酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

天皇賞で女帝誕生?~節操なき世相予想

2005-04-30 07:34:09 | 競馬

 ♪これこそはと信じれるものがこの世にあるだろうか……。「イメージの詩」の歌い出しを、天皇賞の枠順を見て口ずさんでしまった。「もの」を「馬」に替えてである。天皇賞春の二大公式は、「前年の菊花賞上位馬を狙え」「牝馬は切れ」だったが、一つ目は、ザッツザプレンティ、リンカーン、ネオユニヴァースの惨敗で前回崩れた。二つ目は? が、今回のテーマである。

 ここ20年、牝馬は天皇賞春に9頭出走しているが、最高は9着と冴えない。最も充実した布陣は、イクノディクタス、タケノベルベットが挑戦した93年である。終わってみれば、ライスシャワー、メジロマックイーン、メジロパーマーのGⅠ馬が上位を占め、マチカネタンホイザ、アイルトンシンボリ、ムッシュシュクル(3頭で重賞9勝)が続いた。イクノ9着、タケノ10着も順当な結果といえるだろう。

 マカイビーディーヴァ、アドマイヤグルーヴは同じ轍を踏むのか、それともジンクス破り? 俺は女帝誕生に賭ける。鳴り物入りの外国馬はコケる傾向にある。エイプリルSで7着に負けたマカイビーだが、59㌔→56㌔は有利だし、当時はフケ気味だった。一方のアドマイヤは、天皇賞秋の3着はあるものの、牡馬混合戦での実績が問われている。負けたレースのうち、2度の大阪杯は+18㌔、+22㌔と重め残り、京都大賞典はゼンノロブロイら牡馬と同じ57㌔だった。

 昨年の菊花賞上位が出走しないことも、混戦に拍車を掛けている。出走組では人気になりそうなハーツクライ(7着)だが、「サンデーサイレンスは母系を生かす」の鉄則からも、2000㍍前後がベストではないか。母アイリッシュダンスはマイル前後やローカルで切れを生かすタイプだった。スズカマンボ(6着)、ハイアーゲーム(11着)の巻き返しも難しそうだ。

 ザッツとリンカーンも切る。昨年の凡走もあるが、サンデー系は齢を重ねると短い距離にシフトチェンジする傾向がある。サンライズペガサスは京都が苦手らしく、絶好調で臨んだ3年前でも5着だった。ヒシミラクルは調整過程が気になる。前々日とはいえ単勝4・2倍というのも消しの理由だ。トウショウナイト、マイソールサウンド、ビッグゴールドら好調馬も、掲示板がぎりぎりではないだろうか。

 結論。◎⑫マカイビーディーヴァ、○③アドマイヤグルーヴ。サッカーボーイの血に期待して▲⑬アイポッパー、安定感と好調教で△⑦シルクフェイマス。馬連③⑫、⑫⑬、③⑬、⑦⑫、③⑦の5点。3連複は4頭ボックスの4点。3連単は<⑫・③><⑫・③・⑬><⑫・③・⑬・⑦>の計8点。能書きは垂れたが、詰まるところミーハーな世相馬券である。

 話はコロッと変わるが、テレビを見ていて驚いた。為末大が出ているビールのCMに、マニック・ストリート・プリーチャーズの“Everything must go”が使われている。すべては過ぎ去り、忘却の河に沈んでいく。だからこそ、俺みたいに同じ過ちを繰り返すのだろうが……。
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悪夢から19年~チェルノブイリの犠牲の上に

2005-04-28 05:04:10 | 社会、政治

 1986年4月26日、チェルノブイリで原発事故が発生し、2日後の28日に明らかにされた。79年のスリーマイル、81年の敦賀と放射能漏れは頻発していたが、同事故の規模がそれらを遥かに上回ることは、当初から明らかだった。

 一報に触れ、俺の中で五十年時計が動き始めた。スペイン戦争(36年勃発)とチェルノブイリ……、20世紀を象徴する二つの出来事の結び目は、ジョージ・オーウェルである。共和国軍義勇兵としてスペインで戦ったオーウェルは、コミュニストへの幻滅を「1984」に著した。そこに描かれた通り、ソ連は圧制国家になったが、「1984」の1年後、ペレストロイカ(改革)を掲げたゴルバチョフが共産党書記長に就任する。だが、ソ連、いや、世界を変えたのは、ゴルバチョフではない。86年のチェルノブイリなのだ。

