酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

血の赤に紡がれた「岬」~中上健次は<路地>から世界を俯瞰する

2019-09-14 15:07:27 | 読書
 〝国壊議員〟が闊歩する〝貴族院〟内閣の改造名簿には愕然とする。政治の停滞を生んでいる最大の理由は、中下流層の立候補を拒む供託金制度だと当ブログで記してきた。<永田町の地図>周辺でおこぼれに与る〝準貴族〟ことメディアの利害は〝国壊議員〟と一致しているから、供託金制度に言及しない。

 同郷(和歌山県)の辻原登を〝マジックリアリズムの使い手〟と称揚してきたが、新宮出身の中上健次を紹介したことは一度もない。学生時代、短編集を1冊読んだが、面白いと感じなかったからである。初級の読者だった俺にはハードルが高かったのだろう。中上は紀州の地下水脈で辻原と繋がっているはずだ。

 星野智幸に触発され、40年ぶりに「岬」(文春文庫)を手にした。星野は中上を<体を張って文学を存在させようとしていたわずかな作家のひとり。力関係で弱い側に置かれた者に対してはてしなく共感する受容力に感銘を覚えた>(趣旨)と述べている。上記した〝貴族〟たちと対極に位置する中上は、被差別部落(路地)、そしてその周辺に暮らす朝鮮人の声を聞こうと現場に身を置き、作品に反映させる。

 格差と貧困が拡大し、弱者の声が政治に届かない。ヘイトスピーチが吹き荒れ、その延長線上で日韓の亀裂が深刻になっている。そんな時機だからこそ、中上は読まれるべき……。これが星野のメッセージだ。

 本稿では薄っぺらな印象、イメージを書き連ねることになるが、2作、3作と読み進めるうち、中上の輪郭と本質に迫っていけるかもしれない。「岬」収録作は情念に紡がれ、裏地には血の赤が織り込まれていた。

 ♯1「黄金比の朝」の主人公は、東京で予備校に通う19歳の福善だ。1970年前後が舞台で、福善の目を通した東京の風景は76年に上京した俺の記憶と重なっていた。部屋に飾られたゲバラの写真に思想信条が窺えるが、一時期、影響を受けた異母兄が福善の部屋を潜伏先に選んだことで波紋が生じる。

 福善の母は故郷で仲居(時に売春も)をしている。底辺に喘ぐ者にとって、兄の説く革命なんて空理空論……。そんな福善の直観の正しさは、閉塞した日本の現状が証明している。闖入してきた女とともに、兄弟と友人は街をさすらう。タイトルの謎は解けなかった。

 中上について語る時、複雑な家庭環境、「岬」で芥川賞を受賞するまでの修業時代、従事した肉体労働が前振りになっている。♯2「火宅」は自伝的作品で、とりわけ兄との関係が軸になっていた。4編に共通するのは淫蕩と純潔のアンビバレンツで、兄や父は淫蕩、「黄金比の朝」の福善、「岬」の秋幸は純潔を志向している。

 ♯3「浄徳寺ツアー」の主人公は20代のツアー添乗員で、淫蕩と暴力的傾向を併せ持っている。企画を持ち込んだのは母を亡くした愛人で、老婆、そして白痴の娘を持つ中年男が参加する。糾弾闘争が吹き荒れていた発表当時を勘案すると興味深いが、路地出身であることを宣言していた中上は、差別的表現を抑制しない。生と死、そして性と血、聖と俗に彩られた作品だった。

 ♯4「岬」には♯1~3の全てを凝縮されており、芥川賞受賞も納得出来る傑作だ。中上の作品は〝紀州サーガ〟と評される。サーガとは<一族の物語を壮大に描く叙事小説>の意味で、「岬」のスケールは決して大きくないが、密度と濃度には息をのむほどで、狂気、孤独、絶望が絡まり合って殺人事件まで起こる。ラストで迸るのは鮮血というより濁った一族の血だ。路地から神話の域に立ち上り、世界を俯瞰する奇跡を起こした。

 中上は書くことで自身を浄化しようと試みたのか。血を吐くリトマス紙として選んだのは原稿用紙ではなく計算用紙だったという。フリージャズ愛好者だった中上は、文体にも影響を受けたと語っている。多くの作品が残されているが、「岬」の続編とされる「枯木灘」を早速購入した。
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「浮雲」と重ねつつ「帰れない二人」を見た

