酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ミチロウ&PANTA~稀有な魂の感応に揺さぶられた夜

2017-06-28 17:15:40 | 音楽
 ゴールデンウイークに帰郷し、母の暮らすケアハウスで見たワイドショーに、兆候を感じていた。あれから1カ月半、藤井聡太狂騒曲は今や、常軌を逸した〝ファシズム〟を思わせる状況に至っている。29連勝を達成した夜、ニュース番組は軒並みトップで時間を割いた。将棋を指さない人も号外を手に歓喜し、人々が万歳する五輪さながらの地元の光景が映し出された。

 藤井の才能は〝神の子〟というしかないが、奔流に呑み込まれる国民性に危惧を抱いている。一方で、醜い顔を見過ぎたことが、今回の狂騒曲の背景にあるような気がしてきた。エゴ剥き出しの安倍首相、悪代官面の菅官房長官、怯えひきつった官僚たち、冷酷な打算が滲む小池知事……。彼らと対照的に真っすぐ純粋に生きる藤井は、日本人にとって濾紙のような存在なのだろう。

 先週末、「伝説なんてクソ喰らえっ!~遠藤ミチロウ×PANTA 2マンライブ~」(APIA40)に足を運んだ。本格的に活動を始めたのはPANTAが20歳(頭脳警察)、ミチロウが30歳(スターリン)とタイムラグはあるが、ともに1950年生まれの寅年だ。ミチロウが中心になって山形大学園祭に頭脳警察を呼んだことが出会いのきっかけだった。両者の共演に接するのは2回目で、MCに強い絆と互いへの経緯が窺える。

 ミチロウはドアーズの「ジ・エンド」をバックにステージに現れた。実は俺の中で、PANTAとは決定的な情報格差がある。ミチロウは今回を含めてライブは2本、映画「お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました」は観賞したが、アルバムは「FUKUSHIMA」を聴いただけ。スターリン時代は映像でしか知らない。

 それでもミチロウに限りないシンパシーを抱いている。学生時代にお世話になった先輩と同窓(福島高)であり、妹の命を奪った膠原病と闘っているからだ。同夜のステージを一言で表現すれば<情念>だった。ナイーブ、猥雑、アナーキー、自虐、叙情が坩堝で煮え、叫びで昇華する。「FUKUSHIMA」からも「NAMIE(浪江)」など3曲(多分)が歌われた。「PANTAさんに敬意を表して」と前置きし、「世界革命戦争宣言」(発禁になった「頭脳警察Ⅰ」収録)のアジテーションで締め括る。

 PANTAのステージを端的に表せば<世界観>だ。ワンマンライブ「悪たれ小僧」(昨年10月、新宿MARZ)は3部構成だったが、インターバルの長さに体調が心配になった。今回はアコギ一本で、喉を潤しながら絶妙のMCを挟み、柔らかに時は流れる。曲の数々は世界と対峙するロッカーの知性に裏打ちされていた。

 「R☆E☆D~闇からのプロパガンダ」から、「クリスタルナハト」への序章になった「Again&Again」、そしてテーマをジェノサイドに定めた「クリスタルナハト」から「ナハトムジーク」、「プラハからの手紙」、「夜と霧の中で」と進行し、「イスラエルを擁護するつもりはない。今や殺戮マシーンだから」のMCを挟んで「七月のムスターファ」(重信房子と共作した「オリーブの樹の下」収録)を歌う。アメリカのイラク侵攻直前、PANTAはバグダッドにいたという。

 俺の中のツインピークス、「マラッカ」と「1980X」の曲はセットリストになかったが、「万物流転」、寺山修司の詩に曲をつけた「時代のサーカスの象にのって」が演奏される。名曲を半世紀近く発表しているPANTAの才能に改めて感銘を覚えた。  

 最後はミチロウとの共演で、「さようなら世界夫人よ」(「頭脳警察Ⅰ」収録)を歌う。本屋で偶然、ヘルマン・ヘッセの詩集を手に取ったというが、俺は信じていない。ヘッセはアメリカのボヘミアン、ヒッピー、ニューヨークに集うアーティストたちに絶大な支持を得ていた。それを承知した上で詩に曲をつけたというのが俺の想像である。

 ラストはスターリンがパンク風にアレンジした「仰げば尊し」だ。この二人が歌うと微妙なダブルミーニングになって楽しめる。俺は時折、自分の老いを嘆いているが、6歳上のPANTAとミチロウは現在も自身の世界を広げている。稀有な魂の感応に揺さぶられた夜だった。
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自由の気風醸成へ、小金井選挙区を蟻の一穴に

2017-06-25 12:21:15 | 社会、政治
 レディオヘッドのイスラエル公演を巡って論争が拡大した。この件に重なるのが09年、イスラエル賞授賞式における村上春樹のスピーチだ。制止を振り切って現地に赴いた村上は、パレスチナに対する暴力に抗議した。象徴的な言葉は<高くて固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるなら、私は卵の側に立つ>である。