 ゴルバチョフが「抵抗勢力」を排除し、権力を掌握したのは88年9月末だが、既にその頃、東欧に自由化の波が押し寄せていた。ゴルバチョフはストップを掛けなかった。いや、介入したくとも、チェルノブイリの傷が大き過ぎ、余力などなかったに違いない。

 事故の死者は今も増え続け、150万人に近づいているという。当地の人口密度を考えれば、範囲の大きさと被害の深甚さは想像を絶するものがある。チェルノブイリが実質的にソ連の管理体制を打ちのめし、ゴルバチョフは現状を追認したに過ぎなかったと思えてくる。グラスノスチ(情報公開)を提唱したにも関わらず、被害の実態が明らかにされなかったことは残念だった。

 くどくど書いたが、チェルノブイリの尊い犠牲の上に、ベルリンの壁崩壊があるというのが、俺の結論である。

 ロシアは現在、原油価格高騰を背景に経済成長を遂げている。だが、皇帝→共産党→大統領・財閥と、富や権力が集中しやすい構造は変わらない。野党支持の石油会社を潰して国営化するなど、プーチン大統領はやりたい放題である。貧富の差拡大に、「再度のロシア革命」を謳って支持を拡大している左翼グループもある。ゴルバチョフ自身がロシアの現状を踏まえ、「ペレストロイカは失敗だった」と語っているのも皮肉な話だ。

 先日、WOWOWで「東京原発」を見た。他の先進国が代替エネルギーの研究を進める中、被爆国日本のみ原発に拘泥する矛盾を告発している。プルトニウム積載のトラックが間近に走行しているという設定は、フィクションではなく事実である。「ヒロシマの嘘」の項でも記したが、広島と長崎の被爆者の犠牲によって製造された放射能予防薬は、欧米では薬局で売られている。原発が林立する日本でなぜ市販されないのか、不思議でならない。

 同じくWOWOWで29日深夜、核問題をテーマにした「アトミックカフェ」が放映される。ラファティ監督はマイケル・ムーアの先生らしい。毒といいユーモアといい、さもありなんと思わせる怪作である。
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ドイツは今~「グッバイ、レーニン!」から15年

2005-04-26 04:24:04 | 社会、政治

 WOWOWで「グッバイ、レーニン!」(03年)を見た。89年の東ベルリン、自由を求めるデモ隊に息子アレックスの姿を見た母は、心臓発作で搬送される。意識不明の間、壁は崩壊し、東西ドイツは統一に突き進んだ。当時、緩やかな国家連合を主張したのは、ギュンター・グラスなど少数派だったのである。

 母の意識が戻った時、「次のショックは命に関わる」と医者は警告する。8カ月間の変化は母にとって悪夢に相違なかった。10年前に父が西ドイツに亡命して以来、母は社会主義と「結婚状態」だったからである。アレックスは姉、恋人、映画オタクの協力を得て、歴史の書き換えを試みる。何も起こらなかったのだと……。

 事はうまく運んでいたが、ある日、母は街に出てしまう。目にしたのは西側の車、広告、ファッション、そして、宙吊りで運ばれるレーニン像……。「西ドイツ崩壊」のビデオを作ってごまかしたが、アレックスは行き詰まってしまう。森でのハイキングで、母は痛切な告白をした。政治に翻弄された家族の痛みが浮き彫りになってくる。

 母の社会主義への帰依は本音だったのか? 真実を知って最期を迎えたのか? 謎は解けていないが、脱北日本人妻が北朝鮮に戻るというニュースが、考えるヒントになった。「将軍様マンセー」と会見を結んだ姿に違和感を覚えたが、家族の絆を守るため、「崇高な擬装」を選ぶこともありうる。母親なら尚更だ。

