酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

頑張れ、横浜!~30年ぶりの気分の変化

2015-03-31 23:52:41 | スポーツ
 昨日(30日)の「報道ステーション」に失望を覚えた。古賀茂明氏が勇気と覚悟を示した27日のオンエア中の出来事について、菅官房長官の「事実無根」発言を伝え、その後、古館キャスターが謝った。古賀氏の思いを一切斟酌することなくである。

 徒手空拳だからこう言えるが、古舘が辞めたら、事務所は莫大な収入を失う。その一方、「報ステ」が派遣スタッフを前触れなく雇い止めにしたことを、仕事先の夕刊紙が報じている。テレビだけでなく、マスコミが格差社会の典型であることを、俺は身に染みて知っている。

 〝沈黙のファシズム〟の進行を食い止めるため、10年先――生きているとは限らないが――を見据え、区議選に立候補する中野と杉並の仲間をサポートしている。街宣の協力とポスティングが主な内容だ。

 ポスティング中、マンションの管理人と鉢合わせした。「チラシお断り」の張り紙もあり、レッドカードを覚悟したが、宅配ピザと勘違いしたのか、「君たちも大変だな。時給いくら?」と尋ねてくる。「ボランティアです。区議選向けの」と正直にチラシを渡すと、「この人、知事選で投票したよ」と宇都宮健児氏の応援メッセージを指していた。「お願いします」と言うと、笑顔で頷いてくれた。

 おばあさんに声を掛けられ、地図(ポスティングに必携)を見ながら道順を教えてあげた。チラシを渡すと快く受け取ってくれる。庭先で作業中の老夫婦と親しく会話するなど、充実したポスティングだった。いい汗をかいて中野通りに出ると、桜は七分咲きである。

 この10年、花見が習慣になった。無職で経済的に苦しかったり、孤独だったりと、散る桜に我が身を重ねることが多かった。東日本大震災と原発事故、そして妹の死も、無常観ともののあはれを覚醒させたが、今年は少し違った。明るさに素直に感応し、日本的情緒が込み上げてこないのだ。

 <平家は明るい。明るさは滅びの姿であろうか>……。これは太宰治の直感の鋭さを示す「右大臣実朝」の一節だが、似たような感覚を味わった。幼稚で明るい日本は滅びる、いや、滅びるのは俺自身かも……なんて格好つけるても仕方ないが、濃くなる闇の彼方、仄かに射す一条の光に心がそよいでいるのだろう。

 今年は違うことが、もう一つある。1年限定でプロ野球ファンに復帰することにした。野球にチャンネルを合わせるのはオフシーズンだけという年が続いていたが、今日もこの稿を書きながら、TBSチャンネルで横浜対広島戦を見ていた。

 ここ数年、消極的な横浜ファンだったが、本腰を入れるきっかけは、野球と無関係の後藤浩輝騎手の自殺だった。当ブログの枕で記した通り、<(後藤は)DeNA中畑清監督に匹敵するサービス精神旺盛のパフォーマー>と見做していた。後藤は人知れぬ闇を抱えていたが、中畑清はどうだろう。

 故郷の白河郡矢吹町は東日本大震災の被災地で、2012年末に夫人を亡くしている。巨人への愛憎半ばは知られるところだ。中畑は俺が嫌いな体育会系だが、どこか脆くて自虐的なところもある。過剰な明るさは、葛藤の裏返しではないか。

 チーム内にケミストリーが生まれる気配があり、Aクラスは可能と予想していたが、下馬評は低い。巨人、阪神、広島が3強で、横浜とヤクルトが続き、中日が最下位というのが評論家たちの見方だ。グリエル不在は不安材料だが、空いた外国人枠でエレラ(投手)を使えるのはプラスとみる向きもある。

 NFLや欧州サッカーで特定チームに肩入れすることはしばしばあったが、身近なチームの勝敗に一喜一憂するのは30年ぶりのことだ。贔屓チームを持つことはボケ防止に繋がるというから、一石二鳥といえるだろう。
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勇気と覚悟を示す者たち~「オルタナミーティング」第5弾に参加して

2015-03-28 23:09:07 | 戯れ言
 金曜は夕方から未明まで競馬面の作業をしている。俺が業務委託で夕刊紙に採用されたのも、雇い止めにならないのも、競馬に詳しいからである。まさに〝趣味が身を助く〟で、無能の俺が東京砂漠で生き永らえているのも競馬のおかげなのだ。

 昨日は家を出る時、「報道ステーション」(テレビ朝日)を録画した。最後の出演になる古賀茂明氏の発言が気になっていたからだが、予想通り官邸からの圧力と、それに屈した局を批判した。明らかな掟破りだが、<風にそよぐ葦>になる道を選んだ古賀氏の勇気と覚悟に感銘を覚えた。

 テレビ朝日といえば、3・11直後の酷い対応が忘れられない。朝日ニュースターをテレ朝チャンネルに編入し、反原発派が頻繁に出演していた「ニュースの深層」を骨抜きにする。さらに、「愛川欽也のパックインジャーナル」、米リベラル&左派の拠点「デモクラシーNOW!」をラインアップから外した。

 本体の朝日新聞は、枝野官房長官の「(放射能は)直ちに人体に影響はない」を医学面で補強した〝日本のメンゲレ〟こと山下俊一福島医大副学長(当時)にがん大賞を授与する。3・11から半年後のことだった。古賀氏はガンジーの言葉を挙げ、権力に屈しつつあるメディアに警鐘を鳴らしたが、「報ステ」で辺野古の特集を担当したプロデューサーは配置換えになったという。俺は朝日の〝仮面〟を疑っている。

