酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

多様性の糸で紡がれた多和田ワールド

2021-10-29 20:07:17 | 読書
 <自公が絶対安定多数(261議席)を確保する。立憲民主が伸び悩む一方、維新は議席を大幅に増やす>というのが朝日新聞や共同通信の予測だが、選挙戦後半、風向きが変わってきたようだ。参院静岡補選では野党統一ならず、低投票率だったのに立憲・国民が推す候補が勝った。負けるはずがないと高を括っていた自公関係者は、出口調査の結果に青ざめたという。

 自民も立憲も五十歩百歩だが、政治はベターの選択の積み重ねだ。野党に風が吹き、永田町の景色が変わることを期待している。総選挙について俺の切り口のひとつは<多様性と国際標準>だが、それを文学で表現しているのが多和田葉子だ。これまで8冊の小説を紹介してきたが、今稿で取り上げるのは「ヒナギクのお茶の場合/海に落とした名前」(講談社文芸文庫)である。

 「ヒナギク――」は2000年、「海に――」は04年に発表された短編集だ。ともに初期の作品で、それぞれ5編、4編からなり、文庫には計9作が収録されている。多和田ワールドに通底する<アイデンティティーの追求>は行間に滲んでいる。「ペルソナ」には、ドイツと日本の価値観の境界に佇み、被るべきペルソナ(仮面)を探す主人公が描かれていた。

 多和田は<旅する人>で、本書の♯1「枕木」にはオランダへの旅が描かれている。人は国境を超えることで多様性の尊重を体得するが、主人公は列車で不安を抱き、非現実的な夢を繰り返し見ている。♯2「雲を拾う女」はカフカばりの変身譚で、初期の「犬婿入り」を重ねてしまった。

 「百年の散歩」の中に、<匿名の身体になりたくてわざわざ都会の、しかも自の住んでいない地区をうろうろする>という一節があった。これが多和田作品の主人公の定型と捉えていたが、本書で<エロス>を発見する。「犬婿入り」のみつこはフェロモンが零れ落ちる39歳で、女の子の前で豊かな乳房を曝したりする。

 女性の生理が全編に織り込まれていたが、♯6「時差」はドイツ、アメリカ、東京に暮らす3人の男の独白で綴る構成になっている。3人は愛で繋がっていた。20年も前に多和田はLGBTを作品に取り込んでいた……などと大層に書くつもりはないが、作品にLGBTQの要素を見る識者もいる。

 今月10日。金沢で開催されたLGBTQパレードがニュースで取り上げられていた。Qには「クエスチョン」と「クィア」の二重の意味があるという。クィアであることは、誰を、どのように愛するかを問われた時、男性か女性かの二択というシステムに縛られたくないという意志の表現だ。自由で多様性を認め、肯定的に生きること、そして「そうでしょう?」と多和田は読む側に問いかけている。

 ♯9「海に落とした名前」は多和田のテーマである<アイデンティティーの追求>が象徴的に表れた作品だ。主人公の女性は不時着した飛行機に乗り合わせていたが、〝海に名前を落としてしまう〟。自分の何者であるのかを収容された病院の医師たちの協力で見つけようとする。手掛かりになるのはレシートで、載っている品目から推理するが、答えは見つからない。不条理かつ不合理な寓話の世界に閉じ込められた。

 多和田の小説を読了するたび、〝上っ面〟を追っているだけで、本質の理解には程遠いという感覚に打ちのめされてしまう。<多和田の小説では、言語は伝達の手段であるだけではなく、ものの本質として屹立する空間を形成している>と与那嶺恵子氏は評していた。これからも未読の作品に触れて多和田ワールドの全体像に迫っていきたい。
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追悼柳家小三治~名人との10年の思い出

2021-10-24 21:45:55 | カルチャー
 前稿で記したように、京都で65歳を迎えた。あと何年生きられるかわからないが、年金生活をいかに過ごすか、即ち終活が今の最大のテーマだ。わずかでも収入を得たいが、簡単な話ではない。緊縮財政は覚悟しているが、楽しみがなければ空しい老後になる。読書、映画観賞以外の軸候補は落語あたりか。寄席やホールに足を運ぶとなると、東京以外では厳しいかもしれない。