 統一から15年、新聞等で失業率の増加が伝えられている。EU拡大で経済活動がボーダレスになり、人件費の安い東欧に工場を移転する企業が続出した。その結果、雇用の空洞化が生じたのである。旧東ドイツ地域の失業率は20%を超え、一人当たりのGDPは西の60%余という。東西格差は解決していないのだ。

 難問を抱えるドイツだが、EUでは優等生だ。シュレーダー首相は訪独した韓国の廬大統領に「わが国は繰り返し反省を示し、近隣国の信頼を得た」と日本を揶揄するリップサービスをしていた。6兆円を超える補償、ナチズム礼賛禁止、歴史認識の明示などにより、イスラエルやロシアからドイツに移住するユダヤ人が急増した。

 ネオナチも話題になるが、数百人の集会を数千人の民主派が包囲しており、国政レベルで議席を得ることはありえない。NHKの「きょうの世界」によると、旧東ドイツ地域でネオナチが浸透する理由の一つは、歴史教育の不備だという。東ドイツ政権はナチスの共産主義者弾圧を教科書のメーンに据え、ユダヤ人虐殺には多くのページを割かなかった。現在、「ホロコーストを学べ」という号令の下、旧西ドイツの教師が旧東ドイツ地域で歴史教育の徹底を推進している。

 「グッバイ、レーニン!」を見て感じたのは、サッカーの影響力だ。90年W杯の優勝は、統一への幻想を大いに掻き立てた。06ドイツW杯で好成績を挙げられなかったら、暴動が起きはしないか、今から少し心配である。
 
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カタルシスの洪水~時間差で楽しむレッスルマニア

2005-04-24 03:58:06 | スポーツ

 昨夜(23日)、「レッスルマニア21」を見た。結果を知らなかったから、3週間を経た「擬似リアルタイム」である。WWEにはここ数カ月、フラストレーションがたまっていた。二人の世界王者に魅力を覚えないからである。王者交代を期待しつつ、画面の前に釘付けになった。

 RAWのHHHは「ロッカールーム王者」である。ドキュメンタリー「レスリング・ウィズ・シャドウズ」を見て驚いたのは、制作当時(1997年秋)、HHHが既に「陰謀の主役」だったことだ。ステファニーと結婚しでオーナー一族に名を連ねる現在、絶大な権力を手中に収めたことは言うまでもない。一方、スマックダウンのJBLに王者の資格はない。つい最近まで「かませ犬」だったが、「9・11」で扱いが変化した。団体が保守化する過程でJBLが果たした役割を考えると、王座獲得は論功行賞と勘繰りたくなる。

 さて、試合について。エディ・ゲレロ対レイ・ミステリオは、オープニングにふさわしく、スピードとテクニックの応酬だった。トップレスラー6人が体を削り合ったラダーマッチも、痛みが画面から伝わってきそうな迫力だった。アンダーテイカーはランディ・オートンとの新旧対決を制し、レッスルマニア13連勝を飾る。敗れたとはいえ、オートンが次代を担う素材であることを認識させられた。HBK対カート・アングルは、地味なグラウンド戦から空中戦、打撃戦、関節技と、プロレスの多彩な面を見せつけていた。

 いずれがベストバウトか迷うほど中身の濃い試合が続き、二つの王座戦を迎える。JBL対シナはいまひとつだったが、HHH対バティスタはメーンに恥じないレベルだったと思う。ともに新王者誕生でモヤモヤも晴れた。ファーム時代にライバルだったシナとバティスタが、メジャー入り後3年、祭典の夜に同時戴冠というのも、WWEの戦略だと思う。

 以下に、極私的レッスルマニア名場面を挙げてみる。といっても、リアルタイムで見た98年以降になるけれど。

 まずは00年、ハーディーズ対エッジ&クリスチャン対ダッドリーズの3ウエー・タッグマッチ。飛び、登り、落ち、殴り、砕け、血まみれになる……。目まぐるしい展開で一際光っていたのが、当時22歳の悪童ジェフ・ハーディー。あの過激で自虐的なパフォーマンスが見られないのは残念でならない。「アティテュード路線」を体現した戦慄の天才だったと思う。

