酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

亀岡で09年を振り返る

2009-12-30 15:36:18 | 戯れ言
 一陽来復を実感した09年最後の稿を、亀岡のネットカフェで更新している。

 読者の方はご存じの通り、今年の前半、妹が死の淵をさ迷った。退院後も人工透析のため通院しているが、現在は日常生活に支障がない状態だ。病院関係者だけでなく、妹を支えてくれた親族や知人に感謝したい。

 俺自身はといえば、Uターンが一転、東京砂漠に居残ることになった。出来の悪いロートルにも温かい職場で、余分なストレスと無縁の日々を過ごしている。どうやら俺は、運だけで世間を渡っているようだ。夏から秋にかけて糖分過剰摂取で体調を崩したが、摂生に努めるやたちまち旧に復し、ここ数年ない最高の体調で新年を迎える。

 知的好奇心が甦った年でもあり、読書、映画に割く時間が大幅に増えた。以下にジャンル別の私的ベストワンを挙げることにする。

 まずは本から。「楽園への道」(バルガス・リョサ)、「太陽を曳く馬」(高村薫)も読み応えがあったが、最大の収穫は平野啓一郎の〝発見〟で、「決壊」と「ドーン」には瞠目させられた。年末年始は「高瀬川」など短編集を読むつもりだ。

 「チェ 28歳の革命」、「ハゲタカ」、「重力ピエロ」、「空気人形」、「私の中のあなた」など多くの映画に感銘を受けたが、ベストワンは「スラムドッグ$ミリオネア」だ。善と悪、罪と罰を超越した疾走感あるラブストーリーにカタルシスを覚えた。

 ロックは最前線に復帰したばかりなので、サンプル不足は否めない。ベテラン勢ではマニック・ストリート・プリーチャーズ、ソニック・ユース、パール・ジャムが、充実した新譜で健在ぶりを見せつけた。「1984」(オーウェル)をモチーフにミューズが構築した「レジスタンス」の実験性も評価したい。

 ヤー・ヤー・ヤーズの「イッツ・ブリッツ」、ホラーズの「プライマリー・カラーズ」を逆転してベストアルバムに輝いたのが、先日まとめ買いした中の一枚、ダーティー・プロジェクターズの「ビッテ・オルカ」だ。<ポストロック>を象徴する斬新さと懐かしさを合わせ持つアルバムで、末長く愛聴盤になりそうだ。本作については機会を改めて記すことにする。

 世間的に今年最大のニュースは日米の〝チェンジ〟だ。茨の道を歩むオバマ大統領だが、最大の懸案というべき医療保険改革法案がクリスマスイブに上院で可決された。皆保険制度は先進国の常識だが、米国民の多くは<社会主義的>として反発している。資本主義(アメリカ)であれ、世襲主義(北朝鮮)であれ、独裁国家の徹底したメディアコントロールが大衆の理性を奪うことを思い知らされた。

 翻って日本はどうか。民主党支持者ではない俺が政権交代を望んだのは、副作用として社会が活性化することを期待したからだが、閉塞感は変わらない。自民党のさらなる凋落が予想される現在、一党独裁の構図はそのまま、担い手が代わっただけという事態になりかねない。

 総選挙直前、<不気味なほど静かな革命>(8月22日の稿)と記したが、そもそも<革命>とは遠かったのか。投票だけではなく、常に意思表示する姿勢を保つことが民主主義の礎である。<抵抗の力学>を喪失した日本人に、明るい未来は訪れるだろうか。

 日本に必要なのは淀んだ空気を変える<狂おしく熱い革命>だ。失うものが少なくなった分、自由になった若い世代の怒りと野性に期待したい。2010年が胎動のスタートになることを願っている。

 最後に、感謝を。この一年、独り善がりの戯言にお付き合いいただき、ありがとうございます。来る年が読者の皆さまに幸多きことを祈っています。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

700回記念は「アデン、アラビア」~悲運の反逆児ニザンが放つ光芒

2009-12-28 00:13:29 | 読書
 ドリームジャーニーが有馬記念を制した。乗り替わりが目立つ大一番、培った人馬のコンビネーションも勝因のひとつだろう。POG指名馬セイウンワンダーは6着に終わったが、10番人気を考えれば健闘の部類だ。今後は父グラスワンダーの域に少しでも近づいてほしい。

 今稿は700回目の更新だ。戯言に付き合ってくださる読者には感謝、感謝である。<小人閑居にして不善をなす>というが、〝超小人〟の俺が時間を持て余したらとんでもない失態を演じるに相違ない。ブログは俺にとって〝不善へのブレーキ〟になっている。

