酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

満映とピストン堀口~ノンフィクションWで戦争を考える

2014-08-31 17:34:03 | カルチャー
 敗戦の日前後にノンフィクションW(WOWOW)の枠で2本のドキュメンタリーが放映された。録画しておき、週末に続けて見る。共通するテーマは戦争で、満州映画協会(満映)製作の「私の鶯」(1943年)発見の経緯、戦争に翻弄されたピストン堀口の人生に迫っている。背景と合わせ感想を記したい。

 まずは「満州映画70年目の真実~幻のフィルム『私の鶯』と映画人の情熱」から……。満州国は1932年に成立した日本の傀儡国家である。満州人の懐柔を目的に設立されたのが満映で、理事長として君臨したのは甘粕正彦だ。関東大震災時、大杉栄、伊藤野枝とその甥の惨殺(甘粕事件)に関わったとされるが、上層部の罪を被ったとする説が主流になりつつある。満州人にも慕われた甘粕を、〝麻薬王〟里見甫と並ぶ満州の実効的指導者とみる史家もいる。

 太平洋戦争に突入した1941年、島津保次郎監督は時世にそぐわぬミュージカル映画を企画した。李香蘭(山口淑子)を主役に据えた「私の鶯」は、映画法(国家による統制)が制定された日本での製作は不可能だった。映画法に反対して拘留された左翼の論客、岩崎昶(映画評論家)は出獄後、満映に迎えられる。満映と東宝合作の形で製作し、外国映画として輸入するという岩崎のウルトラCが承認され、極寒の満州でクランクアップした。

 編集担当として「私の鶯」に携わった岸冨美子さん(94歳)の証言と山田洋次監督のコメントを軸に、ドキュメンタリーは進行する。発見されたフィルムは1時間半以上のはずが70分しかない。公開直前に上映禁止となり、戦後はGHQの検閲に備えて再編集され、タイトルも改変されていた。「私の鶯」が辿った道は、現在の日本と無縁ではない。秘密保護法により、ドキュメンタリーの現場では自己規制が始まっているという。

 中国戦線で多くの映画関係者が召された。不世出の天才と謳われた山中貞雄(享年28)もそのひとりである。戦地に慰問に訪れたピストン堀口の試合を、山中が見た可能性は高い。「拳闘こそ我が命~戦争に翻弄されたボクサー~ピストン堀口」は、堀口の生き様、死に様に迫る感動のドキュメンタリーだった。

 ボクシングは戦前、最も人気のあるスポーツで、堀口の知名度は首相を上回るほどだった。今でいえば、〝浅田真央+ダルビッシュ+田中将大〟といったところか。デビュー間もなく世界のトップと引き分けた堀口は、肉を斬らせて骨を断つラッシュ戦法で時代の寵児になる。徴兵検査で丙種となった堀口は、「兵隊さんに申し訳ない」と拳闘報国の一念で慰問ツアーを続ける。

 内山高志(WBAスーパーフェザー級王者)は堀口の過酷なスケジュールに驚愕し、「途轍もない疲労が蓄積していたはず」(要旨)と語っていた。堀口は戦後、「戦争協力者」と批判され、負け続きでもリングに立つ。引退勧告を受けてグローブをおいた半年後、列車事故で亡くなった(享年36)。

 堀口の戦後に、俺は感銘を受けた。<私は過去の試合で、こうして勝つのだと示してきました。今度は負けるというのはこういうことだと示したいと思っています>との言葉を残している。「金の亡者」と罵られながら負け続けた堀口の懐に金は入らず、死を迎えた時は貧窮していた。

 堀口は興行収入を、海外からの引き揚げ者や戦災孤児への基金に充てていた。戦争を煽り、兵士を死地に送ったことで、自責の念に苛まれていたのだ。その生き様は、戦後の支配層に潜り込んだA級戦犯、戦争遂行者(メディアを含む)と対照的に清々しい。勝利に執念を燃やし、晩年は自らを穿つようにリングに蹲る……。拳聖と呼ばれた男の生涯は苦行僧に似ている。死は堀口にとって贖罪であり、解放だったのかもしれない。

 自身の人生を振り返ると、戦いを避けた不戦敗の連続だった。とはいえ、悔いているわけでもない。この温さこそ、凡人の俺に相応しい生き様なのだから……。
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モリッシーとジャック・ホワイトに和み、癒やされる

2014-08-27 23:43:25 | 音楽
 フェイスブックに登録しているが、友達はわずか4人……。そんな俺だが喧嘩友達はいる。紀伊國屋で先日、そのひとりのAと出くわした。「ピカデリーでこれ(指を立て)と映画を見る」という。〝おまえにそんな女はいないだろう〟と言いたげだった。二元論好きで上から目線の自信家であるAに近況を聞かれ、「ブログの読者が激減した」と言うと、「理由を教えてやるよ」とニヤリ笑い、踵を返した。翌日に届いたメールを抜粋する。

 <おまえの緑の党入会は俺にとってツッコミどころだけど、少ない読者の大半は反発を覚えたはずだ。「緑の党」を創価学会、共産党、維新の会、社民党や生活の党に置き換えてもいい。日本人は中庸を好むから、極端、異質、未知を嫌う。何かの側に立つことは嘲笑の的になる。おまえのブログが、いや、おまえ自身が忌避感を抱かれたのは当然だ。党の仲間を読者にして減った分を補填するしかない>

 なるほどね……。でも、<格差と貧困こそ日本の最大の課題>と考える俺は、党内ではアウトサイダーだ。ギャンブルと無縁の真面目な会員は、競馬予想に眉を顰めるに違いない。偽悪的なトーンに辟易するだろう。そもそも俺にとってブログは、忘備録、遺書代わり、不善を為さぬためのストッパーだ。読者が減っても、思いの丈を気楽に記したい。

