酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「血の日曜日」から34年~英愛間の深い溝

2006-01-31 02:24:42 | 社会、政治

 「報道ステーション」は先日、北朝鮮国境警備隊の取り調べの映像をオンエアした。人権意識の高い国、例えば英国であんな蛮行が許されるはずはない……。最近までそんな風に考えていたが、事実は全く違っていた。

 1972年1月30日、北アイルランドで英国軍が無防備のデモ隊に発砲し、13人の死者が出た。「血の日曜日」事件を起点に、20年間で3000を超える命が奪われる。テロが報じられるたび、<民主主義の範>たる国がなぜ事態を収拾できないのか、不思議でならなかった。長年の疑問を解消するため、「北アイルランド紛争の歴史」(堀越智著)を購入した。読了後、曖昧に描いていた<IRA=テロリスト、英国=仲介者>の構図が誤りだったことに気付いた。

 憲法制定(1937年)と共和国法(48年)でアイルランドは独立を勝ち取る。その一方で、プロテスタントが多数を占めるアルスター6州は、北アイルランドとして英国に残った。アルスターでは20世紀初頭から、英国政府公認の下、王立警察とスペシャルズ(私兵組織)がカトリックを徹底的に弾圧していた。反撃したIRAとの間で市街戦が起き、20年7月からの2年間で257人のカトリック、157人のプロテスタントの命が奪われる。この間、カトリック差別を固定化する法制度が整えられていった。

 北アイルランドでは60年代、「差別撤廃」「市民権獲得」を掲げた公民権運動が広がった。プロテスタントや労働組合も結集し、世界的な支持を得たが、英国は強硬姿勢を貫いた。公民権活動家へのテロを容認し、運動を非合法に追い込んで「血の日曜日」に至る。休眠状態だったIRAも10年ぶりに再軍備した。英国は72年3月、北アイルランドを直接統治下に置いたが、アムネスティから数回にわたり告発されている。英国軍による一般市民殺害を指摘され、カトリックへの非人道的な取り調べは90年代、「国連拷問禁止委員会」に提訴された。英国に北朝鮮を笑う資格はなかったのだ。

 日本人が英愛の歴史を理解するため参考になるのは、朝鮮半島との関係だ。日韓併合(1910年)後、日本は創氏改名、強制連行を断行する。同じアジア民族ゆえ反発も強く、35年(前史を含めれば半世紀)で培われた「恨」(はん)の意識が、今日の両国関係にも影を落としている。翻って英愛間には、300年以上にわたる<支配―被支配>の憎悪の歴史がある。堀越氏はシニード・オコナーの歌詞を引用し、一つの史実を提示している。19世紀半ばの飢饉で餓死者が続出したのは、英国がアイルランドから農作物を徴用した結果であるという。

 英国への怨念はIRAの闘争方針にも表れていた。<特攻隊⇒日本赤軍>を経てアラブ社会に根付いた自爆テロも強烈だが、IRAは80年代、ハンストで闘った。下院議員を含め10人が餓死するに至り、対峙するUDA(プロテスタント軍事組織)まで心情的支援を送ったが、「鉄の女」サッチャーが折れることはなかった。ちなみにUDAは、法王暗殺計画を練っていたという。

 和平の動きは80年後半に具体化する。英国がIRAを交渉相手と認め、プロテスタント軍事組織の取り締まりを始めたことが大きかった。94年に停戦合意が成立し、北アイルランド議会は98年に再開された。通史を学んで印象的だったのは、政治的軋轢や民族対立が、宗教戦争に収斂する過程だった。拝金主義がはびこる国に生きる者として、信じることの意味を考えさせられた。

 次回はアイルランド系であり、スミス時代から公然とIRAを支持していたモリッシーについて書くことにする。

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「亜州影帝」~チョウ・ユンファの魅力とは

2006-01-29 00:28:44 | 映画、ドラマ

 俺が足繁く映画館に通ったのは95年までだった。最後の10年で記憶に残る作品を3本挙げると、「バグダッド・カフェ」、「バベットの晩餐会」、「トト・ザ・ヒーロー」あたりか……。なんて書くと、スノッブの映画好きみたいだが、俺が単館マニアであろうはずもない。あの頃の俺にとって香港ノワールはカタルシスで、チョウ・ユンファの存在感は、個性派揃いの役者の中でも抜きん出ていた。