 一昨日(26日)はオルタナミーティング第5弾「神田香織 ライブでKODAN! 3・11から4年 フクシマを忘れない」(阿佐ケ谷ロフト)に参加した。イベントは3部構成で、進行役は大場亮プロデューサー(緑の党会員)と市来とも子杉並区議(社民党)である。会場には様々な課題に取り組んでいる方が集まり、立ち見も出る盛況だった。

 第1部は在日コリアン2世のシンガー・ソングライター、李政美(い・ぢょんみ)さんのステージである。高銀(ノーベル文学賞候補)の詩に曲を付けた「セノヤ」、青春時代を歌った「京成線」、「アリラン」と続き、福島に捧げた「ああ、福島」で締める。アンコールは燃えるような愛の歌だった。MCでは朝鮮半島と日本、そして福島への思いを切々と語る。豊かな声量に込められた情感に心が潤んだ。

 第2部は、市来区議と蛇石郁子郡山市議(緑の党ふくしま)のトークだった。蛇石市議が語る被災地の現状が、安閑と東京で暮らす身に突き刺さる。2人は福島原発告訴団のメンバーで、市来区議らが主宰する「福島子ども保養プロジェクト杉並」には蛇石市議も協力している。ちなみに、李さんの「ああ、福島」の原詩を書いたのは、告訴団の武藤類子さんだ。蛇石さんの「しつこく、楽しく、闘い続けましょう」という結びの言葉が印象的だった。

 第3部では、神田さんの迫力に圧倒された。演目「ふくしまの祈り~ある母子避難の声」のテーマは体内被曝で、綿密なデータに裏打ちされていた。主人公はいわき市在住の2人の子を持つ主婦である。福島県内で若年層の健康を話題にすることが憚られるという空気が、作品の背景に織り込まれていた。子供を案じる母の声が、沈黙と集団化の下、掻き消されていくのだ。

 津波被害者の探索に従事していた消防団員の声を借り、原発事故直後の緊迫した状況が伝えられる。避難指示によって作業は中断し、遺体は放置された。火葬すれば煙に放射能が混じり、土葬すれば地中を汚すという理由である。李さんがラストに登場し、再度「ああ、福島」を歌って終演となる。李さんと竹田さん(キーボード)、市来さん、蛇石さん、神田さん……。勇気と覚悟を秘めた美しき5人の女性による心洗われるコラボだった。

 「おまえは何をするのか、拠点は何か」……。感動した分、この問いがブーメランのように反転し、心に刺さってくる。世の中を根底から変えるためには、先進国に例のない不自由な制限選挙制度の下、地域を変えていくしかない。俺は今、統一地方選挙に向け、中野区と杉並区の立候補予定者を微力ながらサポートしている。具体的にはポスティング、街宣時のビラまき、ささやかなカンパだ。俺が示せる勇気と覚悟は、その程度のことだ。

 ブログを始めた頃は、競馬予想を頻繁に記していた。冒頭で記したが、お世話になっているにもかかわらず。最近は競馬に触れなくなった。感謝? の気持ちを込めて高松宮記念の予想を。

 <中京競馬場は内枠と先行馬が有利>が定説だが、セオリーを無視し、外枠と差し馬から買うことにする。◎⑱ストレイトガール、○⑬ダイワマッジョーレ、▲⑨レッドオーヴァル、注⑫サクラゴスペル、△⑯ミッキーアイル。馬場や場体重をチェックしてから買い目を決めるが、当たる気は全くしない。
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暴力とネットが創り上げたイスラム国

2015-03-25 23:41:02 | 社会、政治
 俺は気が多い人間だ。好きな作家、バンド、映画監督を挙げていけばきりがない。浅田彰流にいえば完全な<スキゾ>で、八百万神を崇める十進法思考の多神教徒だ。

 俺の対極に位置するのがイスラム国だ。チュニスの博物館、イエメンのモスクで、彼らに連なる組織が相次いでテロを起こした。多少なりとも理解しようと、「イスラーム国の衝撃」(池内恵/文春新書)、BSスペシャル「追跡 過激派組織ISの闇」、ロレッタ・ナポリオーニ氏のインタビュー(3月18日付朝日朝刊)をテキストに選んだ。

 イスラム国の根本は終末思想と二元論だ。信仰は国家や法を超越し、残虐な行為も神は許す、いや称えるという論理は、民主主義と決定的に相容れない。ナチスドイツやオウム真理教を連想したが、「イスラーム国の衝撃」によれば、終末論は1400年前、開祖ムハンマドの教えに組み込まれていたという。

 1990年以降、アラブ社会で憎悪の対象になったのはアメリカだった。湾岸戦争やイラク戦争時のファルージャ空爆で劣化ウラン弾や化学兵器が用いられたことは、映像や医療関係者の証言から明らかだ。<自由のための爆弾>という建前も、死者とその家族には通用しない。憎しみは拡大して連鎖する。

 中東では原油の利潤は国内の権力者や石油メジャーに簒奪され、格差と貧困が甚だしい。充満する憎悪、怨嗟、憤懣を利用したのがイスラム国といえる。BSスペシャルではイスラム国の起点を、米軍の「キャンプ・ブッカ」(イラク南部)と指摘していた。収容されていたバグダディ(現指導者)は旧フセイン政権のメンバーたちと将来のプランを練っていた。

 「アラブの春」によって強権政治が終焉した国もあったが、その後も混乱が続く。シリア・アサド大統領の判断ミス、アメリカの失態、部族や組織間の対立などが重なり、イスラム国は勢力を伸ばす。財政基盤として、石油や文化財の密売、身代金、サウジアラビアの援助などが挙げられている。常任理事国からの武器は、いかなるルートで流入しているのだろう。

