酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

ビッフィとリップス~原点とボーダレスを志向する二つのベクトル

2013-05-31 14:32:54 | 音楽
 慰安婦発言の余波は収まる気配がないが、公明党が反対に回ったため、橋下大阪市長に対する問責決議案は否決された。日本の政治家はあまりに国際感覚が欠落している。自民党の思惑通り<国民が権力者に従属する憲法>に改悪されたら、日本は世界からの敬意と信頼を失い、アメリカの51番目の州に転落するだろう。

 韓国からの抗議で「パニック・ステーション」のPVから旭日旗のカットを削除したミューズは、ソウルで開催されるサマーフェスでヘッドライナーを務める。アルバムはここ数作、総合チャートで1位になるなど、韓国におけるミューズの認知度は極めて高い。「アジアで最初にミューズを発見したのは自分たち」と自負するファンは、1月の来日時、韓国を素通りしたことにショックを受けたという。

 ミューズは光復節(8月15日)の2日後に出演する。PVについてメディアに質問されても、彼らは率直に「無知の罪」を認めるだろう。そのミューズは現在、欧州スタジアムツアー(全21公演)の真っただ中だ。一部の会場でサポートアクトに名を連ねているのがビッフィ・クライロである。

 今年1月、Youtubeでビッフィを発見する。初期ブランキー・ジェット・シティを彷彿させるいでたちとパワフルなライブに衝撃を受けた。6th「オポジッツ」(2枚組、13年)とライブアルバム「レヴォリューション」(10年、CD+DVD)を購入し、ビッフィに浸る日々が続いた。「オポジッツ」は良質のアルバムだが、聴くより見るロックの時代、「レヴォリューション」のDVD盤が今もヘビーローテーションになっている。

 上半身裸といえば、モリッシーとイギー・ポップが思い浮かぶ。キッズたちがステージに殺到し、大混乱のうちにジ・エンドが両者の共通点だ。ビッフィはといえば、鍛えている風もなく、アクションも控えめでだ。ナルシスティックとは程遠く、<哲学=ファンと同じ地平に立つ>で裸を晒しているのだろう。

 サイモン・ニールは足踏みするようにギターを弾き、切なげに歌う。ベーシストのジェイムズとドラマーのベンは双子らしいが、外見では気付かない。ルックスと音のミスマッチを覚えるのは俺だけではないだろう。装いはハードコアだが、奏でる音は陰影に富み、メランコリックだ。キングス・オブ・レオンをメロディアスにした感じで、歌詞は内省的だ。

 ロックの原点というべき蒼さとエキセントリズムで勝負するのがビッフィ・クライロなら、実験性と才気を前面に押し出すのがフレーミング・リップスだ。最新作「ザ・テラー」を一聴しリップスのベストと確信する。と同時に、そう感じる自分の危うさに覚えた。

 ウェイン・コインは本作を「遠い未来に作られた宗教音楽」と評していた。言い得て妙である。宗教団体に勧誘され、研修施設で瞑想するとしよう。BGMにピッタリなのが「ザ・テラー」で、開放感と閉塞感、浮揚感と下降感覚のアンビバレンツを内包している。キーになるリズムとメロディーが繰り返され、ウェインの囁きが自分の内側から聴こえているように錯覚する。本作を一言で表現すると、<幽体離脱に至る疑似トリップ>となる。

 タイトルの“TERROR”は絶対的な恐怖という意味だ。恐ろしく謎めいた本作は、バンドの想定通り全く売れなかった。時代はいずれリップスに追いつくだろう。ZEPP東京でのマジカルで祝祭的なライブに度肝を抜かれてから3年、未来の音楽の神髄をこの10月、赤坂BLITZで体感できる。

 最後に、安田記念の予想を。多士済々で目移りするが、スプリントや中距離からの参戦組ではなく、マイル仕様の馬から買うことにした。天気や馬体重など不確定要素は多いが、①カレンブラックヒル、⑦グランプリボス、⑯ダノンシャークのマイラーズC組、⑥グロリアスデイズ、⑪ヘレンスピリットの香港勢の中から軸馬を決めるつもりだ。
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ダービーと妹の一回忌~絆の意味を噛みしめる日々

2013-05-28 20:06:14 | 戯れ言
 是枝裕和監督の「そして父になる」がカンヌ映画祭で審査員賞を受賞した。構造を見据える俯瞰の視点と鋭い感性を併せ持つ是枝監督は、園子温監督と並ぶ〝邦画界の2トップ〟だ。これからも日本映画を引っ張っていってもらいたい。

 前稿に記した通り、情と涙のダービーに期待して、エビファネイアを応援したが2着に終わり、福永父子の夢は持ち越しになった。情と涙が降ってきたのは、キズナに騎乗した武豊の方である。といっても、先週の弟同様、武豊は泣かなかった。負けた福永は悔しさで男泣きしたという。

 ディープインパクトでダービーを制した8年前、武豊は絶対的な存在だったが、想定外の事態が武豊に起きる。満身創痍に加え、社台から三行半を突きつけられ、勝ち星が急減したのだ。「武豊はいい馬に乗っていただけ」というシビアな声が囁かれるようになる。

 キズナは父ディープから切れを受け継いだ。馬主と生産者は幸いなことに非社台で、佐々木調教師は気骨の人である。2度の騎乗ミスにも武豊を信じ、「普段通り乗って届かなかったら仕方ない」とレース前にコメントしていた。型に殉じる覚悟と情がキズナを勝利へ導いたのか。対照的なのはPOG指名馬コディーノだ。藤沢師は横山典のプライドを逆撫でする乗り替わりで人馬の絆を裂き、同馬は見せ場なく9着と完敗する。