 香港ノワールは当時レンタル店のドル箱で、ユンファの名は野郎限定で浸透していた。一方で、女性の支持はレスリー・チャン(03年に自殺)に集まり、「ヨン様」ならぬ「ユン様」ブームは起きなかった。小林旭と石田純一を足したような容貌に七三のヘアスタイルが、インパクトに欠けていたのかもしれない。秀でた演技力が、ユンファを一つのイメージに定着させることを妨げたともいえる。事実、ユンファほど巧みに表情を変える俳優はいない。狂おしさ、ニヒル、クール、哀愁、ユーモア、温かさ、恥じらい、滑稽さ……。思いつくまま形容詞を挙げてみたが、まだまだ言い足りない。

 日本での知名度はジャッキー・チェンの足元にも及ばないが、世界では事情が異なる。ニックネームの「亜州影帝」は<アジア映画界の帝王>という意味であり、ユンファは極東で絶対的な支持を得た。香港が中国返還(97年)を控えた時期、ユンファの動向は注目の的だった。内臓疾患を抱えており、英語苦手説も流れていたが、「リプレイスメント・キラー」(98年)でハリウッド進出を果たす。その後の快進撃はご存じの通りで、99年にはアジアの俳優として初めて、チャイニーズシアター前に手形を残した。そのニュースに、三船敏郎や笠智衆がどうしてその栄誉に浴していなかったのか、釈然としないものを覚えた記憶がある。

 先日、スカパーで上述の「リプレイスメント・キラー」を見た。ハリウッド版ユンファの初体験である。ジョン・ウーの切れのいい演出の下、香港時代より洗練された姿を見せていた。ウーとユンファは、起承転結など糞食らえと、フルスロットルで疾走する香港アクションを確立した盟友だった。二人のピークは「ハードボイルド/新・男たちの挽歌」(92年)である。ハリウッド的抑揚が加わった本作でも高いテンションを維持しており、銃口を見据えるユンファの鋭い目が印象に残った。艶っぽさと少女っぽさが同居するミラ・ソルヴィーノと、男臭さと青さを合わせ持つユンファのコントラストも鮮やかだった。東洋的エキゾチズムも味付けされ、ストイックなラストも胸に染みた。

 ユンファのベスト作品はと問われたら、「風の輝く朝に」(84年)を挙げる。日本の香港侵略(41年)を背景に描いた青春映画の傑作で、ユンファは友情に厚い青年を好演している。香港アクションの極致というべき「フルコンタクト」(92年)は、劇場公開されずビデオで見た記憶がある。

 今後のユンファだが、「パイレーツ・オブ・カリビアン3」で悪役にキャスティングされている。ウーが企画中の「三国志」では主演が内定しているが、ユンファ以外にも、アンディ・ラヴ、トニー・レオン、渡辺謙ら「亜州」スターに出演を依頼するという。好漢ユンファには輝かしい未来が広がっているようだ。

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「新リア王」~高村薫は荒野を目指す

2006-01-27 02:52:55 | 読書

 「ガイアの夜明け」(17日放送)の冒頭、法被姿の青森県知事がスーパーで県産品を売っていた。官民一体でホタテやリンゴの販路を求める試みが紹介されていたが、「新リア王」(高村薫著)を読んでいた折、最後まで番組を見た。

 数年前、テレビで田勢康弘氏(日経編集委員)が、「高村さんと同時代に生きていることを誇りに思う」と話していた。バルガス・リョサの「全体小説論」を信奉している俺にとって、我が意を得た感があった。高村氏ほど政治経済や歴史を理解し、小説に反映している作家はこの国にいない。「レディ・ジョーカー」で純文学とエンターテインメントの垣根を超え、「新リア王」で更なる高みを示した。本作を語るレベルに達していないことは承知の上で、読後の感想を述べてみたい。

