酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

<安倍妖怪内閣>の今後は?

2007-08-30 00:34:43 | 社会、政治
 「美しい国づくりを再スタートさせるために本日、内閣改造を行いました」……。改造直後の安倍首相の第一声である。いまだ「戦後レジームからの脱却」に固執しているようだ。

 最新世論調査で内閣支持率は、読売44%、共同通信40%、朝日33%と上昇カーブを描いた。ご祝儀とはいえ、日本人の優しさが反映した数字といえるだろう。識者の声は厳しく、首相の真意が掴めぬ<妖怪内閣>という分析が大半を占めていた。

 与謝野氏と額賀氏を官房長官と財務相に据えたのは、経済政策転換のサインだろうか? 確執が伝えられた伊吹文科相と山谷えり子補佐官(教育再生担当)だけでなく、官邸を仕切れなかった的場官房副長官も、なぜか留任だった。党人事も謎だらけである。参院選惨敗の責めを負うべき石原氏(前幹事長代理)が政調会長に昇格とは……。外交方針で安倍首相と対極にある二階氏の総務会長就任も驚きだった。

 あれこれ書いても所詮は受け売りだが、個人的に最も注目していたのは農水相のポストだった。

 政府が計画している農業企業化が実行に移されたら、中小農家はたちまち淘汰される。アメリカに追随する自民党に対し、独仏をモデルに農家を保護し、食料自給率アップを目指すのが民主党だ。与党サイドはバラマキと攻撃するが、70%を超えていた自給率を40年で30%以上ダウンさせ、農業を疲弊させた自民党に、民主党を批判する資格はない。

 農業問題は食の安全、環境、エネルギーともリンクする。世界の人口の30%は餓死と背中合わせだが、トウモロコシ、小麦、大豆は彼らを素通りし、バイオエタノールの原料になる。これこそが、グローバルな格差の真実なのだ。

 中川(昭一)氏と武部氏は、WTO交渉が不調に終わるのを見越して農水相を固辞したという。遠藤氏は「これ(農水相)だけは勘弁してほしかった」と、貧乏クジを引いたことを広言していた。農業問題は日本の存亡に関わるはずなのに、これほど適当な閣僚人事でいいのだろうか。民主党に論戦を挑まれ、立ち往生する姿が目に浮かぶ。

 俺の義弟は公務員だが、仕事の合間に農業を営んでいる。「食いっぱぐれたら使ってくれ」と冗談っぽく話したら、「農業じゃ生活は成り立たない」と言われてガックリした。晩年は農夫になり、晴耕雨読の生活を目論んでいたが、実現しそうもない。寺男という代案も温めているが、親類の寺は使ってくれるだろうか。

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WOWOWでフジロック追体験

2007-08-27 01:19:37 | 音楽
 日帰りフジロックから1カ月……。夢のようなひとときが、今も鮮明に甦ってくる。入場するやグリーンステージ左の木陰にシートを敷き、不眠症で弱った体を横たえた。番の蜻蛉が顔の上を舞い、手足に小虫が這う。<自然との共生>の理念が隅々にまで行き渡り、心洗われる一日だった。

 先日(24日)WOWOWで、ダイジェストが9時間にわたり放映された。足を運んだ初日分は別稿(7月29日)と一部重複する。2、3日目は画面を通した感想だ。

 ベストアクトはやはりミューズだろう。「現代最強のライブバンド」、「フジロックで最高の瞬間」とクロスビート誌でも絶賛の嵐だった。機材到着が遅れてリハーサル抜き、途中でトラブル発生という厳しい状況下で、第1回のレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンに匹敵するパフォーマンスを見せ付けた。

 04年以降、十指に余る欧米主要フェスでヘッドライナー(トリ)を務めたミューズだが、日本ではいまだ準メーン扱いだ。「もう行かねえ」と過小評価にグレ、「第二のキュアー」(来日を渋る)になっても不思議はないが、如何せん、彼らは大の親日家なのだ。3月のツアーでも好物のお菓子の製造元、河合楽器の工場、東急ハンズを訪ね、夜は焼き肉に舌鼓を打ったという。インタビューの受け答えもまるで吉本の若手芸人で、シリアスが売りだった頃の面影はない。