 一昨日、鈴本演芸場で10月下席夜の部を楽しんだ。トリは春風亭一之輔で演目は「味噌蔵」と前もって決まっていた。噺家だけでなく、次々に舞台に上がる漫才、紙切り、音曲、太神楽の芸に魅せられた。落語に親しむようになったのは10年前、柳家小三治が出演する寄席に連れていかれたのがきっかけだった。

 先日、NHKで再放送された小三治追悼番組「日本の話芸」を見た。収録は10年前(2011年)で演目は「ちはやふる」である。東日本大震災と原発事故で暗くなった同年に射した唯一の灯として、なでしこジャパンの健闘を枕で語っていた。もちろん小三治独特のユーモアはふんだんにちりばめられていた。

 百人一首に夢中になっている娘に「ちはやふる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは」(在原業平)の歌の意味を聞かれた長屋の住人が、博識の隠居の元を訪ねてくる。隠居も知らないが、即興の解説でケムに巻く。一之輔版はシュールさ、ドラスチックさが増していたのを思い出す。噺家の個性が際立つのが落語の面白さである。

 「ちはやふる」で笑いの種になるのは隠居の知ったかぶりだが、俺にも痛く響いてくる。ブログであれこれ記しているが、大抵は半可通の戯言なのだ。小三治の高座に触れたのは十数回。放映分を合わせてもせいぜい50回ほどだから、俺は明らかに〝小三治初級者〟だ。以下は適当に流していただきたい。

 小三治初体験は人情噺「甲府い」で、見事なサゲがあった。当時72歳だった小三治の飄々とした佇まいに感銘を覚えた。その後も独演会で「二人旅」、「茶の湯」を聴いた。「二人旅」では道に迷った二人の旅人と老婆の会話の小さなズレが、繕いようのない綻びに至り、ナンセンスでアナーキーなムードを醸し出す。「茶の湯」は虚栄を嗤う噺で、「裸の王様」の童話に通じるブラックユーモアに溢れていた。独特の間、声色と表情で多くの人物を演じ分ける小三治の真骨頂である。 

 落語には粗忽者、嘘つき、煩悩の塊、うっかり者、欲張り、間抜け、見栄っ張り、怠け者、野次馬が登場する。欠点だらけの人間が生かされている姿に、自分を重ねて親近感を抱いてしまう。小三治の枕には、弟子や親しい落語家も登場する。亡くなった弟子の喜多八に「おまえは暗い」と説教したが、小三治自身、6代目三遊亭円生に同じことを言われたことがあるという。

 小三治が枕で円生の人となりを紹介して笑いを取っていたことを思い出す。厳格な円生は落語協会会長時代(7年間)、真打ち昇進を認めたのは3人だけだが、そのうちのひとりが小三治だった。一方で小三治は会長時代、多くの若手を抜擢した。愛弟子の柳家三三だけでなく、上記の一之輔、古今亭文菊も〝○人抜きで真打ち昇進〟で世間を騒がせた。落語界の未来を見据えていたからだろう。

 12年12月の総選挙後、小三治は独演会で政治への憤懣を隠さなかった。膨大な費用を使った選挙、ハンディを抱える人への配慮がない選管、増税、第二自民に堕した民主党を俎上に載せていた。原発再稼働と輸出について、「私は原爆発電所と考えている」と異議を唱えた。別の会でも老人医療の負担アップ、政治に翻弄されても声を上げない風潮を憂えていた。

 自身が酒に強くないとを明かした上で演じた「禁酒番屋」など思い出は尽きないが、最も印象的だったのは小三治を最後に見た独演会だった。春日八郎、三橋美智也、西田佐知子の思い出を語り、得意の喉を披露して袖に消えたが、仲入り後、1時間超の「死神」を披露する。ファン歴が長い知人は「出色の出来栄え」と絶賛していた。

 落語に加えて親しんでいる日本の伝統文化は将棋だ。想像を超える進化を見せる藤井聡太3冠は、竜王戦第2局で豊島将之竜王を圧倒し連勝した。将棋の内容は鋭いが、言動は日本人の美徳である謙遜を体現している。
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京都であれこれ~65歳、藤井風、「相棒」&「ドクターX」、将棋NHK杯