 「新リア王」は父子の対話を軸に描かれている。中曽根内閣時代(1986年)、代議士生活40年を迎えた福澤榮は、竹下幹事長(当時)らが仕掛けた骨肉の政争に敗れ、地元青森の寂れた庵に三男彰之を訪ねた。前作「晴子情歌」で母と向き合った彰之は、福澤家の権勢に背を向け、禅僧になっていた。榮は漁業交渉、農産物輸入問題、原発行政の担当閣僚として、国策と地元の調整役を務めてきたという設定である。榮の回想で浮き彫りになるのが保守の実相と精神だ。高村氏は戦後日本の政治風土を徹底的に分析している。長男優を新自由主義者、甥貴弘を新社民主義者に擬し、榮を含めた3人の会話には、ドイツ学派、実存主義、ポストモダンに至るまで、哲学者の言辞がちりばめられている。

 彰之が語る仏教(曹洞宗)や禅の奥義について、研究者も高い評価を与えていた。本作は宗教小説の白眉としても文学史に残るだろう。政界という穢れた海を泳いだ榮、俗縁を絶ち深山の泉に棲む彰之……。生き様が対極の父子は対話を進めるうち、互いの底に重なる影を見た。それは恐らく、虚飾を削ぎ落とした個が纏う、無常や孤独と呼びうるものである。シェイクスピアの「リア王」ほど狂気や絶望に彩られてはいないが、本作にも家族の相克と崩壊が描かれていた。榮がリアなら、彰之はコーディーリアとエドガーを合わせたキャラクターかもしれない。

 「自虐の詩」の稿(05年11月1日)で、作者(業田良家)が<観察力、洞察力、想像力を駆使して自らの性を克服した>と述べたが、この賛辞は高村氏にも当てはまる。男性の心情への理解の深さには驚嘆するしかない。「李歐」では男性同士の官能的な焔(ほむら)まで描いていた。

 高橋和巳は<日本のドストエフスキー>と称されたが、饒舌さ、ストーリーテリングの巧みさ、反権力の矜持を勘案すれば、高村氏もその冠に相応しいと思う。気が触れたリアが彷徨う無人の荒野を、高村氏も歩んでいる。その手にしかと、羅針盤を握りながら……。

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南米は原点回帰を目指す?~社会主義のDNAとは

2006-01-25 01:20:58 | 社会、政治

 逮捕当日(23日)、ホリエモン狂騒曲に嫌気が差し、衛星第1の「きょうの世界」にチャンネルを合わせる。いつも通りの充実したラインアップだった。

 ロシア―グルジア間のパイプライン破壊がトップニュースだった。対米協調のグルジアを揺さぶるため、ロシアがテロを自作自演したとの説が浮上している。次は月末に迫ったパレスチナ評議会選挙である。「過激派」ハマスが票を伸ばしそうな状況を、アメリカのテレビ局が取材していたが、問題の立て方そのものに誤りがある。当地でNGOに携わった後輩によると、ハマスは「過激派」どころか、共済会、互助会の役割を果たしており、日本の主力政党以上に民衆に浸透しているという。マスメディアが伝える「事実」が「真実」でないことをあらためて確認できた。

 番組のメーンは南米からのリポートだった。ボリビアの新大統領モラーレス氏は先住民出身で、「アメリカ帝国主義打倒」と「天然ガス公社の国営化」を掲げて当選した。ベネズエラ、アルゼンチン、ブラジル、チリ、ウルグアイに続き、南米では6番目の左派政権誕生である。今や反米、反グローバリズムのリーダー的存在はベネズエラのチャベス大統領だ。中米には元祖反米、キューバのカストロ議長が鎮座しているし、メキシコ大統領選挙(7月)でも左派候補の当選が有力視されている。世界に「自由」(実は資本主義)を押し売りするアメリカにとり、裏庭で起きている「ドミノ倒し」が深刻な事態であることは間違いない。