 先週末は妹の一回忌と諸々の所用で帰省した。妹の死とダービーは、同じ記憶のページに仕舞われている。昨年のダービー当日、俺は母に電話を入れた。「(皐月賞①②着の)ゴールドシップとワールドエースでダービーも決まり」と話していた母に、予想を披瀝するためだった。俺が推したのはPOG指名馬のディープブリランテとフェノーメノである。

 実家に居合わせた妹とも、最後の会話をする。ダービーでPOG指名馬がワンツーという奇跡に舞い上がったが、数時間後、妹が召された。翌朝、「人工透析に現れない」と病院から職場で泊まり込んでいた義弟に一報が入る。帰宅した義弟は、自宅で斃れていた妹を発見した。「禍福は糾える縄の如し」というが、禍は俺にとって、家族にとって、あまりに大き過ぎた。

 妹は微笑みを浮かべて死んでいた。童話の自費出版が7月に決まったが、妹は母に「その頃、私はいるやろか」と漏らしていたという。周囲には急変と映ったが、妹は死を射程に入れ、日々ベストを尽くすことを選んだ。自宅で開くホームコンサートのためにピアノを練習し、次作(闘病記)の構想を練っていた。

 妹が他者と築いた絆は通夜、告別式に形になった。一主婦の死に老若男女が号泣し、数十人の涙の輪が棺を囲む。俺は今回も親類宅(寺)に泊まったが、それも妹が接着剤の役目を果たしてくれたからである。俺はあくまで〝○○○さんの兄〟で、だからこそ温情に与っている。

 一回忌は義弟宅で営まれた。ケアハウスに入居して4カ月、母はポン太との再会を心待ちにしていたが、つれない態度に愕然とする。トイレに行く時もついてきたポン太だが、母と目を合わそうともしない。「薄情な猫や」と母は憤っていたが、従兄が面白いことを言っていた。自分を義弟に預けてケアハウスに入居した母に、ポン太は怒っているのだと……。

 ゴールデンウイーク以来、約3週間ぶりにケアハウスを訪ねたが、母の部屋番号を思い出せず、フロアをぐるぐる回る。サンダルを履くというルールを忘れてスタスタ歩き始め、スタッフの視線で失態に気付いた。かと思えば、仕舞った靴箱の位置を忘れ、3つ目でようやく発見する。行動をつぶさにチェックされていたら、入居を進められるだろう。母は自立して生活できるケアハウス、認知症が進行した息子はグループホーム……。世に希なケースが現実になっても不思議はない。

 次回は秋に帰省する。親類宅で粗相した自覚はないが、出入り禁止にならぬよう戒めないと、絆を作ってくれた妹に叱られる。
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キーワードは情と涙~ダービーはエピファネイアで

2013-05-24 13:30:22 | 競馬
 AKB48の総選挙が一大事の如く報じられている。辺見庸は喧騒を狂気の象徴と論じていたが、AKBに好意的な識者も多い。田原総一朗、小林よしのり、森永卓郎といった面々だ。最有力候補とされる大島優子は「ガリレオ~第3章」(先月末放映)にゲスト出演していたが、煌めきという点で吉高由里子(岸谷警部補役)との差を感じた。

 個としてはイマイチでも、チームスピリットが日本人の好みに合っているのだろう。とはいえ、AKBは自由なユニットではないようだ。宝塚やジャニーズ同様、序列が厳しく、恋愛発覚で降格の憂き目を見たメンバーもいる。中高年層にも支持されているAKBは、サラリーマン社会を写す鏡なのかもしれない。

 一大事といえば、別稿(5月2日)で取り上げた憲法の行方だ。その中で紹介した小林節慶大教授が発起人に名を連ね、「96条の会」が結成された。改憲論者の同教授だが、<憲法に縛られるべき権力者が国民を利用し、憲法を取り上げようとしている>と安倍内閣の姿勢に異議を唱えている。主権に関わるテーマであり、今後の国政選挙ではマニフェストの軸に据えられるだろう。

 偉そうに書いたものの、俺にとっての直近の一大事は枠順が確定した日本ダービーだ。80回の節目を迎え、テレビ局も当日まで特番をオンエアする予定だが、「岡田繁幸のRun for the Classics」(グリーンチャンネル)は示唆に富んだ内容だった。

 日本一の相馬眼を誇る岡田氏(マイネル軍団の総帥)がダービー出走馬のレースぶりや体形を分析していたが、「波乱の目はない」が結論だった。印をつければ◎⑧ロゴタイプ、○⑨エピファネイア、▲②コディーノ、注①キズナとなる。展開、馬場と不確定要素はあるが、それでも上位馬の着順が入れ替わる程度と見做している。

 「同世代では世界トップ」とロゴタイプを高く評価する岡田氏は皐月賞直後、馬主の吉田照哉氏(社台代表)に祝福の電話を入れ、「世界に行きましょう」と提案した。吉田氏は「そのつもりです」と答えたという。弱点を挙げるなら騎手だ。天才クリスチャン・デムーロは弱冠20歳。ホースマンの意地、祈り、怨念、嫉妬が渦巻く磁場の歪みに耐え切れず、若さを露呈する可能性はある。

 エピファネイアの気性に不安を抱く岡田氏は、「制御できるのはデットーリやスミヨンといった一握りのジョッキーのみ」と語っていた。福永が番組を見ていたら奮起するだろう。コディーノは後輪駆動、キズナはバネに欠けると現時点の課題を挙げ、ロゴとエピファを逆転するのは難しいとの見解だった。

 藤沢和師が横山典騎手を降ろしたことで、POG指名馬コディーノの応援に身が入らない。「クラシックは通過点」が藤沢和師の方針で、前2走も緩い調教に終始していたが、今回ばかりは「ここで馬が壊れても勝ちたい」と覚悟を決め、先行タイプのウィリアムズに託したのだろう。

