酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」~音楽に救われた前半生を振り返る

2020-10-17 22:58:01 | 音楽
 おととい(15日)、64回目の誕生日を迎えた。この10日余り、ビートルズの「ホエン・アイム・シックスティー・フォー」が脳内で木霊している。俺は〝永眠のリハーサル状態〟だが、父は64歳の頃、司法書士、塾経営をこなす傍ら、家庭菜園、囲碁クラブ、パチンコ、仲間内の旅行と慌ただしい日々を過ごしていた。その父が召されたのは69歳……。俺にどれほどの時間が残されているのだろう。

 今回は音楽を軸に前半生(30歳まで)を振り返る。幼い頃、母、亡き妹に加え祖母が同居していた。3代の女性が歌番組を好んだこともあり、俺も小学生時代、歌謡曲に詳しかったが、偶然ラジオで聴いたビートルズの「シー・ラブズ・ユー」に痺れたことがきっかけで、グループサウンズ、「ザ・モンキーズ」を経て嗜好が変わった。

 中学生になると深夜放送に夢中になり、「ヴィーナス」(ショッキング・ブルー)、「トレイン」(1910フルーツガム・カンパニー)、「霧の中の二人」(マッシュマッカーン)で洋楽ファンになる。同じ道を歩んでいた同級生たちは中3の頃、揃って〝転向〟する。新3人娘(小柳ルミ子、天地真理、南沙織)の影響は絶大で、俺が一歩進んでロック派になったのは「ウッドストック」、「ギミー・シェルター」、「レット・イット・ビー」を見たからだと思う。

 ザ・フー、クラッシュ、エコー&ザ・バニーメン、キュアー、スミスら贔屓のバンドと次々に出合ったが、邦楽ロックではルースターズ、PANTAを追いかけた。PANTA&HAL名義の2枚のアルバムは80年代前後、世界観とサウンドストラクチャーで世界の頂点に到達していた。最も心を揺さぶられたのは、めんたいロックの流れを酌むザ・バッヂだ。

 彼らの上京後初ライブを偶然、エッグマンで見た(当時ザ・レイン)。友人のバンドとの共演で、彼らを知る者は皆無のアウェイ状態だったが、瞬く間に知名度を上げ、新宿ロフトをフルハウスにするまでになった。ジャムの来日公演(82年)で前座を務めた後、シーンから消えた。好きな女の子が突然消えたような喪失感に沈んだが、バッヂは世紀が変わった頃に再評価され、俺の中の〝未完のストーリー〟は完結した。

 「MUST BE UKTV」(BSプレミアム)は80年代に活躍したアーティストによるスタジオ ライブを収録している。懐かしさを覚えたが、プリファブ・スプラウトを除いて感興を覚えなかった。一方で、居酒屋ランチを食べていて心が潤むことが頻繁にある。有線放送の「赤いハイヒール」で零れた涙が、鶏野菜スープに塩味をペーストする。「ザ・カバーズ」(BSプレミアム)では宮本浩次が歌う「木綿のハンカチーフ」に胸が熱くなった。

 それぞれ太田裕美の4th、5thシングルで、傷と恥多き青春時代の記憶と重なったのだろう。ともに作詞は松本隆、作曲は先日亡くなった筒美京平さんである。齢を重ねると童心に帰るというが、俺はロックで研ぎ澄ました湿っぽい感性を取り戻したのか。

 俺の部屋の棚にはCDが溢れている。失意と孤独に苛まれていた暗い青春期を救い、癒やしてくれた作品の数々だ。他の人にとってはゴミの山かもしれないが、音楽に限らず小説や映画の数々により、俺は何とか東京砂漠の隅っこで生き長らえている。
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