 500年以上前に遡る。インカ帝国があっけなく崩壊するや、スペイン人は金だけでなく、ジャガイモ、トウモロコシ、カボチャ、トマト、トウガラシ、パブリカの種をヨーロッパに持ち帰った。今日パスタやファストフードを満喫できるのは南米のおかげである。「輸出品」は他にもあった。コカはライフスタイルや価値観を大きく変え、スペイン人の手(?)により世界中に蔓延した梅毒菌は16世紀初頭、日本にも上陸した。鉱物、野菜、麻薬、疫病に続き、パンドラの箱から出てきた最後の「果実」が、後世を動かすマグマになった。

 20年近く前、立花隆氏の南米紀行が放映された。環境と共生をテーマに据えた良質のドキュメンタリーだったが、<社会主義の原点は南米にあり>という興味深い指摘が提示されていた。トマス・モアは差別や搾取のない南米の共同体に心を揺さぶられ、「ユートピア」を著した。同書に記された理想社会が社会主義や共産主義の基礎になったが、原点は南米というのが立花氏の分析だった。南米で次々に社会主義政権が誕生するのは、DNAに刻印された情報に基づく「先祖帰り」かもしれない。南米先住民と近似的な遺伝子を持つ日本人も、明らかに社会主義的民族だ。「和をもって貴しとする」、「あうんの呼吸」、「もののあはれ」こそ、社会主義の根幹といえる精神だからである。

 ホリエモン余波は収まる気配はなく、「溺れた犬は棒で叩く」という諺を思い出した。繰り返し放映される「我が弟です、息子です」の武部幹事長の絶叫は、あまりに虚しく滑稽だが、俺に笑う資格はない。選良たちの質は、有権者のレベルを計る物差しだからである。

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将棋の未来~IT時代に適応できるか

2006-01-23 03:15:21 | カルチャー

 先日、紀伊國屋をぶらついていたら、瀬川晶司4段の出版記念サイン会(22日)を告知するポスターが貼ってあった。プロ編入をめぐる経緯は、米長連盟会長の仕掛けもあったと思うが、マスコミに大きく取り上げられた。

 瀬川氏は35歳と十分「若い」が、既にハシゴを外されていた。奨励会(プロの下部組織)で精進したが、年齢制限(26歳)で放り出される。アマに転じた後、棋戦で勝ち進み、プロとの対局で17勝8敗の成績を残した。中にはA級の久保8段を破った星もある。競馬に例えれば、JRA未勝利で地方に転出した馬が、オールカマーでGⅠ馬に勝つようなものである。嘆願を受け入れ、敗者復活の道を開いたことは連盟の大英断だったが、今回の騒動は棋界の閉鎖性の証ともいえる。<才能の絶対値>を評価するあまり、若くして「冴え」を見せないと「ダメ出し」するのは、棋界の伝統的な風潮だからである。

 真剣師(賭け将棋指し)として鳴らした花村元司以来、61年ぶりの編入試験だった。花村はA級に16期在籍するなど、一流棋士としてファンを魅了した。プロ入りが囁かれたアマ強豪を他に挙げれば小池重明だ。「新宿の殺し屋」と呼ばれた生き様は、団鬼六著「真剣師 小池重明」に描かれている。森棋聖(82年当時)を平手で破るなど「妖力」と恐れられたが、「最後の無頼」というべき破天荒さゆえ、プロ入りの道は閉ざされた。

 IT時代に入り、従来と別の形で実力を蓄える者が増えている。真剣師は姿を消したが、ゲームソフトやネットで腕を磨くケースが目立つ。アマ名人の浅田氏(20)もアメリカで高校生活を送り、京大入学後、本格的に人間と指し始めた。漫画や「さんまのからくりTV」の影響で、少年の間で将棋人気が復活しつつあるという。<奨励会⇒4段>がプロへの唯一の道だったが、<広き門>を設定して才能を吸収できれば、将棋は文化として21世紀に生き残れるだろう。