 天皇賞のフェノーメノ、ヴィクトリアマイルのヴィルシーナは、シルバーコレクターからGⅠ初戴冠を果たした。メイショウマンボでオークスを制した武幸は、支えてくれるオーナーへの感謝の思いで、心の中で泣いていたはずだ。人目を憚らず涙を流したのは、マイネルホウオウでNHKマイルCを制した柴田大で、同騎手を重用する岡田氏も「感動した」と語っていた。

 POGに参加したことで、競馬界の構図がおぼろげながら見えてきた。社台系の素質馬が有力厩舎に預けられ、外国人らトップジョッキーで大レースに臨む。<1%>が富を吸い取る仕組みは世に先んじ、10年以上も前から確立していた。この間、多くの名門牧場が消え、廃業する厩舎も後を絶たない。<利と効率>の強風が吹き荒れる中、<情と涙>のGⅠは新鮮だった。流れに乗るとしたら、エピファネイアに騎乗する福永ではないか。

 洋一さんと祐一は合わせて何度目のダービー挑戦になるのだろう。父子の夢が実現し、涙のインタビューとなれば、枯れた俺の心だってぐっしょり濡れる。乗り替わったとはいえ、コディーノを切ったら男が廃る。②と⑨2頭軸マルチの3連単でダービーに参加しよう。

 マイネルもしくはコスモの冠馬がダービーを勝てば、府中に「岡田コール」が沸き起こるだろう。5年後、それとも10年後? 岡田氏の精進が報われる日を心待ちにしている。
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晩春の雑感~競馬、アベノミクス、橋下、規制委etc……

2013-05-21 23:46:46 | 戯れ言
 オークスではPOG指名馬レッドオーヴァルがブービー(17着)と惨敗を喫した。勝ったメイショウマンボは猛調教を積みながら10㌔増だったが、オーヴァルは対照的に桜花賞から8㌔減らしてレースに臨んだ。まだ、芯が入っていなかっということだろう。基礎体力をつけて秋華賞を目指してほしい。

 POGドラフト会議が目前に迫っている。今年は大きく出遅れ、戦略も戦術も定まらないまま、付け焼き刃の真っ最中だ。読書や映画に充てる時間を割いているので、ブログは当然、ネタ切れになる。今回は雑感をまとめて記すことにした。

 先週は勤め人時代の後輩たち、知人たちと相次いで旧交を温めた。聞き役に回っていた俺は、アベノミクス下の厳しい状況を実感する。経費削減の旗の下、陰湿ないじめが横行し、理不尽や不条理に抗議する社員もいない。「正しくキレたらリストラ」と友人のひとりは話していた。規模の大小、ステータスを問わず、企業の多くは良心とモラルを失くし、サル山以下に堕している。

 宴の流れでカラオケに興じ、自分の劣化に愕然とした。甲斐バンド、吉田拓郎、沢田研二といった十八番でさえまともに歌えない。音感とリズム感の低下は老いの証拠と言い訳したいが、下手なのは俺だけだ。同世代の友人が歌う「ハートに火をつけて」(ドアーズ)に聞き惚れたが、同曲でオルガンを弾いていたレイ・マンザレクの訃報がけさ届いた。一世を風靡したロッカーの死を心から悼みたい。

 ついでに、ロックの話題を。フジロックでヘッドライナーを務めるビョークの単独公演が決定した。会場は日本科学未来館でキャパ800人の3公演。プレミアムなライブだが、値段は何と2万2000円! ダ-ビーでPOG指名馬コディーノが勝てば抽選に参加しよう。俺が心待ちにしているのは同じくフジに出演するローカル・ネイティヴスの単独公演だが、スマッシュのHPに吉報はアップされていない。

 橋下大阪市長が日々、墓穴を掘っている。これまでは大阪府市の職員、弱腰のメディアに居丈高に振る舞えば事足りたが、今回の敵は巨大だ。女性、沖縄県民、アジア諸国、欧米各国、内外の政治家から「断固ノー」を突きつけられている。喧嘩の実力は強い相手と闘うことで試される。橋下氏は張り子の虎だったのかもしれない。

 みんなの党は維新との絶縁を宣言した。このままだと参院選は自民党圧勝だが、憲法を争点に闘えば波乱の目もある。国民が権力をチェックする現憲法、国民が国に奉仕する自民党の改正案……。いずれを選ぶか、国民に委ねればいい。そのためにも、リベラル側は魅力的な候補を複数擁立する必要があるが、具体的な話は聞こえてこない。

 仕事の関係で週1回、タクシーで帰宅する。運転手に最も嫌われている政治家は小泉元首相だ。「金正日総書記と約束した規制緩和のせいで、タクシーが街に溢れた」が彼らの言い分で、懐刀だった飯島内閣官房参与の訪朝についてもボロクソである。メディアは「北に利用された」と伝えるが、辺真一氏(コリア・レポート編集長)は「他国に気兼ねすることなく、独自の外交チャンネルを用いることは必要」とテレビでコメントした。安倍首相も翌日、似たような内容を国会で答弁していた。

 首相といえば、昭恵夫人のフェイスブックが炎上したという。韓流ミュージカル観賞を報告したからだ。不思議な話である。そもそも安倍首相が属する清和会は親韓派で、祖父の岸信介氏、父の晋太郎氏は韓国と強いパイプを誇っていた。首相と朴大統領は年も近いし、ファミリーも交流が深い。子供の頃から顔見知りだった可能性もある。

 カンヌ映画祭で「そして父になる」(是枝裕和監督)のスタッフ、キャストが上映後、10分間のスタンディングオベーションで称えられた。骨太という点で、俺が園子温監督とともに邦画2トップに挙げる是枝監督だが、最近は低迷気味だった。賞はともかく、同作が復活の狼煙になってくれれば幸いである。

