土井たか子さんが亡くなった。女性の地位向上、護憲を掲げた政治家、憲法学者の冥福を祈りたい。土井さんの理想と真逆の道を突き進む安倍政権を、土井さんは生前、いかなる思いで眺めていたのだろう。
柳家小三治の独演会(24日、サンパール荒川)に足を運んだ。演目は「小言念仏」と「転宅」である。ともに短い噺で〝枕の小三治〟の本領発揮だった。中堅が鎬を削るホール落語の尖がった雰囲気も心地良いが、小三治の独演会は観客との阿吽の呼吸で、円くまったり時が流れる。
演目とさほど関係ないもの、導入部の意味を持つもの……。枕には2通りあるが、「小言念仏」は前者だった。40分続いた枕に6代目三遊亭円生が登場し、見栄っ張りと吝嗇など際立った個性を紹介して笑いを取っていた。ちなみに、厳格な円生が落語協会会長時代(7年間)、真打ち昇進を認めたのは3人だけだが、そのうちのひとりが小三治だった。
「転宅」の枕は後者で、弟子の三三が「締め込み」を演じる際に用いるものと似ていた。石川五右衛門の辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽くるとも……」で忘れたふりをし、間を置いて「われ泣き濡れて 蟹とたはむる」と啄木の歌と繋げる。「締め込み」かなと思ったが、初めて聴く「転宅」だった。自嘲的なユーモアに溢れる小三治は、ファンにとって〝人間くさい国宝〟といえるだろう。
昨日(27日)はDeNA対巨人(横浜)を観戦した。CS進出が絶望的(当日夜に消滅)なDeNA、前日に優勝を決めた巨人のテーマ性の薄い試合だったが、2万8000近い観衆の熱気に包まれていた。試合後、中華街、山下公園、赤レンガ倉庫、桜木町を知人と散策する。黄昏時の街並みの美しさに、俺は「ブルー・ライト・ヨコハマ」を口ずさんでいた。
WOWOWでオンエアされた吉田拓郎の最新ライブ(今年7月、東京国際フォーラム)を録画して見た。体調不良が囁かれていた拓郎だが、ステージ上の姿に瞠目する。WOWOWが昨年オンエアしたデヴィッド・ボウイの03年のライブに「何と美しい56歳だろうとため息が出る」と当ブログに記したが、拓郎の現在に「何て若々しく、少年の含羞を秘めた68歳だろう」と感嘆した。
傲岸さ、奔放さもウリだった拓郎だが、ラストで客席に手を振り、腰を深く折ってお辞儀をする。支えてくれたファンへの感謝の気持ちの表れだろう。「アジアの片隅で」(80年)で離れ、洋楽一辺倒になった俺でさえ、拓郎について語り尽くせない。俺があの場にいたら、頬を濡らして立ち尽くしていただろう。以下に極私的な思い出を語りたい。
衝撃の出会いは高校の教室だった。昼休みに誰かが持ち込んだラジカセから、♪これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか……が歌い出しの「イメージの詩」が流れる。食いしん坊の俺でさえ箸を持つ手が止まったほどで、「凄い曲やな」と級友か漏らした感想が、その場に居た全員の心境を表していた。
拓郎がDJを務める「パックインミュージック」や「オールナイトニッポン」を必死でチューニングし、学校で翌朝、感想を述べ合うのが楽しみだった。「拓郎なんてナンボのもんじゃい」と地元のラジオ局で批判していた関西フォークの重鎮も、ゲストに招かれて歓談している。〝人たらし〟も拓郎の魅力のひとつだろう。
件の重鎮だけでなく、フォーク黎明期を支えたシンガーやファンは拓郎を裏切り者と見做し、罵声で曲が聴こえないことも頻繁だったという。大学に入った1970年代後半、全共闘など学生運動を担った人たちに、「俺たちが社会の中枢に座る頃、日本は自由で活発な社会になっている」と何度も聞かされた。彼らにとって、拓郎は日和見の典型だったはずだが、果たして今は? 団塊の世代を筆頭に俺たち中高年層は時代閉塞を創り出し、若者を<メッセージ拒否症>に追い込んだ。
西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は安保闘争後の虚脱感を表現した曲として知られる。同じ役割を担ったのが、ノンポリと批判された拓郎と岡本おさみ(作詞家)のコンビだ。「おきざりにした悲しみは」、「祭のあと」、「ひらひら」、「落陽」etcは総退却戦に付き添った名曲群である。♪日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない 日々を慰安が吹きぬけて 死んでしまうに早すぎる(「祭のあと」)の歌詞に癒やされた団塊の世代も多いはずだ。
俺が一番好きなアルバムは「ローリング30」(78年)だ。「セイ!ヤング」だったか、拓郎は歌詞を担当した松本隆の秘めた恋を仄めかしていた。拓郎は浅田美代子と結婚したばかりだから、明るいトーンかと思いきや、別離がインプットされたダウナーな曲も多い。オンエアされた「爪」、「裏街のマリア」をはじめ、同作には「冷たい雨が降っている」、「外は白い雪の夜」など繊細で視覚的な名曲が並んでいる。同じ年にリリースされた「舞姫」はアルバム未収録だが、拓郎と松本による最高傑作だと思う。
サマーフェスの走り、ミュージシャンによるレーベル立ち上げ、ジャンルを超えた楽曲提供と、拓郎が音楽界に刻んだ足跡は他の追随を許さない。操り人形から主張し操る側へ……。若きミュージシャンには、拓郎が切り開いた道に続いてほしい。
