酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

大阪秋の陣~橋下氏の野望の果ては

2011-11-28 00:18:08 | 社会、政治
 橋下徹氏が大阪市長選で圧勝した。知事選も制したことで、大阪府民は維新の会に未来を委ねることになる。橋下支持者は改革への第一歩と評価し、アンチ派は民主主義の危機と警鐘を鳴らすだろう。

 「friends after 3.11」(11月19日の稿)で小出裕章氏は、「(原発事故によって)戦争よりひどいことが進行しているが、ここ(関西)では他人事」と述べていた。大阪秋の陣は逆の構図で、東京で暮らす俺には他人事だった。深く考えたことはなかったが、「別刊 朝日新聞」(朝日ニュースター)での浅野史郎氏(慶大教授、元宮城県知事)のコメントを参考に、付け焼き刃的に記したい。

 俺は橋下氏を<ミニ慎太郎>と決めつけていたが、この間の経緯を見る限り、本家より棘がありそうで、メディアの度を超した攻撃に耐え抜く打たれ強さもある。石原都知事の言動は気に食わないが、<議会VS首長の二元代表制>という地方自治の原則は維持してきた。一方で大阪維新の会を率いる橋下氏は、<議会+首長>で権力を行使する。県知事時代、オール野党の議会で全条例を通した浅野氏は、「議会と首長が折衝を繰り返して決着に至るのが、民主主義の正しい在り方」と説いていた。

 橋下氏が知事時代に掲げた教育基本条例案は、確実に議会を通る。教育委員会の中立性への侵犯だけでなく、学力向上のみに力点を置く内容に、浅野氏は疑義を呈していた。ちなみに東京都はどうか。<皇室に尊崇の念はない>と語り、祝日に日の丸を掲揚したことがなかった石原知事の下、教育委員会は<君が代・日の丸>を強制した。その点について問われたら、都知事は「教育委員会の方針に介入しない」と建前を述べるはずだ。

 市長選出馬の際、橋下氏は<府と市の二重行政の無駄を省く>と強調したが、浅野氏は異議を唱えていた。自らの経験から「県と市の調整は十分に可能で、住民に迷惑をかける事態は起きなかった」と語り、仰々しく掲げることへの違和感を隠さなかった。大阪都構想には一定の理解を示しながら、<実現に向けて議会と詰めること、民主主義の前進と生活向上への具体的な道筋を有権者に示すことが肝要>と今後の課題を挙げていた。

 敵と味方を峻別する橋下氏は、勝利したことで<民意は我にあり>と姿勢をエスカレートさせるだろう。河村たかし名古屋市長にも相通じる手法を、番組の進行役である坪井氏(朝日新聞論説副主幹)は、<喧嘩民主主義>と評していた。橋下氏という怪物を育んだのは民主党ではないか。政権交代によっても何も変わらず、閉塞感は増すばかりだ。政治不信、いや政党不信がダブル選の結果に反映している。

 メディアは政界再編に関する動きを報じている。石原都知事を党首に担いだ保守連合から、小沢一郎氏と橋下氏の連携による新党結成まで様々だが、いずれのケースでも軸になっているのは亀井静香氏だ。TPPについて亀井氏と真逆の立場であるみんなの党まで、数合わせで俎上に載せられている。政策より政局……。3・11を経ても、何も変わらなかった。政治の貧困はここに極まったが、俺もまた現状に責任を負うひとりだから、他人事のように語ってはいけない。

 今回の動きに連想したのが映画「オール・ザ・キングスメン」(米、49年)だ。下層階級の代弁者として政界に打って出たスタークが、権力という玩具に溺れる過程を描いた作品である。純粋だったスタークだが、知事に当選した頃、汚れた政治屋に変節していた。強引な手法を批判され、「善を生むのは悪しかない」と言い放つ。権力への執着が人間性の喪失に繋がることを、ラストが象徴的に描いていた。

 強さを志向し、ファジーを排除する橋下氏にとって、正義とは力と同義だろう。大阪市民は<橋下号>に乗船した。船長の意に沿わぬ者は、次々に海に放り投げられるだろう。旅路の果てに行き着く先は楽園か荒野か、それとも蜃気楼か……。答えはまだ、誰も知らない。


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三島死して41年~TPPに見る<根無しナショナリズム>の現在

2011-11-25 02:07:20 | 社会、政治
 立川談志さんが亡くなった。落語は初級者ゆえ垂れる薀蓄はないが、10代の頃、テレビでオンエアされた談志さんの高座の枕は鮮明に覚えている。

劣等生「おめえ、なぜそんなに勉強してるんだ」
優等生「いい学校行って、いい会社入って……」
劣等生「それで、どうする」
優等生「定年になったら寝て暮らす」
劣等生「だったら、今からゴロゴロしてる俺の勝ちだ」

 当時は劣等生にシンパシーを覚えた俺だが、五十路も半ばの今、えらく勤勉に生きている。怠け続けたツケが回ってきたということか……。ともあれ、気骨ある江戸っ子名人の死を悼みたい。

 TPPに巡って議論がかまびすしい。ネット、テレビ番組、新聞等で勉強したが、脳がクチクラ化したせいか、結局はスタートラインに戻ってしまう。説得力を感じるのは田中康夫、福島伸享の両衆院議員、天木直人氏ら反対派の見解だ。
 
 TPPの賛否は、<アメリカとの距離感>によって決まるのではないか。小泉構造改革を内閣官房付で推進した福島議員(当時経産省)だが、TPPでは反対派の急先鋒で、「TPPは日米通商修好条約(1858年)に匹敵する不公平な内容」と述べている。反対派は農業、医療だけでなく、情報・通信から保険制度、製造業全般まで、あらゆる分野で日本をぶち壊すと警告している。最たるものは食の安全だ。

