ネタに困るとプレイバックと銘打って回想を綴ってきた。今回は2年ぶりのシリーズ復活となる。三浦和義氏逮捕の報に、ノスタルジーが弾けた。「ロス疑惑」に振り回された1984年は、俺の人生で最も起伏に富んだ一年だった。
82年11月、オーウェルの「1984」を想起させる出来事が相次いだ。後藤田正晴氏(元警察庁長官)が官房長官、アンドロポフKGB議長がソ連共産党書記長と、<情報操作のプロ>が相次いで表舞台に登場する。苦い予感で84年の元旦を迎えたが、真に憂えるべきは自身の行く末だった。
大卒後3年、職に就かずフラフラしていた。週刊文春が「疑惑の銃弾」の連載を開始した頃、俺は蕎麦屋で求人欄を写していた。履歴書送付⇒書類選考⇒試験⇒面接とスイスイ進み、社会的不適応者がメディアの喧騒に放り込まれる。
日本版「1984」で存在感が際立っていたのが三浦氏だった。無罪にせよ有罪にせよ、21世紀の科学なら決定的証拠を提示できるはずだが、アナログ捜査が主流だった当時、三浦氏はメディアに頻繁に登場し、茶の間のにわかコロンボたちを煙に巻いていた。
あの年のオスカー争いは、三浦氏の独走だったわけではない。劇場型犯罪の走りとなった「グリコ・森永事件」が日本を震撼させ、匿名の「かいじん21面相」が警察を翻弄した。山口組VS一和会の抗争では親分衆がキャラの濃さを競い、政界の闇将軍こと田中角栄元首相は創政会立ち上げで落日を迎えた。
アフリカ全土を襲った飢饉、植村直己さん遭難、宇都宮病院事件、投資ジャーナル事件、サッチャー首相危機一髪、インディラ・ガンジー首相暗殺、世田谷通信ケーブル故障……。覚えの悪い新米にとり、大事件が途切れないハードな日々が続いた。
個人的な思い出は、池袋でのKO負けである。数日後、近くのスーパー店員に「血まみれでしたね」と声を掛けられた。文芸坐で映画を見る⇒喧嘩を売られてパンチを食う⇒満員の西武線に乗る⇒買い物をして帰宅する⇒「今日は何曜日ですか」と職場に電話する……。俺は無意識のまま、このような行動を取ったらしい。著しい記憶力低下は、あの時の後遺症なのだろう。
あれこれ書いたが、84年は俺にとってロック、とりわけUKニューウェーヴに浸った年だった。84年の極私的ベストアルバムを挙げるなら、スミス、アンド・オールソー・トゥリーズ、アイシクル・ワークスのバンド名が冠されたそれぞれの1stアルバム、「トレジャー」(コクトー・ツインズ)、「パシフィック・ストリート」、(ペイル・ファウンテンズ)、「フライド」(ジュリアン・コープ)、「φ」ルースターズあたりか。
ライブなら断然エコー&ザ・バニーメン(中野サンプラザ)だが、休みを取れずキュアーを見逃したのが痛恨で、フジロック'07まで23年待たされることになった。
三浦氏を久しぶりに見て「老けたな」と独りごちた。俺を24年ぶりに見た人も、同じ感想を漏らすに違いない。
82年11月、オーウェルの「1984」を想起させる出来事が相次いだ。後藤田正晴氏(元警察庁長官)が官房長官、アンドロポフKGB議長がソ連共産党書記長と、<情報操作のプロ>が相次いで表舞台に登場する。苦い予感で84年の元旦を迎えたが、真に憂えるべきは自身の行く末だった。
大卒後3年、職に就かずフラフラしていた。週刊文春が「疑惑の銃弾」の連載を開始した頃、俺は蕎麦屋で求人欄を写していた。履歴書送付⇒書類選考⇒試験⇒面接とスイスイ進み、社会的不適応者がメディアの喧騒に放り込まれる。
日本版「1984」で存在感が際立っていたのが三浦氏だった。無罪にせよ有罪にせよ、21世紀の科学なら決定的証拠を提示できるはずだが、アナログ捜査が主流だった当時、三浦氏はメディアに頻繁に登場し、茶の間のにわかコロンボたちを煙に巻いていた。
あの年のオスカー争いは、三浦氏の独走だったわけではない。劇場型犯罪の走りとなった「グリコ・森永事件」が日本を震撼させ、匿名の「かいじん21面相」が警察を翻弄した。山口組VS一和会の抗争では親分衆がキャラの濃さを競い、政界の闇将軍こと田中角栄元首相は創政会立ち上げで落日を迎えた。
アフリカ全土を襲った飢饉、植村直己さん遭難、宇都宮病院事件、投資ジャーナル事件、サッチャー首相危機一髪、インディラ・ガンジー首相暗殺、世田谷通信ケーブル故障……。覚えの悪い新米にとり、大事件が途切れないハードな日々が続いた。
個人的な思い出は、池袋でのKO負けである。数日後、近くのスーパー店員に「血まみれでしたね」と声を掛けられた。文芸坐で映画を見る⇒喧嘩を売られてパンチを食う⇒満員の西武線に乗る⇒買い物をして帰宅する⇒「今日は何曜日ですか」と職場に電話する……。俺は無意識のまま、このような行動を取ったらしい。著しい記憶力低下は、あの時の後遺症なのだろう。
あれこれ書いたが、84年は俺にとってロック、とりわけUKニューウェーヴに浸った年だった。84年の極私的ベストアルバムを挙げるなら、スミス、アンド・オールソー・トゥリーズ、アイシクル・ワークスのバンド名が冠されたそれぞれの1stアルバム、「トレジャー」(コクトー・ツインズ)、「パシフィック・ストリート」、(ペイル・ファウンテンズ)、「フライド」(ジュリアン・コープ)、「φ」ルースターズあたりか。
ライブなら断然エコー&ザ・バニーメン(中野サンプラザ)だが、休みを取れずキュアーを見逃したのが痛恨で、フジロック'07まで23年待たされることになった。
三浦氏を久しぶりに見て「老けたな」と独りごちた。俺を24年ぶりに見た人も、同じ感想を漏らすに違いない。