酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

<エコ的>と<原発的>~ロックの新たなリトマス紙

2011-06-30 01:40:54 | 音楽
 首相の脱原発への傾斜が、菅降ろし激化の理由ではないか……。「朝まで生テレビ!」(24日深夜)で他のパネリストに冷笑されていた小沢遼子さんの発言を、27日付朝日朝刊1面が補強していた。「電力の選択」と銘打たれた連載は、菅首相の〝脱原発解散〟支持に向けた布石かもしれない。

 各電力会社の株主総会で、原発撤退を求める提案は否決された。岡田民主党幹事長、野田財務相、前原前外相は〝脱原発解散〟を強く否定し、海江田経産相に至っては玄海原発再稼働を地元に求めている。アメリカや財界の意を受けているのだろうが、利権を守ろうとする輩が脱原発にシフトする世論を掻き消そうとする状況下、俺は別稿(6月9日)に記した通り、菅首相の逆噴射解散に期待を寄せている。

 さて、本題。3・11以降、俺もまた、エネルギーについて考えるようになった。自然エネルギーと原発の根本的な志向の違いは、他の分野にも応用できるリトマス紙になるのでは……。そう閃いたきっかけは、2週間前の学生時代の友人との宴席だった。

 ロックに話題が及び、F君は「ロックは進歩していない。ただ循環しているだけ」と主張する。俺も同様の趣旨で記したことがあったが、5年のブランクを経て09年暮れ、現役ロックファンに復帰した後、前言を撤回した。<エコ的>という新しい方法論がロックに根付いていることに気付いたからだ。

 俺が<エコ的>に分類するバンド(ユニット)は民族音楽など幅広い音楽と境界線を共有し、手作り感覚に溢れている。曲ごとに担当楽器が変わり、メンバー全員が歌うという姿勢が祝祭的ムードを醸し出す。しかも自然体で、<改革者>の驕りは微塵もなく、量的な成功にも執着しない。代表格はアーケイド・ファイアで、ローカル・ネイティヴスとダーティー・プロジェクターズにもフレーミング・リップスの域に達する可能性はあると思う。

 最近気に入った<エコ的>アルバムを2枚紹介する。まずは、アニマル・コレクティヴの一員でもあるパンダ・ベアの「トム・ボーイ」。初めて聴いたソロアルバムは、サントラを思わせる作りになっている。脳裏で入念に構成された映像に音を重ねたという印象で、内側に沈みながら、無限に向かうベクトルも感じさせる。

 もう一枚は豪州出身のザ・ミドル・イーストの1st「アイ・ウォント・ザット・ユー・アー・オールウェイズ・ハッピー」だ。全編アコースティックで土着的な匂いがする。有機野菜レストランに行ったような気分だ。淡色だが重厚な曲もあり、聴き込むにつれ表情の豊かさに気付いていく。

 現実においては<エコ的>こそ未来で、<原発的>は克服されるべきと考えるが、俺の一押しであるミューズは<原発的>の典型といえる。個々の表現力をテクノロジーで膨らませ、頓挫したプルサーマル計画が成功した暁のようなパフォーマンスを見せつけている。詞の内容が実際の原発同様、危険というのも彼らの特徴だ

 ロラパルーザ'07でヘッドライナーに抜擢され、〝未開の地〟アメリカでもブレークする。オルタナ界の顔役ペリー・ファレルが愛のこもったアジテーションで、暴れ系若者が待つステージにミューズを送り出した。

 フー・ファイターズ、エミネム、コールドプレイの出演が発表された後、ミューズはロラパルーザ'11にブッキングされた。4年前の恩返しもあり、セカンドステージで演奏すると思っていたら、ヘッドライナーとして初日のメーンステージに立つ。蹴落とした形になるコールドプレイとの〝格的な逆転〟は、ひとつの事件かもしれない。

 <原発的>バンドは、ハイパー資本主義の構造に縛られている。ミューズも既に〝飼い犬〟かもしれないが、来月末には最も敬意を払うレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンとLAライジンングで共演する。辛うじて牙を保っているようだ。


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清冽に、スタイリッシュに~台北を舞台に弾ける青春映画

2011-06-27 01:10:15 | 映画、ドラマ
 上杉隆、長谷川幸洋、古賀茂明の名が出演者リストにあったので、「朝まで生テレビ!」を録画して見た。この3人は期待通りだったが、時間が割かれた政争の部分にイライラが募った。小出裕章京大助教は「福島原発ではチャイナシンドロームが起きている」と警告している。世界を巻き込む危機的状況に、日本政府は有効な手段を打講じることができるのだろうか。

 10代から20代前半にかけ、「刑事コロンボ」は欠かさず見ていた。ピーター・フォークの死を心から悼みたい。再放送を初回同様に楽しむ父と母が不思議でならなかったが、俺の健忘症はとっくに両親の域に達している。「コロンボ」シリーズだけでなく、カサヴェデス作品や「カリフォルニア・ガールズ」が追悼放映されれば、初めて見た時のように楽しめるだろう。

 早稲田松竹で週末、台湾映画2本立てを見た。「台北の朝、僕は恋をする」(09年、アーヴィン・チェン監督)と「モンガに散る」(10年、ニウ・チェンザー監督)で、色調は異なるが、ともに台北を舞台にした秀逸な青春ドラマだった。食べるシーンが多いこと、ポップな感覚に溢れていることも両作の共通点である。