 モウリーニョのレアル辞任が決まった。モウリーニョはモチベーターで、雑草チーム向きだ。選手でいえば、クリスティアーノ・ロナウドよりブルーカラー然としたルーニーと息が合いそうだ。チェルシー復帰は大歓迎だが、残念なことにファーガソンは引退してしまった。新旧の名将対決が見られないのは残念である。

 原子力規制委員会の「もんじゅ試運転準備中止命令」と「敦賀活断層報告」は当然といえる。<脱原発>は既に実現に向かっているが、柔軟な民間に比べ、政治は頑迷だ。福島の反省はどこへやら、原発を輸出アイテムの軸に据えようとしている。広瀬隆氏が繰り返し主張しているように、廃炉に向けたソフトランディング案を検討し、同時並行で新エネルギー導入に向けたプランを明確に提示すべき時機に来ている。

 恥ずかしくなるような取り留めない内容になってしまった。柳家小三治はさすがというべきか、枕だけを収録したCDが発売されている。今稿はまさに枕全集だが、残念ながら「読む価値なし」と自信を持って言える。
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椎名麟三が提示するシニカルなカタルシス

2013-05-18 16:49:28 | 戯れ言
 孫崎享氏(元外交官)は<米国の意に沿わぬ日本の政治家は失脚の憂き目を見てきた>と具体例を挙げて指摘している。となれば、議会で演説の機会を与えられた朴韓国大統領とは対照的に訪米時、冷たい仕打ちを受けた安倍首相もピンチである。

 橋下大阪市長は米政府筋から三行半を突き付けられた。この間の経緯を、谷岡郁子参院議員(みどりの風代表)は的確に見据えていた。いわく「過激な発言の後、極端な意見がすんなり受け入れられる危険性がある」(論旨)……。橋下氏は、本音が近い安倍首相の露払い役を意識的に演じたのかもしれない。

 この10日余り、椎名麟三に漬かっていた。きっかけは些細な失敗である。麻婆丼の素をご飯にかけている時、手が滑り、中身が床に散乱している文庫本にこぼれた。最も汚れが酷かったのが「深夜の酒宴/美しい女」(講談社文芸文庫)で、何かの啓示と受け取り読むことにする。HDDで眠っていた椎名原作の「煙突の見える場所」(1953年,五所兵之助監督)も併せて見た。

 初めて椎名作品を読んだのは1970年代後半で、当時世界を震撼させていたパンクロックの破壊衝動に通底するものを「懲役人の告発」(69年)に感じる。その後、遡って作品に触れ、ようやくデビュー作と初期の傑作に行き着いた。

 戦後の混乱を描いた「深夜の酒宴」(47年)の主人公(僕)は、椎名の分身といえる。特高に検挙され転向した経験を持つ僕は、罪の意識に苛まれ、<絶望と死、これが僕の運命なのだ>と感じている。死は飢えという形でも僕に迫っている。

 他者への疎隔感と宿命が椎名作品の主音になっている。現在の文壇で志向が近いのが中村文則で、両者の結び目はドストエフスキーだ。椎名はドストエフスキーを経てキリスト教に入信する。新訳を担当した亀山郁夫氏(東外大前学長)は、<ドストエフスキーが追求したテーマを現在の日本に甦らせた>と中村を評していた。

 「深夜の酒宴」の加代、そして「美しい女」(55年)に登場する3人の女性もグラマラスだ。<美しい女>とは、きみ、克枝、ひろ子のことではない。「深夜の酒宴」で<絶望>や<憂愁>に託されていた主人公の心象風景が、<美しい女>のイメージに転化している。「美しい女」の主人公(私)もまた作者の分身で、山陽電鉄で働いた経験がベースになっている。

 1930年代前半から敗戦直後が背景になっているが、興味深いのはモラルが既に戦前、壊れていたことだ。労働者は切符の架空販売(隠語で〝茶碗むき〟)を繰り返し、不正で得た金銭を遊興費に充てている。誰しもが時代の空気に揺れる中、私はただ、車両を走らせることに喜びを見いだしている。

 同僚の妹であるきみは娼婦で、やがて梅毒で心身を病む。妻の克枝はヒステリックに私を責め、浮気を重ねている。家庭は戦場と化すが、私は残酷なほど寛容だ。女給のひろ子は心中を繰り返し、<愛の証拠>として私にもあの世への道行きを迫る。私は3人を愛し、同時に愛さない。この微妙な感覚が椎名独特だ。日常の様々な局面で、実在しない<美しい女>が私に微笑みかけてくる。

 「煙突が見える場所」(53年)は椎名の二つの短編を脚色した作品だ。「深夜の酒宴」の観念、「美しい女」の想像上の女性が、「煙突が見える場所」で煙突になって表れている。ところが、煙突は位置によって1~4本と見え方が変化する。観念や想像ではない現実もまた、一筋縄ではない。

 下町に居を構える隆吉(上原謙)と弘子(田中絹代)夫妻の軒先に赤ちゃんが捨てられた。この事件をきっかけに弘子の過去が明らかになる。東京大空襲による別離が、捨て子騒動の背景にあった。薄情で建前を重んじる隆吉は、時代の荒波に流されるうち、価値観や倫理観を洗い流した戦後の男の一類型として描かれている。

 田中のおばさんぶりは衝撃的だった。「西鶴一代女」、「雨月物語」でキャリアのピークを迎えていた頃の田中だが、本作では年齢相応(42歳)のおばさんを、恐らくノーメイクで演じている。夫妻宅の2階に下宿しているのが、ウグイス嬢の仙子(高峰秀子)と公務員の健三(芥川比呂志)だ。「深夜の酒宴」でも感じたが、戦後間もない頃の日本は、人間同士の距離が極めて近い。若い男女が襖一枚で仕切られた部屋で暮らすなんて、今では考えられない。

