<人間は恋と革命のために生まれてきたのだ>……。これは「斜陽」(太宰治)の有名な一節である。恋と革命は人を甘酸っぱい狂気に誘うが、世紀を超えて恋は希薄になった。革命は死語になったが、政治活動全般、とりわけ選挙に置き換えてもいいだろう。
「緑の党、東京比例区で候補者擁立も」(東京新聞)の記事に心が躍ったが、見送ることになった。<社会の構造を地方から変革する>が今の政治のトレンドで、緑の党も統一地方選(来春)での基盤固めを目指している。耕し、撒いて、刈り取る……。<収穫祭=選挙フェス>は地道な活動を経た2年後(参院選)でいいだろう。
新宿バルト9で先日、「最後の命」(14年、松本准平監督/中村文則原作)を見た。俺の感想は<今年のNO・1候補>だが、中村ワールドに親しんでいない方の見解は異なるだろう。
別稿(14年10月26日)で映画「悪童日記」について、<原作の魅力を十全に生かしているとは思わない>と評した。小説を映画化すると、活字派と映像派で意見が分かれるが、「最後の命」は〝文学する映画〟だった。監督、脚本、音楽は30歳前後で、瑞々しさと煌めきがスクリーンから零れてくる。Coccoの主題歌が映像にマッチしていた。
<作家として、今深い喜びを感じています。映画を愛する様々な人に観て欲しい。そう強く思いました>……。中村は本作にこんなコメントを寄せていた。設定を少し変えているが、〝奇跡のチーム〟は原作の濃度と密度を損なわず、長野泰隆によるシュールな映像は登場人物の心象風景を痛いほど表現している。
松本、そして彼のデビュー作「まだ、人間」を絶賛した園子温ら鋭敏な映像作家にとって、中村作品は魅力ある素材のはずだ。亀山郁夫氏(前東外大学長)は中村の小説を<ドストエフスキーのテーマを現代日本に置き換えた>と評していたが、作品の肝は対話にあり、台詞に転用しやすい。本作で法を超えた罪、悪、罰について語り合ったのは主人公の桂人(柳楽優弥)と冴木(矢野聖人)だ。
上述した「悪童日記」は双子の物語だが、高校まで同じ学校に通った桂人と冴木も、相手の存在を心から消し去れず、二つの志向を表現する〝精神の双子〟といえる。少年時代の共有体験によって、桂人は他者との距離を測れなくなり、冴木は悪に錨を下ろそうとする。2人の再会が起点で、惑う桂人、明晰な冴木の対照的なキャラを、柳楽と矢野が好演している。
本作がチェルシー映画祭(ニューヨーク)で脚本賞を受賞したことからもわかるように、中村はアメリカで人気が高い。ウォール・ストリート・ジャーナル誌で2年連続「年間ミステリーベストテン」に選出され、「デビッド・グティス賞」を受賞した。日本では純文学だが、アメリカではミステリー部門に括られているのも興味深い。
少年時代、高校時代、現在と時間がカットバックする。頻繁に表れる桂人と冴木の合言葉「世界は、終わる」が軸になり、桂人と香里(比留川游)との再会、香里の崩壊、冴木の告白、デリヘル嬢(池端レイコ)殺人事件と、絡まりながらピースが埋まっていき、完成した闇のジグソーパズルに一条の光が射した。
「俺も一緒に、狂おうかと思うんだ。一人で狂うのは、嫌だろう」……。ラストで桂人は香里にこう語りかける。ミステリーの要素だけでなく、中村の作品は贖罪の意識に彩られた究極の恋愛小説だ。
中村の最新作「A」を購入した。13編からなる短編集である。年内に読みたいが、スタート台に並んでいる本も多い。最近しみじみ感じるのは、読書のスピードが落ちたこと。気力の萎えに加え、老眼のせいで小さい字が読み辛くなってきた。
「緑の党、東京比例区で候補者擁立も」(東京新聞)の記事に心が躍ったが、見送ることになった。<社会の構造を地方から変革する>が今の政治のトレンドで、緑の党も統一地方選(来春)での基盤固めを目指している。耕し、撒いて、刈り取る……。<収穫祭=選挙フェス>は地道な活動を経た2年後(参院選)でいいだろう。
新宿バルト9で先日、「最後の命」(14年、松本准平監督/中村文則原作)を見た。俺の感想は<今年のNO・1候補>だが、中村ワールドに親しんでいない方の見解は異なるだろう。
別稿(14年10月26日)で映画「悪童日記」について、<原作の魅力を十全に生かしているとは思わない>と評した。小説を映画化すると、活字派と映像派で意見が分かれるが、「最後の命」は〝文学する映画〟だった。監督、脚本、音楽は30歳前後で、瑞々しさと煌めきがスクリーンから零れてくる。Coccoの主題歌が映像にマッチしていた。
<作家として、今深い喜びを感じています。映画を愛する様々な人に観て欲しい。そう強く思いました>……。中村は本作にこんなコメントを寄せていた。設定を少し変えているが、〝奇跡のチーム〟は原作の濃度と密度を損なわず、長野泰隆によるシュールな映像は登場人物の心象風景を痛いほど表現している。
松本、そして彼のデビュー作「まだ、人間」を絶賛した園子温ら鋭敏な映像作家にとって、中村作品は魅力ある素材のはずだ。亀山郁夫氏(前東外大学長)は中村の小説を<ドストエフスキーのテーマを現代日本に置き換えた>と評していたが、作品の肝は対話にあり、台詞に転用しやすい。本作で法を超えた罪、悪、罰について語り合ったのは主人公の桂人(柳楽優弥)と冴木(矢野聖人)だ。
上述した「悪童日記」は双子の物語だが、高校まで同じ学校に通った桂人と冴木も、相手の存在を心から消し去れず、二つの志向を表現する〝精神の双子〟といえる。少年時代の共有体験によって、桂人は他者との距離を測れなくなり、冴木は悪に錨を下ろそうとする。2人の再会が起点で、惑う桂人、明晰な冴木の対照的なキャラを、柳楽と矢野が好演している。
本作がチェルシー映画祭(ニューヨーク)で脚本賞を受賞したことからもわかるように、中村はアメリカで人気が高い。ウォール・ストリート・ジャーナル誌で2年連続「年間ミステリーベストテン」に選出され、「デビッド・グティス賞」を受賞した。日本では純文学だが、アメリカではミステリー部門に括られているのも興味深い。
少年時代、高校時代、現在と時間がカットバックする。頻繁に表れる桂人と冴木の合言葉「世界は、終わる」が軸になり、桂人と香里(比留川游)との再会、香里の崩壊、冴木の告白、デリヘル嬢(池端レイコ)殺人事件と、絡まりながらピースが埋まっていき、完成した闇のジグソーパズルに一条の光が射した。
「俺も一緒に、狂おうかと思うんだ。一人で狂うのは、嫌だろう」……。ラストで桂人は香里にこう語りかける。ミステリーの要素だけでなく、中村の作品は贖罪の意識に彩られた究極の恋愛小説だ。
中村の最新作「A」を購入した。13編からなる短編集である。年内に読みたいが、スタート台に並んでいる本も多い。最近しみじみ感じるのは、読書のスピードが落ちたこと。気力の萎えに加え、老眼のせいで小さい字が読み辛くなってきた。