 次に03年のアングル対レズナー。五輪金メダリストとNCAA王者の試合がハイレベルなのは当たり前だが、この二人はルチャ並みの空中戦も見せた。レズナーが5㍍の高さから落下した時、グニャと首が折れたように見え、目をそむけたのを思い出す。

 そして04年、王座を防衛したゲレロが、戴冠したクリス・ベノワと観衆の歓呼に応えた場面も忘れられない。ゲレロはブラックタイガー、ベノワはワイルド・ペガサスとして新日本で修業した。ともに170㌢前後と小柄ながら技術を磨き、大男揃いのWWEで頂点を極めたのである。

 最後に98年のHBK対オースチン。レフェリーを務めたタイソンの協力もあり、オースチンが王座を獲得した。当時、ホーガンを筆頭にスターを掻き集めたWCWは、巨人+ソフトバンクの感があった。楽天イーグルス状態のWWEをたった一人で救ったのがオースチンである。あの日を境にWWEは上昇し、遂にはWCWを崩壊に追い込んだ。

 そのオースチンだが、今年のレッスルマニアに現れ、ロディ・パイパーと掛け合いを見せていた。他にも曙対ビッグショーの相撲マッチ、殿堂入りした名選手の紹介と演し物満載で、満足出来る内容だった。
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「夜のみだらな鳥」が啼く~南米文学の迷宮

2005-04-22 03:18:55 | 読書

 ジョサ、マルケスの二大作家を中心に、南米文学に親しんだ時期があった。消化不良を起こしやすい作品群ゆえ、ここ10年余り敬遠していたが、幸いなことに現在は無職だ。萎えた気力、鈍った知性をカバーするための時間はある。棚に眠る積読本から、ドノソの「夜のみだらな鳥」を選んだ。

 南米文学はデジタル思考と対極に位置していると思う。パソコンに親しみ、情報に躍らされる日常からモードチェンジしないと、読み進むのは困難だ。専門家でもないのに偉そうに……と言われたら、口をつぐむしかないが、「夜の――」を俎上に載せ、南米文学の読み方を示してみたい。

 第一に、DNAに刻印された「畏怖の念」「言葉を超えた感応力」を呼び覚ますこと。日本人と南米の先住民(インディオ)は人種的に近いとされる。感性に共通点があっても不思議はない。老婆と孤児が身を寄せる修道院、異形の者が閉じ込められた屋敷……本作の主要な二つの舞台は、何かに喩えるなら、中世の無明長夜だ。鬼が闊歩し、火の玉が舞う。迷妄や煩悩が醸成される闇である。

 第二に、目に見えるものに捉われないこと。語り部であるムディートは変身を繰り返し、袋詰めのインブンチェとして物語を終える。彼が愛したイネスは、心身とも老いた(不死?)の召使と合体し、幽閉されることになる。形は壊れ、失われ、切り刻まれ、再構築される。肝心なのは意識なのだ。南米文学において、意識は時間や空間の壁を越えて自由に行き来する。一つのセンテンスに複数の意識を混在させるなど、技法における裏付けもある。

 第三に、起承転結を求めないこと。本作でもストーリーは進行しない。退行し、螺旋のように入り組んで曖昧になる。複層的に組み立てられたストーリーは、ガラス細工の伽藍の如く、一陣の風とともに後景に退いていく。「出口のない迷宮」であり、シュールで詩的なイメージの連なりなのである。

 第四に、二つの信仰――カトリックと土着神――の存在を前提にすること。カトリック信者が大半を占める南米だが、根っ子にあるのは土着の信仰だと思う。本作においても、呪術への帰依、変身への憧れ、「ハレとケ」に近い祝祭的な感覚など、カトリックとは相容れない志向が描かれている。

 第五に、権力と富が偏りやすい土壌を理解すること。風刺を込めて社会の堕落を暴く作品が多い。結果として、作家たちは活躍の場を国外に求めることになる。ドノソも例外ではない。母国チリでは1973年、軍部のクーデターでアジェンデ社会主義政権が崩壊する。当時の弾圧の凄まじさは、「サンチャゴに雨が降る」「戒厳令下チリ潜入記」といった映画からも窺い知ることが出来る。

