酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

文学する映画~濃密な中村ワールドを描き切った「最後の命」

2014-11-30 15:45:30 | 映画、ドラマ
 <人間は恋と革命のために生まれてきたのだ>……。これは「斜陽」(太宰治)の有名な一節である。恋と革命は人を甘酸っぱい狂気に誘うが、世紀を超えて恋は希薄になった。革命は死語になったが、政治活動全般、とりわけ選挙に置き換えてもいいだろう。

 「緑の党、東京比例区で候補者擁立も」(東京新聞)の記事に心が躍ったが、見送ることになった。<社会の構造を地方から変革する>が今の政治のトレンドで、緑の党も統一地方選(来春)での基盤固めを目指している。耕し、撒いて、刈り取る……。<収穫祭=選挙フェス>は地道な活動を経た2年後(参院選)でいいだろう。

 新宿バルト9で先日、「最後の命」(14年、松本准平監督/中村文則原作)を見た。俺の感想は<今年のNO・1候補>だが、中村ワールドに親しんでいない方の見解は異なるだろう。

 別稿(14年10月26日)で映画「悪童日記」について、<原作の魅力を十全に生かしているとは思わない>と評した。小説を映画化すると、活字派と映像派で意見が分かれるが、「最後の命」は〝文学する映画〟だった。監督、脚本、音楽は30歳前後で、瑞々しさと煌めきがスクリーンから零れてくる。Coccoの主題歌が映像にマッチしていた。

 <作家として、今深い喜びを感じています。映画を愛する様々な人に観て欲しい。そう強く思いました>……。中村は本作にこんなコメントを寄せていた。設定を少し変えているが、〝奇跡のチーム〟は原作の濃度と密度を損なわず、長野泰隆によるシュールな映像は登場人物の心象風景を痛いほど表現している。

 松本、そして彼のデビュー作「まだ、人間」を絶賛した園子温ら鋭敏な映像作家にとって、中村作品は魅力ある素材のはずだ。亀山郁夫氏(前東外大学長)は中村の小説を<ドストエフスキーのテーマを現代日本に置き換えた>と評していたが、作品の肝は対話にあり、台詞に転用しやすい。本作で法を超えた罪、悪、罰について語り合ったのは主人公の桂人(柳楽優弥)と冴木(矢野聖人)だ。

 上述した「悪童日記」は双子の物語だが、高校まで同じ学校に通った桂人と冴木も、相手の存在を心から消し去れず、二つの志向を表現する〝精神の双子〟といえる。少年時代の共有体験によって、桂人は他者との距離を測れなくなり、冴木は悪に錨を下ろそうとする。2人の再会が起点で、惑う桂人、明晰な冴木の対照的なキャラを、柳楽と矢野が好演している。

 本作がチェルシー映画祭(ニューヨーク)で脚本賞を受賞したことからもわかるように、中村はアメリカで人気が高い。ウォール・ストリート・ジャーナル誌で2年連続「年間ミステリーベストテン」に選出され、「デビッド・グティス賞」を受賞した。日本では純文学だが、アメリカではミステリー部門に括られているのも興味深い。

 少年時代、高校時代、現在と時間がカットバックする。頻繁に表れる桂人と冴木の合言葉「世界は、終わる」が軸になり、桂人と香里(比留川游)との再会、香里の崩壊、冴木の告白、デリヘル嬢(池端レイコ)殺人事件と、絡まりながらピースが埋まっていき、完成した闇のジグソーパズルに一条の光が射した。

 「俺も一緒に、狂おうかと思うんだ。一人で狂うのは、嫌だろう」……。ラストで桂人は香里にこう語りかける。ミステリーの要素だけでなく、中村の作品は贖罪の意識に彩られた究極の恋愛小説だ。

 中村の最新作「A」を購入した。13編からなる短編集である。年内に読みたいが、スタート台に並んでいる本も多い。最近しみじみ感じるのは、読書のスピードが落ちたこと。気力の萎えに加え、老眼のせいで小さい字が読み辛くなってきた。
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足元を見据えて自身の争点を~既に飽きられた?総選挙に向けて

2014-11-26 21:19:46 | 社会、政治
 全米で抗議の嵐が吹き荒れている。ミズーリ州で丸腰の黒人少年を射殺した警察官が、計8発撃ったにもかかわらず不起訴になったからだ。差別、貧困、そして銃社会の病理が背景にあるのだろう。

 ニュースが一段落したので、録画しておいたNFLを見る。タッチダウンを決めた黒人RBは白人のコーチやQBとハグし、白人が殆どを占めるスタジアムは歓呼の渦に包まれる。二つの光景を繋ぐ回路が見えてこない。

 アメリカは巨大な林檎で、どこを齧るかで味も香りも変わってくる。ならば、日本について理解しているかと問われると心許ない。例えば、大義なき解散総選挙……。天木直人氏がブログで記していたように、<告示前に既に飽きられる総選挙>になりそうだ。