 騒動の過程で生き生きしてくるのが健三で、死んだはずの弘子の元夫と捨て子の母親を見つけ出す。ラストでは、二つのカップル、時代におもねって人生が暗転した仙子の友人、捨て子の母親の未来に仄かな明かりが射してくる。椎名作品特有の<シニカルなカタルシス>に彩られていた。

 近所で法華経を唱えていたのは、勢いを増しつつあった創価学会員だろう。弘子のアルバイト先である競輪場の盛況ぶりにも驚かされた。俺が生まれる少し前の街の様子や風俗が織り込まれており、ノスタルジックな気分を味わえる作品だった。

 アベノミクスとTPPは、99%の日本人を貧困に追いやる可能性が高い。人情が残っていれば「煙突の見える場所」だが、お金と同時にモラルが消えたら、「深夜の酒宴」の絶望的な光景が再現される。<椎名ワールド>は人間にとって何が必要かを考えるヒントになるだろう。

 最後に、オークスの予想を簡潔に。本命はPOG指名馬の①レッドオーヴァルで、対抗にコディーノを降ろされた横山典の意地に期待して⑥サクラプレジールを選んだ。馬体重や天候を加味し、レース直前に馬券を買う予定だ。

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まどろみと覚醒~シガー・ロスLive at 武道館

2013-05-15 23:39:02 | 音楽
 前稿で記した映画「舟を編む」の余韻が去らない。仕舞い込んだ重いしこり、吐き散らかした毒と針……。自身と言葉の来し方が、悔恨と羞恥になって甦ってきた。俺も閻魔様に舌を抜かれるクチだが、確信犯による言葉の数々が波紋を広げている。

 国際社会で日本のステータスは上がっているのに、俯瞰の目線、良識、モラル、人権意識に欠ける政治家が多い。橋下大阪市長の従軍慰安婦関連の発言に愕然とした方は多いのではないか。高市政調会長が村山談話に疑問を呈したことに、アメリカはビビッドに反応する。「安倍内閣は国益を損なう」との声が議会で上がったのだ。アメリカの中韓シフトが目立つ折、安倍首相は収拾に躍起になっている。

 フジロックとサマソニの大枠が固まった。ローカル・ネイティヴスがフジにラインアップされているが、休みを取って日帰りするほどの気合はない。スマッシュがフェス前後に単独公演をセッティングしてくれることを願うばかりだ。

 昨日は日本武道館でシガー・ロスを見た。これまで数回ライブを体感した知人は、「今回がベスト。言葉で表現できない至高の空間だった」と感想を述べていた。CDやDVDで予習したとはいえ、初体験の俺に語れるのは輪郭でしかない。だが、曖昧、ファジーこそシガー・ロスの正しい聴き方かもしれない。メンバー自身、「聴く人が思い思いに歌詞をつけ、タイトルを決めてくれても構わない」(論旨)と語っていた。

 前作「ヴァルタリ」から1年のインターバルでこの6月に発売される「クウェイカー」から4曲がセットリストに入っていた。新作以外は馴染みのある曲が続いたが、幸いなことに最も聴き込んだ「アゲイティス・ビリュン」(99年)からも3曲が選ばれていた。その中の「スヴェン・キー・エングラー」の歌詞に、「自由」と響く一節がある。アイスランド語でどのような意味なのだろう。

 シガー・ロスは音楽のあらゆる要素を取り込んでいる。ボーダレスへの希求を支えているのは、ファルセットボイスとボウイング奏法でバンドの核になっているヨンシーだ。性同一性障害であることを公言するヨンシーは少年時代、自分が周りと決定的に違うという感覚に苛まれたはずだが、苦悩をエネルギーに換えた。容姿に強いコンプレックスを抱いてきたといわれるが、その面影はダニエル・ブリュール(「グッバイ・レーニン!」など)に似ている。

 ジェンダーだけでなく、あらゆるマイノリティーとの連帯を志向するシガー・ロスは、疎外からの解放を音楽で表現している。儚げで美しく幻想的で、牧歌的なムードを醸し出している。正式メンバーは現在3人だが、バイオリンや管楽器などを奏でる10人前後のサポートメンバ-が演奏に加わり、彩りと厚みを添えている。

 故郷アイスランドで撮影されたドキュメンタリー「ヘイマ」に、バンドの成り立ちが窺える。母国の文化と美しい自然へのオマージュに溢れ、バンドは老若男女から愛されている、反グローバリズムの立場を明確に、搾取する側への怒りも表明していた。奥行きと幅のある音楽と思想が混然一体となり、聴く者を包み込むのだ。

 イランのロックバンドが国外に脱出する経緯をドキュメンタリータッチで描いた「ペルシャ猫を誰も知らない」(09年、ハフマン・ゴバディ)で印象的な台詞があった。主人公の青年が「アイスランドに行って、シガー・ロスを見る。それが僕の夢なんだ」と語っていた。ミュージシャンやロックファンにとり、シガー・ロスは当代一のイコンと言っていいだろう。

 終演後、同行した知人から「眠ってた?」と聞かれた。スタンド席ゆえ、ダークなサイケデリアの間、俺は始原の闇、誰かに手を引かれ、覚束ない足取りで歩いていた。「フェスティバル」のイントロで、まどろみから覚める。映画「127時間」で主人公アーロンが避け難い選択をして生き延びた時に流れた曲で、俺にとって昨日のハイライトだった。

 武道館はソールドアウトの大盛況だった。上から眺めていた印象に過ぎないが、アリーナを支配していたのは浮力ではなく重力だったのではないか。個として対峙せざるを得ないというのが、シガー・ロスの持つ絶対的な力といえる。俺が細部に気付くのは、次回(あればだが)以降になるだろう。