 さて、本題……。読書のBGMとして聴いているモリッシーの新作「世界平和など貴様の知ったことじゃない」(2枚組)が皮膚を食い破り、俺の内側に浸潤してきた。18曲はクオリティーが高く、モリッシー独特のアイロニカルな世界観に彩られている。

 30年前を思い出す。ニートの走りだった俺は大学卒業後、フリーターをしていた。その頃(84年2月)、スミスの1st(輸入盤)を購入する。繰り返し聴いてレコードは擦り切れ、数カ月後に国内盤を買う。俺はその頃、勤め人になっていた。

 国内盤の帯は「20年ぶりの衝撃」で、ビートルズ以来の新人登場という大仰なキャッチフレーズは、スミスの未来を言い当てていた。アルバム4枚で解散したが、英NME誌の読者投票で「20世紀を代表するバンド」に選出される。米最大のコーチェラフェス主催者は一夜限りの再結成を毎年オファーし、モリッシーとジョニー・マーが断りのコメントを出すのがお約束になっている。
 

 25歳だったモリッシーは55歳になり、27歳だった俺は57歳だ。モリッシーの声が秘める得体の知れぬ魔力は健在だが、今の俺には心地良い。癒やしを覚え、眠くなるほどだ。この30年、俺は中身が変わらないままクチクラ化したのだろう。

 同じくBGMとして重宝しているのは、ジャック・ホワイトの2nd「ラザレット」だ。〝永遠のギターキッズ〟も不惑まであと1年。ホワイト・ストライプス時代の斬新さはそのままで、エモーショナルでサイケデリックなブルースを奏でている。〝既聴感〟を覚え、時計を逆戻ししても針は止まらない。ノスタルジーを喚起する音だ。

 最先端を聴くのがロックファンの存在理由と確信していたけど、今夏のフジロックではアーケイド・ファイアではなくマニック・ストリート・プリーチャーズを見た。再結成したトラヴィス、ルーツミュージックをベースにするルミナーズに心が和むのを覚えた。還暦が迫り、感性も変わってきたのだろう。

 4年前のフジロックではローカル・ネイティヴスを発見し、ミュートマスの独創的なパフォーマンスに度肝を抜かれた。2度目になるダーティー・プロジェクターズも刺激的だった。その後、彼らはどうなったか。ローカル・ネイティヴスはブレークに至らず、ミュートマスは近況を聞かなくなった。ダーティー・プロジェクターズは普通のロックバンドになり、プリミティブかつ祝祭的な雰囲気が消えている。

 最先端は瞬く間に消費され、1周遅れになる。アンテナが鈍くなった俺は今後、馴染みとの再会を楽しむことになるだろう。9月に発売されるインターポールとブロンド・レッドヘッドの新作が楽しみだ。
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「夜は終わらない」~神話の領域に飛翔した星野智幸

2014-08-24 23:40:18 | 読書
 暑さで脳がふやけ、ぼんやり眺めるテレビに、広島の惨状が映し出される。俺に出来ることは、セブンイレブンで買い物するたび、些少な額を募金箱にチャリンと落とすぐらいだ。池澤夏樹は「春を恨んだりしない」で、<災害と復興がこの国の歴史の主軸ではなかったか>と綴っていた。災害によって無常観と諦念をDNAにインプットされた日本人は、政府や自治体の無策まで天災として受け入れるようになる。

 <美しい国>、<国を守る>を標榜する安倍首相だが、アメリカとの約束を守り辺野古の美しい自然を汚すことを躊躇しない。ゴルフも休暇も切り上げ、作業服で広島に向かうのが通常のパターンだが、首相と周辺は日本人的メンタリティーを持ち合わせていないようだ。

 試行錯誤を繰り返した石川淳は、80歳で最高傑作を発表する。「狂風記」(1980年)はギュンター・グラスの「ひらめ」に比すべき文学の到達点と評価された。星野智幸もまた、石川の道を辿っているのではないか。新作「夜は終わらない」(講談社)読了後、そんな感慨に浸っている。

 映画化された「俺俺」から4年、朝日新聞に寄稿した「宗教国家日本」が反響を呼ぶなど、星野は社会への直言で耳目を集めた。都知事選についての論考に共感し、当ブログでも繰り返し紹介した。鋭い社会分析は小説の質アップに繋がらないが、星野は「俺俺」から驚くべき進化、深化を遂げていた。

 <鬼才が挑んだ現代の「千夜一夜物語」~一度入り込んだら抜け出せない命がけの最期の物語>の帯が、本作を見事に言い当てている。寓意と想像力に満ちた本作は、小説を超え、神話の領域に達している。導入部はクライムサスペンス風も、ちりばめられた幾つもの断片が後半になって発光し、迷宮のプリズムを歩く道標になる。

 一応の主人公は玲緒奈と久音だ。玲緒奈は心と体を化粧して孤独で冴えない男に接近し、消費し尽くす。命を奪う前に「私が夢中になれる話をして」と男に要求し、つまらないと思えばジ・エンドだ。殺しの連鎖にストップを掛けたのが久音で、彼の語る物語に玲緒奈は引き込まれていく。

 久音は語り、玲緒奈は聞く。作者は同一の位相を用意し、読む側をも物語に引きずり込んだ。登場人物は性別や年齢を超越し、彼らの物語の登場人物もまた、物語を創り出す。派生し、枝分かれしたパラレルワールドは、玲緒奈を、そして読者を麻痺させ、同時に覚醒させる。麻薬のような毒にあたった玲緒奈と読者は、物語が無限に続くことを願うのだ。

