世界男女平等度ランキングが発表され、日本は120位で韓国102位、中国107位を下回った。<同性婚を認めないなど日本はジェンダーへの理解が乏しい>が先進国の一般的な認識だ。莫大な供託金は世界で希だし、EU加盟の条件の死刑廃止は程遠い。日本は<世界標準>に背を向けたガラバゴス国家になってしまった。
供託金違憲訴訟では裁判長の姿勢にも呆れかえった。宇都宮健児氏が団長を務める原告側弁護団はOECD加盟37カ国の供託金の現状を提示したが、<先進国で不要な供託金も日本に適している>という政府におもねった判決を下した。〝有象無象が立候補すれば選挙は成り立たない〟という民主主義にそぐわない俗論と同じだ。
先週末、「さようなら原発 首都圏集会」(日比谷野音)に参加した。ソーシャルディタンスを保つため1300人に制限されており、開会15分前に着いたら残り10人ほどでぎりぎりセーフだった。集会は1時間弱、デモのコースも東電前、銀座、鍜治橋駐車場前とコンパクトだった。
原発関連のニュースが相次いでいる。水戸地裁は日本原電に東海第二原発の運転差し止めを命じた。規制委はテロ対策不備で柏崎刈羽原発への核燃料搬入を禁じる。危惧されていた通り、福島第一原発事故で生じた汚染水を溜めるタンクが限界に近づき、海への放出が現実になろうとしている。
福島原発事故がもたらした惨禍を直視し、<この国を変えるための分岐点になる>と希望を抱いた人たちもいた。俺もそのひとりだが、分岐点どころかバルブは閉じられ社会は閉塞する。永田町と霞が関に漂う腐臭は、モラル欠落、政治の私物化が主成分だ。エネルギー政策の転換と情報公開に舵を切っていたら、日本はガラパゴス化を止め、世界標準に近づいていたのではないか。
世界がコロナ禍に喘ぐ今、政府は五輪開催を諦めていない。五輪誘致の決定打となった<アンダーコントロール発言>が事実無根であることが明らかになった以上、安倍前首相は国民の前で謝罪すべきだ。<コロナに勝った証しとして五輪を開催する>も虚言で、費やした巨費が復興に回っていたら、東北の風景は別のものになっていただろう。
金曜恒例の国会前の反原発デモが3月末で休止となった。参加者が減少し、資金難になったことが最大の理由という。俺は自分への叱咤を込めて<今必要なのは怒り>と記してきた。閑散としたデモコースを虚しさを覚えつつ歩いた後、満開の桜を愛でる。新青梅街道、哲学堂公園、中野通りは俺にとって最高の桜スポットだ。認知度が低く観光地化していないから、町行く人ものんびり楽しんでいる。
四季折々の移ろいに感応するようになったのは、会社を辞めた40代後半になってからだ。3・11と1年後の妹の死により、無常観が体内に一層染み込んできた。65歳になり、厚生年金に加え国民年金を受給出来る今年10月は、生き方を変える時機かもしれない。<自殺防止ボランティア>も考えているが、選考には通らないだろう。運だけで人生を乗り切った俺に、的を射たアドバイスは難しそうだ。
プロ野球が開幕し、センバツはあす決勝を迎える。中高生の頃は一年で一番、心がときめく日々だった。当時は巨人ファンで、教室で拮抗する阪神ファンとの丁々発止が楽しかった。浮気性の俺は上京するやアンチ巨人に転じ、広島、近鉄と贔屓を変える。熱烈というわけではなく、この20年は何となく横浜を応援している。
ベイスターズは最悪のスタートになったが、<やせ蛙 負けるな一茶 これにあり>の心境でゆったり見守りたい。外国人選手は来日しているが、出場するまでに時間はかかるだろう。50勝ぐらい出来れば御の字だと思うし、負けが込んでも腹は立たない。
別稿で、「岩合光昭の世界ネコ歩き」(NHK・BSプレミアム)を奥さんと楽しんでいる友人について記した。彼の影響か再放送(BSプレミアム)を毎週見ているうち、猫についての感じ方が変化した。日本の猫番組では狭い空間で、愛玩動物としていかに可愛いかがテーマになっている。でも、岩合が撮る猫の環境は全く異なる。
猫たちの行動範囲は実に広い。仲間と森に入り込んで遊んだり、狩りをしたり、海岸線まで1㌔を往復したり……。人々にとって猫はペットではなく仲間であり友人なのだ。驚いたのは親和性で、馬、牛、羊、山羊を飼う牧場で重宝されている。〝猫の手も借りたい〟というが、彼らは牧場で癒やしと和みをもたらす仕事人で、ともに暮らす犬とも仲良しだ。
都市部ではキャットフードが多いが、牧場では牛や山羊の生肉や乳を与えられている。海辺では採れたての魚の切れ端をおいしそうに食べていた。自然の中、恋を謳歌している気配も窺える。自由で野性的かつ人懐っこい姿を見て、日本で暮らす猫たちが不幸に思えてきた。老後、猫を飼おうかなと思っていたが、気持ちが揺らいでいる。
