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酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

スプリンターズS&雑感あれこれ

2007-09-29 00:11:19 | 戯れ言
 秋GⅠシリーズが開幕する。怠けブロガーの俺にとって、ネタ探しに困らぬ時期だが、第1弾スプリンターズSには全く気合が入らない。
 <理由その1>…もともと短距離レースが苦手
 <理由その2>…秘かに狙っていたトウショウカレッジがはじかれた
 <理由その3>…インフルエンザの影響で各馬の調整状況がつかめない

 消去法で残った⑥サンアディユ、⑩コイウタ、⑯キングストレイルの3頭の馬連BOX、3連単BOXで小さく勝負する。

 ここ数日、大きなニュースが相次いだ。感じたことを以下に記したい。まずはビルマから。当ブログでは軍事政権以降のミャンマーを用いないことにする。

 身を賭して真実に迫った長井健司氏に哀悼の意を表したい。治安部隊は斃れた長井氏を一顧だにせず、民衆を威嚇していた。仏教国ビルマで寺院が壊され、僧侶たちが続々拘束されている。良心と慈悲に目覚めた兵士が反乱を起こし、民衆の側に立つことを願うしかない。

 ビルマの後ろ盾は天然ガス狙いの中国だが、日本の罪も軽くない。軍事政権をいち早く承認し、03年まで援助を続けてきたからだ。ビルマはアジア最貧国の一つだが、ケシの生産量はアフガニスタンに次ぐ。長井さんを狙い撃った銃が米国製なのか中国製なのか定かではないが、麻薬と武器売買をめぐる闇に光を当てない限り、真の解決には至らない。

 鳩山邦夫法相は前内閣総辞職後の会見で、法相の承認抜きの死刑自動執行を提案し、「乱数表でも用いて」と口を滑らせた。再任後はトーンダウンしたが、「鳩山氏は法相どころか人間の資格もない」と非難した亀井静香氏の言葉は的を射ている。高支持率でスタートした福田内閣だが、鳩山発言が臨時国会の火種になりそうな雲行きだ。

 相撲には関心のない俺でさえ、時太山(斎藤俊さん)が集団暴行によって亡くなった事件に衝撃を受けた。相撲界は日本を映す鏡であり、社会の矛盾や歪みが凝縮した形で現れてくる。幕内力士(41人)の内訳(外国出身=13人、学士=15人、トップクラスの高校生=6人、叩き上げ=7人)からも、部屋の役割が育成からスカウティングに移行したことは明らかだ。軍隊式の温床である部屋にどっぷり浸かり、既得権益にまみれた親方衆に、抜本的な解決は望めないだろう。

 最後に明るい話。パッカーズのQBブレット・ファーヴが、ダン・マリーノ(元ドルフィンズ)のTDパス記録(420)に並んだ。ファーヴはここ数年、精彩を欠いていたが、今季のプレーに復調の兆しを感じる。チームも開幕3連勝と上々の滑り出しで、2週続く地区内対決を五分で乗り越えれば、プレーオフ進出の可能性も大きくなる。限界と闘う37歳の鉄人に声援を送りたい。


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「わたしたちが孤児だったころ」~抑制されたエンターテインメント

2007-09-26 02:36:19 | 読書
 カズオ・イシグロは1954年に長崎で生まれ、5歳時に一家で渡英する。その作風は、映画に例えるなら小津安二郎で、読み進むにつれ懐かしい湿感が心に染み込んでくる。

 最新作「わたしを離さないで」については、別稿(3月8日)で触れた。今回は前作の「わたしたちが孤児だったころ」の感想を記したい。デビュー作「女たちの遠い夏」、第2作「浮世の画家」はともに、ルーツ(日本)に遡及した作品だったが、本作にも和糸がくっきり織り込まれている。

 クリストファーは親友アキラとともに、上海租界で少年期を過ごした。ロンドンで探偵として名声を得たクリストファーは、自らが孤児になった経緯を探るため、魔都上海に帰って来た。アヘンと英国企業との関わり、国民党と共産党とのせめぎあい、腐敗した警察、独自の権力を持つ軍閥……。両親の失踪は当時の社会状況と無縁ではなかった。