 星野文学の特徴は<多様性の追求>と<重層的でシュールなアイデンティティーの浸潤>だ。本作でも男と女、人間とイルカ、人間とアンドロイドが混濁する。福島原発事故を想起させる星工場(=原発)が後段の核になり、語り手(ウキオ)は推進派と反対派を行き来するうち、自分が何者なのかわからなくなっていく。

 <対立という構図は鏡みたいなものなんだよ。鏡に映った像というのは、すべてが逆さまになっていつだけで、じつはそっくり同じものだろ>……。推進派のスパイにして反対派教育係である男がウキオに語った言葉こそ、この作品、いや星野ワールドを解く鍵だと思う。

 ジーナとジン、アレナとウキオ、主体が頻繁に入れ替わる甲乙丙丁からなる日常劇団etc……。ドアが一つずつ閉じられ、玲緒奈と久音の空間に戻ってくる。ようやく玲緒奈に語る番が回ってきた。その刹那、ノックの音がし、ドアを開けた瞬間、物語は幕を閉じた。

 星野にはメキシコ留学経験がある。本作ではデビュー以前から傾倒していたマジックリアリズムの手法を意識的に用い、現実と幻想の浸潤を鮮やかに表現した。他者への理解は、ともに物語を紡ぐ過程で成り立つと星野は伝えたかったのか。次作でさらなる高みへと飛翔するのを楽しみにしている。

 本作以外にも、5月に奥泉光が「東京自叙伝」、6月に平野啓一郎が「透明な迷宮」、7月に中村文則が「A」と、注目する作家たちが新作を次々に発表した。年内に読み、感想を記したい。
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「大東亜戦争」~大島渚の作意を考える

2014-08-21 23:55:29 | 映画、ドラマ
 古賀茂明氏は昨年末の講演会で<護憲と反原発を軸にした政界再編>に希望を託していたが、その夢は潰えたようだ。だが、永田町の外では新しい潮流が生まれつつある。集団的自衛権、辺野古移設強行により、護憲と反原発が同一の視点で語られるようになったのだ。9月23日には代々木公園で「反戦・反原発中央大集会」が開催される。

 安倍批判派に気になる点がある。心身とも脆弱に思える安倍首相が自信に溢れているのは、軍事にせよ原発にせよ、<アメリカのお墨付き>があるからだが、その点を追及するマスメディアは皆無だ。その構図は日米安保条約を通して辞職した祖父の岸信介と似ている。目に付くのは<安倍首相は悪の遺伝子を祖父から受け継いだ>とする記事だ。

 アメリカはA級戦犯の岸と正力松太郎を、戦後日本を操るための最良の駒と位置付けていた。岸は東條英機や関東軍と距離を置き、学生時代は社会主義者の北一輝に心酔していた。〝両岸〟と呼ばれるほど左右両派に顔が利いたのは、満州時代に培った人脈ゆえだろう。安倍首相は果たして、祖父の実像をどこまで理解しているのだろう。

 さて、本題……。15日に「チャンネルNECO」で放映されたドキュメンタリー「大東亜戦争」(68年/日本テレビ制作)を見た。監督の大島渚は戦後日本を鋭く抉り、ゴダールをして<ヌーベルバーグの最初の作品は「青春残酷物語」>と言わしめた前衛で、テオ・アンゲロブロスに絶大な影響を与えた映像派でもある。

 その大島が大東亜戦争をどう描いたのか興味津々だったが、冒頭でショックを受けた。題字を揮毫したのは岸信介だったのだ。頻繁に登場する憎々しい東條と対照的に、岸は一度も映らなかった。「私は関係なかった」という思いで、揮毫を引き受けたのだろうか。本作は当時のニュースフィルムを編集した戦争の記録で、戦況が不利になるにつれ、〝映像権〟が失われていくのがわかる。後半では米軍制作の映像に大本営発表の音声を重ねていた。

 ベーブ・ルースら大リーグ選抜が日本中を熱狂させたのは1934年で、ジャズも当時、大流行していた。「駅馬車」のジョン・ウェインに13歳だった母がうっとりしたのは1940年のことだ。親しみを抱く国があっという間に〝鬼畜〟になったのは、洗脳の驚異的な成果といえるだろう。天皇への忠誠、国家への従順が強調され、国民が和を演じる辺り、そのまま現在の北朝鮮である。

 とはいえ、大本営も屈曲した表現で厳しい状況を伝えていた。真珠湾攻撃によって〝世界三流の海軍国〟になったはずの米軍に追い詰められても、後退ではなく〝戦線整理〟と報じる。画面や音声に悲愴感が滲みだし、特攻隊出撃の直後、散華するシーンが映し出されていた。

 本作が放映された68年は、ベトナム反戦運動が盛り上がった時期である。太平洋戦争とベトナム戦争、そして戦中と戦後……。大島はそれぞれに分かち難い何か、連綿とするものを見いだしていたはずだ。終戦を伝える昭和天皇の言葉に国民が遥拝するシーンで、当時の社説が読み上げられる。いわく「ひれ伏して自らの罪の赦しを請う都民の姿は後を絶たず」(要旨)……。

 ピュリツァー賞受賞作「昭和天皇」(ハーバート・ビックス著)には、大元帥(天皇)の戦術の失敗で、多くの将兵を死に至らしめた事実が詳述されていた。苦しめられた民が戦争遂行者に謝罪する構図が創り出されたことは、大島も承知の上だ。