 「台北――」のエンドロールは、「エドワード・ヤンに捧げる」と締めくくられていた。チェン監督が故エドワード・ヤンの愛弟子なら、「モンガに散る」のチェンザー監督はホウ・シャオシェンの直系という。台湾映画を世界レベルに引き上げたヤンとシャオシェンのDNAは、次世代にもしっかり受け継がれているようだ。

 「台北――」は魅力的な街並みを背景に描かれた鮮やかな〝ボーイ・ミーツ・ガール〟だった。ヴィム・ヴェンダース(制作総指揮)も貢献大だったに違いない。恋人がパリに去ったカイ(ジャック・ヤオ)は、本屋のフロアに座り込んでフランス語を学ぶうち、店員のスージー(アンバー・クォ)と言葉を交わすようになる。

 老いらくの恋に苦しむ暗黒街の顔役パオ、傷心の刑事チーヨン、同僚に思いを寄せるカイの親友カオ……。パリ行きを決意したカイに託された怪しい小包(ヘロイン?)を巡ってドタバタが展開するが、小悪党のホン(パオの甥)でさえカオの恋を応援するなど、登場人物は憎めない部分を持ち合わせている。複数の糸をテンポ良く90分弱に紡ぎ上げた本作は、ソーダ水の味がした。アンバー・クォのチャーミングさが見る者の心をシュワッと弾けさせ、五十路のオヤジでさえラストに爽快さを覚えた。

 「モンガに散る」は闇世界に身を投じた若者たちの群像劇で、台湾版「ガキ帝国」(81年、井筒和幸監督)の趣がある。モスキート役のマーク・チャオの雰囲気や表情に、「ガキ帝国」でケンを演じた趙方豪が重なった。任侠映画の影響や監督の日本への思いは、散る桜のイメージが物語を貫いていることからも明らかだ。ちなみにモンガは台北最大の歓楽街で、東京でいえば歌舞伎町に当たるという。

 高校で知り合った不良グループが義兄弟の契りを結ぶ。転校生のモスキート、狂気と弱さを併せ持つ大親分の息子ドラゴン、明晰な頭脳で実質的リーダーといえるモンク、白ザル、アベイの個性的な5人組は、殺人を共有したことでチンピラから極道の世界に身を投じることになる。ドラゴンに寄せるモンクの複雑な思いが、物語の推進役を担っていた。

 実録ヤクザ映画の構図そのまま、中国本土から大組織が介入してくる。監督自身が演じる大陸ヤクザの幹部ウルフは、モスキートと因縁浅からぬ関係にあった。跡目と利権を目指した抗争が激化する中、義理と人情に重きを置くモスキートは、冷徹な事実に直面して行動に打って出る。非情な掟に弄ばれる青春が描かれていたが、ラストに救いが用意されている。

 極道とは、闘うとは、人間とは……。苦悩するモスキートにとって、顔にアザがある娼婦シャオニンとの逢瀬が唯一の慰めだった。金が介在してスタートした愛が、モスキートの中で純粋かつリアルに膨らんでいく。青春映画に不可欠な恋愛の要素も、過不足なく描かれていた。

 「息もできない」で世界を瞠目させた韓国映画がアジアのトップランナーだが、台湾、そして日本も優れた作品を次々に送り出している。<ハリウッドよりアジア>が、ここ数年の俺の実感だ。


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時代性と不易性~今こそ鶴彬のパンク魂を

2011-06-24 02:41:30 | 読書
 永世称号保持者が相まみえた第69期名人戦は、森内9段が羽生名人を破り、4年ぶりに復位した。3連敗から挽回した羽生だが、最終局では森内の攻勢を凌げず、2冠に後退する。森内の75手目が、対局場(甲府市)に集まった若手俊英たちを驚かせた。この4四角こそ、名人にのみ下りてくる天啓なのだろう。

 8月解散が浮上した政治の混乱、汚染水流出をめぐる東電の隠蔽体質……。ニュースを見ても苛々するだけだが、将棋は俺にとって恰好の消化剤になっている。棋士たちは才能の絶対値、研究の成果、決断力で覇を競う。結果に言い訳が利かないが、勝者は時に「指運」という表現で敗者を慮る。盤上に溢れる煌めきと矜持は、こんな時代だからこそ清々しい。

 3週間前になるが、「田中康夫のニッポンサイコー!」に出演した井上寿一学習院大教授が関東大震災当時と現在との近似点を指摘していた。政治不信、格差と貧困、そして官僚たちの独走である。井上氏は軍部もまた、〝巨大な官僚機構〟と位置付けていた。

 歴史は繰り返すというが、90年前と比べると決定的な違いがある。それは民衆の抵抗だ。1920年代から30年代前半は、日本の大衆運動の黄金期だった。今回は、その時代を鮮烈に生きた川柳歌人、鶴彬(つる・あきら)について記したい。仕事先の夕刊紙に書評が掲載された「だから、鶴彬」(楜沢健著、春陽堂)を読み、深い感銘を受けた。

 1910年生まれの鶴彬は、川柳を武器に闘い続けたパンク歌人である。15歳のデビュー作<燐寸の棒の燃焼にも似た命>、22歳時に大阪衛戌監獄で詠んだ<いずれ死ぬ身を壁に寄せかける>に、自らの最期を予感した透徹した目が窺える。鶴彬は大衆の抵抗がピークに達した30年前後、「我々の川柳は、あまねく街頭に、工場に、農村に、ポスターとしてアッピールし、被抑圧大衆のたましいをゆり動かすだろう」と宣言し、<淫売と失業とストライキより記事がない>と詠む。