 総論では賛成でも各論になると言葉を濁す人もいる。TPPは確実に海外からの労働力流入を促進するから、移民反対の保守派がTPPに賛成することには矛盾がある。とはいえ、反対派も各論になると整合性を欠くケースが多々あるから訳が分からない。農業や医療の分野でTPPを支持する民間人は、<出る杭は打たれる国>で軋轢を克服しジャパニーズドリームを達成した1%の成功者だ。彼らの才覚があれば恐れることはないが、99%の凡人はTPPの荒波に溺れてしまうだろう。

 <アメリカとの距離感>に加え、<アメリカへの信頼度>もキーになる。アメリカ発のグローバリズムによってアフリカの農業は破壊され、恒常的な飢餓状態に陥った。ゴアは副大統領時代、製薬メジャーの意を受け、中国やブラジルの安いエイズ薬輸出にストップをかけた。その経緯こそが、アメリカが強制するルールの怪しさを物語っている。ゴアは<最も多くのアフリカ人を死に追いやった男>として悪名を轟かせただけでなく、原発業界の代理人として<二酸化炭素温暖化説>を世界中に刷り込んだ。

 TPPを巡る<オバマ―野田会談>で食い違いが明らかになったが、日本側の主張はホワイトハウスに掻き消された。日本が主権国家なのか疑わしい事態に、前原誠司政調会長ら<本籍ワシントン>の連中はほくそ笑んでいる。ナショナリズムの崩壊を、41年前のこの日(11月25日)自決した三島由紀夫は、あの世で嘆いているに違いない。

 右翼と左翼が相手を一括りにして罵り合う図式が、今もネット上で見受けられる。俺もある時期まで右翼をまとめて否定していたが、あれこれ学ぶうち、評価すべき正統派の存在を知る。一水会の主張にも頷ける点はあるが、代表格は三島と北一輝だ。昭和天皇の代わりに責任の取り方を示した三島と、昭和天皇を木偶として革命に利用しようとした北は、ともに右翼の中で<鬼っ子>とみなされている。

 三島のように美学としての天皇制に帰依するつもりは毛頭ないし、棄民の伝統も断ち切るべきだと思う。その点に揺れはないが、土に還る時が近づくにつれ、日本が育んできた文化全般――死生観、もののあはれ、恥の意識など――に親近感を覚えるようになった。土着的左翼を自任した荒畑寒村の心情も、この年になると理解できる。

 三島の死以降、日本で多くのものが失われた。反逆精神、矜持、惻隠の情、そしてナショナリズム……。<51番目の州としてアメリカのルールに従うこと>が前提になった国に、いかなる未来が待ち受けているのだろう。






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「恋の罪」~境界線を越える園ワールドの魅力

2011-11-22 22:31:21 | 映画、ドラマ
 反対運動を押し切って建てられたこともあり、近くのワンルームマンションの評判が悪い。「若い子だけじゃなく、40代の派手な格好の女が住んでいる」とか「香水をプンプンさせて深夜に帰ってくる」とか、井戸端会議から厳しい声が洩れてくるが、年長者は住人と勘違いしているようだ。彼女たちはいかなる影と闇を辿って、デリヘル嬢に至ったのだろうか。

 こんな前振りに相応しい映画を見た。園子温監督の「恋の罪」(11年)である。前作「冷たい熱帯魚」(10年)について別稿(11年3月1日)に記したが、新作「ヒミズ」が来年1月公開というから、園監督はフルスロットル状態なのだろう。俺自身の心の密度、湿度、温度が作品に近いせいか、集中は途切れることなく、ダークで狂おしい144分の園ワールドに浸っていた。

 園作品は倫理や制度を哄笑する東欧映画(主にポーランド)の肌触りに似ている。頻繁に登場する悪魔もしくは悪魔的人間と重なるのが、「冷たい熱帯魚」ならでんでん演じる村田で、「恋の罪」では強烈な振る舞いで度肝を抜く美津子(冨樫真)だ。美津子の言動が遠心力になって、物語は<節度という軌道>から外れ、上昇するのではなくひたすら堕ちていく。

 「冷たい熱帯魚」では支配的なパワーを持つ男に女たちは屈服していたが、「恋の罪」は3人の女が火花を散らす作品だ。東電OL殺人事件をヒントにしており、舞台は同じく円山町だ。上記の美津子は一流大助教授(日本文学)という設定で、夜はデリヘル嬢、立ちんぼうとして体を売っている。現実の事件で殺された女性の異様な振る舞いと父への思慕は反映しており、母との確執、倒錯性に加え、文学の薫りが添えられている。

 <言葉なんかおぼえるんじゃなかった 日本語とほんの少しの外国語をおぼえたおかげで ぼくはあなたの涙のなかに立ちどまる ぼくはきみの血のなかにたったひとりで帰ってくる>(田村隆一「帰途」から)

 美津子はこの詩を何度も口ずさみ、自らの行為を「城」(カフカ)になぞらえ説明する。弟子になったのは、流行作家(津田寛治)の妻いずみ(神楽坂恵)だ。夫は性愛を描いて人気を博しているが、自分に興味がない。人形のように扱われていたいずみは冒険を繰り返した後、美津子に闇へと誘われる。