 大島の作品に頻繁に登場するのは矜持をなくした戦後の男たちで、典型的な例は「青春残酷物語」と「少年」に登場する父親だ。<戦争を正しく総括しなかったこと>の悪影響は今日にも及んでいる。3・11の際、政府とメディアが用いたのは大本営発表と同じ手法だった。国民は3年前、「マスコミは信用できない」と憤ったが、今や安倍機関の掌中で踊らされている。

 印象的だったのは疎開のシーンだ。政府は日本の再興を担う世代を、戦火から遠ざけたのだろう。俺はそこに〝国家の良心〟を感じた。福島原発事故後、若年層の体内被曝を伝える診断が提示されているにもかかわらず、国や自治体は因果関係を否定し、何ら策を講じない。〝国家の良心〟は当時より低下しているようだ。


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酔生夢死なお盆の日々~落語会、「ローマ環状線」etc

2014-08-17 21:48:42 | 映画、ドラマ
 新聞業界にお盆休みはなく、夏休みの名目で順番に休暇を取っていく。仕事先の夕刊紙は普段から厳しい体制で作業をしており、1人減は骨身に応える。先週は暑さも相俟りヘロヘロだった。落語と映画を楽しむはずが、眠気との闘いになってしまう。

 13日は「渋谷に福来る~古典ムーヴ/夏一番2014」(渋谷・さくらホール)と題された落語会に足を運ぶ。春風亭一之輔が「鰻の幇間」、柳家三三が「三枚起請」、桃月庵白酒が「駱駝」とお馴染みの噺を披露した。ソールドアウトの盛況で、一之輔の毒、三三の洒脱を堪能しつつ、しばし意識が飛んだが、中入り後、白酒のパワーに圧倒される。聴き手にも集中を強いる演目を難なくこなす白酒は、確実に柳家権太楼に迫っている。

 16日は公開初日の「ローマ環状線、めぐりゆく人生たち」(13年)を見た。ドキュメンタリーとして初めてベネチア国際映画祭金獅子賞を受賞した作品である。前評判に加え、小さな箱(ヒューマントラストシネマ有楽町シアター2=60強)となれば、満員御礼は当然といえるだろう。

 睡眠不足と夏風邪、さらに満腹感で体が揺れる俺の横、同行した知人は食い入るようにスクリーンを眺めていた。エンドロール後、感想を尋ねたら「?」……。困った、ブログに書けないと観念していると、トークショーの案内がある。別稿「胎動の予感~宇都宮&想田のトークライブに参加して」(今年6月9日)で紹介した想田和弘監督が現れる。援軍来れりだ。

 ドキュメンタリー監督として世界に名を馳せる想田氏だが、本作観賞直後は「?」だったと切り出し、客席に安堵の笑いが起きる。某映画評論家が試写会で「これはドキュメンタリーではない」と怒りをあらわにしたというから、日本人の目に異質と映るのだろう。「音楽、詩に近いイメージだった」が第一印象だった想田氏だが、ジャンフランコ・ロージ監督との対談を控えていたため、早急に文字化する必要があった。2度目を観賞で芯と骨格が見えてきたという。

 ローマ環状線とは、東京でいえば環七か環八だ。周辺に暮らす人々――害虫と対峙する植物学者、没落貴族、老紳士と娘、救命士、ウナギ漁師、良性具有の車上生活者の6組――の日常を循環させて描いていく。ロージ監督自身、出口のない環からいかに脱出するか思案したらしいが、植物学者の「いっぱい食べたから、みんな窒息してもらう」と害虫に語りかける言葉が、ピリオドを打つヒントになった。想田氏は<神(植物学者)に滅ぼされる人類(害虫)のメタファー>と感じた。

 20分弱のトークだったが、示唆に富んだ内容だった。想田氏は最近、政治的発言で注目されている。新刊「熱狂なきファシズム」(河出書房新社)を購入し、今回言及できなかった点を含め、当ブログで紹介したい。

 読書といえば今、「夜は終わらない」(星野智幸、講談社)と「蝦夷地別件」(船戸与一、新潮文庫)を並行して読んでいる。とにかく前に進まない。それどころか、BGMのはずのモリッシーの「ワールド・ピース・イズ・ノン・オブ・ユア・ビジネス」とジャック・ホワイトの「ラザレット」まで入眠剤になってしまった。心身の甚だしい衰えを実感している。

 多少なりとも気分がシャープになったのは、竜王戦挑戦者決定三番勝負第1局(15日)だ。俺が一押しの糸谷哲郎6段が、棋界再統一を目指す羽生名人(4冠)を破った。糸谷はやんちゃぶりでエピソードに事欠かない個性の持ち主で、阪大大学院で哲学を学ぶ知性派でもある。挑戦権を獲得し、ニックネーム通り「怪物」覚醒となるだろうか。

 惚けた頭で、普段はめったにチャンネルを合わせない野球をぼんやり見ている。高校野球もプロ野球も想定外の連続で実に面白い。開幕試合で龍谷大平安を破った春日部共栄が敦賀気比に完敗し、広島は巨人相手に爽快な逆転劇を演じた。本腰を入れて野球を楽しむかといえば、そうもいかない。NFLの開幕が間近に迫っているからだ。
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「青春デンデケデケデケ」~ほのぼのと描かれる電気的啓示の日々

2014-08-14 23:51:54 | 映画、ドラマ
 あと数分で日付が変わり、戦後否定のムードが充満する中、敗戦記念日を迎える。従軍慰安婦問題で朝日新聞が報道の誤りを認めたことに、保守派は快哉を叫んでいる。田原総一朗氏も「もっと早く訂正すべきだった」(要旨)と語っているが、俺の目には別の構図が映っている。