 俺は十数年来、「指さない将棋ファン」である。純粋文系ゆえ棋力は上がらず、NHK杯や名人戦、竜王戦の中継をスポーツ観戦と同じ感覚で楽しんでいる。将棋と一番近いのはNFLだ。個々のファンダメンタル(能力)に戦略、戦術が加わり、瞬時の判断(秒読み)にはハラハラドキドキの連続だ。ちなみに棋界のホープ、渡辺明竜王(21)はgooでブログを公開している。一日のアクセス数は5000弱と、トップ10に入る人気ブログだ。

 次に将棋が話題になるのは、コンピューターがトッププロを破った時ではなかろうか。チェスでは現実のものになっている。将棋ソフトもアマのトップクラスと変わらぬ実力を持っており、「Xデー」は間近に迫っている。将棋連盟はソフトとの対局を禁止しているが、この点でも壁を取っ払う勇気はあるだろうか。

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イカロス失墜~ホリエモンの「敗者の弁」は?

2006-01-21 02:25:10 | 社会、政治

 堀江貴文氏(ホリエモン)の周辺が慌しくなった。前項の「悪い奴ほどよく眠る」ではないが、側近の不審死もあり、背筋が冷やりとする展開になっている。耐震データ関連の証人喚問前日に行われた強制捜査は、官邸主導の目くらましと訝る声もあったが、ホリエモン逮捕、ライブドア倒産まで突き進む公算が大きいという。

 総選挙出馬以前のホリエモンについて、「ドン・キホーテ」(04年11月)、「虎の尾を踏む男」(05年3月)と好意的に書いてきた。プロ野球を私物化する読売―西武―オリックス連合、保守メディアのフジ=サンケイグループと、巨大な壁にぶち当たっていく姿勢を支持したからである。2度の戦いでホリエモンは<負け上手>ぶりを発揮した。球界参入では知名度を得て、合併問題では株売却益で投資額を回収した。

 ライブドアの前社名「オン・ザ・エッヂ」は、字義通りなら「縁の上」である。「(刑務所の)塀の上を歩きながら落ちなかった男」と評される中曽根元首相同様、ホリエモンもタカを括っていたはずだ。選挙という3度目の戦いでも、敗れながら元を取ったからである。小泉首相と膝を詰めて意気投合し、武部幹事長との昵懇ぶりを見せ付けた。公示当日には竹中総務相が広島6区に駆けつけるなど、自民党上層部に食い込んだ。俺などライブドアが「官製メディア」になるのではと危惧したほどである。権力のお墨付きを得た(と錯覚した)ホリエモンがイカロスになったのは仕方がない。イカロスとはギリシャ神話の登場人物で、鳥の羽をロウで固めて翼を作り、幽閉された塔から脱出する。自信過剰で高く舞い上がったが、太陽の熱でロウが溶け、真っ逆さまに墜落した。

 ホリエモンと重なるのは「光クラブ」の山崎晃嗣だ。山崎は東大在学中に金融会社を設立して業績を拡大する。司直の手が入って信用を失い、返済不能になったとみるや、青酸カリを飲んで自殺した。49年11月のことである。三島由紀夫は翌年、この事件を題材に「青の時代」を発表する。三島は作品の中で、現在の世相や「勝ち組」の立脚点を予言するような言葉を残している。以下に幾つか紹介する。

 <あらゆる価値は名目的になり、(中略)世間はこうした仮装に容易に欺されることを以て一種の仮想の秩序を維持して来た><実質的な信用よりも人目をあざむく信用つまり宣伝のほうが大切だと信じていた><金が理解し、金が口をきく以外に、人間同士は理解される義務もなく、理解する権利もない、そういうユートピアを僕は空想したんだ>……。

 山崎は敗戦による価値顛倒を目の当たりにし、崩壊感覚とニヒリズムに憑かれていた。辞世の句を含めた山崎の遺書はあまりに強烈だ。<灰と骨は肥料として農家に売却すること(そこから生えた木が金のなる木か、金を吸う木なら結構)>と記されていた。理念のなさを揶揄されたホリエモンに、語るべき<敗者の弁>はあるのだろうか。


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「悪い奴ほどよく眠る」~エンターテインメントの巨人たち②