 ポール・ニザンの「アデン、アラビア」(河出書房新社/世界文学全集収録)を読んだ。三島賞作家である小野正嗣に新訳が、作品に息吹と躍動を加えている。

 <僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない>……。

 印象的な書き出しで知られる「アデン、アラビア」は、ニザンが26歳の時の作品だ。発表から30年、作者の死から20年を経た1961年にサルトルの序文付きで復刊されるや、反逆精神に貫かれた本作はベストセラーになった。

 キリスト教、愛国心、資本主義、植民地支配、教育制度……。ニザンはすべてを「ノン」とぶった斬り、<敬虔の徴とか掟とか教理問答とか崇拝とかスローガンを否定するからこそ僕は自由でいられた>と言い放つ。とりわけ知識人に厳しく、<僕はインテリということになっていたから、中身のない専門職の連中にしか出会ったことがなかった>と記している。

 僕は<ヨーロッパという煉獄の腐敗と堕落>から脱出したが、<死にそうなほど美しい場所アデン>でアジアへの幻想は褪せていき、<石ころのような不幸>と<恐ろしいくらいの無為>に苛まれるようになる。

 アデンは圧縮されたヨーロッパで、一流ホテルで暮らす<ユニオン・ジャックという人殺し=イギリス人>を頂点に、最底辺のユダヤ人までヒエラルヒーが確立している。<数多くの縄をしっかり束ねる結び目>だが、各層が混淆することはない。

 アデンでは<人間の生活を歪めて映す鏡(芸術、哲学、政治)がないので、解剖学模型のように人間は無修正のまま丸裸>になる。顕微鏡のように精巧な僕の目に、当地を支配するヨーロッパの資本家たちは<エドガー・アラン・ポーの水晶でできた狂人>と映った。

 ニザンは資本家をホモ・エコノミクスと規定し、<連中はいくら利益を得ても貧しい。彼らの不幸とその原因は、策略と暴力と執拗さと知恵によって守られ、維持されている。彼らの空虚さは、虚無ではなく生を愛する人たちの不幸をもたらす>と人間性の喪失を抉っている。

 上記は現在にもそのまま当てはまる。ニザンの慧眼は80年前、市場原理主義の本質を見据えていた。

 該博な知識と鋭い感性を合わせ持つ恐るべき若者を、悲運が待ち受けていた。ソ連従属を批判してフランス共産党を離党し、唾棄すべき〝国家の戦争〟で35歳の人生にピリオドを打つ。共産党はスパイ説を捏造し、作家ニザンを闇に葬ろうとした。

 生き延びていたら、ニザンはオーウェルと並ぶ存在になったに違いない。早過ぎる死は惜しまれるが、その魂は既成の共産党を超えるニューレフト、反グローバリズム運動の核として現在も受け継がれている。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

クリスマス雑感~レイジ、麻雀、有馬記念

2009-12-25 03:03:27 | 戯れ言
 何てことないクリスマス、胸がすくニュースが飛び込んできた。レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの「キリング・イン・ザ・ネーム」(92年発表の1stアルバム収録)が全英NO・1を獲得したのだ。

 レイジとは革新的なサウンド(ミクスチャー)とラディカルな思想を合わせ持つバンドで、ゲバラの写真が掲げられたステージに革命歌「インターナショナル」で登場する〝反グローバリズムの旗手〟である。

 英国ではクリスマスウイーク、人気オーディション番組優勝者のデビューシングルが4年続けて1位になっていた。この〝お約束〟に異議を唱えた音楽ファンが、「キリング――」のダウンロードを呼びかける。最終日に10万枚分が購入され、大逆転と相成った。

♪この世界を操る権力の中枢には十字架を燃やす者(KKK)と同類の人間がいる バッジを身に着けた選ばれし白人(警官)に殺戮の権限を与えているのは誰か(「キリング――」の歌詞の抜粋)……

 時代を射抜く目を持つ仕掛け人は、ビートルズでもオアシスでもなく、荒涼たる09年に相応しいバンドの曲をピックアップした。収益はもちろん、ホームレスに還元される。感謝の意を込め、レイジは大規模なフリーコンサートを英国で開催するという。

 先日、仕事先の仲間と卓を囲んだ。10年ぶりの麻雀で惨敗を喫した経緯は別稿(昨年9月)に記した通りで、今回はその時以来の実戦である。負けを覚悟していたが運に恵まれ、上々の結果となった。

 ペーパー雀士の俺は、MONDO21(スカパー)の麻雀番組を楽しんでいる。〝神様〟小島武夫、〝受けの達人〟新津潔、〝忍者〟藤崎哲と、鳴きを最小限にとどめる面前派が好みだ。手作りの感覚はテレビ観戦で多少は身に付くが、捨て牌はたまにしか映らないから、読む力がない。脅し(リーチ)にはすぐ屈してベタ下りするし、勝負勘に欠けているから、終盤の競り合いで順位を落とすことが多かった。次の機会があれば、確実に馬脚を現すだろう。