 1980年代の〝常識〟を示す読売新聞の記事(1987年8月14日付)がブログ「FIGHT For JUSTICE」に引用されていた。

 <従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。「お国のためだ」と何をするのかも分らないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった>……

 朝日は戦前、ポピュリズムに乗って排外主義を煽り、開戦論の先頭に立った。そして今、安倍政権、ポスト安倍政権も同様の主張で国民の支持を得ることを見据え、歴史修正主義の軍門に下る。ちなみに朝日は、時間をかけて昭和天皇像を修正した。01年度ピュリツァー賞受賞作「昭和天皇」(ハーバート・ビックス著)で<戦争遂行者>と位置付けられた昭和天皇に、<平和主義者>の仮面を被せたのだ。

 さて、本題……。急に軟らかくなるが、日本映画専門チャンネルで先週放映された「青春デンデケデケデケ」(92年、大林宣彦)について、記憶が薄れないうちに記すことにする。「尾道3部作」で知られる大林だが、本作の舞台は観音寺市(香川)で、当地の人情や自然もふんだんに取り入れられている。

 主人公の竹良(林泰文)は高校入学直前、〝電気的啓示〟を受ける。ベンチャーズの曲に触発され、バンド結成を志すのだ。白井(浅野忠信)のギターの腕前に驚き、幼馴染の合田(大森嘉之)、いじめられっ子タイプの岡下(永堀剛敏)がメンバーに加わった。バンド名はロッキングホースメンに決まる。

 竹良がボーカルとサイドギター、白井がリードギター、合田がベース、岡下がドラムと担当が決まり、音響に詳しい谷口が協力を申し出る。リーダーは言い出しっぺの竹良だが、まとめ役は僧侶の息子で世慣れた合田だ。個性的な面々が集ったが、今も一線で活躍しているのは浅野のみである。

 彼らは65年入学だから7歳上だが、音楽体験は俺と重なる部分が大きく、同級生女子のリクエストで、三田明や橋幸夫の曲を演奏したりする。タイガースがデビューしたのは67年だから、グループサウンズの時代とも重なっているのだ。ちなみに俺が〝電気的啓示〟を受けたのはラジオから流れてきたビートルズの「シー・ラブズ・ユー」である。

 ロッキングホースメンのレパートリーはベンチャーズやビートルズ、「ジョニー・B・グッド」だった。俺の高校時代、同級生のバンドが文化祭で演奏したのはローリング・ストーンズやレッド・ツェッペリンである。バンド経験のある知人によると、簡単そうに思える初期ビートルズやフーは3人が歌うため、ボーカルハーモニーをコピーするのは至難の業だったという。

 ケチをつけるつもりはないが、ボーカル以外、ロッキングホースメンは演奏が上手過ぎる。グループサウンズでさえ不興を買った不良性、高校にも押し寄せつつあった政治の波とも無縁で、家族も学校も周囲もバンドにとても温かかった。その辺りは観音寺の風土かもしれない。

 錚々たる役者が脇を固めていたが、異彩を放っていたのはロッキングホースメンを応援してくれた英語教師役の岸部一徳だ。来日したツェッペリンのジョン・ポール・ジョ-ンズは偶然テレビで見たPYG時代の岸部に驚嘆し、「英国に連れて帰りたい」と語ったというエピソードが残っている。世界レベルのベーシストだったのだ。

 竹良の上京でピリオドが打たれ、メンバーはそれぞれの道を歩み始める。性への好奇心、家族との交流、友情に仄かな恋と、10代のありふれた光景が描かれていた。竹良のユーモアたっぷりのモノローグ、インサートされる大林の遊び心に溢れたシュールな映像に引き込まれ、2時間余は瞬く間に過ぎた。青春映画の佳作だと思う。

 俺が本作に感じたのはノスタルジーではない。作品に流れる空気は、今の俺の中と変わらないからだ。俺は今も、高校時代のように未熟で子供っぽく、「10代の荒野」の旅人なのだ。ちなみに俺が当ブログで数十回は用いているはずの「10代の荒野」とは、フーの「ババ・オライリー」(「フーズ・ネクスト」収録)の歌詞の一節である。
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「緑の党政策フォーラム」に参加して~秋葉忠利氏が提示した哲学

2014-08-11 23:50:56 | 社会、政治
 長崎で一昨日(9日)、原爆犠牲者慰霊平和祈念式典が営まれた。俺も城台さん(被爆者代表)の「平和への誓い」に心を揺さぶられたひとりである。6歳時に被曝し、孫を原爆症で亡くした城台さんは、「集団的自衛権の行使容認は憲法を踏みにじる暴挙」と述べ、併せて福島の現状に触れて原発再稼働と輸出の中止を安倍首相に訴えた。7分弱の映像はYoutubeなどにアップされている。強張った首相の表情とともにご覧になってほしい。

 くしくも同日、広島市長在任中、平和記念式典で平和、反核への信念、被爆者や戦争犠牲者への追悼の念を発信し続けた秋葉忠利氏の講演に感銘を受けた。「緑の党政策フォーラム」初日のハイライトである。

 昨年の参院選に際し、平野啓一郎は<自民党の改憲案には吐き気を催す。苦渋の選択で共産党に投票した>(論旨)とツイッターに記した。2年後の参院選で緑の党は果たして、平野だけでなく、中道、リベラル、左派に属する有権者の目に、選択肢として映っているだろうか。そうあってほしいと願うが、足腰を鍛えねばならない。今回の「政策フォーラム」はそのためのスタートラインだった。