取り留めない雑感を記したが、読書が進まなかったための泥縄という。次稿ではヘビーな小説を紹介したい。
供託金違憲訴訟では裁判長の姿勢にも呆れかえった。宇都宮健児氏が団長を務める原告側弁護団はOECD加盟37カ国の供託金の現状を提示したが、<先進国で不要な供託金も日本に適している>という政府におもねった判決を下した。〝有象無象が立候補すれば選挙は成り立たない〟という民主主義にそぐわない俗論と同じだ。
先週末、「さようなら原発 首都圏集会」(日比谷野音)に参加した。ソーシャルディタンスを保つため1300人に制限されており、開会15分前に着いたら残り10人ほどでぎりぎりセーフだった。集会は1時間弱、デモのコースも東電前、銀座、鍜治橋駐車場前とコンパクトだった。
原発関連のニュースが相次いでいる。水戸地裁は日本原電に東海第二原発の運転差し止めを命じた。規制委はテロ対策不備で柏崎刈羽原発への核燃料搬入を禁じる。危惧されていた通り、福島第一原発事故で生じた汚染水を溜めるタンクが限界に近づき、海への放出が現実になろうとしている。
福島原発事故がもたらした惨禍を直視し、<この国を変えるための分岐点になる>と希望を抱いた人たちもいた。俺もそのひとりだが、分岐点どころかバルブは閉じられ社会は閉塞する。永田町と霞が関に漂う腐臭は、モラル欠落、政治の私物化が主成分だ。エネルギー政策の転換と情報公開に舵を切っていたら、日本はガラパゴス化を止め、世界標準に近づいていたのではないか。
世界がコロナ禍に喘ぐ今、政府は五輪開催を諦めていない。五輪誘致の決定打となった<アンダーコントロール発言>が事実無根であることが明らかになった以上、安倍前首相は国民の前で謝罪すべきだ。<コロナに勝った証しとして五輪を開催する>も虚言で、費やした巨費が復興に回っていたら、東北の風景は別のものになっていただろう。
金曜恒例の国会前の反原発デモが3月末で休止となった。参加者が減少し、資金難になったことが最大の理由という。俺は自分への叱咤を込めて<今必要なのは怒り>と記してきた。閑散としたデモコースを虚しさを覚えつつ歩いた後、満開の桜を愛でる。新青梅街道、哲学堂公園、中野通りは俺にとって最高の桜スポットだ。認知度が低く観光地化していないから、町行く人ものんびり楽しんでいる。
四季折々の移ろいに感応するようになったのは、会社を辞めた40代後半になってからだ。3・11と1年後の妹の死により、無常観が体内に一層染み込んできた。65歳になり、厚生年金に加え国民年金を受給出来る今年10月は、生き方を変える時機かもしれない。<自殺防止ボランティア>も考えているが、選考には通らないだろう。運だけで人生を乗り切った俺に、的を射たアドバイスは難しそうだ。
プロ野球が開幕し、センバツはあす決勝を迎える。中高生の頃は一年で一番、心がときめく日々だった。当時は巨人ファンで、教室で拮抗する阪神ファンとの丁々発止が楽しかった。浮気性の俺は上京するやアンチ巨人に転じ、広島、近鉄と贔屓を変える。熱烈というわけではなく、この20年は何となく横浜を応援している。
ベイスターズは最悪のスタートになったが、<やせ蛙 負けるな一茶 これにあり>の心境でゆったり見守りたい。外国人選手は来日しているが、出場するまでに時間はかかるだろう。50勝ぐらい出来れば御の字だと思うし、負けが込んでも腹は立たない。
別稿で、「岩合光昭の世界ネコ歩き」(NHK・BSプレミアム)を奥さんと楽しんでいる友人について記した。彼の影響か再放送(BSプレミアム)を毎週見ているうち、猫についての感じ方が変化した。日本の猫番組では狭い空間で、愛玩動物としていかに可愛いかがテーマになっている。でも、岩合が撮る猫の環境は全く異なる。
猫たちの行動範囲は実に広い。仲間と森に入り込んで遊んだり、狩りをしたり、海岸線まで1㌔を往復したり……。人々にとって猫はペットではなく仲間であり友人なのだ。驚いたのは親和性で、馬、牛、羊、山羊を飼う牧場で重宝されている。〝猫の手も借りたい〟というが、彼らは牧場で癒やしと和みをもたらす仕事人で、ともに暮らす犬とも仲良しだ。
都市部ではキャットフードが多いが、牧場では牛や山羊の生肉や乳を与えられている。海辺では採れたての魚の切れ端をおいしそうに食べていた。自然の中、恋を謳歌している気配も窺える。自由で野性的かつ人懐っこい姿を見て、日本で暮らす猫たちが不幸に思えてきた。老後、猫を飼おうかなと思っていたが、気持ちが揺らいでいる。
取り留めない雑感を記したが、読書が進まなかったための泥縄という。次稿ではヘビーな小説を紹介したい。