残っている。独裁を含めて継承したのが北朝鮮だ。金総書記はヒトラーよりゲッベルスに、自らを重ねているのかもしれない。両者には映画ファンという共通点もある。不幸なのは民衆だ。縛り付けられた客席で、餓死寸前に追い込まれている。

 北朝鮮に渡ったもう一つの<遺産>は日本発である。「阿片王」(佐野眞一著)に紹介されていたが、東条英機が一貫して対中強硬論を唱えた理由は、麻薬の利権確保のためという。偽札の流通も、アジア侵略の重要な手段だった。「日本列島」(65年、熊井啓)は、偽札造りに関わった主計将校をGHQが囲い込んだ経緯を背景に描かれている。

 アメリカ政府はマカオの銀行に圧力を掛け、北朝鮮のマネーロンダリングにストップを掛けた。<正義の国アメリカ>が<犯罪国家北朝鮮>を叱るという図だが、麻薬と偽札をフル活用し、世界中で政権転覆やクーデターを企てたのが他ならぬCIAである。アメリカのアフガン侵攻は麻薬絡みという、穿った見方もあるほどだ。麻薬と偽札に関する限り、日米両国に北朝鮮を批判する資格はない。

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バレンタインにバトンを愉しむ

2006-02-14 00:31:28 | 戯れ言

 ブログやミクシィでは、バトンなるものが流行している。Q&Aを設定して自問自答し、友達の輪を広げていく試みだ。先日ミクシィで、ある女子高生が<平和バトン>の受け取り手に俺を指名していた。ちなみに彼女は<色バトン>で、俺を「透明に近い水色」とイメージしていた。実物をご存じの方は、どのように感じられるだろう。

 ネタ切れの今回、二通りのバトンを愉しむことにする。最初は指名された<平和バトン>から。

■平和バトン
<Q1=平和と聞いて思い出すイベント>
 8月上旬、広島と長崎で行われる原爆の日の集会。

<Q2=平和と聞いて思い出す本や映画>
 「戦争が始まる」(写真集=福島菊次郎)、「僕の村は戦場だった」(映画=タルコフスキー)。

<Q3=平和と聞いて思い出す曲>
 「風に吹かれて」(ボブ・ディラン)、「輝ける世代のために」(マニック・ストリート・プリーチャーズ)、「光州シティ」(白竜)。

<Q4=平和を感じる建物>
 ホームレスと鳩と野良猫が共存していた頃の哲学堂公園。

<Q5=平和を感じる時>
 眠りに落ちる時。

<Q6=あなたにとって平和とは>
 グローバルな視点で考えるべきもの。この瞬間も世界のどこかで血が流れている以上、平和に甘んじてはいけない。

<Q7=今の平和は続くのか>
 Q6で答えたように、今は平和ではない。「光州シティ」の歌詞にもあったけど、日本人は自らの手を汚さずとも、誰かの血を流しているのだから……。

<Q8=平和を脅かす要因は>
 第一に、過剰な利潤を求める欲望。第二に、不平等や不均衡を肯定する思想。第三に、排外主義と非寛容な精神。

<Q9=脅威を取り除くために何をすべき>
 本当は行動に出るべきなんだろうな……。最低限の意思表示は、Q8で記した傾向を持つ候補者(党)に投票しないことかな。

 続いて、自己完結の独りバトンに。

■独りバトン
<Q1=好きな作家10人>
 石川淳、開高健、高橋和巳、小松左京、高村薫、ウィリアム・フォークナー、バルガス・リョサ、ジョン・アーヴィング、ギュンター・グラス、ベルナール・ヴェルベール

<Q2=感銘を受けた小説10作(Q1の作家以外)>
 「心は孤独な狩人」、「ドクトル・ジバゴ」、「蜘蛛女のキス」、「悪童日記3部作」、「1984」、「悪霊」、「懲役人の告発」、「草の花」、「金閣寺」、「砂の女」

<Q3=好きな映画監督10人>
 黒澤明、大島渚、岡本喜八、是枝裕和、ビリー・ワイルダー、テオ・アンゲロブロス、アンリ・ジョルジュ・クルーゾー、フランシス・フォード・コッポラ、ペトロ・アルモドバル、スタンリー・キューブリック

