酔生夢死浪人日記

 日々、思いついたさまざまなことを気ままに綴っていく

小三治、そして吉田拓郎~鮮やかに、軽やかに聳え立つ者

2014-09-28 18:49:12 | カルチャー
 土井たか子さんが亡くなった。女性の地位向上、護憲を掲げた政治家、憲法学者の冥福を祈りたい。土井さんの理想と真逆の道を突き進む安倍政権を、土井さんは生前、いかなる思いで眺めていたのだろう。

 柳家小三治の独演会(24日、サンパール荒川)に足を運んだ。演目は「小言念仏」と「転宅」である。ともに短い噺で〝枕の小三治〟の本領発揮だった。中堅が鎬を削るホール落語の尖がった雰囲気も心地良いが、小三治の独演会は観客との阿吽の呼吸で、円くまったり時が流れる。

 演目とさほど関係ないもの、導入部の意味を持つもの……。枕には2通りあるが、「小言念仏」は前者だった。40分続いた枕に6代目三遊亭円生が登場し、見栄っ張りと吝嗇など際立った個性を紹介して笑いを取っていた。ちなみに、厳格な円生が落語協会会長時代(7年間)、真打ち昇進を認めたのは3人だけだが、そのうちのひとりが小三治だった。

 「転宅」の枕は後者で、弟子の三三が「締め込み」を演じる際に用いるものと似ていた。石川五右衛門の辞世の句「石川や 浜の真砂は 尽くるとも……」で忘れたふりをし、間を置いて「われ泣き濡れて 蟹とたはむる」と啄木の歌と繋げる。「締め込み」かなと思ったが、初めて聴く「転宅」だった。自嘲的なユーモアに溢れる小三治は、ファンにとって〝人間くさい国宝〟といえるだろう。

 昨日(27日)はDeNA対巨人(横浜)を観戦した。CS進出が絶望的(当日夜に消滅)なDeNA、前日に優勝を決めた巨人のテーマ性の薄い試合だったが、2万8000近い観衆の熱気に包まれていた。試合後、中華街、山下公園、赤レンガ倉庫、桜木町を知人と散策する。黄昏時の街並みの美しさに、俺は「ブルー・ライト・ヨコハマ」を口ずさんでいた。

 WOWOWでオンエアされた吉田拓郎の最新ライブ(今年7月、東京国際フォーラム)を録画して見た。体調不良が囁かれていた拓郎だが、ステージ上の姿に瞠目する。WOWOWが昨年オンエアしたデヴィッド・ボウイの03年のライブに「何と美しい56歳だろうとため息が出る」と当ブログに記したが、拓郎の現在に「何て若々しく、少年の含羞を秘めた68歳だろう」と感嘆した。

 傲岸さ、奔放さもウリだった拓郎だが、ラストで客席に手を振り、腰を深く折ってお辞儀をする。支えてくれたファンへの感謝の気持ちの表れだろう。「アジアの片隅で」(80年)で離れ、洋楽一辺倒になった俺でさえ、拓郎について語り尽くせない。俺があの場にいたら、頬を濡らして立ち尽くしていただろう。以下に極私的な思い出を語りたい。

 衝撃の出会いは高校の教室だった。昼休みに誰かが持ち込んだラジカセから、♪これこそはと信じれるものが この世にあるだろうか……が歌い出しの「イメージの詩」が流れる。食いしん坊の俺でさえ箸を持つ手が止まったほどで、「凄い曲やな」と級友か漏らした感想が、その場に居た全員の心境を表していた。

 拓郎がDJを務める「パックインミュージック」や「オールナイトニッポン」を必死でチューニングし、学校で翌朝、感想を述べ合うのが楽しみだった。「拓郎なんてナンボのもんじゃい」と地元のラジオ局で批判していた関西フォークの重鎮も、ゲストに招かれて歓談している。〝人たらし〟も拓郎の魅力のひとつだろう。

 件の重鎮だけでなく、フォーク黎明期を支えたシンガーやファンは拓郎を裏切り者と見做し、罵声で曲が聴こえないことも頻繁だったという。大学に入った1970年代後半、全共闘など学生運動を担った人たちに、「俺たちが社会の中枢に座る頃、日本は自由で活発な社会になっている」と何度も聞かされた。彼らにとって、拓郎は日和見の典型だったはずだが、果たして今は? 団塊の世代を筆頭に俺たち中高年層は時代閉塞を創り出し、若者を<メッセージ拒否症>に追い込んだ。

 西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」は安保闘争後の虚脱感を表現した曲として知られる。同じ役割を担ったのが、ノンポリと批判された拓郎と岡本おさみ(作詞家)のコンビだ。「おきざりにした悲しみは」、「祭のあと」、「ひらひら」、「落陽」etcは総退却戦に付き添った名曲群である。♪日々を慰安が吹き荒れて 帰ってゆける場所がない 日々を慰安が吹きぬけて 死んでしまうに早すぎる(「祭のあと」)の歌詞に癒やされた団塊の世代も多いはずだ。

 俺が一番好きなアルバムは「ローリング30」(78年)だ。「セイ!ヤング」だったか、拓郎は歌詞を担当した松本隆の秘めた恋を仄めかしていた。拓郎は浅田美代子と結婚したばかりだから、明るいトーンかと思いきや、別離がインプットされたダウナーな曲も多い。オンエアされた「爪」、「裏街のマリア」をはじめ、同作には「冷たい雨が降っている」、「外は白い雪の夜」など繊細で視覚的な名曲が並んでいる。同じ年にリリースされた「舞姫」はアルバム未収録だが、拓郎と松本による最高傑作だと思う。