 「冷たい熱帯魚」の印象を、<嘔吐した後、鏡に映る自分の蒼ざめた顔を見たような感覚>と記したが、本作でも園ワールドの際限のない毒々しさにあたってしまう。堕落、愛の不毛、宿命、業、罪といったテーマを、残酷さとユーモアにくるめて描き切っていた。

 冒頭とラストを飾るのが刑事の和子(水野美紀)だ。冨樫、神楽坂だけでなく、水野までヘアヌードを晒しているのには驚いた。イメージチェンジを図っているのだろう。美津子といずみに比べ、和子の置かれている状況は、極めてマトモだ。優しい夫と小学生の娘がいて、仕事もバリバリこなしている。世間体は保っているが、秘めたるマゾヒスティックな嗜好で、愛人に縛られている。

 無意味に思えたジョークが、印象的なラストに繋がっていく。ゴミ袋を持った和子は収集車を追いかけるが、「アキレスと亀」の寓話のように、あと一歩で追いつかない。いつしか和子は魔物が棲む円山町に佇んでいた。「恋の罪」は殺された美津子、後を継ぐいずみ、堕落を辛うじて食い止めている和子が織りなす、神々しくエロチックな寓話である。

 ダーティーな世界の入り口は狭いが、園子温というドアボーイと目が合ったら最後、血の匂いがする迷宮へと背中を押される。知と理が役に立たない場所では、感性と情念に身を任せるしかないのだ。
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「friends after 3.11」~岩井俊二が映し出す喪失と希望

2011-11-19 15:49:20 | 映画、ドラマ
 母からの電話で叔父の訃報を知った。別稿(11月7日)に記したが、俺が〝ついで参り〟した寺の前住職である。平日に行われる通夜と告別式には参列できないが、年末に帰省した折、弔問に伺うつもりだ。

 先週末、整理記者Yさんにスカパーで放映された「friends after 3.11」(11年、岩井俊二監督)の録画を頼まれた。人間の崇高さに胸を打たれる秀逸なドキュメンタリーである。辺見庸は<3・11以降、言葉は以前と同じであってはならない>と語っていたが、岩井は映像作家としての気概と志を本作で示した。

 「friends――」は反原発を主張する学者や文化人へのインタビュー、津波の被災地からのルポによって構成されている。岩井をサポートしたのは松田美由紀と藤波心(14歳の反原発アイドル)だ。

 後藤政志、鎌仲ひとみ、田中優、山本太郎、上杉隆、武田邦彦、飯田哲也、小林武史、北川悦吏子、岩上安身、吉原毅、中嶋義童、清水康之、タン・チュイムイ、小出裕章の各氏(登場順)の思いを、岩井らが引き出していく。鋭い指摘が相次ぐが、詳述するにはスペースが足らない。俺自身の思いと重なる部分をピックアップし、以下に紹介したい。

 中嶋氏(石巻在住、医師)は岩井と学生時代、映画を製作していた。廃墟と化した被災地を案内しながら、「人間の世に取り返しのつかないことはない。もっと素晴らしい石巻をつくることだってできる」と再生への希望を語っていた。一方で、原発事故はどうだろう。

 放射能汚染によってもたらされたのは、<未来における愛の喪失>だ。対象は恋人、家族、風土、国家と多岐にわたるが、若い世代が放射能に蝕まれている現状を放置すれば、多くの愛は芽吹く前に死んでしまう。小出氏は「戦争よりひどいことが進行しているが、殆どの人は気付いていない。ここ(関西)では原発事故は他人事」と、危機感が薄いことに不安を隠さなかった。

 「25年後の現在、ベラルーシ(チェルノブイリ周辺)で生まれる子供のうち、85%は何らかの障害を抱えている」(論旨)との山本氏の発言が、小出氏のいう<戦争より大変なこと>のリアリティーを裏付けている。清水氏(自殺対策支援センター)が日本より自殺率が高い国のひとつにベラルーシが挙げると、松田は敏感に反応していた。

 武田氏は<二酸化炭素温暖化説>の虚妄と、その背景にあるアメリカの策略を示していた。環境問題に取り組む小林氏は、<二酸化炭素温暖化説⇒原発容認>の構図に取り込まれていたことに忸怩たる思いがあるという。上杉氏は東電に司直の手が入らないことに疑問を示していた。オリンパスや大王製紙と比べ、毒をまき散らした東電の罪は遥かに重い。誰が東電を守っているのだろう。

 異彩を放っていたのが城南信用金庫の吉原理事長だった。岩井は格差や貧困にも関心が強く、「スワロウテイル」(96年)は<金>の魔力を描いた作品という(未見)。吉原氏を選んだのは問題意識が近かったからだろう。政府やメディアに不信を抱いた吉原氏は、脱原発を表明する。「志を持って社会に貢献するためにつくられた企業が、損得ばかりで動いていいのだろうか」と、吉原氏は自らの言動に否定的な記者に問いたかったという。米倉経団連会長に、吉原氏と対峙するほどの哲学があるとは思えない。

 脱原発の思いは飯田氏からソフトバンク孫社長を経て、菅前首相へと繋がった。野田政権になって逆コースに舵を取ったように、原発推進の壁はあまりに強大だ。逆に言えば、その壁を壊せば、<一点突破⇒全面展開>の可能性も大きくなる。政官財の癒着、対米従属、言論封殺など日本が抱える課題の多くも、原発にメスを入れることで改善されるはずだ。

 日本版緑の党の結成が報じられた。温度差、力点は異なるものの、脱原発を志向するグループは無数にあるはずだ。岩井は飯田氏との対談で、坂本龍馬のようなネゴシエーターの必要性を説いていた。<投票所民主主義>の日本で流れを変えるには、脱原発の諸勢力を糾合して目に見える力(政党)を示すしかない。俺の希望は叶うだろうか。