 クリストファーが両親、アキラとの掛け替えのない絆を追い求める過程で、ロマンス、銃撃戦の中の彷徨と胸躍る展開も用意されているが、ドラスティックには至らない。イシグロ作品の主人公は、宿命に縛られ、予定調和に従うのが決め事なのだ。カタルシスとは真逆の、かきむしりたくなるもどかしさと哀切が、読後に余韻として広がっていく。

 本作にはクリストファー、養女ジェニファー、サラと3人の孤児が登場する。孤児という言葉には、<世界と疎隔感を覚えている者>、<孤独に苛まれながら叫びを抑える者>、<価値観を他者と共有できないデラシネ>といった、複数の意味が込められている。越境者であるイシグロもまた、自らを<永遠の孤児>と規定しているのだろう。古川日出男氏は秀逸な解説を、「あなたは孤児になるために、この物語を読むんだよ」と結んでいた。

 イシグロ作品の主人公は、時系列から脱線したり、仄めかしと印象的なワンカットを交錯させたりと、手前勝手に記憶を出し入れしながらしながら物語を綴っていく。イシグロは<信頼できない語り手>という手法を駆使することで、純文学にミステリーの要素を加えているのだ。
 
 距離を置いて眺めているからこそ、自らにインプットされた日本人のDNAを知ることができるのだろう。イシグロ作品には祖国で死語になった美徳の数々――矜持、謙遜、恥の意識――が新鮮なまま息づいている。


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俗情の在り処と自民党総裁選

2007-09-23 01:43:07 | 社会、政治
 チェルシーのモウリーニョ監督が、マンチェスターUとの大一番を前に退団した。オーナーとの軋轢が理由という。ヒール的存在のモウリーニョだが、安倍首相と違って完全な「勝ち組」で、選手からもサポーターからも信望が厚かった。休養後はバルサとレアル以外の監督としてリーガ入りし、2強の壁をぶち壊してほしい。

 さて、本題。<安倍首相所信表明⇒電撃辞任⇒麻生後継確定的⇒福田氏優勢>の4日間の流れは最高の予告編だったが、本編(総裁選)に入るや退屈になる。姜尚中氏と森達也氏が「ピーストーク」(14日の稿)で危惧した「俗情との結託」の好例を、今回の政変が示してくれた。<俗情>を求めて右往左往する役者(議員)たちに失望を覚えるざるをえなかった。

 <隷米・反中韓ナショナリズム>が猛威を振るった頃、「NHK番組改変問題」が世間を賑わせていた。<俗情>に乗った安倍幹事長代理(当時)にメディアは腰が引けていたが、2年後に様相は一変する。駆け出し記者が首相を詰問する場面に、「反安倍」の俺でさえ苛々した。<俗情>に媚びるメディアが溺れる犬(安倍首相)を叩いていたのだ。

 <俗情>に見放された安倍首相だが、辞任会見が皮肉にも<俗情>を動かした。「後ろから刺された」発言(片山さつき議員)も相まって、安倍首相への同情の声が上がる。後継確実といわれた麻生氏が「悪者」に擬せられ、党員投票でも押され気味という。安倍首相が<テロ特措法との心中>を装ったことが、<俗情>に大いなる変化をもたらした。直近の世論調査で、インド洋での給油継続が反対を上回った。「優しい日本人」畏るべしである。

 <俗情>は「改革」の掛け声に極めて弱い。かつて小沢氏が掲げた「政治改革」の目的は、小選挙区制導入による保守2大政党制の確立だった。「小泉改革」とは即ち、アメリカの意を受けた海外資本の国内流入の地均しである。「改革」と大声で叫んだ瞬間、内実が問われなくなるのだから、猫も杓子も改革派を気取るのは当然の成り行きだろう。

 本日(23日)午後、自民党新総裁が決まる。タカ派の安倍氏を支持した議員たちが福田氏に雪崩を打ったのも奇異だし、参院選敗北の「戦犯」というべき小泉前首相を推す声が上がったことも理解に苦しむ。国会とは洞ケ峠で<俗情>を窺う日和見主義者の巣窟なのだろう。

 現実の政治が大概<二進法>による選択である以上、骨の髄から<権主義者>の麻生氏より福田氏の方がましだが、大きな期待は寄せられない。俺は福田氏のようなタイプを多く知っている。含蓄に富み、隙がなく、道理を弁えているように見えるが、その実、芯も核もないタマネギのような御仁を……。