 他の公営ギャンブル同様、中央競馬もファンの高齢化、売り上げ減に歯止めがかからない。経営が苦しい厩舎、資金繰りが厳しい馬主など、サークル内では芳しくない話が飛び交っているという。

 枠順が確定した有馬記念では、〝感謝〟をキーワードに馬券を買うことにする。⑭セイウンワンダーは昨年度のPOG指名馬で、この1年半、俺にとって希望の星だった。福永のケガは残念だが、〝勝負師〟藤田が代役なら心配ない。

 今年度の指名馬エイシンアポロンで好騎乗が光った池添が駆る⑨ドリームジャーニーも応援する。馬券はセイウンとドリームの馬連とワイド。2頭軸の3連単で③ミヤビランベリ、⑯フォゲッタブルを絡める予定だ。

 こんな暗い時代、競馬を楽しめるだけで幸せだ、儲けるなんて気はないが、万が一、セイウンが勝ったら、少しはレイジに倣うつもりだ。ケタは四つ、いや五つぐらい違うだろうか……。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「バグダッド・カフェ」でひとときの和みと温もり

2009-12-22 00:18:22 | 映画、ドラマ
 「まだ紅葉の季節だっけ」……。新宿中央公園をウオーキング中、ふと思った。紅葉は秋の季語だが、よくよく考えれば、新暦と旧暦には1カ月半のタイムラグがある。枯れてなくても不思議はないのだ。

 公園では炊き出しや古着配布が頻繁に行われる。「暮れが思いやられるな」「アテはあるのか」……。すれ違ったおっさんの会話に胸が疼き、反貧困ネットワークの賛助会員であることを思い出す。エイシンアポロンのおかげで不労所得(POGの収益)が入ってくる以上、些少なりとも寄付するのが俺にとって義務なのだ。

 それにしても、寒い。だから、温かい映画を見ることにした。先行ロードショーの「キャピタリズム」(マイケル・ムーア)と「マラドーナ」(エミール・クストリッツァ)を後回しに、「バグダッド・カフェ」のニュー・ディレクターズ・カット版を選んだ。

 オリジナル版が日本で公開された89年、「ダイ・ハード」、「レインマン」、「パペットの晩餐会」、「マイ・ライフ・アズ・ア・ドッグ」、「恋恋風塵」とスクリーンに大輪の花が咲き誇った。とりわけ鮮やかだったのが本作で、20年ぶりの再会で幾つかの発見もあった。
 
 「バグダッド・カフェ」経営者のブレンダは気性の激しい黒人女性だ。赤ん坊を抱えたシングルファザーの息子は店でバッハを弾き、娘は白人ドライバーとツルんでいる。怠惰なバーテンはアラブ系っぽいし、老ヒッピー風のルーディと女性刺青職人がモーテルに住み着いている。ネイティブアメリカンの警官は妙に融通が利かない。

 ラスベガス近郊の<カフェ+ガソリンスタンド+モーテル>に、なぜか<バグダット>が冠されている。本作はイラン・イラク戦争中(87年)に完成した。その後の湾岸戦争、アメリカのイラク侵攻、荒廃した現在のバグダッドを本作に重ねると、ある種の感慨に浸らざるをえない。「バグダッド・カフェ」は人種、年齢、性別を超越した新たな家族を提示したが、21世紀は民族と宗教が憎悪の根になってしまった。 

 砂漠で夫と別れたドイツ人女性のジャスミンが家族の一員に加わった。イメージカットの数々、ストーリーで果たす役割を考えると、ジャスミンには広い意味での芸人、表現者、放浪者の匂いがする。

 豊満な体格と親和力を合わせ持つジャスミンは、ブレンダの世界を柔らかく浸食していく。それがブレンダには癪でたまらない。異質な2人に生じた軋轢は、後半の急転回とファンタジーの伏線になっている。

 観賞時の状況によって、映画の印象は大きく異なる。今回、俺の心情にフィットしたのはルーディだった。33歳の頃(20年前)には気付かなかったが、ルーディの目を通した 、いや、俺の目にも、ジャスミンは実に魅力的だ。年齢や体形では測れない美しさが溢れ出て、童女のような笑みを浮かべつつ、他者の心の奥にあるものを掴みとっていく。

 看板が気球の形をした「バグダッド・カフェ」は、<心の故郷=帰って来る場所>の象徴なのだろう。繰り返し宙を舞うブーメランが、登場人物すべての気持ちを代弁していた。本作はルーディとジャスミン、ブレンダと家出したダメ亭主のエピソードが並行する秀逸なラブストーリーでもある。

 ホットココアを飲んだような和みに潤んだ後、ユーロスペースを出た。底冷えしたホテル街を、「コーリング・ユー」を口ずさみながら通り過ぎていく。20年前は振り向いてくれずとも、その名を呼ぶ<あなた>がいた。53歳の今、俺に<あなた>はいるだろうか。頭の中でそっと、ルーレットを回してみた。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エコバニという名の蜃気楼~異次元のバンドの過去と現在