2006-01-19 05:56:10 | 映画、ドラマ

 今回は予告通り黒澤明を取り上げる。先日、スカパーで「悪い奴ほどよく眠る」(60年)を久しぶりに見た。本作のシナリオは小国英雄、久板栄二郎、菊島隆三、橋本忍の各氏と黒澤の共同作業で書き上げられた。5人のチームによって練り上げられたシナリオにより、国境、時代、宗教を超える<高度な普遍性>を獲得できたのだと思う。

 画期的な試みといえるのが、冒頭の20分近い結婚式のシーンだ。枠組み、人間関係、パーソナリティーを狂言回しの記者たちに語らせている。撒き餌のような導入の手法は、コッポラの「ゴッドファーザー」に影響を与えた。西役の三船敏郎は口笛とともに現れ、愛憎に引き裂かれた男の内面を表現していた。和田(藤原釜足)が自分の葬式を遠目に眺めるシーンが印象的だ。読経とマンボを対比的に交錯させたのは、「音楽の黒澤」の真骨頂だ。ベルトルッチは「ラストエンペラー」の音楽を坂本龍一に依頼する際、本作を参考にするよう伝えたという。

 私憤を克服して公憤に転じた西は、板倉(加藤武)とともに政官財の腐蝕の構造に立ち向かう。岩淵公団副総裁(森雅之)の悪役ぶりが際立っていたが、彼とて一つの駒に過ぎないことは、背筋を伸ばして姿を見せない黒幕に電話するシーンで象徴的に描かれている。ラストから「悪い奴ほどよく眠る」のエンドタイトルへの繋げ方に、黒澤と脚本家たちの意図が窺えた。板倉が「何もかも恐ろしく簡単で醜悪だ」と言葉を絞り出し、「これでいいのか」と絶叫する場面に強く心を打たれた。公開から四十数年、巨悪はたっぷり眠り続けている。

 骨太なテーマにメロドラマの要素を絡め、ニューシネマの先駆けのような結末も印象的だ。キャスティングも豪華で、上述の藤原、森だけでなく、志村喬と西村晃が「民」など眼中にない官僚を好演していた。ドラ息子役の三橋達也も存在感たっぷりで、藤田進、笠智衆ら重鎮も脇を固めていた。作品に彩りを添えたのが香川京子だ。「猫と庄造と二人のをんな」で見せた天衣無縫と対極の、いじらしい新妻を演じていた。デビュー直後の田中邦衛も殺し屋役で出演している。

 20年以上前、朝日新聞に掲載された黒澤のインタビューを読み、違和感を覚えた記憶がある。タルコフスキーを絶賛し、映像感覚への憧れが窺えたからだ。エンターテインメントの方法論を確立した巨匠だが、<成熟>という観念に拘泥し、落とし穴にはまったのではなかろうか。80年以降の作品は、明らかに輝きを失くしていた。ワイルダーや岡本喜八のように、黒澤が死ぬまでエンターテインメントを追求していたら……。そんな妄想を愉しむのは俺だけだろうか。

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「フロント・ページ」~エンターテインメントの巨人たち①

2006-01-17 02:19:14 | 映画、ドラマ

 面白い映画を世に送り出した監督といえば、ビリー・ワイルダーと黒澤明が双璧ではなかろうか。先日WOWOWで放映された「フロント・ベージ」(74年)をとば口に、ワイルダーについで記したい。本作はブロードウェイの人気芝居の映画化で、ワイルダーの晩年の作品である。大恐慌直前の1929年初夏、ギャングが闊歩するシカゴの新聞社が舞台だ。禁酒法の時代だが、裁判所記者室に集う面々は、憚ることなく酒盛りに興じていた。

 エグザミナー紙の敏腕記者ヒルディ(ジャック・レモン)が、再婚してフィラデルフィアの広告代理店に勤めると宣言する。同紙のバーンズ編集長(ウォルター・マッソー)は、ヒルディの結婚そのものを潰そうとあれこれ策を弄する。芸達者二人の丁々発止がテンポとリズムを作っていた。惜別のために訪ねた裁判所で、ヒルディは「フロント・ページ」(1面)級の事件に遭遇する。執行を翌朝に控えた死刑囚が姿を消し、大騒動になったのだ。ブン屋魂を甦らせたヒルディは、婚約者をほっぽり出してタイプライターを叩き始めた……。