 レディオヘッドが支持するアムネスティは、イスラエルを告発してきた。この経緯を踏まえ、「アーティスト・フォー・パレスチナ UK」の要請を受け入れ公演キャンセル、あるいは村上に倣ってイスラエル糾弾……。いずれかを選択すると確信していたが、トム・ヨークは反論し、〝魂の映像作家〟ケン・ローチ監督に厳しい言葉を浴びせられた。

 「アーティスト――」賛同者に<現在のイスラエルは南アフリカのアパルトヘイトと何も変わらない>と公言するツツ大司教(ノーベル平和賞受賞者)の名もある。ミュージシャン間の意見の相違で済まない事態に至ったが、<政治とロック>の距離を考える上で格好のテキストになった。

 この国の政治の劣化に愕然とするしかない。豊田真由子議員が階段を上りながら人格を歪めてきたことは明白だが、安倍首相の国家私物化に手を貸す官僚たちにも彼女同様、腐臭を漂う。前稿のキーワード<信念と勇気>を持たない者にとって、学歴や経歴も虚飾の衣だ。

 都知事選が告示された。別稿(6月6日)に記した通り、俺は小金井選挙区から立候補した漢人明子さんを応援している。漢人さん以外にも自民党、都民ファースト、共産党が候補を立てており、4人で1議席を争う構図だ。第一声には宇都宮健児氏、昨日には菅直人氏が応援に立つなど盛り上がりを見せている。

 <永田町の地図>で物事を測るメディアの予測は<自民と都ファの一騎打ち>だが、この間の票の出方を分析すれば、漢人さん当選の可能性もある。市民運動が定着している同市で市議を4期務めた漢人さんは、介護、福祉、保育、環境保護、護憲、反原発など様々な課題でネットワークを築いてきた。支持を表明した市議の数では他陣営を上回っている。

 先日、漢人事務所で行われた「第6回都政カフェ」に参加した。ゲストの宇都宮氏は詳細なデータを基に、豊洲移転と小池都政にメスを入れていた。同氏の言葉をベースに、自分の考えを併せて記したい。

 そもそも都民ファーストとは何か。重なる点が多いのが維新である。発足当時は橋下徹氏の専制で、現在は自公政権を脇から支えている。都ファも小池絶対主義で、都議選候補には独自インタビューを禁止しているという。宇都宮氏は共産党を念頭に<自由のない組織に民主主義を語る資格はない>と語っていたが、都ファなど独裁の最たる例だろう。

 小池都政を監視する宇都宮氏は弱者への厳しさを批判している。格差と貧困は東京でも拡大し、非正規労働者が増加している。原発事故による避難者の住宅支援を打ち切り、嘆願を拒み定時制高校を廃止した。ヘイトスピーチ規制にも動かない。漢人さんが掲げる「はけ」保護にも消極的で、宇都宮氏は小金井の文化的自然遺産を守るためにも漢人さんが必要と強調していた。

 小池知事が表明した<豊洲・築地併用案>に、市場の多数を占める移転慎重派(7割以上)、トップを占める推進派はともに疑義を抱いている。自民党と利権を牛耳る公明党の圧力を受け入れた〝選挙前の折衷案〟で、都議選後、知事は「安全宣言」を出して移転に邁進すると一部メディアは伝えている。<食の安全>に知事が拘泥していないのは明らかだ。ちなみに3・11後、〝体内被曝は心配ない〟と喧伝した御用学者の人脈がそのままシフトし、〝豊洲の汚染は気にしなくていい〟と移転を後押ししている。

 「宇都宮健児&中澤誠フリートーク」(5月6日、高円寺グレイン)で、参加者から目からウロコの指摘があった。<資本主義の良質な部分を体現する卸売市場を敵視する大資本の意向を受け、政府は卸売市場法廃止を画策している。前触れになったのが国会を通過した主要農作物種子法廃止>(趣旨)という内容だ。

 先日の「報道ステーション」で豊洲・築地併用の未来図を示していた。豊洲は大資本が主導する流通方式を導入し、築地は仲卸を残して食文化の伝統を守るという内容だったが、築地を仲卸業者ともども葬るというのが小池知事、いや政府の長期的な方針なのだろう。遺伝子組み換え解禁、TPP、グローバル経済の流れは市場問題とリンクしている。

 タイムアップ寸前、参加者が質問した供託金問題に、宇都宮氏が止まらなくなった。原告団代表を務める宇都宮氏は裁判の現状、世界の実情を延々と語り始めた。OECD加盟35カ国中、22カ国は供託金ゼロで、残る12カ国も韓国を除き常識の範囲内だ。日本の供託金(選挙区300万円、比例区600万円)は「貧困層は議員になるな」と同義で憲法の精神に反している。「供託金を廃止したら有象無象が立候補して収拾がつかなくなる」と主張する保守派にとって、自由は蔓延させてはならない毒素なのだ。