 となれば、自身が争点を決めて投票するしかない。俺は緑の党の会員になる以前から、福島こども基金と反貧困ネットワークの一員でもある。初心に帰り、足元を見据えて臨みたい。

 俺の第一の争点は原発だ。先週末、報告会「チェルノブイリと福島の子どもたちの保養」(文京区民センター)に参加した。4人の女性がベラルーシの保養施設「希望」と沖縄の「球美の里」の現状を、写真を用いてリポートする。反原発を支えているのは、地道な活動で子供たちを守ろうとする人たちの高邁な意志だ。

 福島県は、<児童の甲状腺がん発症は原発事故と関連性はない>と発表した。だが、チェルノブイリ原発周辺では。事故から数年後、甲状腺がんだけでなく脳腫瘍、白血病、小骨盤のがんなど様々な病気を発症する子供が続出した。補償はしないと政府と東電が決めている以上、県が関連を否定するのは当然だ。

 ベラルーシと日本の決定的な違いは、行政が因果関係を公式に認め、調査と治療を主導していることだ。だからこそ、ドイツや日本など、世界各国のNGOから協力を得られている。放射能汚染の深刻な実態を知るベラルーシ当局者は、福島の現実に、「これほど汚染している地区に多くの人が暮らしているとは」と絶句したという。

 広河隆一氏らの尽力により、「希望」に倣って沖縄に建設された保養施設が「球美の里」だ。シンボルマークをデザインしたのは先日、辺野古移設反対のメッデージを寄せた宮崎駿氏である。今回の報告会で感じたのは、政府から冷淡な仕打ちを受けている福島と沖縄の絆だ。反原発と辺野古移設反対は同じ視座で繋がり、反安倍の軸になっている。

 格差と貧困が、日本の最大の課題ではないか。先週号の「週刊金曜日」は<非正規労働者2000万人時代>を特集していた。格差と貧困は排外主義を育み、〝戦争できる国〟の経済的基盤になる。自衛隊の高校生リクルート作戦も、〝戦争が食い扶持〟になりつつある社会の変化を先取りしている。

 反原発、反貧困以外に、護憲(秘密保護法と集団的自衛権を含む)、TPP、辺野古基地移設、対アジア外交と、今回の解散は争点が多い。なのに、安倍首相の意に沿って「アベノミクス解散」と命名され、矮小化されてしまった。俺みたいな経済オンチは、アベノミクスと言われても、「何のこっちゃ」である。

 ない知恵を絞っているうち、消費税が浮上してきた。仕事先の夕刊紙に先日、「税金を払わない巨大企業」の著者、富岡幸雄中大名誉教授のインタビューが掲載された。<過去25年の税収はそっくり法人税減税に回った>、<アメリカに消費税がないのは不公平だから>……。日本はアメリカよりも不公平な国らしい。

 格差の最大の要因を消費税に求める富岡氏は、延期されたとはいえ、増税などとんでもないと主張する。俺の母など、消費税増税分は福祉に回ると信じていたが、現実は異なる。年金は削られ、医療と介護のサービスは低下する一方だ。「騙された」と怒っても、どこに投票したらいいかわからない。史上希に見る低投票率が予測されている。、

 自公を落とすために、民主を軸にした野党共闘を望む声もあるが、その民主党は増税賛成だし、そもそも原発再稼働と輸出、TPP参加を打ち出したのは野田政権だ。改憲という点で安倍首相に近い民主党議員の中には、選挙後に与党に合流する者がいても不思議ではない。

 リベラルや左派は共産党に渋々投票するか、〝まし〟な野党議員を探すか、見つからなかったら棄権するしかない。緑の党も選択肢として浮上したいものだが、準備も資金も不足している。東京新聞の報道を信じれば、首都限定の闘いになりそうだ。
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将棋、麻雀、「ブロードチャーチ」~秀逸なドラマに浸る秋

2014-11-23 16:58:57 | 映画、ドラマ
 糸谷7段が竜王戦第4局を制し、3勝1敗でビッグタイトル獲得に王手を掛けた。金曜は夕方から仕事なので翌日未明、録画で中継を見た。明晰な分析とユーモアに定評がある木村8段(解説)は冒頭、「森内竜王が優勢です」と断言。あとでチェックした竜王戦のサイトでも、「逆転は不可能」が午後4時段階のプロの見解だった。

 ところが、〝事件〟が起きる。波乱の要因は時間だった。早指しで知られる糸谷は中継スタート時、2時間以上残していたが、森内は20分前後……。糸谷の時間攻めが奏功し、森内に緩手が出た。1時間後、森内が投了を告げ、衝撃の余韻とともに終局する。将棋はドラスチックな精神の格闘技で、本局をボクシングに例えれば、糸谷の12ラウンド逆転KO勝ちといえるだろう。

 麻雀でも予定調和を覆す結末を頻繁に迎える。雀士の美学と個性に魅せられ、理知を超えた女神の悪戯に瞠目させられる。昨年、俺の前に天使が降臨した。女流モンド杯(13年)、夕刊フジ杯麻雀女王(14年)の2冠に輝く高宮まりで、60年近い人生で最初の女性アイドルだ。

 DVDがイメージビデオランキングで1位(オリコン)を獲得したほどの人気だが、美貌だけがウリではない。強気の打ち筋はまさに「卓上の修羅雪姫」だ。嫉妬したお姉さん雀士にいじめられていないかなんて、余計な心配をしている。親友である魚谷侑未とともに、心躍るドラマを作ってほしい。

 ドラマといえば、WOWOWの充実ぶりが素晴らしい。内外の話題作が次々にオンエアされるが、時間に限りがあるので絞るしかない。今晩スタートする「悪貨」(島田雅彦原作)の感想は、いずれ当ブログで記したい。

 録画しておいた「ブロードチャーチ~殺意の町」(8回)をまとめて見た。英国で34・2%の視聴率を叩き出し、鳴り物入りの日本上陸である。ドラマ観がアメリカナイズされた俺だが、ダウナーなUKロックに通じる雰囲気に引き込まれ、〝一気見〟する。

 海沿いの町に、アレック・ハーディ警部補(デヴィッド・テナント)赴任してきた。アレックにキャリアアップを阻まれたエリー・ミラー刑事との確執と歩み寄りが、ストーリーの軸になっている。アレックはぶっきらぼうで高圧的、自ら着た汚名によって心身を病んでいる。バツ1のアレックと対照的に、エリーは夫ジョー、2人の息子と平穏な日々を過ごしていた。長男トムの級友ダニーの遺体がビーチで発見され、町の空気は一変する。

 ダニーの父マークと母ベスは,犯人候補をリストアップしてアレックとエリーに渡す。多くの知人の名が含まれていたが、アレックは自分たちから目を逸らすためと疑っていた。風光明媚な避暑地は、たちまち化粧を剥ぎ取られ、曇天の下、荒涼とした素顔が浮き彫りになっていく。

 「CSIシリーズ」など科学を前面の出した米国製ドラマなら、DNA検査や通信履歴をチェックし、たちまち解決に至るはずだ。「ブロードチャーチ」はアナログ的で、容疑者の内面に迫っていく。警察が地元新聞社の後手を踏むことも度々で、アレックの苛立ちは募るばかりだ。容疑者の怪しい言動が、悪意ではなく悔恨、孤独、愛、自己犠牲、贖罪の意識に基づくケースもある。霊媒能力を自称する電話技師コネリーの存在も謎めいていた。

 キーワードは「なぜ気付かなかったのか」……。家族の闇が次々に抉られる痛いドラマだが、ラストにカタルシスを覚えた。ダニーを悼むかがり火の葬列が近隣の町にも広がっている。再生への祈り、鎮魂の思いが人々の瞳の中で揺れていた。

 アレックの真実も同時進行で明かされていく。既に米国でのリメークと続編製作が決定しているが、いずれもテナントが主役を演じる。心身を癒やし、少しは穏やかになったアレックの活躍を心待ちにしている。
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戦後日本の本質を抉る「永続敗戦論」

2014-11-20 23:00:35 | 読書
 健さんが召された。悲嘆の時を過ごす方も多いだろう。俺は国民的俳優と認知される前の、蒼くて生硬な健さんに肩入れしている。ちなみに、個人的な〝ベスト・オブ・健さん〟は「新幹線大爆破」(75年)だ。義と情を重んじ、シャイで不器用……。演じたキャラが健さん本体に浸潤した感もする。孤高を保った名優の死を悼みたい。

 緑の党事務所で先日、「日本の平和外交と武器輸出~10・22外務省交渉を経て」と題されたトークライブが開催された。報告者の杉原浩司さん(党会員)は反原発、集団的自衛権、秘密保護法、イスラエルのガザ空爆など様々な問題に関わっており、都内で開かれる集会やデモで結び目的な役割を果たしている。

 16日付東京新聞に「緑の党が脱原発候補の擁立準備」と見出し付きで報じられた。知名度アップに繋がったはずで、出馬を打診する候補、他党との連携についても記されていたが、問題は資金だ。負けると決まったわけではないが、供託金の当てはあるのだろうか。

 遅きに失したが、「永続敗戦論」(白井聡著/太田出版)を読了した。昨年春に刊行されるや版を重ね、6万部以上を売り上げたベストセラーである。「我が意を得たり」が正直な感想で、当ブログでウダウダ記してきたことを、著者は歴史的背景を踏まえ、俯瞰の目で抉っていた。衆院選が迫った今、本書は選択に向けての〝考えるヒント〟になること請け合いだ。

 白井氏が本書を著したきっかけは、鳩山政権崩壊の経緯と3・11後に起こった出来事だった。<県民の願いに応え普天間基地の沖縄県外ないし国外移転>を目指した鳩山元首相は、アメリカの意に沿う官僚、保守派、メディアの集中砲火を浴びる。国民の思いよりアメリカの意向が優先される歪んだ構図を、著者は再認識する。

 3・11直後、菅元首相はSPEEDI(放射能汚染測定装置)が検出したデータを米軍のみに提供し、国民に隠蔽した。原発再稼働と輸出を決めた野田政権は、アリバイ的に<2030年に原発稼働ゼロ>を閣議決定しようとする。アメリカからの横やりで回避したのはご存じの通りだ。

 日本はなぜ、宗主国への隷属が称揚される国になってしまったのか……。行間には憤怒が滲んでいる。著者は丸山真男に立ち返り、戦前から継続する無責任な支配者層、敗戦を終戦にすり替えた事実に行き当たる。敗戦を否認するためには、際限ない対米従属を維持するしかない。この状況を著者は「永続敗戦」と規定した。

 著者は昭和天皇を道義的に批判した者として大岡昇平と三島由紀夫を挙げていたが、免罪したアメリカの意向抜きに天皇の戦争責任を議論しても意味はない。敗戦文書に調印した9月2日ではなく、先祖の霊を迎えるお盆に玉音放送を流したことにも、<敗戦=天災>を意識づける意図があったのではないかと著者は指摘する。

 尖閣、北方領土、竹島を巡る論考も興味深い。日本の敗戦とポツダム宣言に則る以上、古書を辿り、終戦という前提で自国の領土と主張しても正当性を認められない。1945年を起点に、即ち敗戦を受け入れることが領土問題の出発点と論じていた。

 著者はTPPについて、<アメリカは身内を簒奪する段階に至った。餌食は日本>(論旨)と記している。他の論考では<暴力としてのアメリカが浮き彫りになってきた>と表現していた。環境、健康、伝統、文化を破壊するTPPへの参加はまさに売国行為だが、安倍首相は協定締結直前のタイミングを選んで解散に踏み切ったのではないか。

 エピローグにベルリン訪問が記されていた。著者は中心街で「1945年、この地で我々はファシストどもを蹴散らした」という旧ソ連が建てたモニュメントを見つける。東京のど真ん中の靖国神社にはA級戦犯が合祀されている。敗戦を受け入れEUの核になったドイツ、終戦とすり替え隣国と摩擦が絶えない日本……。両国の立ち位置は対照的だ。対米隷属が反転し、中韓に居丈高に接するのも<永続敗戦>の結果なのだ。

 <永続敗戦>の構造は、リベラルをも蝕んでいる。<平和憲法があったから日本は戦争をしなかった>、<集団的自衛権によって日本は戦争する国になる>という論調に、当ブログで疑問を呈してきた。俺は上記のトークライブで、「日本はベトナム戦争、イラク戦争で、従犯として米軍の殺戮に加担してきた。基地がある限り、9条を守っても限界があるのではないか」と杉原さんに質問した。

 杉原さんは「最終的には基地、日米安保に行き着くけど、まずは集団的自衛権から入るしかないでしょう」(論旨)と答えた。机上の空論で語れる俺と違い、実際の活動では地道にコンセンサスを取っていく必要がある。自分の気楽さと無責任さを思い知らされた。
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今は緑のそよ風なれど~沖縄県知事選、地方選の結果を踏まえて

2014-11-16 23:47:10 | 社会、政治
 眠い目をこすってATPファイナル準決勝を見た。第3セット第1ゲーム、錦織はブレークのチャンスを生かせず、一気に形勢を損ねる。些細なことで流れが変わるのは、スポーツに限らずこの世の常だ。無理筋の解散が安倍首相にとって〝終わりの始まり〟になるかもしれない。

 今日16日、重要な選挙が全国で投開票された。沖縄県知事選では<オール沖縄>の翁長雄志候補が勝ち、県民は辺野古移設に「NO」を突き付ける。「永続敗戦論」(13年、白井聡著)の冒頭、鳩山政権崩壊の経緯に言及していた。県民の希望に沿って普天間基地の県外移転を掲げた鳩山元首相は、虎(アメリカ)の尾を踏み、メディアの集中砲火を浴びて辞任に至る。那覇市長選の城間候補の勝利と合わせ、今回の選挙結果がアメリカ隷属の流れを変えることに期待する。

 喜納昌吉候補を支持したとの噂が流れた山本太郎、三宅洋平の両氏だが、事実は異なる。投票日前日(15日)、2人は松戸でブロックパーティー(選挙フェスの再現)のステージに立ち、市議選のDELI候補(緑の党支持)を応援した。午後11時半現在、増田候補(党サポーター)は当確、DELI候補は当落線上にある(追記/当選)。尼崎市長選では現職の稲村候補(党サポーター)が当選するなど、<緑の風>が微かながら吹き始めている。

 緑の党は<リベラル度を測るリトマス紙>だ。人間なら小学校に上がる頃、欠点があれこれ表れてくるが、緑の党は産声を上げて2年余の〝幼児〟だから目立つ瑕疵がない。理念が近い人はHPを見て、「ファジーで青いけど可能性がある」と好感を抱く。元自民党国会議員で、今はアジアの貧困や環境問題に取り組む従兄は、色分けすればもちろん保守だが、「わしの感性に近い」と話していた。

 社民党の福島前党首は参院選後、山本太郎氏に統一会派を組むことを提案した。直感は正しかったと思う。社民支持者、あるいは共産党に仕方なく投票しているリベラルや左派の目に、ケミストリーを起こし得る選択肢と映ることが、緑の党の現時点の目標だ。基盤作りのため統一地方選(来年)に照準を定めていたが、降って湧いてきたのが解散総選挙である。

 小さな集団を〝泡沫〟と嗤う人は、民主主義の本質を理解していない。現在の選挙制度は、治安維持法とセットで制定された普通選挙法の延長戦上にある事実上の制限選挙だ。先進国では例を見ない高額の供託金制度の下、緑の党のように〝財力のない弱者〟にとって、創意工夫が最大の武器になる。三宅、山本両氏を軸にした選挙フェス、立ち位置の近い識者や文化人の応援に期待しているが、今回の総選挙は地域限定の闘いになるだろう。

 野党協力で自公を追い詰めるシナリオも、実現は難しいと思う。維新の橋下代表は「民主と協力しない」と断言し、その民主はみんなと合併に向けて協議しているが、消費税増税で意見が分かれている。民主は10%アップ派だが、みんなは凍結を主張している。

 昨年暮れ、古賀茂明氏は講演会で脱原発と護憲を目指す<リベラル連合>への期待を表明していた。念頭にあった結いの党は右派の維新に合流し、存在感が消えた。理念なき野合が横行しそうだが、選挙が終わり次第、自公の補完勢力になる野党も出てくるはずだ。

 緑の党は現在、汚れなき理念の集団だが、<リベラル連合>の接着剤、緩衝材になる日が来ると確信している。長く険しい道のりになりそうだが、老い先短い俺も微力ながら貢献したい。
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「残響」~哲学するジグソーパズルを俯瞰する

2014-11-13 23:38:20 | 読書
 先日、「スコットランド『独立』~住民投票が見せてくれた可能性」(緑の党事務所)に参加した。報告者の大芝健太郎氏(28歳、党サポータ-)は住民投票を日本に定着させようと奮闘中のジャーナリストで、スコットランドのみならず世界を駆け回っている。

 スコットランド選出の保守党国会議員は1人しかいない(定員59)。<独立賛成≒反グローバリズム>の構図だが、独立はナショナリズムの勃興に繋がるのではないか……。俺の危惧は、大芝氏のリポートで氷解した。独立を主導した国民党は排外主義と無縁で、移民受け入れにも積極的という。

 外交、軍事、課税以外はスコットランド行政府の裁量に任されており、サモンド首相は福祉の充実、格差解消に努めてきた。若者や低所得層は賛成に回ったが、BBCを筆頭にメディアは反対に肩入れした。スコットランドを金城湯池(43議席)にする労働党は絶対に独立を阻止したい。そんな事情もメディア偏向の背景にあった。

 独立派はメディアに頼らず、創意工夫にで支持を増やしていく。16歳以上に投票権が与えられたが、大芝氏が撮影した少女3人組は、揃って顔に「イエス」のペイントを施していた。今の日本では、老いも若きも旗幟を鮮明にする人を嗤う傾向がある。住民投票は閉塞状況を覆す第一歩になるかもしれない。

 小三治並みの長い枕になったが、ようやく本題に……。「残響」(97年、保坂和志/中公文庫)を読了した。表題作と併録作「コーリング」は、ともに〝緩やかな主観のリレー〟で構成されている。

 読書が母との共通の趣味になったことは何度か記したが、「人質の朗読会」(小川洋子)にダメ出しされたように、趣味は合わない。母なら20㌻も読まないうちに、淡々とした「残響」を放り出すだろう。母が好むのは、リレーといっても、息も絶え絶えにバトンが渡される駅伝タイプだ。

 「コーリング」はモラトリアム人間が集う会社名だ。OB、OGらがリレー形式で、さりげない日常を繋いでいく。俺と保坂は誕生日が同じだから、感性を共有している部分がある。音楽の趣味は真逆だが、全共闘世代への抜き差しならぬ不信感には頷いてしまった。メーン走者の浩二は中年になっても青春に拘泥しているが、俺はいまだに〝10代の荒野〟を彷徨っている。

 「コーリング」を稠密にしたのが「残響」だ。一軒家に暮らす啓司とゆかりの夫婦、以前そこに住んでいた俊夫と彩子の元夫婦……。4人とそれぞれの知人が思いを明かしていくが、主人公は俊夫だ。「季節の記憶」では圭太少年の直感から会話は観念に飛翔したが、「残響」ではゴルフ練習場の老人とカラスをとば口に、認識と意識の迷路に入り込んでいく。複数の主観が絡まって倒立し、完成途上のジグソーパズルを俯瞰している感覚になる。ありふれた日常から形而上にジャンプするのが保坂ワールドの特徴だ。

 本作では「ダロウェイ夫人」(ヴァージニア・ウルフ)に言及していたが、主観が移行する手法は、同じウルフでも「灯台へ」に近い。重ならぬ2組のカップルを目に見える形で結んでいるのは、2匹の猫だった。猫好きの保坂らしい設定ではないか。

 猫といえば、当ブログで紹介した「世界から猫が消えたなら」が映画化される。シュールな作品になるだろうが、作者の川村元気は製作にも携わっているのかな……。
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「手と足をもいだ丸太にしてかへし」~鶴彬の鮮烈な生涯に学ぶこと

2014-11-10 22:44:40 | カルチャー
 週末は二つのイベントに足を運んだ。土曜は鶴彬の29年の生涯に迫った「手と足をもいだ丸太にしてかへし」(TACCS1179)、日曜は現地報告会「スコットランド『独立』~住民投票が見せてくれた可能性」(緑の党事務所)である。今回は芝居をメーンに、報告会は次稿の枕で記すことにする。

 川柳歌人、鶴彬に触れるのは3年前(11年6月24日)以来、2度目だ。<時代性と不易性~今こそ鶴彬のパンク精神を>のタイトルで、「だから、鶴彬」(楜沢健著、春陽堂)の感想を綴った。鶴の鮮烈な生き様に迫ったのが今回の芝居で、治安維持法違反で逮捕される理由になった作品からタイトルを取っている。

 鶴彬は野方署で赤痢を発症し、心身とも衰弱して死に至る。事実上の獄死といえるだろう。芝居では言及されなかったが、石井部隊の医師の一人は、「鶴彬は特高によって赤痢菌を接種され、最初の丸太(実験台)にされた可能性がある」と語っている。

 東京新聞で紹介されたこともあり、キャパ130人ほどの会場は超満員だった。芝居を見るのは8年ぶりで、トータルでも10回に満たない。理屈をこねるのは無理だが、ステージから放射される熱い息吹に感応し、2時間余は瞬く間に過ぎた。

 鶴の川柳を読み、俺の中で〝奔放なパンク〟の像を結んでいたが、芝居での鶴は俺のイメージと比べ、生真面目な活動家だった。石川、大阪、東京を行き来し、その間、反軍の咎で2年近く収監されている。実働期間は短かったが、論争好きでもあり、その名が川柳界、文学界に鳴り響いていたことが窺える。鶴は定型に縛られた川柳を、抵抗の手段と捉えていた。

 芝居で興味深かったのは川柳界の流れである。鶴だけでなく、師事した井上剣花坊、信子夫妻、他の歌人たちが登場し、その句が背後のスクリーンに掲示される。複数の役をこなし、台詞に織り込まれた句を記憶する出演者は大変だったはず……なんて感想も、芝居を見慣れた人には笑われるだろう。沈黙して流される大衆のメタファーなのか、白い仮面を着けた集団が繰り返し現れる。異彩を放っていたのは、「娘売ります」の旗を持った農民と傷痍軍人だった。

 治安維持法が成立した1920年代半ばと、秘密保護法が成立した現在を重ねる識者は多い。深刻な格差と貧困が排外主義に転化し、好戦的な空気を醸し出している点も似ている。だが、1930年前後は生活に根差した運動と、表現主義やシュレアリズムが結びつき、カラフルな抵抗が全国で展開する。鶴もまた潮流を支えた一人だった。

 鶴は「我々の川柳は、あまねく街頭に、工場に、農村に、ポスターとしてアッピールし、被抑圧大衆のたましいをゆり動かすだろう」と宣言し、<淫売と失業とストライキより記事がない>、<奴隷の街の電柱は春のアヂビラのレポータア>と詠んでいる。楜沢氏は上記の著書で、「鶴の川柳は落書き、街頭の芸術、謀叛の詩」と位置付けていた。鶴を<暗い時代の殉死者>と位置付け、眉をひそめて現状を憂えるのはやめにしよう。

 耳を澄ませば、コツコツと音が聞こえてくる。それは決して軍靴ではなく、抗議の靴音だ。俺は最近のデモや集会のポップな雰囲気に、兆すものを感じている。鶴の魂が地下水脈から迸り、閉塞を覆す突破口になる気配がする。
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栄光と挫折をリアルに描く「ジャージー・ボーイズ」

2014-11-07 12:56:09 | 映画、ドラマ
 米中間選挙で共和党が下馬評通り民主党に圧勝し、オバマ政権はレイムダック(死に体)になった。<両党のタニマチ(資金源)が重なる以上、2大政党制は民主主義を騙る虚妄>が俺の持論だが、それでも民主党の方が遥かにましだ。

 共和党議員の大半は今や〝狂気の領域〟で、良心、倫理、恥の意識をかなぐり捨てて拝金主義の下僕になった。一方のオバマ大統領は環境保護、銃規制、軍事費削減、最低賃金引き上げ等を掲げ、アメリカを先進国レベルに変えようと試みた……とされるが、それはあくまで〝外面〟で、リーダーシップと調整能力の絶対的な欠如に、国内の支持者は失望している。

 俺が異を唱えるのはアメリカの<1%>で、<99%>には共感を抱き、敬意を表する者も多い。共和党員のクリント・イーストウッドもそのひとりで、新作「ジャージー・ボーイズ」(14年)を先日、新宿ピカデリーで見た。

 トニー賞受賞ミュージカルが下敷きで、フォーシーズンズの栄光と挫折に迫っている。ヒューマニズムとリアリズムを併せ持つ作品だが、ストーリーから抜け出たメンバーのモノローグ、ラストのボリウッドばりのダンスシーンなど、イーストウッドらしくない? 遊びがちりばめられていた。

 ビートルズで洋楽に目覚めた俺にとって、以前のポップスは〝先史時代〟に属する。プレスリーでさえまともに聴いていないのだから、フォーシーズンズについて前知識は一切なく、新鮮な目で作品を楽しめた。

 メンバーはニュージャージー州のイタリア人街ベルヴィルで生まれた幼馴染で、逮捕歴もあるパンクスだ。奇跡のファルセットボイスを持つフランキー(ジョン・ロイド・ヤング)、リーダーのトミー(ギター)、自身をリンゴ・スターと揶揄するニック(ベース)の3人は、街を支配するジップ(クリストファー・ウォーケン)に気に入られてはいたが、成功への道は険しかった。

 転機は曲を作れるボブ(キーボード)の加入だった。フランキーとボブがバンドを牽引し、メンバーチェンジを経て1962年、フォーシーズンズとしてメジャーデビューを果たす。「シェリー」が全米1位を獲得し、一気にスターダムを駆け上がった。フランキーは当時28歳だったから、遅咲きといえるだろう。

 1950年代半ばから60年代にかけ、公民権運動が全米で大きなうねりになる。チャーリー・ミンガスら黒人ジャズミュージシャンは知性を武器に差別と闘ったが、無意識のうちに〝黒人らしさ〟を追求したのが、プレスリーでありフォーシーズンズだ。

 フォーシーズンズは下積み時代、オーディションに落ち続けたが、「君たちが黒人だったらよかったのに」とダメ出しされるシーンが印象的だった。演奏しながら踏むステップも、モータウンの黒人グループを彷彿させる。彼らこそブルー・アイド・ソウルの先駆者であったことを、観賞後の復習で学んだ。

 フォーシーズンズもまた、成功に伴う軋轢と無縁ではなかった。後のスミスも契約上、正式メンバーはモリッシーとジョニー・マーだけだったが、フォーシーズンズも同様で、フランキーとボブ以外は添え物扱いされる。才能の差が和を壊し、問題山積のトミーと地味なニックは脱退する。フランキーが抱えていたのは妻と娘との関係だった。

 絶望の淵にあったフランキーに、ボブは陽気な曲「君の瞳に恋してる」を提供する。カバーバージョンをマニック・ストリート・プリーチャーズとミューズのライブで聴いたが、原曲がフランキー・ヴァリとは知らなかった。

 ロックの殿堂入り式典(90年)でオリジナルメンバーが再会する場面で彼らの青春時代がフラッシュバックし、俺の心も熱く湿る。俺ぐらいの年(58歳)になると、普通に生きていれば絆が次々に絶たれていく。このままでは閉塞し、萎んだまま死んでしまう……。不安を覚えた俺は、自身の活性化のためもあり、オルタナティヴな緑の党に入会した。この決断は正しかった。
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「東京大行進~TOKYO NO HATE」に参加して

2014-11-04 20:47:48 | 社会、政治
 一昨日(2日)、差別撤廃、ヘイトスピーチ反対を掲げる東京大行進(新宿中央公園発着)に参加した。<共生とアイデンティティーの浸潤>を志向する緑の党の会員も運営に携わっていた。

 
 都知事選の宇都宮候補の街頭演説、<ガザの人たちを殺すな>(新宿)でも感じたが、集会やデモは最近、アート系の若者の参加が増え、ポップな雰囲気になっている。マーチングバンドが盛り上げ、カラフルなプラカードが目立った東京大行進も、2800人が華やかに新宿界隈を練り歩いた。ちなみに同日、神田で開催された在特会の集会は、約300人を動員したという。

 チマチョゴリ姿の女性、外国人(報道陣を含め)が目立っていたが、浦和レッズやアーセナルのユニホームを纏ったサッカーサポーターも多く見かけた。老若男女、バランスの取れたデモだった。街の反応も極めて良く、飛び入りで列に加わる人もいる。シュプレヒコールが少なめだったのも、かえってよかった。

 俺はホント、政治に向いてないな……。歩きながらそんな思いに沈んでいた。<差別をやめよう>のメッセージは全く正しいが、10進法のアナログ人間には、<差別を>と<やめよう>の間に、最低でも100字ぐらい必要になる。在特会の活動を制限し、先進国並みにヘイトクライム法を立法化しても、差別は果たしてなくなるのだろうか。

 差別には<意識>と<構造>の二つの切り口があるが、意識に拘ると底なし沼に足を取られる。人は誰しも、差別の牙を秘めているからだ。上から目線の人、既成概念に囚われている人、体育会系思考の人は、いつ牙が反転しても不思議はない。対米従属を当然と考えている人は大抵、アジア蔑視を隠さないものだ。頑な偏見にあれこれ縛られている俺にしたって、差別意識が膨らむ余地は十分にある。

 差別が現れた映画で思い浮かぶのは、「アメリカン・ヒストリーX」(98年、米)と「THIS IS ENGLAND」(06年、英)だ。それぞれ白人至上主義者、ネオナチが登場するが、両者は在特会と共通点がある。黒人に、パキスタンからの移民に、そして在日韓国人に仕事を奪われ、厳しい状況に置かれているという<被害者意識>だ。差別を正当化する論理を組み立てるのも古今東西、差別者の常といえる。

 日本軍のアジア全域における蛮行は、酷い形の差別意識の表れだった。戦前、戦中の日本の排外意識の背景にあったのは、絶望的な格差と貧困である。格差と貧困こそ、何よりも差別を育む土壌なのだ。翻って現代の日本では1世帯あたりの平均年収が240万円、6分の1の世帯が120万円以下……。一億総中流意識はとっくに崩壊し、先進国では最も貧困率が高い国なのだ。

 意識ではなく、社会の構造から差別を考えるべきだ。貧困による喘ぎと怨嗟は、剥き出しの差別に転化し、排外意識を助長する。格差拡大を止めない限り、<差別をやめろ>も空論になるのではないか……。薄曇りの新宿を歩きながら、俺は思考の迷路を彷徨っていた。
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「ミステリアスセッティング」~閃きに溢れた阿部和重の預言

2014-11-01 23:46:27 | 読書
 沖縄県知事選が30日に告示された。<オール沖縄>が推す翁長候補(前那覇市長)の優勢が伝えられるが、世間の耳目は政治と金を巡る茶番劇に注がれている。辞任した2人を含め、入閣しなければ懐具合を詮索されることはなかった。その辺りに問題の本質がある。

 阿部和重の「ミステリアスセッティング」(06年、講談社文庫)を読了した。タイトルは宝石の輝きを増す技法という。本作で輝いていた地金は主人公のシオリだ。近未来(2050年前後?)の都内の公園で、語り部の老人が隠蔽された11年の出来事を少年たちに語る。前半のスローペースから一転し、7月17日未明に至る経緯がサスペンスタッチで描かれる。

 天賦の預言的能力によるものなのか、阿部は3・11の5年前、恐るべきプロットを提示していた、11年は阿部と川上未映子が結婚した年でもあるが、シオリは川上の主人公のキャラクターと重なる部分が大きい。2人の出会いは必然だったのかもしれない。

 本作はケイタイ小説の形を採った。ストーリーにおいても、シオリと引きこもりの少年(ハンドルネームZ)とのメールのやりとりが重要な役割を果たしている。シオリは「マッチ売りの少女」風の痛いキャラで、吟遊詩人に憧れている。作詞家を目指し、高卒後に上京し、専門学校に入学した。

 歌うことが大好きなシオリだが、その声は災いのもとになる。「ブリキの太鼓」のオスカルが秘めていた破壊力ではなく、シオリの声は周りを不快にし、人間関係を壊してしまう。妹のノゾミは活発かつ論理的で、〝家庭内いじめっ子〟として騙されやすい姉を諭す。論破されたシオリは、世にも美しい泣き声で嗚咽するしかない。

 シオリはバンドのマネジャーになるが、悪辣なメンバーのカモにされる。父の会社が破綻して家族との絆が途絶え、学校は閉鎖の危機に直面する。孤独と不幸の連続を、自らの罪障ゆえと受け止め、現実が希薄になったシオリは、小型核爆弾らしきスーツケースを託された。メールのやりとりで真実に気付いたZは、シオリとともに東京を、いや日本を、カタストロフィーから救おうとする。結末は決して悲劇ではなく、シオリにとって贖罪のカタルシスだった。

 出版界最大の話題といえば、今月28日に発刊される阿部和重と伊坂幸太郎の合作「キャプテンサンダーボルト」(文藝春秋)だ。21世紀限定で純文学のツインピークスを個人的に挙げるなら、島田雅彦の「無限カノン三部作」と阿部の「シンセミア」か。伊坂は一冊も読んでいないが、映画化された「重力ピエロ」と「ゴールデンスランバー」に感銘を受けた。奇跡のコラボを楽しみにしている。

 最後に、秋天皇賞の予想、いや、願望を……。11年のPOG指名馬で、ディープブリランテとフェノーメノがダービーで1、2着したが、俺が最も期待していたディサイファが、ようやくGⅠの舞台に辿り着いた。◎⑧ディサイファ、○⑨フェノーメノ、▲⑭マーティンボロ、注⑮イスラボニータを組み合わせて馬券を買いたい。
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