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「退廃姉妹」~曙に咲く蘭の花

2011-11-16 22:20:07 | 読書
 パソコン不在の1カ月、俺の中で<真に大切なもの>と<野次馬的に追いかけているもの>の切り分けができた。棺桶まで何マイルなのか知らないが、読書が生活の中心になりそうだ。

 今回は戦後の混乱を背景に描いた「退廃姉妹」(島田雅彦/文春文庫)を紹介する。「悪貨」(10年9月7日)、「無限カノン三部作」(同11月15日)に次ぎ、島田作品について記すのは3度目だが、ようやく島田ワールドの神髄に近づけたような気がする。

 主人公は有希子と久美子の美貌の姉妹だ。有希子は控えめ、久美子は直情径行と対照的だが、テレパシーで繋がっているかのように、互いを理解している。父は映画会社重役で、戦時中は国威発揚映画を製作してきた。その件で父の口論していた母はリベラルだったが、真珠湾攻撃直前に召される。母の死の真相は、物語の進行とともに明かされていく。

 敗戦後、<ある事業>に乗り出した父は、讒訴により米軍に逮捕された。莫大な借金を抱え、家は抵当に入っている。10代の姉妹が糊口をしのぐ手立ては果たして……。親の因果が子に報うというべきが、父が与り知らぬところで姉妹は<ある事業>を引き継ぐことになる。自宅で慰安所「スプリング・ハウス」を開き、米兵たちを招いた。有希子は女将、久美子は商品と、姉妹の役割は異なっていた。

 敗戦後を描いた映画に欠かせないのは、けばけばしい〝パンパンガール〟だ。拝金主義、恥知らずの象徴として白い目で見られた彼女たちの真実を、本作で知った。姉妹の父も委託されたひとりだが、<男性経験が皆無に近く、健康な若い女を集めよ>というお偉方の指令によって、公設慰安所が設けられる。推進したのは後の池田勇人首相(当時は大蔵省幹部)というから、この国の寒い景色が見えてくる。

 「スプリング・ハウス」で久美子、お春、祥子は気概を持って体を張る。曙に咲く蘭の花といった趣だ。一方で、男は自信を失くしている。姉妹の身近でいえば、「鬼畜米英」から一夜にして「民主主義」に宗旨替えした教師たちである。昭和天皇もまた、政治利用されて無責任にさすらっている。島田の反骨精神、反権威的傾向は「無限カノン三部作」でも行間に滲んでいた。島田の魅力は縦軸と横軸を見据え、<構造>の頑丈で太い管に物語を奔流させていることだ。

 「スプリング・ハウス」の恩恵を受けて釈放された父だが、姉妹を叱るわけにもいかない。生への執着があからさまな時代、死の影に囚われているのが、有希子の恋人の後藤だ。特攻隊の生き残りである後藤は、恥の意識に苦しんでいる。戦友を死に追いやったかつての上官は、隠匿物資を闇に流して儲けていた。後藤は純粋さへの冒瀆と変節を許せず、身を賭す決意をする。
 
 後藤と有希子の死への道行き、思い詰めた久美子の行動が本作のハイライトだが、予定調和的に幕を閉じる。亡き母を含め、悲しい過去は封印を解かれ、家族は新たな仲間を加えて再構築される。ラストに記される各自の戦後の生き様にもスパイスが効いていた。本作は恋愛小説であり、ポルノグラフィー的な要素も濃い。伊藤整賞受賞作と知り、妙に納得した。伊藤といえば作家、批評家であると同時に、「チャタレイ裁判」で知られる翻訳家でもあるからだ。

 浮き沈みが激しく、至るところで感情が爆発する。正義はたちまちひび割れ、邪悪との境は不透明……。日本は価値観の顛倒と混乱を何度も経験してきた。1868年と1945年に次ぎ、震災と原発事故を経た2011年も再生へのスタートラインになるはずが、年の瀬が近づくにつれ、閉塞が重くなりつつある。俯いた人々の視線の先にあるのは、地獄に至る下り坂なのだろうか。
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「津波と原発」~佐野眞一の蓄積と気概

2011-11-13 14:29:14 | 読書
 パソコンがようやく退院した。愚かな持ち主の代わりに懲役を務めてきたというべきか。

 ハードディスクの破損はWordにも及び、パスワード等のデータが飛んでしまった。まずはメールが送受信できる状態に復旧しなければならない。自業自得のリセットだが、3・11で肉親、友人、家屋、財産、仕事、コミュニティーを失った被災者の苦しみと比べたら、口にするのも恥ずかしい些事だ。

 上杉隆氏が進行役を務める「ニュースの深層」(火曜日)に出演した中西憲之氏(ジャーナリスト)が、「週刊朝日」の連載に沿う形で、福島原発事故の現実をリポートしていた。両氏が警鐘を鳴らしたのは、21世紀版「1984」である。

 原発周辺地域はまさに<死の街>で、見えない放射能が全国の若い世代の肉体を蝕んでいるかもしれない。だが、何事もなかったかのように、世の中は進行している。中西氏は地域外に出た時、内とのあまりの温度差に、「自分は映画のセットにいたのか」と錯覚したという。

 沈潜した絶望,怒り,恐怖を、生温い空気が覆っている。3・11から8カ月を経た今、佐野眞一著「津波と原発」(講談社)を読了した。日本の今後や原発の是非を人々が熱く語っていた時期(6月18日)の発刊というから、フットワークの軽さに感心するしかない。