2019-09-10 23:05:09 | 映画、ドラマ
 木村一基九段が王位戦第6局を制した。豊島将之王位(名人)との〝真夏の炎の十番勝負〟は今月下旬、決着の時を迎える。〝不屈の男〟が46歳で初タイトルを取ればきっと泣くだろう。その姿を見て、俺ももらい泣きするはずだ。

 バルカン半島はかつて〝欧州の火薬庫〟と呼ばれたが、この70年、一貫して〝世界の火薬庫〟だったのは中近東である。「デモクラシーNOW!」は先月末のイスラエルによるレバノン、シリア、イラクへの空爆について、<その攻撃性が危険な段階にエスカレートしている>と批判した。核保有国イスラエルは米国を後ろ盾に制御不能になっている。

 東アジアにも煙が燻っている。香港と台湾に中国が牙を剥き、日本と朝鮮半島の関係は最悪だ。そんな折、五輪組織委が旭日旗の会場持ち込みを容認した。日本は旭日旗の下、アジア全域を蹂躙した。ハーケンクロイツは禁止されていることに、五輪委はなぜ思い至らないのだろう。
 
 17年にわたり7700㌔を彷徨う男女を描いた中国映画「帰れない二人」(18年、ジャ・ジャンクー監督)を公開初日、新宿武蔵野館で見た。同監督作は「山河ノスタルジア」(15年)に続き2作目で、チャオ・タイが本名と同じチャオ役で続けてヒロインを演じ、W主演のビン役は「薄氷の殺人」で孤独と狂気を表現したリャオ・ファンだった。

 中国とは多面体で、映画を数本見たぐらいで全体像が把握出来ない。軍事力や最先端技術がクローズアップされる一方、「苦い銭」(ワン・ビン監督)には3億人ともいわれる農民工のどん詰まりの状況が描かれていた。「牡蠣工場」(15年、想田和弘監督)には日本に出稼ぎにやってくる中国人労働者が登場する。

 文革を背景に愛の深淵に迫った「妻への家路」(14年、チャン・イーモウ監督)に感銘を覚えたが、「山河ノスタルジア」は別稿(16年5月)に記した通り、不満を覚えた。さほど期待せず観賞した「帰れない二人」は緊張が途切れることはなかったが、ショート寸前といったところか。

 封切り直後なので、背景と感想を中心に綴りたい。イマイチ乗れなかったのは、チャオとビンに「浮雲」(成瀬巳喜男監督)のゆき子(高峰秀子)と富岡(森雅之)が重なったからだ。「浮雲」は邦画史に輝く傑作、「帰れない二人」も世界各国で高い評価を受けている。外れ者、拗ね者の感想などかすんでしまうが、〝三分の理〟程度の理屈はある。

 チャオとゆき子の清冽な生き様と対照的に、富岡とビンがあまりに薄い。本作の台詞を借りれば、俺も覚悟のない「渡世人」だが、それゆえスクリーンの男たちには決然と生きてほしい。物語の始まりは2001年、山西省・大同で、ビンは一目置かれる顔役、チャオは姐さんだった。仁義を重んじない新興グループの台頭し、チャオは自身を犠牲にしてビンを救う。

 日本の任侠映画や香港ノワールなら、ビンはチャオに尽くすだろう。同作を試写会で見た中国通の女性は「ビンを許せない」と語っていた。男の弱さを多少なりともわかってほしいが、俺の感想は「ビンみたいに生きたら恥ずかしい」。本作を<ロマンチックな悲劇>と称揚する世界のメディアに違和感を覚えた。

「浮雲」の原作者である林芙美子は時代と対峙し、奔放に生きた。映画化された作品の幾つかで高峰秀子は凜とした存在感を放っている。男たちは総じてだらしない。本作は恋愛映画というより、<意志と気概で世を渡る女性の映画>と見るべきか。

 チャオとビンが大同火山群を眺める2度のシーンが、本作の肝といっていい。チャオは前半、「あの山は活火山、それとも死火山」とビンに問う。チャオは一貫して活火山だったが、ラスト近くでビンは死火山の如くだった。ビンは、自分が、そして中国の多くの男が流されて生きていることを自覚していた。

 この17年、中国はドラスチックに変容した。三峡ダム完成間近の奉節、新疆へとチャオは放浪し、中国はこの間、万博や五輪を経て繁栄を享受する。拝金主義に溺れ、価値観を失った男たちも描かれていた。