 ベテラン勢の健在ぶりにも感動した。キュアーは俺にとって「苗場に降臨した神」だったが、オンエア分の選曲がイマイチで、神髄が十分に伝わってこなかった。ヨ・ラ・テンゴを見逃したのは残念至極だが、キュアーとバッティングしていた以上、致し方ない。

 還暦イギー・ポップは、観衆を次々にステージに上げるお約束で、元祖パンクの心意気を示していた。ハッピー・マンデーズの復活には驚いた。ショーン・ライダーが生きて動いてる。しかも丸々と太って……。彼らを発掘したトニー・ウィルソンは先日召されたが、「イエーツの再来」はどうやら薬漬けを克服したらしい。めでたしめでたしだ。

 新生フリクションの登場に身が軋んだ。彼らのライブは25年以上も前、友人に連れられ一度だけ見た。レックと中村達也の中年モンスターが弾き出すビートがぶっとい棘になり、ふやけた俺の心身にグサリと突き刺さった。

 最大の衝撃はブンブンサテライツの恐るべき進化だった。プライマル・スクリームのオープニングアクトでは、<内向>と<凝縮>のベクトルに圧倒されたが、5年後の今、彼らが生み出す解放感とグルーヴ感は世界標準を軽く超えている。ブランキー、ミッシェルガンに続く和製バンド3組目として、ブンブンをグリーンのトリに据えるべきだった。

 欧州全域で旋風を巻き起こすミーカは、鳴り物入りでのフジ参戦となった。ロック史上NO・1の美形シンガーで、声とアクションはロバート・プラントとフレディ・マーキュリーを彷彿とさせる。ノスタルジックなポップに、レバノン出身らしいエスニックな味をペーストし、シアトリカルなライブを展開していた。苦難の個人史を背負う23歳が、新世紀を代表するパフォーマーに登り詰める日が来るかもしれない。

 嬉しい発見その①はNYで活動するブロンド・レッドヘッドだ。日本人女性がキーボートとボーカル、イタリア人の双子の兄弟がギターとドラムという編成で、サイケで退廃的なサウンドを奏でていた。その②は「アコースティックなグレードフル・デッド」ってな感じのレイルロード・アースだ。あらゆるルーツ音楽をベースに、インプロビゼーションの要素が濃い。

 その③は湯川潮音の「癒やしの歌声」だ。聴き覚えがあったのは当然で、「リンダ・リンダ・リンダ」に出演していた。その④はジュノ・リアクターで、<音楽・文化・人種>の融合を目指しているという。狭義のロックが革新性を失いつつある現在、彼ら<前衛>こそ、次世代のポップの礎になるだろう。

 悲しい発見は、「自らの老い」だ。チック・チック・チック、レス・ザン・ジェイクらの爆発的な演奏に喝采を送りつつ、「ついていけないな」と心が呟いていた。だが、復活したレイジが来夏フジに降り立つのなら、体を鍛え、再び苗場に赴かねばならない。


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「見えざる手」は動いたか~佐賀北Vと競馬再開

2007-08-24 00:23:26 | スポーツ
 当ブログは中2日更新が基本だが、今回はネタもあり、中1日の緊急中継ぎ登板となった。佐賀北の全国制覇と中央競馬再開である。

 佐賀北は質実剛健に自由をブレンドした校風で、進学率も高い。練習も3時間限定で小柄な選手が多く、地区大会前の展望でも3~4番手の評価だった。普通のチームが炎天下の甲子園で73イニングを勝ち抜くなんて、奇跡としか言いようがない。この時期、高校生が大化けするのは斎藤佑樹が証明済みだ。同じことが佐賀北ナインに起きたのだろう。

 百崎監督は勝利インタビューで、「信じられません」「彼らはとっくに私の手を離れています」と繰り返した。正直な感想に相違ない。自らのエゴを満足させるために選手を駒扱いし、時に策に溺れる名門校の監督とは遠い存在だと思う。

 だが、ヒールになった広陵中井監督の試合後の弁にも、耳を傾けるべきではないか。8回裏、野村が井手に投じた5球目以外にも、判定ミスが幾つもあったと怒りのコメントを発している。