 冒頭で著者は、石原慎太郎都知事の「天罰発言」に噛みつき、<あなたこそ我欲の塊>と斬り捨てる。返す刀で、岩手選出であるにもかかわらず明確なメッセージを発しなかった小沢一郎元民主党代表を責めていた。大本営発表を垂れ流すメディアの体たらくを嗤い、フリージャーナリスト(上記2人も?)の姿勢を売名と断じる。<我こそジャーナリズムの王道>という気概を持ち続けたからこそ、名著の数々が生まれたのだろう。

 <何の先入観も持たないこと>をノンフィクションの流儀とする佐野氏は、3月18日に三陸町に入る。おかまバーの名物ママの足取りを追う傍ら、プロ漁師や〝定置網の帝王〟の肉声を伝える。ジャニーズ事務所が電源車を手配したというエピソードも紹介していた。

 創共協定を実現させた共産党幹部の山下文男氏は、9歳で昭和大津波、今回の地震と津波には入院中に遭遇した。山下氏は津波研究の第一人者で、多くの著書を発表している。自衛隊に救出された山下氏は「これまで憲法違反と言い続けてきたが、今度ほど有り難いと思ったことはなかった」と述べ、原発についても党と異なる見解を示していた。イデオロギーを超えた本音を引き出すのも佐野氏の真骨頂だ。

 「巨怪伝」で〝原発の父〟正力松太郎の生涯を追い、「東電OL殺人事件」を著す過程で東電の隠蔽体質を知った著者は、俯瞰の目で原発事故の全体像に迫る。本書では「巨怪伝」を補足する形で、正力と原発の関わりを詳述していた。

 紋切り型の論理を嫌う佐野氏は原発ジプシー、牧場主、ホウレンソウ農家らを取材しながら、浜通りが〝原発銀座〟と呼ばれるに至る過程を、天明の飢饉に遡って記していく。当地の土壌は農業に適さず、貧困による故郷喪失と流浪が繰り返されてきた。原発建設は<福島のチベット>にとり、一条の光だった。

 正力のみならず、木村守江(元福島県知事)、木川田一隆(元東電社長)ら原発推進者に照準を合わせているが、電源三法を通した自民党幹事長時代の田中角栄など、脇役たちも錚々たる面々だ、利権に敏感な堤康次郎は建設予定地をインサイダー情報で知り、3万円で購入した土地を3億円で東電に売った。正力と読売に利用された昭和天皇も、原発導入に一役買っていた。

 交付金漬けになった自治体、警察も容認する反対派潰しにも触れているが、本作の肝は原発ジプシーを取材した部分だ。<原発のうすら寒い風景の向こうには、私たちの恐るべき知的怠慢が広がっている>、<原発労働をシーベルトという被曝量単位でしか言語化できなかった知的退廃>という記述に、疎外された原発労働への深い洞察が窺える。

 あとがきで孫正義氏とのインタビュー(「週刊ポスト」)から抜粋し、<孫ほどこの問題(原発)の本質を実のある話として語れる人間はほかにいない(中略)。一介の通信業者に過ぎない孫の言動がいま一番注目される。それはリーダーなきこの国の不幸だと思うのは、私だけだろうか>と結んでいる。佐野氏が抱いた希望は、既に消えてしまった。

 リーダーの真価は過去を総括し、新たな道筋を示すことで問われる。100年単位で国家の存亡を危うくした原発だが、野田政権の下で推進に舵を切られた。ナショナリズム、プライド、恥の意識、惻隠の情を捨て去った日本は、名実ともに我欲で動く国の51番目の州になった。


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ザ・ナショナル~NYから真正面に吹く風

2011-11-10 19:08:39 | 音楽
 パソコン修理の見積もりが電器店を通してメーカーから届いた。5万円以上かかるはずが、保険に加入していたので1万弱で済むという。週明けには再会できそうだ。

 全てをパソコンに依存しているため、東日本大震災で延期になったザ・ナショナルの代替公演を見逃すところだった。7日に仕事先のパソコンで確認し、「あさって!」と叫んでしまう。元の予定(3月17日)から、今月半ばと思い込んでいたのだ。気付いてよかったが、準備不足でDUO MUSIC EXCHANGEに足を運ぶことになる。早めに行って2階席を確保するつもりが、当日は関係者のみに開放ということで、1階フロアでスタンディングとなる。

 肩凝りがひどくなった分、膝の痛みは和らいでいたので、2時間弱のライブにも十分堪えられた。苛々させられたのは、円柱が3本聳える会場のレイアウトだ。真ん中の柱の後方右に立っていたが、向かってステージ左のドラマーとホーンセクションは全く見えなかった。とはいえ、ナショナルをキャパ数百人のライブハウスで見るという至福を味わえただけで満足するべきだろう。外国人の姿が目立ち、英語の掛け合いをメンバーたちも楽しんでいた。

 この30年、アメリカのオルタナ勢に多大な影響を与えてきた<表番長=REM>は解散を表明し、<裏番長=ソニック・ユース>もサーストン・ムーアとキム・ゴードンの熟年離婚で活動停止の危機にある。ちなみにナショナルも両番長が切り開いた道の交差点に位置するバンドだが、REMと交流が深い。ツアーに帯同した際、マイケル・スタイプから「もっとポップな曲を書けば」とアドバイスされたという。