 チャオの生き様は清々しく哀しい。屁理屈で否定的に評したが、世界で絶賛された本作を自らの心と目で確認してほしい。時間があればレンタルショップで高峰秀子主演作を借りてほしい。一押しは「あらくれ」だ。
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香港、ベイスターズ、将棋etc~硬軟取り混ぜ初秋の雑感

2019-09-06 12:13:32 | 戯れ言
 京急線の快速電車が踏切に進入したトラックと衝突した。ケガをされた方々の一日も早い回復を祈りたい。俺が運転や輸送の仕事に就いていたら、注意力欠如で確実に事故を起こしていた。〝きちんと〟が求められる公務員や教師を生業にしていたら、ストレスを爆発させ不祥事(暴力沙汰や痴漢)でお縄についていただろう。職業選択は間違っていなかった。

 ようやく秋の気配が忍び寄ってきたが、残暑は当分続くという。今回は硬軟取り混ぜ初秋の雑感を記したい。まずは〝硬〟から。

 雨傘運動のリーダーだった黄之鋒氏が台湾を訪れ連携を呼び掛けた。蔡英文総統も一定の理解を示したという。香港と台湾が<反中国>で結集する……、こんな事態を避けたい中国共産党の指令を受けたのか、林鄭月娥行政長官が「逃亡犯条例」の完全撤回を発表した。中国が策謀を巡らせていることは明らかで、第二の天安門事件を防ぐためには国際世論の注視が必要だ。

 EU離脱に向け、英国が混乱している。女王を政治利用するなど横暴な議会運営を非難された〝ミニトランプ〟ジョンソン首相は、野党が提出した「合意なき離脱」阻止法案が可決され、解散に打って出ようとしたものの頓挫する。米国のサンダース議員同様、左翼を自任するコービン労働党党首が首相の座に就く日が来るかもしれない。

 韓国の文在寅大統領が法相に任命した側近の曺氏に、数々の疑惑が浮上する。メディアを含め嫌韓派は盛り上がっているが、身びいきという点で安倍首相も負けていない。身内に便宜を図った森友・加計問題は追及を逃れ、親しいジャーナリストはレイプを免罪される。倫理や道徳はこの国で死語になった。

 続いて〝軟〟へ。NFL、欧州サッカーをメインに様々なスポーツに関心を持っていた時期があったが、今はベイスターズの試合と競馬があればいい。火曜は横浜スタジアムに足を運んだが開始早々、落雷でノーゲームになり、その直後に降り出した篠突く雨で濡れ鼠になる。半世紀近く前、阪神-中日戦(西京極球場)以来、野球では2度目の雨中だった。

 翌日は中華街から山下公園、大さん橋、赤レンガと定番の観光を楽しんだ。中華街で人だかりが出来ていたが、輪の中心に長身の松重豊がいた。松重を発見したのはVシネマ「闘牌伝アカギ」(1995年)の矢木役、21世紀の邦画史に燦然と輝く「EUREKA」(2001年)での刑事役、連続ドラマW「悪党~加害者追跡調査~」での探偵事務所所長役が印象に残っている。個性的なバイプレーヤー、いや主演級の俳優として今後も活躍を続けるだろう。

 昨年度のPOGはロジャーバローズのダービー制覇で帳尻を合わせたが、今年度も骨折、肺炎とアクシデントに見舞われる指名馬が続出している。エース格のダーリントンホールは連対を確信していた札幌2歳Sでよもやの3着。重厚な欧州血統ゆえ、スピード勝負になるクラシックは厳しそうだ。馬場の荒れたホープフルSが晴れ舞台ではないか。

 POGで競馬への知識は深まったが、古馬になっても指名馬から馬券を買ってしまう。もちろん、当たらない。愛はギャンブルに不要なのだ。POGを再開して11年、ジョッキー地図も大きく塗り変わった。真剣にレースに接するPOG参加者の間でルメール以上の支持を得ているのが川田将雅だ。もしダーリントンホールに川田が騎乗していたら連を外さなかったと思う。

 竜王戦挑戦者決定3番勝負は豊島将之名人が木村一基九段を2勝1敗で下し、広瀬章人竜王に挑む。まさに棋界頂上決戦だ。第3局は互角の戦いが続き、AIの判断は78手目の8七角を指した時点で木村優位だった。ところが79手目の7七金で形勢は一変し、豊島が一方的に押し切った。木村は「急ぎ過ぎた」と悔いていたが、将棋というゲームの恐ろしさを実感させられた。

木村にも雪辱を晴らす機会は残されている。豊島との〝炎の十番勝負〟最終章である王位戦で連勝し初タイトル獲得……、そんなドラマを切に願っている。45歳の壁を越えた木村は棋界の常識を覆した。<記憶に残る名棋士>として、既にファンの心に刻まれている。
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ルメートル著「監禁面接」~獲得と喪失の意味を問う超絶エンターテインメント

2019-09-02 22:20:59 | 読書
 ボクシング史上最高傑作と謳われる〝奔放な天才〟ワシル・ロマチェンコが〝オーソドックスな秀才〟ルーク・キャンベルを大差の判定で破り、ライト級3団体統一王者になった。研究の深さと謙虚さで知られるロマチェンコは、秀才の要素も兼ね備えている。

 ボクシングで時折起こるアップセットは、現実の社会では皆無だ。香港市民の身を賭した闘いに、過激な方針を諫める声も上がっているが、それは日本人らしい腑抜けた理屈だ。いずれが正義で、いずれが悪か……。中国と香港はイスラエルとパレスチナが置かれている構図と変わらない。立ち位置を明確にして世界を眺めないと、結果として〝不正義の強者〟に与することになる。
 
 ページを繰りながら血が滾る小説を読了した。ピエール・ルメートル著「監禁面接」(文藝春秋)で、原題は「黒い管理職」だ。当ブログでは「その女アレックス」、「天国でまた会おう」とルメートルの作品を紹介してきたが、主人公は精緻かつドラスティックなストーリーに翻弄され、心身の痛みと格闘しながら喘いでいた。

 本作の主人公アラン・デランブルは57歳で、人事部長を務めていた服飾関連企業が買収され、リストラの憂き目に遭う。4年間、ハローワークに通いながら低賃金のアルバイトで収入を得ていたが、主任のトルコ人によるパワハラは凄まじい。社会復帰が叶わぬ状況に憤懣を爆発させ、仕事先で暴力沙汰を起こしたアランは、無収入になっただけでなく、賠償金を要求されるのは確実だ。

 アランは共働きの妻ニコルと安定した家庭生活を送り、長女マチルドは教師、次女リュシーは弁護士として活躍している。だが、築いてきたものは全て砂上の楼閣であったかのように崩壊寸前で、家庭でもトラブルメーカーになる。「希望とは人間が罹る最後の病」とのアンドレ・マルローの至言通り、アランはどん底から大勝負に打って出た。

 アランにとって〝希望〟とは採用試験だった。コンサルティング会社に応募したアランは面接に進み、社長から謎めいた条件を聞かされる。同社が担当する某社の幹部たちを尋問し、リストラを決定するという設定だ。採用とリストラが偽装テロ事件の下、同時進行する異様な状況だ。軍事のプロであるフォンタナが部下と俳優を使い、集まった全員を人質にしたロールプレイングゲームが展開する。

 映画化(恐らく)された暁にはご覧になる方も多いはずなので、興趣を削がぬようストーリーの紹介は最小限にとどめたい。本作は語り手を変えることで厚みを増している。第1部「そのまえ」、第3部「そのあと」はアラン、第2部「そのとき」はフォンタナが務めており、絡まった主観の糸がラストで収斂する。

 アナログ系の熱い男に思えたアランの変容に、「ダイ・ハード」でブルース・ウィルスが演じたマクレーン刑事が重なった。緻密な計算と周到な準備に裏打ちされた暴走の影に、心強い味方がいた。いずれも理不尽な評価に甘んじており、最たる者はバイト先の同僚シャルルだ。車中生活者のジャンキーだが、ネットを駆使して重要な情報を集めてくれた。自己犠牲を厭わぬ高邁な精神の持ち主である。

 獄中で本を著したアランは、メディアで「弱者の代表」と持ち上げられるようになる。本作は2009年発表だったが、昨年5月に始まったイエローベスト運動はフランス中で吹き荒れた。政府の税制政策への抗議、格差拡大、失業への怨嗟が背景にある。アランの言葉にも高額のサラリーを得ながらリストラに走る経営陣への怒りが込められていた。だが、読了された方は額面通りに受け取れないだろう。

 重層的に組み立てられた本作にはアイロニーが込められている。ニコルとの安穏な生活を取り戻し、娘たちの信頼を回復することがアランの目的だった。人生で最大の価値といえる愛のために突き進んだ結末は……。獲得と喪失の意味を問う超絶エンターテインメントだった。