 宮沢⇒河野⇒橋本⇒小渕⇒森⇒小泉⇒安倍⇒福田……。90年以降の自民党総裁の名前にため息が出た。森氏以外、全員が世襲議員なのだ。北朝鮮はともかく、先進国ではありえない事態が日本で起きている、「打破するために民主党」と言いたいところだが、小沢代表と鳩山幹事長も2世議員である。封建主義は21世紀の日本で、再び黄金期を迎えたようだ。

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ブロンド・レッドヘッドが受け継ぐ4ADの遺伝子

2007-09-20 01:53:01 | 音楽
 進取の気性が衰えた俺にとって、夏フェス特集番組は貴重な情報源だ。ワイト島とフジロックのダイジェストも、別稿(8月13、27日)に記した通り発見は多かった。今回は「フェロモン」をキーワードに2組のアーティストを紹介したい。

 まずは若くして妖艶な、イギリスの歌姫エイミー・ワインハウスから。ハスキーボイスとメリーナ(WWE)を連想させる姿態に一目惚れした。2nd“Back To Black”はアメリカでもベストセラーになり、今もビルボードでトップ10を保っている(チャートイン26週目)。クールとソウルフルのアンビバレンツを併せ持ち、ルーツ音楽への郷愁に溢れた好アルバムだ。10代半ばで酒と男に溺れたエイミーは、自らの経験を赤裸々な歌詞に綴っている。

 ワイト島'07ではストーンズに請われ、同じステージに立った。「オルタモントの悲劇」当日(69年)、ミック・ジャガーはモニターに映るティナ・ターナーに舌なめずりしていた。エイミーはティナほど肉感的ではないが、ミックがもう少し若ければ猛アタックしたに違いない。

 フジロックのダイジェストで“The Dress”を演奏するブロンド・レッドヘッドに見入ってしまった。ボーカル&キーボードが京女のカズ・マキノ、ギターとドラムがイタリア人の双子兄弟と、国際色豊かなベースレスのトリオである。ソニック・ユースに見いだされ、レッチリのツアーに帯同するなど、ニューヨークのインディーシーンで評価を確立している。カズはセルジュ・ゲンズブール、ツインズはパゾリーニ監督をフェイバリットに挙げており、作品にもそれぞれへのオマージュが反映している。

 前作”Misery is a Butterfly”と新作“23”しか聴いていないが、ともに4ADからリリースされ、ニューウエーヴ色の濃いアルバムだ。コクトー・ツインズ、マイ・ブラッディ・バレンタイン、後期バンシーズに浸った人にお薦めのアルバムである。メロディアスでエキセントリックな音に、カズの儚げな声が被さり、官能の蒼い炎に焦がされるような感覚に包まれる。

 来日時のインタビューで、カズは「この国で人気がないのは、わたしが日本人のせいかしら? ほかの国のような状況になればいいのに」と、日本での知名度の低さを残念がっていた。フィーダーのタカ・ヒロセ、スマッシング・パンプキンズのジェームス・イハ(日系3世、現在は脱退)に対する関心も、国内で極めて低い。日本のロックファンはなぜか、<海外で活躍する日本人>に冷淡である。

 4ADは思い出深いレーベルで、コクトー・ツインズ、デッド・カン・ダンス、バウハウス、ラッシュ、モダン・イングリッシュ、ピクシーズと個性的なバンドを輩出している。俺の一押しはレーベルの総力を結集したプロジェクト、ディス・モータル・コイルの3部作だ。耽美的で退廃的な4ADのイメージが凝結され、万華鏡のようにカラフルな音空間を創り上げた。最良の遺伝子はブロンド・レッドヘッドにも受け継がれている。

 彼らの単独公演を心待ちにしているが、会場に入るには勇気が必要かもしれない。スノッブでお洒落な若者に囲まれるのは、薄汚れた中年男にとってある種の恐怖なのだから……。


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「フラガール」と「松子」~ジャパネスクの切ない薫り

2007-09-17 01:19:44 | 映画、ドラマ
 録画しておいた「フラガール」と「嫌われ松子の一生」を続けて見た。ジャパネスクの切ない薫りに、乾いた俺の心まで湿度100%に濡れそぼつ。