 <子どもたちは命を懸けてやっている。審判の権限が強すぎる。高野連は考えてほしい。これで辞めろといわれたら監督をやめる>(日刊スポーツ)……。ちなみに中井監督は、選手が不平を洩らす前に、自分が代弁したと語っている。

 高校野球は今春、特待生問題で大いに揺れた。プロ化して汚れた高校野球から、純粋なアマ精神に則った高校野球へ……。佐賀北がイメージ向上に貢献したことは間違いない。高野連も朝日新聞も、胸を撫で下ろしているだろう。果たして<見えざる手>は動いたのだろうか。

 馬インフルエンザに揺れたJRAは、早くも今週末、開催を再開する。競馬の穴埋めにリーガやプレミアを楽しむつもりだったから、拍子抜けの感が強い。馬の健康面を考慮した上で早期再開を主張した調教師も少なくなかった。門外漢の俺が是非を論じるのは難しい。

 馬主や調教師にとってこの時期、死活問題なのは<9月末に未勝利の3歳馬は中央から転出>というルールだ。長期休止になれば、レースがない(=賞金が稼げない)状態で預託料を払うことに馬主から異論が噴出する可能性もある。開催強行にタコ足状態の<見えざる手>が蠢いたことは間違いないようだ。

 いずれにせよ、目の前に出馬表があれば、普段通り賭け、普段通り負ける……。当たるのはそんな予想だけである。


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「野火」~戦場における狂気と正気

2007-08-22 00:13:35 | 映画、ドラマ
 「証言記録~マニラ市街戦」(NHK衛星第1)を見た。1945年2月、10万以上の市民の命が失われたマニラ攻防戦の真実に迫るドキュメンタリーである。証言で日本軍の常軌を逸した行為の数々が明かされていくが、一方の米軍もまた狂気に囚われ、市民の犠牲を顧みない非人道的な砲撃を繰り返していた。

 マニラ市街戦と同じ時期、日本軍はレイテ島で敗走を重ねていた。一兵卒として従軍していた大岡昇平は、「俘虜記」、「野火」、「レイテ戦記」で悲惨な戦闘の真実を抉り出す。今回は市川崑監督による映画「野火」(59年)について記したい。スカパーで四半世紀ぶりに同作を見て、船越英二(田村一等兵)の演技にあらためて衝撃を受けた。船越は極限まで減量し、田村の無垢な魂を表現していた。

 肺を病んだ田村は、隊にも病院にも居場所がなく、自決を覚悟しながら荒地を彷徨う。十字架に導かれて海辺の集落に辿り着いた田村は、教会前で折り重なる日本兵の白骨死体を見る。恐怖に駆られて無用な殺人を犯し、悔恨で銃剣を捨てた田村は、他の日本兵と合流しパロンポンに向かった。斃れた仲間の軍靴を別の者が次々奪っていく場面はコミカルだが、<棄民としての戦争>を象徴的に物語っている。

 ニューギニア戦線を人肉を食べて生き延びた兵隊、事切れる直前「ここを食べてもいいよ」と上腕部を示す台湾での応召兵、猿狩りと称し日本兵を殺して食糧する安田と永松……。戦場においては、残虐行為もカニバリズムも「正気」である。田村は人間としての尊厳を保ち、仲間の肉を食べなかった。その代償として得たのは「狂気」である。大岡が追求したのは、<戦場における正気と狂気の顛倒>だと思う。映画は戦場のシーンで終わっているが、原作では田村が狂人として世間から隔絶される復員後までを描いている。

 画面に繰り返し野火が現れる。それが、農民たちの生活の徴なのか、ゲリラの狼煙なのか、米軍の砲撃によるものなのかわからない。ストーリーが進むにつれ、野火は田村の中で、具象から抽象(「神の火」)に浄化していく。
 