 ワイルダーは爛熟期のベルリンで、<普遍的な真理>と<個別の心理>の整合というドラマトゥルギーの基本を学んだ。脚本家として映画界入りし、演出した全作品でシナリオに携わった。赤狩りには毅然とした態度を取ったことで知られている。本作は展開が二転三転するハラハラドキドキの風刺コメディーだが、ワイルダーの社会を見る目が垣間見える。権利を主張する者を一括りに「コミュニスト」と断じる保安官を、哀れで滑稽な存在として描いていた。

 ワイルダーの作風は、サスペンス、シリアス、コメディーと実に幅広い。本作や「第十七捕虜収容所」のように男の世界を描くかと思えば、女優たちをスクリーンに咲き誇らせる。ジョーン・フォンテーン、オードリー・ヘプバーン、マリリン・モンロー、シャーリー・マクレーンといった若手だけではなく、ベテラン女優の魅力を余すところなく引き出した。「サンセット大通り」でグロリア・スワンソン(当時53)が見せた鬼気迫る演技、「情婦」のマレーネ・ディートリヒ(同56)の退廃的な妖しさには息を呑むばかりだ。女性扱いのうまさは、ジゴロ修業の賜物といえるだろう。
 
 最後に個人的なこだわりを。ヒルディのある台詞の字幕が、見るたびに変わっている。映画館で観賞した時は「年を取ったら<校正係>に回されて、鼻にも掛けられなくなる」だったが、2度目に見たビデオでは<校正係>が<窓際>になっていた。今回のWOWOWでは前後を省き<粗大ゴミ扱い>になっている。<校正係>という表現が消えたのは自主規制の一環なのか、気になって仕方がない。なぜなら俺自身、出来の悪い<校閲係>だったからだ。

 次回は巨人シリーズ第2弾として、黒澤明を取り上げる。

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プレイバックPARTⅣ~69年の「春の嵐」

2006-01-15 01:04:34 | 戯れ言

 競馬のG1シリーズが終わると、ネタ探しに悩むことになる。困った時は年鑑頼りで、1月に起きた事件を遡って調べてみた。時代の熱さを再認識させられたのが1969年である。何より耳目を集めたのは安田講堂の攻防戦だった。当時、小学6年生だった俺は、訳もわからずコント55号のゲバ棒コントを眺めていた。

 状況劇場の唐十郎は年明け早々、新宿中央公園で機動隊と対峙していた。一方の当事者の美濃部知事は月末に、公営ギャンブル廃止の方針を発表する。自閉症の疑いがある小学生が都内だけで800人以上という調査結果にも、現在に通じる問題の根の深さが窺える。有人宇宙船ソユーズのドッキングに成功したソ連だが、中国との対立の顕在化に手を焼いていた。55万の兵士をベトナムに送り込んでいたアメリカは、押しも押されもせぬトップヒールだった。ニクソン大統領の就任式は反戦派に包囲され、和平に向けたパリ会談では批判の矢面に立たされた。

 大学に入り、俺は激動期を追体験した。全共闘やベ平連のメッセージを知り、実写フィルムも見た。高橋和巳の著作、羽仁五郎の「都市の論理」、兵頭正俊の「全共闘記」を読み、福島泰樹の短歌、大島渚の映画、岡林信康や頭脳警察の音楽に触れた。すべてが熱く、真摯で、重く、尖がっていたが、現実の大学は冷え切っていた。日共、反日共を問わず、各セクトは支配下のキャンバスで公安警察の役割を担い、意識の萌芽を摘み取っていた。傍目の印象だが、70年代後半、往時の雰囲気が残っていたのは京大ぐらいだった。
 