 楜沢氏は<奴隷の街の電柱は春のアヂビラのレポータア>に、ロシアアヴァンギャルド、アルゼンチンタンゴに通底する精神を感じている。「落書き、街頭の芸術、謀叛の詩」である鶴彬の川柳の〝時代性〟は、世紀を超えて〝不易性〟を保っている。震災と原発事故は貧困と格差の拡大に確実に繋がるだろう。生活実感を軸にしたムーブメントが広がった時、我々は鶴彬の魂が受け継がれていることに気付くはずだ。

 「真にすぐれた自由律作家は、同時にすぐれた定型律作家でなければならぬ」という言葉に、鶴彬の決意が込められている。弾圧下で自由を希求する自分、定型に縛られつつ抵抗を表現する川柳……。鶴彬にとって川柳とは自らの生き様に重なる形式だったのだろう。鶴彬の反骨精神とユーモアが発揮されたのは<働けばうずいてならぬ……のあと>だ。「……」はもちろん「拷問」で、検閲によって伏せ字になることを逆手に取っている。

 棄民への怒りを込めた<次ぎ次ぎ標的になる移民募集札>、天皇制を否定した<神代から連綿として飢ゑてゐる>、国家総動員法の先駆けになったラジオ体操を憎んだ<夜業の煤煙を吸へという朝々のラヂオ体操か>、出産奨励を嗤った<タマ除けを産めよ殖やせよ勲章をやろう>、ナチスの断種法を憂いた<種豚にされる独逸の女たち>など、鶴彬の句は真実を穿っている。
 
 芥川龍之介への敬意、梶井基次郎への共感が作品に込められているが、石川啄木の影響は絶大だった。啄木は朝鮮併合(1910年)に際し、<地図の上朝鮮国にくろぐろと墨をぬりつゝ秋風を聴く>と詠んでいる。特高に監視されて就業が難しかった鶴彬は、強制連行された朝鮮人とともに働いた。その経験を詠んだ連作「半島の生れ」には、<母国掠め盗った国の歴史を復習する大声>、<墨を磨る如き世紀の闇を見よ>などの秀作が含まれている。

 鶴彬は<手と足をもいだ丸太にしてかへし>で死を招き寄せた。「キャタビラー」(若松孝二監督)を彷彿させる句で、丸太とは傷病兵のことを指す。731部隊が人体実験に用いた中国人、ロシア人、朝鮮人もこう呼ばれた。この句を告発された鶴彬は、検挙されて赤痢に罹り、29歳で召された。731部隊の医師であった湯浅氏は自らの戦争責任を伝える講演活動を続けていたが、「鶴彬は特高によって赤痢菌を接種され、最初の丸太にされた可能性がある」と語っている。

 最後に、俺が魅かれた句を挙げておく。<短銃(ピストル)を握りカクテル見詰めたり>、<解剖の胡蝶の翅に散る花粉>、<暁をいだいて闇にゐる蕾>で、いずれもシュルレアリズムの影響が窺える。

 ブログのタイトルが「酔生夢死〝老人〟日記」になる頃には芸風を変え、短歌か俳句を毎回アップするつもりでいたが、同書にインスパイアされ、「川柳もありか」と思った。早速、習作に取り掛かってみようかな……。


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「八日目の蝉」~見る者の湿度を測るミステリー

2011-06-21 00:29:24 | 映画、ドラマ
 関係が冷え切っていた橋下大阪府知事と平松大阪市長が、<脱原発>でタッグを組む可能性が出てきた。西方に光ありだが、永田町では原発維持を企む怪しい輩が蠢いている。次期総選挙はいずれの党も、原発とエネルギーについて明確なビジョンを掲げて闘ってほしい。

 新宿で先日、「八日目の蝉」(11年、成島出監督/角田光代原作)を見た。いずれレンタル店の人気アイテムになるはずなので、興趣を削がぬようファジーに記したい。

 主役は希和子(永作博美)と恵理菜(井上真央)の2人だ。希和子は妻子ある秋山(田中哲司)の離婚の約束を真に受け堕胎するが、手術のミスによって子供を産めない体になる。雨の日、秋山夫妻が外出した隙を突き、希和子は生後間もない恵理菜を誘拐した。

 幼児誘拐を描いた小説で思い出すのは「マイン」(ロバート・マキャモン)だ。ジム・モリソンの生存を信じる女にわが子を誘拐された母親が、<マイン=私だけのもの>を取り返す追跡劇で、正気と狂気、正義と悪が対照的に描かれる。本作に置き換えれば、恵理菜を薫(生まれてくる子に付けるはずだった名)と呼び、逃避行を続ける希和子は邪悪な存在のはずだが、見る者は少しずつ彼女に感情移入していく。

 希和子と薫(=恵理菜)が過ごした4年間、それから17年を経た恵理菜の現在がカットバックして物語は進行する。小豆島の美しい自然と希和子の記憶が連鎖して恵理菜の中で甦り、哀しくて鮮烈なラストに導かれていく。制作、演出、撮影の周到な準備により、永作と井上のメイク、しぐさ、表情、発するオーラは実の母娘のように似ていた。

 男の趣味まで同じなのか、ともに女性を欲望の対象としか考えない優柔不断で冷酷な男を選んだ。〝駆け込み寺〟エンゼルホームがストーリーに組み込まれたのも、作者の男性総体への嫌悪の表れかもしれない。

 愛とは、家族とは、共に生きるとは……。本作は様々な問いを孕んでいるが、インスパイアされて行き当たったのは<正しく愛すること≒正しく壊すこと>だった。恵理菜が戻った後の秋山家で、希和子と愛を競った母(森口瑶子)は奇矯な振る舞いに及ぶ。無残に壊れた秋山家で、恵理菜は愛の形を知ることなく育っていく。

 蝉は地上で7日間しか生きられない。未知の領域に踏み入れた「八日目の蝉」は幸せなのか孤独なのか、希和子の憎しみは<マイン=薫>によって浄化されたのか、冒頭の法廷シーンで見せた希和子の清々しい笑みの陰に毒は潜んでいないのだろうか、エンドマークの先にあるものは……。作者と監督が見る者の湿度を測っているような作品で、席を立った後も想像力の翼は畳めなかった。

 エンゼル役の余貴美子の怪演、さりげない優しさを表現した風吹ジュン、新境地を開拓した小池栄子ら女性陣に拍手を送りたいが、永作の存在感が際立っていた。「福家警部補の挨拶」(09年、NHK)で発見し、「蛇のひと」(WOWOW、10年)、先日放映された「11文字の殺人」(フジ)、本作と続く。空気と水のように、自然体で物語を引き立たせる貴重な女優だと思う。


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初心を忘れないため「デモクラシーNOW!」

2011-06-18 13:36:41 | 戯れ言
 俺のような怠け者は毎回、一夜漬けでPOGドラフトに臨んでいる。直前の1週間は極端な寝不足に陥り、もともと散漫な注意力は限りなくゼロに近づく、会議翌日(13日)、時間潰しに入ったルノアールで大失態をやらかした。

 爆睡から寝ぼけたままトイレで用を足す。違和感を覚えて個室を出たら、ドアに女性用の表示があった。誰かに見咎められていたら、御用になった可能性が高い。悪酔いして駅の女子トイレで吐いた警察官が、「軽犯罪法違反」で逮捕されたケースもあったのだから……。いそいそ店を出て向かった先は、大学時代のサークル仲間との飲み会である。

 昨年11月に再会して以来、同期U君(某国立大図書館員)が出張で上京するたび、先輩Kさん(某出版社労組委員長)、後輩F君(無職)と一席設けてきた。4回目の宴でもカズオ・イシグロを英語で読むU君の知性派ぶりに感心しきりだったが、メーンテーマはKさんとF君に変化をもたらした3・11だった。

 福島出身のKさんが3・11をシリアスに受け止めていることは言葉の端々に窺える。父を亡くされたばかりで、故郷や家族について様々な思いが交錯しているはずだ。F君の肩書が「某出版社役員⇒無職」に変わった。F君(編集統括)の退職には経費削減を進める総務・経理への抗議の意味もあったが、直接のきっかけは3・11である。

 高校生の娘を持つF君は、家族を連れて滋賀県(奥さんの実家?)に退避した。放射能の脅威を訴える広瀬隆の著書や研究者の警告に触れたF君にとって当然の行動だが、社内、とりわけ上層部の空気は冷たかったという。F君は3・11が炙り出した日本特有の集団埋没、子羊体質にぶち当たったのだ。村上春樹と宮崎学を織り交ぜ(論旨は忘れたが)、日本社会に対する失望と違和感を語っていた。

 会話が弾む中、俺の思いは過去へ遡っていた。Kさんの部屋をサロンにしていた20代の頃、日本はどんな貌をしていたのだろう? 震災と原発事故は貧困と格差を確実に拡大するが、抵抗の結晶軸は存在しない。俺たちの無為によって左翼と反体制は息絶えたのだ。

 クチクラ化した俺に刺激を与え、〝初心〟を思い出させてくれる番組が、当ブログで繰り返し紹介している「デモクラシーNOW!」だ。左翼と反体制がアメリカではフレッシュであることを示す同番組に、ノーマ・チョムスキー(思想家)、マイケル・ムーア(映画監督)、ジョセフ・スティグリッツ(ノーベル賞受賞経済学者)の3人が頻繁に出演する。エンディングテーマを歌うパティ・スミスがゲストで登場したこともあった。

 「資本主義独裁」、「世界最大のテロ国家」、「虚妄の民主主義」……。アメリカを否定的に記す俺に〝狂気〟を見いだす方もいるだろうが、同番組を欠かさず見ている知人は、俺の表現でも「まだ甘い」と語っていた。中東で抵抗運動が独裁政権を揺さぶっていた頃、チョムスキーは「アメリカにこそ民主革命が必要」と語っていたが、その言葉は20日も経たないうち現実になる。

 3カ月のタイムラグがあるため、最新の番組が映すのは3月のアメリカだ。3・11の衝撃もあり、日本のメディアは大きく伝えなかったが、アメリカでは当時、反組合法をめぐって民主化運動が盛り上がっていた。ウィスコンシンやミシガンなど全米各地で、10万人規模の集会とデモが州議会を包囲する。

 「民主主義の成立条件は全市民が活動家であること」と語るマイケル・ムーアは、<反組合法=国家と資本家が仕掛けた階級闘争>と規定している。言論の自由を制限し、資本家の更なる収奪を固定化する反組合法に対抗するムーブメントに、多くのティーンエイジャーも参加している。〝21世紀の治安維持法〟「コンピューター監視法」が無抵抗で通る日本との差に愕然とするしかない。国としては凶悪に振る舞うアメリカだが、良心に基づき声を上げる市民は多い。彼らの思いが「デモクラシーNOW!」を支えている。

 日本にも注目するジャーナリストがいる。その中のひとりが「ニュースの深層」(水曜)でキャスターを務める土井香苗さんだ。最新の番組ではインドにおける児童労働を取り上げるなど、スティグリッツに共通する視点で貧困と格差を捉えている。

 土井さんはピースボートで活動中、司法試験に史上最年少(当時)で合格したという。明晰な頭脳、鋭い感性、行動力を併せ持つ土井さんがいずれ、エイミー・グッドマン(デモクラシーNOW!のキャスター)の域に達することを期待している。


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自己採点は85点~POGドラフトを終え

2011-06-15 01:21:51 | 競馬
 イタリアが国民投票で脱原発に舵を切った。今後もそれぞれの国で、世論を反映した決定が下されるに違いなが、日本の動向は不透明だ。朝日新聞の世論調査で、「原発段階的廃止」が74%に上った。反原発にシフトする国民を「集団ヒステリー」と評した自民党・石原伸晃幹事長は、大連立で<反・脱原発>の声を封じ込めたいようだ。

 前々稿(6月9日)に記した通り、俺は菅首相の逆噴射に期待している。<脱原発&エネルギー政策転換>を掲げて解散に打って出れば、民主党の大半は離反する。そこで、孫正義氏と接近しつつある橋下大阪府知事と組めば面白い。〝一点突破、全面展開〟で棄民の伝統とアメリカ隷属に同時に終止符を打つという俺の夢想が現実離れしていることは、重々承知しているが……。

 3・11以降、自粛が世の基調になり、夏祭りや花火大会は早々に規模縮小や中止が決まった。谷底で息を潜める俺にとり、自粛できない祭りが年に一度だけある。6月第2日曜に開かれるペーパーオーナーゲーム(POG)ドラフト会議だ。

 縁あって日本最古のPOGに参加して4年目……。仔馬誕生時の母馬の年齢、兄姉の成績、預託厩舎の勝ち鞍数などを縛りに独自のスタンスを確立したつもりだが、その実、血統の好み、中穴狙いの志向、情に縛られている。関東馬≧関西馬の決め事に則った俺の指名馬は以下の通りだ。

(1) クラヴェジーナ(牝・音無/アグネスタキオン)
(2) ディ-プブリランテ(牡・矢作/ディープインパクト)
(3) ディサイファ(牡・小島太/ディープインパクト)
(4) ストレートラブ(牝・松田博/アグネスタキオン)
(5) ルミナスグルーヴ(牝・小島茂/アグネスタキオン)
(6) ベルニーニ(牡・岡田/ジャングルポケット)
(7) モントリヒト(牡・藤沢和/アグネスタキオン)
(8) インクレセント(牝・長浜/アグネスタキオン)
(9) グランシャルム(牝・鹿戸雄/Dylan Thomas)
(10) バーニングジール(牡・荒川/ハーツクライ)
(11) レッドスピリッツ(牝・庄野/マンハッタンカフェ)
(12) フェノーメノ(牡・戸田/ステイゴールド)
(13) ナンヨーヤシマ(牡・国枝/アグネスタキオン)
(14) オウケンプレスリー(牡・小崎/スペシャルウィーク)
(15) レットイットスノー(牝・伊藤圭/ハーツクライ)
(16) クローチェ(牡・橋田/ダイワメジャー)
(17) アロヒラニ(牡・久保田/キングカメハメハ)
(18) スカーレットリング(牝・国枝/シンボリクリスエス)
(19) ロイヤルチョイス(牡・長浜/Redoutes choice)
(20) チャーチクワイア(牝・古賀慎/ネオユニヴァース)
(21) ハーツブラッド(牝・畠山吉/ハーツクライ)
(22) サトノインスパイア(牡・村山/Discreet Cat)
(23) マコトガルデーニエ(牝・尾形/シンボリクリスエス)
(24) アドマイヤシルク(牝・松田博/シンボリクリスエス)

 東西26頭ずつに絞ってドラフトに臨んだ。A(25頭=取りたい)、B(27頭=取れれば)に分類し、Aから17頭指名できた。芝の中長距離型、スプリンター、マイラー、ダート血統、重馬場向き、早めのデビュー、晩成タイプとバラエティーに富んでいる。

 上々の首尾だが100点とはいかず、自己採点は85点だ。俺の前に立ちはだかったのは、2人の当ブログ読者だ。いでたちがテキヤの大将風のKさんは、包容力、気概、ユーモアが滲み出る全共闘世代だ。Kさんには1位指名で競合したディアデラパンドラ(角居)を持っていかれた。今週末の新馬戦では「クラシックが楽しみ」と鞍上(福永)が吹いている通り圧勝するだろう。

 もうひとりは芯の強さと繊細さを併せ持つチャーミングなMさんだ。フォルトファーレン(音無)、ラグジュリア(田中清)、ニーレンベルギア(西園)ら6頭を、声を上げる寸前さらわれた。自分の相馬眼を確かめる意味もあり、馬たちを心から応援する。

 最後に、速報を。GⅠセントジェームズパレスS(英アスコット競馬場、1600㍍)に挑んだグランプリボスは、9頭中8着と残念な結果に終わった。遠征の不利や日英の馬場の違いを克服できなかったが、陣営のチャレンジ精神に拍手を送りたい。


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「悪と仮面のルール」~21世紀に甦るドストエフスキーの魂

2011-06-12 00:58:32 | 読書
 昨日(11日)は全国100カ所以上で反原発イベントが開催された。手作りの運動が広がっていることに感動を覚える。スペインでは村上春樹が、反原発の持論を展開した。各自が背丈に合った方法でマニフェストすることで、うねりは少しずつ高くなる。弱小ブロガーたる俺も、片隅から思いを発信していきたい。

 今回は中村文則著「悪と仮面のルール」(10年、講談社)を取り上げる。3・11以降、ファジーな俺でさえ<善とは悪とは、神とは悪魔とは、救いとは罰とは>と〝哲学する気分〟になった。日本の現在と未来を射程に入れて本作を読むと、世界はビビッドに広がってくる。

 日本で今、善と悪はどのような形を取っているのだろう。自己犠牲を厭わぬ福島原発関係者、復興に汗を流すNPOやNGO、弾圧にもひるまず反原発を訴え続けた小出裕章氏らが善の象徴だが、優しい俺は個々の悪を批判する気にならない。放射能の安全性を説く長崎大・山下俊一教授(福島県アドバイザー)にしても、原発マフィア、政府、学界、文科省、経産省、東電、保険会社、メディアが形成する<悪の複合体>の滑稽な飼い犬に過ぎないからだ。

 本作の主人公である久喜文宏は<邪の家族>の一員であり、悪の欠片たるべく育てられる。久喜家はまさに<悪の複合体>の中枢で、戦争を演出することで富と権力を拡大している。〝裏久喜〟も強大で、原発を占拠した宗教団体「ラームラ」の指導者、劇場型犯罪を引き起こす「JL」のリーダーは文宏の血縁に当たる。

 前作の「掏摸」(09年)を別稿(10年10月13日)で<超弩級の文芸ピカレスク>と絶賛したが、本作の完成度も劣らない。ストーリーの紹介は最低限にとどめ、中村作品に根付くドストエフスキーについて記したい。

 仕事先の夕刊紙の書評ページに昨秋、東外大・亀山郁夫学長の「読書日記」が掲載された。ドストエフスキーの新訳(光文社文庫)でも知られる亀山氏は「悪の仮面のルール」を、<悪とその究極にある快楽、支配者が味わう感覚、世俗的な幸福への侮蔑を追究しつつ、ニヒリズムを乗り越えて究極のエンターテインメントを創り上げた>(論旨)と評していた。

 2人の男の接点に気付いた刑事のモノローグから始まる本作は、周到に準備された不条理サスペンスであり、香織への絶対的な愛を軸に据えた悲恋物語でもある。アイデンティティーの意味を問う変身譚の要素も併せ持つが、文宏(=新谷弘一)と他者との会話が肝になり、深くて重い作品の質を規定している。

 <邪>を体現する父、<邪>の継承者たる兄、「JL」のメンバーと、文宏が悪、罪、殺人、神について議論を闘わせる場面は、「カラマーゾフの兄弟」の「大審問官」を彷彿させる。ドストエフスキーが提示したテーマが時代と国を超えて息づいていることに、亀山氏は感銘を受けたに相違ない。

 久喜家の家訓<幸福とは閉鎖だ>には、神をも冒瀆するような傲慢さと大衆への侮蔑が込められている。世界中で無数の死を創出する父と兄だが、世界を歪める狂気に衝き動かされながらも悪魔になれず、憂鬱と倦怠に苛まれている。

 <意識は無意識の奴隷っていうのはよくできた言葉でさ、人間の意識なんて弱いものだよ。結局僕は無意識の領域から、内側から徐々に歪んでいくんだ>……。

 こう述懐する文宏は、自らを、父と兄を、そして破壊願望に憑かれた一族の若者を、<閉鎖された幸福>から解き放つ役割を担っている。私立探偵、整形外科医、そして刑事までも〝共犯者〟にして突き進む予定調和的なラストにカタルシスを覚えた。

 「掏摸」と「悪と仮面のルール」を2年続けて発表した中村は、まだ33歳だ。2歳上の平野啓一郎と日本文学を牽引していくことになるだろう。







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キュアー、マニックス、ミューズ、ホワイト・ライズ~UKロックの至宝は今

2011-06-09 00:58:19 | 音楽
 大田区の下水処理施設の空気中から、毎時約2・7マイクロシーベルトの放射線量が検出された。小出しにされる深刻な真実からも、原発事故直後、東京が許容量を大幅に超える放射線を浴びていたことは疑いようがない。

 早くも夏バテ気味で、脳は体以上にふやけているが、大連立を企む輩の本音ぐらい想像がつく。彼らはきっと、宗主国アメリカの意向を受け、脱原発の声を石棺化したいのだ。どうせ〝本籍ワシントン〟 が後任に据えられるのなら、俺は菅首相の逆噴射に期待したい。小グループになるのは覚悟で、脱原発を掲げて解散に打って出れば、一票を投じるだろう。

 魑魅魍魎の政界と比べ、棋界では節度と矜持が字義通り保たれている。羽生名人が3連敗後の3連勝で、決着は最終局に持ち越された。名人戦より面白かったのは、日曜のNHK杯だった。2度の千日手の末、18歳の永瀬4段が優勝候補の佐藤9段を破る。研究に裏打ちされた美学が清々しかった。

 さて、本題。今回は関心を抱くUKバンドの動向について記したい。

 アジアン・カンフー・ジェネレーションが主催するナノ・ムゲンフェスにマニック・ストリート・プリーチャーズが出演する。イベント自体はパスしたが、単独公演が実現した。場所は新宿BLAZE(キャパ800)、オープニングアクトがアッシュというから堪らない。申し込んだが、抽選突破は期待薄か。
 
 キュアーがシドニーで、DVD製作を前提にライブを行った。「トリロジー」(03年)に次ぐ試みで、「スリー・イマジナリー・ボーイズ」、「セブンティーン・セコンズ」、「フェイス」の初期3作を全曲演奏した。4時間弱というステージに、ファンへの感謝の気持ちが窺える。

 80年前後のロバート・スミスとローレンス・トルハーストのインタビューは、<オフは読書と映画に充てる。三島も安部も好きだよ>といった具合で、キュアーは高等遊民風の脱力ユニットだった。「イン・オランジュ」(86年にフランスの古城で収録)を見た時、完璧なプロフェッショナルぶりに衝撃を受ける。個人的に同作はロック史上ベストライブ映像である。

 五十路に突入したロバートは、金と時間を掛けずに製作した初期3枚に忸怩たる思いを抱き、<少年の悪夢>をカラフルに彩ってファンに示したいと願ったのだろう。少しは優しくなったのか、幼馴染みのローレンスを「フェイス」のセットに呼んでいる。追放と和解の経緯を知る長年のファンは、ステージに立つローレンスの姿に涙したかもしれない。

 次にミューズ。キッズから熱烈に支持されている彼らは、アメリカでも〝業界の救世主〟と目されている。ヘッドライナー3組が決まった後、ロラパルーザにブッキングされたが、その辺りは格に無頓着なミューズらしい。

 ミューズの今夏のハイライトは二つある。一つは2nd「オリジン・オブ・シンメトリー」から全曲演奏するレディング&リーズだ。ロマの音楽に通底する情念が陽炎のように立ち込めた作品で、5枚のアルバムでも随一のクオリティーを誇る。同フェスは全欧に生中継されるから、パフォーマンスを収めたDVDは西新宿のブート専門店に並ぶはずだ。今から9月が待ち遠しい。

 もう一つはレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンと共演する「LAライジング」だ。フジロック'07に来日した時、メンバーは「レイジは音楽性もメッセージ性も別格」と語っていた。HPでも“Mighty”とレイジを表現するなど、共演できるのが嬉しくてたまらないようだ。レイジの影響なくして生まれなかったラディカルな「ザ・レジスタンス」が、保守的なグラミー賞で「最優秀ロックアルバム」というのも不思議な感じだ。

 ミューズに続くスタジアムバンドと期待されるホワイト・ライズの2枚のアルバムを合わせて聴いた。〝21世紀のジョイ・ディヴィジョン〟が売りだが、当人たちは上記のマニックス同様、エコー&ザ・バニーメンに最大の敬意を払っている。失速するのが早かったエコバニだが、放った光芒はタイプが異なる後輩ロッカーたちに受け継がれている。

 数回ずつ聴いた感想だが、音の質はコールドプレイ、エデイターズに近く、歪みや破綻はない。内向的な詩も独特で、完成度は極めて高い。ライブパフォーマンスにも定評があり、近日中にブートDVDを購入するつもりだ。


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「カズオ・イシグロをさがして」~彷徨する〝永遠の孤児〟

2011-06-06 02:17:31 | カルチャー
 大震災と原発事故から3カ月近くがたった。<推進か反対ではなく、脱原発に向け議論する時機>という世論に乗った菅首相は、浜岡原発停止に続き自然エネルギー重視へのシフトチェンジを表明したが、〝遺言〟はどうやらパフォーマンスだったらしい。国家戦略室の「エネルギー環境戦略」素案は、従来通り原発推進をうたっている。

 〝本籍ワシントン〟の前原誠司氏が次期首相に就任すれば、確実に原発マフィアに隷属する。放射能汚染を訴える声はコンピューター監視法に基づいて封殺され、売国内閣の下、日本人は自由と健康を併せて失うことになりかねない。

 さて、本題。ETV特集「カズオ・イシグロをさがして」(再放送)を録画で見た。映画「わたしを離さないで」のプロモーションの一環で10年ぶりに来日したイシグロを追ったドキュメンタリーで、青学大・福岡伸一教授(生物学)が創作の秘密に迫っていた。

 俺はイシグロの小説を<英語で書かれた日本文学>と定義している。矜持、恥の意識、美学、もののあはれ、自己犠牲、予定調和といった日本で死語になった感性や価値観が息づく作品を、当ブログで繰り返し紹介してきた。
 
 3・11後に映画「わたしを離さないで」を見て、俺の中で波紋が生じる。<粛々と宿命を受け入れるキャシーたちの生き方(=死にざま)は崇高なのだろうか。彼らと人災(原発事故)までも「仕方ない」と許してしまう日本人との距離が、今の俺には測れない>(4月3日の稿)と記した。

 本作の脚本を担当したアレックス・ガーランド(作家)は、無数の糸で織られた重厚さと繊細さを絶賛しつつ、「どこまで進んでも、物語の上部構造は原形を保っていた」と番組内で語っていた。その言葉に、上記の俺の感想と重なる部分があると思う。

 5歳で渡英したイシグロは音楽を愛した父の影響もあり、シンガーソングライターを目指した時期があった。ギターを手にアメリカ放浪した頃の長髪に無精髭のスナップは、ジョン・レノンを彷彿させる。

 日本人でありたいというセンチメンタルな思いを引きずりながら、イシグロは英国籍を取得する。〝日本喪失〟は、〝日本発見〟の過程でもあり、イシグロは<記憶とノスタルジア>を軸に据えて小説を書き始める。ホームレス更生施設で働いた経験が大きな糧になったと語っていた。絶望的状況における人間の崇高さは、イシグロ作品の主音のひとつになっている。

 セバスチャン・クローズ(文芸評論家)の指摘も興味深かった。クローズは「日の名残り」を、<創造した架空の英国を、裏に潜む部分を明らかにしつつ解体した作品>と評していた。イシグロは日本だけでなく、英国の幻像を同時に追いかける作家といえる。

 「わたしたちが孤児だったころ」読了後、俺はある仮説を提示した(07年9月26日)。イシグロは越境者である自らを、アイデンティティーを持つことを許されない<永遠の孤児>と位置付けているのではないかと……。番組のラストは印象的だった。カメラは東京の雑踏を歩くイシグロを追う。その背中に滲んでいたのは、デラシネの孤独だった。

 平野啓一郎は自身のブログで、<大地震や原発事故を作品を通じて受け止められないなら、この時代に小説を書く意味はない>(趣旨)と記していた。イシグロが3・11をどのように咀嚼し、次回作にどう反映させるか注目している。


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21世紀型管理社会の恐怖~空騒ぎの陰で起きていること

2011-06-03 02:31:01 | 社会、政治
 「凄いことが起きたね」と整理記者Yさん(演劇ジャーナリスト)が、超常現象を報じる毎日新聞のHPを教えてくれた。立川市で同時に現れた日暈と環水平アークのことである。日暈は白虹とも呼ばれ、大乱の凶兆とされてきた。

 1919年の白虹事件は、自然現象によるものではない。大正デモクラシーを支持し、反政府の論陣を張っていた大阪朝日新聞が、記事中の「白虹日を貫けり」を咎められる。<白虹=凶器、日=始皇帝>(「史記」)を日本に置き換えれば天皇暗殺になると、寺内内閣と気脈を通じた右翼が弾圧の先陣を切った。

 くしくも4年後、摂政宮(後の昭和天皇)が襲撃される虎ノ門事件が起きた。警護責任者として懲戒処分を受けたのは、関東大震災時、朝鮮人虐殺のきっかけをつくった〝原子力の父〟正力松太郎(当時警察官僚トップ)である。

 大乱のきっかけになる可能性もあった菅内閣不信任案は、空騒ぎに終わった。2年9カ月前の喧騒はどこへやら、俺が政権交代に期待した格差是正、閉塞感打破、情報公開、アメリカからの自立は一つとして達成の見込みがない。投票所でしか〝革命〟を起こさないツケを、日本人は払っているというべきか。〝本籍ワシントン〟の前原元民主党代表、嘘を垂れ流した枝野官房長官が次期首相候補という現実に、暗澹たる気分になる。

 麻生政権でさえ躊躇したコンピューター監視法が衆院で可決された。ネット時代の治安維持法(1925年)というべき悪法は、前倒しで形になっていた。<被災地で窃盗が横行している>という記述など計7件が、警察庁の要求によって削除されているからだ。

 監視システム<万里の長城>の責任者、方浜興氏(北京郵電大学長)に卵と靴を投げつけた学生が現地でヒーローになっているが、中国ではネット検閲体制が確立している。<グーグルVS中国当局>は表向き善と悪の戦いだが、実態は巨悪同士の潰し合いだ。グーグルがペンタゴンと組んでネット監視に取り組んでいることは、小泉政権を支えた岸博幸氏(現慶応大大学院教授)が指摘している通りである。

 政府や保安院が伝える情報=真実、それ以外=風評……。菅政権の企図はネットによって倒立させられたが、コンピューター監視法が正常に機能したら、真実は黒く塗り潰される。冒頭のYさんは反原発イベントの企画に加わるなど、ラディカルな姿勢を貫いている。「そのうちブログが“Not found“になるかもしれませんね」と言うと、Yさんは苦笑していた。

 その点、弱小ブロガーたる俺はお目こぼし確実なので、最近の思いつきを記したい。関東以北は6月と思えない低温が続いている。カール・セーガン(宇宙物理学者)が提唱した<核の冬>現象ではなかろうか……。7月になれば妄想だったことがはっきりするが、日本は国土が狭い分、放射能の被害がより深刻になるのは言うまでもない。

 ネット徘徊中、<孫正義叩き>という集合体モンスターに遭遇する。ウィキペディアの記述も酷いもので、脱原発へのシフトチェンジや被災地への高額義援金も、<在日>であることの〝罪〟を償うに至らないと言いたげだ。広島と長崎の被爆者には強制連行された朝鮮人が数多く含まれる。福島原発事故による被曝も、いずれアジア各国で報告されるだろう。モンスターにはまず、この事実を踏まえてほしい。

 白虹、大震災、差別意識、言論弾圧……。日本の近現代史を俯瞰で眺めると、薄らと光る謎めいた欠片が数珠になって浮かんでくる。90年前と現在は重なる部分も大きいが、決定的な違いは民衆の活力だ。<淫売と失業とストライキより記事が無い>と争議が頻発する当時の世情を詠んだ鶴彬については、近いうちに記すことにする。

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