2021-10-19 23:14:54 | 独り言
 週末にかけて京都に帰省した。老人施設は面会禁止なので、母がタクシーで従兄宅を訪ねる形で2年ぶりの再会になった。母は耳がさらに遠くなっているので、筆談がコミュニケーションの軸になる。余計な心配はかけたくないので、脳梗塞で入院したことは伏せておいた。

  30年近く前の話だが、父は突然、心身が衰え、3カ月もしないうちに召された。当時は謎めいていたが、脳梗塞ではなかったかと推察している。帰宅しない父を心配し、母が警察に届を出した数時間後、京都市内をグルグル回っている不審車が発見された。運転席に座っていたのは父だった。

 その頃、俺は勘当状態にあった。一報を聞いて、俺の責任ではないかと少し反省する。意識が混濁し、呂律が回らないという症状は、まさに重度の脳梗塞だ。俺の発症は親不孝の報いかもしれないが、今のところ小康状態を保っている。帰省中に65歳になり、リタイア時期が迫っている。世知辛いご時世、年金だけに頼るのは厳しい。東京砂漠にとどまるか、帰郷するのか決めていないが、〝営業力〟を持ち合わせていない以上、まず体の現状維持が必要だ。

 昭和期の映画を見て感じるのは、男たちの老成と落ち着きだ。俳優で挙げれば笠智衆や志村喬あたりだが、彼らと比べて自分のガキっぽさに唖然とする。かつて60歳といえば悠々自適の晩年だが、今や死ぬまで働くのが当たり前になった。これは一種の奴隷制で、後の世代には更なる苦しみが待ち受けている。今回の選挙が流れを変えるきっかけになれば……というのは夢想に過ぎない。

 帰省中、「MUSIC SPECIAL~藤井風」(NHK総合)を見た。藤井は24歳のシンガー・ソングライターで、先月14日に無料配信された無観客ライブ"Free"の舞台裏に密着していた。65歳の俺はなぜか、藤井の奏でる音楽に魅せられた。メロディーと歌詞に、イベントタイトル"Free"に相応しい奔放さを感じたからである。

 3歳の頃から喫茶店を経営する父にキーボードを習い、その後も弾き語りで曲を作り続けた。英語も堪能で、声量も豊かだ。配信によって海外でも人気は広がっているという。アメリカの女性ファンが「エド・シーランより素晴らしい」と褒めていたが、個の視点を克服し、普遍性と多様性を自然体で表現している。〝日本のピアノマン〟の可能性は無限に広がっている。
 
 テレビ朝日系の看板ドラマ、「相棒」と「ドクターX」の新シリーズ初回を見た。「相棒」は前シリーズ後半の流れを受け継いでいるが、俺のように物忘れが激しいとうまく繋がってこない。消化不良と感じたのは、ボケた俺のせいだ。「ドクターX」はシンプルで荒唐無稽だがエンターテインメントに徹している。その差が視聴率にも表れているようだ。

 将棋のNHK杯では2週続けて大逆転で勝敗が決した。先々週は飯島八段が一手の緩手で形勢を損ね、先週は八代七段が勝利寸前の角打ちが失着だった。画面上部のAI評価が5%から一気に95%にドラスチックに揺れる。飯島、八代の両者は落胆を隠せなかった。

 羽生、森内の両九段(ともに永世名人の称号獲得)でさえ、タイトル戦で3手詰め、5手詰めを見落として敗れたことがある。現在の藤井3冠は「わたし、失敗しないので」級の詰め将棋解答者だ。だから終盤、決して焦らず、時にAI超えの手を発見する。一度ぐらい〝人間〟藤井を見てみたい気もするが……。

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「MINAMATA」に横溢するジョニー・デップの高邁な魂

2021-10-14 08:55:11 | 映画、ドラマ
 東京8区問題は一応の決着を見た。仲間や知人たちはこの2年半、立憲民主、共産党、市民団体と調整し、講演会、トークイベント、映画会などを企画していた。何度も見かけた吉田晴美氏が野党統一候補になると確信していたから、山本太郞氏(れいわ代表)の立候補宣言に怒りが込み上げた。

 誰に? 当初は山本氏だったが、立民側の怪しい動きを知る。3・11時の対応で枝野立民代表(当時、官房長官)への不信感を拭えないでいるが、市民の地道な活動を無視した〝ボス交〟は民主主義の根幹を揺るがしかねない。山本氏は吉田支持者への謝罪とともに立候補を取り下げたが、立民の醜い体質が明るみに出たことで、野党支持者は無力感を覚えたはずだ。