<Q4=感銘を受けた映画15本(Q3の監督以外)>
 「惑星ソラリス」、「突然炎のごとく」、「灰とダイヤモンド」、「牯嶺街少年殺人事件」、「パンと植木鉢」、「道」、「死刑台のエレベーター」、「アンダーグラウンド」、「オルフェ」、「ディア・ハンター」、「切腹」、「西鶴一代女」、「人情紙風船」、「けんかえれじい」、「仁義の墓場」

<Q5=アルバムを10枚以上買ったアーティスト>
 浅井健一(ブランキー・ジェット・シティ、シャーベッツ、JUDE)、キュアー、モーツァルト、デヴィッド・ボウイ、フー、バッハ、マイルス・デイビス、ジョン・コルトレーン、モリッシー(スミスを含む)、ソニック・ユース、PANTA(頭脳警察、PANTA&HALを含む)、ルースターズ(大江と花田のソロを含む)、スージー&ザ・バンシーズ

<Q6=感動したライブ5本=年代順>
 クラッシュ(新宿厚生年金会館)、エコー&バニーメン(中野サンプラザ)、ザ・ザ(中野サンプラザ)、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン(フジロック97)、ミューズ(ゼップ東京)。次点は70年代後半のストラングラーズとエルヴィス・コステロ

<Q7=応援する(した)選手とチーム>
 アレクシス・アルゲリョ(ボクサー)、ヨハン・クライフ(サッカー)、デニス・ロッドマン(NBA)、ミック・フォーリー(WWE)、オランダ代表チーム(サッカー)、バルセロナ(スペインリーグ)、同志社ラグビー、タマモクロス(競走馬)

<Q8=欠かさず見るテレビ番組>
 「名探偵コナン」、「相棒」、「きょうの世界」、「CSI科学捜査班」、「NHK杯将棋トーナメント」、「競馬予想TV!」

<Q9=なりたかった職業>
 ヒモ

<Q10=好きな街>
 新宿、池袋、江古田、高円寺、函館

 これぐらいでやめときます。

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ハリウッドが抉ったもの~映画人の勇気と良心

2006-02-12 01:56:53 | 映画、ドラマ

 前稿では赤狩りと映画の関係について記した。1950年以前のハリウッドに、反骨精神の持ち主はいたのだろうか? そんな問いに答えてくれる映画を2本紹介したい。ともに先日、「アカデミー特集」としてWOWOWで放映された。

 まずは「スミス都へ行く」(39年)から。草創期の巨匠キャプラの作品だが、キネ旬データベースに掲載されていない。映画館で上映されなかった可能性もある。

 スミス(ジェームズ・スチュアート)はボーイスカウトの団長だが、黒幕のテイラー率いるグループの目に留まり、上院議員としてワシントンに放り込まれる。操り人形のはずが、利権屋グループに読み違えがあった。スミスはワシントンやリンカーンに心酔する理想主義者で、銃弾に斃れたジャーナリストの父の遺志を継いでいたのである。父の同志ペインは初心を捨てて上院議員になり、テイラーの意のままに動く駒になっていた。妥協を拒絶したスミスは、新聞社からゼネコンまで所有し、州を支配するテイラーにとって赤子の如き存在だった。策謀で汚名を着せられたスミスは、最後の弁明を議会で始める……。権力を正面から批判する姿勢に、映画会社は乗り気ではなかった。興行成績はいまひとつだったが、原案賞でオスカーを獲得する。

 「オール・ザ・キングスメン」(49年)を名画座で見たのは25年以上前である。「政治映画特集月間」と銘打たれ、「薔薇のスタビスキー」、「サンチャゴに雨が降る」、「Z」、「暗殺のオペラ」といった名作とともにラインアップされていた。とりわけ強烈な印象を受けたのが本作である。

 農民代表のスターク(ブロデリック・クロフォード)は、<資本家=ヤクザ=警察>が一体となった権力機構から厳しい弾圧を受けていた。スタークは他党陣営を妨害するダミーとして利用されるが、高々に謳う自由と正義の裏に、獰猛な野心を秘めていることを知る者はいなかった。知事に登り詰めるや本性を剥き出しに、薄汚れた政治屋に姿を変える。語り手である新聞記者のジャックや友人たちは、スタークの汚れた環に閉じ込められていく。スタークの大衆扇動ぶりは、ヒトラーやムソリーニと重なっていた。
 
