昨日(30日)の「報道ステーション」に失望を覚えた。古賀茂明氏が勇気と覚悟を示した27日のオンエア中の出来事について、菅官房長官の「事実無根」発言を伝え、その後、古館キャスターが謝った。古賀氏の思いを一切斟酌することなくである。
徒手空拳だからこう言えるが、古舘が辞めたら、事務所は莫大な収入を失う。その一方、「報ステ」が派遣スタッフを前触れなく雇い止めにしたことを、仕事先の夕刊紙が報じている。テレビだけでなく、マスコミが格差社会の典型であることを、俺は身に染みて知っている。
〝沈黙のファシズム〟の進行を食い止めるため、10年先――生きているとは限らないが――を見据え、区議選に立候補する中野と杉並の仲間をサポートしている。街宣の協力とポスティングが主な内容だ。
ポスティング中、マンションの管理人と鉢合わせした。「チラシお断り」の張り紙もあり、レッドカードを覚悟したが、宅配ピザと勘違いしたのか、「君たちも大変だな。時給いくら?」と尋ねてくる。「ボランティアです。区議選向けの」と正直にチラシを渡すと、「この人、知事選で投票したよ」と宇都宮健児氏の応援メッセージを指していた。「お願いします」と言うと、笑顔で頷いてくれた。
おばあさんに声を掛けられ、地図(ポスティングに必携)を見ながら道順を教えてあげた。チラシを渡すと快く受け取ってくれる。庭先で作業中の老夫婦と親しく会話するなど、充実したポスティングだった。いい汗をかいて中野通りに出ると、桜は七分咲きである。
この10年、花見が習慣になった。無職で経済的に苦しかったり、孤独だったりと、散る桜に我が身を重ねることが多かった。東日本大震災と原発事故、そして妹の死も、無常観ともののあはれを覚醒させたが、今年は少し違った。明るさに素直に感応し、日本的情緒が込み上げてこないのだ。
<平家は明るい。明るさは滅びの姿であろうか>……。これは太宰治の直感の鋭さを示す「右大臣実朝」の一節だが、似たような感覚を味わった。幼稚で明るい日本は滅びる、いや、滅びるのは俺自身かも……なんて格好つけるても仕方ないが、濃くなる闇の彼方、仄かに射す一条の光に心がそよいでいるのだろう。
今年は違うことが、もう一つある。1年限定でプロ野球ファンに復帰することにした。野球にチャンネルを合わせるのはオフシーズンだけという年が続いていたが、今日もこの稿を書きながら、TBSチャンネルで横浜対広島戦を見ていた。
ここ数年、消極的な横浜ファンだったが、本腰を入れるきっかけは、野球と無関係の後藤浩輝騎手の自殺だった。当ブログの枕で記した通り、<(後藤は)DeNA中畑清監督に匹敵するサービス精神旺盛のパフォーマー>と見做していた。後藤は人知れぬ闇を抱えていたが、中畑清はどうだろう。
故郷の白河郡矢吹町は東日本大震災の被災地で、2012年末に夫人を亡くしている。巨人への愛憎半ばは知られるところだ。中畑は俺が嫌いな体育会系だが、どこか脆くて自虐的なところもある。過剰な明るさは、葛藤の裏返しではないか。
チーム内にケミストリーが生まれる気配があり、Aクラスは可能と予想していたが、下馬評は低い。巨人、阪神、広島が3強で、横浜とヤクルトが続き、中日が最下位というのが評論家たちの見方だ。グリエル不在は不安材料だが、空いた外国人枠でエレラ(投手)を使えるのはプラスとみる向きもある。
NFLや欧州サッカーで特定チームに肩入れすることはしばしばあったが、身近なチームの勝敗に一喜一憂するのは30年ぶりのことだ。贔屓チームを持つことはボケ防止に繋がるというから、一石二鳥といえるだろう。
徒手空拳だからこう言えるが、古舘が辞めたら、事務所は莫大な収入を失う。その一方、「報ステ」が派遣スタッフを前触れなく雇い止めにしたことを、仕事先の夕刊紙が報じている。テレビだけでなく、マスコミが格差社会の典型であることを、俺は身に染みて知っている。
〝沈黙のファシズム〟の進行を食い止めるため、10年先――生きているとは限らないが――を見据え、区議選に立候補する中野と杉並の仲間をサポートしている。街宣の協力とポスティングが主な内容だ。
ポスティング中、マンションの管理人と鉢合わせした。「チラシお断り」の張り紙もあり、レッドカードを覚悟したが、宅配ピザと勘違いしたのか、「君たちも大変だな。時給いくら?」と尋ねてくる。「ボランティアです。区議選向けの」と正直にチラシを渡すと、「この人、知事選で投票したよ」と宇都宮健児氏の応援メッセージを指していた。「お願いします」と言うと、笑顔で頷いてくれた。
おばあさんに声を掛けられ、地図(ポスティングに必携)を見ながら道順を教えてあげた。チラシを渡すと快く受け取ってくれる。庭先で作業中の老夫婦と親しく会話するなど、充実したポスティングだった。いい汗をかいて中野通りに出ると、桜は七分咲きである。
この10年、花見が習慣になった。無職で経済的に苦しかったり、孤独だったりと、散る桜に我が身を重ねることが多かった。東日本大震災と原発事故、そして妹の死も、無常観ともののあはれを覚醒させたが、今年は少し違った。明るさに素直に感応し、日本的情緒が込み上げてこないのだ。
<平家は明るい。明るさは滅びの姿であろうか>……。これは太宰治の直感の鋭さを示す「右大臣実朝」の一節だが、似たような感覚を味わった。幼稚で明るい日本は滅びる、いや、滅びるのは俺自身かも……なんて格好つけるても仕方ないが、濃くなる闇の彼方、仄かに射す一条の光に心がそよいでいるのだろう。
今年は違うことが、もう一つある。1年限定でプロ野球ファンに復帰することにした。野球にチャンネルを合わせるのはオフシーズンだけという年が続いていたが、今日もこの稿を書きながら、TBSチャンネルで横浜対広島戦を見ていた。
ここ数年、消極的な横浜ファンだったが、本腰を入れるきっかけは、野球と無関係の後藤浩輝騎手の自殺だった。当ブログの枕で記した通り、<(後藤は)DeNA中畑清監督に匹敵するサービス精神旺盛のパフォーマー>と見做していた。後藤は人知れぬ闇を抱えていたが、中畑清はどうだろう。
故郷の白河郡矢吹町は東日本大震災の被災地で、2012年末に夫人を亡くしている。巨人への愛憎半ばは知られるところだ。中畑は俺が嫌いな体育会系だが、どこか脆くて自虐的なところもある。過剰な明るさは、葛藤の裏返しではないか。
チーム内にケミストリーが生まれる気配があり、Aクラスは可能と予想していたが、下馬評は低い。巨人、阪神、広島が3強で、横浜とヤクルトが続き、中日が最下位というのが評論家たちの見方だ。グリエル不在は不安材料だが、空いた外国人枠でエレラ(投手)を使えるのはプラスとみる向きもある。
NFLや欧州サッカーで特定チームに肩入れすることはしばしばあったが、身近なチームの勝敗に一喜一憂するのは30年ぶりのことだ。贔屓チームを持つことはボケ防止に繋がるというから、一石二鳥といえるだろう。