酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

グリーンリカバリーはウイズ・コロナ時代の指針になり得るか

2020-07-29 21:37:59 | 社会、政治
 ソーシャルディスタンス、希薄になった死者への思い、格差とパンデミックの相関関係etc……。人類はコロナに様々な課題を突き付けられた。習近平、トランプ、プーチン、ボルソナロ、ドゥテルテらの強権的な言動に暗澹たる気分に陥ったが、希望が消えたわけではない。

 独メルケル首相はロックダウンに際し、<私は東独出身だから、移動の自由を制限する意味は身に染みている>と苦渋の思いをのぞかせた。コロナ禍で多くの政治家が<哲学>を示したが、彼らは自由、公正、民主主義に価値を置く強靱な市民社会に支えられている。

 安倍首相や小池都知事に<哲学>の欠片も感じないが、日本人が日常的な活動と無縁であることの必然の帰結であることを、オンライン連続セミナー<気候危機とコロナ危機 新しいシステムを求めて>(25日、グリーンズジャパン主催)で再認識する。

 第5回のテーマは<公正な税制とグリーンリカバリー>で、講師の岸本聡子さんは「トランスナショナル研究所」(アムステルダム)に所属し、欧州を拠点に市民運動に関わっている。「水道、再び公営化! 欧州の水の闘いから日本が学ぶこと」(集英社新書)の著書もある。

 EUではコロナ危機で停滞した経済を、気候変動を抑え、生態系を守りながら立て直す<グリーンリカバリー>がクローズアップされている。岸本さんは財源と税制を踏まえて報告したが、そもそも理解度が低い上、レジュメのダウンロードに失敗したので、大雑把な内容になることをご容赦願いたい。

 〝強靱な市民社会〟と上記したが、<コモン=全ての人にとっての共用財、公共財>を重視する運動がここ数年、欧州で力を増している。その軸と位置付けられているのが水道再公営化。今回のセミナーで言及された<コモン>は、水道だけでなく食料、教育、エネルギー問題にも波及し、民主主義の本質を問うムーブメントになっている。

 コロナ禍で浮き彫りになったのは、<コモン>である病院の縮小だ。市場原理優先で医療・福祉予算が削減されたことが全世界でパンデミックを深刻にしている。岸本さんが期待を寄せるのは、<ミュニシパリズム>を掲げる自治体連合で、6月のフランス地方選では緑の党の市長が4人誕生した。
 
 市民の政治参加、公共サービスの再公営化、地方公営企業設立、地元産の再生可能エネルギー活用、市政の透明性を掲げるのが<ミュニシパリズム>で、スペインやイタリアにも広がっている。岸本さんは市民と市政を結ぶプラットホームを構築した<ミュニシパリズム>発祥の地バルセロナの具体的な施策を挙げている。格差と貧困の克服を目指し、スペインでベーシック・インカムが導入された。

 コロナ禍で損失を出した企業を救済するため税金が投入されるが、欧州ではリーマン・ショック時の経緯――企業が生き残って増収し、格差が拡大――を踏まえ、縛りをかける動きが顕著になっている。タックス・ヘイブン関連企業を除外、従業員に一定の賃金を保障、病院援助、市民の経営参加などの条件を付ける案が議論されている。

 欧州のグリーンディールと、英米のグリーンニューディールの違いについて別稿で記した。体制内改革か、ポスト資本主義を見据えるかの差は大きい。岸本さんは前者の側(企業)によるロビー活動の凄まじさを語っていた。一方で、バーニー・サンダースが提唱したグリーンニューディール、英労働党の提言を高く評価する。

 欧州では気候正義のみならず、若い世代が運動の前面に立っている。翻って日本では、第3回セミナーで講師を務めた斎藤幸平氏がマルクス・ガブリエルとの対談で言及したように、相対主義、冷笑主義が高度のファイアウォールを構築し、若者は沈黙している。
  
 世界標準が日本の非常識になっていることをここ数年、痛感してきた。反原発集会で供託金違憲訴訟の署名を集めていた時、<供託金がなかったら有象無象が立候補して混乱する>と詰め寄られた。<先進国に例を見ない莫大な供託金によって、国会は中下流層の苦しみが届かない貴族院になり、結果として民主主義を阻害している>と反論しても無視される。戦争法反対を訴える人の大半が死刑賛成というアンケート結果に愕然としたことがあった。

 欧州だけでなくカナダ、コロンビア、オセアニア、アフリカでグローバルグリーンズ(90カ国以上)は躍進しているが、その一員で<多様性とアイデンティティーの尊重>を前面に掲げるグリーンズジャパンをカルト扱いする人もいる。かつて日本人はいい意味でミーハーだった。ガラパゴス化した日本は中国と別の方法でファイアウォールを張り巡らせてしまったのか。今回のセミナーで覚えたのは、欧州への羨望と日本の現状への絶望だった。