 今年3月に亡くなった船越英二さんは、市川監督と最高のコンビだった。「黒い十人の女」(61年)、「私は二歳」(62年)は、本作とともに邦画史を飾る金字塔である。

 故中内功氏(ダイエー創始者)もまた、比戦線(ルソン島)で地獄を味わった。食料を求め米軍キャンプに近づいた中内氏は、GIがアイスクリームを作るために電気を起こしているのを知る。その時の衝撃が、ダイエーの原点になった。歩んだベクトルの向きは逆だったが、大岡と中内氏に共通するのは<国家への拭い難い不信感>だった。ダイエーの興隆と突然の崩壊の謎を解く鍵は、中内氏が戦場で経験した狂気の中にあると思う。

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狂いの夏~酷暑・馬インフルエンザ・世界同時株安

2007-08-19 00:50:28 | 戯れ言
 ♪青い海原 群れ飛ぶカモメ 心ひかれた白いサンゴ礁 

 故阿久悠氏が作詞を手掛けた「白いサンゴ礁」の冒頭だ。先ほど見た「ブロードキャスター」で、決してロマンチックな光景ではないことを知る。白いサンゴ礁は<地球温暖化⇒海水温上昇>に起因する白化現象の結果で、サンゴ死滅の予兆という。

 ここ数日の暑さは数字が物語る通りだが、朝鮮半島は豪雨に見舞われ、南北問わず多くの犠牲者が出ている。海を隔てた酷暑と洪水は、グローバルな異常気象の一環なのだろう。

 馬インフルエンザが中央から地方に波及した。そもそも馬は寒冷動物で、酷暑で抵抗力を失くしていたことは間違いない。現場の混乱は収まらず、「全馬が感染した方が対策を講じやすい」との声も厩舎サイドから聞こえてくる。

 当分、競馬のない週末が続く。「競馬予想TV!」の丁々発止を楽しみながら予想を組み立てる土曜夜は至福の時だが、俺の空白など大したことではない。専門紙記者からウインズ周辺の飲食店主まで、経済的痛手を被る人も少なくない。対応のまずさで批判を浴びたJRAだが、原因究明に努め、万全の態勢でレースを再開してほしい。

 世界同時株安もメディアを騒がせている。以下に朝日新聞の抜粋を。

 <連邦準備制度理事会(FRB)が公定歩合を引き下げたことで、17日の米金融相場は落ち着きを取り戻した。だが、低所得者向け(サブプライム)住宅ローン問題が深刻化し、市場の信用不安は根強い。資金繰りで企業が破綻し、さらに株安を呼ぶ悪循環に拍車がかかる危険性は残っている>……。

 チンプンカンプンだから、アナリストの意見をテレビで拝聴したが、奥歯に物が挟まった解説に終始している。彼らは大概、銀行員か証券会社マンだ。投資家の不安を煽り、自ら属する組織が不利益を被ることは避けたいのだろう。

 明快だったのは「報道ステーション」に出演した寺島実郎氏の分析だった。オイルマネーとともに世界を巡り、ファンドに流れ込んでいるのはジャパンマネーだという。低金利に愛想を尽かし、高利を求めて還流するジャパンマネーは、「利に聡い主婦」という意味で「ミセス・ワタナベ」と呼ばれているらしい。他のアナリストは現在の株価をバブルと見做していなかったが、寺島氏は別の立場だった。株価は実体より高く、中国においてその傾向が顕著と警告していた。

 バルザックの「金融小説名篇集」(「人間喜劇」より)を読み終えたばかりだ。欲望に憑かれ、拝金主義のしもべになる人間が生々しく描かれていた。人間の本質は200年前と変わらない。世界中に格差を刻む新自由主義は、資本主義の最終形なのだろう。

 自然が狂えば、人も狂う。いや、人が狂ったから、自然も狂う……。先に狂ったのは、明らかに人間の方である。


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お盆雑感~おはぎを食べつつ死を考える

2007-08-16 01:37:59 | 戯れ言
 2度の原爆の日、そして終戦記念日……。死者の霊が降りて来る時期と重なり、不信心の俺でさえ敬虔な気分になる。ここ数日、熱風に炙られて食欲減退気味だが、冷たい麦茶でおはぎを流し込みつつ、生きることや死ぬことに思いを巡らせている。