 ナショナルの面妖さは一筋縄ではない。昨年のグラストンベリーのブートDVDでは、進行役が連想するアーティストとしてブルース・スプリングスティ-ンとジョイ・ディヴィジョンを挙げていた。普通ならあり得ない組み合わせなのに、妙に納得してしまう。10年以上前からブルックリンに活動拠点を置いたナショナルはニューヨーク派の先駆けと見なされているが、出身はオハイオでルーツミュージックの影響も濃い。

 マット・バーニンジャーの声質がイアン・カーティスを、仕草がモリッシーを彷彿させるから、ニューウェーヴ・リバイバルに分類するファンもいる。ライナーノーツによれば、メンバーはクラシックやジャズの素養もあるという。あらゆるジャンルを混沌のまま坩堝でグツグツ似て昇華させ、3~4分の程よい長さにシャープに収縮させた。冗長やペタンティックとは無縁で、ストイックかつリリカルな音は、純水のように心身に染み込んでくる。
 
 サポートメンバーを含め、見た目は普通のおっさん揃いだ。双子のデスナー兄弟、デヴェンドーフ兄弟に、優しい目をしたボーカルのバーニンジャーからなる5人組は、奇を衒うでもなく、オーソドックスにショーを進めていく。5TH「ハイ・ヴァイオレット」を中心に、3rd「アリゲーター」、4th「ボクサー」からも代表曲がセットリストに加えられていた。「ボクサー」収録曲「フェイク・エンパイア」がオバマのキャンペーンに用いられたことで知名度を上げ、「ハイ・ヴァイオレット」は米英チャートでベスト5入りとブレークした。メッセージを声高に説くことなく、中年男の苦悩を孤独を等身大に表現する文学的バンドと評価されている。

 渋く自然体で、グルーヴ感とアヴァンギャルドを併せ持つナショナルだが、ライブではサービス精神を発揮する。曲のクオリティーの高さはアルバムで確認してもらうしかないが、ハイライトというべきはボーカルの掛け合いで盛り上げる「アベル」と、バーミンジャーがステージから下りて客席で歌う「ミスター・ノーベンバー」だ。ちなみにグラストンベリーでもバーミンジャーは同じ曲で群衆にもみくちゃにされていた。

 ラストの「ヴァンダーライル・クライベイビー・ジークス」も感動的だった。バーニンジャーをはじめメンバーはマイクを通さずに歌い、客席と合唱する。図らずも商業的成功を収めてしまったナショナルだが、NY派の伝統であるナロードニキ的初心は忘れない。複数の優れたソングライターを擁して力を蓄えてきたナショナルは、次作で〝REMの後継者〟のポジションを獲得するだろう。

 俺がシーンのトップランナーと位置づけるのは、境界線の音を志向するダーティー・プロジェクターズだ。ビョークとのコラボでイニシアティブを握っていたのは彼らといわれているから、今月末の発売が待ち遠しい。一方のナショナルが目指してきたのは、境界線の取り込みかもしれない。屁理屈で締めてしまったが、ともに心地良い音であることに変わりはない。
 

 

 


 
 
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「ウィンターズ・ボーン」~少女の澄んだ瞳に映る荒涼

2011-11-07 20:59:15 | 映画、ドラマ
 パソコンはまだ退院できず、今稿も都内のネット喫茶で更新している。

 俺を襲った凶事と失敗の理由が判明した。伯母が帰省中に亡くなったことは記した通りだが、葬儀の空き時間、「ついで参りは縁起が悪い」という声を押し切って徒歩数分の親類の寺を訪ね、父と祖父母の墓に詣でた。どうやら祟りは、今の世にも存在するらしい。先週末、整骨院で久しぶりに肩を揉んでもらったところ、「こんなに凝ってたら、手が痺れるでしょう。物を落としたりしませんでした?」と聞かれた。ビンゴである。何事にも理由はあるものと妙に納得した。

 仲間由紀恵を〝発見〟した「トリック」は、映画を含め全エピソードを見ている。因習が色濃く残る山あいの村に奈緒子(仲間)と上田(阿部寛)が出向き、コミカルな掛け合いのうちに真相を暴き出すというパターンだが、「トリック」と対照的に共同体の<掟>をシリアスに描いたアメリカ映画を新宿で見た。ミズーリ州オザーク山脈を舞台にした「ウィンターズ・ボーン」(10年、デブラ・クラニック監督)である。

 当ブログでは、格差が拡大するアメリカで、貧しき者の心の豊かさと家族の新しい形を追求した「フローズン・リバー」を紹介した。「ウィンターズ・ボーン」も同様の手触りを予想していたが、感触は少し違う。ある家族の解決不能の状況が寒々とした映像と重なる作品で、「フローズン・リバー」のラストのように光は射さない。タイトルを直訳した「冬の骨」のまま、地面に刺さったような裸の木々が登場人物の内なる荒涼を象徴していた。

 主人公リーを演じたジェニファー・ローレンスの眼差しの力に圧倒された。ジェニファーはある時期、「名探偵モンク」のレギュラーだった。俺の目はモンクの助手で〝清楚なアラフォー〟のナタリーに釘付けになっていたが、ジェニファーはキャピキャピの娘役だった。本作のオーディションでは「美しすぎる」という理由で落とされかけたが、わざと醜いメークで現れ合格したという。17歳という設定だが、真実のために身を捨てる覚悟を決めたリーは、年齢より老成して見える。諦念、絶望、情念を澄んだ瞳で表現した演技力には感嘆するしかない。

 リーの父は薬物製造を生業にする札付きの悪党で、裁判から逃走したが、家や森が担保に入っている。既に無一文だが、住まいまで奪われては、度重なる不幸で精神に変調を来した母親、幼い弟妹とともに死ぬしかない。リーは生きるために父――掟を破って殺されていたとしてもその死体――を捜し始める。