 サマーフェスの走り、ミュージシャンによるレーベル立ち上げ、ジャンルを超えた楽曲提供と、拓郎が音楽界に刻んだ足跡は他の追随を許さない。操り人形から主張し操る側へ……。若きミュージシャンには、拓郎が切り開いた道に続いてほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

KNOW YOUR ENEMY~反原発集会で感じたこと

2014-09-25 23:08:05 | 社会、政治
 7年前のきょう(25日)、安倍首相が健康を理由に退陣した。第1次内閣時、安倍首相はメディアの集中砲火を浴びていた。駆け出し記者がぶら下がり取材で、上から目線で首相を詰問するさまに<一国の首相に対して礼を失しているのではないか>(要旨)と当ブログで記したほどだ。今や安倍親衛隊と化した週刊文春でさえ、当時は厳しい論調で安倍首相を叩いていた。

 先月、BS―TBSで半藤一利氏と保坂正康氏が、「メディアが日本を戦争に導いた」のテーマで対談していた。俺が見たのは最後の数分だったが、両氏は現政権のメディア対策を強調していた。数年前の苦い記憶もあり、首相周辺は〝日本のゲッベルス〟世耕官房副長官を軸に、メディア戦略を周到に準備してきた。反安倍サイドは敵の執拗さを学ぶべきだと思う。

 一昨日(23日)は「さようなら原発集会」(亀戸中央公園)に参加した。1万6000人が集い、デモへの反応も良かった。永田町の地図とは真逆に、国民の半数が脱原発なのだから当然といえる。スピーチが始まる前、ステージで演奏していたエセタイマーズのMCが気になった。いわく<イベントに〝NO NUKE〟の冠を付けると、チケットの売り上げが激減する>……。前々稿の冒頭に記した<メッセージ拒否症候群>は若者の間に浸透しているようだ。

 俺は緑の党のメンバーとして参加したが、「虹とみどり」などと合流してデモ行進した。いろいろな経緯があり、袂を分かった前史もあるようだが(俺はよく知らない)、発信力のある山本太郎、三宅洋平両氏との共闘だけでなく、緑の党は接着剤、緩衝材としてリベラルや左派が結集する日本版「オリーブの木」を目指すべきだと思う。

 反原発だけでなく、集会に参加した人たちは反戦、護憲、反貧困、反TPPなどいくつもの課題に関わりつつ、運動の新陳代謝を願っている。でも、若者たちはメッセージの中身以前に、<旗幟を鮮明にすること>に忌避感と恐怖を抱いている。そのような閉塞状態をつくった中高年世代に出来るのは、表現力があり化学反応を起こせる若い世代をサポートすることだ。

 3・11から自民圧勝の総選挙まで1年9カ月、既成政党の無策が顕在化したが、好ましい風が吹きつつある。沖縄では反基地を軸に<オール沖縄>が、県知事選で翁長那覇市長を擁立する。福島県知事選も同じ流れで、<オール福島>が宮古市長を務めた熊坂氏を推す。ちなみに、脱原発は福島では前提で、内実が問われることになる。

 都知事選で宇都宮、細川陣営に分かれた人たちが熊坂支持で一致し、候補を立てない共産党の票も流れるだろう、熊坂氏は新党改革(かつて舛添都知事も所属)の荒井代表と姻戚関係にあるから、保革を超えた広範な基盤で、保守の自公民(なぜか社民党も)が擁立する内堀副知事と対決する。内堀氏は国の政策を県民に押し付けてきた〝実績〟があり、放射能汚染の実態を隠蔽してきた。熊坂氏は医者の立場で、若い世代の体内被曝に向き合うはずだ。

 「繁栄からこぼれ落ちたもうひとつのアメリカ」を別稿(8月1日)で紹介したが、俺は今、「ファストフードが世界を食いつくす」を再読している。ともにアメリカの歪んだ構造を抉っているが、そのまま現在の日本と重なっている。日本の平均的世帯の年収は244万円で、その半分(122万円)の低所得層は6分の1に上る。日本は既に、先進国一の貧困大国なのだ。

 右傾化、集団化を憂う識者は多いが、最大の問題は格差と貧困だ。小泉政権以降、軍国主義と新自由主義が日本の主音になる。安倍首相は強烈な右パンチを繰り出しつつ、反則のローブローで国民を弱らせているのだ。来年の統一地方選、そして来るべき国政選挙に向け、「KNOW YOUR ENEMY」が反安倍サイドに求められている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「監視者たち」~超絶エンターテインメントの背景に潜むもの

2014-09-22 18:57:53 | 映画、ドラマ
 スコットランド独立の是非を問う国民投票は反対派が勝利したが、賛成派に若者が多いことを考えると、次の機会はどうなるかわからない。地域対立を抱える欧州諸国、そして民意が踏みにじられている沖縄の人々も、結果を注視していたはずだ。

 ドルトムント(香川真司)とマインツ(岡崎慎司)の〝シンジ対決〟を録画して見た。途中交代した香川と対照的に岡崎は先制点を挙げるなど大活躍で、場内から「オカザキコール」が起きていた。サプライズだったのは、18歳の丸岡(ドルトムント)のデビューである。

 日本選手は現在、16人がブンデスリーガに所属している。そのあたりに、勤勉と和を好む国民性の共通点が窺えるが、最近はズレが目立ってきた。滅私奉公で歯を食いしばった日本人と比べ、ドイツでは週40時間労働が厳正に守られていた。余裕のある発展が、福祉の充実、男女平等をもたらしたのだろう。ドイツでは自宅庭の木を切っても罰金を科される。環境保護への強い思いが脱原発に繋がった。