 「オール――」は作品賞と主演男優賞でオスカーを得たが、日本では公開されなかった。<民主主義の教師>として振る舞うGHQにとって、アメリカの政治腐敗を描く本作は都合の悪かったのである。

 時に権力におもねるハリウッドだが、アメリカの暗部を照らすような作品も世に問うている。いつの時代、どこの国でも当てはまる普遍性を有しているのが特徴だ。翻って日本でも、政治映画の傑作は少なからずある。「悪い奴ほどよく眠る」(黒澤明)、「日本の夜と霧」(大島渚)、「日本列島」(熊井啓)、「日本のいちばん長い日」(岡本喜八)、「ゆきゆきて、神軍」(原一男)あたりが私的ベスト5だ。近作なら、タブーに挑戦した「東京原発」(02年、山川元)を挙げたい。

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「陽のあたる場所」~交差するアメリカの影

2006-02-10 00:23:52 | 映画、ドラマ

 この時期は「アカデミー月間」で、衛星放送やスカパーで40~50年代の傑作群が次々に放映される。新発見あり再会ありだが、今回は25年ぶりに見た「陽のあたる場所」(51年)について記したい。

 本作は「アメリカの悲劇」をベースに、田舎から出てきた青年(ジョージ)が破滅する経緯を描いている。主演のモンゴメリー・クリフトとアンジェラ役のエリザベス・テイラーの組み合わせは、ハリウッド史上NO・1の美男美女のカップリングだろうが、作品としてのインパクトに欠ける。同じく上流階級に憧れた「太陽がいっぱい」や「青春の蹉跌」の主人公と比べ、内向的なジョージは明確な意志に欠け、状況に振り回されている。寸止めという印象が記憶の底に残っていた。

 先日、WOWOWで本作を見たが、冒頭の作品紹介に驚いた。監督賞、脚色賞、編集賞を含め、6部門でオスカーを獲得したという。映画は見る者の質を測るリトマス紙である。若い頃には価値を見抜けなかったに相違ないと、腰を据えて観賞したが、感想は変わらない。となれば、発想を逆転させるしかない。高評価は上げ底ではなかろうかと……。制作当時、<赤狩り>の嵐が吹き荒れていたが、「20世紀の記録」(講談社)になるほどと思える記述を見つけた。

 ジョージの母親を演じたアン・リベアが密告され、共産主義者のレッテルを貼られるや、スティーヴンス監督は出演部分を大幅にカットする。どうやら監督賞と編集賞は色眼鏡で見る必要がありそうだ。。母親は既存の教会と一線を画する清貧な伝道者という設定だが、<非アメリカ的コミューン=マルキスト>というイメージをすり込んだとしか思えない。ジョージは状況証拠だけで死刑を宣告される。<疑わしきは罰する>という<赤狩り>の発想を是認するかのような展開だ。「陽のあたる場所」は娯楽作品を装いながら、<赤狩り>と切り離せない国策映画といえるだろう。

 撮影当時、リズは10代後半だった。瑞々しい絶世の美女とのキスシーンに窺えるのは、クリフトの憂いや逡巡だ。ゲイのクリフトにとり、リズとのラブシーンは苦痛だったようだが、本作の共演で二人は固い友情で結ばれた。その後も順風満帆のリズと好対照に、精神的に追い詰められたクリフトは薬物や酒に溺れた。巨額の契約料に背を向け芝居に出演するなど、異端児的な振る舞いはマーロン・ブランドに引き継がれる。顔に傷を負った交通事故から謎の死(自殺?)に至るまで、クリフトの後半生は悲運に彩られている。原作の悲劇性、<赤狩り>の闇、モンゴメリー・クリフトの転落と、本作は幾重もの影が交差する作品でもある。

 <赤狩り>はハリウッドに深刻な傷跡を残した。エリア・カザンは死ぬまで密告者の汚名から逃れられず、チャプリンは国外に出た。反共主義者のヒチコックは、「裏窓」や「ハリーの災難」に<赤狩り>支持を巧みに織り込んだ。250人の監督が一堂に会し、国家への忠誠を誓う集いが催される。「ハリウッド版報国会」にNOを突きつけたのが、ビリー・ワイルダーとジョン・ヒューストンだった。アメリカが<赤狩り>を克服し、民主主義の蘇生を目指した時期に公開されたのが「十二人の怒れる男」(57年)だ。社会派シドニー・ルメットの真骨頂である。