 イスラム国のメディア戦略を評価する識者もいる。後藤健二さんは殺害時、オレンジ色の服を纏っていたが、グアンダモに収容されたイスラム過激派が着せられた囚人服と色もデザインも同じだ。アメリカへの復讐というメッセージが込められているのだろう。

 カリフ制の復活、サイクス・ピコ協定の否定など復古的なイメージを押し出しているイスラム国だが、ネットを利用して<グローバル・ジハード>の概念を世界に拡散している。イスラム国系、あるいはアルカイダ系といわれる組織も、殆どが本体と人的繋がりがない。<上からの指令→実行>ではなく、<ローンウルフ型テロ→追認>のパターンが一般的になった。

 対米より対シーア派に重きを置き、クルド人と対立関係にあるイスラム国の限界を説く声もある。同じくスンニ派のアルカイダとも折り合いが悪い。仮にイスラム国が崩壊しても、ネットに棲みついた思想は継承されていくだろう。日本のネット右翼に形態は似ているが、感染力とスケールは比べものにならない。社会への不満を餌に増殖する〝ウイルス〟を武力で制圧することは不可能なのだ。

 ナポリオーニ氏は国家の形を取ったことに注目している。破壊と暴力ばかり強調されるが、インフラ整備、市場管理、衛生面の拡充に努める<偽装国家>としての側面い目を背けると、イスラム国の本質は見えてこないと語る。併せて人質問題を巡る安倍政権の対応を批判していた。

 アラブ世界について無知だから、何を述べても受け売りになってしまう。「じゃあ、日本のことはわかっている?」と尋ねられても言葉に詰まる。58年も暮らしているのに、3・11以降の4年間の変化を把握しているとは言えないからだ。
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「イミテーション・ゲーム」に描かれた天才の秘めたる愛

2015-03-22 22:57:21 | 映画、ドラマ
 「相棒~シーズン13」の最終回「ダークナイト」を録画で見た。芳しくない感想を幾つか聞いていたが、俺の意見は<メルクマールになり得る傑作>である。

 伊坂幸太郎原作で映画化された「重力ピエロ」(09年)と「ゴールデン・スランバー」(10年)に感銘を覚えた。前者は<法の下の正義>を超越する<人としての正義>を掲げ、後者は<正義の執行者たる警察=巨悪>という構図である。俺は伊坂作品と対極に位置する「相棒」に、警察を舞台にしたドラマの限界を感じていた。

 ところが「ダークナイト」で、<法の下の正義>を執行者の側で説く杉下警部(水谷豊)に、「人としての正義」を実行した甲斐享(成宮寛貴)が叛旗を翻した。想像を超えるコンビ別れだが、甲斐はいずれ杉下と敵対するキャラクターとして再登場するだろう。マンネリ気味だった「相棒」に、<正義>と<罪と罰>を巡る葛藤が組み込まれたら、魅力は大幅にアップするはずだ。

 大河ドラマともいえる「NHK杯将棋トーナメント」決勝で、森内9段が行方8段を下し3度目の優勝を飾った。森内は名人戦で4連敗、竜王戦で1勝4敗と連続失冠し、順位戦でも降級の危機にあった。悪夢の一年を過ごしたが、最後で実力を示した。

 将棋界で話題になっているのは、プロ棋士とコンピューターが対決する電脳戦ファイナル第2局である。永瀬6段の88手目「2七角不成」の王手にコンピューターが対応せず、逃れる手を指せなかったのだ。効率最重視のプログラミングにとって、角不成は想定外だったのだろう。コンピューターの欠陥が露呈されたことになる。

 ようやく、本題……。日比谷で先日、「イミテーション・ゲーム/エニグマと天才数学者の秘密」(14年、モルトン・ティルドゥム監督/英米)を見た。公開直後なので、ストーリーの紹介は最低限に、背景と感想を記したい。

 演繹と検索の概念を明示したコンピューターの始祖であり、ナチスドイツの暗号エニグマを解読して<第2次大戦の終結を2年早め、1000万人以上の命を救った>と歴史家が称えるアラン・チューリングの生涯を追った作品である。ちなみにチューリングは優れた長距離ランナーで、国家プロジェクトに加わらなければ五輪史に名を刻んだ可能性もあったという。20世紀を代表するヒーローは、機密保持のため沈黙を強いられる。同性愛を禁じるソドミー法違反で罰せられ、ホルモン注射を投与された末、41歳で自殺した。死後半世紀以上を経て2年前、女王の名で恩赦が発表される。

 1920年代後半のパブリックスクール時代、ブレッチリーパークで暗号解読に取り組んだ39~45年、同性愛で摘発された51年……。3つの時間を行きつ戻りつストーリーは展開する。本作の成功は、主役にベネディクト・カンバーバッチを据えた時点で決まっていた。「シャーロック」(BBC、第4シーズン製作決定)で演じたエキセントリックな自信家、風変わりで孤独なホームズをアレンジしたのが、本作のチューリング像といえる。

 肝ゼリフが二つあった。第一は、女性数学者ジョーンをチームに勧誘する際の「思いがけない人間が、想像を超える偉業を成し遂げる」で、パブリックスクール時代の親友の言葉でもある。第二は、取り調べた刑事に対する「マシンは人間のように思考することは可能か」の謎かけだ。<形式は内容に先行する>は20世紀初頭の至言だが、二進法に基づくコンピューターが人間を支配する21世紀を、チューリングは予測出来ただろうか。

 チューリングの独善を嫌った仲間も次第に打ち解け、チームは熟成していく。天啓もあって、解読という任務は完了したが、次なる重い課題が残されていた。神の領域に属する決定をチューリングたちも担うことになる。中心になったのは軍と意見を異にする冷徹な諜報機関(MI6)で、ソ連を巡る興味深いエピソードも織り込まれていた。