2009-12-19 05:40:40 | 音楽
 天皇と習近平中国副首席との会談が波紋を広げている。首相在任中は創価学会に気兼ねして本性を隠していた安倍晋三氏が民主党を売国奴呼ばわりする一方、会談実現の根回し役が中曽根元首相であることが判明した。かの石原都知事が容認派に回るなど、保守派の亀裂が興味深い。

 さて、本題。別稿「ロックの旅再び」(12月10日)でヤー・ヤー・ヤーズとLCDサウンドシステムを取り上げた。ニューヨークをキーワードに買い集めた数枚のアルバムは、トーキング・ヘッズの実験精神を継承し、民族音楽など他のジャンルを包括的に取り入れている。5年のブランクの間、ロックは新たな地平<ポストロック>を切り開いていた。

 最先端のバンドと合わせ、エコー&ザ・バニーメンの新作「ファウンテン」を購入した。スタジオ盤を聴いたのはバンド名を冠した5thアルバム(87年)以来だ。まろやかで成熟を感じさせる佳作だが、かつての煌きや鋭さは失われている。

 先日、ミューズのライブがテレ朝の深夜帯に放映された。「世界最強のライブバンド」のテロップに偽りはないが、<デビュー5年以内、アルバム3枚まで>の条件で史上最高のライブバンドを挙げるならエコバニだ。

 U2(83年11月)、エコバニ(84年1月)の初来日公演を中野サンプラザで見たが、両者のパフォーマンスに歴然たる差があった。全米制覇を成し遂げたばかりのU2が駄目なはずはないが、比べる相手が悪過ぎた。エコバニは<神性と魔性を帯びた異次元のバンド>だったからである。

 <80年代のドアーズ>、<ベルベット・アンダーグラウンドの継承者>……。当時のエコバニは最高級の賛辞で彩られ、フロントマンのイアン・マカロックはイアン・カーティス(ジョイ・ディヴィジョン)の死を補って余りある存在と見做されていた。彼らの神髄に触れたい人は、初期の3作を聴いてほしい。

 スモークが焚かれる中、イアンの弱々しい「ハロー」とともに演奏が始まり、テンションは少しずつ上がっていく。感性を切り刻むサイケデリアは聴衆を狂気の淵へ誘(いざな)い、「キリング・ムーン」は官能の水辺に浸らせた。

 イアンが両手のひらを上に向け、スローモーションで指を前に曲げたのを合図に、椅子席固定の会場で後方から人が押し寄せてきた。大惨事に繋がりかねない状況をつくり出した当人は、ステージで薄ら笑いを浮かべている。「この男は第二のデヴィッド・ボウイだ」と確信したのだが……。

 例えば三島由紀夫の「午後の曳航」、ゴダールの「勝手にしやがれ」、ランボーの詩集……。ライブの後、同行した友人たちと、エコバニがもたらした新鮮な衝撃を、若くして達成された他分野の偉業と比べて語り合う。<悪魔憑きもしくは神が宿っている>が、議論のシュールな着地点だった。

 キュアー、ニュー・オーダーとは相互不可侵条約を結んでいたようだが、〝暴言王〟イアンは同世代のバンドたちをメディアでクソミソにこき下ろした。まさに〝アンタッチャブル〟で、輝かしい未来が約束されていたはずのエコバニだが、「イカロス失墜」をなぞるかのように急降下した。

 U2のように成功への執着に欠けていた、キュアーのロバート・スミスのように絶対的な才能がなかった、ミューズのように努力しなかった……。急降下のもっともらしい理由を挙げるのは簡単だが、真実は別のところにあるような気がする。彼らは音霊から見放され、天使でも悪魔でもない生身の人間になってしまったのだ。

 最後に、朝日杯について。先行有利の中山1600㍍ゆえ12番枠にはガッカリしたが、POG指名馬エイシンアポロンを応援する。同馬のプラスポイントは、アクシデントや作戦失敗など悪いことを経験している点だ。来年に繋がるレースを期待したい。
コメント (6)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

水を巡る危険な話~「デモクラシーNOW!」が穿つアメリカ

2009-12-16 01:06:30 | 社会、政治
 タイガー・ウッズがツアー出場を自粛する。これまで精神面でも評価されていたが、スポーツが人格を陶冶するとは思えない。ウッズはニクラスの通算メジャー勝利記録18にあと4と迫っている。奔放な性生活が暴かれた背景に、ある意図を感じるのは俺だけだろうか。

 さて、本題。ウッズほどではないが、オバマ大統領の株も下落が著しい。大統領の変節を含め、アメリカの真実を穿つのが「デモクラシーNOW!」(朝日ニュ-スター)だ。本国とタイムラグはあるが、米メディアの良心と反骨が窺える番組である。