 3・11を教訓に文韓国大統領は脱原発を表明した。彼を支える20代の投票率はこの間、13%もアップしたという。漢人陣営も若年層への浸透に腐心している。小金井選挙区が自由の気風醸成に向けた蟻の一穴なることを願っている。
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「ローマ法王になる日まで」が問い掛ける信念と勇気の価値

2017-06-21 21:08:14 | 映画、ドラマ
 王将戦予選で藤井聡大四段が澤田真吾六段を破り、タイ記録となる28連勝を達成した。澤田は王位挑戦にあと一歩まで迫った若手実力者で、中盤の入り口まで攻勢に立っていた。藤井は羽生善治3冠並みの妖しい手を繰り出し、次第に優位を築く。次局(26日)は竜王戦決勝トーナメント1回戦で、相手は19歳の精鋭、増田康宏五段である。

 藤井によって将棋に耳目が集まり、本局もBSスカパー!で生中継された。俺が長年、将棋ファンを続けているのは、昨日引退した加藤一二三九段、騒動の渦中にあった三浦弘行九段を筆頭に、一般社会では〝空気を読めない〟と疎んじられそうな濃いキャラがひしめいているからだ。本局の解説に加わった喜寿の加藤は、コーラのペットボトルで喉を潤していた。

 還暦を過ぎて、老いをひしひしと感じている。前稿で記した通り、「ブリューゲル展」鑑賞後、「暗い絵」(野間宏著、新潮文庫)を30年ぶりに再読する。進行した老眼で読むのに難儀し、今は虫眼鏡を手に収録作と格闘している。読書が苦行になる前に眼鏡を購入しようと考えている。

 数年前に膝が悲鳴を上げてから、乗車する際、空席に目が行くようになったが、子供や若者の瞬発力には敵わない。彼らが高齢者に席を譲ることは希である。別稿(6月6日)に紹介した清水徹慶大名誉教授は、「拳を振り上げるより、近くで転んだお婆さんに手を差し伸べることの方が大事」とトークを結ばれた。社会を変えるための第一歩は、ささやかな思いやりと優しさである。

 ようやく本題……。シネマカリテ(新宿)で先週末、イタリア映画「ローマ法王になる日まで」(15年、ダニエル・ルケッティ監督)を見た。タイトルが誤解されたのか、入りは5割弱だった。アルゼンチン出身の現法王フランシスコ(ベルゴリオ枢機卿)の半生を描いた作品である。

 〝伏魔殿〟法王庁で、下馬評を覆し頂点に上り詰めるには手練手管が必要……なんて、<永田町の論理>に縛られた愚かな発想なのだろう。世界は今、活性化している。〝ロックスター法王〟と称されるフランシスコはバーニー・サンダース、コービン英労働党党首、朴元淳ソウル市長と立ち位置は変わらない。信念を貫いて影響力を拡大した。

 若き日のベルゴリオをロドリゴ・デ・ラ・セルナ、コンクラーベ直前のベルゴリオをセルヒオ・エルナンデスが演じている。キュートな女性の求愛を振り切ってイエズス会に入会したベルゴリオは当初、日本に赴くはずだったが、国内情勢によって方針は変更される。

 日本とイエズス会といえば、遠藤周作の「沈黙」と映画化2作品(篠田正浩、マーチン・スコセッシ監督)を思い浮かべる方も多いだろう。ロドリゴ、ガルベの両神父は筆舌を尽くし難い苦難に直面したが、軍事独裁政権下のアルゼンチンで弾圧は教会にも及んだ。銃殺された神父もいる。

 本作を見る限り、ベルゴリオは活動家を国外に逃し、良心的な判事を匿うなど反体制派を援助したが、批判の声もある。教会が軍事政権に与している以上、管区長だったベルゴリオも責任を免れないという指摘だ。<汚い戦争=軍事政権の弾圧>時代の秘密文書の公開を、フランシスコ法王は約束している。

 独裁政権は終焉したが、無力感と贖罪の意識に苛まれたベルゴリオは、留学先のドイツで聖画「結び目を解くマリア」と出合う。社会の軋轢を緩和するための啓示と直感したベルゴリオは、アルゼンチンの山村で布教に取り組んだ後、ブエノスアイレスに呼び戻された。そこで転機が訪れる。

 ベルゴリオはスラム住民の側に立ち、開発優先の行政と企業に立ち向かう。「マラス」を紹介した稿(6月9日)で記したが、中南米ではキリスト教が社会に浸透している。ポーランドや韓国でも、<解放の神学>が社会改革の結節点になっているのだ。本作のハイライトはスラム前で催されたミサのシーンで、対峙する活動家や警官も強い敬意を示した。