 戦争関連の番組が連日放送されているが、「鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争」(NHK総合)が印象に残った。軍隊の理不尽さ、愛国の無意味さ、兵隊たちの命の軽さが水木氏の実体験を基に描かれており、氏独特の死生観も色濃くドラマに反映していた。

 高市氏を除く閣僚が靖国参拝を見送ったこともあり、今年は静かなお盆になった。アジア、オセアニア地区の世論を刺激するのは、首相、官房長官、外相の参拝に限定されている。安倍首相を筆頭に、どうして閣僚たちは参拝しなかったのか。「週刊朝日」を立ち読みし、謎が解けた気がした。

 福岡政行氏(白鴎大教授)が同誌上、衆院選をシミュレーションし、自民党161議席と弾き出していた。参院比例区での公明党の得票数を選挙区当たりに換算すると2万6000票になる。安倍首相は外交ではなく、自らの生命維持装置たる創価学会に配慮して、参拝をとりやめたのかもしれない。

 15日付朝日新聞朝刊によると、宗教団体は集票マシンとして影響力を強める傾向にあるらしい。朝日の記事は穏当だったが、<丸川珠代氏の当選に寄与したのは幸福の科学>とある週刊誌が報じていた。ちなみに幸福の科学は故三塚氏の代から清和会(現町村派)と関係が深く、現在も安倍首相を支持している。

 日本の宗教団体に、<信仰>を語る価値があるのか甚だ疑問だ。俺自身、最近ある宗教団体に勧誘された。俺をオルグした当人は、倫理や常識を超越し、波瀾万丈の人生を送るアウトローである。こんな人が信じる宗教なのだから型破りかもしれないと思い、連れられて道場を訪ねたが、失望しか残らなかった。話が噛み合わないのである。

 俺自身、半生を顧みて、煩悩、エゴ、過剰な思い込みで周囲に迷惑を掛けたことを反省している。だからこそ、<いかに枯れ、死にソフトランディングするか>を後半生の至上命題に据えている。俺の考えは宗教団体にとってマイナス思考と映るらしい。大概の宗教団体は内向きのベクトルも用意しているが、その実、追求するのは現世御利益で、保守系候補に投票することも<信仰の証明>になっている。

 富や地位に執着する者は天国(極楽)に行けないと説くのが、本来の意味での宗教のはずだが、日本では事情が異なる。宗教団体の大半は、「ゲゲゲの鬼太郎」に例えれば「霊界のセールスマン」たるネズミ男そのもの……。この事実を身をもって確認できたことが、今回の成果といえぬこともない。

 今さら俺に進歩の余地はないが、日本人としてDNAに組み込まれている死生観に辿り着きたい。前提にあるのは、無常観や自然への慈しみだろう。時間が出来たら、宮沢賢治でも読むことにする。

 腹が減ってきた。こんな時間(深夜1時半すぎ)におはぎを食ったら、確実に死に近づくだろうな……。そう思いつつ、足は自ずとセブンイレブンに向かうのだった。


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ワイト島フェス'07~再会と発見を楽しむ

2007-08-13 01:16:53 | 音楽
 最初に訃報を。ファクトリー創始者としてジョイ・ディヴィジョン、ハッピー・マンデーズを世に送ったアンソニー・ウィルソンが10日、帰らぬ人になった。彼の存在なくして、ニューウェーヴもマンチェスター・ムーヴメントも語れない。UKロック牽引者の死に、哀悼の意を表したい。

 さて、本題。フジ721(スカパー)でワイト島フェスティバル'07のダイジェストが放映された。各日ヘッドライナー(トリ)は、スノウ・パトロール⇒ミューズ⇒ローリング・ストーンズだった。グラストンベリー'07では、ザ・フーが最終日のトリを務めている。UK還暦バンドのパワー健在といったところか。

 冒頭にミューズが登場した。いつも通り完璧なパフォーマンスだが、全米ツアーの会場からYou Tubeに投稿される映像の方が楽しめる。モッシュしながら携帯で「盗撮」したショットから、観衆の熱狂が伝わってくる。米最大規模の夏フェス、ロラパルーザ2日目でトリを務めたが、オープニングが興味深い。「凄いもんが見れるぜ」と若者を煽っていた男は、「ミューズ愛」を表明する米オルタナ界の重鎮、ペリー・ファレルに似ていた。主催者特権で紹介を買って出たのだろう。JFK(多分)の演説から“Take A Bow”のイントロに繋がる心憎い演出だった。

 ロバート・スミス(キュアー)は最近のインタビューで、<今のバンドはフェスでしくじると、全世界に情報が流れて人気を落としてしまう。早く生まれて良かったよ>(要旨)と話していた。キュアーがアマチュア臭を漂わせていた80年代前半、エコー&バニーメンは「ジョイ・ディヴィジョンの継承者」、「80年代のドアーズ」と幾つもの形容詞に彩られていた。デビューが20年後(00年)だったら、見る者を狂気に誘うパフォーマンスで夏フェスの話題をさらい、ミューズに迫る評価を確立したはずだ。ピ-ク時を知る者にとり、ワイト島'07でのエコバニは正視に堪えなかった。

 アッシュも期待外れだった。若くしてデビューし、迸る才気で期待を集めたが、停滞から抜け出せないでいる。バンド名(ASH=灰)が良くなかったのか。嬉しい再会も幾つかあった。吟遊詩人ドノバンが「メロー・イエロー」を歌い、過激派カントリー・ジョーが好々爺になってステージに立っていた。俺と同世代のミック・ジョーンズ(元クラッシュ)も、カーボン/シリコンを率いて健在ぶりを示していた。

 遅きに失した発見と言うべきは、以下の2組だ。

 23歳と思えぬ妖艶さと倦怠を身に纏ったエイミー・ワインハウスに一目惚れする。ルーツミュージックの薫りが漂うサウンドに、エイミーのハスキーボイスが被さると、懐かしさと斬新さ、明るさと儚さのアンビバレンツを醸し出す。エイミーは俺にとって「21世紀のディーバ」になりそうだ。

 グルーヴ・アルマダはこの10年、クラブシーンをリードしていたという。バンドというよりプロジェクトという印象を受けたが、音楽的な幅広さとグルーヴ感が画面を通して伝わってきた。フジロックに出演していたが、彼らを見ることは不可能だった。何せキュアーとバッティングしていたのだから……。

 再会あり、発見ありで、フェスの魅力に浸れた3時間だった。24日にWOWOWで放映されるフジロック'07(計9時間)を今から楽しみにしている。

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高校野球と「リンダ・リンダ・リンダ」

2007-08-10 00:12:28 | 戯れ言
 甲子園で熱戦が繰り広げられている。特待生問題で揺れた春、高校野球の景色は一変するのではと予想したが、今年も従来通り<プロ高校>が顔を揃えている。

 サラリーマン時代、ビルぐるみの高校野球トトカルチョに参加していたが、結果は21連敗だった。博才ゼロの俺が今大会に一票を投ずるとしたら、今治西、宇治山田商、日南学園―桐光学園の勝者辺りか。

 高校野球はアメリカ人の目にどう映るのだろう。先日WOWOWで「高校野球~HIGHSCHOOL BASEBALL」(06年)を見た。取材班は智弁和歌山と天王寺(大阪)の両校が地区大会(04年)で敗れるまでをカメラに収めていた。精神主義、強調される教育的効果、神聖化された甲子園……。アメリカ人には理解不能な点も多かったはずだが、監督、選手、応援団の言動をレアのまま提示し、高校野球の本質に迫っていた。

 高校野球が夏の風物詩になったのには、日本人のメンタリティーに沿っていたからだ。「プロジェクトX」が人気を博したように、仲間が挫折を乗り越え夢を掴む過程が、集団への帰属意識が強い日本人の琴線に触れるのだ。

 高校野球に劣らぬ青春ドラマなら「リンダ・リンダ・リンダ」(05年)だ。韓国からの留学生をボーカルに据えた急造ガールズバンドが、たった3日で高校文化祭のステージに立つまでを追った作品である。

 ♪ドブネズミみたいに美しくなりたい 写真には映らない美しさがあるから

 彼女たちはブルーハーツの「リンダ・リンダ・リンダ」を選んだ。ジャンルを問わず日本語の歌で「リンダ・リンダ・リンダ」ほどカタルシスを呼び起こす曲はあるだろうか。その歌詞は、高校野球を毒してしまった「偽善」と「建前」をぶち壊す力をも秘めている。

 恵、響子、望、ソンの3日間を、各の恋や青春に付きものの行き違いを織り交ぜて淡々と描いている。「平成の原節子」香椎由宇(恵役)を筆頭に、キャストの多くは撮影前、既に女優としてミュージシャンとして脚光を浴びていたという。彼女たちについて無知だったので、より新鮮な気持ちで映画に接することができた。

 徹夜で練習を続けたため、メンバーはスタジオで寝過ごしてしまう。少しハラハラさせるが、ラストの爆発は予想通りだった。「フラガール」にも感じたが、最近の邦画は「青春」を扱うのが上手になった。砂漠化が囁かれる日本社会だが、底深くに熱いマグマが流れているのだろう。

 高校野球と「リンダ・リンダ・リンダ」(曲も映画も)は、炎暑でひからびた俺の心まで潤してくれる。日本人であることを実感する至福の時といえるだろう。


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天上に輝く六角形

2007-08-07 00:28:40 | 戯れ言
 昨日(6日)は広島に原爆が投下された日だ。広島市のHPで秋葉忠利市長の「平和宣言」を読んだ。<国際法により核兵器廃絶のため誠実に努力する義務を負う日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり「ノー」と言うべきです>という市長の言葉に説得力を覚えた。

 さて、本題。この10日余り、関心を寄せてきた6人の訃報に接した。俺なりの感慨をまとめて記したい。

 まずはカール・ゴッチから。新日本プロレス立ち上げに尽力し、ゴッチ道場では日本人選手だけでなく、ジャック・ブリスコ、バックランド、マレンコ兄弟など技巧派レスラーを育て上げた。WWE解説陣(とりわけJBL)は日本のプロレスに大きな敬意を払っている。「ゲレロもベノワも日本で修業した」と言うだけで、「だから彼らは凄いのか」とファンは納得するのだ。日本を「プロレスの聖地」に引き上げたのはゴッチの功績だ。現役時代は不遇だったが、卓抜した指導力でテーズと並ぶ「プロレスの神様」になった。

 イングマール・ベルイマンとミケランジェロ・アントニオーニが奇しくも同じ日(7月30日)に亡くなった。<キリスト教と父権的ヒエラルヒーへの帰依と抵抗>がベルイマンの基軸だが、晩年の「ファニーとアレクサンデル」(82年)は画期的な作品だった。サディスティックな主教と精霊と交流する少年(アレクサンデル)を対比して描くことで、ベルイマンは自分自身を解き放ったのではないか。

 アントニオーニは孤独、放浪、退廃、不安、絶望、焦燥といった心的風景をスクリーンに刻んだ。数本見た作品のストーリーは全く覚えていないが、冴え冴えとした喪失感だけがヒリヒリ記憶の底に沈んでいる。

 小田実氏は半世紀にわたり、理性と野性を保ち続けた稀有の存在だった。最近では「9条の会」の呼びかけ人になっている。海外での評価も高く、マイケル・ムーアも小田氏の影響を受けたという。氏は市民運動を提唱したが、管理国家日本では、一歩踏み出した市民に帰る場所はない。この貧困な現状こそ、氏にとって最大のジレンマではなかったか。押し出しは強烈だったが、巧まざるユーモアも氏の魅力の一つだった。

 名将ビル・ウォルシュは49ers時代、短いパス主体にリズミカルに攻撃を進めていく<ウエストコースト・オフェンス>をモンタナとともに確立した。理に適った戦術で、今もNFLに根を生やしている。1カ月後に始まる07~08シーズンでは、進化を続ける<ウエストコースト・オフェンス>を楽しみたい。

 最後に阿久悠氏について。氏が作詞を手掛けた「朝まで待てない」、「時の過ぎゆくままに」、「北の宿から」など数曲は、俺の数少ないカラオケレパートリーに含まれている。「北の宿から」を歌うたび、<女心の未練でしょう>の最後になぜ「か」を付けなかったのか、思いを巡らせている。