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脱成長と脱原発は社会を変える道標になり得るか

2019-08-30 02:02:10 | 戯れ言
 福島原発のメルトダウン直後、当ブログで「卒業」(尾崎豊)の歌詞になぞらえ、<自分で窓ガラスを割る気力も体力もないが、石を投げている人たちの言動を紹介したい。今回の事故がこの国の在り方を根本から覆すきっかけになる>と記した。

 あれから8年半、安倍政権は再稼働の方針を撤回していないが、抗い続けている人はいる。第19回「脱成長ミーティング」(ピープルズ・プラン研究所)の報告者、大沼淳一氏もそのひとりだ。今回のテーマは<脱原発と地域づくり>である。

 74歳の大沼氏は登山とスキーが趣味で、今も世界を飛び回っている。〝亜熱帯〟名古屋在住だが、冷房どころか扇風機もなしで暮らしている。報告中も立ったままで、「12時間、話し続けることが出来る」という。細かいデータを諳んじていて、質問に対し機関銃のように言葉が返ってくる。脳がふやけ、心身がクチクラ化した俺とはえらい違いだ。
 
 原子力市民委員会委員、市民放射能測定センター運営委員などを兼任する大沼氏は、放射能汚染関連の膨大なデータをネット上で公開している。脱原発を脱成長への一里塚と捉える大沼氏は、再生可能エネルギーへの転換がスムーズに進んでも、<大量生産→大量消費→大量廃棄>のサイクルの下で快適さを求める限り、現状は変わらないと主張する。

 大沼氏は脱原発、地球温暖化、生物多様性の危機、遺伝子組み換え、パンデミックを同一の視座で捉えていた。背景にある国際金融資本主義が、南北間(国内レベルでは都市と地方)の格差を生む。少子高齢化が進行する日本が成長幻想に耽るのは薬物中毒患者と変わらないと語っていた。

 NHK・BSで海外ニュースを見ていると、<日本はいまだ原発に固執している>との報道を目にする。風力、太陽光発電に移行する多い中、安倍政権と経産省が<原発=ベースロード電源>を崩さないことが齟齬を来している。東芝は米原発事業を巡る巨額損失で躓き、日立は英国、三菱重工はトルコで原発輸出に失敗した。

 チェルノブイリ→福島と続いた事故で安全確保に莫大な費用がかかる。政官が方針を誤っても、経済効率を第一に考える大企業まで道を踏み外すなんて考えられないと大沼氏は強調していた。2005年時点で太陽電池の生産量がベスト5のうち4社と圧倒していた日本企業だが、18年にはベスト10から消えている。対照的に中国を軸にした合弁企業の躍進が目覚ましい。経産省はデータを偽装し、<原発は安い>のまやかしで日本沈没に舵を切っている。

 「新たな利権を生む」と否定的に評してきた孫正義氏率いる「自然エネルギー財団」だが、アジア各国で集積した自然エネルギーを送電網で繋ぐという「アジアグリッド構想」を立ち上げている。中軸は日本、中国、ロシア、韓国だが、日韓両国の対立が同プランの桎梏になる可能性がある。

 流域主義を説く大沼氏は、「里山資本主義」(藻谷浩介、NHK広島取材班著/角川書店)を紹介していた。日本人が共生してきた自然――降水量、温暖な気候、森林面積、排他的経済水域の広さ、豊かな水資源etc――に立脚することで、脱成長、脱原発を軸に新たな社会モデルを形成するべきと提言している。

 自分の中で整理出来ていないのに質問してしまう。<日本政府は農業自給率を下げ、今や水資源を売り渡そうとしている。この流れと原発推進は根底で繋がっているのではないか>……。大沼氏は水道料金を含めた都市と地方の格差、再生可能エネルギーを生産する電力会社の壁になっている送電線問題を挙げる。他の参加者も加わって議論は進行した。

 後半は放射能汚染の問題で、大沼氏はチェルノブイリ周辺の速やかな施策と比較しながら、日本で進行する危機に警鐘を鳴らす。「ヒバクシャ 世界の終わりに」(2001年、鎌仲ひとみ監督)で肥田医師が指摘していたように、核実験による被曝も深甚であることがデータに裏付けられていた。

 今回感じたのは、日本、そして世界の歪みだ。脱原発も切り口のひとつで、<官と民>、<公平と格差>、<自由と抑圧>、<都市と地方>が対立項になって自然と人間の調和を損ねている。〝風にそよぐ葦〟として耐える以外に生き延びる方法はあるのだろうか。
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