 性的傾向が強過ぎるという理由で、本作は権威ある賞を捕り損ねた。フランコ独裁下のスペインという事情もあったようだ。修道院を抜け出して男と戯れる少女、イネスを求めて徘徊するムディート、そのムディートを追い回す老婆など、「夜のみだらな鳥」たちが闇の中、獲物を求めて啼いていた。放逸なイメージに満ちた作品といえる。

 胃がこなれてきたら、もう少し南米文学に触れることにする。サバトの「英雄たちと墓」、フェンテスの「脱皮」辺りが候補である。
 
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「アッカトーネ」と「奇跡の丘」~聖なる異端の世界

2005-04-20 07:02:22 | 映画、ドラマ

 10日余り、柄にもなく重いテーマで、惚けた脳を煩わせている。宿命、神、信仰、原罪……。法王の死に触発されたわけではない。シネフィル・イマジカでパゾリーニをまとめて見たからだ。初見だった「アッカトーネ」(61年)と「奇跡の丘」(64年)を中心に感想を述べたい。

 デビュー作「アッカトーネ」には、スラムの絶望的な状況が描かれている。アッカトーネとは、乞食という意の主人公のあだ名である。アッカトーネは妻子を捨て、賭け事や馬鹿騒ぎに明け暮れていた。食い扶持にしていた娼婦が捕まり、八方塞がりに陥る中、純真なステラと出会う。彼女を娼婦に仕立てようと試みるも思うに任せず、働くことを決意する。汚れた心はステラへの愛で浄化され、「背徳の彼方の純潔」に近づいていく。

 夢の中、アッカトーネは自らの葬送と遭遇する。墓を掘る男に「明るいのがいいんだ」と懇願し、日陰から日向に埋葬場所をずらしてもらう。間もなく現実となる死は、アッカトーネにとって苦しみからの解放でもあった。主役のフランコ・チッティは、やるせなさや自嘲など、あらゆる感情を目で表現出来る稀有な俳優だと思う。バッハも画面にマッチして、胸に染み入る作品だった。

 無神論者、マルキストを自任し、同性愛者としてスキャンダラスな死を迎えたパゾリーニだが、「奇跡の丘」ではキリストと真正面から向き合い、「国際カトリック映画事務局賞」を受賞している。バッハと黒人霊歌が、厳かさと清々しさを作品に付与している。圧巻なのは、アップになったキリストが数分間にわたって説教する場面だ。10以上のカットが繋ぎ合わされ、警句、譬え、福音が矢継ぎ早に弾き出される。敬虔さと対極にある俺でさえ、心が洗われる思いがした。キリストの言葉は次第に激しさを増し、律法を司るパリサイ人(びと)の貪欲、放縦、偽善を罵倒する。俺はようやく、パゾリーニの意図に気付いた。革命家キリストに仮託して、腐敗した国家権力を糾弾したのである。

 「アッカトーネ」ではチッティ以外、演技経験のない下層階級の若者を配している。「奇跡の丘」など、キリスト、十二使徒全員が素人で、年老いたマリアはパゾリーニの母である。イタリアはネオリアリズムの名作を多く生んでいるが、パゾリーニはリアリズムを超えたリアリズム――寓話、神話の領域――に到達することを目指したに違いない。

 上記以外に「アポロンの地獄」(67年)と「豚小屋」(69年)を見た。「アポロンの地獄」は「オイディプス王の伝説」を下敷きに、逃れられぬ宿命を描いている。オイディプス・コンプレックスをテーマにした作品といえば、ドアーズの「ジ・エンド」が思い浮かぶが、同曲を含む1stアルバムが発表されたのも、偶然とはいえ67年だった。「豚小屋」は中世と現代をカットバックし、カニバリズムと獣姦を描いた衝撃作だ。一度見ただけで消化不良だが、究極の瀆神行為とナチスの犯罪を重ね、信仰や原罪の意味を問い掛けているのではなかろうか。

 さて、コンクラーベが終了したようだ。新法王が「奇跡の丘」を見たら、どんな感想を漏らすのだろう。熱烈なキリスト教徒を自称するブッシュ大統領はどうかな? 本作でキリストが説く清貧、博愛、自己犠牲とは無縁に思えてならないのだけど……。
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色褪せない二つの死~カートと尾崎