 決定的な差は歴史認識だ。フランスと共同で歴史教科書を作成するなど、ドイツは反省を繰り返し表明することで近隣諸国の信頼を勝ち取った。在特会幹部から献金を受けていた山谷国家公安委員長、ネオナチ団体と親密な高市総務相、稲田政調会長ら〝安倍ガールズ〟は、ドイツ、いや先進国では即罷免だが、日本なら安泰だ。政権支持率は依然高く、集団化、保守化、アメリカ化が着々と進行している。

 前置きが長くなったが、本題に……。シネマート新宿で韓国映画「監視者たち」(13年/チョ・ウィソク、キム・ビョンソ共同監督)を見た。週末の新宿はごった返していたが、館内はガラガラで、公開1週間後なのに観客は20人前後(キャパ330超)。だが、内容は反比例するように素晴らしく、感想を書く気もしないハリウッド発を凌駕する超絶エンターテインメントだった。

 中身に触れる前に、疑問を提示する。配給元や映画館はなぜ、本作の面白さを積極的に伝えないのだろう。日韓関係の冷え込みもあり、「これからはインド映画」と喧伝する怪しい評論家もいるが、高評価の「マダム・イン・ニューヨーク」にしても前々稿に記した通り、肩透かしだった。映画界まで安倍政権の顔色を窺っているのだろうか。

 閑話休題……。冒頭の緊張感が凄まじい。地下鉄のシーンに主要キャストが総登場し、相次いで起きた爆破、銀行襲撃と並行して、ハ・ユンジュ刑事(ハン・ヒョジュ)はファン班長(ソル・ギョング)に監視班入りを承認される。ハンはナチュラルビューティーで、中森明菜、永作博美、北乃きいに近いイメージだ。見たものを記憶の底に留め置き、必要に応じて引き出す彼女の能力が、事件解決の突破口になった。大杉蓮風のソルは、シリアスさと軽妙さを巧みに表現している。

 情念と狂気を漲らせた犯罪組織のリーダー〝影〟を好演したチョン・ウソンは、高嶋政伸を彷彿させる。影の過去、影を操る組織の実体は謎のままだが、指令を伝える老人が日本語で独白するシーンがあった。終演後、下りのエレベーターで女性グループが、「出番はあまりなかったね」と残念そうに感想を述べ合っていた。彼女たちのお目当ては監視班員〝リス〟を演じたアイドルのイ・ジュノ(2PM)だったに違いない。

 ファンとユンジュの関係は、「スチュワーデス物語」の主人公(堀ちえみ)と教官(風間杜夫)と重なる。ファンは監視班のルールを逸脱しがちなユンジュを見守り、長所を伸ばしていく。本作はチームスピリットに溢れたクオリティーの高い作品だった。PART2で〝影〟の背後に潜む組織の全容が明かされることを期待している。

 本作では、市民を丸裸にするハイテクの管制室が頻繁に映し出される。〝分断国家〟韓国ならではの光景といえないこともないが、「人権」と「自由」を損ないかねない問題が潜んでいる。

 10年前、歌舞伎町に監視カメラが設置された。当時上がった抗議の声はすっかり萎み、警察が防犯カメラの映像を入手し分析するのは当たり前になった。これはある意味、〝相棒効果〟といえるだろう。テレ朝系の刑事ドラマは面白いが、自由を殺す毒を孕んでいる。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

新譜&グラストンベリー~秋の夜長にロックを愉しむ

2014-09-18 23:39:17 | 音楽
 10日以上前だが、仕事先の先輩Yさんがフェイスブックで、若い世代の音楽の聴き方に疑義を呈していた。フェスなどでメッセージを発信するミュージシャンを批判するツイッターに、同意のコメントが幾つも寄せられていたからだ。槍玉に挙がっていたのは、反原発を訴えるクロマニヨンズや斎藤和義である。

 ロックの原点はメッセージのはずだが、体制に「NO」を突き付けるのは、欧米でも勇気がいる。ブルース・スプリングスティーンでさえ〝社会主義的〟と見做され、干された時期があったほどだ。〝イスラエルタブー〟は絶対で、ガザ攻撃を批判したビッグネームはエディ・ヴェダー(パール・ジャム)ぐらいである。パール・ジャムはチケットマスターやレーベルと闘って勝ち残った希有なバンドだから、恐れるものなどない。

 今年前半はロックと疎遠になっていたが、思い出したようにCDを買っていた。涼しくなって聴き込んでいるのは、インターポールの「エル・ピントール」とヴァインズの「ウィキット・ネイチャー」だ。秋の夜長に馴染む音で、後者は俺にとって年間ベストワン候補である。

 インターポールはアメリカ出身だが、<ポストパンク・リバイバル>に分類されるようにUKニューウェーヴ色が濃い。ジョイ・ディヴィジョンの影響が窺えるダークでメランコリックな音に、20代の心の風景が甦ってくる。俺にとってロックはあの頃、生きるための必須ビタミンだった。

 ヴァインズには驚かされた。15年以上のキャリアを誇るベテランだが、6thアルバムは初期衝動、繊細さ、煌めきに満ちている。30代後半でこんな音が出せるとは、魔法としか言いようがない。クチクラ化した俺の血管に、爽やかに染み渡っていく。

 ヨーロッパの大学生にとって、夏季休暇の一番の楽しみは何か……。アンケートの1位はロックフェスである。欧州全域で毎週末に開催されるフェスをはしごする若者は多いが、最大のイベントといえばグラストンベリーだ。スカパーでオンエアされたグラストンベリー'14の総集編(5時間)を通して見た。