 エイミー・グッドマンをメーンキャスターに、NYタイムズからプロプブリカまで、気骨あるジャーナリストがスタジオに招かれる。俺の専売特許<資本主義独裁国アメリカ>を裏打ちしてくれる番組で、先日も自国民にも冷たいアメリカの病理を告発していた。

 水俣病やイタイイタイ病など苦い経験を経た日本人の共通認識は、<人間が生存するための最低条件は澄んだ空気と水である>……。日本人の多くは中国の公害に眉を顰めるが、アメリカで進行中の事態は知らない。別稿「境界なき被爆と被曝」(09年8月10日)で核施設によるワシントン州の環境破壊について記したが、別の発生源による水質汚染が30を超える州で広がっている。

 石油や天然ガス掘削、石炭採炭の過程で生じる水質汚染が、各地で健康被害を引き起こしている。ブッシュ政権時、チェイニー副大統領が主導するエネルギー作業部会は、メタンガスや発がん物質の地下水混入を引き起こす水圧破砕を<天然ガス産業において不可欠>と評価する。その結果、議会は水圧破砕による被害を飲料水安全法から免除した。

 さて、チェイニーとは何者か。水圧破砕を推進する大企業の元重役で、広瀬隆氏はエネルギー業界の代理人と指摘していた。表向きは副大統領だったが、独裁国を牛耳る〝陰の司祭〟の一人と見ていいだろう。

 行政に保護された企業は、水圧破砕に用いる化学物質を公表しなくていいから、地質学者は水圧破砕が人体に及ぼす影響を正確に指摘できない。企業が自らの否を認める報告書を提出しても、行政側が意識的に〝無視〟するケースも多いという。

 〝盲腸〟と化した監督官庁の環境保護庁(EPA)に代わり、NYタイムズは水質汚染を徹底調査し、詳細なデータベースを作成した。同紙記者によると、化学業界による水質浄化法違反はこの5年で50万回に及んだ。そのうち60%が発がん物質投棄など重要な違反と認定されたが、行政が措置を講じたのは3%のみ。地域水道の40%が飲料水安全法に抵触し、2300万人の国民がバクテリア、ウイルス、寄生虫を含む水を飲用しているという。ここまで来ると恐怖映画で、<庶民は毒を飲め>がアメリカの国是らしい。

 当番組ではこの1カ月、メキシコの麻薬戦争への対応、ホンジュラスやフィジーの軍事独裁政権との関係、刑務所の実態など、アメリカのダークサイドを余すところなく伝えていた。冒頭に仄めかした人種問題もいまだ深刻で、4年前にハリケーン・カトリーナがニューオーリンズを襲った際、混乱のさなか、10人を超える黒人が白人の自警団に殺されたという。

 俺のことをマラドーナ同様、<アンチ・アメリカ>と勘違いしている読者もいるだろうが、俺が憎むのは一握りの独裁国家の黒幕たちだ。善良なアメリカ人の大半は3大ネットワークやFOXの報道に洗脳されているが、状況は日本でも変わらない。「デモクラシーNOW!」日本版に期待したいものだ。







コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「マシアス・ギリの失脚」~池澤夏樹の知的な遠近法

2009-12-13 03:23:56 | 読書
 第44回スーパーボウル(来年2月7日)のハーフタイムショーにザ・フーが出演する。還暦を越えたピートとロジャーは20分ほどの演奏で、<史上最高のライブバンド>の片鱗を世界に示してくれるだろう。

 以前から池澤夏樹が気になっていた。絶大なる影響を受けた福永武彦の息子だからである。両親の離婚もあり、池澤が実父の存在を知ったのは高校生の頃だった。偉大な父の影は池澤を覆い、「小説を書いてみて、父との才能の差に愕然とした」(要旨)と、「100年インタビュー」(NHK-hi)で語っている。

 池澤は「世界文学全集」(河出書房新社)の責任編集者で、優れた書評家、翻訳者でもある。遅ればせながら、世界で屈指の読み手が書く小説に挑むことにした。600㌻を超える長編「マシアス・ギリの失脚」(新潮文庫)を読み進むうち、父福永とは遠近法が異なることに気付く。

 福永は深淵、絶望、原罪、愛するがゆえの孤独をテーマに、読む者の魂を揺さぶる作家だった。俺もまた「草の花」に慟哭して文学の扉を叩いたひとりである。濃密で鮮やかな表現を駆使する父とは対照的に、構造(世界の仕組み)を把握した池澤は、怜悧な俯瞰の目で物語を組み立てる。

 本作に南米文学、とりわけ「予告された殺人の記録」(ガルシア・マルケス)の影響を感じた。宿命的な結末を暗示するタイトル、ジャーナリステックな手法も共通している。

 <ここ(メルチョール島)にあるのは解釈の地平を遥かに超えた聖性であり、個人の頭脳の解釈力を超越した共同体の束ねられた意志である>

 舞台であるナビダードは、かつて日本の植民地化だった南洋の小さな島国だ。言葉を超えた畏怖の念が根付いているが、マシアス・ギリ大統領は因習や伝統の継承者ではない。進駐した日本軍将校と親しくなった少年マシアスは戦後、日本に留学する。商売の基本を学んで帰国するや、日本で培った人脈を利用して財を築き、近代的価値観の体現者となる。

 食生活や感受性、死生観まで日本人に近いマシアスを不安に陥れる事件が相次いだ。旧日本兵からなる慰霊団を迎える式典で日の丸が炎上し、日本の強権支配の象徴だった鳥居が倒される。そして、慰霊団一行を乗せたバスが忽然と消えた。失踪したバスのその後は、物語の底流を成すファンタジーになる。

 マシアスの話し相手である亡霊、男女問わずマシアスを庇護する者たち、巫女エメリアナ、ナビダードに滞在するゲイの白人カップル、芸術や酒を巡る薀蓄、織り込まれた〝史実の数々〟……。本作には個性的な登場人物と様々な仕掛けが用意されている。世界を放浪した作者は、〝外から目線〟で日本を抉っていた。
  
 <移動と運搬は経路の一方の側に富をもたらし、他方の側を貧しくする。価値は一方向に流れるのだ>

 16年前に書かれた本作には、世界の調和を乱すグローバリズム、権力者を潤すODA、投下した資本が先進国に還流するシステムへの疑義が呈されている。自然破壊に繋がる石油備蓄基地計画(実は自衛隊の秘密基地?)のくだりは、普天間と辺野古をめぐる現在の日米の駆け引きを予言したかのようだ。<支配する者―隷属に安住する者>としてのナビダードと日本の関係は、そのまま日米の構図に置き換えてもいい。

 「マシアス・ギリの失脚」は巨視と先見性に基づく精緻な設計図によって構成され、文学の可能性を提示した作品だった。今後も長編を中心に、父福永と別ベクトルの池澤ワールドに浸ることにする。

 最後に、阪神ジュベナイルフィリーズの予想、いや、願望を。馬券を離れ、POG指名馬⑯シンメイフジを応援する。池澤の父にちなみ、福永祐一が駆る①メイショウデイムと⑯との馬連、ワイドだけ購入するつもりだ。池澤同様、偉大な父(洋一)の背中を追う道を選んだ福永には、阪神JFはともかく、有馬記念での好騎乗(セイウンワンダー)を期待している。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ロックの旅再び~リスタートはニューヨークから

2009-12-10 00:10:26 | 音楽
 5年前に会社を辞めてから、事実上ロックを引退した。理由は財政緊縮で、〝仕分け作業〟の結果、CD購入を抑えることになったからだ。新譜を欠かさず買うバンドはミューズ、ブロック・パーティー、キングス・オブ・レオン、ソニック・ユース、マニック・ストリート・プリーチャーズぐらいになっていたが、生活に余裕が生じたので、現役に復帰することにした。

 空白の5年間、当ブログで<ロックは滅びつつある>などと記したが、置いてきぼりを食らった者の繰り言だったのか。最前線の音を求め、新宿のタワーレコードに向かう。AではなくZから回ったことが、俺にとって幸いだった。

 いきなり目に留まったのが<Y>のヤー・ヤー・ヤーズである。スカパーで放映されたグラストンベリー'09のハイライトで、カレンOの存在感にゾクッときたのは4カ月前のこと。4th「イッツ・ブリッツ!」(09年)を手にレジに向かった。

 <ビョークが在籍したシュガーキューブスに似ている>が第一印象だった。カレンOはおちゃめなシャーマンといった雰囲気で、同じくニューヨークを拠点にした女性ロッカーなら、パティ・スミスよりデボラ・ハリー(ブロンディ)にイメージが近い。2nd「フィーヴァー・トゥ・テル」(03年)の硬質さにポップを加えた本作は、表情豊かでクオリティーが高いアルバムだ。

 ライナーノーツによると、ニック・シナーはエッジ(U2)も絶賛するギタリストという。そのニックがシンセサイザーをかき鳴らす本作は、エレポップの系譜にも連なる。ボーナストラックのアコースティックバージョンを含め、年季の入ったロックファンは本作に懐かしさと和みを覚えるはずだ。

 「イッツ・ブリッツ!」が気に入ったので、ロック再出発の旅をNYから始めることにした。NY系のバンドをリストアップしてタワレコに向かったが、CDが売れないご時世、シンズなど05年前後に発売された国内盤は殆どが廃盤で、輸入盤を含め入手は難しいと店員から聞かされた。