 公認、推薦、支持を合わせ緑系の自治体議員は60人前後だが、来春の統一地方選で倍増を目指している。ちなみに、野々村兵庫県議追及で名を上げた丸尾牧県議も緑の党の一員である。<政治は地方から>が現在のトレンドで、緑の党は三宅洋平氏の「NAU」や山本太郎参院議員の「新党ひとりひとり」との連携も視野に入れている。

 緑の党は結成2年だが、30年以上の前史がある。<多様性とアイデンティーの浸潤>に価値を置く集団で、俺はアウトサイダーであり続けるだろう、「政策フォーラム」でも多くの人の口から発せられたように、緑の党の原則は<個々が市民>であることだ。

 「反貧困ネットワーク」の会員でもある俺は、「格差と貧困」が日本最大の課題で、「戦争が出来る国」の前提になっていると当ブログで記してきた。とはいえ、「格差と貧困」を前面に出すことは「階級意識」を惹起することに繋がる。<市民の党>の緑の党にはそぐわないだろう。

 秋葉氏の講演に覚えたカルチャーショックは、緑の党発見の経緯と符合していた。「反貧困集会に参加して緑の党に共感する」(昨年7月3日の稿)で、高坂勝氏(当時共同代表)に受けた感銘を以下のように記した。

 <根本にあるのは多様性を認める柔軟な志向だ。貧困についても、高坂氏自らが関わる農業NPOの活動に基づき、芯のある言葉を発していた。憲法、障害者の現状、女性の地位向上、自殺問題など、語るすべてが哲学と実践に裏打ちされている>……。

 集会では他党の高名な論客もパネリストを務めていたが、高坂氏の足元にも及ばない。俺が入会したのは8カ月後だから、〝身内褒め〟でなかったことをご理解いただきたい。俺が当時の高坂氏に、そして今回の秋葉氏に感じたのは、世界観、歴史観であり、それらを統合する<哲学>だった。

 秋葉氏は以前から関わりのある緑の党に期待を寄せつつ、叱咤されたのではないか。何より求められるのは、党として<哲学>を確立することだと……。テーマは「地域から始める緑の政治」で、「国家から都市へのパラダイム転換」の副題が添えられていた。秋葉氏は縦軸、横軸を最大限に拡大し、人類の生存に関わる本質的な問題を提起する。

 国家から都市へのパラダイム転換について、秋葉氏は興味深い分析をなされていた。広島と長崎が世界に示したのは<和解の哲学>で、国家は選択的に過去を選択するが、都市は過去を記憶すると定義し、都市の持つ多様性、寛容さが世界を変えると主張された。シリコンバレーなど、ゲイ、レズビアン、ボヘミアンを許容する都市を挙げ、多様性こそが社会の活力を拡大することの例証とされた。

 実に刺激的な内容で、自身の狭さ、小ささを痛感させられた講演だった。緑の党には自由な気風があり、一騎当千の会員は様々な課題に取り組んでいる。そこに哲学と高邁な理想が加われば、梁山泊になって世の空気を変える可能性もある。

 〝緑組〟に草鞋を脱いだ以上、自分に出来る範囲で支えていきたい。キーワードは「義理と人情」だ。この年(57歳)になって新しい仲間に出会えたことを幸いに思う。
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「怪しい彼女」~人生の意味を問う珠玉のエンターテインメント

2014-08-08 12:13:20 | 映画、ドラマ
 一昨日(6日)の広島平和式典における安倍首相の挨拶は、昨年のコピペだったという。当人や取り巻きの戦争への志向、被爆者への冷淡さが如実に表れている。対照的だったのは秋葉忠利氏だ。広島市長在任中、平和、反核への信念、戦争犠牲者への追悼の思いが込もったメッセージを発信し続け、世界中の人たちを感動させた。

 その秋葉氏は今週末、緑の党の「政策フォーラム」に参加する。先立って次のようなメッセージを寄せた。<緑の党こそ、未来への正確かつ美しい航海図を手にした人類史の正統な継承者であることを認識した上で、問題提起をしたい>(論旨)……。面映ゆい気もするが、秋葉氏は結成2年の集団に、既成政党にはない可能性を感じているようだ。講演(9日)の内容は次稿で紹介する。

 さて、本題。日比谷で先日、韓国映画「怪しい彼女」(14年、ファン・ドンヒョク監督)を見た。74歳の老婆マルスン(ナ・ムニ)が20歳の若さを取り戻すという設定で、珠玉のエンターテインメントに仕上がっている。YAHOO!のユーザーレビューが4・72(5点満点)という驚異的な高評価も頷ける内容だった。

 攻撃的、強欲、底意地が悪い……。マルスンのハリネズミのような個性は、苦難の人生によって形成された。1940年生まれだから、マルスンは日本の統治、南北分断、朝鮮戦争、軍事独裁、自由化闘争という荒波に揉まれてきたはずだ。加えて彼女は、夫を出稼ぎ先のドイツで亡くしている。病弱の息子を抱え、塗炭の苦しみを味わいながら這い上がってきた。息子が大学教授になり苦労は報われたが、性格は円くならず、周囲との軋みが絶えない。

 施設入りが決まったマルスンは、人生の転機に写真を撮る。迷い込んだ「青春写真館」こそが、夢の入り口だった。マルスンは20歳の姿になり、オードリー・ヘプバ-ンにちなんだオドゥリ(シム・ウンギョン)として、外見だけ生まれ変わった。青春期の思い出がないマルスンは、自身を慰めるように歌を口ずさんできた。歌手としての才能はオドゥリとして開花し、孫のジハがリーダーを務めるメタルバンドの一員になる。

 プロデューサーと心を通わせるなど、オドゥリ(=マルスン)はシンデレラストーリーを邁進する。その過程で家族の絆を発見し、自らに寄せるパクの半世紀に及ぶ思いにも気付いた。笑いあり涙ありのヒューマンコメディーで、夢から覚めたマルスンには、夢のような日常が待っていた。

 本作の肝は、オドゥリを演じたシム・ウンギョンで、実年齢も20歳の彼女はまさに<無地のキャンバス>だ。作品の中で洗練されていく様子に重なるのは、「ローマの休日」や「麗しのサブリナ」のオードリー・ヘプバーンである。ちなみにシムは「サニー 永遠の仲間たち」(11年)でも、主人公の高校生時代を溌剌と演じていた。

 帰途に就きながら、来し方と重ねて本作を反芻していた。俺は57歳だが、20代の頃と比べ、中身はどれほど変わったのだろうと……。

 正義感が多少はあった20代、世の矛盾を正そうと試みた。そして今、政治に再び関っている。30年前は開高健、安部公房、石川淳らを、今は平野啓一郎、星野智幸、中村文則ら日本文学を好んで読んでいる。当時は頻繁に心がときめき、〝罰〟のように傷心を繰り返していた。五十路になって過剰さは薄れたものの、恋愛体質が消えたわけではない。

 ロックには留年中だ。スミスの1stに衝撃を受け、擦り切れるほど繰り返し聴いていたが30年後、モリッシーの新作を読書のBGMとして重宝している。要するに同じ声に浸っているわけだ。名画座からロードショーと見る形は異なれど、映画への関心もそのままだ。当時との大きな違いを挙げたら、野球への興味がなくなったことぐらいか。引きこもり気味のフリーターだった頃は、現実逃避もあり、甲子園大会をほぼ全試合見ていた。

 俺の人生に進歩はなく、20代と50代が循環している。相変わらず〝10代の荒野〟の住人だが、成熟と無縁の人生も悪くはないかな……。
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<内なるガザ>と向き合いつつ、ジェノサイドに抗議する

2014-08-04 22:53:56 | 社会、政治
 俺にとって当ブログは、ボケが著しい自分のための「忘備録」であり、「遺書代わり」である。何より「不善を為さぬためのストッパー」だったが、ここ最近、不善を為すための余力さえない。週5日働き、ネタ(読書や映画観賞etc)を仕込んで中2日で更新するのが厳しくなってきた。

 使い詰めのサラブレッドは筋肉が硬くなり、レ-スでのパフォーマンスが落ちていく。俺のような老馬なら尚更で、ブログから瑞々しさや柔らかさが消えている。読者の少ないブログだから、更新を楽しみにしている方など皆無だろう。フレッシュな気持ちを維持するため、中3~4日で記すことが増えそうだ。

 さて、本題……。昨日は「ガザの人を殺すな! 8・3新宿デモ」に参加した。NGO関係者、研究者、ジャーナリスト、アーティスト、在日エジプト人らが、汗も吹っ飛ぶ熱いアピールを寄せた後、デモがスタートする。前回参加した新宿の乱「安倍政権はダメだとはっきり言おうPART2」(6月15日)より人数は増え、600人が都心を練り歩いた。若者、外国人の姿も目立ち、鳴り物入りのダイナミックなデモだった。

 驚いたのは街の反響だった。反原発、反安倍デモだと、痛烈なヤジを飛ばしたり、つっかかってきたりする人が少なからずいる。ところが今回は様子が違った。飛び入りで輪に加わる人、バスの中から手を振る高齢者、「頑張って」と声を掛けるアベック……。〝どっちもどっち〟と中立を装う日本のメディアでさえ、イスラエルの暴虐にポイントを置いて報じている。人道の観点から、パレスチナに肩入れする人が増えているのだろう。

 俺は実は、集会やデモを好まない。シュプレヒコールの言葉は、俺の声を通した瞬間、正しさが危うくなるような気がするからだ。俺は昨日、小さな声で叫びながら、<内なるガザ>と向き合っていた。「ガザはイスラエルの攻撃で破壊されているが、俺は自己責任で心を荒野にしてしまった」なんて来し方を反省しつつ……。

 若い頃、差別、住民運動、アイヌ・沖縄・アジアと日本との関係を学び、時に行動した。パレスチナの歴史は<支配と抑圧―抵抗する者>の図式に重なり、いずれの側に立つかアプリオリに定まっていた。それでも遠いガザとの距離を一気に縮めたのは、安倍政権が進める集団的自衛権と武器輸出である。

 集会でアピールした方もいたが、中東は集団的自衛権の範囲に含まれる。日本とイスラエルは「共同研究・開発に関する覚書」を交わしているが、そこに武器が含まれる可能性を指摘する識者もいる。イスラエルの蛮行を見逃すことは、自身の手をパレスチナ人の血で染めることになる……。日本人は自らの〝未来の罪〟を意識し、反安倍と反イスラエルのベクトルが同じ向きであることに気付いた。

 欧米では<ガザは第二のワルシャワゲットー>が定説になっている。辺見庸は4日付のブログ(「私事片々」)で、<シオニズムの狂気とは、ジェノサイドの結果現象ではなく、ジェノサイドをみちびいた淵源のひとつとして、じつは反ユダヤ主義と表裏をなすものだったのだろうか>と記していた。ネタニヤフ政権はイスラエル国内で支持されているが、国外のユダヤ人の動向は異なる。

 ユダヤ人であることを明かした上でイスラエル政府を批判する者、空爆に用いられている戦闘機を製造するボーイング社前でダイインする者、ラビの装いに身を固めて反空爆を訴える者……。多くのユダヤ人がイスラエル糾弾に関わっているが、彼らの思いを想像すると、胸が痛くなる。

 反ユダヤ主義はナチスによって尖鋭になったが、ユダヤ人は世界中で差別され、社会の底辺で喘いできた。今回の虐殺の実態は、インターネットを通して世界に広まった。医療施設で働く人たち、国連関係者が、国籍を問わず涙ながらに惨状を訴える。100年前に流布していた<ユダヤ人は差別されて当然>が、再び常識になるのではないか……。イスラエル国外のユダヤ人は、そんな不安、恐怖と闘っているのだろう。

 俺は今後も、イスラエルに抗議する集会に参加するだろう。スローガンを唱和するだけでなく、視野を広げて意識を深め、<内なるガザ>と向き合っていきたい。

 アルタ前の集会&デモの次回(10日)のテーマは「安倍のつくる未来はいらない」だ。辺野古移設、集団自衛権、原発再稼働、そしてガザ空爆に反対する人が集い、夕刻の新宿で声を上げるだろう。俺は所用で参加できないが、新宿の乱がトレンドになり、地殻変動のきっかけになることを期待している。
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「繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ」~日本の近未来を提示する警世の書

2014-08-01 11:47:52 | 読書
 数年前、NFLについて記した稿に、以下のようなコメントが寄せられた。いわく「ブログを読む限り反米派のはずなのに、最もアメリカ的なNFLやハリウッド映画をどうして楽しめるのか」(要旨)……。

 物事を単純化する<ブッシュ―小泉>的二元論はファジーな俺の対極に位置するから、答えに窮した。二元論の背景にあるのは、インターネットがもたらした<二進法的発想>だと気付く。○○グループ、△△派と分類して悦に入っているムキも多い。俺のように<十進的発想>のアナログ中年には、生き辛い世になってきた。

 反米派御用達と揶揄されそうなノンフィクションを読了した。「繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ」(ダイヤモンド社)で、著者はデール・マハリッジ(記事)とマイケル・ウィリアムソン(写真)のピューリッツァー賞コンビである。

 アメリカの格差と貧困を抉った本書の内容は、「果てしない貧困と闘う『ふつう』の人たちの30年の記録」の副題に凝縮されている。レーガン政権誕生以降、貧困ウイルスは猛烈な勢いでアメリカを蝕んでいった。デールとマイケルは時にはともに貨物列車で旅をして、ホームレスや貧しい人たちの人生に迫っていく。

 なぜアメリカの中産階級は崩壊したのか……。この問いの〝解答〟が明確になった現在と違い、1980年代は国への信頼をアメリカ国民は失っていなかった。デールとマイケルも取材対象と同じく〝板子一枚下は地獄〟の状況だったがゆえに、迫真のルポルタージュは高い評価を得る。

 大掛かりなリストラやレイオフで、個人だけでなく街が崩壊する。物づくりの伝統は失われ、職のない人々は生活苦に喘ぎ、1%が喧伝する〝自己責任論〟に沈黙する。<政府―自治体―企業―ウォール街>は99%を虫けらの如く扱うのだ。ニューヨーク・タイムズ紙に10年前掲載された「格差の実態を知るには南米へ行かなくてもいい。この国を旅行すれば事足りる」(要旨)という記事は、大きな反響を呼ぶ。「アメリカの方が南米より遥かに格差が大きい」という読者の声が寄せられた。

 ブッシュ一族が支配するテキサスでは、困窮のあまりフードスタンプを申し込む自治体職員がいる。家族が重病に罹れば、上流階級から下層まで転落するのがアメリカの現実だ。「ふつう」の人々の貧困の軌跡は実にリアルで、デールとマイケルは時間を置いて再取材する。映画「メトロポリス」(27年、フリッツ・ラング)が予見したように、アメリカは今、99%にとっての地獄と化した。

 ブルース・スプリングティーンの「ネブラスカ」(82年)が格好のBGMだった。デールとマイケルは本書の序文を担当したブルースとインスパイアし合う関係である。ブルースは著者たちと廃工場を訪れ、新自由主義の爪痕を体感していた。

 人々の生き血を啜る支配層に義憤を覚えたが、現在の日本でも同様のことが進行中だ。「年収100万円時代」を提唱した大富豪の柳井正氏は、外国人労働者の導入と日本人の低賃金を見据えている。平均収入は年々下がり、貧困は拡大する一方だ。リストラに成功した会社が市場で歓迎され、〝追い出し部屋〟は看過される。良心と倫理の対極に位置する狂気の沙汰を、広告収入が欲しいメディアは追及しない。

 日米共通の深刻な問題は、貧困な政治の仕組みだ。国民皆保険導入を掲げたオバマ大統領は、共和党、ウォール街、製薬メジャーの軍門に下る。政治を変えたくても、アメリカには2大政党以外の選択肢がない。日本では自民党とエセ自民党(公明、民主、維新、みんな等)が議会で圧倒的多数を占め、中道、リベラル、左派の有権者は投票先選びに難儀している。

 ブルースは20年前、「アメリカはニッチ化している」と分析していた。俺流にいえば「タコツボ化」で、人々は無数に存在するコミュニティーに引きこもり、狭隘な価値観に安住している。警察が主導するヒスパニック系への暴力が、本書で繰り返し指摘されていた。格差と貧困は歴史上、ヘイトクライムを助長してきたが、日本では今、差別を肯定する風潮が蔓延している。本書はあらゆる側面で、日本の近未来をも描いている。

 本書発刊の翌年(2011年)、反組合法への抗議が全米に広がり、「ウォール街を占拠せよ」に繋がった。生活実感に根差したムーヴメントが遠からず日本でも起きることを、俺は確信している。
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