橋下徹氏が大阪市長選で圧勝した。知事選も制したことで、大阪府民は維新の会に未来を委ねることになる。橋下支持者は改革への第一歩と評価し、アンチ派は民主主義の危機と警鐘を鳴らすだろう。
「friends after 3.11」(11月19日の稿)で小出裕章氏は、「(原発事故によって)戦争よりひどいことが進行しているが、ここ(関西)では他人事」と述べていた。大阪秋の陣は逆の構図で、東京で暮らす俺には他人事だった。深く考えたことはなかったが、「別刊 朝日新聞」(朝日ニュースター)での浅野史郎氏(慶大教授、元宮城県知事)のコメントを参考に、付け焼き刃的に記したい。
俺は橋下氏を<ミニ慎太郎>と決めつけていたが、この間の経緯を見る限り、本家より棘がありそうで、メディアの度を超した攻撃に耐え抜く打たれ強さもある。石原都知事の言動は気に食わないが、<議会VS首長の二元代表制>という地方自治の原則は維持してきた。一方で大阪維新の会を率いる橋下氏は、<議会+首長>で権力を行使する。県知事時代、オール野党の議会で全条例を通した浅野氏は、「議会と首長が折衝を繰り返して決着に至るのが、民主主義の正しい在り方」と説いていた。
橋下氏が知事時代に掲げた教育基本条例案は、確実に議会を通る。教育委員会の中立性への侵犯だけでなく、学力向上のみに力点を置く内容に、浅野氏は疑義を呈していた。ちなみに東京都はどうか。<皇室に尊崇の念はない>と語り、祝日に日の丸を掲揚したことがなかった石原知事の下、教育委員会は<君が代・日の丸>を強制した。その点について問われたら、都知事は「教育委員会の方針に介入しない」と建前を述べるはずだ。
市長選出馬の際、橋下氏は<府と市の二重行政の無駄を省く>と強調したが、浅野氏は異議を唱えていた。自らの経験から「県と市の調整は十分に可能で、住民に迷惑をかける事態は起きなかった」と語り、仰々しく掲げることへの違和感を隠さなかった。大阪都構想には一定の理解を示しながら、<実現に向けて議会と詰めること、民主主義の前進と生活向上への具体的な道筋を有権者に示すことが肝要>と今後の課題を挙げていた。
敵と味方を峻別する橋下氏は、勝利したことで<民意は我にあり>と姿勢をエスカレートさせるだろう。河村たかし名古屋市長にも相通じる手法を、番組の進行役である坪井氏(朝日新聞論説副主幹)は、<喧嘩民主主義>と評していた。橋下氏という怪物を育んだのは民主党ではないか。政権交代によっても何も変わらず、閉塞感は増すばかりだ。政治不信、いや政党不信がダブル選の結果に反映している。
メディアは政界再編に関する動きを報じている。石原都知事を党首に担いだ保守連合から、小沢一郎氏と橋下氏の連携による新党結成まで様々だが、いずれのケースでも軸になっているのは亀井静香氏だ。TPPについて亀井氏と真逆の立場であるみんなの党まで、数合わせで俎上に載せられている。政策より政局……。3・11を経ても、何も変わらなかった。政治の貧困はここに極まったが、俺もまた現状に責任を負うひとりだから、他人事のように語ってはいけない。
今回の動きに連想したのが映画「オール・ザ・キングスメン」(米、49年)だ。下層階級の代弁者として政界に打って出たスタークが、権力という玩具に溺れる過程を描いた作品である。純粋だったスタークだが、知事に当選した頃、汚れた政治屋に変節していた。強引な手法を批判され、「善を生むのは悪しかない」と言い放つ。権力への執着が人間性の喪失に繋がることを、ラストが象徴的に描いていた。
強さを志向し、ファジーを排除する橋下氏にとって、正義とは力と同義だろう。大阪市民は<橋下号>に乗船した。船長の意に沿わぬ者は、次々に海に放り投げられるだろう。旅路の果てに行き着く先は楽園か荒野か、それとも蜃気楼か……。答えはまだ、誰も知らない。