 アーケイド・ファイアで始まり、ジャック・ホワイトで終わる。中締めはメタリカでMGMTも大受けと、製作したBBCは〝非英色〟を前面に出していた。オンエアされたのは一握りだが、数組をピックアップして感想を記したい。紹介しきれなかったアーティストについては、別稿で触れることにする。

 フジロックで見るはずだったアーケイドだが、バッティングしたマニック・ストリート・プリーチャーズの方を選んだ。マニックス一家に草鞋を脱いでいる以上、裏切るわけにはいかなかったからである。

 アーケイドは雑食性のモンスターだ。正式メンバーは7人だが、20人以上の大編成でステージに立つ。ロマの楽団といった趣で、寸劇やおふざけもあり。学芸会で初めて舞台に立った少年のときめきを忘れていない。フロントマンのウィン・バトラーはポン引き、奥さんのレジーヌ・シャサーニュは場末のクラブママといった雰囲気だ。チープさを漂わせながら、その実、緻密に構成された斬新かつ高度な演奏で、大観衆とともに祝祭空間を創り上げる。

 締めのジャック・ホワイトはアーケイドと志向が逆で、鋭く激しく、ロックの骨組みを浮き彫りにして、観衆を高揚させていた。2枚のCDを絶賛したフォスター・ザ・ピープルはライブ映えするバンドだった。キャッチーな曲、隙のない演奏、ルックスの良さを兼ね備えたフォスターは、デペッシュ・モード級に大化けするかもしれない。

 この年になって女の子うんぬんも大人げないが、続々と降臨するロックディーバたちに胸がときめいた。美人3姉妹のハイム、ラナ・デル・レイ、エリー・ゴールディング、ロンドン・グラマーのハンナ、チャーチズのローレンetc……。才能、美貌、個性を併せ持った女の子たちが、世界最高の舞台で輝いていた。

 スコットランド独立を問う国民投票の結果があす判明する。ミュージシャンの間でも意見が分かれているようだ。反グローバリズム派なら賛成というわけでもなく、行き過ぎたナショナリズムを危惧する声もある。独立となれば欧州全土、そして沖縄にも波及するだろう。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

落語とインド映画に親しむ週末

2014-09-15 20:43:09 | カルチャー
 山口淑子さんが亡くなった。別稿(8月31日)で幻の映画「私の鴬」について記したが、同作で主演したのが李香蘭時代の山口さんである。李香蘭の名は満州から日本、中華民国へと広がり、歌手としても人気を博した。〝満州の実効支配者〟甘粕正彦(満映理事長)は、明らかな反日映画を李香蘭主演で製作している。

 友人の川島芳子は戦後、漢奸容疑で処刑された。帰国していた山口さんは訃報に触れ絶叫したという。李香蘭と川島の史実を現代に置き換えた小説「ジャスミン」は、虚実の皮膜で空中楼閣を築き上げる辻原登の力業だ。自民党参院議員という経歴から保守派のイメージを抱いていたが、自身の来し方を踏まえ、日中友好に尽力し、重信房子さんを支援した。波瀾万丈に生きた山口さんの冥福を祈りたい。

 今日は敬老の日だった。57歳の俺は日々、老いを実感している。血糖値は高く便秘気味、肩と膝に痛みを覚え、たっぷり寝ても疲れが取れない。物忘れが激しく、反応がワンテンポずれてしまう。俺のような怠け者に文句を言う資格はないが、40年働き続けても羽を休めない社会の構造は、根本的に間違っている。

 電車に乗った時など、空いている席にまっしぐらだ。遠足や部活帰りの生徒たちが占領しているとイライラしてくるが、以下のように心で呟き、怒りを鎮める。<君たちの殆どは低賃金で年金もなく、死ぬまで奴隷のように働くことになる。戦争で死ぬかもな。体内被曝は大丈夫?>と……。俺たちの世代の無為が彼らに苦しみをもたらすのだから、俺など〝敬若精神〟を発揮し、少年たちに席を譲るべきかもしれない。

 前置きは長くなったが、週末は銀座で落語と映画を楽しんだ。午後は「よってたかって秋らくご'Night&Day」(よみうりホール)の昼の部で、演目は三遊亭兼好「看板のピン」、柳家喬太郎「紙入れ」、春風亭百栄「お血脈」、三遊亭白鳥「牡丹の径」と続いた。匠の技に心を癒やされ、時が経つのを忘れる。

 前座の後に登場した兼好が「安心して聴けるのはここまでですよ」と笑いを取っていた。後半に控えているのは異能派たちである。43歳の兼好は山本昌(49歳、中日)を例に挙げ、球界と落語界の年齢層の違いを話していた。球界で40代といえば引退間際の大ベテランだが、落語界では50代も若手の範疇に含まれる。喬太郎は50歳、百栄は52歳、白鳥は51歳……。〝若手〟たちが鎬を削った落語会だった。

 落語家は楽屋で前の高座をチェックし、噺に取り込む。喬太郎も白鳥も、兼好の「ピン」のアクセントを変え、くすぐりに使っていた。オーソドックスな兼好、表情豊かな喬太郎、脱力感が魅力の百栄、破天荒な白鳥……。彼らが〝老世代〟になった時、どれほどの高みに達しているか楽しみだ。落語初級者の俺だが、聴き手としてのレベルを中級ぐらいに上げていきたい。

 夕方はシネスイッチ銀座でインド映画「マダム・イン・ニューヨーク」(12年、ガウリ・シンデー監督)を見た。ほのぼのしたエンターテインメントで、しっとり感に浸った方も多いだろう。