 「フラガール」は史実に基づいた作品だ。石炭産業の衰退で寂れた炭鉱町を救うため、ハワイアンセンター建設が計画される。家族との確執、価値観の衝突、悲しい別れや挫折を乗り越え、紀美子(蒼井優)らフラダンサーが成長していく。すべての者が夢の実現に心を一つにし、ラストでカタルシスの虹が懸かる。先生役の松雪泰子を筆頭に、俳優たちの熱演が光っていた。
 
 高校まで朝鮮学校で過ごした在日3世の李相日監督は、<日本人とは、朝鮮人とは>の答えを探し続けてきたはずだ。<日本的>の象徴とされる演歌のルーツが朝鮮半島にあるように、二つの民族の感性が近いことを、李監督は身をもって理解しているのだろう。「フラガール」は<日本的≒朝鮮的>メンタリティーの上に成立した作品といっていい。

 06年度のキネ旬ベストテンでは「フラガール」が1位、「嫌われ松子の一生」が6位だったが、俺は後者により心を揺さぶられた。

 「嫌われ松子の一生」は、松子(中谷美紀)の死からスタートする。甥に当たる笙(瑛太)は松子の人生と触れ合うことになった。笙の元を去った恋人の言葉、<人間の価値は何をしてもらったかではなく、人に何をしてあげたかだよね>が、本作のキーワードにもなっている。

 松子の人生は、回転しながら下降し、地面にめり込んだジェットコースターの如くである。「花影」(大岡昇平)や「西鶴一代女」(溝口健二監督)を彷彿させる暗くて重いストーリーは、近年のフランス映画風の映像&音楽のキッチュでポップなコラボレーションに乗り、猛スピードで進行する。

 松子は純粋に愛するがゆえ、傷つき孤独になる。引き篭もったアパートの壁に書き殴った「生れてすみません」は、自殺した恋人が遺した言葉だった。襤褸を纏い悪臭を撒き散らしながら聖性に近づく松子は、旧友との再会で社会の扉を叩いた。星降る夜、甦った教師時代の気持ちのまま、松子は少年たちに接した。悲痛ながらメルヘンチックなラストに、俺は「よだかの星」を思い出していた。

 父の歓心を買うためのひょっとこの表情、父が遺した日記、難病に伏す妹への思い、荒川河川敷に佇み浸る望郷の念……。家族をめぐる松子の夢と願いが、エンドタイトルに込められていた。

 松子は53歳で神になった。50歳の俺は生活面じゃ松子予備軍だが、不純な人間ゆえ、精神的な高みに到達できない。日本中探しても松子は見つからないだろうが、<背徳の彼方の純潔>という幻に、中谷美紀が息吹を与えてくれた。入魂の演技に心から拍手を送りたい。


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「終わらない戦争の世紀」~<憎悪の連鎖>を断つ手段は

2007-09-14 00:57:29 | カルチャー
 先日(10日)、築地本願寺蓮華殿で営まれた「9・11七回忌法要」に参加した。主催者の平仏集は仏教徒の立場から、<平和・護憲・反戦>を掲げる宗派縦断的グループである。

 9・11当日だけでなく、<憎悪の連鎖>で亡くなったすべての犠牲者を追悼する……。この趣旨に基づき、浄土真宗各派、曹洞宗、日蓮宗、インドの小乗仏教系など宗派を超えた僧侶が合同で読経し、聴衆の多くが唱和していた。
 
 法要終了後、長身痩躯を濃いスーツに包んだ姜尚中氏、穴あきジーンズにシャツを羽織った森達也氏と、対照的な装いの二人が登壇し、「終わらない戦争の世紀」と題されたピーストークが始まった。

 姜氏は冒頭、日本をイラク戦争に加担させた政治家や学者が責任を取らず居座っていることに、強い憤りを表明した。「神聖喜劇」(大西巨人著)のテーマである「記憶と記録」を切り口に、<俗情との結託>が蔓延し、<記憶の改竄>が進行する日本の現状に警鐘を鳴らした。

 森氏は姜氏の発言を受け、<普通の人>を非人道的行為に導く「正義」の危うさを指摘した。森氏は「A」と「A2」でオウム信者を<普通の人>として描き、波紋を広げた。その経験を基に、<敵の設定⇒支配構造強化>という<セキュリティー戦争>が顕在化していると語った。