「friends after 3.11」(11月19日の稿)で小出裕章氏は、「(原発事故によって)戦争よりひどいことが進行しているが、ここ(関西)では他人事」と述べていた。大阪秋の陣は逆の構図で、東京で暮らす俺には他人事だった。深く考えたことはなかったが、「別刊 朝日新聞」(朝日ニュースター)での浅野史郎氏(慶大教授、元宮城県知事)のコメントを参考に、付け焼き刃的に記したい。
俺は橋下氏を<ミニ慎太郎>と決めつけていたが、この間の経緯を見る限り、本家より棘がありそうで、メディアの度を超した攻撃に耐え抜く打たれ強さもある。石原都知事の言動は気に食わないが、<議会VS首長の二元代表制>という地方自治の原則は維持してきた。一方で大阪維新の会を率いる橋下氏は、<議会+首長>で権力を行使する。県知事時代、オール野党の議会で全条例を通した浅野氏は、「議会と首長が折衝を繰り返して決着に至るのが、民主主義の正しい在り方」と説いていた。
橋下氏が知事時代に掲げた教育基本条例案は、確実に議会を通る。教育委員会の中立性への侵犯だけでなく、学力向上のみに力点を置く内容に、浅野氏は疑義を呈していた。ちなみに東京都はどうか。<皇室に尊崇の念はない>と語り、祝日に日の丸を掲揚したことがなかった石原知事の下、教育委員会は<君が代・日の丸>を強制した。その点について問われたら、都知事は「教育委員会の方針に介入しない」と建前を述べるはずだ。
市長選出馬の際、橋下氏は<府と市の二重行政の無駄を省く>と強調したが、浅野氏は異議を唱えていた。自らの経験から「県と市の調整は十分に可能で、住民に迷惑をかける事態は起きなかった」と語り、仰々しく掲げることへの違和感を隠さなかった。大阪都構想には一定の理解を示しながら、<実現に向けて議会と詰めること、民主主義の前進と生活向上への具体的な道筋を有権者に示すことが肝要>と今後の課題を挙げていた。
敵と味方を峻別する橋下氏は、勝利したことで<民意は我にあり>と姿勢をエスカレートさせるだろう。河村たかし名古屋市長にも相通じる手法を、番組の進行役である坪井氏(朝日新聞論説副主幹)は、<喧嘩民主主義>と評していた。橋下氏という怪物を育んだのは民主党ではないか。政権交代によっても何も変わらず、閉塞感は増すばかりだ。政治不信、いや政党不信がダブル選の結果に反映している。
メディアは政界再編に関する動きを報じている。石原都知事を党首に担いだ保守連合から、小沢一郎氏と橋下氏の連携による新党結成まで様々だが、いずれのケースでも軸になっているのは亀井静香氏だ。TPPについて亀井氏と真逆の立場であるみんなの党まで、数合わせで俎上に載せられている。政策より政局……。3・11を経ても、何も変わらなかった。政治の貧困はここに極まったが、俺もまた現状に責任を負うひとりだから、他人事のように語ってはいけない。
今回の動きに連想したのが映画「オール・ザ・キングスメン」(米、49年)だ。下層階級の代弁者として政界に打って出たスタークが、権力という玩具に溺れる過程を描いた作品である。純粋だったスタークだが、知事に当選した頃、汚れた政治屋に変節していた。強引な手法を批判され、「善を生むのは悪しかない」と言い放つ。権力への執着が人間性の喪失に繋がることを、ラストが象徴的に描いていた。
強さを志向し、ファジーを排除する橋下氏にとって、正義とは力と同義だろう。大阪市民は<橋下号>に乗船した。船長の意に沿わぬ者は、次々に海に放り投げられるだろう。旅路の果てに行き着く先は楽園か荒野か、それとも蜃気楼か……。答えはまだ、誰も知らない。