 男尊女卑が根強いインドの勝ち組家庭で、シャシ(シュリデヴィ)はコンプレックスに苛まれていた。一流企業に勤める夫、エリート校に通う娘にとって〝公用語〟になっている英語を、シャシは全く話せない。肩身の狭い思いをしているシャシに試練が訪れる。姪の結婚式の準備のため数週間、ニューヨークの姉の家に滞在することになる。

 シャシは「4週間で話せるようになる」という謳い文句につられ、英会話スクールに通い始めた。そこで出会った様々な人たち――ゲイの教師、アフリカ系の無口な青年、居眠り癖のあるヒスパニックの熟女etc――と交流したシャシは自分を解き放っていく。ハンサムなフランス青年との〝恋未満〟が、物語の回転軸になっていた。

 緊張が途切れなかった(=眠らなかった)理由は、シュリデヴィの年齢を超越した美貌にあった。撮影時は49歳だった彼女は、しなやかさ、メランコリー、恥じらい、芯の強さを巧みに表現する。インド映画らしくダンスも披露していた。子役、アイドルを経て<ボリウッドで最も美しく活躍した女優>と評価されるシュリデヴィは、李香蘭と別の意味でアジア映画史に名を刻むディーバだ。

 香港、台湾、韓国とブームは巡り、今やインド映画の時代という。「韓流スターの人気後退とともに、韓国映画は衰退しつつある」と政治を背景に語り、「次はインド」と煽る映画評論家もいる。きっと賄賂でも貰っているのだろう。俺は今年、韓国映画を3本見た。「怪しい彼女」、「新しい世界」、「7番房の奇跡」はいずれもエンターテインメントだが、奥の深さで「マダム――」を凌駕している。「母なる証明」、「息もできない」、「嘆きのピエタ」など、<シェイクスピア悲劇に比すべき>と世界で評された韓国映画は多い。

 むろん、「マダム――」をけなすつもりはない。インドの矛盾や暗部とは異次元の夢物語を楽しめばいいのだ。YAHOO!の観客レビューの高さ(4・38)が示すように、見た方の満足度は極めて高い。ひねくれ者の俺の評価など無視してほしい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「蝦夷地別件」~俯瞰によって描かれた清々しいまでのカタストロフィー

2014-09-12 11:51:34 | 読書
 新内閣の顔ぶれに憂鬱な気分になった。ネオナチ団体代表と笑顔でツーショットしていた稲田政調会長と高市総務相、死刑を次々に執行しそうな松島法相、格差を確実に拡大する塩崎厚労相、原発再稼働に歯止めを掛けるはずもない小渕経産相……。日本会議のメンバーが15人と右派カルト色が濃いが、内閣支持率は相変わらず高い。

 抵抗すべき野党はどうか。福島県知事選で自公と相乗りする民主党は、野田政権当時から原発再稼働と輸出が本音で、TPP、消費税、基地問題と安倍政権への地均しをした。結いと維新の合流なんて、似非リベラルとミニ自民の吐き気を催す野合といえる。永田町には今、新自由主義と軍国主義の旗が翻っているのだ。

 暗澹たる状況を根底から覆すには、リベラルから左派が結集し、文化人も取り込んでムーヴメントを起こすしかない。壮年層なら秋葉忠利前広島市長、宇都宮健児前弁護士会会長、嘉田由紀子前滋賀県知事etc、青年層なら山本太郎参院議員、三宅洋平NAU代表etc……。上記の人たちとパイプを持ち、接着剤になり得ると期待したから、俺は緑の党に入会した。安倍首相が画策する年内解散で吹っ飛ばされる可能性もあるが……。

 さて、本題……。他の本と併読していた「蝦夷地別件」(船戸与一、96年/新潮文庫)を読了した。全3巻(1800㌻弱)の重みを今、咀嚼している。船戸は<俯瞰の視点と荒ぶる魂>を併せ持つ作家で、ガザや沖縄でこの夏起きたことに重ねながらページを繰っていた。行間に滲んでいたのは<造反有理=抵抗する側に理由がある>の思いである。

 和人に収奪され続けたアイヌが叛乱の狼煙を上げた。戦いは<アイヌVS松前藩>の局地的な構図を超え、<松前藩VS幕府(老中松平定信)>、<ロシアVSポーランド>と複層のプリズムが重なり合う。展開に重大な影響を及ぼしたのは、フランス革命とアイヌ内部の分裂だ。

 経緯を知る静澄(天台宗の僧)から洗元(臨済宗の元僧)への書簡の形を取るプロローグとエピローグで、叛乱後のアイヌの苦難が示されている。2人の僧と同時期、蝦夷地に足を踏み入れ、不思議な動きを見せた葛西正信の正体は、下巻で明らかになる。

 国家(藩)とは、アイヌとは、民族とは、正義とは、愛とは、使命とは……。主な登場人物は自身に発した問いの答えに命を懸ける。救国ポーランド貴族団のマホウスキ、松前藩番頭の新井田孫三郎、そして葛西は、目的のために手段を選ばずアイヌと接する。それぞれの主観をカットバックしながら物語は進行し、読者は広い間口から狂いに彩られた隘路へ導かれる。

 ロシアの関心を極東に向けさせるため、アイヌに鉄砲を売って松前藩と戦わせる……。マホウスキの戦略は時代の流れによって頓挫し、交渉相手のツキノエ(国後の脇長人)も窮地に陥る。息子セツハヤブら主戦派の暴走を抑え切れなかったツキノエにとって、唯一の希望は孫のハルナブリだった。聡明な16歳の少年は、将来のリーダーと目されていた。