 かねて想定していた〝死ぬまでに見たいバンド〟は、シガー・ロスをクリアしたことで、パール・ジャム、モグワイ、アーケイド・ファイアの三つになった……はずが、ビッフィ・クライロが最近リストに加わった。初期ブランキー・ジェット・シティを彷彿させる男臭い佇まいだが、サウンドは意外にもキャッチーである。


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「舟を編む」~言葉の海に帆を立てる者の崇高な志

2013-05-12 19:13:14 | 映画、ドラマ
 夏八木勲さんが亡くなった。放射能汚染に警鐘を鳴らす「希望の国」(園子温監督)での演技に感銘を受けたのは昨年のことである。信念と一徹を夏八木さんほど見事に表現できる俳優は他にいるだろうか。「希望の国」では〝筋と骨〟がスクリーンに深く刻まれていた。名優の死を心から悼みたい。

 マンチェスターUのファーガソン監督が辞任を発表した。名将の後を継ぐのは現エバートン監督のモイーズである。エバートンといえば、WWEの番組であるエピソードが紹介されていた。チーム関係者が「ファンダンゴのテーマ曲(「ChaChaLaLa」)を試合会場で流さない」とツイートしたところ、サポーターのブーイングを浴びたという。

 ファンダンゴは美女とフラメンゴを踊りながら登場する〝色物〟レスラーだ。ファーム時代を知るファンから「レスリング下手」と罵声を浴びていたが、レッスルマニア後、空気が変わる。欧米各国のiTunesで、軒並みベスト10入りした「ChaChaLaLa」を観客がハミングし、ファンダンゴを迎えるようになった。WWEにとって想定外だったに違いない。

 想定外といっても、悪い結果もある。その一つが「舟を編む」(13年、石井裕也監督)で、興行成績は期待を下回っているという。自分の目で確かめるため新宿で昨日、本作を見た。<味わい深い秀作>が素直な感想で、年間ベスト5クラスだと思う。言葉に関わる職業に就いている人には必見の作品といえるだろう。ネタバレは最低限に、以下に本作を紹介したい。

 松田龍平が主人公である馬締(まじめ)の繊細さを巧みに表現していた。大学院で言語学を修めた馬締だが、他者とのコミュニケーションが苦手だ。玄武書房営業部で変人扱いされ、ダメ社員の烙印を押されていたが、資質を生かすチャンスが訪れる。定年を迎えた荒木(小林薫)の穴埋めとして、辞書編集部に異動した。

 「大渡海」の編集作業は1995年にスタートし、15年後に日の目を見る。本作は発刊までの〝大航海〟を描いていた。監修者の松本(加藤剛)は日本語を守りながら、アンテナを張り巡らせ、時代に即して言葉を採り入れていく。松本の哲学を表す台詞で、三流校閲者かつ書き殴りブロガーの胸に響いたものを紹介する。

 <言葉は生まれ、中には死んでいくものもある。そして、生きている間に変わっていくものもある>
 <言葉の海。それは果てしなく広い。辞書とは、その大海に浮かぶ一艘の舟>

 「言葉とは他者と繋がるための道具」と説く松本の言葉が、内気な馬締を変えていく。水と油だった先輩の西岡(オダギリジョー)と打ち解け、一目惚れした香具矢(宮崎あおい)に気持ちを伝えようと試みる。恋の行方を見守る編集部の眼差しも温かい。

 馬締が下宿する早雲荘と職場は時間が30年ほど止まった感じで、香具矢との恋もアナログに進行する。二人はともに修行者で、馬締は日本語の、香具矢は料理の神髄に究めるために心血を注いでいる。ラストで不惑を超えた二人は、海辺に佇む。その会話に、古くて新鮮な夫婦の形を見た。

 俺にとってハイライトは、ピアニシモからフォルテシモに転じる後半部分だ。学生アルバイトに見出し語「血潮」の抜けを指摘された馬締は、進行中の四校を中断し、照合作業に戻るよう指示を出す。数十人が泊まり込んで作業する編集部は、まさに熱い「血潮」に染まっていた。

 渡辺美佐子、八千草薫、伊佐山ひろ子、池脇千鶴、鶴見辰吾らが脇を固めていた。機会があれば、三浦しをんの原作も読んでみたい。次に映画館で見る邦画は、今月末に公開される「俺俺」(三木聡監督)だ。原作者は当ブログで何度も取り上げている星野智幸だが、予告編を見て少し不安になった。星野が追求する<混濁するアイデンティティー>はきちんと映像化されているだろうか。
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「終わりの感覚」~悪意が反転した棘の痛さ

2013-05-09 23:31:16 | 読書
 ヘイトスピーチについて国会で質問された安倍首相は、俺と極めて近い柔らかな日本人像を語った。いわく<一部の国、民族を誹謗中傷する言動は、結果的に自らを辱める。日本人の長所は和と礼儀を重んじ、寛容で謙虚なところ>(要旨)……。

 安倍首相を〝親分〟と見做している排外主義者は、大きなショックを受けたはずだ。米韓首脳会談を意識したのか、安倍内閣は河野談話、村山談話の継承を明らかにした。ならば、もう一歩踏み込んで、国際社会が日本に寄せる信頼のベースになっている憲法9条を守る姿勢を見せてほしい。

 <日本人は戦争における加害と被害を忘れがち>……と書くと公平を欠くかもしれぬ。日本だけでなく、あらゆる国家は歴史を隠蔽、改竄し、真実を闇に塗り込めてきたからだ。それでは、個人はどうだろう。人は大抵、自身の瑕疵を覆う柵を用意している。思いがけず壊されたら……。帰省中に読んだブッカー賞受賞作「終わりの感覚」(ジュリアン・バーンズ/新潮社)は、自身の悪意が反転した棘の痛さを感じた小説だった。