 <俗情との結託>と<セキュリティー戦争>をキーワードに、両者は拉致問題と光市母子殺害事件の裁判を俎上に載せた。姜氏は<北朝鮮=悪>の図式が、日本の侵略史を捨象しつつ確立したことに疑義を呈する。森氏は「治安悪化報道」を具体的数字で否定し、<セキュリティー戦争>に煽られるメディアの脆弱さを指摘した。

 それぞれ事例を挙げ、日本人の<思考停止>を危惧していた。姜氏はテレビを見て愕然とした。飛び込み自殺による電車の遅延に、サラリーマンが「何でこんな時に」と吐き捨てたのを目の当たりにし、他者の痛みを慮る想像力が失われていることを実感したという。森氏は「NO」と言わない日本人を憂いていた。先日開催されたAPEC(シドニー)では、万単位のデモ隊が会場を包んだ。翻って東京では、先進国で唯一、重要な政治課題について抗議の声が上がらない。この事態は極めて深刻と語っていた。

 姜氏は宗教の重要性を説いた上で、聴衆の中の僧侶たちを意識し、「次なる戦争の危機には、僧侶たちが現地に赴いて盾になるべき」(趣旨)と挑発的に発言して対談を締めくくった。森氏は今後起きうる戦争は侵略ではなく<セキュリティー戦争>であるとし、他国の「仮想敵」にならぬためにも、憲法9条を守るのではなく選び取るべきと主張した。

 姜氏は<一つの主義や思想に立脚して反対者を撃つ>というスタンスを否定する。複眼思考ゆえ歯切れが悪くなる部分を、自称「遅れてきた左翼」の森氏がズバッと踏み込む場面もあった。かねて親交もあり、互いの間合いを掴んだ二人の対談は、内容が濃く聞き応え十分だった。

 この一瞬にも、大国の銃弾が民衆を撃ち、絶望した<普通の人>が、暴力(テロ)を意思表示の唯一の手段に選んでいるかもしれない……。黙祷を捧げた最後の1分間、俺の脳裏に血なまぐさい光景が浮かんでいた。我々日本人も組み込まれている<憎悪の連鎖>を断つために、何かを始めなければならないと考えた。それがたとえ、個人的な意識の変革であったとしても……。

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政治という禁忌~ヒッチコック、オーウェル、そしてリョサ

2007-09-11 02:16:11 | カルチャー
 昨日(10日)、築地本願寺で「9・11七回忌法要」に参加した。イベントの意義、姜尚中氏と森達也氏のピーストークの内容など、詳細は次回に記したい。

 さて、本題。今回はヒッチコックをとばぐちに、政治と表現者のねじれた関係について記したい。

 スカパーで録画しておいた「ヒッチコック~天才監督の横顔」をようやく見た。生涯を丹念に追ったドキュメンタリーだが、作品にも色濃く反映している反共主義については素通りしていた。ヒッチコックが「裏窓」で伝えたかったのは監視の必要性である。ブラックユーモア仕立てで規制なき社会の堕落を描いたのが「ハリーの災難」だった。ヒッチコックは赤狩りの支持者だったのである。

 政治信条はブーメランになり、ヒッチコック当人に突き刺さる。オスカー獲得に届かなかったのは、リベラルの巣というべきハリウッドに疎んじられたからだろう。ヒッチコックの革新性を正当に評価したのは、政治的立場が異なるヌーヴェルバーグの監督たちだった。

 ヒッチコック以上に複雑な構造に置かれたのがジョージ・オーウェルだ。共和国軍義勇兵としてスペイン戦争に身を投じたオーウェルは、主導権を握るためアナキストやリベラルを見殺しにする共産党の体質に絶望する。英国に戻った後、ルポルタージュ「カタロニア讃歌」、東欧型管理社会を告発した「動物農場」と「1984」を相次いで発表した。

 60~70年代、オーウェルは高橋和巳、吉本隆明とともに<左翼養成講座>のアイテムになる。日本のラディカルにとり、最大の桎梏は日本共産党だった。民青の活動家を「スターリニスト」と罵るための理論武装に、「反共主義者」にカテゴライズされるオーウェルの著作が用いられた。皮肉な現象に、あの世で当人も苦笑したに違いない。