 近くに住んでいる親族もまた、父と罪を共有している。女たちはあれこれ気を使ってくれるが、男どもは押しなべて面相が悪く、訪ねたリーを脅したり、薬物を勧めたりと、怪しい連中ばかりだ。保安官まで毒を盛られて法を曲げる。集落全体が内向きの掟に支配されているのだ。孤立無援のリーに手を差し伸べたのが伯父のティアドロップで、覆い尽くされた真実の一端にふたりして迫っていく。リーは勇気を奮って真正面から闘ったことで掟の支配者から認められ、社会の法を超える存在に気付いた。寒風吹き荒ぶ中、リーは掛け替えのない家族とともに歩き続ける。

 老若男女がともにカントリーを演奏し、歌う場面が何度か出てくる。とりわけバンジョーの響きが耳に心地よかった。リーが軍隊に志願し、面接で却下される場面も興味深い。アメリカにおいて、軍隊は貧しき者にとって脱出への手段になっているのだろう。本作は99%のうちの何%を描いた作品なのかわからないが、悲しいことに日本にもまた、救いのない貧困が押し寄せている。


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「土の中の子供」&「最後の命」~エンタメに至る中村文則のマイルストーン

2011-11-04 15:41:07 | 読書
 今日は夕方からの作業なので、本稿を都内のネットカフェで更新している。前稿冒頭でパソコン入院など俺を襲った凶事の数々を記したが、ここ数日、自己責任による失態が相次いだ。買ったばかりのキムチを瓶ごと部屋にぶちまけたり、陸橋の下りで足を踏み外して転んだり、ネットカフェでドリンクをこぼしたり、コンビニで小銭をばらまいたり、ゴミ捨ての途中に袋が引っ掛かって大家さんの鉢植えを台無しにしたり……。

 悪い連鎖と自分を慰めつつ、不安が頭をよぎってくる。これらはアクシデントではなく、常態ではなかろうかと……。俺は先月、55歳になった。残された時間は確実に、老いとボケとの闘いの日々になる。冷酷な政府が引き上げを画策する年金給付年齢まで、意地でも生きていたい。

 今回は帰省中に読んだ中村文則について記したい。ドストエフスキーの新訳で知られる亀山郁夫東外大学長の書評に仕事として触れたことが、中村を知るきっかけになった。亀山氏は「掏摸」と「悪と仮面のルール」を取り上げ、<ドストエフスキーが追究したテーマを21世紀の日本に甦らせた>(論旨)と絶賛していた。ドストエフスキーの主立った作品を未読、再読を含め読了したばかりだったので、大いに興味をそそられた。当ブログでも両作の感想を記しているが、今回紹介する「土の中の子供」(新潮文庫)と「最後の命」(集英社文庫)はエンターテインメントに至るマイルストーンと位置づけるべき作品だ。なお、最新作「王国」については年内に記す予定でいる。

 今回は両作について併せて記しつつ、<中村ワールド>の本質に迫りたい。中村の作品の登場人物には共通点がある。成人までに経験した夥しい苦痛は、トラウマで括れるほど生易しいものではなく、死への情動に衝き動かされている。観念的に論じる部分もあり、痛くて重く、行間から喘ぎが聞こえてくるような作品だ。「最後の命」で繰り返し言及されているが、サルトルもまたドストエフスキーと並ぶ創作の糧になっているようだ。<自殺を否定した哲学者>という記述が、主人公たちの枷になっているようにも思える。

 主人公(私)が不良たちに無理な喧嘩を売って血まみれになる場面で、「土の中の子供」はスタートする。苦痛を友に生きる私には、高い所から缶や石を落とすという奇妙な性癖があるが、私が落下する物体に重ねているのは自分自身だ。この性癖は幼少時の経験と分かち難く結びついている。私の記憶の底には、自分を突き落とそうとした誰かがおぼろげにインプットされている。そして、突き落とされた先にある土の中に私を生き埋めにしたのは養父母だった。「土の中の子供」のラストに、「カラマーゾフの兄弟」を想起させる父子の相克が浮き上がってくる。

 友人の冴木と主人公(私)を対比させて描いた「最後の命」は、「土の中の子供」にエンタメ度を加味た作品といる。冴木と私は少年時代、女性ホームレスが集団で暴行される場面を目の当たりにし、数年後に主犯の男を<結果的殺人>に至らしめた。<罪―悪―罰>を問う出来事を共有した二人は、20代後半になって再会する。

 二つの事件と再婚した父と義母への不信感から自らの嗜好に気付いた冴木は悪に錨を下ろし、私は拠りどころを探してあてどなく彷徨う。冴木は自らを悪の化身と規定して罪を重ね、罪の意識におののく私は、鬱と自律神経失調症を患っている。読み進むにつれ、対照的に映る冴木と私が、二つの可能性を内在する〝双子〟であることが明らかになっていく。

 心の闇と深奥な世界を描く中村ワールドだが、ラストに一条の光が射し、主人公は再生への道を歩む可能性が示唆されている。すでに多くの論考が存在する中村作品だが、肝のひとつになっているのは、触れられるケースが少ない男女関係ではないか。

 「土の中の子供」のヒロイン白湯子と「最後の命」に登場するデリヘル嬢エリコは、心身に傷を持つ〝ファッキンクレイジー〟な女だ。「最後の命」の香里とは、私が精神を病んでいた時に療養先で知り合った。読者の想像に任せているが、冴木は香里の罪を肩代わりしたかもしれない。中村がこの2作で描いた壊れているけど無垢な女性たちに、俺は魅力を覚えた。中村と俺とは月とスッポンだが、<ピュアーで型にはまった恋なんて存在しない。孤独と絶望にもがいて伸ばした手の先に恋がある>という恋愛観は共有していると思う。