 「市民ケーン」の「ローズバッド」ではないが、チューリングの心象風景を表すのが、解読マシンに命名した「クリストファー」だ。上記した親友の名で、唯一愛した者への思いが、慟哭と自責の念とともに甦ってくる。本作は崇高なラブストーリーといってもいい。
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愛とは、家族の形とは~「往生際の悪い奴」が提示するもの

2015-03-19 23:55:45 | 読書
 経済的貧困とともに憂うべきは知的貧困で、とりわけ永田町界隈で蔓延している。三原じゅん子参院議員が予算委員会で、アジア侵略を正当化した「八紘一宇」を建国以来の価値観と語った。グローバリズム企業への課税強化を訴える質問の趣旨を否定するつもりはないが、歴史理解の乏しさが、先進国基準から乖離した発言を生み出した。

 鳩山由紀夫元首相のクリミア行きへのバッシングが喧しい。仕事先の夕刊紙コラムで同行した高野孟氏が、<バッシングは、政府に対する異論を許さない戦時下の統制社会を思わせる>(論旨)と記していた。28日に開催される鳩山元首相と三宅洋平氏のトークイベントには、仕事の関係で残念ながら参加できない。

 外交には二重、三重の保険が必要だ。ニクソン大統領は〝敵国〟中国を突然訪問し、独裁政権を認めながら、フィリピンではアキノを、韓国では金大中を支援していた。アメリカはある時期まで外交上手の代表格だった。

 元外交官の天木直人氏は、<アメリカはいずれ辺野古移設を断念する>とブログで記していた。国内でも文化人が反対の声を上げ、環境保護派からの批判も強い。自由と民主主義の看板は色褪せたが、<米軍が日本政府とともに沖縄県民を抑圧している>と世界に大きく報じられるのは避けたいだろう。ヒラリー・クリントンが次期大統領になれば、天木氏の予測は現実になりそうだ。

 外交に二枚舌、三枚舌は不可欠だが、恋愛では果たして……。島田雅彦の最新作「往生際の悪い奴」(日本経済新聞出版社)は現代日本における愛の形を提示した作品だった。

 島田の代表作は、「彗星の佳人」、「美しい魂」、「エトロフの恋」からなる無限カノン三部作だろう。天皇制を背景に据え、カヲルと不二子が織り成す宿命のドラマが心を打つ。ちなみに、不二子のモデルは皇太子妃雅子さんである。三部作は「ドクトル・ジバゴ」――雅子さんが最も感動した小説に挙げていた――に匹敵する恋愛小説だ。

 三部作と比べると、通俗的で、ポルノグラフィーの側面もある「往生際の悪い奴」は、お堅い? 日経に連載された。主人公のおまえ(山下清)、弁護士の三島、女子大生の絵美里、ストーカーの伊東の4人が主な登場人物である。

 28歳のおまえは行き詰まり、自殺の二字が脳裏で揺れている。冒頭で〝ダメ男〟と決めつけかけたが、後半の活躍を見るとかなり有能で、負の連鎖で堕ちただけだ。経済の初歩に立ち返ったおまえは、わらしべ長者にヒントを得て、物々交換で少しずつ上昇していく。この辺り、島田は掲載紙を慮ったのだろう。偽ロレックスをゲットした時点で振り出しに戻る。

 死出の旅という意識はなかったが、おまえはなけなしの金をはたき、富士河口湖行きのバスに乗り、青木ケ原の樹海に吸い込まれた。迷子になった時、三島と出会う。55歳の三島は多忙な弁護士で、人生に倦んではいるが、死ぬ理由はない。人知を超えた〝引き寄せの法則〟を実感したおまえは、住み込み助手として三島の下で働くことになる。

 三島はニッチ弁護士で、仲裁に入って示談を成立させる専門家だ。仕事の内容は私立探偵に近い。おまえと三島には、仕事上のよき相棒というだけでなく、父子の情が芽生えてきた。幼い頃に亡くした父は三島と同い年だった。

 2人の新しい事案は、美人女子大生ストーカー事件だ。清楚な絵美里を執拗に追い回す伊東は匿名性に紛れていたが、おまえは機動性を発揮して、その正体を余すところなく暴き出す。解決後、「ミイラ取りがミイラになる」の諺通りにストーリーは展開する。三島が絵美里に恋をしたからだ。

 三島は島田の分身なのか、本作には老いへの考察がちりばめられている。俺も年齢が近いから、共感を覚える部分も多々あった。振り返ると若い頃の恋は欲望と分かち難く混ざり合っており、自信を持って「俺は純粋だった」なんて言えない。ルースターズの「恋をしようよ」の歌詞、<俺はただおまえとやりたいだけ>が真理を言い当てている。

 俺ぐらいの年(58歳)になると欲望は衰えるが、恋するという気持ちだけは維持している。老人施設での恋愛沙汰が頻繁に報じられているが、ケアハウスで暮らす母によれば、老カップルは幾組も成立しているという。三島は欲望の残り火を、絵美里で満たそうと試みる。協力者はもちろんおまえだが、想定外の事態が起きる。

 かつて三島と先輩弁護士に起きたことが、因果応報というべきか、立ち位置を変えて再現される。絵美里の存在感に、島田の観察眼が窺える。若い女性特有の感情や思考が詳らかにされ、絵美里ほど美人でなくても、「こんな人、いたな」と3人の女性の顔が浮かんだ。年齢を問わず、男が女性に抱く幻想の本質も描かれている。

 本作が行き着いたのは、常識を逸脱した<新しい家族の形>だ。おまえも三島も、そして絵美里も了解した上で大団円のはずが……。成就したかどうかは伏せておこう。映画化を期待している。
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「きっと、星のせいじゃない。」~永遠と一瞬、生と死の連なり