 前衛的な手法と壮大なドラマトゥルギーを駆使するバルガス・リョサは、俺が最も尊敬する作家の一人である。社会の闇を告発してきたリョサは、ペルー大統領選(90年)でフジモリ氏に敗れた。ブルジョワと既成の支配層に担がれての出馬で、内外に<転向>の印象を与えてしまった。リョサはマルケスとともに南米文学の最高峰だが、政治との関わりがマイナスに作用し、自らノーベル賞を遠ざけてしまう。

 表現者にとって政治は、偏見を生む火種であり、躓きの石や禁忌にもなりうる。上記の3人は、政治と芸術との噛み合わない関係性を、身をもって示してくれた。
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浮気男とスポーツ

2007-09-08 09:59:27 | スポーツ
 舛添厚労相のあれこれが週刊文春に書き立てられている。実に下らない。フランスでは、政治家のスキャンダルや人格の歪みは不問に付される。政治家は聖人君子と程遠く、問題にしたら全員アウトという認識の上に成立する不文律だ。日本のメディアもぜひ見習ってほしい。

 さて、本題。浮気性なら、俺も舛添氏に引けを取らない。サッカーオランダ代表への揺るぎない愛着は例外にして、スポーツでも心変わりの連続である。10代の頃は熱烈な巨人ファンで、虎狂の同級生と丁々発止を楽しんでいた。だが、上京するや巨人を捨て、広島⇒近鉄とひいきを変える。伝説の「10・19」(88年)を川崎球場で体験して、野球への情熱が失せた。「これ以上ないな」と感じたからである。

 代わって席を占めたのが欧州サッカーだ。90年前後、リーガとセリエAが衛星放送で視聴可能になり、オランダトライアングルが躍動したACミラン、クライフ指揮下のバルセロナに胸を焦がした。現在もリーガとプレミアを合わせ、週3~5試合を観戦している。

 リーガでは一貫してバルサを支持してきたが、急速にオランダ化したレアル・マドリードに心が揺れている。ファンニステルローイに加え、オランダの将来を担うスナイデル、ドレンテ、ロッペンが攻撃の要になった。バルサ(共和国)からレアル(フランコ反乱軍)への浮気なんてあってはならないことなのだが……。

 NFL開幕試合(日本時間7日)で、昨季王者コルツがセインツに圧勝した。コルツはサラリーキャップ(選手年俸総額の上限設定)で多くの主力選手が失い、セインツは積極的な補強で層が厚くなった。コルツ危うしの声もあったが、31点差は意外だった。

 アナリストは個々のポジションを徹底的に分析するが、俺は何年見ても進歩がなく、勘どころが掴めない。ヘッドコーチ(HC)の個性と戦術、QBの技術と判断力、人知を超えたツキの流れといった大雑把なところに注目し、今季もまた週5試合前後、観戦するつもりだ。

 選手を慮るHCとリスキーな攻撃を仕掛けるQBが好みである以上、今季もダンジーとマニングのコルツを応援する。他では攻撃的なチャージャーズ、ベンガルズ、パンサーズ、なかなかドアマットから這い上がれないライオンズ、カージナルス辺りか。鬼(パーセルズ)から仏(フィリップス)にHCが代わったカウボーイズにも注目している。選手は束縛から解放されて大歓迎だが、逆の目が出るような気がする。そういや、チャージャーズは何で首脳陣を一新したんだろう。新HCが貧乏神(ターナー)とは合点がいかない。

 予想すると縛られるので、自然体でシーズンに入り、浮気を幾つも重ねながらスーパーボウルに辿り着きたい。ちなみに、プロたちは「NFLの朝青龍」ランディ・モス(WR)を獲得したペイトリオッツを本命に推している。規律と奔放はマッチするのだろうか。

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「オリーブの樹の下で」~鮮度の高い革命との出会い

2007-09-05 02:13:45 | 音楽
 PANTAが新作を発表した。菊池琢己との新プロジェクト「響」の第1弾で、タイトルは「オリーブの樹の下で」である。