 講義で教えられる空疎な政治学ではなく、船戸は生々しい政治力学を理解している。戦うか引くかを迫られた時、人間の本質が見えてくる。<一点突破>か<組織防衛>、<情と義>か<理と利>……。選択を迫られ、煽る者、抑える者、殉じる者、寝返る者に組織は分裂する。アイヌにも同じことが起きた。

 和人に懐柔されていた厚岸が非戦を貫いたことで、国後の運命は定まる。鎮撫軍を率いた新井田が下した非情な決断が、ハルナブリをモンスターに変えた。船戸は「ゴルゴ13」の原作者のひとりだが、ハルナブリはデューク東郷に霊感と野性を加えた若き暗殺者になる。死への恐れがなく、復讐を志向する分、東郷ほど完璧ではない。

 主人公を探せばハルナブリだが、洗元とマホウスキの生き様に強く惹かれた。洗元は蝦夷地で養生所を開く過程でハスマイラと結ばれるが、医療とアイヌへの純粋な思いを踏みにじられる。洗元は悲運に翻弄されるが、人としての尊厳を守り通す。一方のマホウスキは、約束を破ったことを詫びるため、脱獄までして国後を訪れる。日本でとっくに死語になっている侠気の持ち主は、異国の地で無残な最期を遂げた。

 夢と生き甲斐を語っていた(独白を含め)者たちは、清々しいまでに壊れていく。だが、堕ちるためには飛ばなければならない。狂うためには自らを律さなければならない。絶望するためには希望に身を焦がさなければならない。ハルナブリも新井田も葛西も、心のぜんまいをギリギリまで巻いてきたからこそ、狂い、破滅できたのだ。

 アイヌのその後は、身を引いた松平定信の思惑通りに進行した。池澤夏樹は「静かな大地」で、明治政府が推進した事実上の〝ジェノサイド〟を描いている。蝦夷地で〝実験〟した施策の幾つかを日本政府は韓国で実践した。負の歴史は今、闇に葬られようとしている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

WWE&NFL~米国発スポーツエンターテインメントの今

2014-09-09 23:34:26 | スポーツ
 人生は消去法だ。齢を重ねるにつれ可能性は消え、関心の範囲も狭まる。57歳の今、俺がファンといえるスポーツはNFL、競馬、WWEだ。ボクシングを観戦する感覚で楽しんでいる将棋も、俺の中ではスポーツに含まれる。

 とはいえ野次馬だから、周りが騒ぐと顔を突っ込む。錦織圭の快進撃を追い掛けながら、亡き父を思い出していた。スポーツ全般を〝亡国病〟と切り捨てていた父だが、ボルグに肩入れしていた。意志薄弱の息子に、「あの粘り強さを見倣え」と言いたかったのか。

 四半世紀ぶりに集中してテニスを見たが、理詰めの解説とバスルームブレークに、時の流れを感じた。錦織は奔放な天才、ジョコビッチは真面目な努力家と、これまでの日本人と外国人ではコントラストが逆だ。13歳からアメリカで過ごした錦織は、日本とは無縁の土壌で個性と感覚を磨いた。

 糸谷6段が3番勝負で羽生名人を下し、竜王位の挑戦権を獲得した。故村山聖9段以来、森信雄門下から個性的な棋士が続々と誕生しているが、中でも糸谷は際立っている。巧まざるユーモアを感じる自然児だが、阪大大学院で哲学を専攻する学究派でもある。

 3週間のタイムラグで、WWEの4大PPVの一つ「サマースラム」を見た。会社の規模(売上高、純益、総資産、社員数など)でいえば吉本興業に近いWWEは100カ国以上で放映されており、グローバル化(=普遍性の獲得)が最大の課題だ。政治的に軋轢のある中国や中近東、文化的にアメリカと距離を置くフランスやドイツでも地歩を築きつつある。

 グローバル化のコンテンツとして打ち出したのが「WWEネットワーク」だ。月額99㌦99㌣(約1000円)で全PPV、お宝映像、企画物が全世界で視聴出来る。WWEの姿勢は、ドリフターズの「8時だヨ!全員集合」に近い。アドリブ、ハプニングは全て織り込み済みで、シナリオを練り上げ、リハーサルを重ねて、完璧なエンターテインメントを作り上げる。WWE製作のドキュメンタリー「ビヨンド・ザ・マット」(00年)は、ロックとミック・フォーリーの死闘の舞台裏を余すところなく描いていた。

 今回の「サマースラム」は「WWEネットワーク」が配信する最初のPPVになった。3児の母である〝横暴な経営者〟ステファニー・マクマホン(大株主)が、〝楯突く従業員〟ブリー・ベラとリングで闘う。ブリーは反逆児ダニエル・ブライアンの妻で、双子の姉ニッキーと確執を抱えている。ブライアンの浮気が捏造されるなど、世界中のファンは<虚実ないまぜのソープオペラ>を満喫したはずだ。

 シナはファーム(OVW)時代に鎬を削ったブロック・レスナーに完膚なきまで叩きのめされ、王座を奪われる。NCAA、WWE、UFCで頂点を極めたレスナーは史上最強のレスラーだが、プロレスは強さだけでは決まらない。今回の王座獲得は、来年の「レッスルマニア」への布石といえるだろう。

 長年見ていると、次の展開が読めるようになる。レスナーは年内のPPVで、復活したアンダーテイカーの介入によって王座から転落する。テイカーは来年の「レッスルマニア」でレスナーに勝って引退し、ローマン・レインズが後継者になる……。これが俺の予想だ。

 NFLが開幕した。この時季になると「CSI科学捜査班」の第8シーズン最終話で殉職したウォリック・ブラウン(ゲイリー・ドゥーダン)を思い出す。鋭い直感と暗い情念で異彩を放ったウォリックは、フットボール賭博(合法)にハマっているという設定だった。