2015-03-16 23:19:36 | 映画、ドラマ
 小説に親しんだこともあり、迷い惑うが性になった。そんな俺は、世に蔓延する二進法的発想に辟易しているが、癒やされるのが落語だ。お調子者、怠け者、ひねくれ者など、親近感を覚えるキャラが次々に登場する。先週末は「白鳥&白酒 ホワイトデー」(かめありリリオホール)に足を運んだ。三遊亭白鳥と桃月庵白酒のコラボである。

 白酒が鈴本演芸場の夜の部でトリを務めることもあり、白鳥「山奥寿司」⇒白酒「禁酒番屋」⇒白酒「喧嘩長屋」⇒白鳥「隅田川母娘」と変則的に進行した。創作落語の白鳥は、ラディカルなアウトサイダーというべきか。「隅田川母娘」の主人公は愛子内親王で、雅子妃も登場する。本人いわく〝母娘の応援団〟で、2人をバッシングする週刊誌を揶揄していた。

 一方の白酒はテンポ、間、表情に滑舌と、全ての点でハイレベルの古典正統派だ。白鳥ほどではないが毒もたっぷりで、当意即妙のアドリブは柳家三三と双璧か。手練れが競演するホール落語は気合がバチバチ弾けている。次回の「白鳥・三三 両極端の会」(4月30日、紀伊國屋ホール)が楽しみだ。

 新宿武蔵野館で先日、米映画「きっと、星のせいじゃない。」(14年、ジョシュ・ブーン監督)を見た。インディアナアポリスを舞台に、17歳の少女ヘイゼル(シャイリーン・ウッドリー)と18歳の少年オーガスタス(アーセル・エルゴート)が紡ぐ魂を揺さぶるラブストーリーだ。いずれ観賞される方も多いと思うので、ストーリーの紹介は最低限にとどめたい。

 本作の生命線は、インディーズっぽい手触りとテンポの良さだ。淡色のキャンバスに、シャイリーンとアーセルが自然体で煌めいている。ジェイグ・バグ、エド・シーランら若手による楽曲が切実な思いを際立たせていた。ユーモア、ペーソスに溢れる物語に、脳内スピーカーからはヴァンパイア・ウイークエンドやフォスター・ザ・ピープルが流れていた。

 生と死、そして永遠と一瞬……。アンビバレントな対語は、本作では無限に広がる環の中で繋がっている。ヘイゼルは甲状腺がんが肺に転移し、酸素吸入器入りバッグを手放せない。オーガスタスは骨肉腫で片足を失い、他の部位への転移が危ぶまれている。若年性がんに侵された2人は患者が集うセラピーで出会い、恋に落ちた。オーガスタスの親友アイザックは眼を侵され、失明の危機にある。どん底にありながら勇気を忘れない3人の友情が軸になっている。

 ヘイゼルのモットーは痛みと苦しみを直視することだが、若さゆえ、がんは猛スピードで3人の肉体を蝕んでいく。遠からず日本でも、若年性がんが社会問題になるだろう。WHO(世界保健機関)の予測をメディアは黙殺したが、原発事故による若年性がんの発症例が報告されている。体内被曝と向き合うことが反原発のスタートラインであり、ゴールといえる。その点を語らない者は反原発派といえない。

 閑話休題……。本作のキーワードはオランダだ。ヘイゼルはオランザ在住の作家、ヴァン・ホーテン(ウイレム・デフォー)に心酔しており、曖昧に終わった作品の結末に思いを馳せている。一方のオーガスタスはオランダ出身のリック・スミッツ(元インディアナ・ペイサーズ)のウエアを着ていた。そんな伏線もあり、ヘイゼルと母、オーガスタスのアムステルダム旅行が実現した。若い2人にとってささやかな新婚旅行で、「アンネ・フランクの家」でのキスシーンは、映画史上の残るハイライトといえるだろう。

 オランダでは決裂したホーテンとのやりとりも、後のシーンで効いてくる。ホーテンは恋人たちに、永遠と一瞬について考えるヒントを示したのだ。死を前提にした恋の清々しさに心を洗われ、自分の過去の恋愛(殆ど片思い)を振り返る。修正液で塗り潰したくなったが、それも俺の財産なのだろう。真摯に一瞬を生きることこそ人生の価値……。そんな真理に気付いたのは、死が射程に入った最近のことだ。

 本作に感動した方には、テーマが重なる「永遠の僕たち」(11年)をお薦めしたい。アーセルの演技に同作のヘンリー・ホッパーの影響を感じるのは俺だけだろうか。

 次稿では、島田雅彦の「往生際の悪い奴」について記したい。「きっと、星のせいじゃない。」と比べたらピュアではないが、愛の形を追求している。
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モグワイ at EXシアター六本木~音のカプセルに閉じ込められて

2015-03-13 13:05:45 | 音楽
 3・11から4年が過ぎた。あれこれ言葉を捻り出してみたが、常套句がちりばめられた自分の文章に辟易する。硬直化に嫌気が差して消去した。閉塞状況に悲憤慷慨したって何も始まらない。「拠点を踏まえ地道に行動することが肝要」と言いつつ、映画、読書、音楽、落語と遊びを優先してしまうのは文化系ゆえか。

 「ロッキン・オン」最新号にキュアーのロバート・スミスのロングインタビューが掲載されている。興味深かったのは、イアン・カーティス(ジョイ・ディヴィジョン)とカート・コバーン(ニルヴァーナ)の自殺についての発言だった。イアンの死に直面し、<彼以外、もちろん自身も含め、みんな詐欺師のように思えた>(要旨)と語っていた。