 今稿から絵文字をやめます。悪しからず。
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「SKIN」~ヘイトを克服し愛に至る軌跡

2020-07-25 21:00:39 | 映画、ドラマ
 かつてWWEについて頻繁に記していた。巨額を投入してホーガンらスターを集めたWCWに追い詰められたWWEは、崖っ縁から〝桶狭間〟をやってのける。第一の功労者はオースチンとDXだが、ビンス・マクマホンCEOの様々なアイデアの中で興味深かったのは政治の織り込み方だ。ロックは有色人種連合の一員としてデビューしたし、CMパンクは福音主義者を揶揄するユニットを率いていた。

 2010年にビンスの妻リンダがティーパーティーの支持で上院議員選に立候補する前から、WWEは保守色を前面に出すようになる。端緒はドナルド・トランプの登場だ。ビンスと数カ月の間、丁々発止を繰り広げたトランプはWWEで<政治のエンターテインメント化>の手法を学ぶ。トランプを大統領に導いた土壌を描いた映画を新宿シネマカリテで見た。

 「SKIN/スキン」(18年、ガイ・ナディーブ監督)は実話に基づいている。長編に先立ち発表した同名の短編はアカデミー賞短編映画賞を受賞した。短編、長編の順で上映されたが、テーマは白人至上主義だ。短編の衝撃的なラストに暗澹たる気分になり、間を置かず長編が始まった。バイオレンス色は濃いが、想定外の癒やしのラストが用意されていた。

 09年のオハイオ州コロンバスが舞台だ。主人公のブライオン・ワイドナー(通称バブス、ジェイミー・ベル)はレイシスト集団「ヴィンランダーズ」幹部だ。タトゥー・アーティストでもあり、頭の天辺から爪先までタトゥーを彫っている。

 人はなぜ、ヘイトや差別に向かうのだろう。格差や貧困に苦しむ者が、「仕事を奪われたのは彼らのせい」と移民やマイノリティーを憎悪の対象にするのは世界共通だ。「ヴィンランダーズ」主宰者フレッド・クレーガー(ビル・キャンプ)と妻シャリーン(ヴェラ・ファーミガ)の養子として育てられたバブスは先天性のヘイトといえる。バブスに限らず、差別意識のDNAを家族から引き継いだ人は多い。

 仲間内の集会に呼ばれてやってきたのが3人娘のグループで、フォーク調の穏やかな曲を演奏した。物足りなく感じブーイングを浴びせたスレイヤー(ダニエル・ヘンシュオール)を黙らせたバブスは、娘たちの母ジュリー(ダニエル・マクドナルド)に一目惚れした。豊満なジュリーに母性に感じたからだろう。バブスは初めての愛で、ヘイトの無意味さ、そして愛の価値を知る。

 バブスは組織を抜け、自由になろうとする。協力するのが反ヘイトグループのリーダーで黒人活動家ジェンキンズ(マイクコルター)だ。闘いの最前線で角突き合わせるうち、ジェンキンズはバブスに親近感を抱くようになっていた。ジェンキンズも若い頃、ギャング団に所属し、全身にタトゥーを彫っていたからだ。

 ヘイト集団は被害者意識を持つ白人低所得層を惹きつけているが、定着せず漂流するボヘミアン階級も供給源になっている可能性がある。様々な分野の表現者、政治活動家を輩出しており、Xスポーツもボヘミアンの文化だが、クレーガーがコミュニティーに連れ帰った少年、ジュリー一家にもボヘミアンの匂いがする。

 スキンヘッドという白人至上主義者のスタイルに、〝髪を切って色を拒絶する〟との心情が込められているのか。短、長編とも髪を刈るシーンが丁寧に描かれていた。バブスは組織から逃れる途中、雪かきのアルバイトをする。<雪=白を除く>を象徴的に示す行為に映った。蛇のような組織に追跡され、バブスはタトゥーを除く決断をする。

 忠誠心、アイデンティティー、リスペクト、愛の表現と、タトゥーには文化的、精神的な背景がある。白人至上主義をタトゥーとともに刻み込まれたバブスにとって、タトゥー除去は人間として再生し、愛に至る手段だった。ヘイトと愛は対語なのだ。冒頭とラストのバブスの貌の鮮やかなコントラストに感銘を覚えた。

 俺が育った京都は差別を育む土壌だった。上京してから四十余年、俺は差別意識を克服出来ただろうか。それとも、醜い貌を隠しているのだろうか。「SKIN」は自身の内側に刃を突き付ける作品だった。
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「百年の散歩」~多和田葉子に誘われ迷宮の扉を叩く