 TOHOシネマズ新宿で「MINAMATA-ミナマタ-」(2020年、アンドリュー・レヴィタス監督)を見た。主人公ユージン・スミスを演じたジョニー・デップは製作も担当している。現在も続く被害者の苦しみを知ったことがきっかけだったという。俺が見た回は若い世代も多く詰め掛けていた。史実をベースしているが、ストーリーの紹介は最小限に、背景と感想を記したい。ロケ地はモンテネグロの海沿いの街ティヴァトで、多少のツッコミどころはあるが、水俣の光景を再現していた。

 水俣病といえば、まず石牟礼道子の「苦海浄土」(1969年)が頭に浮かぶ。池澤夏樹が同作を日本から唯一、世界十大小説に選んだが、同書は前近代と近代、事実とフィクション、狂気と覚醒のアンビバレンツの上に成立している。道子は激情と狂いを秘めた童女、自然児で、水俣病患者を〝無限抱擁〟して寄り添っていた。

 ユージンは道子と立脚点が大きく異なる。報道カメラマンとして名を馳せたが、1970年頃には〝過去の人〟扱いのドランカーで、拠点としていたライフ誌も経営が傾いていた。ユージンの前に富士フイルムのCMを依頼するためアイリーン(美波)が通訳として現れる。2人の距離は一気に縮まった。

 ライフ編集者ボブ・ヘイズ(ビル・ナイ)の励ましもあり、ユージンはアイリーンと71年に来日する。沖縄戦で重傷を負ったユージンには日本行きにためらいがあったが、<真実を伝える>という使命感が上回る。アイリーンと結婚して3年間、水俣の惨状を世界に伝えた。

 1971年に発表されたテン・イヤーズ・アフターの名曲「チェンジ・ザ・ワールド」(6thアルバム「ア・スペース・イン・タイム」収録)が流れた瞬間、本作に引き込まれた。「僕は世界を変えたいけど、何をするべきかわからない」のサビが印象的で、「環境汚染は解決のメドがつかない」という今日的なフレーズも含まれているから、デップはこの曲をオープニングに選んだのだろう。

 ユージンとアイリーンは当地の人々と一つの家族になる。撮影シーンが本作のハイライトになる「入浴する智子と母」をはじめ、多くの写真が世界に発信され、衝撃を与えた。脚を患う少年患者との触れ合いで、ユージンは萎えそうになった気持ちを震い立たせた。被害者グループを引っ張るヤマザキを真田広之、写真家のマツムラを加瀨亮が熱演していたが、チッソ・ノジマ社長役の國村隼の存在感が際立っていた。善悪の対照が図式的過ぎる嫌いはあるけれど……。

 水俣関連の書物にも記されているが、当地は〝城下町〟としてチッソに依存し、行政も警察も牛耳られていた。ノジマは「微々たる被害」と断言し、ユージンを買収しようとする。〝敵〟はネガごと焼き払おうとユージン宅を放火し、株主総会取材中、襲われて重傷を負う。民主国家ではあり得ない状況下、訴える側も〝怨〟を前面に巡礼団の装いだった。

 前稿で紹介した「コレクティブ」のテーマは<人命VS効率&利益>だったが、本作もまた発展と成長重視で地域を蹂躙する新自由主義とグローバリズムを穿っている。<経済か、命か>の問いをコロナ禍で突き付けられたが、水俣が象徴する公害問題は今も世界の人々を苦しめている。エンドマークではチェルノブイリと福島の原発事故、各国で起きている水銀や鉛による汚染など数々の事象が紹介されていた。デップの高邁な魂、深い問題意識が窺える。

 水俣は終わっていない。「水銀に関する水俣条約外交会議」(2013年10月、熊本市)で「水俣条約」が採択された。約140カ国・地域から1000人以上集まったが、開会式で安倍晋三首相(当時)の問題発言が飛び出した。即ち「水銀による被害と、その克服を経た我々」で、五輪誘致の際の「汚染はアンダーコントロール」と重なる。ちなみに同条約に署名したのは、岸田外相だった。

 〝加害者〟である政府の発言に、海外からの参加者は「明らかに水俣病の症状があるのになぜ認めないのか」と憤っていた。これが日本という国の本質だ。「MINAMATA」が提示した問いに、俺たちはどう答えるべきなのか。

 これから久しぶりに京都に帰省する。更新が少し遅れるかもしれない。
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「コレクティブ」にジャーナリスト魂の精華を見た

2021-10-10 20:11:49 | 映画、ドラマ
 まずは訃報から。柳家小三治さんが亡くなった。〝落語初級者〟の俺は2012年、落語通の知人に連れられ小三治さんの高座に初めて足を運んだ。以降、寄席、独演会を含め、熟練の芸に15回以上接することが出来た。享年81歳、至高の表現者の冥福を祈りたい。近いうちに小三治さんの思い出を綴る予定だ。

 前稿で取り上げた「スノードロップ」で繰り返されていた<マフィア政権>という表現が、今回紹介する映画「コレクティブ 国家の嘘」(19年、アレクサンダー・ナナウ監督)にもちりばめられていた。ロシアとフィリピンの記者がノーベル平和賞に選ばれたばかりだが、本作もジャーナリズムのあるべき姿を描いたドキュメンタリーである。

 ルーマニアの首都ブカレストで15年に起きたライブハウス火災事故が発端だった。27人が死に、180人が負傷する大惨事だが、被害はその後、拡大する。数カ月の間に一命を取り留めていた負傷者が次々と亡くなり、死者は64人に膨れ上がる。真相を突き止めるため、スポーツ紙「ガセタ・スポルトゥリロル」のトロンタン記者が立ち上がった。

 ベルリンの壁が崩壊した頃、俺はルーマニアに思いを馳せていた。ルーマニアはドラキュラ伝説発祥の地で、独裁者チャウシェスクも民衆の生き血を吸うバンパイアといえるだろう。同国出身の彫刻家ブランクーシの「空間の鳥」の原型である伝説の鳥「マイアストラ」に魅せられていたからだが、革命後の空を舞うことはなかった。無数の人々の血で購われた革命も、いずれ褪せてしまうことは、「コレクティブ」からも明らかだ。

 閑話休題……。トロンタンと同僚記者が着目したのは、製薬会社と病院の癒着だった。規定の処方の10の1に薄められた消毒薬が用いられ、院内でウイルス感染が蔓延する。証拠は廃棄、隠蔽され、製薬会社社長が自殺する。だが、政官財にすくうマフィアの手によって葬られた可能性は否定出来ない。

 コロナ禍の日本でもテーマになったが、本作でも<人命VS効率&利益>が浮き彫りになる。トロンタンらの追及を受け、保健相が辞任し、後任に就任したのはヴラド・ヴァイクレスクだった。ヴァイクレスクは人命重視、徹底調査と情報公開を掲げるが、社会民主党が立ちはだかる。社民党は国によって性格が異なるが、ルーマニアではチャウシェスク政権を支えた政治家とビジネスマンが集う腐敗した守旧派で、まさにマフィアといっていい。国内の医療機関の実力を踏まえて重傷患者の海外移送を説くヴァイクレスク保健相は、バッシングの対象になる。

 2人の女性が大きな役割を果たす。火災で傷を負った心身をバネに、アーティストとして表現するテディ・ウルスレァヌはヴァイクレスクにとって大きな味方になる。大学病院の麻酔医カメリア・ロイアはルーマニア初の内部告発者として当局が隠蔽していたデータをトロンタンに渡す。

 熱いジャーナリスト魂を秘めるトロンタン・チームを軸に、ルーマニアは新時代を迎える……。そんな希望は絶望的な結末を迎える。社民党が選挙で圧勝し、ラストで暗転した。エンドマークの後に何が起こったのかわからない。ルーマニアの情勢は刻々、変化しているようだ。

 「報道の自由度ランキング」2021年版で日本は67位だった。記者クラブ制度の弊害で、政界とメディアの癒着は夥しい。同じくマフィアが闊歩するルーマニアは48位だから、本作以降、改善されたのだろう。日本の闇は深い。
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島田雅彦著「スノードロップ」~皇室がマフィア政権を撃つ

2021-10-06 21:12:35 | 読書
 凱旋門賞でスノーフォールは⑥着に終わった。前稿で紹介したマニック・ストリート・プリーチャーズの14thアルバムの♯1、読了したばかりの島田雅彦の最新作のタイトルに「スノー」が含まれていることに気付き、応援する気になったが、ドイツ馬はノーマークだった。

 「スノードロップ」(新潮社)は皇后を主人公に据えた問題作だが、島田ファンなら「彗星の佳人」、「美しい魂」、「エトロフの恋」から成る<無限カノン三部作>の20年を経た続編と捉えるだろう。<無限カノン三部作>のヒロインは皇太子妃不二子で、モデルが現在の皇后であることは明らかだ。「スノードロップ」の主人公も継続して不二子皇后である。

 <恋とは、恋人たちが想像しえなかった未来に向けられた終りなき願望なのだ。恋は現世では決して満たされることがない彼岸の欲望なのだ>(「彗星の住人」)に込められたように、<無限カノン三部作>には、日本の近現代を背景に、漂流する一族の悲恋の歴史を紡がれていた。瑞々しい言葉が驟雨のように降り注ぎ、ページを繰る指が震えた記憶がある。

 結婚を控えた雅子さんが最も感動した小説に挙げていたのが「ドクトル・ジバゴ」で、<無限カノン三部作>も同作に比すべき壮大な愛の物語だった。「スノードロップ」にも秘められた恋が描かれているが、後景に広がるのは現在日本の政治状況だ。かつての<右派=皇室崇拝、左派=反皇室>の構図は、上皇(平成天皇)、現天皇らによる発言で様変わりした。
 
 内田樹氏が典型だが、世界標準と乖離する日本会議が内閣を支配する現実に、リベラル派は皇室に〝防波堤〟の役割を仮託している。皇室は今や〝護憲のシンボル〟なのだ。国民の多くが女系天皇を容認しているが、安倍元首相ら保守派は反対で、河野氏は総裁選で持論を封印した。「スノードロップ」は不二子妃の願望、<舞子(長女)天皇の誕生はより現実に近づきます>で締められている。

 「スノードロップ」にも描かれているが、皇室のプライバシーが時に物議を醸す。例の結婚問題は解決を見たが、この20年、メディアに叩かれ続けたのが雅子妃と愛子内親王だった。タブーに挑んだのが三遊亭白鳥の新作落語「隅田川母娘」で、現天皇も登場する。「スノードロップ」に出てくる舞子内親王も型にはまらないキャラだ。

 権力を握るマフィア政権に憤りを抑え切れない不二子妃に味方が現れる。侍女キャサリンはリベラルで、世界の有名ハッカーと交流を持つなどIT全般に精通している。舞子内親王もキャサリンを姉のように慕っている。不二子妃は「スノードロップ」のハンドルネームで自身の意見をネットにアップするようになる。

 安倍-菅政権で起きた森友・加計・桜は、人間として裁かれるべき問題だ。レイプ記者が免罪されたり、官僚が奉仕する相手を間違えたりで愕然しているうち、善悪の感覚が麻痺してしまった。ニヒリズムと沈黙という過ちに飼い慣らされている日本人にとって、不二子妃、そして天皇の言動は至極まっとうに思えてくる。

 日本は果たして閉塞状況を脱することが出来るのか。自然科学からグローバルな事情通、そして島田自身らしき作家まで進講者として登場するが、そこで語られる内容に衝撃を覚える。小泉政権が現在に至る流れをつくったというのが常識的な考え方だが、日露戦争時の膨大な借金が日本の死命を制したとの説が展開される。日本が従米策を取るのは100年以上も前に決まっていたのか。

 ジャスミンの協力もあり、不二子妃は制限をすり抜け、夫と協力して米中露の首脳と腹を割って本音で語り合う。明治天皇も昭和天皇も非戦論者だったという辺りは納得出来ないが、個の人間として叛逆し、自由を求めるのは皇族であっても咎められることではない。刺激的でスリリングなポリティカルフィクションだった。
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秋の雑感~鬼城、一之輔&文菊、マニックス、フジロック、藤井聡太3冠、スノーフォール

2021-10-02 16:02:00 | 独り言
 中国不動産最大手の恒大集団が経営危機に陥っている。NHK・BS1でオンエアされた「廃墟になったマイホーム~中国〝鬼城〟住民の闘い」を見て、サブプライム住宅ローン(2009年)を連想してしまう。入居費を払った後に建設会社が破綻し、廃墟になったマンションが中国全土に林立している。計画倒産の悪徳業者もおり、中国共産党や自治体幹部も絡んでいるから根が深い。

 習近平主席は「紅い遺伝子継承」を思想統制の軸に据えているが、その実、自身の神格化を進めているだけで、格差に喘ぐ国民など顧みない。日本だけでなく米中でも、権力者は腐臭を放っている。塗炭の苦しみを味わうのは常に庶民だが、仏サルコジ元大統領への実刑判決(禁錮1年)に救いを覚えた。

 「春風亭一之輔&古今亭文菊二人会」(かめありリリオホール)に足を運んだ。同会は3回目で、型破りな一之輔と、正統派の文菊の好対照が魅力だが、昨年は様子が少し違った。一之輔が「あの人は変わった」と枕で漏らしたように、文菊がキレと毒(自虐)をペーストしていたからだ。今回は以前の〝均衡〟に戻ったように感じた。

 一之輔「七段目」→文菊「笠碁」→仲入り→文菊「目黒のさんま」→一之輔「浜野矩随」の進行で、終演は9時を過ぎていた。文菊の演目は聞いたことがあったが、一之輔の2題は初めてだった。前から3列目だったので、文菊のこまやかな表情と所作に感嘆する。全身を躍動させる一之輔の「七段目」はお囃子入りで、「浜野矩随」は独自の解釈だったらしい。

 今年初めて購入したCDは、マニック・ストリート・プリーチャーズの14th「ジ・ウルトラ・ヴィヴィッド・ラメント」で、〝シルバーコレクター(全英チャート2位5回)〟のマニックスが久しぶりに1位に輝いた。骨のある侠気バンドのマニックスにしては柔らかくポップで、クチクラ化した俺の細胞に染み通るメロディーに瑞々しさを感じた。

 ♯1の「スティル・スノーイング・イン・サッポロ」は1993年の札幌を振り返った曲。公演は秋だったので、個人的な旅行の思い出かもしれない。最後に日本語の会話が録音されていた。♯2「オーウェリアン」に出てくる♪オーウェル的な時代を生きる俺たちの歌詞は、「1984年」的状況を示唆しており。本作を貫くテーマにもなっている。監視と分断によって絶望に苛まれる社会に異議を唱えている。同曲のみならずエコー&ザ・バニーメンを彷彿させる曲調も多い。五十路男の悔恨、孤独、メランコリーが滲むハイクオリティーなアルバムだ。

 フジロック21の2日目ダイジェストをスカパーで見た。お目当てはAJICO、クロマニヨンズ、The Birthdayの3組である。とりわけ20年ぶりに復活したAJICOは気になっていた。浅井健一(ベンジー)とUAのユニットで、傑作「深緑」を発表したが1年で活動を休止する。ベンジーはいつものようにシャープで、アラフィフのUAはスリムで若く、シャーマンの如きオーラを放っていた。

 俺はもう現役ロックファンではないから、アンテナが錆び付いている。唯一発見したのはTHE ALEXX(ジ・アレックス)だった。トリップホップ、ダブにカテゴライズされるダウナーでサイケデリックな音は、まさに俺のピンポイントで、4ADのアーティストやポーティスヘッドに重なった。

 この2カ月、藤井聡太3冠について言及することはなかった。強豪相手に高勝率を上げる藤井は、序中盤を整備し、勝負どころではAIも気付かぬ手を指す。俺はB級1組に注目している。自身の連勝を29で止めた佐々木勇気七段が6連勝でトップを走り、千田翔太七段と藤井が5勝1敗で追う。順位の差で頭ハネを食らう可能性もあるから、安閑としていられない。直接対決の結果でA級入りが決まるだろう。

 最後に、凱旋門賞(日本時間3日夜)の予想を。100回の節目になる今回は、3歳馬の精鋭が顔を揃えるハイレベルな一戦だ。俺が応援するのはライアン・ムーア騎乗のスノーフォール(3歳・牝馬)だ。日本生まれのディープインパクト産駒だが、アイルランドに渡り、英愛オークスを制した。俺の目に留まった理由は次稿の枕で記したい。レインフォールの下、季節外れの雪は降るか。
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