 どこまでがリアルで、どこからがフェイクなのか……。真摯なロバートは悩み続けた。カートの訃報に、<どうして余分な一歩を踏み出してしまったのか>と感じ、自分も他のロッカーたちのようにフェイクなのか、いや、同じぐらい駄目だけど、肯定すべき点もあるのではと自問自答したという。葛藤を曝け出すロバートに誠実さを感じた。

 ミューズの新作「ドローンズ」(6月リリース)から、「サイコ」のPVが公式サイトでアップされた。攻撃的でソリッドな曲調、演奏スタイル、衣装(戦闘員スタイル)は、マニック・ストリート・プリーチャーズの初期を彷彿させる。ラディカルさを前面に金融資本主義を批判するミューズだが、欧州ではスタジアムツアー、アメリカではアリーナツアーを展開する。どこまでがリアルで、どこからがフェイクなのだろう。

 前日の反原発集会と打って変わって、俺(アラカン)が年長者ベストテンに入るイベントに足を運んだ。モグワイの東京公演(9日)である。客層は20~30代が中心で、普通の感じの人が多かった。モグワイはグラスゴー出身で、「スコットランドの恥」という曲がある。インスツルメンタルなので主張はわからないが、昨年の国民投票に際し、独立賛成派を支援するコンサートに出演していた。

 ロックファンに復帰し、トレンドを再度追いかけ始めた09年暮れ、絶対見ると決めていたバンドがあった。フレーミング・リップスとシガー・ロス、そしてモグワイである。俺の中での共通点は読書の供であること。とりわけモグワイの芯に染み込む音は文学にピッタリで、相乗効果で世界が広がっていく感じがする。

 サービス精神旺盛のウェイン・コインが祝祭的なムードを醸し出すフレーミング・リップス、狂おしいヨンシーのパフォーマンスが求心力になっているシガー・ロスを堪能した。残った宿題というべきモグワイをクリアするはずがライブの冒頭、「失敗した」と独りごちた。会場(EXシアター六本木)はスタンディングに不向きで、後方からはメンバーの動きが殆ど見えなかった。

 予習したCDから満遍なく選曲されていたが、モグワイは一曲ずつ聴くのではなく、音の連なりに耽溺するバンドだ。ダウナーでメランコリック、そしてちょっぴりメロディアス……。そんなCDからの先入観は薄まり、ビートの雨に叩かれ痺れ、音のカプセルに閉じ込められた2時間弱だった。

 ライブの基本は<見る>+<聴く>で、<見る>抜きではバンドの空気と力学を理解することは出来ない。グラストンベリー'11の映像で復習したが、メンバーは淡々とストイックに演奏していた。とはいえ、屋外の大会場とライブハウスでは印象が異なる。開放感とダイナミズムに溢れた音、映像、照明、スモークのアンサンブルだった。

 モグワイは奥深くに錨を下ろし、底へと沈めていく重力を秘めている。横ではなく縦の座標に聴く者を導くバンドなのだ。ライブ終了後、感想を述べ合う会話が聞こえてくるのが普通だが、俺と同じく反芻している人が多かったのか、出口に向かう階段は静まり返っていた。

 驟雨の中、帰路に就いたが靄は晴れない。今回は次回への予習だったのだ。スマッシュはフジロックにもぜひ呼んでほしい。土曜限定だが、苗場でモグワイの全身を五感すべてで体感したい。
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若返りの道筋は?~反原発集会で考えたこと

2015-03-09 23:34:57 | 社会、政治
 昨日(8日)、「NO NUKES DAY 反原発★統一行動~福島を忘れるな!再稼働を許すな~」に足を運んだ。日比谷野音を起点に、デモと国会包囲というスケジュールで、寒空の下、延べ2万人以上(主催者発表)が集った。野音は札止めになり、場外に人が溢れていた。

 3・11直後、小出裕章、広瀬隆、広河隆一氏は満員札止めになった講演会の冒頭、原発を止められなかった非力を詫びる。その謙虚な姿勢に聴衆は共感した。あれから4年、福島は切り離され、原発事故は風化しつつあるのではないか……。俺はそんな危惧を抱いていたが、杞憂に終わった。

 集会には福島だけでなく、川内、高浜原発の地元からも多くの人が駆け付けていた。反原発だけでなく、辺野古移設反対、護憲、秘密保護法反対、反差別、福祉と年金、反貧困と様々なテーマの幟がなびいていた。それぞれの拠点で地道に活動する参加書の共通認識は、〝安倍政権の暴走に歯止めを掛けたい〟だ。

 俺はシュプレヒコールを唱和するのが苦手だ。脳内回路が十進法ゆえ、「安倍政権は原発再稼働と輸出をやめろ!」の完全に正しい言葉にさえ、道順を考えるうちに迷ってしまう。沖縄では知事選、衆院選、自治体選挙で、県民は辺野古移設反対の民意を示した。それでも、安倍政権は方針を変えない。民意とは、民意を超える意思(=アメリカの意向?)を打破するには何が必要なのか……。行進しながら俺の思考は堂々巡りしていた。

 国会前の集会はパスした。菅直人、志位和夫、福島みずほ議員が登壇者に含まれていたことも理由である。3・11直後の菅首相の拙い対応は、物忘れが酷い俺でさえ覚えている。枝野官房長官は「(放射能汚染は)ただちに人体に影響はない」を繰り返して失笑を買ったが、民主党政権は隠蔽に終始した。汚染水流出について、広瀬氏や上杉隆氏は11年4月の段階で「日本は海洋テロ国家になった」と警鐘を鳴らしていた。

 志位氏と福島氏が国会前で「野田政権を倒すぞ」と拳を振り上げるのを見て、「こりゃ駄目だ」と感じたことはブログで記した通りだ。野田政権を倒した後に来るものを、彼らは見逃していた。昨日はどうせ、「安倍政権を倒すぞ」とシュプレヒコールしたに違いない。