 上記した加藤九段は敬虔なカトリック教徒で、フランシスコの言葉にインスパイアされ、扇子に<勇気>と揮毫している。翻って日本では勇気や信念が死語になり、<弱者の側に立つこと>が嘲りの対象になっている。あまりに悲しい現実だ。
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「ブリュ-ゲル展」に触発され、「暗い絵」を再読する

2017-06-17 10:09:39 | カルチャー
 共謀罪法案が成立した。通信傍受法(1999年公布)、秘密保護法(2013年)の流れに沿った必然の帰結ともみえるが、安倍首相が6月15日にこだわった理由を邪推している。57年前のこの日、安保批准阻止を訴えて30万人以上が国会を包囲し、全学連ら7000人が突入する中、樺美智子さんが亡くなった。「おじいちゃん、僕もやったよ」と、首相は岸信介の遺影に得意げに報告したのではないか。

 野際陽子さんが亡くなった。享年81である。彼女との出会いは小学生の頃。「キイハンター」津川女史はセクシーで頼りがいのあるお姉さんだった。その後も「トリック」など数々のドラマで、バイプレーヤーとして存在感を見せる。知性、ユーモア、包容力に溢れ、齢を重ねるごとに輝きを増した希有な女優の死を心から悼みたい。

 「ブリューゲル~『バベルの塔』展」(東京都美術館)を訪れた。<16世紀ネーデルランドの至宝~ボスを超えて>の副題にあるように、ブリューゲルはボスに学び、人間の欲望、煩悩、狂気をキャンバスに込めた。ちなみに公認されているボスの真作は極めて少なく、信奉者、模倣者を含めた〝ボスグループ〟が形成されていたという。

 ボイマンス美術館(オランダ)が所蔵する約90点が展示され、内訳はブリューゲルの「バベルの塔」と版画、ボスグループの版画と油彩画、他の芸術家の彫刻といったところだ。旧約聖書をモチーフに人間の驕りに警鐘を鳴らした「バベルの塔」は、想像に反して60㌢×75㌢の大きさだが、そこに1400人以上が描き込まれている。無限のスケールを誇る細密画で、ブラックホールのようなパワーを放射していた。

 作品について論じるのはここまで……。美術展に足を運ぶのは年に多くて5回ほどで、審美眼と無縁な俺の評など的外れに決まっている。細部までしっかりチェックし、蘊蓄を傾け合っている他の鑑賞者との落差は否めず、疎外感を覚えて会場を後にする。帰宅するや本棚から、「暗い絵」(野間宏、1946年発表)を取り出した。同作はブリューゲルの「反逆天使の墜落」をモチーフにしている。

 〝平成の治安維持法〟共謀罪が成立した2017年、俺が「暗い絵」を読んだ1970年代後半。そして「暗い絵」の舞台設定である治安維持法下の1930年代後半……。40年×2のタイムスリップを体感しながらページを繰った。主人公の深見進介は野間の分身で、ブリューゲルの画集を灰にした大阪空襲を目の当たりに、学生時代を回想する。

 深見は左翼運動の拠点だった京大で、永杉をリーダーとする急進的派に属しており、小泉を中心とする穏健派(共済会委員たち)と対立していた。<一点突破全面展開>対<組織温存>は政治の世界(ヤクザの抗争でも)で頻繁に現れる構図で、前者は破滅、後者は腐敗という道筋を辿る。上記の60年安保に当てはめれば、ブント全学連は美しく散り、共産党は前衛の誇りをかなぐり捨てて生き残った。

 野間を戦後文学の旗手に押し上げた「暗い絵」だが、俺が大学に入った頃、若者に読まれなくなっていた。本作に描かれた〝青春の光景〟がそぐわなくなっていたからだが、最下限世代の俺は、読み返してノスタルジックな気分に浸った。先輩の部屋に三々五々集まり、政治や社会、文学、映画、音楽、そしてオブラートに包みつつ恋愛について夜通し語り合った思い出が甦ってくる。

 分野は何であれ、アートは接する時の精神状態で印象が大きく異なる。失恋直後に「惑星ソラリス」を見たら自殺したくなるが、順風満帆の日々なら眠くなるだろう。ブリューゲルは巨大な蜃気楼で、画集の中には豊饒な生命力とユーモアを感じる作品も多い。だが、深見らを惹きつけたのは「反逆天使の墜落」だった。圧制下の日本と当時のネーデルランドを重ね、〝出口のない暗さ〟に共感したのだ。

 多くの野間作品では欲望=悪で、葛藤の根源になっている。深見も過激な思想だけでなく、自身の欲望が恋人に疎まれたと苦悩していた。純粋な愛と欲望との乖離はある時期まで、日本文学の主要なテーマでもあった。奔放な性をユーモアにくるんだ描いたブリューゲルの作品に深見は感応せず、絶望的状況に追い詰められた自分を、「反逆天使の墜落」に投影したのだろう。