 「土の中の子供」は<もう少し生活が落ち着いたら、白湯子と小さな旅行をすることになっている。だがその前に、何かの決断も、要求することもできなかった。彼女の子供の墓参りをしようと思った>で締められる。「最後の命」のラストで私は、転院が決まった香里に「俺も一緒に、狂おうかと思うんだ。……一人で狂うのは、嫌だろう?」と語りかける。「罪と罰」と重なる購い、希望、カタルシスに胸を打たれた。




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出でよ!日本のアサンジ~ウィキリークスが志向するもの

2011-11-01 19:10:57 | 戯れ言
 都内のネットカフェで更新している。ここ数日、パソコンが入院したと思ったら、洗濯機が壊れ、トイレの水が溢れた。おまけに携帯電話まで不調になり、通話できなくなる。祟りなのか天罰なのかはともかく、自重、自制、自粛を決意した。とはいえ、煩悩多き身にたやすいことではない。ネットカフェの通路でシャンプーの香りがする難民女子とすれ違うと、「うちの方がここよりましだよ」と声を掛けたくなる。もちろん、実行には移さない。

 帰省中、録りだめした「デモクラシーNOW!」をまとめて見た。その殆どがウィキリークス創設者ジュリアン・アサンジがに出演した際のもので、今回はエイミー・グッドマン(進行役)の単独インタビューと、スロベニアの哲学者スラボイ・ジジェクとの対談の回を中心に記したい。だが、最も大切なのは、現在の日本――とりわけ3・11後――に照らしてウィキリークスの意義を論じることだ。

 米軍ヘリによるイラク民間人虐殺の生々しい映像の公開により、ウィキリークスの名が世界に轟いた。音声と合わせて見れば、ヘリ乗務員が司令部に逐一報告した上での蛮行であったことが確認できる。ウィキリークスはイラクやアフガニスタンにおいて多くの民間人が組織的かつ秘密裡に殺された事実を明るみに出す。アサンジいわく<人類史上の際立ったアーカイブ>が、<世界最大のテロ国家=アメリカ>の姿を浮き彫りにした。

 アメリカ政府や民主党のウィキリークスへの対応には凄まじいものがある。かつてモンデール大統領候補の選挙参謀を務めた民主党顧問ボブ・ベッケルは「アサンジの非合法的射殺」を訴えた。アメリカの公務員は「家庭でもウィキリークスについて話すな」と通達されている。石原都政下の教育現場を連想させる薄ら寒い状況といえるだろう。アメリカの同盟国イギリスでもウィキリークスへの支持は高く、欧州では諜報機関によるアサンジ暗殺の可能性は低いという。

 当のアサンジは「ウィキリークスは反戦主義者でも平和活動家ではない。良心的な内部告発者によって権力の濫用をチェックし、民主主義確立の一助になることを目指している」と語っている。同時に「ウィクリークスの活動の基本は小さなことの積み重ねで、抽象や類推からスタートすることは決してない」と自らの方法論を述べていた。

 話は逸れるが、俺は雛の頃から肉親の情でミューズを応援している。怪鳥に成長した彼らは、全欧では数年前から、全米でも最もチケット入手が困難なバンド(ロッキンオン誌)になる。メジャー嫌いの俺がいまだ彼らに興味を失わないのは、そのメッセージ性ゆえだ。2日で16万人を動員した昨年のウェンブリー公演は、今年の暴動の予行演習かと思えるような光景でスタートしたし、「1984」をモチーフに21世紀型管理社会の恐怖を描いた前作「レジスタンス」は、ジジェクの発言に符合する部分が大きい。

 <人々を解放し、世界を活性化させる>のはインターネットのプラス面だが、ジジェクはマイナス面を強調する。<情報は権力によって掌握され、公共空間が支配者と手を結んだ企業によって民営化されていく>と警鐘を鳴らしている。空間支配の典型はグーグルで、辺見庸氏は死刑廃止デーの講演で、被災地の映像について「グーグルなのかスパイ衛星なのか」と違和感を提示していた。小泉政権のブレーンだった岸博幸氏も、グーグルの危険性を繰り返し語っている。

 情報戦の局面で権力の壁はあまりに強大だが、ウィキリークスは秘策を用意していた。米軍の内部文書公開に際し、ニューヨーク・タイムズ、英ガーディアン、独シュピーゲルと共同戦線を張る。3紙と〝共犯関係〟を結ぶことで認知度が高まり、自らの安全を担保することにも繋がる。欧米の主流メディアはウィキリークスを許容し、ウィキリークスは主流メディアのフィルターを壊し、急進化させた。

 残念ながら、日本はこの流れの埒外にある。3・11以降、東京新聞以外の日本の記者クラブメディアは大本営発表を垂れ流し、噛み付いたフリージャーナリストの発言を封じようとした。大地震と原発事故をもってしても何も変わらぬ日本のメディアは、クチクラ化し、既に死んでいる。希望は自由報道協会だが、「出でよ! 日本のアサンジ」と叫びたい。

 録画を見て感じたのは、アサンジがメディアにとって初心というべき倫理、怒り、公正と自由の希求に衝き動かされていること。ツールは日々進歩するが、世の中を変えるのはアナログ的な感性、価値観、情念だと確信した。恋愛やアートにも敷衍できる真実だと思う。

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