2020-07-21 21:36:39 | 読書
 まだ明けぬコロナ梅雨の下、人と人の距離は広がったが、彼我の境界線は縮んだように思う。そんな折、三浦春馬さんの自殺が報じられた。三浦さんは「ダイイング・アイ」(2019年、連続ドラマW)で主人公の心情を繊細に演じ切っていた。死にゆく彼の目に、何が映っていたのだろう。若き役者の冥福を心から祈りたい。

 馳星周のデビュー作「不夜城」(1996年)、続編「鎮魂歌」、「夜光虫」に、ジェームズ・エルロイ並みのノワール小説の書き手が日本に現れたことを実感した。その馳の直木賞受賞の報に、まだ、取っていなかったのか……と驚いた。ノーベル文学賞にも合点がいかぬことが多いが、有力候補と目される多和田葉子の「百年の散歩」(2017年、新潮社)を読了した。

 「百年の散歩」は全10章らなり、わたし(多和田の分身)がベルリンの10の通り、広場、環状通りをあてどなく散策する〝ベルリン彷徨詩集〟で、赤、白、青、緑など章ごとに基調になるカラフルな色彩を背景に、溢れ出るイメージを紡いでいく。

 別稿(7月9日)で紹介した「よそ者たちの愛」テレツィア・モーラ著)と通底する部分もある。<匿名の身体になりたくてわざわざ都会の、しかも自分の住んでいない地区をうろうろする>わたしは〝よそ者〟の日本人で、同化できない疎外感から抜け出せない。ドイツ語と日本語の狭間での言葉遊びを、<飛んできたドイツ語が、わたしの脳の表面にぶつかった瞬間、ひらがなに変身した>と表現していた。

 散歩するとは即ち休むこと。わたしは喫茶店やレストランが大好きで、♯1「カント通り」の書き出しは<黒い奇異茶店>である。あの人と合うという目的があるが毎章、すれ違いだ。公園のベンチに腰掛けながら<わたしはたった一人の人間を待つようにはできていないのかもしれない>と真情を吐露する。

 あの人はメタファーかと思ったが、少しずつ肉付けされていく。わたしは同じ街に暮らすあの人に絵葉書を送るほど思いを寄せているが、<都市は水のように指の間からもれて、人間たちは気体になって蒸発し、期待して、待っても、今日、あの人はきっと来ないだろう>と諦念を滲ませる。ラストの<別れというのは、こんなに快い、春のようなものだったのか>に決別の思いを込めたのだろうか。

 観察力に根差したベルリン論、都市への憧憬が綴られるが、章が進むごとに多和田の思想信条が貌を表してくる。リスペクトする者の名を冠した通りを選んでいるのだ。カント、カール・マルクス、ローザ・ルクセンブルク、プーシキン、リヒャルト・ワーグナーは知名度が高い。

 一方で、レネー・シンテニス、コルヴィッツ、トゥホルスキー、マヤコフスキーの業績は殆ど知らなかった。反抗と変革を訴え、弾圧と闘い、前衛の表現者として世界を震撼させた彼らの生き様に現在のベルリンを重ねせ、時空を往き来する。タイトルの<百年>は〝マジックリアリズムの本家〟ガルシア・マルケスの「百年の孤独」にインスパイアされたのだろう。

 ローザ・ルクセンブルクへのオマージュを感じた。ローザ・ルクセンブルク広場で人の波に逆らいながら、わたしは碑に刻まれたローザの言葉<ブルジョワ社会は名誉を失い、汚いものをぽたぽた体から垂らしながら血の池の中を歩いている>を読み、<歩道は知で赤く濡れていた>と続けている。

 全編に戦争への忌避感が溢れていた。ナチスドイツに抵抗した白薔薇の芝居が紹介され、二つの世界大戦直後と現在のベルリンが交錯するイリュージョンが描かれている。わたしは子供の幽霊に導かれ、100年前のベルリンを訪れる。コルヴィッツの夫は貧しい人々に手を差し伸べる医者だった。自分の居場所が曖昧になったわたしは、あの人に会えるのか不安になる。

 <死から逆算し、詩を二乗しながら生きている>など、イメージの連なりと詩的な表現がちりばめられている。舞台「賭博者」(ドストエフスキー原作)のエロスを軸にした解読には陶然とさせられた。♯7「リヒャルト・ワーグナー」ではオペラと物語をリンクさせている。

 各章の扉を叩くたびに迷宮に誘う作者の想像力と創造力に感嘆させられた。未読の小説を少しずつ読破し、〝多和田ワールド〟の頂に近づきたい。

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レバノンで、コロナ禍の地獄に射す光を見た

2020-07-17 13:05:18 | 社会、政治
 王位戦第2局で藤井聡太七段が大逆転で連勝した。〝千駄ケ谷の受け師〟こと木村一基王位のらしくない攻めの△4二歩(125手目)が緩手で、4一歩なら優位は動かなかった。藤井は中1日の棋聖戦第4局で渡辺明3冠を倒し、初タイトルを獲得する。ワイドショーでも取り上げられていたが、80手目の△3八銀で形勢は一気に藤井に傾く。

 表面は穏やかな藤井だが、スナイパーの鋭さとインスピレーションで局面を一変させる。藤井だけでなくトップ棋士同士の対局は至高のエンターテインメントだ。将棋は俺にとって清涼剤かつ消化剤だが、世界に目を転じると悲惨な現実に胸が苦しくなる。

 NHK・BS1で「北朝鮮〝39号室〟追跡 地下資本主義の錬金術」(ドイツ制作)と「レバノンからのSOS~コロナ禍 追いつめられるシリア難民~」を見た。2本のドキュメンタリーは<地獄>のキーワードでリンクしている。まずは「39号室」から。

 北朝鮮は人口(2600万)の9割が地獄にとどめられ、1割が〝平壌楽園〟で暮らしている。公平・公正の社会主義の理念とは建国以来、無縁の地下資本主義国で、金王朝にドルを献上する39号室に選りすぐりのエリートが集結する。39号室を司令塔に、金日成時代からカンボジア、コンゴ民主共和国、そしてシリアと密接な関係を結んできた。2代の独裁者(アサド父子)は軍事面で金王朝に依存してきた。

 「北朝鮮からミサイルや化学兵器(毒ガス)を輸入できなかったら、アサドは内戦に勝てなかった」と断言するライデン大ブロイカー教授は、39号室が主導した悪行の数々――海外に派遣した労働者の搾取、世界を舞台した保険金詐欺、中国を仲介役にした服飾ブランド品の生産etc……を挙げていく。〝悪の連携〟によって地獄で喘いでいるのが、レバノンに逃れたシリア難民である。

 2本のレバノン映画「判決」と「存在のない子供たち」を当ブログで紹介した。ともに秀作で、「判決」は18年のベストワンに選んだ。両作に共通するのが移民問題だが、レバノンの人口の4分の1(120~150万人)とされるシリア難民が置かれている状況は、目を背けたくなる地獄図の様相を呈している。

 難民キャンプでは10歳に満たない子供たちも家計を支えている。極貧生活に追い打ちをかけたのがコロナで、腎臓を売らざるを得なくなった人が続出した。子供たちを誘拐し、臓器を摘出した後に殺す密売グループが横行している。レバノン人の40%前後が失業し、雑役でわずかな収入を得ていた難民たちも職を失う。生活用水に事欠く3密のキャンプでクラスターが発生したことで、難民差別、排斥の動きがエスカレートする。

 家族を支えるために売春する女性たち(すべて仮名)をカメラが追う。3人の子を育てるジャミーラと、兄の家庭内暴力に苦しむ17歳のハナーンだ。どん底の難民生活は家族の絆まで崩壊させたのだ。彼女たちの慟哭と絶望に言葉を失くした。

 ジャミーラは敬虔なイスラム教徒で頻繁に<神>を口にする。神は不在かもしれないが、〝神のような存在〟が身近にいた。ジャミーラとハナーンと同じく難民キャンプで暮らすマラク(仮名)で、よき理解者として2人を励ましていた。レバノン人から仕立ての注文を受けて子供たちを育てている。強制送還に怯えながら、マラクは女性たちの自立に向けマスク製造に乗り出した。

 難民男性が焼身自殺を図る映像が流れる。息子はカメラに向かって<この疎外感の中でシリア人は飢えで死んでいる。世界は確実に僕らのことを忘れた>と訴える。シリア難民同様、日本人は多くのことを忘れている、いや、気付かぬふりをしている。

 パレスチナを蹂躙するイスラエル、イエメン空爆を主導するサウジアラビアの後ろ盾はともにアメリカで、アサドを支援するのがロシアだ。両国、そして中国に対しても平和と人権の価値を主張出来る政権を誕生させること以外、日本人が難民の青年の問いに答える方法が見付からない。

 マリクに裁縫を習い始めたジャミーラは、キャンプの一角に花壇を造り、シリアの国花ジャスミンを栽培する。ジャミーラは希望を込めて歌った。

♪母国の土は血まみれになった ああジャスミン 再び世界を香りで満たすために あなたは戻ってきた 私はすべての悲しみと苦しみを忘れる

 ラストに救いを覚え、純水のような潤いが心身の隅々に行き渡った。NHKの長期にわたる丁寧な取材、大竹しのぶの抑揚の効いた語りに敬意を表したい。
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「ロングデイズ・ジャーニー」~ビー・ガンの未来は飼い犬、それとも野良犬?

2020-07-13 22:56:43 | 映画、ドラマ
 朴元淳ソウル市長が自殺した。広河隆一氏(元デイズジャパン編集長)、オスカル・アリアス・サンチェス氏(コスタリカ元大統領)に次ぎ3年連続、俺にとってのイコンがセクハラを告発され、晩節を汚したことになる。広河氏はパレスチナと沖縄に寄り添い、チェルノブイリと福島の原発事故で体内被曝した子供たちのために保養所を設立した。サンチェス氏は同国の非武装中立を推進し、中米の和平に貢献した業績でノ-ベル平和賞を受賞している。

 そして朴氏は「グローバル社会的連帯フォーラム」提唱者で、「ソウル宣言」(第1回大会)で<格差と貧困、非正規雇用の増大、環境破壊の原因は市場原理主義、グローバリズム>と指摘し、協同組合と草の根民主主義の連携で、公正かつ持続可能な社会を目指すことを訴えた。どこで踏み外したのか知る由もないが、俺という疫病神がリスペクトしたことが原因……なんてはずはない。

 俺は斜眼革を着けて世を眺めている。先日、社会とのズレを改めて実感させられる機会があった。ユジク阿佐ヶ谷で「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」(18年、ビー・ガン監督)を観賞した。デビュー作「凱里ブルース」(14年)について別稿(7月1日)に紹介したばかりで、ミーハーゆえ〝ビー・ガン絶賛〟の空気に乗っかったことになる。でも、「ロング――」の俺の評価は、世評と乖離していた。

 「ロング――」も凱里が主な舞台で、続編の要素も濃く、製作費は一気にアップし、著名なスタッフが支えていた。モノローグとイメージが織り込まれた映像は前作同様、<映画におけるマジックリアリズムの精華>だ。後半は50分以上のワンテイクで、現実と過去の境界を彷徨する目くるめくファンタジーだった。

 自ら命を絶った中国第8世代の旗手、フー・ボーによる「象は静かに座っている」(18年)を昨年度のベストワンに選んだ。冒頭から心を掴まれ緊張を切らさず4時間を過ごしたが、ビー・ガンの2作には距離を置いてしまう。作品の背景に<社会>が見えてこなかったからである。

 還暦を過ぎると、錆び付いた物差しで物事を測るようになる。映画は総合芸術だから、恋愛映画であっても後景に<社会>が聳えていないと評価出来ない……。頑迷さを振り払えないから、別稿(5月26日)に紹介した「激動のカンヌ 1968」(WOWOWでオンエア)には共感を覚えた。

 1968年2月、〝ヌーヴェルヴァーグの父〟アンリ・ラングロワが自ら創設したシネマテーク責任者の座を解任されたことに抗議し、ルイ・マル、トリフォー、ゴダールらが決起する。映画人は学生、労働者、市民との連帯を訴え、カンヌ映画祭は中止に追い込まれた。一連の動きは5月革命の魁といわれる。

 時代のパトスが、その後の映画界を大きく変えた。ベトナム戦争、ポル・ポト政権による虐殺、壁崩壊、ボスニア・フェルツェゴビナ紛争、韓国軍事独裁政権との闘いなど、多くの作品に<社会>が織り込まれた。数少ない例外が中国で、天安門事件は記憶と記録から消されている。香港の現在も国内の夥しい言論弾圧も、中国映画のテーマになることはない。

 自由が抹殺されたサイバー独裁に、ビー・ガンはどう対峙するのか。共産党の庇護の下、官製映画を作り続けるのか、それとも噛みつく野良犬になるのかはまだわからないが、イランの名匠たちに学んでほしい。モフマン・マフマルバフ、バフマン・ゴバディ、ジャハール・パナヒ、アスガル・ファルファーディーは弾圧に抵抗し、検閲をかいくぐって物語が神話に飛翔する一瞬をスクリーンに焼き付けていた。そして、多くは海外に出た。

 「ロングデイズ・ジャーニー」はイラン映画の魂のレベルに達していないが、HP、パンフレットに驚いた。内外の文化人、メディアが手放しで称賛しているからである。むろん、詩的で繊細な感覚に秀でていることは理解出来る。でも、ビー・ガンが自由への希求を作品に滲ませ、共産党の不興を買うまで待ってほしいというのが、正直な思いだ。香港の若者、そして中国で沈黙を余儀なくされている良識派は、本作の映像美にいかなる感想を抱くのだろうか。
 
 上記したように、俺はひねくれ者だ。俺の感想など無視して、素直な気持ちでビー・ガンに接してほしい。

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「よそ者たちの愛」~行間に織り込まれた作者の、そして読者の人生

2020-07-09 22:48:19 | 読書
 コロナ禍は世界をどう変えるのか。欧州では共生と共助が<ポスト・コロナ>の基調になり、人々は弱者との共存を選択するという<希望>が語られている。日本については悲観的にならざるを得ない。前稿に記したが、<相対主義>と<公正世界仮説>に取り込まれ、<正義と悪>を峻別する〝哲学〟を失った。失業者は政治の無策に沈黙し、〝自己責任〟を噛み締めるだろう。

 3・11は日本文学を変えた。悲劇を取り込んだ作品群――「夜は終わらない」(星野智幸)、「砂浜に坐り込んだ船」(池澤夏樹)、「バラカ」(桐野夏生)、「献灯使」etc――を紹介してきたが、コロナ禍も文学を豊饒にするはずだ。死生観、ヒューマンディスタンスの変化と真摯に向き合った小説を楽しみにしている。

 憂鬱な〝コロナの夏〟、短編集「よそ者たちの愛」(テレツィア・モーラ著、白水社)に癒やしを覚えた。原題は♯2「エイリアンたちの愛」で、壁崩壊後、ハンガリーからドイツに移住した作者自身の人生に裏打ちされている。移民たちは登場するが、テーマは普遍的だ。疎外感、孤独、諦念、生まれた場所への郷愁を抱え、時に登場人物は過剰さゆえに失敗する。

 いずれも心に染み入る10編から、最も記憶に残る作品を選ぶとなると十人十色になるだろう。こんな経験をした、自分の状況と近い、こんな知人がいる……。「よそ者たちの愛」は読者が自らの人生を行間に織り込んでいく作品だ。俺の人生に重なった6編について以下に記したい。

 ♯1「魚は泳ぐ、鳥は飛ぶ」はレゾン・デートル(存在理由)についての物語だ。老いて見えるが57歳のヘルムートは数少ない知人から「マラソンマン」と呼ばれている。幾つかの大会に参加して好成績を挙げた彼は、幼い頃から長距離走が得意だった。バッグを盗んだ若者を執拗に追いかけるヘルムートのガソリンは、きっと孤独なのだ。

 ♯2「エイリアンたちの愛」の主人公、コック見習のティムには同じく風変わりなサンディという恋人がいた。ティムの仕事先であるレストランでチーフを務めるエヴァは、〝エイリアン・カップル〟に文句を言いつつ母性を感じている。サンディが神隠しに遭ったように蒸発し、後を追うようにティムも消えた。〝喪失の痛み〟に苛まれるエヴァの主観であることに気付いた。

 ♯7「布巾を纏った自画像」はドイツに暮らすポーランド人夫婦を描いていた。絵で結ばれた二人だったが、夢を失い無職のフェリックスをわたし(フェルカ)が支えている。いつも部屋にいる夫に不満だが、不在だと「二度と帰ってこないのでは」という不安に怯えてしまう。♯2のティムとサンディのシチュエーションに似ていた。崩壊の予感が優しく裏切られるラストにカタルシスを覚えた。愛には多様な貌がある。

 ♯8「求めつづけて」のファリアは、「あなたは私の命よ」と伝えた直後、恋人を失った。虚しさと敗北感を払拭できず、ハンガリーを出てロンドンで学んでいる。♯1のヘルムートが「マラソンマン」なら、ファリアは「ウオーキングウーマン」で、一日8時間、母国語を話す人がいないか耳をそばたてながらロンドンを彷徨う。表のストーリーの裏側に〝隠れているもの〟を感じたが、正体は掴めなかった。

 ♯9「チーターの問題」はシュールだった。アル中のエラスムスは行政事務職員候補生の試験を受ける。論文のテーマは「チーターの問題」で、可否が出るまで数日間、家に籠もることにした。エラスムスは大量の血を吐いて倒れ、何とか外出が可能になるまで回復する。孤立した人物を描く寓意に満ちた物語は刺激的だった。

 ♯10「賜物 または慈愛の女神は移住する」の主人公はマサヒコ・サトウだ。俺と年が近いこともあり、興味深く読み進めた。チェコ人の妻とは日本で出会い、ドイツに移住して大学教員となる。退職後、悠々自適の生活で心に揺らぎを覚えた。煩悩というべきか、老いているからこその純粋な思いかは、読む側の湿度によって異なるだろう。サトウが生まれ故郷の名古屋を訪ねるシーンが印象的だった。

 アウトサイダーであることは、人を孤独にするが、時に強く、豊かにすることを本作に教えられた。遠からず、モーラと同じく〝ドイツでのよそ者〟を選んだ多和田葉子の作品を紹介する予定だ。
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相対主義、公正世界仮説 ウイズ&アフター・コロナの後景に見えた都知事選

2020-07-05 22:36:05 | 社会、政治
コロナ禍のさなか、九州地方は深刻な豪雨の被害に見舞われた。行政の手厚い対策と一刻も早い原状回復を願っている。

 都知事選の投票を済ませてパソコンを立ち上げると、ワイヤレスのマウスが不調でポインターが消えていた。ビックカメラに直行し、購入したコード付きマウスを繋いだら、小池当選確実の速報がアップされていた。予測通りに進んだ理由を考えてみた。

 この国で<正義>を語れば冷笑の対象になる。信念に基づいて怒りを表現したら即〝炎上〟だ。日本だけではないが、<正義>の価値が低下した理由として、前稿で紹介した斎藤幸平大阪市大准教授は〝悪しき相対主義〟を挙げていた。斎藤はマルクス・ガブリエルとの対話(「未来への大分岐」)で、「〝悪しき相対主義〟の典型はガザ。ホロコーストを利用し、弾圧が身に染みているのはユダヤ人だけとの前提で、パレスチナ人の苦しみを顧みない」と記していた。

 「国家安全法」を施行して市民を弾圧する中国の陰に隠れ、イスラエルはトランプ大統領を後ろ盾にヨルダン川西岸併合を画策している。香港とパレスチナが<悪>に蹂躙される光景に絶望感と無力感を覚えつつ、有効なパンチを放てるか自問した。思い浮かんだのは沖縄だ。民意を無視して辺野古埋め立てを強行する自公政権は明白な<悪>で、埋め立て事業者は安倍首相に近い企業である。日本人が香港やパレスチナに連帯するための第一歩は、この国から<悪>を駆逐することだ。

 俺は小池氏の冷酷さ、ヘイト集団と変わらぬ差別的体質を批判してきた。加えて、五輪と選挙を意識し、補償に消極的なコロナ対策も明白な失敗だ。だが、都民は是とした。重なったのは「逃亡者」(6月23日の稿)で中村文則がテーマに据えた心理学用語<公正世界仮説>だ。簡潔に説明する。

 <社会が理不尽で危険と思うと人は不安になるから、問題があると感じても認めない。誰かが被害を訴えた時、あなたにも落ち度があったと被害者を批判する>……。蔓延すれば、権力者(小池知事)に阿り、自己責任論を当然と受け入れることになる。これが東京、そして日本の主音なのだ。

 今回の選挙でウイズ&アフター・コロナの正しい形が提示されることに期待していた。コロナ禍は〝身体性〟を武器にしてきた山本太郞候補に不利に働いたはずだ。街宣のネット中継は今後も効力を発揮するはずだが、フェスのような空気を醸成し、伝播させることで山本は支持を広めてきた。俺が今回、山本氏に否定的だった理由のひとつは、気候危機への政策に不十分さを感じてきたことにある。

 上記の斎藤氏は民主党ミシガン州予備選での得票率を分析していた。社会主義を掲げるバーニー・サンダースは18~24歳で83%、25~29歳で81%、30~39歳で62%の票を得ていた。オカシオコルテス下院議員らサンダース・チルドレン(民主党プログレッシヴ)は全米で勢力を伸ばしている。英国でも同様で、若年層で党内最左派のジェレミー・コービン労働党前党首への支持は高い。「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」(ブレイディみかこ著、新潮社)にも、コービンに憧れる10代前半の中国系の少年が登場する。

 英米の例はビフォア・コロナ時代だが、貧困層が増え、失業者が街に溢れるアフター・コロナ時代には、公正を求める声がさらに大きくなるはずだ。五輪中止は確実で、適格な補償を訴える抗議にさらされることに小池氏は堪えられるだろうか。変わり身が早い〝女帝〟は都政をほっぽり出し、国政に逃げ込むタイミングを計っているはずだ。

 アフター、否、アンダー・コロナに必須の政策――綿密なコロナ対策、多様性の尊重、グリーンニューディールの実践、格差是正、弱者救済etc――を政策集に組み込んだ宇都宮健児候補の声は届かなかった。NHKの出口調査では、18、19歳の80%近くが小池支持だったという。彼らの目に、宇都宮、山本両氏は映っていなかったのだろう。

 欧米や香港との若者との意識の違いに愕然としたが、日本の未来を担う若者にとって俺みたいに御託を並べるジジイは桎梏でしかないはずだ。それでも、無意味なニヒリズムには手を染めない覚悟は出来ている。
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藤井聡太、「凱里ブルース」、そして斎藤幸平~コロナの夏のカルチャーな週末

2020-07-01 22:18:51 | カルチャー
 宇都宮健児候補が発表した「総合政策集」を一読した。アフター・コロナを勘案すれば、弱者に寄り添ってきた同候補こそ都知事に相応しいことを再認識する。〝日本のバーニー・サンダース〟に奇跡が起きるか。

 先週末はイメージ・フォーラムで中国映画「凱里ブルース」(2015年、ビー・ガン監督)を観賞し、第3回オンラインセミナー<気候危機とコロナ危機 新しいシステムを求めて>(グリーンズジャパン主催)で学び、棋聖戦第2局を堪能した。
 
 まずは藤井聡太七段が渡辺明3冠に挑戦した棋聖戦から。藤井が永瀬拓矢2冠を破って挑戦を決めた対局を、飯島栄司七段は<芸術の域に達している>と解説していた。棋聖戦第2局では藤井の3一銀が<AIを超えた超絶の手>と称賛されている。藤井だけではなく、トップ棋士の鮮やかな指し手に接することが出来る幸せを実感している。

 昨年度のベストワンに挙げた「象は静かに座っている」(18年、フー・ボー監督)に圧倒された。フー・ボーが命を絶った今、中国第8世代の旗手、ビー・ガンへの注目は増すばかだ。「象は――」には冒頭から心を掴まれ、ヒリヒリした緊張感を保ちながら4時間を過ごした。睡眠不足もあって意識が飛び、夢の中で夢を見るように「凱里ブルース」を観賞した。

 ビー・ガンによる詩と瑞々しいイメージショットが全編に挿入され、物語は時空を往き来する。本作を<映画におけるマジックリアリズムの精華>とする評価に納得した。後半の40分に及ぶワンテイクで、見る者は現実と過去、此岸と彼岸の境界を彷徨する。俺もまた、自分の来し方とスクリーンの光景を重ねていた。

 低予算の自主映画が世界を瞠目させた背景に中国の文化戦略があるが、ビー・ガンは遠からず<自由についてのグローバルスタンダード>と向き合うことになるだろう。共産党の飼い犬になるか、野良犬になって国外に出るか……。そんな選択を迫られるはずだ。近日中に長編第2作「ロングデイズ・ジャーニー この夜の涯てへ」を観賞する予定だ。

 藤井は17歳、ビー・ガンは30歳、そしてオンラインセミナーで講演した斎藤幸平大阪市大准教授は33歳……。若き天才たちの輝きに感嘆させられたカルチャーな週末だった。

 斎藤はマルクス・ガブリエルの「NY思索ドキュメント」(NHK・BS1)に同行し、編著を担当した「未来への大分岐」(集英社文庫)ではマイケル・ハート、ポール・メイソン、上記のガブリエルと対話している。今回のテーマは<ポスト資本主義とグリーンニューディール(GND)>だ。

 壁崩壊から30年後、世界はどう変容したかが斎藤の問題意識だ。格差と貧困、リーマン・ショック、気候変動、ポピュリズムの台頭と民主主義の危機にパンデミックが加わった。分断が進み格差が進行するのか、平等や自由に価値を置く社会になるかの分岐点を今、世界は迎えている。

 GNDを、大型財政出動や公共投資によって高賃金の雇用を創出し、景気を刺激する<成長戦略>と見做す改良派と対照的に、斎藤やナオミ・クラインは<GND=ポスト資本主義>と位置付け、気候変動とリンクした自由、平等、連帯、持続可能性を掲げる「エコ社会主義」を見据えている。

 グレタ・トゥーンベリの「無限の経済成長はお伽話、現在のシステムの中に解決策が見つからないなら、システム自体を変えるべき」との言葉に斎藤は同意し、「経済規模を拡大しながら二酸化炭素排出を削減することは困難」と主張する。あえて<脱成長>を用いない理由は新著で明かすという。

 新自由主義の在り方を変える好機とみる斎藤は、管理・調整•地域雇用の必要性を説き、ローカルな規模での生産や消費の重視、格差是正のための独占資本や富裕層への課税を挙げる。気候危機に対応するため、採取主義から脱却し、人間と自然の物質代謝のあり方を修繕した「コモンとしての地球」を見据えている。

 先進国に都合のいいGNDが途上国の環境破壊をもたらすことを、チリを例に挙げて説明していた。電気自動車に用いられるリチウムの採掘が凄まじい勢いで地域の生態系と産業を破壊するのだ。先進国の〝グリーン〟な経済成長を優先すれば、自然破壊は止まらず、新たなウイルスの出現にもストップがかからない。

 気候正義実現のためには、先進国の生活そのものを変えなくてはならない 。うわべだけのGNDの反緊縮・技術楽観論は目くらましに過ぎず、誰のためのGNDかを見失わせることに繋がる。ポスト資本主義を射程に収めたGNDを唱ることが構造を変えることになると斎藤は結論付けた。

「おまえ、ホントにわかっているのか」と問われたら返す言葉もないが、当ブログではこれまで反グローバリズム、気候危機、ローカリゼーション、脱成長に関して繰り返し記してきた。十分とはいわないが、ある程度は理解出来たと思っている。書き切れなかった点は次稿に回したい。
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