 別稿「共謀罪に至る道程~歳月をかけて蝕まれてきた自由」(5月19日)で、<共謀罪は1980年半ば、既に実質的に機能していた>と記した。明文化されたことにより、「暗い絵」に描かれたような弾圧が繰り返されるのだろうか。深見の同志、永杉、羽山、木山が獄死するなど、当時は身を賭して闘う者が少なからずいた。〝権力に阿る〟が主音になった現在の日本だが、権力の質を変えることは十分可能なのだ。
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英国総選挙、民主主義、将棋、そして鎌倉&「海街diary」~梅雨時の雑感あれこれ

2017-06-13 20:26:21 | 独り言
 英国の総選挙は解散時の予測と異なり、保守党が過半数を割った。一方で、左派色を打ち出すコービン党首に率いられた労働党は議席数、得票率とも保守党に迫る。「わたしは、ダニエル・ブレイク」に描かれたように、格差と貧困の拡大が健闘の理由だと考える。国民的歌手、いや〝世界の歌姫〟アデルの支持も大きかったはずだ。

 国連特別報告者のジョセフ・カナタッチ氏、パレルモ条約の立法ガイドを書いたニコス・バッサス教授だけでなく、欧米メディアも共謀罪に疑義を唱えている。山城博治氏(沖縄平和運動議長)の長期勾留には、アムネスティーが調査に乗り出していた。メディアの自由度ランキングで、日本は72位まで低下した。

 民主主義の<グローバルスタンダート>から逸脱しつつある日本だが、最大の課題は、供託金と死刑ではないか。治安維持法とセットで成立した普通選挙法の目的は無産政党の排除だったが、その精神は現在にも引き継がれ、先進国ではあり得ない制限選挙が繰り返されている。自由の気風が育まれない最大の理由は、選挙制度にある。死刑についても繰り返し記してきたが、<死刑廃止がEU加入の条件>という事実が、日本とヨーロッパの乖離を物語っている。

 旧聞に属するが、電王戦でPONANZAに連敗した佐藤天彦名人が4勝2敗で稲葉陽八段を下し、防衛に成功した。21年ぶりの20代対決も、藤井聡大四段の連勝記録に霞んだ感はするが、将棋界には薫風が吹き荒んでいる。棋聖戦では24歳の斎藤慎太郎七段が挑戦中で、王位戦挑戦者決定戦では菅井竜也七段が澤田真吾六段との25歳対決を制した。ともに羽生善治3冠という強固な壁に挑むが、タイトル獲得となれば世代交代が一気に進むだろう。

 先週末は鎌倉に、上京後40年にして初めて足を運んだ。今更ながら驚いたことが二つある。それは近さと賑わいだ。湘南新宿ラインで新宿から1時間の鎌倉は、観光客で溢れていた。歴史と伝統がウリだから中高年層が多いのではと想像していたが、手を繋ぐ若いカップルが目立っていた。土曜日の午後1時前に鎌倉駅に着いたが、ガイドブック等で紹介されているのか、人気店のランチに長蛇の列が出来ていた。

 江ノ電鎌倉駅で「長谷寺は2時間待ち」とのアナウンスを聞き、予定を変更して江の島に向かう。大変な混雑で、展望台への道中は清水寺界隈を彷彿させる。ジャージー姿の高校生も「きついな」とこぼすほどのアップダウンだから、俺が息を切らすのも当然だ。膝をいたわりつつ休憩を挟んで、景観を楽しんだ。数匹の猫と出会ったが、物怖じせず、観光客に触れられても寝息を立てている。江の島は猫の天国なのだろう。

 翌朝は9時前に長谷寺に着いたが、紫陽花路に入るまで1時間弱と、凄い人気だ。いざ列に加わると、周囲はスマホによる撮影に余念がなく、あまり前に進まない。何か本筋と離れていると感じる俺は、極めつきのアナログ派なのだろう。長谷寺の次はセットというべき大仏を鑑賞したが、想像より小さかった。

 旅行の予習ではないが、録画しておいた「海街diary」(15年)を見た。数々の栄誉に浴した作品で、綾瀬はるか、長澤まさみ、夏帆、広瀬すずの四姉妹は煌めいていた。ちなみに生活目線で鎌倉が描かれていたから、桜のトンネル以外、観光ガイドの要素は小さかった。江の島で見た「しらすトースト」のメニューは、本作の影響かもしれない。

 是枝裕和監督は空気を読むのが上手なのか、ファンの期待通りの作品に仕上げている。原作は漫画(吉田明生)で制作にフジテレビが絡んでいるとなれば、〝逸脱〟を期待するのは無理があるが、それでも俺は、〝猫をかぶっている〟と勘繰ってしまう。そもそも是枝は硬派のドキュメンタリー作家としてキャリアをスタートさせたし、「幻の光」、「DISTANCE」、「誰も知らない」には、社会の影と歪みが背景に描かれていた。