 シーホークス対パッカーズの開幕試合をNHKで解説した河口正史氏は「予想は当たったためしがない」と自嘲気味に語っていた。シーズンの行方どころか、4チームで争う地区優勝を当てることさえ難しい。サラリーキャップで戦力の均等化が図られており、首脳陣、選手の入れ替わりが激しいから、チームのファンダメンタルは未知数だ。

 各試合にも〝運命の一ひねり〟がちりばめられており、ハリウッドの脚本家さえ考えつかないアクシデントが頻繁に起きる。コーチになった気分で展開を読む時間がファンに用意されるNFLは、参加型のエンターテインメントといえる。

 昨季王者シーホークスは36対16と圧勝した。1年前はダークホースだったが、連覇の可能性も高い。強力な守備、着実なランニングゲームに加え、モバイルQBのウィルソンがパサー、チームリーダーとして進歩を遂げた。偉大なモチベーターであるキャロルHCは選手から絶大の信頼を寄せられている。盤石に思えるが、どこかに陥穽が待ち受けているはずだ。

 開幕週で見応えが一番あったのはNFC南の同地区対決だった。ファルコンズがオーバータイムの激戦でセインツを下す。この両チームは確実にプレーオフに進出するだろう。俺は数試合見てからその年の贔屓チームを決める。物差しは攻守にわたる想像力とギャンブル性だ。今のところ、AFCはドルフィンズ、NFCはライオンズが候補だ。

 俺の中で解説の2トップは、明晰で緻密な村田斉潔氏(龍谷大HC、GAORA専属)と上記の河口氏だ。経験に裏打ちされた直感で勝負する河口氏はNHK、GAORA、G+の全てに出演する。当人の実力に加え、事務所(吉本興業)の力も大きいかもしれない。

 あれやこれや慌ただしい日々に、NFLと竜王戦がアクセントを添える。読書の秋にはなりそうもない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

出でよ、新しい水夫たち~映画「NO」が示したもの

2014-09-06 17:19:10 | 映画、ドラマ
 <従軍慰安婦とは、旧日本軍が日中戦争と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。昭和十三年から終戦の日までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。「お国のためだ」と何をするのかも分らないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった>……

 別稿(8月14日)に記したが、1987年8月14日付の読売新聞の記事である。

 史実が塗り潰されようとしている。安倍機関の読売、産経、日経、文春、新潮の朝日叩き共同作戦に、池上彰氏も加わった。朝日は戦前、ポピュリズムに乗って戦争を煽った前科がある。罪滅ぼしの意味を込め、<護憲、反戦、反原発>を掲げて政権と対決してほしい。毎日、中日系(東京、北海道)、沖縄を筆頭にした多くの地方紙に加え、俺の仕事先の夕刊紙も微力ながら協力するだろう。

 注目しているのは作家たちの動向だ。村上春樹はイスラエルで<私は壁に卵を投げる側(パレスチナ)を支持する>と宣言した。ノーベル賞狙いのパフォーマンスでないことを示すためにも、<安倍の壁>を形成する文春に反旗を翻すべきだ。右傾化を憂えている高村薫、<自民党の憲法改正案に吐き気を催したから、(昨年の参院選で)共産党に投票した>と明かした平野啓一郎は、なぜ新潮社から本を出すのか。

 有楽町で先日、閉塞状況を鮮やかに覆した男に迫った「NO」(12年、パブロ・ラライン監督/チリ)を見た。主役のレネをガエル・ガルシア・ベルナルが好演している。88年のチリが舞台で、15年続いたピノチェット独裁政権の是非を問う国民投票が間近に迫っていた。ピノチェットは軍事クーデターでアジェンデ政権を倒し、大統領の座に就く。経緯は「サンチャゴに雨が降る」(75年)に描かれている。

 クーデターで3000人以上のアジェンデ支持者が殺され、数万人が投獄されて拷問を受ける。スティングやクラッシュらロッカー、ジェーン・フォンダら俳優たちが、ピノチェット政権の強権的な支配に抗議の意思を表明した。

 軍事独裁のピノチェット政権にはもう一つの貌があった。当ブログで<アメリカは南米を新自由主義の実験場にした>と記してきたが、ピノチェット統治下のチリはその典型だった。シカゴ学派の指南によって民営化は進行し、夥しい格差社会になる。新自由主義を推進する右派という点で、ピノチェット大統領=安倍首相といっていい。

 欧米からの圧力もあってピノチェットは国民投票実施に踏み切り、「YES」派と「NO」派が15分ずつの映像を1カ月流すというルールが決まる。「NO」派の多数は<投票を認めたこと自体、ピノチェットへの屈服>、<奇跡が幾つも重ならない限り勝てるはずはない>と考えていた。絶望感と諦念が充満する「NO」派から映像製作を依頼されたのがレネである。

 ベルナルは「モーターサイクル・ダイアリーズ」(04年)で若き日のゲバラを演じた。ゲバラへのオマージュを繰り返し語るベルナルだが、本作で演じたレネはCM界の敏腕クリエーターで、明らかな〝勝ち組〟だ。レネはもちろん反独裁だが、「NO」陣営をクライアント(恐らく無償)と考え、勝利のためにベストを尽くす。最大の課題は、長年の独裁と暴力で国民に染みついた恐怖を払拭することだった。海外メディアのチェックがあったこと、短期決戦だったことがレネにプラスに働いた。人々の反応にビビッドで、日々の修正を厭わぬ広告マンの鋭い嗅覚により、「NO」は国民に浸透していく。