 購入した中で刺激的だったのは、LCDサウンドシステムの2nd「サウンド・オブ・シルバー」(07年)だ。ライナーノーツによると、LCDはストリーツと似た形態で、ジェームス・マーフィーの個人プロジェクトである。サンプリングした音を重ねた本作は、ロックではなくハウスやテクノに分類され、世界中のクラブで大人気のダンスミュージックという。

 輸入盤を買っていたらLCDの成り立ちを知ることなく、「トーキング・ヘッズとニュー・オーダーの方法論を継承した」なんて書いて失笑されたかもしれないが、俺の直感は果たして的外れなのだろうか? 頑固な俺の耳には聴けば聴くほど、<LCD=21世紀のトーキング・ヘッズ>と響いてくる。

 「サイコ・キラー77」(77年)、「モア・ソングス」(78年)、「フィア・オブ・ミュージック」(79年)、「リメイン・イン・ライト」(80年)と問題作を1年に1枚のペースで発表したヘッズの革新性を、LCDらNY派が受け継いでいることは間違いない。

 俺が「どこかで聴いたことある」と感じるのは当然で、文学や映画と同様、ロックも循環しながら深化し進化する。ヘッズやクラッシュのように民族音楽との融合を志向するバンドがいずれ最前線に躍り出ることを、俺は密かに期待している。

 ブランクを埋めるためには道標が必要だ。日本の音楽誌だけでなく、NMEとQマガジン(ともにUK)のアルバムベストテンをCD購入の参考にするつもりだ。荒みを濾過し、孤独を癒やしてくれるロックとは、死ぬまで付き合うことになるだろう。



コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「THE WAVE~ウェイヴ」が覚醒させるリアルな恐怖

2009-12-07 00:36:51 | 映画、ドラマ
 週末は会社員時代の後輩女子3人に囲まれ、和やかなひと時を過ごした。いずれとも4年ぶりの再会である。俺ぐらいの年になると、<忘れられていないこと>がしみじみ嬉しい。

 当時は「会社でキャバクラできて幸せですね」なんて皮肉を言われたりしたが、退社後5年、社会の荒波に揉まれた俺はすっかり更生した。現在の仕事場ではまじめで通っている……。ホンマかいな? 

 南アW杯の組み合わせが決まった。E組は強豪揃いで、日本の決勝トーナメント進出は厳しいだろう。従来通り〝ガラス細工〟のオランダを応援するが、魅力的な攻撃陣を擁する〝本命〟スペインに浮気するかもしれない。

 前置きが長くなったが、本題に。ドイツで年間興行成績1位を記録した「THE WAVE~ウェイヴ」(08年/デニス・ガンゼル監督)を見た。本作を見た方は、同じくドイツ映画の「es〔エス〕」(01年)を思い浮かべるはずだ。ともにアメリカで実際に起きた事件(実験)を基に制作された作品で、「es」は刑務所、「ウェイヴ」は高校を舞台にしている。

 とある高校で特別実習が始まる。生徒がテーマを選択し、1週間続けて講義を受けるというシステムだ。水球部コーチで体育教師のベンガー(ユルゲン・フォーゲル)は<無政府主義>の講師を希望するも叶わず、渋々<独裁主義>を担当することになる。

 ベンガーは旧東ドイツで反体制運動に関わっており、冒頭で着ていたラモーンズのTシャツが、その感性を端的に表している。独裁と管理に対峙した経験が、実習に役立つことになった。ベンガーは独裁の仕組みを生徒に身をもって体験させるため、以下のルールを定める。

<ルール①>=様をつけてベンガーを呼ぶこと
<ルール②>=ベンガーの許可なく発言しないこと
<ルール③>=仲間と協力すること
<ルール④>=制服として白シャツを身に着けること

 生徒に慕われていたベンガーだが、実習クラスが「ウェイヴ」と名付けられた頃にはカリスマと化していた。トルコ系移民、パンク、いじめられっ子、悪童たちは、普段の仲の悪さを克服し、HP作成や街中での落書きなどで「ウェイヴ」の存在を誇示するようになる。ティムのように<実=日常>と<虚=実習>の境界を見失い、「ウェイヴ」に生きがいを覚える生徒まで出てきた。

 水球部員のマルコも熱に浮かされた一人だったが、彼の恋人カロは違和感を覚え、全校に向け警告を発する。「ウェイヴ」は生みの親たるベンガーのコントロールから逃れ、フランケンシュタインの如く自己主張を始めた……。

 本作には、高校生がナチスや社会主義について言及する台詞も多い。ドイツの隣国フランスでは中高生がデモを企画し、政府に方針変更を迫っている。欧米だけではなく、韓国や台湾でも10代がムーヴメントの起点になるケースが目立っている。若いうちから価値を論じ、「ウェイヴ」を起こすことは個の強化と国の活力に繋がるが、日本では〝先進国の常識〟は当てはまらない。国民は飼い慣らされ、とりわけ若者は閉塞感に苛まれている。