 本作はPANTAと重信房子さん(日本赤軍最高指導者)とのコラボレーションだ。重信さんはパレスチナ解放闘争に加わり、現在獄中にある。重信房子作詞-PANTA補作詞で両者の来し方を綴った曲、重信さんを支援するライラ・ハリッドさんに捧げた曲、長女メイさん(ジャーナリスト)が母への思いを歌った曲と、バラエティーに富んだ構成になっている。

 PANTAは間違いなく、世界で最も過激かつ知的なロッカーだ。「世界同時革命宣言」~「赤軍兵士の詩」~「銃を取れ」が収録された頭脳警察の1stアルバム(72年)は制作中に発禁になった(01年にCDとして再発)。頭脳警察休止後も「マラッカ」、「1980X」、「クリスタルナハト」など質の高い傑作群を発表している。

 両者の出会いは2年前だった。PANTAは重信さんの裁判を傍聴し続け、顔見知りになったメイさんの仲介で往復書簡が始まった。交流を形にしたのが本作である。今日に至る40年を縦軸、パレスチナと日本の絆を横軸に据えた座標軸に、PANTAと重信母娘はスケールの大きい虹を懸けた。

 重信さんとPANTAが活動を始めた60年代後半、革命はレアのステーキで、<我々は血の最後の一滴が枯れるまで、国家権力と闘うぞ>なんて勇ましいシュピレヒコールが響き渡っていた。二人は青春期の回想と現在の心情を、以下のように赤裸々に綴っている。

 ♪みんなどこへ行ったのか ボクは今も独りバリケードの中にいる 夢にはぐれ独り 独り(「来歴」)
 ♪あの時 告げるべきだったのは愛 マルクスでも哲学でもなく 君を愛していたこと(「独りぼっちの子守歌」)
 ♪これから どのように生きていきますか 傷跡を見せられるならば 又 未来を創れますね(「手紙」)
 ♪ドンキホーテの愛の歌は 息を弾ませ ドンキホーテの愛の歌は 君に届く熱い光線(「心の砦」)

 メイさんが房子さんへの思いを歌った「母への花束」も心に迫るが、クライマックスは女性革命家ライラ・ハリッドさんに捧げた「ライラのバラード」だ。エンディングのフレーズを紹介する。

 ♪戦火を逃れて 故郷を追われた 家も街も祖国も なにもかも奪われた あれから半世紀過ぎても 斗いの権利は捨てない わたしの物語 だけどそれはみんなの物語 パレスチナの 世界の友の物語

 ライラさんは重信さんの支持者に寄せたメッセージで、<彼女を裁くことは、抑圧された人々の連帯行為を裁くことであり、更に正義を、解放闘争の戦士を裁くこと>(概略)と記していた。

 俺が大学に入った頃(70年代後半)、革命は死語になっていた。革命をお題目にした家元(新左翼各派)は構内警察と化し、抗議の声さえ芽のうちに摘んでいた。社会に出れば、革命は酒の肴で、「俺たちは世の中を変えようとした」なんて御託を何度も聞かされる羽目になる。全共闘世代の変わり身の早さと自己正当化の巧みさに、あきれ果て、暗澹たる気分になった。本作を聴いて、初めて鮮度の高い革命に触れたことになる。

 俺はプラグマティストで、政治は漸進がベストと考えている。だが、「世界最大のテロ国家」アメリカと対峙するため、パレスチナで頻発する<愛とプライドに基づいたテロリズム>を否定できないでいる。

 「世界のヘソ」パレスチナが解放されるまで、どれほどの時間がかかり、いかほどの血が流されるのか……。考えているうち、無為な自分が悲しくなってきた。
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「それから」から100年~漱石の先見性に脱帽

2007-09-02 03:03:28 | 読書
 姫井由美子参院議員の不倫がメディアを賑わせている。与党にとって対岸の火事でないのは、政権中枢にスキャンダルの火種が燻っているからだ。政治家の下半身に徳を求めること自体、日本人の恋愛感が不自由である証拠だと思うのだが……。

 100年近く前、夏目漱石は<代助―三千代―平岡>の三角関係をテーマに「それから」を書き、恋愛の新たな形を提示した。先日、30年ぶりに再読したが、登場人物の心的風景を四季の移ろいと重ねて描写する筆力に、あらためて瞠目させられた。