 実話に基づいて製作された本作だが、「NO」に与した側から批判が湧き上がったという。いわく、「独裁政権を倒したのは広告屋の手法ではなく、人々の真摯な思い」……。誇張もあるだろうが本作のレネは、弾圧への抗議を切々と訴える正攻法を、「暗くて恐怖を増幅させるだけ」と一蹴する。音楽やダンスをふんだんに取り入れつつ、メッセージを浮き彫りにするというイメージ戦略が功を奏した。

 本作はアップを多用していたが、それも広告の手法かもしれない。観賞中に脳裏をよぎったのは、以下の二つの言葉だった。一つは表現主義者が100年前に掲げたテーゼ<形式は内容に先行する>で、もう一つは吉田拓郎も参加した広島フォーク村名義の「古い船をいま動かせるのは古い水夫じゃないだろう」のアルバムタイトルである。

 「YES」派も「NO」派も当初、レネのCM的手法を薄っぺらい<形式>と嗤い、肝心な<内容>が伝わってこないと軽視していた。レネは新しい水夫だったからこそ、旧来の方法論から自由だった。ちなみに、レネは勝者ではない。勝利の喜びを分かち合うこともなく、「NO」派の本部からひっそり姿を消し、本来の戦場に戻る。「YES」派のアドバイザーだった上司とともに、「これぞ新しい時代に即したプラン」と映像を見せてクライアントに説明していた。実にクールなラストだった。

 翻って日本について考えてみる。反安倍側は政権が繰り出す禍々しいパンチに抗議を繰り返しつつ、疲弊してきている。今こそ求められているのは、レネが実践した<新しい水夫による斬新な形式>だ。山本太郎氏や三宅洋平氏が短期間で効果を挙げた選挙フェスも一つのヒントだと思う。自由が尽きるまで残された時間は思いのほか短いかもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「プロミスト・ランド」~立ち位置の違いで風景が変わる映画

2014-09-03 23:29:39 | 映画、ドラマ
 仕事先の夕刊紙で今、株面を週3回、担当している。筆者も読者も、世界観は俺と真逆だ。<リストラに成功した企業の株が有望>、<原発輸出で狙える銘柄を探せ>と主張している。最近のお薦めはリニア関連株だ。JR東海・葛西会長が公言しているように、リニア新幹線の前提は原発再稼働と新設である。

 先日も興味深い記事を目にした。いわく<イラク、ウクライナ、パレスチナといった地政学的不安が株価に反映されなくなった。石油よりシェールガスという流れが先取りされている>(趣旨)……。世界一のシェールガス生産量を誇るアメリカでは脱原発が進む。日本はどうか。官邸前デモで湯川れい子さんは強大なウランマフィアの存在を指摘していた。<アメリカ+ウランマフィア連合>は日本、そしてトルコやインドを、ダブついたウランの供給先と位置付けているに違いない。

 シェールガス開発をテーマに掲げた「プロミスト・ランド」(12年、ガス・ヴァン・サント監督)を銀座で見た。作品の背景にあるのは別稿(8月1日)に記したアメリカの貧困である。農民は大企業の下で小作人になるか、土地を離れるかの選択を迫られる。

 荒廃の一途を辿る架空の町マッキンリーに希望の灯が射した。シェールガス埋蔵が確認され、グローバル社のセールスマン、スティーヴ・バトラー(マット・デイモン)がやってくる。バトラーは脅し、賄賂、ハッタリも辞さぬ腕利きで、金こそすべてという価値観が揺らぐことはない。

 土地買収は数日で完了するはずが、スティーヴは窮地に陥る。人望と化学の知識を誇る高校教師フランクと環境保護団体のダスティン(ジョン・クラシンスキー)が説く反開発が、町民の中で支持を広げていく。ダスティンがパーティーで、中産階級から下層社会に転落した人々にとって心の支えというべきブルース・スプリングスティーンの曲を歌い、喝采を浴びるシーンも象徴的だった。本作のタイトルはスプリングスティーンの曲名にちなんでいる。

 スティーヴとダスティンは対立項として描かれるが、この2人が共同で脚本を担当している。ラストのドンデン返しも、練られた末の結果といえるだろう。製作資金を出しているのは<1%>だから、企業サイド=悪、環境保護派=善と対照的に描くことは憚られる。監督と2人の脚本家は、落としどころを見つけるのに苦労したに違いない。

 辺野古移設が強行される日本と比べ、マッキンリーの自治の精神に感嘆する人もいるだろうが、実態は異なる。アメリカの自治体は大企業とリンクしており、官民一体となって人々を屈服させる。スティーヴ自身も、土地を奪われた農家の出身だった。生きるとは、プライドとは……。反対派と闘う最中、スティーヴは葛藤する。アリスを演じたローズマリー・デウィットは、生き方を変えてもいいと思わせるほどチャーミングだった。

 環境問題に関心があり、原発、リニア新幹線、辺野古移設に異議を唱える人は、生温さを覚えつつも、本作に共感するはずだ。立ち位置によって風景が変わる作品といっていい。ちなみに、アメリカと日本では公開時期に2年のタイムラグがある。理由を勘繰ってしまったが、的外れだろうから記さないことにした。

 俺にとってガス・ヴァン・サントといえば、「永遠の僕たち」(11年)だ。12年1月に見た俺は、4カ月後の妹の死に際し、同作を反芻することになった。日本的死生観に彩られた同作は、加瀬亮が特攻隊員の幽霊役を演じ、現世と彼我を行き来する。ファジーで柔らかい物語を創り、ソフトランディングするのが、ガス・ヴァン・サントの真骨頂かもしれない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする