ロシアのウクライナ侵攻が続いている。短期決着を目指したプーチンだが、ウクライナの抵抗と経済制裁で追い込まれているようだ。最新の状況はリアルタイムで報道されており、俺があれこれ書いてもすぐ的外れになる。そんな時に野球観戦なんて後ろめたい気もするが、先週土曜、横浜スタジアムに足を運んだ。開幕3連敗で、オースティンとソトが復帰するまで苦しい続きそうだ。
「コーダ あいのうた」がアカデミー賞作品賞に輝いた。主人公の父親を演じた聾者のトロイ・コッツが助演男優賞に輝いたあたりで流れを予感したが、その通りになった。「コーダ」を紹介した稿を<本作もスカー候補といわれている。多様性を希求するヒューマンストーリーだけにチャンスは大きいのではないか>と締めた。今回の授賞式のテーマは<愛と多様性>といえるだろう。
「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994年、ロバート・ゼメキス監督)の4Kニューマスター版を新宿シネマカリテで観賞した。27年ぶりの再会になる。、四半世紀を経ても輝きは褪せず、普遍的なテーマ、即ち<愛と多様性>が織り込まれていた。「フォレスト」はKKK創設者の名前からで、「ガンプ」はアラバマ州の方言で〝うすのろ〟の意味だ。
「フォレスト・ガンプ」の韓国版、「国際市場で逢いましょう」も当ブログで紹介している。「フォレスト・ガンプ」の冒頭はバス停留所だ。空中を漂う羽が、隣席の人に来し方を語るフォレスト(トム・ハンクス)の足元に落ちた。「国際市場で――」のオープニングでは、一羽の蝶が釜山の国際市場を舞う。
母(サリー・フィールド)は養護学校入学を拒み、フォレストを普通の小学校に通わせる。仲間外れにされる中、唯一心を開いてくれたのがジェニーだった。知能指数が低く、湾曲した背骨のせいで脚装具を着けていたフォレストは、いじめを受けた時、天与の才能を発揮する。ジェニーの「走って」の声に駆け出すと、脚装具は壊れたが、フォレストのスピードに自転車は追いつけなかった。
走ることが〝性〟になったフォレストは、アラバマ大フットボール部のRBとして大活躍し、ベトナムでは脚力を生かして味方の命を救う。巨万の富を得たものの、再会したジェニー(ロビン・ライト)は去り、母は召された。孤独を癒やすためフォレストは走り出し、全米を何回も縦断する。平和を願って、自由のため、それともジェニーを見つけるため?……。伴走者も増え、〝フォレスト巡礼団〟の様相を呈するが、「疲れた。家に帰る」と立ち止まる。
史実とフィクションが混淆するメタフィクション(オートフィクション)の手法を用いた作品ゆえ、エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノンら著名人と次々に出会い、歴史的な場面に遭遇する。アラバマ大では黒人学生入学を拒否するウォレス州知事と同じフレームに入り込んでいた。差別撤廃を目指すケネディ大統領には全米代表チームの一員としてホワイトハウスに呼ばれる。
ジョンソン、ニクソン両大統領とも言葉を交わすが、フォレストの通報がウォーターゲート事件発覚のきっかけになるという設定だ。大規模な反戦集会、米中のピンポン外交でもフォレストは期せずして重要な役割を果たす。上記したように<愛と多様性>が本作に通底するテーマだった。
ジェニーへの一途な愛がメインストーリーだ。幸せを拒んで漂流するジェニーはトラウマを抱えていた。幼い頃に受けた父親からの性的暴力は現代的な社会の傷といえる。ジェニーに対してだけでなく、フォレストはベトナムでの戦友にも誠意を尽くす。バッハ(ミケルティ・ウィリアムソン)とエビ漁船の夢を語り合い、バッハ亡き後、ダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)が遺志を引き継ぐことになる。シニーズは「CSI:ニューヨーク」のマック・テイラー主任役で馴染みが深い。
うすのろとからかわれ、脚装具を着けた少年時代のフォレストは、多くの者から差別の対象だった。バッハはアフリカ系で、両脚を失い荒んだ日々を送るダンを支え続けた。後半でダンの婚約者として登場する女性はアジア系だった。時代の空気を先取りした作品で、オスカー6部門獲得のみならず、多くの栄誉に浴したのも当然だと思う。温かなカタルシスに余韻は去らず、〝俺には一途さが足らなかったのか〟と自身の過去を顧みてしまった。
CCR、ボブ・ディラン、ビーチ・ボーイズ、ジミ・ヘンドリクス、ママス&パパス、バファロー・スプリングフィールド、サイモン&ガーファンクル、ジェファソン・エアプレイン、バーズ、フィフス・ディメンション、スリー・ドッグ・ナイト……。時代を象徴するヒットチューンが流れる中で、3曲挿入されたドアーズが印象的だった。
「人生はチョコレートの箱のよう。開けてみないと中身はわからない」……。死の床に伏す母は息子に問いかける。人生の意味を問う含蓄ある言葉がちりばまれていた。
「コーダ あいのうた」がアカデミー賞作品賞に輝いた。主人公の父親を演じた聾者のトロイ・コッツが助演男優賞に輝いたあたりで流れを予感したが、その通りになった。「コーダ」を紹介した稿を<本作もスカー候補といわれている。多様性を希求するヒューマンストーリーだけにチャンスは大きいのではないか>と締めた。今回の授賞式のテーマは<愛と多様性>といえるだろう。
「フォレスト・ガンプ/一期一会」(1994年、ロバート・ゼメキス監督)の4Kニューマスター版を新宿シネマカリテで観賞した。27年ぶりの再会になる。、四半世紀を経ても輝きは褪せず、普遍的なテーマ、即ち<愛と多様性>が織り込まれていた。「フォレスト」はKKK創設者の名前からで、「ガンプ」はアラバマ州の方言で〝うすのろ〟の意味だ。
「フォレスト・ガンプ」の韓国版、「国際市場で逢いましょう」も当ブログで紹介している。「フォレスト・ガンプ」の冒頭はバス停留所だ。空中を漂う羽が、隣席の人に来し方を語るフォレスト(トム・ハンクス)の足元に落ちた。「国際市場で――」のオープニングでは、一羽の蝶が釜山の国際市場を舞う。
母(サリー・フィールド)は養護学校入学を拒み、フォレストを普通の小学校に通わせる。仲間外れにされる中、唯一心を開いてくれたのがジェニーだった。知能指数が低く、湾曲した背骨のせいで脚装具を着けていたフォレストは、いじめを受けた時、天与の才能を発揮する。ジェニーの「走って」の声に駆け出すと、脚装具は壊れたが、フォレストのスピードに自転車は追いつけなかった。
走ることが〝性〟になったフォレストは、アラバマ大フットボール部のRBとして大活躍し、ベトナムでは脚力を生かして味方の命を救う。巨万の富を得たものの、再会したジェニー(ロビン・ライト)は去り、母は召された。孤独を癒やすためフォレストは走り出し、全米を何回も縦断する。平和を願って、自由のため、それともジェニーを見つけるため?……。伴走者も増え、〝フォレスト巡礼団〟の様相を呈するが、「疲れた。家に帰る」と立ち止まる。
史実とフィクションが混淆するメタフィクション(オートフィクション)の手法を用いた作品ゆえ、エルヴィス・プレスリー、ジョン・レノンら著名人と次々に出会い、歴史的な場面に遭遇する。アラバマ大では黒人学生入学を拒否するウォレス州知事と同じフレームに入り込んでいた。差別撤廃を目指すケネディ大統領には全米代表チームの一員としてホワイトハウスに呼ばれる。
ジョンソン、ニクソン両大統領とも言葉を交わすが、フォレストの通報がウォーターゲート事件発覚のきっかけになるという設定だ。大規模な反戦集会、米中のピンポン外交でもフォレストは期せずして重要な役割を果たす。上記したように<愛と多様性>が本作に通底するテーマだった。
ジェニーへの一途な愛がメインストーリーだ。幸せを拒んで漂流するジェニーはトラウマを抱えていた。幼い頃に受けた父親からの性的暴力は現代的な社会の傷といえる。ジェニーに対してだけでなく、フォレストはベトナムでの戦友にも誠意を尽くす。バッハ(ミケルティ・ウィリアムソン)とエビ漁船の夢を語り合い、バッハ亡き後、ダン・テイラー中尉(ゲイリー・シニーズ)が遺志を引き継ぐことになる。シニーズは「CSI:ニューヨーク」のマック・テイラー主任役で馴染みが深い。
うすのろとからかわれ、脚装具を着けた少年時代のフォレストは、多くの者から差別の対象だった。バッハはアフリカ系で、両脚を失い荒んだ日々を送るダンを支え続けた。後半でダンの婚約者として登場する女性はアジア系だった。時代の空気を先取りした作品で、オスカー6部門獲得のみならず、多くの栄誉に浴したのも当然だと思う。温かなカタルシスに余韻は去らず、〝俺には一途さが足らなかったのか〟と自身の過去を顧みてしまった。
CCR、ボブ・ディラン、ビーチ・ボーイズ、ジミ・ヘンドリクス、ママス&パパス、バファロー・スプリングフィールド、サイモン&ガーファンクル、ジェファソン・エアプレイン、バーズ、フィフス・ディメンション、スリー・ドッグ・ナイト……。時代を象徴するヒットチューンが流れる中で、3曲挿入されたドアーズが印象的だった。
「人生はチョコレートの箱のよう。開けてみないと中身はわからない」……。死の床に伏す母は息子に問いかける。人生の意味を問う含蓄ある言葉がちりばまれていた。