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柳家小三治の独演会(24日、サンパール荒川)に足を運んだ。演目は「小言念仏」と「転宅」である。ともに短い噺で〝枕の小三治〟の本領発揮だった。中堅が鎬を削るホール落語の尖がった雰囲気も心地良いが、小三治の独演会は観客との阿吽の呼吸で、円くまったり時が流れる。
演目とさほど関係ないもの、導入部の意味を持つもの……。枕には2通りあるが、「小言念仏」は前者だった。40分続いた枕に6代目三遊亭円生が登場し、見栄っ張りと吝嗇など際立った個性を紹介して笑いを取っていた。ちなみに、厳格な円生が落語協会会長時代(7年間)、真打ち昇進を認めたのは3人だけだが、そのうちのひとりが小三治だった。
「転宅」の枕は後者で、弟子の三三が「締め込み」を演じる際に用いるものと似ていた。石川五右衛門の辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽くるとも……」で忘れたふりをし、間を置いて「われ泣き濡れて 蟹とたはむる」と啄木の歌と繋げる。「締め込み」かなと思ったが、初めて聴く「転宅」だった。自嘲的なユーモアに溢れる小三治は、ファンにとって〝人間くさい国宝〟といえるだろう。
昨日(27日)はDeNA対巨人(横浜)を観戦した。CS進出が絶望的(当日夜に消滅)なDeNA、前日に優勝を決めた巨人のテーマ性の薄い試合だったが、2万8000近い観衆の熱気に包まれていた。試合後、中華街、山下公園、赤レンガ倉庫、桜木町を知人と散策する。黄昏時の街並みの美しさに、俺は「ブルー・ライト・ヨコハマ」を口ずさんでいた。
WOWOWでオンエアされた吉田拓郎の最新ライブ(今年7月、東京国際フォーラム)を録画して見た。体調不良が囁かれていた拓郎だが、ステージ上の姿に瞠目する。WOWOWが昨年オンエアしたデヴィッド・ボウイの03年のライブに「何と美しい56歳だろうとため息が出る」と当ブログに記したが、拓郎の現在に「何て若々しく、少年の含羞を秘めた68歳だろう」と感嘆した。
傲岸さ、奔放さもウリだった拓郎だが、ラストで客席に手を振り、腰を深く折ってお辞儀をする。支えてくれたファンへの感謝の気持ちの表れだろう。「アジアの片隅で」(80年)で離れ、洋楽一辺倒になった俺でさえ、拓郎について語り尽くせない。俺があの場にいたら、頬を濡らして立ち尽くしていただろう。以下に極私的な思い出を語りたい。
衝撃の出会いは高校の教室だった。昼休みに誰かが持ち込んだラジカセから、♪これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか……が歌い出しの「イメージの詩」が流れる。食いしん坊の俺でさえ箸を持つ手が止まったほどで、「凄い曲やな」と級友か漏らした感想が、その場に居た全員の心境を表していた。
拓郎がDJを務める「パックインミュージック」や「オールナイトニッポン」を必死でチューニングし、学校で翌朝、感想を述べ合うのが楽しみだった。「拓郎なんてナンボのもんじゃい」と地元のラジオ局で批判していた関西フォークの重鎮も、ゲストに招かれて歓談している。〝人たらし〟も拓郎の魅力のひとつだろう。
件の重鎮だけでなく、フォーク黎明期を支えたシンガーやファンは拓郎を裏切り者と見做し、罵声で曲が聴こえないことも頻繁だったという。大学に入った1970年代後半、全共闘など学生運動を担った人たちに、「俺たちが社会の中枢に座る頃、日本は自由で活発な社会になっている」と何度も聞かされた。彼らにとって、拓郎は日和見の典型だったはずだが、果たして今は? 団塊の世代を筆頭に俺たち中高年層は時代閉塞を創り出し、若者を<メッセージ拒否症>に追い込んだ。
西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は安保闘争後の虚脱感を表現した曲として知られる。同じ役割を担ったのが、ノンポリと批判された拓郎と岡本おさみ(作詞家)のコンビだ。「おきざりにした悲しみは」、「祭のあと」、「ひらひら」、「落陽」etcは総退却戦に付き添った名曲群である。♪日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない 日々を慰安が吹きぬけて 死んでしまうに早すぎる(「祭のあと」)の歌詞に癒やされた団塊の世代も多いはずだ。
俺が一番好きなアルバムは「ローリング30」(78年)だ。「セイ!ヤング」だったか、拓郎は歌詞を担当した松本隆の秘めた恋を仄めかしていた。拓郎は浅田美代子と結婚したばかりだから、明るいトーンかと思いきや、別離がインプットされたダウナーな曲も多い。オンエアされた「爪」、「裏街のマリア」をはじめ、同作には「冷たい雨が降っている」、「外は白い雪の夜」など繊細で視覚的な名曲が並んでいる。同じ年にリリースされた「舞姫」はアルバム未収録だが、拓郎と松本による最高傑作だと思う。
サマーフェスの走り、ミュージシャンによるレーベル立ち上げ、ジャンルを超えた楽曲提供と、拓郎が音楽界に刻んだ足跡は他の追随を許さない。操り人形から主張し操る側へ……。若きミュージシャンには、拓郎が切り開いた道に続いてほしい。
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