 <原発再稼働と輸出なんて、倫理と良心に照らしてあり得ない>が国民の大多数の思いだが、永田町の地図は歪んでいる。この国に政治のプロは存在しないからだ。彼らの無策を証明し、克服したのが、昨年のオール沖縄といっていい。意志があれば、道は必ず通じる。

 俺の拠点は緑の党で、日本の構造を根底から変えるべく活動している。接着剤、緩衝材として宇都宮健児、山本太郎、三宅洋平の各氏、様々なグループと連携を取りつつ、統一地方選での系列議員倍増を目指している。オールドルーキーの役割はポスティングとビラまきだ。方向音痴だからポスティングは向いていないが、ビラまきは人間観察にもなるから楽しい。

 昨日も野音入り口でビラをまいた。「なるべく若い人に」と言われたが、残念なことに若者の姿は殆ど見当たらない。昨年参加した<イスラエルによるガザ虐殺への抗議>、<ヘイトスピーチの鎮静化を訴える東京大行進>では、若者が思い思いに声を上げていた。なぜ反原発集会は若返らないのか、継続的に考えていきたい。

 帰宅して、集会がどう報じられているかネットでチェックしていると、<橋本8段、NHK杯準決勝で2歩の反則負け>のニュースが飛び込んできた。結果を知った上で対局を見たが、その瞬間、対局者の行方8段は沈痛な表情を浮かべた。〝戦友〟というべき橋本を慮ったのだろう。行方の姿に、日本文化の精華を見た。
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あなたの拠点とは~「圧殺の海」が問うもの

2015-03-07 14:15:45 | 映画、ドラマ
 品性下劣ゆえ他人を批判する資格はないが、下村文科相の国会答弁に憤りを覚えた。節度に欠けるこの程度の人物が道徳教育を推進しているなんて、ブラックジョークではないか。文科相が居直る一方で、路チューの中川農水政務官は更迭の方向という。同世代のおばちゃんに拍手したい気持ちだったが、門衆院議員とは愛情だけでなく、利権繋がりも指摘されている。

 3・11から4年、日本は最悪の状況にある。震災と原発事故は不幸な出来事だったが、再生の大きなチャンスでもあった。芽吹き胎動した何かはたちまち萎み、閉塞の雲が厚みを増した。かつて社会に根付いていた情、思いやり、矜持は錆びてしまった。

 辺野古移設反対を訴える沖縄県民の闘いを描いた「圧殺の海」(15年、藤本幸久・影山あさ子共同監督)に微かな希望を見いだした。自らの拠点で体を張ってプライドを守る気高い意志が、スクリーンから伝わってくる。

 同じくポレポレ東中野で一昨年8月、米軍ヘリパット建設反対運動を追った「標的の村」を観賞した。両作は目線を共有しているが、カメラアングルの違いが印象を変える。ズームが軸の「標的の村」には和みを感じる場面もあったが、アップを多用する「圧殺の海」はボクシングに例えるならインファイトで、ヒリヒリする切迫感に満ちていた。

 前半はキャンプ・シュワブのゲート前が主戦場で、埋め立て工事用の機材搬入を阻止するための座り込みを追う。後半は海が舞台で、抗議のカヌー隊の奮闘が描かれていた。対峙するのは防衛局、警察・機動隊、海上保安庁だが、戦争反対、自然保護を説く反対派の熱さと比べ、向き合う者たちの表情は醒め目ていた。目に見える敵は若者が多く、被写体であることを意識して言葉遣いは丁寧だ。慇懃無礼な壁は不気味だが、真の敵は安倍政権であり、沖縄の闘いを黙殺するメディアであることは言うまでもない。

 辺野古の海の美しい自然が、インターミッションで映し出される。巨大なブロックが世界遺産に相応しい珊瑚礁を傷つける様子を、「報道ステーション」は繰り返しオンエアしていた。「美しい国日本」を掲げた安倍首相の本音は、「醜い属国ニッポン」だったのだろう。辺野古埋め立て、原発再稼働だけでなく、TPP参加と格差拡大で、日本の景色を根本から変えようとしている。

 本作のハイライトは知事選での翁長氏勝利だ。地道な日々の活動が県民の支持を得たことが勝因だったが、辺野古を巡る情勢に変化はなかった。衆院選でも全4選挙区で移設反対派が議席を得たが、非情な安倍政権は上京した翁長知事を門前払いにする。首相と気脈を通じる歴史修正主義者は、沖縄戦での集団自決は軍が主導したという記述を教科書から一掃しようと試みた。沖縄とは、沖縄との連帯とは、そして戦争とは……、本作は様々なテーマを問い掛けてくる。

 沖縄との連帯とは、自らの拠点で闘うことだ。リストラや馘首反対、年金や福祉、待機児童や高齢者介護、護憲、反差別、反原発、反貧困etc……。それぞれのテーマは底で繋がっている。俺は昨年、イスラエルによるパレスチナ虐殺に抗議するアクションに、何度か足を運んだ。パレスチナの問題が集団的自衛権と連なっていることをアプリオリに理解した人々が集まっていた。

 <格差と貧困が社会不安(差別と排外主義)を胚胎する>という俺の持論を補強してくれたのがピケティだった。<反貧困―反差別―反戦>をセットで捉えるのが、リベラルや左派の共通認識になりつつある。「おまえの拠点は?」と問われると困ってしまうが、日本の政治構造を地方から変えていくという壮大なプラン実現に向けて、微力ながら寄与したいと考えている。

 キャンプ・シュワブ前で、老婆が対峙する壁に戦争体験を語り、「あんたも戦争に加担してるのよ」と詰め寄る。58歳の俺に言葉はリアルに響くが、若い世代はどのように受け止めたのだろう。本作が映し出した衝突は、20世紀の戦争像に重なる部分もあるが、現在はゲームに近い感覚かもしれない。