 「フロベールの鸚鵡」などの作品から、バーンズは前衛的な作家というイメージを抱いていたが、本作は技法に凝らず、淡々とした筆致で描かれていた。主人公のトニーは、作者と同じく1940年代半ば、英国に生まれ、大学で歴史を学んだ後、アートセンターで定年まで働いた。結婚には失敗したが、別れた妻とは友好的な関係を保ち、娘とも交流がある。穏やかで平凡なトニーの人生に亀裂が生じた。きっかけは一通の手紙で、トニーは半世紀前へと誘われる。

 トニーは10代の頃、3人組として青春を謳歌していた。文学や哲学を齧る背伸びしたスノッブたちは、本物の煌めきを持つ転校生を仲間に迎える。教師たちも一目置くエイドリアンは卒業後、奨学金でケンブリッジに進学する。級友の自殺、歴史の授業でのエイドリアンと教師との議論といった若き日のエピソードが、後半への伏線になっていた。<歴史>と<自殺>が本作のキーワードである。

 一通の手紙とは、弁護士が管理する遺言だった。学生時代の恋人ベロニカの母親が遺したもので、トニーにエイドリアンの日記と少額の金を送るという内容である。トニーはベロニカに振り回された揚げ句、逃げられた。新しい恋人はエイドリアンである。友人と元恋人に送った手紙を、トニーは数十年ぶりに読み返すことになる。浮き彫りになる醜さは、恥といった生やさしいものではなく、悔恨と贖罪の意識を呼び覚ます。エイドリアンはトニーの手紙を読んだ後、時を置かず命を絶っていたからだ。

 トニーは60代になって分厚い絆創膏を剥がされ、古傷から血が滲み出した。彼の人生を虚飾と断じるつもりはない。俺だって、悪意によって他者を何度も傷つけたし、無為、沈黙、忘却による罪を挙げたら切りがない。トニーに起こったことが俺の身に起きても、何ら不思議はないからだ。

 トニーは再会したベロニカに再び振り回される。おばさんになったベロニカだが、奔放な振る舞いと存在感に、「突然炎のごとく」(62年、トリュフォー)のカトリーヌが重なった。「あなたは何もわかっていない」とベロニカは繰り返す。

 <累積があり、責任がある。その向こうは混沌、大いなる混沌だ>……

 一度しか会っていないベロニカの母は、なぜエイドリアンの日記を自らに託したのか、真実を知ったトニーのラストの独白は、哀切で罪の意識を纏っていた。

 老いと死、生きる過程で重ねてしまう過ち、愛することの意味を静謐に問い掛ける作品で、英国らしいテイスト、皮肉やユーモアも織り込まれていた。トニーがベロニカの家族に違和感を覚えたのは、階級の違いからである。「ifもしも…」(68年)という傑作はあるが、他の先進国の熱狂と比べると、英国の60年代が冷めていたことが本作から窺える。

 英国を感じさせるのは音楽の用い方だ。トニーはドボルザークなどクラシックを好むが、ロックの洗礼も受けている。本作でトニーが口ずさむのはストーンズの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」だが、歌詞と異なり、時間はトニーの味方ではなく、再会したベロニカもつれないままだった。

 興味深いのは、トニーの友人の息子が組むパンクバンドの唯一のレパートリーが、モリッシーの「エブリデイ・イズ・ライク・サンデー」だったこと。スミス時代から棘ある言葉を吐く詩人として名高いモリッシーは、作者のお気に入りかもしれない。
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京都で老いを考える~ケアハウスに母を訪ねて

2013-05-06 21:21:45 | 独り言
 ゴールデンウイーク後半、京都に帰省した。といっても母がケアハウスに入居したので、帰る家はない。施設から徒歩15分の親戚の寺に泊めてもらった。母、義弟、俺、そして猫のポン太の状況を大きく変えた妹の死については、今月末の一回忌の折に記したい。

 母が入居するケアハウスでは、自立して生活できる老人が暮らしている。必要とする介護の度合いに応じ、同じ経営母体の他の施設に移るというパターンだ。清潔と静寂が保たれ、職員の応対も非の打ちどころはない。それでいて入居費もリーズナブルというから、希望者が殺到しているのだろう。

 大まかにいうと、この国は70歳を境に、状況と志向性が大きく異なるのではないか。一つは年金で、86歳の母を含め70代以上は受け取る権利がある額を受給している。だが、60代以下はかなりシビアだ。中高年は死ぬまで働かされ、正規採用の道が険しい若者は年金を払う余裕はない。

 もう一つは携帯とインターネットとの関わりだ。50代、60代は仕事だけではなく普段の生活でもインターネットで情報を得ており、ケーブルテレビなどで多チャンネルを当然の如く享受している。老人施設入居予備群は、従来の高齢者と異なるライフスタイルに親しんでいることを、経営者は見据えるべきだ。

 旧世代に属する母は、ようやく携帯電話での通話をこなせるようになった。話を聞く限り、新鮮な気持ちで共同生活を楽しんでいるようで安心する。入居者は当然、それぞれの人生行路を経ている。母は4カ月弱の入居生活で、聖者のような輝きを放つ人、気遣いと優しさが滲み出ている人と出会ったという。終の住処で心が洗われた母が羨ましい。

 経済的な基盤は覚束なく、不運が三つほど重なれば路上ってことだってあり得るが、俺もいずれ施設で死を迎えるはずだ。その頃までに煩悩を消し去っていたいが、無理かもしれぬ。規律や風紀を乱して追放なんてことにならなきゃいいが……。「酔生夢死老人日記」にタイトルを変えたブログを綴ることが目標だが、困ったことに惚けの症状が表れている。

 お世話になった親戚宅は四季の移ろいが美しい寺で、俺の墓のスペースもある。戒名をつけさせてくれるなら、「煩」「怠」「虚」「妄」のうち二つは入れたい。住職の従兄は国会議員を務めたこともあったが、還暦を迎えた今、いい具合に枯れ、人間的な魅力を増している。アジア各国と交流している従兄は、<傾きつつある日本を救うためには移民しかない>と強調していた。