2005-04-18 07:56:26 | 音楽

 発車のベルにせかされ、列車はホームを滑り出す。冷たい窓ガラスに額を付けても、灯りは一つも見えない。車内の闇も濃さを増し、「死にたくない」と念じながら、俺は眠気と闘っていた……。目が覚めて、しばし夢を反芻する。あれは黄泉行きの銀河鉄道だったのかと。まだまだ俺は達観していないが、日々煩悩を削ぎ落とし、薄切りのレモンのように瑞々しく死を迎えたいものだ。

 俺みたいな凡人はさておき、天才はどのように死と接するのだろう。まして、夭折した者は……。4月のカレンダーにも二つの名が刻まれている。一つ目は1992年4月25日、尾崎豊。泥酔後、いったん意識を取り戻したが、危篤状態に陥った。死因は肺水腫という。

 尾崎に驚嘆したのは、熱さではなく、ヒリヒリするほどクールで醒めた目だった。もがく自分や愛する人を、ロングに引いたカメラアイで見つめていた。吉田拓郎の「マークⅡ」に通じる客観性を、10代のうちに獲得していたのだ。反抗のシンボルを演じながら、成熟した大人の部分もある。この矛盾に、尾崎自身も悩んだのではなかろうか。

 「おまえたちと俺」……。ファンとの絆をあまりに強調するライブ映像に、違和感を覚えていた。他者との壁におののく尾崎の孤独が伝わってきたからだ。卓越した才能ゆえ、尾崎は二十歳前、自分の声だけ木霊する神殿に閉じ込められていたのである。

 二つ目は94年4月5日、ニルヴァーナのカート・コバーン。銃口をくわえ、引き金を引いた。

 ニルヴァーナは、ベルベッツ→NYパンク→ガレージロックという地下水脈から噴き出た奔流だった。彼らの出現でロック史は書き換えられ、異端が正系に転じた。「ネヴァー・マインド」の売り上げが世界で1000万枚を超えるという望外の成功は、繊細なカートを蝕んでいく。危うい言動に加え、次作「イン・ユーテロ」には自損、自壊のベクトルが剥き出しになっていた。カートの自殺を知った時、「遂に」と感じたのは俺だけではなかったはずだ。

 カートの死後、ニルヴァーナは「象徴」「記号」として膨らんでいく。このブログにも「死ぬまでにしたい10のこと」と「ECW」の項で登場している。

 「死ぬまで――」の主人公は、ニルヴァーナのラストライブで未来の夫と出会った。二人の感性や宿命的な愛は、この設定で浮き彫りになり、余分な説明は不要になる。また、「俺たちはニルヴァーナになるつもりだった」というポール・ヘイマンの宣言は、ECWが目指した「価値観の顛倒」と「革命」の質を端的に示していた。

 誰だって、パブリックイメージと自分の真の姿とのギャップに悩むもの。「世代の代弁者」に祭り上げられた尾崎とカートは、追い詰められて、死に至った。だが、魂を削って創った音楽は、血が滲んでいるから褪せることはない。世紀を越えても、真摯で純粋な才能を触発していくだろう。

 最後に、予想通りの「深い衝撃」。出遅れたのにあの余裕である。プラネットも自分の型に殉じてくれたし、馬券は外したが文句はない。レースから貴重な教訓も得た。右脳も左脳も惚けた俺にとって、磨くべきは「シックスセンス」(第六感)ってこと……。
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惑星、それとも流れ星~皐月賞はチープスリルで

2005-04-16 01:52:59 | 競馬

 寝付きの悪い日が続いている。悪夢で目が覚め、トイレに行き、また夢を見る。数本立ての俺の夢と違い、世間は「深い衝撃」のロードショーを待ち焦がれている。へそ曲がりゆえ部分的に脚色し、「安っぽい戦慄」に書き換えてみた。

 前々日売りで単勝元返しと、ディープインパクト一本かぶりだ。ムズムズしてくるではないか。昨年のオークス、単勝1・4倍の武ダンスインザムードは4着に敗れた。先行して押し切ったのは、6番人気のダイワエルシエーロである。皐月賞の箱に人気も同じぐらい(前々日5番人気)で同脚質の馬がいる。エルシエーロの弟、ビッグプラネットだ。絶好の3枠6番を引いている。

 日刊ゲンダイ紙上、鞍上の柴田善は「ダイワメジャーみたいなレースをした馬に、ディープを負かす可能性あり」と期待を抱かせるコメントを残していた。昨年の皐月賞では、2番手キープのダイワメジャーがコスモバルクの追撃をしのぎ切った。ペールギュントを降ろされた? 鬱憤をプラネットで晴らしてほしい。

 中山2000㍍はマイル適性も問われる。最近10年の連対馬にはジェニュイン(マイルCS①)、キングヘイロー(高松宮記念①)、ダイタクリーヴァ(マイルCS②)、ダンツフレーム(安田記念②)とマイル以下のG1で好走した馬が多い。ダイワメジャーも安田記念の有力候補である。

 本命はビッグプラネット? 惑星とはいえ流れ星になる可能性もあり、対抗まで。本命はやはりディープだ。

 3番手はペールギュント。スプリングSは一息入った後で6着に敗れた。「武豊TV!」での武の御託宣、「スプリングS1~3着馬は展開がハマった」を信じたい。乗り替わりが目立つが、組曲「ペールギュント」の主人公も、恋人をコロコロ代えるプレーボーイだった。5人目の池添は肝が据わり、追い込み得意の騎手。12番人気の桜花賞で連対した母ツィンクルブライドのように、大舞台での一発を期待する。

 弥生賞2、3着のアドマイヤジャパンとマイネルレコルトは、ロスなく内をスローペースで先行しながらディープに差された。着差以上の完敗である。ローゼンクロイツもダービーはともかく、戦ってきた相手を考えると3着までか。

 まとめると、◎⑭ディープインパクト、○⑥ビッグプラネット、▲⑦ペールギュント、△⑬ローゼンクロイツ、△⑯アドマイヤジャパン。買い目は、単勝⑥。馬連⑥⑭、⑦⑭。ワイド⑥⑦。3連複は⑥⑦⑭、⑥⑬⑭、⑥⑭⑯の3点。3連単は<⑭・⑥><⑭・⑥・⑦><⑥・⑦・⑬・⑯>の計9点。

 捕らぬ狸の何とやら、算盤を弾いて掛け算を楽しむのも今のうち。レース後は引き算をしているに違いない。
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どっこい生きてる~ジェスロ・タルの存在感

2005-04-14 06:59:02 | 音楽

 昨日(13日)、ジェスロ・タルの再発盤が発売された。5月の来日公演に合わせたものだろう。当日午後、タワーレコードで在庫切れになった作品もある。待望していたファンも多かったようだ。迷った揚げ句、「天井桟敷の吟遊詩人」と「神秘の森」を購入する。ともにアコースティックでトラッド色が濃く、聴き込めば味が出そうな作品だった。

 リーダーのイアン・アンダーソンはデヴィッド・ボウイと同じ1947年生まれで、同時期に世に出た。ボウイは当初「自閉的な少年」というキャラだったが、イアンは20代の頃から、笠智衆並みに年齢不詳だった。大道芸人、放浪者、ホームレス、屋根裏部屋の住人というイメージに、実年齢がようやく追いついた感じがする。

 ジャズ、トラッド、フォーク、ブルース、クラシックと、音楽的な幅の広さはトラフィックと匹敵するジェスロ・タルだが、日本じゃマイナーのままである。俺だって同時進行で聴いたわけではない。70年代後半、数年のタイムラグを経て、こんなすごいバンドが「いたんだ」という思いで傑作群に接した。俺の中ではとっくに「ロックの殿堂」入りを済ませていたのである。

 以前から手元にあった5枚のCDの感想を。

 デビュー作「日曜日の印象」は生硬な感じで聴くことは少ないが、セカンドの「スタンド・アップ」は好きな作品だ。「ア・ニュー・デイ・イエスタデイ」「ウィ・ユースト・トゥ・ノウ」など陰翳のある名曲が並ぶ中、バッハの「ブーレ」が出色と言うとミーハーかな? 初めて聴いた時、格調高い演奏に驚いたものである。

 「アクアラング」は切迫感を覚えるアルバムだ。タイトルチューンの1曲目からラストまで、起伏に富み、表情豊かな作品である。追加公演では全曲演奏するらしい。いい席が残っているようだし、皐月賞が的中すればチケットを購入するつもりでいる。

 「ジェラルドの汚れなき世界」と「パッション・プレイ」は評論家から難解という評価を受けたものの、全米チャート1位を獲得したコンセプトアルバム。ともに創造力と想像力の極致というべき作品である。気付くのは遅過ぎたが、ジェスロ・タルは前衛でありつつ、大衆性を獲得した稀有なバンドだったのだ。実験性に富んだ質の高いヒットアルバムを量産した点では、ビートルズに次ぐ存在といえる。とりわけ「ジェラルド――」は、世紀を越えても幅広い音楽ファンの鑑賞に堪える作品だと思う。

 “Too old to rock`n`roll, too young to die”。これは76年に発表されたアルバムのタイトルで、邦訳すると、「ロックをやるにはじじいだが、死ぬにはちょっと若過ぎる」ってとこ。皮肉が利いているが、30年後もピンピンして演奏活動を続けているなんて、イアン・アンダーソンにとって「想定の範囲」だったのだろうか。
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スペインの光と影~クラシコ、そしてロルカ

2005-04-12 02:17:27 | 戯れ言

 74年前のこの日(4月12日)、スペインは分岐点を迎えた。地方選挙で共和派が王制派を破り、2日後に国王が亡命する。

 6月の総選挙でも共和派・左翼連合が勝ち、民主的な手続きを経た革命政権が成立した。完全普選、土地国有化、教会財産没収を謳ったが、やがて自滅の道を歩み始める。中央が右派と妥協を重ねたこともあり、カタロニアが独立を宣言し、臨時政府を樹立した。混乱に乗じたフランコがクーデターを起こし、内戦を経て権力を掌握した。

 共和国にチトーのような指導者がいたら、マドリード、バルセロナ、バスクの融和を図り、フランコの蜂起を未然に防いだのではなかろうか……。こんな風に考えるのは日本人ゆえだろう。スペインは三つの文化圏に分かれており、憎しみの構図は今も変わらない。リーガ・エスパニョーラも対立項を軸にスケジュールを組んでいる。

 10日に行われたクラシコでは、レアル・マドリードが4―2でバルセロナを下し、初戦の借りを返した。両チームともスペクタクルなサッカーを展開し、時の経過を忘れるほどだった。「カタロニアはスペインではない」という横断幕が掲げられたカンプノプと異なり、サンチャゴ・ベルナベウの観衆はサッカーそのものを享受しているように感じた。

 先日、シネフィル・イマジカで「ロルカ、暗殺の丘」を見た。ロルカの死の真相を探るためスペインに赴いたジャーナリストが、封印された謎に迫っていくという内容だ。二つの時代が交錯し、事実とフィクションを織り交ぜたミステリー仕立てになっていた。

 冒頭、「フランコ率いる国民戦線によって100万人が殺された」と字幕で説明される。第2次大戦でアジア諸国に深甚な打撃を与えた日本だが、二つの原爆、空襲、集団玉砕などによる非戦闘員の死者は80万人である。スペインの人口が日本の3分の1であることを勘案すると、国としての傷の深さに暗然とせざるをえない。

 「ロルカ――」で再認識したのは、50年代のスペインの実情だ。生き延びたファシスト国家では、軍や警察が国民を管理していた。フランコが死ぬまでスペインに自由はなく、1977年の総選挙は共和国時代以来、41年ぶりに行われたものであった。

 映画に描かれていた通り、ロルカはマルキストというより、自由と情熱、頽廃と反骨というスペイン人の気質を象徴する存在だった。抑圧から解放され、ロルカの精神を継承したスペイン文化は、豊穣の時を迎えている。俺が多く接しているのは、アルモドバルに代表される映画の数々だ。寓話的な世界を楽しむだけでなく、影の部分――夥しい血と沈黙の重さ――にも目をそむけないでおこうと思った。
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