 演歌、ポップス、アイドルとジャンルを問わず、フォーク系歌手との共作も多い。阿久氏の幅広さと革新性には驚くばかりだが、俺にとっての代表作は、♪あれは二月の寒い夜 やっと十四になった頃……のフレーズで始まる「ざんげの値打ちもない」(北原ミレイ)だ。初めて聴いたのは14歳の頃で、歌詞の内容と幼い自分のギャップに衝撃を受けた。同曲をサラリと歌いこなす女性がいたら、カラオケをご一緒したい。


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去る者は日々に疎し~されど頑張れOGたち

2007-08-04 03:20:13 | 戯れ言
 最初に。当ブログで2度(7月23日、8月1日)、田原総一朗氏の安倍政権へのスタンスを批判した。「週刊文春」(2日発売)を立ち読みして謎が解ける。首相側近が「総理には田原氏がついている」と洩らすほど、ズブズブの関係という。「権力チェック」の本分を弁えぬ以上、田原氏は肩書を、「ジャーナリスト」から「幇間」に改めるべきだ。

 さて、本題。齢を重ねるにつれ、親しい者とも疎遠になり、孤独が一番の友になる。俺自身、ここ数年で他者へのスタンスが大きく変わった。相手の懐に入り込むファイターから、臆病なボクサーに転向したのである。

 社員時代、連れ歩いた後輩たちに「俺話ばかりして」とたしなめられたことが多々あったが、過度の自己顕示欲を昇華してくれたのは当ブログである。偏見に満ちた内容なのに、ここ1週間、アクセスIP数(一日平均)が200を超えている。いずれ旧に復する(一日平均110~150IP)と思うが、これ以上、何も望まない。「仮想世界の住人」にとって、<淡交>こそ理想なのだ。

 中根千枝氏によると、<去る者は日々に疎し>はタテ社会の日本で典型的に現れる事象らしい。<淡交>に宗旨変え後、社員時代の知人とはメールのやりとりぐらいで、それ以上の交遊をキープしているのは二人だけになった。

 一人は当ブログに頻繁に登場するNGO職員で、現在パレスチナで医療・保健の人道支援に携わっている。ようやく彼女が実在する証拠を示すことができる。本日(4日)午後10時、NHK教育テレビ「あしたをつかめ平成若者図鑑~パレスチナ難民の笑顔を見たい」に出演するからだ(再放送は9日午後7時=高校野球で変更のケースあり)。

 彼女とはそもそもロック繋がりで、プライマル・スクリーム、ミューズ、「HEEL新潟」を一緒に見た。第一印象は自由奔放な今風ギャルだったが、学生時代にコソボで活動するなど常に世界とシンクロしてきた。退社後、日本でNGOに携わり、リーズ大に留学して今日に至る。志を高く保てば道は開けるというお手本を、彼女は示してくれた。番組を楽しみにしている。

 もう一人は東海地区で美術教師をしているOGだ。会社在籍は1年で、初めて話したのは退職日の業後である。俺はポーランドに息づく悪魔映画に興味を持っているが、彼女の一番のお気に入りは「ポゼッション」(ズラウスキ)だった。「アングラの帝王」ソニック・ユースを知っていたし、楳図かずおについても語り合えた。入浴中に楳図作品を読むのが、彼女の日課だったのである。

 OL時代は「暗い宇宙人」だったが、今は冗舌で突き抜けた「明るい宇宙人」だ。校長や教頭に一歩も引かず、学校でもサンクチュアリ(聖域)を確保しているらしい。先日、川島小鳥の写真集「Baby Baby」を薦めてくれた。彼女がなぜ同書を入ったのか、ページを繰りながら考えた。被写体の年齢不詳、正体不明のムードに親近感を覚えたというのが、俺なりの結論である。一般受けは不可能だが、一部の教師仲間や生徒から支持される「ユニーク先生」の道を歩んでいるようだ。

 俺自身はくすんでいるが、自分の世界を確立しつつあるOGたちの活躍を、陰ながら応援している。最後に訃報を。阿久悠氏とビル・ウォルシュが亡くなった。ご冥福を祈りたい。次稿では、最近召された者への思いをまとめるつもりだ。

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