 次作は9月公開の「三度目の殺人」で福山雅治、役所広司、広瀬すずといったキャスティングから大ヒットするだろう。でも、次の次、さらにその次でいいから、骨太の是枝ワールドを期待する。憲法、戦争、差別、官僚機構についての是枝の発言に共感を覚えた俺の、ささやかな願いである。
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「マラス」~凄惨な暴力の彼方に差す光

2017-06-09 11:55:32 | 読書
 ヤクザといえば、眉を顰める人は多いだろう。首領の意向は忖度され、強制力を伴って下々に行き渡る。従わなければ命の保証もない。ここ数年、暴対法によって、ヤクザ社会の景色は変わった。〝暴力装置〟を引き継いだ安倍政権だが、森友と加計の異様な経緯、シンパ記者のレイプもみ消しが明らかになった今、メディアの協力をもってしても、国民の反発を抑えられなくなってきた。

 俺はヤクザ映画の大ファンだ。かなりの本数を見た結論は<良質な作品は暴力団を否定している>。利益第一で企業化する組織に、義理と人情に縛られた個が盾突く。鶴田浩二、高倉健、菅原文太はスクリーンで鮮やかに散ってみせた。傍流というべきは、しがらみなんて糞食らえと、狂犬の如き個が登場する作品だ。松方弘樹や千葉真一は抑制不能の突破力で組織を混乱に陥れる。

 俺は前者の〝破滅の美学〟が好みだが、地球規模で俯瞰すると、〝暴力の形〟は後者の方が一般的だ。典型というべきはブラジル映画「シティ・オブ・ゴッド」(2002年)か。開高健ノンフィクション賞受賞作「マラス 暴力に支配される少年たち」(工藤律子著、集英社)にも剥き出しの暴力が描かれている。

 「ストリートチルドレンを考える会」代表で、メキシコの貧困救済に取り組んできた工藤が、ホンジュラスの絶望的な状況をリポートしたのが「マラス」である。愕然とさせられるのは当地での命の値段の安さで、街に屍の山が築かれる。「マラス」とは抗争中の二つのギャング団、<MS>と<18>(ともに略称)の総称で、子供たちは自然に組織に組み込まれ、見張り役→恐喝→強盗→麻薬や銃の密売→殺人と行為をエスカレートさせ、正式なメンバーと認められる。

 トランプ大統領はメキシコとの国境に壁を設置すると公約したが、移民流入の原因を招いたのはアメリカ自身だ。メキシコで格差と貧困が急激に拡大したきっかけは、アメリカ、カナダと締結した北米自由貿易協定締結(NAFTA、1992年)だった。メキシコの地場産業は壊滅し、失業者は夢と富を求めてアメリカを目指す。グローバル企業の簒奪はホンジュラスでも変わらない。日本からは<メキシコ→アメリカ>のベクトルしか見えてこないが、ホンジュラスなど中米諸国で、メキシコはアメリカへ渡るための中継点と見做されていることを本作で知った。

 ギャングの構成員に「どうして入ったのか」と問うと、答えは古今東西、さほど違わない。即ち、「他の選択がなかった」……。ホンジュラスにおいても、貧しさゆえ暴力がはびこる家庭に見捨てられた子供が我が身を守るためには、ギャングに入るしかない。だが、メンバーになれば〝死の掟〟に縛られ、脱退は許されない。組織と警察の暴力から逃れるためにようやく辿り着いたアメリカでも、マラスのネットワークは張り巡らされている。

 工藤は世界中の若者が<偽りのアイデンティティーで自分をごまかし、生き延びようともがいている>と記している。<偽りのアイデンティティー>とはタトゥーであったり、マッチョイズムだったりする。格差と貧困が拡大する中、日本の若者も、表現は草食系だが、〝沈黙の掟〟に従いつつ、<偽りのアイデンティティー>に籠もりつつあるのではないか。

 出口のない世界を描きつつ、本作には彼方の光が用意されている。10代前半で頭角を現し、幹部まで上り詰めたアンジェロは、複数の体験から啓示を受け、今では地域で牧師として活動している。アンジェロに限らず、更正して神に仕える者は多いが、組織は縄張りを侵す神には寛容だ。刑務所でも頻繁に牧師や神父の法話の会が開かれ、現役ギャングが耳を傾ける。

 冷酷な掟に生きる者たちも、<真実のアイデンティティー>を求めているのだろう。工藤も記していたが、海外で「あなたは何を信じていますか」と問われ、戸惑う日本人は多いという。俺の答えは「仏教です」と決まっている。内実は今、構築中だ。
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「マヤ―天の心、地の心―」~スピリチュアルと反グローバリズムの融合