 <現代の社会は孤立した人間の集合体に過ぎなかった>、<日本国中何所を見渡したって、輝いてる断面は一寸四方も無いじゃないか。悉く暗黒だ>、<今の日本には、神にも人にも信仰のない国柄であるという事を発見した>……。

 漱石は「元祖ニート」の代助の言葉に、社会との疎隔感を仮託していた。発表年(1909年)、日本はアジア侵略を糧に<一等国の鎧>を纏いつつあった。象徴的な出来事は、日清条約の成立と伊藤博文の暗殺である。

 漱石は翻訳されたばかりの「パンの略取」(クロポトキン)を読んでいたのか、「麺麭(パン)」という言葉が頻出する。大逆事件の1年前、幸徳秋水を追い回す警察について、「現代的滑稽の標本じゃないか」と平岡に語らしめている。ファナティックな愛国心に冷水を浴びせる個所もあった。漱石は1916年に死去したが(享年49歳)、生き永らえていたら弾圧され、断筆の憂き目を見たに違いない。

 <都会的生活を送る凡ての男女は、両性間の引力に於て、悉く随縁臨機に、測りがたき変化を受けつつある。(中略)渝らざる愛を、今の世に口にするものを偽善家の第一位に置いた>……。

 自由恋愛を奨励するかの如き漱石の恋愛観は、当時かなり斬新だったのではないか。

 三千代と相思相愛だった代助だが、社会との関わりを変える決意はなく、友人の平岡に譲る形になる。平岡は地方で出世の階段を踏み外し、3年後に東京に戻ってくる。その間、三千代は流産し、心臓を病んでいた。夫婦仲に亀裂が生じたことを知り、代助の気持ちが揺れ始める。
 
 折しも代助に、資産家の娘との縁談が持ち上がった。軋轢を恐れず三千代との愛に邁進するか、縁談を受け入れて<高等遊民>の座をキープするか……。三千代は愛の対象であると同時に、社会に組み込まれないためのブレーキ役でもあった。引き裂かれた代助は、<半径の違った円が、頭を二重に仕切っている様な心持>に襲われる。

 <麺麭に関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ>と言い切っていた代助だが、三千代に<自分をこの薄弱な生活から救い得る>可能性を見いだす。姜尚中氏は「知るを楽しむ」(教育テレビ、4回シリーズ)で、代助と三千代が織り成す心の綾を、「静かで乾いたエロス」と表現していた。

 「僕の存在には貴方が必要だ」と代助に告白された三千代は、「残酷だわ」とさめざめと泣く。数日後、<死ぬ積りで覚悟を極めているんですもの>、<漂泊でも好いわ。死ねと仰れば死ぬわ>と三千代の方が代助に決心を迫った。モラトリアム型の代助は、怯みつつ三千代の気持ちを受け入れる。二人のやりとりに、吉田拓郎の「舞姫」(歌詞=松本隆)を思い出した。

♪透き通る硝子の肌を 抱きしめてあたためたかった でもそれが愛なのか優しさなのかわからぬままに 
 「死にましょう」女の瞳の切っ先に 「死ねないよ」淋しさだけが押し黙る

 平岡の讒言もあり、勘当されて生活費を失った代助だが、もちろん死ねない。<個人の自由と情実を毫も斟酌してくれない器械のような社会>で職を探しつつ、「カチカチ山」のタヌキのように喘ぐ。秀逸なラストを以下に記す。

 <世の中が真っ赤になった。そうして、代助の頭を中心としてくるりくるりと燄の息を吹いて回転した。代助は自分の頭が焼け尽きるまで電車に乗って行こうと決心した>……。

 完成後、漱石は自殺の衝動に駆られたという。三千代のモデルについては大塚楠緒子(歌人、作家)、近所の人妻と諸説あるが、漱石にとって本作は、実らぬ愛を昇華させる装置だったのではないか。

 1909年は文学史上も興味深い年で、後に「夏目漱石論」を著した大岡昇平、太宰治、松本清張が生まれている。本作は朝日新聞に連載されたが、校正係だった石川啄木は、漱石の原稿とゲラを突き合わせたはずである。

 「それから」の続編「門」(未読)を時を置かず読むことにする。漱石の全作品読破が、<五十路の下層遊民>の目標なのだから。

 
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