 プロパガンダで大衆を扇動したのはヒトラーやスターリンだが、ハリウッドのマイルドな洗脳にも留意すべきだ。最近ヤバイと思うのはスピルバーグだ。ユダヤ人という出自を再優先し、国策に乗っている気がしてならない。こんな風に考えるのも、俺がコンスピラシー(陰謀史観)好きだからかもしれない。
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スーパーボウルへの屈曲した道

2006-02-08 02:57:49 | スポーツ

 スティーラーズが21対10でシーホークスを破り、スーパーボウルを制覇した。26年ぶり5度目の頂点である。スティーラーズのカウアー・ヘッドコーチ(HC)は、星野仙一的表現と野村克也的頭脳を併せ持ち、コーチや選手を育てる力もある。プレーオフに入るやパスを多用して相手を撹乱するなど、策士としての側面も覗かせた。不屈の14年に素直に拍手を送りたい。

 NFLとは何かと問われたら、<知性と獣性><理論と情熱>の相反するベクトルを繋ぎ留めるゲームと答える。チーム力が拮抗した現在、運と勢いをいかに味方に付けるかが、最も重要な要素になった。スティーラーズは13週終了時(12月上旬)に7勝5敗と、プレーオフ進出さえ絶望的だった。2カ月後の栄冠など全くの「想定外」だったが、気まぐれな女神はカウアー、ベティス、ポラマルら無骨な男に微笑んだ。プレーオフに滑り込むや、レフェリーのサジ加減、相手チームの自滅やケガと、すべてがスティーラーズに幸いした。

 対照的なのがコルツだ。<QBマニング―RBジェームズ―WRハリソン>の攻撃陣はリーグ随一で、課題の守備も整備されていた。シーズン最終盤、コルツに二つの陥穽が待ち受けていた。抜きん出た実力で、14週終了時点でホームフィールド・アドバンテージを獲得する。ルーズフィットでOKという状況は、フルスロットルが前提のNFLではマイナスに左右した。軌を一にしてダンジーHCの長男が自殺し、王座が確実視されたチームに黒い影が差し始めた。

 ダンジーほど運に見放されたコーチはいない。バッカニアーズで鉄壁守備を作ったが、攻撃が保守的という理由で解雇され、コルツに移った。後釜のグルーデンも非運の男だった。レイダーズ時代、リーグ一の戦力を整えながら王座に届かず、「負け組」編入の崖っぷちに立たされていたが、就任1年目に結果を出す。グルーデンはダンジーの遺産を生かし、スーパーボウルで古巣レイダーズを下したのだ。ダンジーが切歯扼腕したことは想像に難くない。臥薪嘗胆の意気込みで臨んだ今季だが、プレーオフ初戦、戦略を変えたスティーラーズに苦汁を呑まされた。

 今季ベストゲームはNCAAチャンピオンシップ・シリーズである。NFLプレーオフの前菜のつもりで見たが、口にしたのは血の滴る分厚いステーキだった。オレンジボウルは5時間半を超える大熱戦(トリプルオーバータイム)で、ペン州立大がフロリダ州立大を下した。NO・1決定戦のローズボウルでは、18連勝中のテキサス大が34連勝中のUSCを、奇跡の大逆転で破った。「痺れた」の一語に尽きる2試合だった。テキサス大のビンス・ヤングはNFLを代表するQBになるだろう。モビリティータイプの黒人QBの問題点は、ピンチになった時の気弱さだが、ヤングは別格だ。スピードとパス能力に加え、胆力と勝負強さを備えている。

 松本直人氏はキャンパス事情を交えてボウルゲームを解説していた。フィエスタボウルを制したオハイオ州立大は、62平方㌔の広大な敷地に5万人の学生を抱える。驚くべきは年間1900億円の寄付金だ。他の大学も似たような状況だという。俺は時折、貧富の差を生む米国社会の構造を批判するが、当地の金持ちは富を還元する。ホリエモンが塀の内に落ちなかったら、教育、福祉、NGOの活動を支えただろうか。西武の堤氏同様、身銭はピタ一文使わなかっただろう。神なき土地に、慈善や浄財の意識は育たない。日本の風土でアメリカ型資本主義を接ぎ木しても無意味だと、ボウルゲームを見てつくづく感じた。

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