 前々稿で紹介した「半島を出よ」で、<北朝鮮の艦隊(総員12万人)など、自衛隊なら瞬殺できる>という下りがあった。若者を戦場に送るというと、その手が血に染まるというイメージがあるが、実際はどうか。ボタン一つで、罪の意識もなく大量殺戮が可能という<21世紀型>を踏まえた上で戦争を語る時機が訪れた。自衛隊は日本の得意分野であるITをフル活用した軍隊だという。

 辺野古の動きを伝えるメディアは少ないが、沖縄の地方紙を購入している天皇は、事実を把握しているはずだ。政権と真逆に、護憲、反戦への思いを意識的に発信する皇室は、今やリベラルの旗印になっている。本籍アメリカの安倍首相は迷惑と感じているはずだ。
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「将棋界の一番長い日」~A級順位戦最終局を堪能する

2015-03-04 00:23:19 | カルチャー
 イスラム国の指導者アルバグダディがイラク・シリア連合軍による空爆で重傷を負った。イラクの通信社、ドイツ諜報機関、仏紙ル・モンドによれば、アルバグダディはイスラエルで治療を受けているという。一部で囁かれていたイスラエル―イスラム国間の地下水道は、果たして存在するのだろうか。

 米経済誌「フォーブス」が2015年度の世界長者番付を発表した。日本人1位は柳井正ユニクロ会長で、資産総額は2兆4000億円を超える。柳井氏といえば世界同一賃金を打ち出し、朝日新聞のインタビュー(13年4月)に以下のように答えていた。

 <将来は年収1億円か100万円に分かれ、中間層が減っていく。仕事を通じて付加価値がつけられないと、低賃金で働く途上国の人の賃金にフラット化するので、年収100万円にシフトするのは仕方ない>……。自身の膨大な富、裁判でブラック企業と認定されたユニクロ、そして竹中平蔵氏らと歩調を合わせた-「年収100万円時代」提唱……。のっぺりとした柳井氏の顔の裏側に、舌なめずりする獣の貪欲さを見ているのは俺だけだろうか。

 柳井&竹中VSピケティ&富岡……。誰かこのトークライブを企画しないだろうか。富岡中大名誉教授は「税金を払わない巨大企業」の著者で、格差社会に抉るピケティをいち早く紹介していた。良心、倫理、矜持を失くした拝金教徒が、哲学を語る経済学徒に粉砕されるシーンを見てみたい。

 さて、本題……。囲碁将棋チャンネル(スカパー!)で、「将棋界の一番長い日~A級順位戦最終局」(1日)を堪能した。B1への降級者は阿久津8段、三浦9段に決まったが、羽生名人への挑戦権は6勝3敗で並んだ行方8段、渡辺2冠、久保9段、広瀬8段の4人で争われる。

 俺は「スポーツ観戦の感覚で将棋を見ている」と記してきた。変わった観戦法だと思っていたが、仕事先の夕刊紙のインタビュー記事で先日、似たような人を発見した。土屋直也氏(ソクラ代表)は大のラグビーファンで、「囲碁と格闘技が一緒になったようなもの」と話していた。ソクラはネット上で注目度が高い記事やブログを集約するキュレーションサイトを運営しているが、弱小ブロガーの俺には無縁の世界だ。

 俺にとって将棋とは、<ボクシング+アメリカンフットボール>だ。プロ棋士は表面上、礼を尽くしているが、非情なパンチを相手に浴びせ続ける。拮抗していても、終盤になると「勝ち将棋、鬼の如し」の局面が現れ、指運といわれるように、時に偶然が左右することもアメフトに似ている。負けたら自分が否定されたような感覚に陥るから、指さない方が精神衛生上いい。

 各対局について簡単な感想を。終局は深夜に及ぶので、翌日(月曜)の仕事を考えて、結果を知った上で〝復習〟した局も多かった。渡辺が久保を69手で破った対局以外、形勢は二転三転したようである。渡辺でさえ指し切りになった可能性もあったと、羽生が解説していた。3連敗からの6連勝でプレーオフに臨む渡辺が、勢いのまま挑戦権を獲得するとみている。実現すれば、ファン待望の頂上決戦になる。

 最も注目を浴びたのが、挑戦を目指す行方と、降級の危機にあった森内9段の対局だった。森内は1年前、名人と竜王を保持し頂点に君臨していた。ところが名人戦で羽生に4連敗、竜王戦で糸谷に1勝4敗と続けて失冠し、順位戦も3勝5敗と剣ケ峰に立たされていたが、何とかしのぎ切る。NHK杯準決勝に続き本局と、奥が深い指し手に復調の兆しが窺える。

 初のA級で健闘した広瀬は、在位14年の三浦を破りプレーオフ戦線に残った。広瀬は昇級を決めた佐藤天8段、糸谷竜王とともに、次代の棋界を担っていくだろう。残念だったのは郷田9段に敗れ、9戦全敗で降級した阿久津8段だ。来期のB1では、俺が応援している山崎8段(今期3位)とともに、A級を目指してほしい。

 革新的な序中盤で異彩を放つ佐藤康9段は、危なそうな玉形でハラハラさせてくれたが、終盤入り口で優勢になったと分析する棋士もいた。相手が悪かったというべきか、不利になってから力を発揮するのが根性の深浦9段だ。終局2時9分、233手とくれば、勝者は深浦ということになる。

 アラカンになると、時は瞬く間に過ぎる。俺にとってA級最終局も、時間を計るイベントの一つだ。来年も大過なく、この時季を迎えられたらいいのだけど……。
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