 東京に戻ったその足で、鈴本演芸場に向かう。特別興行「権太楼噺爆笑十夜」の仲日で、演目は「死神」だった。録画で円生と小三治、紀伊國屋で志らくの「死神」に触れていたが、権太楼の落ちは他と違っていた。実力が試される演目で、手練れたちが工夫を凝らしているようだ。トリの権太楼だけでなく、桃月庵白酒、柳亭市馬らがラインアップに名を連ねていたが、三遊亭歌之介という強烈な個性の発見が今回の収穫だった。

 正楽の紙切り芸にまたも驚かされる。客からリクエストされたお題の中に、国民栄誉賞を当日授与された「長嶋茂雄」があった。ゴジラが投げ、長嶋が打ち、原が受け、審判は安倍首相……。数時間前のシーンをアートで表現する正楽の技量は、神の領域に近い。

 あしたから日常に戻る。笑いと安らぎにおいしい料理、そして読書も進んだ。心身ともにリフレッシュし、エネルギーを充填できた日々だった。
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憲法記念日に寄せて~壊れつつある国家の理念

2013-05-02 02:11:04 | 社会、政治
 個人資産が1兆4400億円(フォーブス誌発表)の柳井正ユニクロ会長兼社長が世界同一賃金を示唆し、「年収100万円も仕方ない」と語った(23日付朝日新聞1面)。TPP参加後、大量の移民を受け入れる……。そんな日本の未来図を、朝日は柳井氏の言葉を借りて提示したのではないか。

 猪瀬都知事のトルコに関する発言も物議を醸した。IOCのルールを逸脱したと批判を浴びているが、人権と良識を逸脱していた前任者と比べたらおとなしいものだ。障害者や女性といった社会的弱者、アジア諸国に対して言葉の暴力を振るい続けた石原氏は、他の先進国なら一発レッドで政治生命を絶たれたはずだ。ところが日本のメディアは同氏に寛容で、都民は選挙のたびに大量の票を与えた。

 <3・11>から2年、体内被曝が若い世代を蝕んでいるのに、日本の政官財は原発を輸出産業の核に据えた。ヒューマニズムの欠片もない獣たちが、この国を闊歩している。俺のアンテナはとっくに錆びついているが、キャッチする電波のトーンは、閉塞から滅びに転じた。そして、憲法が象徴する国家の理念も崩壊の危機に瀕している。

 憲法についてブログで記した記憶が殆どないが、明日の憲法記念日に寄せて、付け焼き刃で勉強した。テキストに選んだのは映画「日本国憲法」(05年、ジャン・ユンカーマン監督)で、ポレポレ東中野で10日まで上映している。憲法改正派は、日本国憲法について二つのまやかしを用意している。第一は<GHQの押し付け憲法>説で、第二は<硬性憲法>説だ。

 映画「日本国憲法」では、第一の<GHQの押し付け憲法>説を明確に否定している。日高六郎氏は高野岩三郎、鈴木安蔵が中心だった憲法研究会による草案(1945年12月発表)を紹介していた。自由と人権に配慮した同草案がGHQを大いに触発したことは、憲法作成チームの一員だったベアテ・シロタ・ゴードンの証言からも明らかだ。日本国憲法は日本人によって原案が作成され、マッカーサーによって承認された。

 1953年に来日したニクソン副大統領(当時)は国会で演説し、再軍備と憲法改正を要求する。立場を180度変えたアメリカの<押し付け>に従ったのは保守派で、自主憲法という表現も空疎だ。ジョン・ダワーは<広範な層の平和主義者が、日米政府に抵抗して憲法を守った>(論旨)と述べていた。

 映画と離れ、第二の<硬性憲法>説について。血肉化した憲法の精神は、戦争を知らない世代に受け継がれていない。時機を見て俎上に載せられたのが、改憲のハードルを下げるための96条改正だ。東京新聞が一覧表付きで指摘した通り、日本国憲法は他の先進国と比べ<硬性>とはいえない。保守派で9条改正を主張する小林節教授は毎日新聞の取材に、<憲法は国民が権力者を縛る道具。96条は立憲主義、近代国家の原則を維持し、権力者の気まぐれから憲法を守るために必要で、改正してはいけない>(論旨)と語っていた。

 映画「日本国憲法」では、ノーマ・チョムスキーを筆頭に世界中の知識人が憲法9条への思いを語っている。俺の心を揺さぶった二人の言葉を以下に記したい。

 チャルマーズ・ジョンソン教授(政治学、元CIA顧問)は<日本は戦後、ドイツのように謝罪しなかったが、アジア諸国は憲法9条を反省と自戒の表現と受け止めている>(論旨)と述べていた。ラストで「人的資源がないから、日本に再軍備は不可能」と語っていたが、TPP参加で少子高齢化を克服する可能性もある。安倍首相は既に、移民が支える国防軍を見据えているかもしれない。

 もう一人は、中国における日本軍の残虐行為を追及している班忠義(作家、映画監督)だ。本作でも日本の過去と現在を厳しく批判していたが、憲法9条については「神から贈られた宝物であり、それを守ることは私たち人類の責務」と憧憬を隠さなかった。世界の人々が敬意を抱く9条を、日本人は放棄しようとしている。

 9条を捨てた瞬間、国際的な信用を失った日本は、国家から理念なき属州に転落する。「既に州ではないか」と言われたら返す言葉もない。ダワーは<アメリカに従属しているうちに、日本は主権の意味を忘れてしまった>と指摘していた。8年たった今、その言葉はさらに重く響いてくる。

 今夕、京都に帰る。母はケアハウスに入居しているので、親類宅にお世話になる。次稿の更新は早くても6日になりそうだ。
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