2017-06-06 21:06:08 | 映画、ドラマ
 4月以降、「日本近現代史入門」(広瀬隆著)と「オペレーション・ノア」(野坂昭如著)を読んだ。共通した読後感は<日本は何も変わっちゃいない>で、<もう変わらないのでは>との思いに沈んだ。1カ月後に迫った都議選も、語られる言葉は風船より軽い。

 俺は中野区民だが、小金井選挙区(定員1)で漢人明子さんを応援する。市議を4期16年務めた漢人さんは、反原発、女性問題、介護、教育など様々な課題でネットワークをつくってきた。緑の党グリーンズジャパンの東京共同代表でもある。事務所開きは大盛況で、100人前後が詰めかけた。

 同選挙区では自民党、都民ファースト、共産党に加え、ホリエモン新党からの立候補も囁かれている。<永田町の地図>で測れば厳しそうだが、漢人さん当選の可能性は十分だ。小金井は市民運動が強い土地柄で、漢人さんはその代表とみなされている。応援団には宇都宮健児、秋葉忠利、保坂展人の各氏に加え、ミュージシャンや映像作家も名を連ねている。都議選唯一の市民派候補は、アート色の強い選挙戦も耳目を集めるだろう。

 週末は第18回ソシアルシネマすぎなみ上映会(高円寺グレイン)に足を運び、「マヤ―天の心、地の心―」(2011年、独)を観賞した。フランケ・ザンディッヒとエリック・ブラックの共同監督によるドキュメンタリーである。

 マヤ暦終焉(12年末)直前に制作されたこともあり、中盤まではスピリュアルなムードが漂っていた。西欧の世界観と対照的なマヤ人の生き方が描かれ、近代文明そのものに警鐘を鳴らす。マヤ人とは特定の民族を指すわけではなく、メキシコ、グアテマラ、エルサルバドル、ホンジュラスら中米諸国にまたがる、言語と文化を共有するコミュニティーに暮らす900万の人たちだ。

 スペイン人によってキリスト教に改宗させられたマヤ人だが、信仰と儀式、価値観は語り継がれている。弾圧と差別の歴史に沖縄が重なった。自然を加工、破壊し、生活者のプライドを抹殺する日米政府、豊かな生態系を守ろうとする沖縄の人たち……。この対立の構図は、中米国家とマヤ人に置き換えられる。本作ではマヤの神秘的な自然が織り込まれ、心象風景が繰り返し挿入されるウミガメに託されていた。

 中盤以降、作品は政治性を帯びていく。グローバル企業による金鉱開発で、マヤ人居住区にシアン化合物が垂れ流される。トウモロコシはマヤ人にとって神性を帯びた食べ物だが、モンサントによる遺伝子組み換えトウモロコシに席巻され、マヤ人の多くは土地を手放さざるを得なくなる。

 マヤの伝統を守ろうと奮闘する若者の面影はザック(レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン)に似ていた。ザックはサパティスタの活動家でもあるが、本作の後半でマヤ人とサパティスタによる連帯が描かれていた。スピリチュアルと反グローバリズムの融合は当然の帰結なのだろう。

 上映後、中南米に造詣が深い清水透さん(慶応大名誉教授、ラテンアメリカ史)と工藤律子さん(ジャーナリスト)によるトークイベントが開催された。清水さんは東外大教授時代、工藤さんの入試時の監督官だったという。〝師弟〟トークは興味深い内容だったが、工藤さんの開高健ノンフィクション賞受賞作「マラス」については次稿で記すので、今稿では清水さんが提示された点を紹介したい。

 清水さんは本作の舞台を熟知するマヤ研究の第一人者だ。カトリックが力を持っていたマヤ人居住区だが、CIAの意を受けた右派プロテスタントが勢いを増し、複数のグループが入り込ませることでマヤ人の分断を図っている。ちなみに本作で紹介されていた牧師は、神の名の下の正当な抗議を呼び掛けていた。学者たちのフィールドワークの成果も諜報機関に利用されていることに、清水さんは忸怩たる思いを抱いている。

 飄々とした清水さんは〝人生の達人〟に相違ない。反原発にともに携わる友人が広告代理店時代、原発推進の旗振り役だったことを紹介し、「人間は幾つになっても変われる」と話されていた。「腕を振り上げるより、近くで転んだお婆さんに手を差し伸べることの方が大事」という言葉に説得力を覚える。ポジティブな気分に浸れた映画&トークだった。
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「貧困の発明」~メルヘンへと飛翔する経済、いや恋愛小説

2017-06-02 12:12:50 | 読書
 NHK杯将棋トーナメントで〝異能派〟宮田敦史六段が、〝捌きのアーティスト〟久保利明王将に完勝する。俺が好む棋士のタイプは〝集団からはみ出しそうな個性派〟で、宮田はその典型だ。1年3カ月の休養を挟むなど、病弱のためクラスは上がらないが、ファンは〝巧まざるユーモア〟を愛している。

 乾貴士(エイベル)に焦点を定めたノンフィクション(WOWOW)を見た。2005年度、高校日本一に輝いた野洲イレブンのひとりという。同校の監督はバルセロナへの憧れをチームつくりに反映させた。今季最終戦でバルセロナから2ゴールを奪った乾は、大きな達成感を覚えたはずだ。メンディリバル監督の「日本人の欠点は決め事に従順過ぎること。(乾は)もっと自由に動いてもいい」という発言は、この国の病巣を抉っている。

 日本の集団化が夥しい。身近の理不尽や不条理を看過する姿勢、即ち<集団化=忖度=空気を読む>が安倍政権を下支えしているのだ。森友、加計に続き、親政権のジャーナリストによる強姦事件が<官邸=司法>の共謀によって免罪されていたことが、被害者の告発で明らかになった。安倍政権の下で進行する対米隷属や右傾化を憂える人は、自身が寄る大樹伐採から始めてほしい。

 アメリカ東海岸を舞台にした「貧困の発明~経済学者の哀れな生活」(タンクレード・ヴォワチュリエ著、早川書房)を読了した。著者はフランス人の経済学者で、帯の<トマ・ピケティ絶賛。「これまでに読んだいちばん可笑しな小説」>につられて買った。

 主人公は近所で暮らすことになった二人の男だ。一人目はサブタイトル通り、〝哀れな経済学者〟ことロドニーだ。年収は俺の200倍前後か。世銀やIMFでキャリアを積み、複数の金満財団と契約している。現在はコロンビア大で教壇に立ちながら、ドン・リー国連事務総長の特別顧問として「貧困撲滅プロジェクト」を主導している。ロドニーは〝エリートとしての作法〟を保ち、右顧左眄して階段を上ってきた。

 自称〝社会民主主義者〟で公正に価値を置く。ノーベル賞とは無縁のテーマというべき貧困を研究の軸に据えるロドニーだが、貧困撲滅に全く寄与していないことに読者は気付かされる。別稿(1月25日)で紹介した映画「ポバティー・インク」(14年、マイケル・マシスン・ミラー監督)は、国連、国際金融機関、グローバル企業、NGO、善意の著名人が<貧困産業>を形成し、結果として<貧困のスパイラル>が起こる経緯を描いている。まさにロドニーこそ、その構図のキーパーソンなのだ。

 ロドニーはデータをフル活用して<貧困を発明>するが、実態は知らない。世界の貧困地区を訪れても、宿泊するのは高級ホテルだ。人も羨む〝虚名〟で着飾ったロドニーが、ご褒美を手にする。ベトナムで見つけた美少女ヴィッキーの後見人になり、アメリカの大学に入学させる。結婚は必然のゴールだったが、野生児である新妻は薬物にも抵抗がない。しかも、ロドニーは性的能力にコンプレックスを抱いている。

 ロドニーが〝哀れ〟である最大の理由は、〝寸止め〟という行動パターンに起因している。貧困にも、妻にも、そして自らを神の如く崇めている弟ゲイリーに対しても距離を置いて接している。はみ出さないことを課し、自制的に生きているのだ。もう一人の主人公ジェイソンは、ロドニーと対照的だ。海洋生物学者として名を世界に轟かせているジェイソンは、衝動的な言動で頻繁に道を踏み外すが、〝フルコンタクト〟の生き方で人生を謳歌し、他者との絆を深めている。

 ルックス、知性、感性に恵まれ、奔放に生きるジェイソンとロドニーの決定的な差はフェロモンだ。本作は、ジェイソンの勃起したペニス画像がキャンパスに貼り出されるシーンで始まる。恋人のみに送信したつもりが、ボタンを押し間違え、アドレス帳に掲載された全員の目に晒されることになる。

 「格差と貧困を是正するために何が必要か」と問われれば、俺のレベルでも<反グローバリズム>、<地場産業育成>、<分散型資本(社会)主義>、<セーフティーネットの充実>を挙げる。ところが、仕組みを変えるという発想と無縁のロドニーは、解決を自己責任に見いだす。国際会議でロドニーがプランを提示した際、<二人のフランス人が失笑していた>というくだりがあった。二人とは著者のヴォワチュリエ、そしてピケティかもしれない。

 若い世代の無秩序ぶりの描き方も興味深く、フランス人らしいユーモアと風刺も効いていた。タイトルから連想する堅苦しい経済小説ではない。他者、あるいは環境や自然との接し方に根差した恋愛小説は、ラストでメルヘンへと飛翔する。俺が本作から得た教訓は。<寸止めで生きていては何も得られない>……。映画化を期待している。
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