<自公が絶対安定多数(261議席)を確保する。立憲民主が伸び悩む一方、維新は議席を大幅に増やす>というのが朝日新聞や共同通信の予測だが、選挙戦後半、風向きが変わってきたようだ。参院静岡補選では野党統一ならず、低投票率だったのに立憲・国民が推す候補が勝った。負けるはずがないと高を括っていた自公関係者は、出口調査の結果に青ざめたという。
自民も立憲も五十歩百歩だが、政治はベターの選択の積み重ねだ。野党に風が吹き、永田町の景色が変わることを期待している。総選挙について俺の切り口のひとつは<多様性と国際標準>だが、それを文学で表現しているのが多和田葉子だ。これまで8冊の小説を紹介してきたが、今稿で取り上げるのは「ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前」(講談社文芸文庫)である。
「ヒナギク――」は2000年、「海に――」は04年に発表された短編集だ。ともに初期の作品で、それぞれ5編、4編からなり、文庫には計9作が収録されている。多和田ワールドに通底する<アイデンティティーの追求>は行間に滲んでいる。「ペルソナ」には、ドイツと日本の価値観の境界に佇み、被るべきペルソナ(仮面)を探す主人公が描かれていた。
多和田は<旅する人>で、本書の♯1「枕木」にはオランダへの旅が描かれている。人は国境を超えることで多様性の尊重を体得するが、主人公は列車で不安を抱き、非現実的な夢を繰り返し見ている。♯2「雲を拾う女」はカフカばりの変身譚で、初期の「犬婿入り」を重ねてしまった。
「百年の散歩」の中に、<匿名の身体になりたくてわざわざ都会の、しかも自の住んでいない地区をうろうろする>という一節があった。これが多和田作品の主人公の定型と捉えていたが、本書で<エロス>を発見する。「犬婿入り」のみつこはフェロモンが零れ落ちる39歳で、女の子の前で豊かな乳房を曝したりする。
女性の生理が全編に織り込まれていたが、♯6「時差」はドイツ、アメリカ、東京に暮らす3人の男の独白で綴る構成になっている。3人は愛で繋がっていた。20年も前に多和田はLGBTを作品に取り込んでいた……などと大層に書くつもりはないが、作品にLGBTQの要素を見る識者もいる。
今月10日。金沢で開催されたLGBTQパレードがニュースで取り上げられていた。Qには「クエスチョン」と「クィア」の二重の意味があるという。クィアであることは、誰を、どのように愛するかを問われた時、男性か女性かの二択というシステムに縛られたくないという意志の表現だ。自由で多様性を認め、肯定的に生きること、そして「そうでしょう?」と多和田は読む側に問いかけている。
♯9「海に落とした名前」は多和田のテーマである<アイデンティティーの追求>が象徴的に表れた作品だ。主人公の女性は不時着した飛行機に乗り合わせていたが、〝海に名前を落としてしまう〟。自分の何者であるのかを収容された病院の医師たちの協力で見つけようとする。手掛かりになるのはレシートで、載っている品目から推理するが、答えは見つからない。不条理かつ不合理な寓話の世界に閉じ込められた。
多和田の小説を読了するたび、〝上っ面〟を追っているだけで、本質の理解には程遠いという感覚に打ちのめされてしまう。<多和田の小説では、言語は伝達の手段であるだけではなく、ものの本質として屹立する空間を形成している>と与那嶺恵子氏は評していた。これからも未読の作品に触れて多和田ワールドの全体像に迫っていきたい。
自民も立憲も五十歩百歩だが、政治はベターの選択の積み重ねだ。野党に風が吹き、永田町の景色が変わることを期待している。総選挙について俺の切り口のひとつは<多様性と国際標準>だが、それを文学で表現しているのが多和田葉子だ。これまで8冊の小説を紹介してきたが、今稿で取り上げるのは「ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前」(講談社文芸文庫)である。
「ヒナギク――」は2000年、「海に――」は04年に発表された短編集だ。ともに初期の作品で、それぞれ5編、4編からなり、文庫には計9作が収録されている。多和田ワールドに通底する<アイデンティティーの追求>は行間に滲んでいる。「ペルソナ」には、ドイツと日本の価値観の境界に佇み、被るべきペルソナ(仮面)を探す主人公が描かれていた。
多和田は<旅する人>で、本書の♯1「枕木」にはオランダへの旅が描かれている。人は国境を超えることで多様性の尊重を体得するが、主人公は列車で不安を抱き、非現実的な夢を繰り返し見ている。♯2「雲を拾う女」はカフカばりの変身譚で、初期の「犬婿入り」を重ねてしまった。
「百年の散歩」の中に、<匿名の身体になりたくてわざわざ都会の、しかも自の住んでいない地区をうろうろする>という一節があった。これが多和田作品の主人公の定型と捉えていたが、本書で<エロス>を発見する。「犬婿入り」のみつこはフェロモンが零れ落ちる39歳で、女の子の前で豊かな乳房を曝したりする。
女性の生理が全編に織り込まれていたが、♯6「時差」はドイツ、アメリカ、東京に暮らす3人の男の独白で綴る構成になっている。3人は愛で繋がっていた。20年も前に多和田はLGBTを作品に取り込んでいた……などと大層に書くつもりはないが、作品にLGBTQの要素を見る識者もいる。
今月10日。金沢で開催されたLGBTQパレードがニュースで取り上げられていた。Qには「クエスチョン」と「クィア」の二重の意味があるという。クィアであることは、誰を、どのように愛するかを問われた時、男性か女性かの二択というシステムに縛られたくないという意志の表現だ。自由で多様性を認め、肯定的に生きること、そして「そうでしょう?」と多和田は読む側に問いかけている。
♯9「海に落とした名前」は多和田のテーマである<アイデンティティーの追求>が象徴的に表れた作品だ。主人公の女性は不時着した飛行機に乗り合わせていたが、〝海に名前を落としてしまう〟。自分の何者であるのかを収容された病院の医師たちの協力で見つけようとする。手掛かりになるのはレシートで、載っている品目から推理するが、答えは見つからない。不条理かつ不合理な寓話の世界に閉じ込められた。
多和田の小説を読了するたび、〝上っ面〟を追っているだけで、本質の理解には程遠いという感覚に打ちのめされてしまう。<多和田の小説では、言語は伝達の手段であるだけではなく、ものの本質として屹立する空間を形成している>と与那嶺恵子氏は評していた。これからも未読の作品に触れて多和田ワールドの全体像に迫っていきたい。