 本作に描かれた熱く顕在化した狂気はいずれデッド・エンドで炎上する。より恐ろしいのは、この国に蔓延するしめやかで静かな狂気の方だ。きりもみ状に螺旋を描き、沈黙と服従に堕ちていく。



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「シリコンバレーから将棋を観る」~新しい将棋の楽しみ方

2009-12-04 02:24:45 | カルチャー
 腕を勢い良く振って競うように歩く老夫婦、芝居の練習をする若者グループ、頬を火照らせて叢から湧いてくる制服姿のカップル……。墓標のように立ち並ぶ高層ビル群の足元に横たわるのは、俺がウオーキングとマンウオッチングを楽しむ新宿中央公園だ。

 光より影が屈折したプリズムに、行き場を失くした者が吸い寄せられてくる。しおれ、しなびた風情が目立つ中、威勢がいいのが盤を囲むおっさんたちだ。アナログ的な将棋の愛され方に触れ、足取りも軽くなる。

 「シリコンバレーから将棋を観る~羽生善治と現代」(梅田望夫)を読んだ。著者はシリコンバレー在住のIT業界人で、趣味の第一に<将棋鑑賞>を挙げている。

 <「それくらい捕れよ」なんて言いながら、プロ野球を見る。同じことを将棋でやってもらいたい。「それくらい捕れよ」と言うが、自分には絶対できない。将棋もそんなふうに無責任に楽しんでほしい>(要旨)

 著者は渡辺竜王の著書から引用し、将棋鑑賞の可能性を示している。我が意を得たりとはこのことで、俺も当ブログで以下のように記している。

 <俺みたいにファジーでヘタレの文系人間など、修業を積んだっておのずと限界がある。将棋も麻雀も実戦から遠ざかり、ペーパープレーヤーとしてテレビ観戦を楽しむ毎日だ>(07年1月11日)

 <「将棋って何が面白い?」が大抵の人の感想に違いない。俺はボクシングやNFLと同じ感覚で楽しんでいる>(08年3月4日)

 将棋は俺にとってスポーツ観戦の範疇で、奇跡的な大逆転も頻繁に起きるエンターテインメントなのだ。

 本書は<観る>という将棋の新しい楽しみ方を説くだけではない。羽生名人との対談、著者自身によるタイトル戦のリアルタイム観戦記、棋界をリードする棋士(佐藤9段、深浦王位、渡辺竜王)との会話やメールのやりとりも収録され、劇的な進化を遂げた現代将棋の実相に迫っている。

 著者は羽生を<ビジョナリー>と規定している。ビジョナリーとは<自らのビジョンを実現するために行動する過程で、未来の本質を示唆する何かを表現する人>という。

 羽生の芸術家肌の気質、詩的な表現も魅力だが、著者は情報に対する姿勢を大きく評価している。羽生は90年代前半、「羽生の頭脳」(全10巻)を著し、自らの到達点を等身大でさらけ出した。22歳から25歳にかけての時期である。勝負にこだわるなら確実にマイナスに左右する<情報の共有化>を実践した羽生を、<将棋の世界でYahoo!ゃGoogleに先んじる意識革命を起こした>と著者は絶賛する。羽生によって棋界の風景は以下のように変わった。

 A9段が〝特許〟を申請したいような手順を編み出し、B8段を一蹴した。A9段は大リーグボールをお披露目した星飛雄馬の気分で10日後、次の対局に臨む。相手は新進気鋭のC7段だ。楽勝のはずが、序盤でたちまち手詰まりになる。自らの新趣向が既に丸裸にされていることに気付き、A9段は愕然とする……。

 多少の誇張はあるが、21世紀の棋界は情報戦争の様相を呈している。新手が出れば、天才たちが集結して対策を講じ、秀逸な分析は棋界全体で共有される。勝利の機会は均衡に近づくはずなのに、群れから距離を置く羽生が現在も4冠を保持している。その理由を問われ、羽生は<野性>と答えた。<野性とは計算や論理を超えた力で、人間の直観力がすべてを左右する「けものみち」でこそ真価が試される>(要旨)と著者は噛み砕いている。

 安易な結論を極端に嫌う羽生は、知と理で割り切れない将棋の深さを把握している。勝敗と関係なく優れた棋譜を後世に残すことを自らに課しており、相手が悪手を指すと不快な表情を浮かべるという。「自分はトップランナーではない」と言い切る謙虚さも感動的だ。

 将棋は他の日本の伝統芸能――歌舞伎、相撲、落語――に人気で大きく差をつけられていると思っていたが、本書で衝撃的な数字を目にする。昨年の竜王戦のネット中継は7600万アクセス(7戦合計)を記録したという。<観るを楽しむ>仲間が増えているのは心強い。

 将棋について書きたいことは山のようにあるが、ページが尽きた。いずれ稿を改めたい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする