酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

民主主義とは身を賭して勝ち取るもの~「1987、ある闘いの真実」の教訓

2018-09-30 22:24:01 | 映画、ドラマ
 台風24号が日本列島を縦断する中、沖縄知事選は翁長氏の遺志を継いだ玉城デニー氏が勝ち、辺野古基地移設反対の民意が示された。〝本籍アメリカ〟の安倍首相が対応を変えるとは思えないが、来年の参院選に向け、変化の兆しが現れることを願う。

 ハリウッドに進出した中国のトップ女優、ファン・ビンビンが脱税容疑で当局に軟禁中だ。格差に喘ぐ庶民に阿るため、共産党は彼女を見せしめにするつもりだろう。中国映画はアジアを席巻しているが、最大の〝被害者〟は香港ではないか。独立派の政党は活動を禁止され、映画界も衰退の一途を辿っている。

 香港映画「十年」(2015年)は<非情な抑圧者VS存在を懸けて抗議する者>の構図が明確で、中国共産党への怒りに満ちていた。「十年」プロジェクトは現在、アジア各国で進行中だが、日本版の監修総指揮は是枝裕和監督が担当している。

 質的にアジア映画を牽引しているのは韓国だ。「息もできない」(ヤン・イクチュン監督)は〝ヌーヴェルバーグ以来の衝撃〟と世界で絶賛され、「母なる証明」(ポン・ジュノ監督)や「嘆きのピエタ」(キム・ギドク監督)など人間の深淵と原罪を描く作品は枚挙にいとまない。

 「義兄弟~SECRET REUNION」(チャン・フン監督)、「ベルリン・ファイル」(リュ・スンワン監督)などハリウッドに引けを取らぬアクションエンターテインメントの底にあるのは、南北分断のシビアな現実だ。今年6月に紹介した「タクシー運転手 約束は海を越えて」(チャン・フン監督)は光州事件の真実に迫っていたが、シネマート新宿で観賞した「1987、ある闘いの真実」(17年、チャン・ジュナン監督)も軍事政権の闇を抉っていた。殆どのキャラクターは実在の人物をモデルにしており、史実をベースにしている。

 独裁政権下では凄まじい言論弾圧が横行していた。主導するパク所長(キム・ユンソク)に、チェ検事(ハ・ジョンウ)が正義と法を掲げて対峙する。ソウル大生の拷問死はメディアの奮闘もあり明らかになるが、大統領府の圧力で捜査にブレーキがかかる。キムとハはダークでヘビーな「チェイサー」や「哀しき獣」でW主演を務めていた。

 ハン・ビョンヨン看守(ユ・ヘンジ)は刑務所と民主化運動家を繋ぐ〝鳩〟だ。協力していた姪のヨニ(キム・テリ)は、デモに巻き込まれた際に知り合ったイ・ハニュル(カン・ドンウォン)の影響で、独裁政権に疑問を抱くようになる。「義兄弟」で北朝鮮工作員役だったカンは、実年齢より15歳下の大学生を演じていた。

 パク所長は少年時代、目の前で家族を殺された脱北者という設定で、北朝鮮への憎悪を剥き出しにしている。最近の和平ムードとはズレているが、<反共=愛国>が当時の、いや、少し前までの韓国の空気だった。パク所長、そして憲法改正で独裁延長を謀る全斗煥大統領はソウル五輪前年、身を賭した抵抗運動で次第に追い詰められていく。

 若者たちは抗議集会で韓国国歌を唱和する。日本では<権力に従順な者=愛国者>が常識になっているが、それはナショナリズムの誤解で、右派はアメリカに隷従する安倍首相を愛国者と崇めている。一方で、翁長前知事への敬意を表した安室奈美恵はネットで〝反日〟のレッテルを貼られる始末だ。

 朴前大統領と安倍首相はともに国家を私物化したが、失脚した大統領と対照的に首相は3選を果たす。この違いは<言葉の身体性>の差に起因する。韓国では「膝をついて生きるよりは立ったままで死のうじゃないか」を実践した若者たちの屍の上に民主主義が築かれた。日本では全共闘世代、そして1世代下の俺も、時代閉塞をつくり出した責任を負っている。

 恋愛や家族の絆を織り込んだ本作に熱く湿った心は終映後、一気に冷えた。館内を見渡すと、客の大半は俺と同じ中高年層で、感応してほしい若者の姿が見えなかったからである。
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「新潮45」休刊の背景にあるもの

2018-09-26 23:33:29 | カルチャー
 NHK・BSが先日オンエアしたドキュメンタリー「馬三家からの手紙」(2018年、カナダ制作)に感銘を覚えた。1990年代末、道教や仏教の教えを気功に取り入れ<真・善・忍>を掲げる法輪功が中国を席巻する。学習者が7000万人を超えたことに怯えた共産党は法輪功をカルトと断定する。

 逮捕された孫毅は馬三家労働教養所に送られ、発泡スチロール製の〝何か〟を劣悪な環境下で作らされる。英語圏に送られると知った孫毅は英語と中国語で苛酷な状況を綴り、箱に忍ばせた。届いたのは米オレゴン州で、主婦ジュリーがハロウィーン用に購入した墓地の飾りとともに手紙を発見した。地元、全米、そして全世界のメディアが報じ、中国の言論弾圧が実態を知らしめた。

 孫毅が記憶を辿って描いたデッサンがアニメになり、効果的に挿入されていた。亡命先のジャカルタに孫毅を訪ねたジュリーは、「身の回りの品々がどこで作られているのか気になるようになった」と話していた。両者にとって共通の気掛かりは孫毅が中国に残した妻の安否である。クランクアップ後、「悪(共産党)と闘う」と宣言していた孫毅は不審死するが、高貴な魂は今も世界に息づいている。 

 ようやく本題……。「新潮45」の休刊が決まった。自民党の杉田水脈衆院議員が同誌8月号に寄稿した<LGBTは子供を作らない。つまり生産性がない。山口記者(安倍首相の知人)によるレイプ事件では女性にも落ち度がある>(論旨)と主張した一文が批判を浴びた。同誌は10月号で杉田氏を擁護する企画を組んだ。寄稿者のひとり、小川榮太郞氏の論考が火に油を注ぐ。

 <痴漢症候群の男の困苦こそ極めて根深かろう。(中略)彼らの触る権利を社会は保証すべきではないのか。触られる女のショックを思えというのか。それならLGBT様が論壇の大通りを歩いている風景は私には死ぬほどショックだ、精神的苦痛の巨額の賠償金を払ってから口を利いてくれと言っておく>

 醜悪としか言いようがないが、次号で立場の異なる識者の論文を掲載し、議論の場を提供するべきではなかったか。杉田議員は安倍チルドレンで、小川氏には安倍首相関連の著書がある。「新潮45」は安倍応援団で、杉田氏は女性にも落ち度があるとレイプ記者を擁護し、小川氏は性暴力をLGBTと同列に扱っている。彼らが自民党中枢に近いことは、麻生財務相のセクハラ次官への対応でも明らかだ。

 最初に抗議の声を上げたのは、作家たちと信頼関係を築いてきた新潮社文芸部門の編集者たちだった。高村薫と平野啓一郎の多くの作品、星野智幸の最新刊「焔」、島田雅彦の「無限カノン三部作」は新潮社が刊行した。池澤夏樹、中村文則、多和田葉子、小川洋子、町田康らも同様で。彼らはアイデンティティーの尊重と他者への寛容を作品に織り込んでいる。平野と星野は既にツイッターで異議を表明した。〝反新潮〟が作家たちに広がれば会社にとって死活問題になる。

 背景にあるのはメディアの二分化だ。仕事先の夕刊紙は反安倍、ライバル紙は親安倍と旗幟を鮮明にしている。一般紙も朝日・毎日・東京は安倍政権に距離を置き、読売・日経・産経は支持と棲み分けは明確だ。テレビ局もNHK・日テレ・フジは〝安倍機関〟、テレ朝とTBSは批判的と見做されている。TBSの「サンデーモーニング」はネット右翼から〝反日番組ナンバーワン〟と攻撃されている。

 若い頃、メディアは<中立かつ公平な社会の木鐸>だった。逆に言えば、主張が同じだから何を読んでも一緒という批判さえあった。1980年代、読売新聞も従軍慰安婦認めていたし、南京大虐殺も疑いようもない常識だった。小泉政権以降、敵と味方を峻別する二元論が社会に蔓延し、人を〝○○一派〟という風に分類する傾向が広がった。二進法で組み立てられるコンピューターの影響が後景にあるのかもしれない。

 戦前もそうだったが、メディアは俗情と結託する。総じて売り上げは落ちているから、購買層(固定客)に見合った記事を掲載するようになる。「新潮45」の休刊を、左派やリベラルに支えられている「週刊金曜日」や「DAYSJAPAN」は他山の石とすべきだろう。

 オックスフォード大出版局が〝2016年の言葉〟として選んだのは<ポストトゥルース>で、象徴的な出来事はトランプの大統領選勝利だ。辺見庸は<リアルタイムに自己と現実を客観化するのは至難の業になった>と語っていた。トランプ就任式後、補佐官は「最も多くの人々が集まった」と胸を張り。事実無根を指摘されるや事もなげに、「そういう見方もある」とはぐらかした。

 安倍首相の得意技は様々な数字を挙げ、〝政権の成果〟を語ることだ。数字は一面の事実だが、真実に程遠いことは、総裁選で戦った石破氏も指摘していた。事実と真実は異なることを肝に銘じないと、世界は見えてこないのだ。
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「泣き虫しょったんの奇跡」~重圧と絶望を経て辿り着いた清々しさ

2018-09-23 17:07:17 | 映画、ドラマ
 昨日朝、保険証など〝ライフライン〟の全てを収納したカード入れを紛失した。立ち寄った店を訪ね、目を皿にして路上を捜したが見つからない。交番に立ち寄って吉報を知る。善意の方が届けてくれたのだ。現政権支持派に〝反日〟のレッテルを貼られたことのあるブログを書く俺だが、「日本は意外にいい国」と実感させられた。

 「日本は意外にいい国ですね」と言うと、巡査は頷いていた。俺は反中派ではないが、中国を「悪い国」と見做している。NHK・BSでオンエアされたドキュメンタリー「馬三家からの手紙」(カナダ制作)の内容は次稿の枕で記したい。テーマは中国の凄まじい言論弾圧である。

 自民党総裁選で〝意外にいい国〟のトップに安倍首相が3選された。ポストを餌に各派閥を手なずけ、石破支持の国会議員(斎藤農水相など)や市議に圧力をかけるなど、暴力が吹き荒れた選挙だった。自身が属する会社やコミュニティーに安倍首相のような私利私欲を最優先するトップが居座っていたら、あなたは果たして座視出来るだろうか。

 政界と対照的に、清々しい戦いを繰り広げるのが将棋界だ。別稿(8月18日)で取り上げた今泉健二四段の自伝「介護士からプロ棋士へ」は、2度の奨励会(プロ棋士養成機関)退会を経て棋士になった経緯が記されている。先駆者というべき瀬川晶司五段のプロ入りへの道程を描いた「泣き虫しょったんの奇跡」(豊田利晃監督)を渋谷ユーロスペースで見た。

 基調はヒューマンドラマで、<立ち直れなくなるほど相手を打ちのめす>という〝掟〟が支配する奨励会で生き残るには優し過ぎる瀬川を、松田龍平が好演していた。下痢でトイレが近くなった対局者を慮り、あえて〝時間攻め〟せず敗れた瀬川に、隣で指していた奨励会員が「昇段を逃したな」と囁く。瀬川の部屋には成績が上がらない奨励会員が入り浸り、〝敗者の巣窟〟の体と化していた。瀬川は勝負師らしからぬ気配りの人だった。

 年齢制限で退会した瀬川は、編集者の藤田(小林薫)と対局した。奇麗な指し筋に感嘆した藤田は、後にプロ棋士相手に好成績を残した瀬川をバックアップする。優しさゆえ慕われていた瀬川は、行方尚史や鈴木大介らの尽力もあり、プロ編入試験のチャンスを与えられた。〝情けは人のためならず〟の典型的な例だと思う。

 米長邦雄将棋連盟会長の決断も大きかったはずだ。融通無碍でサービス精神旺盛の米長は、メディアを巻き込むプロジェクトを立ち上げる。将棋の世界ではスポーツ以上に才能の絶対値がものをいう。俺も当時、30代半ばで再チャレンジを成功させるなんてあり得ないと考えていた。プロ棋士6人相手に3勝するという条件で、敗れた初戦の相手は将来を嘱望されていた佐藤天彦三段(現名人)である。瀬川は奇跡を成し遂げた。

 退会直後、瀬川は渋谷のスクランブル交差点で蹲る。底なし沼に足を取られ、沈んでいくような錯覚に囚われるのだ。10代から全てを犠牲にして将棋に懸けてきた若者は、プロ入りの目標が潰えると、ゼロどこかマイナスからのスタートになる。本作でも紹介されていたが、喪服を纏って入水自殺した者もいるという。

 〝退会≒死〟に怯えるあまり、プレッシャーに苛まれる奨励会員もいる。上記の今泉は麻雀や酒に逃避し、瀬川は競馬やパチンコに溺れた。「自分は果たして全力を尽くしたのだろうか」という瀬川のモノローグに悔いが滲んでいた。やり尽くしていないとの思い、真摯な将棋愛、サポートしてくれる周囲への感謝が、奇跡の原動力になる。

 脇役陣の豪華さに目を瞠った。國村隼と美保純が両親役で兄は大西信満、小学校時代の恩師を松たか子、将棋クラブ席主をイッセー尾形、奨励会員を妻夫木聡らが演じ、藤原竜也は通行人役である。さらに、久保利明王将、屋敷伸之九段、豊川孝弘七段ら現役棋士が瀬川の対局者として登場していた。

 照井利幸による音楽が印象的だった。照井はブランキー・ジェット・シティ解散後、ROSSOなど数多くのバンドで活躍する。〝荒くれ&強面ベーシスト〟で、サウンドクリエーターというイメージという印象はなかったが、本作では絶望の淵に沈んだ瀬川の心象風景を重低音で表現していた。

 「聖の青春」(16年)、「三月のライオン」(17年)、そして本作と将棋を題材にした映画が制作されている。今泉の自伝もいずれ映画化されるだろう。
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初秋のスポーツ雑感~正しい観戦法は俯瞰よりもズームアップ?

2018-09-19 22:39:12 | スポーツ
 政権には尻尾を振るメディアだが、スポーツ界には厳しい。アメフト、レスリング、ボクシング、体操、駅伝、ウエートリフティングと、今年に入って各競技の暴君が炙り出された。

 日本で1992年に発刊された「黒い輪」(ヴィヴ・シムソン&アンドリュー・ジェニングス著、広瀬隆訳)はスポーツ界の実態を抉っていた。FIFAやIOCを牛耳るのは、フランコの子分だったサマランチ元IOC会長を筆頭にファシストの系譜を継ぐ者で、大企業と手を組み〝腐敗の輪〟を形成する。この構図は四半世紀後も変わらない。森喜朗東京五輪組織委員長もファッショ的体質の持ち主で、数々の汚職疑惑をすり抜けてきた。

 スキゾの典型である俺は、何かに肩入れするのが嫌で、俯瞰の目で複数のスポーツを楽しんできた。例外はサッカーのオランダ代表である。反面教師にしたのは、中高時代の教師たちで、阪神が負けると機嫌が悪くなる。巨人が9対0でV9を決めた1973年10月22日の甲子園決戦で、彼らの落胆ぶりが記憶に鮮明に残っている。

 教師たちは〝反面〟ではなく、実はスポーツとの正しい接し方を示していたのではないか。そんな風に感じ始めている。〝贔屓する=愛〟抜きでスポーツを観戦するのは簡単ではない。ロシアW杯が面白かったのでここ数週、プレミアとリーガの試合を見てきたが、さっぱり身が入らない。開幕したばかりのNFLも同様である。

 面白いと感じるためには〝愛〟が必要だ。贔屓チームをつくることを決めた。NFLではピート・キャロルHC率いるシーホークスを応援してきたが、ジョン・グルーデンが17年ぶりにHCに復帰したことを知り、レイダースを贔屓に加えることにした。ともにスーパーボウルを制覇した名将で、キャロルはプレーヤーズコーチ、グルーデンはワーカホリックの熱血漢と対照的だ。ともに2連敗とつまずいた両チームは来月15日に対戦し、日テレジータスが生中継する。

 先週末から今週にかけスポーツを観戦したが、ハイライトはゲンナジー・ゴロフキンとサウル・アルバレスによるリマッチだった。ジャブで距離を取りながら鋭いパンチでKOの山を築くゴロフキン、スピードとヘッドスリップで懐に潜り込むアルバレス……。世界のトップ2が繰り広げる攻防の妙に見入ってしまった。

 ボクサーは齢を重ねるごとに体力と動体視力が衰える。年齢差(8歳)は如何ともし難く、序盤はアルバレスが攻勢に出たが、ゴロフキンが的確なパンチでペースを掴んでいく。ゴロフキンの勝ちを確信したが、判定に愕然とする。ゲストとしてWOWOWで解説していた村田諒太、試合を世界に配信したHBO局も数ポイント差でゴロフキン勝利とみていた。

 ボクシングでは曖昧な結果に終わることがままある。その点、俺がスポーツ感覚で観戦している将棋は、どれほど優位に対局を進めていても、王が詰まされたら負けになる。例外なくKO決着だから、後味の悪さとは無縁だ。将棋とは格闘性の強いゲームといえる。

 〝愛〟といえばここ数年、横浜ベイスターズを応援している。今夜はジャイアンツに快勝したが、勢いのあるドラゴンズに及ばずCS進出を逃すのではないか。戦力不足を補うため、取っ換え引っ換え選手を起用したことがシーズン後半、選手層の厚みに繋がることを期待したが、ラミレス監督が〝策士、策に溺れて〟いる感は否めない。

 俺の〝愛〟が爆発するのは競馬だ。POG指名馬は、とにかく可愛い。中長距離で活躍出来そうな2歳馬も勝ち上がっているし、来月以降は3歳馬がGⅠ戦線を賑わせそうだ。アーモンドアイは秋華賞で3冠を達成したらJCに向かうかもしれない。ダノンプレミアムは天皇賞にぶっつけで挑戦するし、サラキアは秋華賞、エタリオウは菊花賞、そしてタワーオブロンドンはスワンSを叩いてマイルCSに挑む。

 〝愛〟が〝実益〟に繋がれば言うことはないが、世の中それほど甘くないことは、来し方を振り返って重々承知している。
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「テル・ミー・ライズ」~時代の空気を捉えたセミドキュメンタリー

2018-09-16 23:30:11 | 映画、ドラマ
 樹木希林さんが亡くなった。享年75という。この10年は是枝裕和監督とのタッグが目立ち、とりわけ「万引き家族」は樹木さん抜きで語れない作品といえる。齢を重ねるごとに存在感を増したヒロインの死を悼みたい。

 枕は前稿に続き<イスラエルとパレスチナ>……。パレスチナへの戦争犯罪に抗議するBDS(イスラエルボイコット)は映画界にも波及している。英国では今年5月、ケン・ローチ、アキ・カウリスマキ監督ら十数人が、イスラエル政府支援の映画祭ボイコットを訴える書面に署名した。

 エルサレム首都認定、国連パレスチナ難民救済事業機関への拠出中止、PLO支部閉鎖……。トランプ大統領の暴走に、共和党内にも異論はあるが、表立って声を上げづらい状況だ。キリスト教原理主義者=福音派は今や米国民の3割近くを占めている。その殆どがイスラエルに友好的なシオニストで、共和党の議員は福音派にそっぽを向かれると選挙に勝てない。

 米企業が資源収奪の目的で進出する国(とりわけ中南米)では、まず福音派が進出し、住民支配の尖兵役を果たしている。アメリカとイスラエルを〝悪の枢軸〟と記してきたが、両者の接点は福音派で、グローバル企業も一枚噛んでいる。

 イメージフォーラムで先日、英映画「テル・ミー・ライズ」(1968年、ピーター・ブルック監督)を見た。半世紀前、ベネチア映画祭で審査員特別賞とルイス・ブニュエル審査員賞を受賞したものの、カンヌへの出品を取り下げられ、英米では上映館が限られていた。失われていた原版が発見され、再上映の運びとなる。

 ブルックは演劇界の巨匠で、ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー(RSC)で演出を手掛けながら、映画監督しても問題作を世に問うた。ガラガラだったのは、〝難解〟と敬遠されたからだろう。睡眠不足で何度か意識が飛び、肝心な場面を見落としたに違いないから、内容より背景にポイントを置いて記したい。

 ベトナム戦争反対をテーマに掲げた本作で、重要な役柄を演じるのはRSC所属の舞台俳優たちだ。米軍の空爆で傷ついた子供たちの写真を見て、彼らは行動を起こす。舞台はスウィングロンドンで、当時の空気が伝わってきた。ミュージカル風の味付けはブルックのお遊びだろう。

 公開は68年だから、クランクインは2年ほど前か。ロンドンでの最初の反戦集会は65年だった。アメリカはどうか。ノーマ・チョムスキーは<保守的なボストンでの最初のベトナム反戦デモ(66年)は、私を含め参加者は少なく、葬送の列のようにおとなしかった>と回想していた。68年に向け、ロンドンでもボストンでも狼煙が上がっていた。

 実験的なセミドキュメンタリー(あるいはセミフィクション)で、若者たちが政治家、ストークリー・カーマイケル(ブラックパンサー指導者)と議論する。当時の英ウィルソン首相(労働党)は、アメリカに出兵を要請されたらどう対応すべきか苦慮していた。イラク侵攻に加担したブレア首相より、同じ労働党でも懐が深かったのだろう。

 労働党幹部は一応に<ベトナム戦争は中ソとの代理戦争>と見做していた。独裁的な〝東〟と自由を重んじる〝西〟が対峙する世界……、そんな幻想を吹っ飛ばしたのがカーマイケルで、<富む者と貧しい者、収奪する側と奴隷>という対立項を明示していた。その言葉は50年後もフレッシュで、ケンドリック・ラマーも同じ地平に立っている。

 異彩を放っていたのがグレンダ・ジャクソンだ。集会でゲバラの言葉を引用してアジテーションし、毛沢東語録を振りかざすグレンダを〝劇中劇に参加する活動家〟と勘違いする。帰宅後、ネットで検索したら、彼女は〝活動家を演じた俳優〟で、オスカー(主演女優賞)を2度獲得していた。後に政界入りし、労働党政権で運輸相を務めている。事実と創作が交錯する本作の登場人物に相応しい。

 ベトナム戦争に抗議し65年、ペンタゴン前で焼身自殺したノーマン・モリソンの半生と妻とのやりとりが後半のメインになる。サイゴンで63年、ベトナム人僧侶ディック・クアン・ドックが焼身自殺する。マルコム・ブラウンがシャッターを切った写真は、レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの1stアルバムのジャケットに用いられた。日本では67年、佐藤訪米阻止闘争のさなか、由比忠之進が首相公邸前で焼身自殺した。

 ベトナムに、いや、世界といかに向き合うべきか。焼身自殺は貴い行為だが、誰もが決断出来る行為ではない。本作では、<ベトナム戦争は自分の中の悪であり、社会的な抗議に加わるつもりはない>と語る者もいた。当時の熱気と対照的に、日本は今、閉塞感に覆われている。言葉の身体性の意味を突き付ける作品だった。
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フジロック、ジェスロ・タルetc~初秋のロック雑感

2018-09-13 21:45:01 | 音楽
 俺の家系は老いて耳が遠くなる。兆候が既に現れているから、歩行中あるいは車内で音楽を聴いたりしない。時代が変われば習慣も変わるが、定食屋やラーメン屋で音楽を聴きながら食べる姿には苛立ちを覚えてしまう。

 欧米ロック界では<イスラエルとパレスチナ>がキーワードになっている。レディオヘッドは今夏のNY公演で、〝トランプのアメリカ〟への怒りを滲ませていたと「ロッキング・オン」誌は好意的に報じていた。音楽メディアによる忖度といったところか。

 レディオヘッドは昨年、アメリカと〝悪の枢軸〟を形成するイスラエルで公演を行った。ツツ主教、ケン・ローチ監督も名を連ねる「アーティスト・フォー・パレスチナUK」の反対を押し切った形だが、イスラエル当局者は「ライブ実現は我が国が民主国家であることを示す好例になった」(論旨)と手放し喜んでいた。

 一方で「アーティスト――」のスポークスマン、ロジャー・ウォーターズの北米ツア-は妨害を受けた。背景にあるのは議会で審議中の<イスラエルに対するボイコット・投資引き揚げ・制裁措置に刑事罰を科す>というイスラエル批判禁止法案だ。波紋は更に広がっている。ラナ・デル・レイは予定通りイスラエル公演を行い、ロードは中止を発表した。ケミカル・ブラザーズは保留中という。

 還暦を過ぎて、アンテナが錆び付いている。ロックでも同じで、この10年以内に開拓し、新作を必ず買うバンドは、The1975、フォールズ、エディターズのUK勢、ダーティー・プロジェクターズ、ローカル・ネイティヴス、グリズリー・ベアのUSインディー系ぐらいか。発見を求めて、フジロック2、3日目の総集編(各5時間)を見た。

 フジを計6回、生体験したが、ベスト3を挙げれば、97年のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーン、07年のミューズ⇒キュアー、10年のローカル・ネイティヴスだ。暴風雨下のレイジの熱演は、俺にとって史上NO・1のパフォーマンスだった。

 画面を通じてキャッチしたのは、レイジの影響を感じさせるアーティストたちだった。トム・モレロ風のギターに暴れるボーカルがレイジを彷彿させるフィーバー333、アンダーソン・パーク&ザ・フリー・ナショナルズで、ともにメッセージ性に裏打ちされたエネルギッシュなステージだった。

 再会には事欠かなかった。ザ・バースディ、浅井健一&ザ・インターチェンジキルズには、それぞれミッシェルガンとBJCで邦楽ロックを世界標準に引き上げたチバ&クハラ、ベンジーの底力を再確認した。ジョニー・マーはYoutubeの生配信でも見たが、スミス解散時(30年前)と体形もギタースタイルも変わらない。アッシュもまだまだフレッシュだ。早熟の天才ティムは不惑になっても蒼いビートを刻んでいた。ヴァンパイア・ウィークエンドは以前よりカラフルになっている。

 ダーティー・プロジェクターズは燦めきを取り戻しつつことを知り、安心した。渋谷クアトロ、フジロック10における自由で祝祭的なパフォーマンスに、「数年後はグリーンステージのヘッドライナー」と確信した。ビヨークとのコラボを経て、これからという時、活動を停止する。理由がデイヴ・ロングストレスの失恋というから何をか言わんや……。バンドに美女を集めたデイヴが再度、失恋しないことを願う。

 ロックフェスは<ハレとケ>のハレで、フジロックはその色彩が濃い。<お祭りだから理屈はこねず楽しむ>のが正論だが、<ロックの生命線はメッセージ性>というドグマから抜け出せない。ハイライトは言うまでもケンドリック・ラマーで、開催直前、国会議事堂駅に掲示されたポスターが印象的だった。黒塗りされた文書にラマーの新作タイトル「ダム(クソッタレ)」の文字を貼り付けるデザインがラマーの思いを象徴していた。

 この1カ月、ジェスロ・タル結成50周年記念の3枚組ベストアルバム(全50曲)を聴いている。ブルース、フォーク、トラッド、ジャズを坩堝で煮ジェスロ・タルは、タワーレコードでプログレに分類されていた。

 ロックレジェンドには自称、他称のフォロワーが連なっているが、ジェスロ・タルは唯一無二だ。「天井桟敷の吟遊詩人」というアルバムタイトルが示すように、フルートを奏でるリーダーのイアン・アンダーソンの放浪者風のいでたちはジプシー(ロマ)を彷彿させ、牧歌的なトラッドの裏に、映画「ウイッカーマン」に通じる闇も潜んでいる。想像力を刺激する名曲群は、読書のBGMに最適なのだ。
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「カメラを止めるな!」~血まみれスプラッタが一転、心潤む人生賛歌に

2018-09-09 21:20:13 | 映画、ドラマ
 キャラメルを食べていたら、グニャッという感触を覚える。差し歯がくっついて外れてしまったのだ。呑み込まなかったのは不幸中の幸いだが、治療費を考えたら暗い気分になる。翌日夜、スープをDVDのリモコンにこぼしてジ・エンド……。古い型式で在庫はなく、汎用リモコンを購入した。自業自得とはいえ、冴えない日々が続く。

 大坂なおみがセリーナ・ウィリアムズを破り、全米オープンを制した。警告を巡るアクシデントで後味の悪さは否めないが、両者の〝師弟関係〟を感じたのは俺だけではないだろう。セリーナとファンを慮る大坂のインタビューも印象的で、WOWOWのスタジオでは台風と地震の被災者を気遣っていた。

 スポーツ界の隆盛をもたらしている多様化は、俺の身近でも起きている。方南通りは国際色豊かで、中央公園~川島通りの1㌔弱、林立するコンビニ、松屋、すき家、マクドナルド、オリジン弁当、中華屋、カレー屋、定食屋で目にするのはアジア、南米からの従業員たちだ。安倍、石破両氏は変化の兆し気付いているだろうか。

 旧聞に属するが、舘ひろしが「終わった人」でモントリオール映画祭最優秀男優賞を受賞した。予兆を感じたのはドラマW「60 誤判対策室」(全5話)で、冤罪に加担した刑事の懊悩と意地を表現し、死刑を執行直前、ストップさせる。齢を重ねて演技の幅を広げる役者魂に拍手を送りたい。

 「カメラを止めるな!」(17年、上田慎一郎監督)をTOHOシネマズ新宿の2番目に大きいスクリーンで見た。盗作告発が世間を賑わせたが、当該劇団は原案者としてクレジットされている。折り合いがつくかは別に、芝居と映画の違いを考慮すべきだろう。

 製作費300万円ながら、興行収入は20億円を超える勢いだ。枕が長くなったのは、ネタバレ抜きで本作を紹介するのは難しいと感じたから。興趣を削がぬよう記したいが、ご覧になる予定がある方は、ここで別ページに飛んでほしい。

 話は逸れるが、あるビジュアル系バンドがブレークした十数年前、関係者は「100万枚ぐらいアルバムを売らないと元が取れない」とこぼしていた。代理店が仲介し、仕掛けとはバレないパブリシティーを積み重ね、〝偶然〟を演出するのが現在だが、「カメラを止めるな!」は作品の力で〝必然〟の成功を収めた。

 本作のキャッチフレーズは「最後まで席を立つな。この映画は二度はじまる」だ。冒頭のゾンビ映画では血飛沫が舞い、首や手が飛ぶ。37分を堪え切れず席を立った方は惜しいことをしたと思う。後半のメーキングはユーモアに溢れた心潤む人生賛歌だったからだ。
 
 神谷(長屋和彰)と逢花(秋山ゆずき)がゾンビ映画のW主役で、撮影中に本物のゾンビに襲われるという設定の<劇中劇>が展開する。ちなみに秋山は10月放映の「科捜研の女」オープニング特番に出演している。夫(濱津隆之)は監督、妻(しゅはまはるみ)はメイク、娘(真魚)は製作助手と、日暮一家がストーリーの回転軸になっていた。

 面白いだけではなく、親近感を覚えた観客たちがSNSにアップしたから、本作は社会現象になった。テレビ局開局記念の生中継ホラー映画をワンカットで撮るなんてあり得ない企画に、スタッフ、キャストが全力を挙げてチャレンジする……はずだった。何とかラストシーンまで到達したが、絶体絶命の連続で、メーキングの方が見る者をドキドキさせる。

 「プロジェクトX」並みの艱難辛苦が次々に押し寄せ、足を引っ張る駄目男に「こんな奴、周りにいる(俺かも)」と感じてしまった。ピンチのたびに機転を利かして心潤む人生賛歌に導く真の主人公は誰? ご覧になった方はもちろん、わかっているはずだ。

 本作は<アイデアが世の中を変える>を実践した稀に見る奇跡であり、無名のスタッフやキャストたちの仲間意識と映画愛の精華といえる。
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熱く冷たい「焔」~星野智幸の預言に社会が追いついた

2018-09-06 20:20:58 | 読書
 台風の爪痕が癒えないうちに、震度7の地震が北海道を襲った。亡くなられた方の冥福を祈るとともに、一日も早い復旧を願っている。深甚な被害が時を経るに従って明らかになってきた。微力な俺に出来るのは、少額の義援金を寄付することぐらいだ。

 「いずれが首相に相応しいか」を問う世論調査では、安倍、石破両候補は拮抗している。国民と自民党の乖離は広がる一方で、野田聖子総務相が安倍支持を公表した。前回(2012年)、石破氏に投票した小泉進次郎衆院議員も態度を表明せず〝海外逃亡〟する。

 麻生財務相は「安倍晋三自民党総裁を応援する会」で<我々はG7唯一の有色人種>と発言した。当人は何が問題なのかわかっていないはずだ。倫理と正義に反しても恬として恥じない首相、知性の欠片もない副総理……。日本を牛耳るこのコンビに文学で対峙するのが星野智幸だ。

 1997年にデビューして以来、論理と皮膚感覚で誰よりも深く日本を洞察してきた星野の最新刊「焔」(18年、新潮社)を読了する。俺なりにキーワードを挙げれば<時空の循環><アイデンティティーの浸潤><死と転生>だ。発表時期の異なる九つの短編は、発刊に合わせて一本の糸で繋がれた。焔を囲み転生の経緯を語り終えた者は、無明の闇へ消えていく。

 星野は現在の歪んだ空気に、関東大震災時の朝鮮人虐殺を重ねている。違和感と既視感を表現しているのは♯2「木星」(14年)だ。♯1「ピンク」(14年)では連日の40度超、「木星」、♯3「眼魚」(16年)、♯5「地球になりたかった男」(13年)では水害が後景に据えられている。社会の狂いと異常気象が感応し、登場人物は人間以外の形を志向する。

 星野は<内向きのアイデンティティー>に警鐘を鳴らしてきた。「焔」収録作も改憲後の日本を照射しており、戦争が常態になっている。<自分であることをやめて日本人に加わり、安心を得る>風潮への忌避感が滲んでいた。「ピンク」に描かれた〝つむじ踊り〟は、排外主義に裏打ちされた熱狂のメタファーといえるだろう。

 ♯4「クエルボ」(14年)ではカラスに魅せられた定年後の男が、元同僚に頼まれた機密保護法(≒秘密保護法)反対の署名を拒否する。「俺はあいつらが社内の地味な不幸にどれだけ無関心だったか、何十年も見てきたんだ」と妻に語る主人公に共感を覚えた。身近の不条理、不合理、不平等を看過している者が世の中を変えるなんて不可能なのだから。

 「眼魚」では体内から抜け出した意識に包まれ、眼の形をした生き物になった人間は、<一つ一つが個体なのか、粘菌みたいに個も全体もないのか>判別できない状態で海に散らばっていく。「地球になりたかった男」で主人公は、<人間らしさを突き詰めて、人間らしくなりすぎて、ついに人間を食い破り>、土に同化して地球になる。

 シュールな変身譚から一転、格差と貧困、高齢化社会を直視する作品が続く。♯6「人間バンク」(11年)のぼくは金(通貨)になる。良心によって救われたはずなのに、〝人本位制〟に心地良く取り込まれていくのだ。♯7「何が俺をそうさせたか」(同)では歪な父子関係に苛まれていたジャーナリストが主人公だ。国家ぐるみの〝人間エコ=人口制限〟の真相に気付いた時、出口はなかった。

 ♯8「乗り換え」(17年)は自身のパラレルワールドを二人の〝星野幸智〟に語らせる趣向だ。サッカーへの思い、記者時代の思い出、メキシコ遊学など来し方が窺えて興味深い。♯9「世界大角力共和国杯」(同)は大相撲をこよなく愛する星野の思いが込められている。相撲には関心がないが、<アイデンティティー>をリトマス紙にすると、星野の理想の相撲像が透けて見えてくる。

 神話の領域に到達した小説を数多く発表し、一市民として様々なデモに参加してきた星野だが、認知度は極めて低い。小説は難解と言えぬこともないが、メディアを含めて政治に携わる人々に「未来の記憶は闇のなかで作られる」(14年)を薦めたい。発表した評論を14年から99年に遡行して並べるという大胆な構成で、星野の慧眼が浮き彫りになる。

 星野は同書で、<国旗国歌法が誕生し、通信傍受法が成立し、日米防衛のためのガイドラインが改訂された1999年を右傾化元年と捉えている>と記し、個人の公への屈服を是とする風潮に、<徴兵制を幻視する>と述べていた。憲法改正がスケジュールに組み込まれた今、星野の預言に社会は追いついた。〝日本のジョージ・オーウェル〟というのは褒め過ぎか……。
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改憲の悪夢が現実に?~本間龍が説く国民投票のからくり

2018-09-02 17:51:48 | 社会、政治
 宮川紗江選手の会見が波紋を広げている。アメフト、ボクシング、体操と競技を問わずスポーツ界の独裁的体質は変わらないが、政界はどうか。物言えば唇寒し秋の風で、倫理や正義に反している安倍首相が、自民党総裁選で独走中だ。

 二階幹事長は今年1月、「改憲発議は1年以内に可能」と発言した。強行採決の連続で一気に進める可能性もあるが、参院選後に照準を定めているという。自公の目論見通りなら、日本は来夏、<改憲VS護憲>の喧噪に包まれているだろう。

 国民投票について基本的な知識を学ぶため、「巨大広告代理店に操作される憲法改正国民投票」と題された本間龍氏の講演会(阿佐谷地域区民センター)に足を運んだ。元博報堂社員の本間氏は、詐欺罪で下獄した経験がある。その経緯を詳らかにした「『懲役』を知っていますか」で09年にデビューし、<司法と刑務所>から<メディアと原発>に軸足を移す。現在は<改憲とメディア&代理店>をメインに執筆活動を進めている。

 メディアは〝第四の権力〟といわれているが、本間氏は広告代理店がメディアを支配していることを数字で示した。フジテレビ、朝日新聞の売上高はそれぞれ6400億、4700億だが、電通は4兆9000億、博報堂は1兆2000億と代理店とは桁が違う。

 収入の70%を占める広告費に生かされているメディアは、代理店に逆らえず、報道する内容も〝お上〟の意に沿うことになる。反安倍側は<メディアは信用出来ない>と主張するが、代理店を俎上に載せない議論は無意味だ。東京五輪の企画・運営は電通の一社独占で、国民投票と五輪をセットにしたパブリシティーが進行中だ。

 国民投票が実施されれば改憲派が確実に勝つ……。本間氏が語るリアルなデストピアに、「気分が悪くなった」と感想を述べた方がいたという。<発議→国民投票になったら自分たちが勝つ>と考える護憲派の見通しが甘いことを、本間氏は四つの根拠を挙げ説明していた。

 第一は改憲派がスケジュールを握り、逆算して策を講じられること。AKB、エグザイル、吉本の芸人ら政権寄りのタレントを効率的に使えるし、広告枠を前もって押さえることも出来る。第二は、第一と重なるが、改憲派が政権与党だから、国会日程を都合良く決められる。野党に〝餌〟をばらまいたり、財界から寄付を募ったりするタイミングを計れるのだ。

 第三は、改憲派が巨額な資金を調達出来ること。国民投票は公職選挙法の規定外で、運動期間は60~180日と長い。寄付は自由で、海外からでもOK。改憲を支持する米軍需産業から莫大な資金が流入しても、公表する義務はない。太平洋戦争を想起させる構図で、本間氏は「護憲派はB29(改憲派)に竹槍で立ち向かっているようなもの」と指摘していた。

 第四は、改憲派の広告宣伝担当が電通である点。自民党と長年タッグを組んできた電通は、立案、制作、広告枠について準備万端のはず。3・11後、〝テレビは信用出来ない〟という空気が広まったが、日本人は忘れっぽい。独裁政権に身を賭して闘った韓国では20%だが、日本におけるテレビへの信頼度は90%を超える。テレビこそ洗脳の最高のツールで、いかにCM枠を使うか、それとも規制するかが喫緊の課題になる。

 安倍首相は国民投票で負けたら、二度と改憲のチャンスがないことを承知している。本気度は高いが、護憲派の結集軸は決まっていない。資金力は大差、ビッグデータ解析力、ネット世代の若者への対応策でも出遅れている。絶望的な状況だが、本間氏は早急にアイコンを見つけ、直ちにメディア戦略と資金計画に着手することを提案した。

 逆転に向け、本間氏は「七人の侍」を挙げ、<農民(市民)だけでは野武士(改憲派・電通)に勝てない。七人の侍(戦闘のプロ)と協働して初めて勝利が生まれる>とレジュメに記していた。時間切れになったので、「『NO』はご覧になりましたか」と散会後、本間氏に質問した。

 「NO」は圧倒的不利を覆してチリの独裁政権を終わらせた国民投票(1988年)を描いた作品である。警察や軍の弾圧の下、独裁打倒に導いた敏腕広告マンのレネをガエル・ガルシア・ベルナルが好演していた。本間氏は「もちろん、見てます。創意工夫の必要性を感じました」と答えてくれた。

 今稿では電通を悪者にした。あり得ないが、もし〝護憲派企業連盟〟が結成され、大量の広告を投下するなら、電通は必ず協力する。「NO」のレネも選挙後、独裁維持派だった上司と一緒にプレゼンしていた。
 
 後半でテーマになったTVスポットCMの在り方については、機会を改めて論じたい。本間氏の語り口はシャープかつユーモアに溢れており、文化的素養も窺えた。フレキシブルで骨のあるジャーナリストを発見した喜びに浸っている。
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