 「学習」しただけで全共闘の本質を掴むことは難しいが、俺なりの推論を示してみる。彼らが掲げた「造反有理」は、毛沢東と紅衛兵のスローガンだった。個としての在り様を突きつける運動論において、全共闘は文革に多大な影響を受けていたが、理念はあくまで衣に過ぎなかった。バリケード内では「昭和残侠伝」シリーズが支持され、野坂昭如の「心情三派」が当時の流行語になる。全共闘を支えたのは「敗北の美学」を含む日本的メンタリティーだったのか……。安田砦陥落と同時に「義」と「情」が葬られたことで、国を挙げて「利」と「理」に邁進する道が開けたのかもしれない。

 お祭り騒ぎの日本で、孤独な闘いを続けていたのが奥崎謙三だった。あの年の一般参賀で、奥崎は天皇目がけてパチンコ玉を撃つ。「戦争で死んだ友の恨みを晴らすため」と供述したが、その行為を「狂気」と断じるわけにはいかない。映画賞を総なめした「ゆきゆきて、神軍」(87年)には、<ハレ>と<ケ>の境界線を消し去り、情念と思想の血肉化に突き進む奥崎の姿が描かれている。

 あの「春の嵐」から37年……。「エントロピーの法則」が社会科学にも適応されるなら、日本人のエネルギーは失われることなく蓄積されている。それがいつ、どのような形で噴出するのか楽しみだ。

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Live at Astoriaの輝き~レディオヘッドは甦るか

2006-01-13 02:34:49 | 音楽

 繊細で赤裸々な<友>がいた。等身大のヒーローとして頭角を現したが、名を成すや、勿体ぶった物言いが目立つようになる。泣き虫と嗤われた<友>は、今じゃ無謬の<神>として、新しい取り巻きに奉られている。

 <友>とは即ちレディオヘッドで、初期からのファンほど現在の彼らに冷淡だ。俺が見切りを付けたのは2年前の幕張メッセである。<友>がどうして心に響かなくなったのか、自問自答する辛い2時間を過ごした。少し前に瞠目させられたミューズとの落差が悲しかった。

 かつての輝きに触れるため、「Live at Astoria」のDVD(輸入盤)を購入した。94年5月のライブで、1st、2ndに収録された曲が演奏されている。当時の来日公演はリキッドルームなどライブハウスで行われていた。トム・ヨークが不調とみるや、客席から「トム、大丈夫」、「俺が代わりに歌うぜ」といった声が英語や日本語で飛び交う。少年っぽくて小柄なトムは、女の子にとって母性本能をくすぐられる対象だったようだ。もちろん、音楽には芯が通っていた。転調を繰り返す甘美なメロディーと神経を逆撫でする轟音のアンビバレンツが、マジェスティックな陶酔を生み出していた。衝動、混沌、葛藤、切なさ、叫び、カタルシス、哀歓と、ロックのすべての要素をちりばめたライブは、鮮やかな瞬間の連なりといえた。

 レディオヘッドは3rdアルバム「OKコンピューター」でトップバンドに登り詰める。初期からのファンは我がことのように喜んだが、その後が頷けない。成功したバンドは二通りの道を志向する。第一はストーンズやフーのように、「おまえたちの隣にいる」というスタンスを崩さないタイプだ。オアシスやマニック・ストリート・プリーチャーズもその系譜に連なるだろう。第二はレディオヘッドのように、プラスαを匂わせて神棚に収まるタイプだ。「資本主義国のスノッブのための音楽」に堕してしまった彼らを、ジャーナリスムはもてはやし続けている。同じ穴のムジナというべきで、<バンド=レーベル=プロモーター=広告代理店=マスコミ>が一体となり、膨大な金が動くシステムからは、真に実験的で精神性に富んだ音楽は生まれてこない。

 ミック・ジャガーはサーになっても体をくねらせ「サティスファクション」を歌う。ピート・タウンゼントは還暦を迎えても、風車のように腕を回してギターを壊す。50歳になっても「クリープ」を歌うことが、ショービジネスでの成功者が示すべき誠意だと、<友>は気付いているのだろうか。
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